■ 高さが怖い
昨日は久しぶりに(9か月ぶりくらい???)に、ちゃんとボルジムへ。本当はシーズン初めの4月にするべきだったなぁ・・・
クライミング自体が久しぶりという訳ではない、ということもあるが、そう”オールリセット”はされていなくて、良かった~。
昨日は、ジムは忙しい日で、ビレイヤーを待つ必要があり、その間にウォームアップのボルダリングの課題ばかりをしたので、17本も初級の課題を登ってしまい、やっとリード壁に着いた頃は、相当腕が来ていたと思うのだが、そうでもなかった。
リード壁は5本。パンプしたのはリード壁で、なんでパンプするかと言うと、「墜ちる!」と言う思いが体を強張らせ、腕が引きつけの体制になってしまうのだった。だから1本目の方がスムーズで、2本目はムーブが上手く行かず。3本目で思ったように登れた。高さが怖いのだ。
でも、外の岩で高さが怖いという恐怖のラッシュに襲われたことはないんだけど…一体なんでなんだろう???
例えば、本間沢のF9 私は目視で15mくらいと思った滝、実は25mあったけど、別に怖くない。ロープの必要性も理解できるけど、ロープがなければ決してトライしない、というほどの怖さのものでもない。これと比べると10mくらいのジムの壁の上部のほうが怖いんだけど…、一体なんでかなぁ?露出感かなぁ・・・。
岩で心から怖かったっていうのは、まだない。登れなくて墜ちる、というのは、あるけど…。最初の離陸で一歩が登れないってのもある。
でも大抵、核心は一歩で、その後は問題なかったりする。私はまだセカンドしか大体のルートで登れないので、Aゼロ。Aゼロしないで行くと墜ちる。
そういう感じで、結局、昨日は、ボルジム課題17本、リード5本、トラバース2、して、3時間。手のひらに豆が三つできた。
・・・けど、やっぱりボルダリングジムの課題ができるようになって、今ある私の登山の何に役に立つのか、良くは分からなかった(汗)。
■ コピーする能力
ほとんどピンクとピンク黄色課題しか登っていないので、登攀グレードの面で見ると、ハッキリ言って、ずぶの素人の時と全然変わらない(^^;)。全くの初心者の時でさえ登れた課題ばかりだ。
昨日は、今日が初めてデースという初心者の女の子3人組が来ていて、同じような課題をしていたので、私も初めての時、他の人に教わったから、教えてあげた。
とりあえず、ムーブは私の方が良いのは分かった。でも、そんなの、すーぐ追い抜かれちゃうような話だしなぁ。1年前と同じ課題でも、楽は楽だ。
初心者の時は、正対しか知らないので、彼女たちも例にもれず、被った壁で墜ちていたので、フリを教えてあげたら、ぎこちないけど、ちゃんと出来ていた。
お手本を正確にトレースするというのは、子供の方が上手く、バレエってほとんどそればっかり。やって見せられたことを、自分がコピーしてやってみる。それは得意不得意があるみたいで、3人の中でもすぐできる子とすぐできない子がいた。
見た動作をコピーして再生する能力は、若さに依存する。
随分昔だが、中2の頃に、母親にテニスの素振りを教えたのだが、あまりに下手くそで、ビックリ仰天した。今思えば、母はその当時、今の私より若い。が、「歳だから仕方ない」と、14歳の私は思っていた…
この日は、60代の男性初心者もクライミングに来ていて、同じことを教えた。・・・が、やっぱりサッパリな感じだった。
■ 年齢??
オジサンは、「トップロープを勉強したくて来た」のだそうで、なんだかそのセリフを聞いて、まだ分かっていないのかもなぁ、大丈夫なのかなぁ、と思った。
年齢が高くても、私の知っている、平塚のほうの会の人たちは、リタイヤしてからクライミングを始めて立派に登っている。私なんかよりうんと上手だ。
だから、年齢であきらめる必要はないと思う。
でも・・・登れる人でも、アンザイレンのエイトノットを見ていたら、締めこむところをわざとふんわりゆるゆるにしていて、「あら…(汗)」と思った。
締めなくてもどうせローワーダウンで締るんだし、結束は摩擦力で締めるものなのだから、いくら解きやすくしたいと言っても、これではダメだ。
で、クライミング歴6年でも、”勉強不足”なんだなぁと思った。その人はクライミング歴6年ほどだったから。
若くても若くなくても、外に行くならロープワークをまずは確実にしないと、単純なポカミスで死ぬようなことになる。そんな無駄な死は、犬死、というようなことになる。
■ 全体像を理解しようという努力
クライミングに関しては、全体像がそもそも分かるのに、きちんと自分で勉強する必要があるみたいな気がする。
それは、なんだかOSの理解と似ているような気がするなぁ…。
イマドキ、誰だってコンピューターを使うのだが、基本的な原理を知らない人は、ウィンドウズが絶対だと思っている。世の中には、スーパーコンピューターもあれば、メインフレームもあり、マイコンもあり、まったくOSを搭載しないダムコンピュータ(ダム=バカ)もあり、それぞれのOSを持っていると言うことを理解していない(まぁしないと使えないわけではない)。
すべてのプログラムが、0と1だけで成り立っている、ということも同様だ。なぜ0と1の世界に、グレーゾーンができるのか、ということも理解されていない。
ハッキリ言って、こういう理解は、ただネットを使っているだけ、アプリを使うだけならイラナイ。
だけど、本質的なことが分かっていない、ということはできる。
プログラミングするようになって、初めてコンピュータを使っている、ということができるようになるんだが…。世の中では、そのことが理解されていないせいで、コンピュータの側に使われているのに、使っているつもりになっている。
パソコンの世界も、黎明期は誰もが本質を理解して使っていた。30年たって、今では理解していない人の方が99.99%みたいな世界になってしまった。
今ではDOS窓って言っても知っている人もいないし、コマンドラインを打ち込める人もいない。
でも、私が中学生でパソコンを使っていた頃は、自分でプログラムを組まないと、”コンピュータはただの箱”だった。それが本質だ。
そういうことが分かってアプリを使うのと、そうでないのとでは、行為の質に差がある。
それと同じようなことを、昨日は考えた。
本質を理解しないのは、60歳のオジサンも若い女性3人組も同じだけれど、どちらがより危険かというと、若い女性三人組の無邪気より、オジサンのリスクが大きいような気がした。
OSが何かも分からないのに、プログラミングの世界に行こうと思ってます、みたいな…。
何しろ、わたしに向けてエライ自慢話してたからなぁ・・・有名なガイドを知っているとか言って。
それで私の方もこの人を知らなければモグリ、というような人の名を挙げて見たんだが、オジサンは知らなかったし。
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