Thursday, August 20, 2026

北鎌尾根に挑戦したくなるころが一番死亡する確率が高い

 まっとうなクライミングをしている人たちは、じゃ何をしているのか?

どうしたら、まっとうなアルパインクライマーが、育成できるのか?

と言うことになりますが、大学山岳部の長距離縦走と超重量の山に加えて、フリークライミングの基礎力が要ります。

5.12がオンサイトレベルですいすい登れる力をつけると、世界の高い山(5000~6000をうろうろしているようです)で、10~30ピッチ程度のマルチピッチを登れる力の入り口です。

北鎌尾根にあこがれるころが一番死亡事故が多い

昨日見たNOTEにこのような記事がありました。

ピオレドール受賞のアルパインクライマーである天野和明さんの話によりますと、たいていの山ガールは、富士山と高尾山で山をはじめ、北鎌尾根で終わるのだそうです(笑)。

テストピース:積雪期赤岳

まぁ、私も同じ立場にいましたので気持ちは分かります。積雪期の赤岳がノーザイルで普通のコースタイムで登って降りて帰ってこれるか?というのが、本格的な山(北鎌尾根など)に進むための最低限の要件とされていますが…、この時期が一番事故が多いのです。(この時期で3人死んだ人を知っています)。

(普通の人は、積雪期赤岳は2周できます。できない場合は体力も技術も下の方と言うことです。)

登山者はザイルを出す基準が分からない

というのは、登山者と言う立場でいると、ザイルを出す目安が分からないからなんです。3級でも落ちれば、死ねる場所ならザイルが要ります。しかし、北鎌尾根、ジャンが視野に入る、この時期の登山者って、登山者カテゴリーの中ではトップに入るのでプライドが高く、ザイル要りますか?と聞かれると、必ずいらない、と言います。

それどころか、そもそも、ザイルが出る山なんか俺しないから!
俺は安全なところだけ行くんだ!と思っているんですよ。

私も思っていました。なんで登山したいのに、クライミングジムに行かないといけないの?ヤダと思っていたんですよね。

ジャンが世界中に知られる、自殺志願者としか思えないルートだとも、つゆ知らず(笑)。

海外のトップクライマーは、ジャンはロープがない限り、テコでも動きませんよ。ただムーブは超が付く簡単で、ジムで10回くらい登れば、あっという間に楽勝になります。

ところが、ここにジムにもいかない、超メタボ体形で、おなかが出っ張って足元が見えない、登山者によくあるタイプの人が行くと、傾斜の関係で落ちたら一巻の終わりです。ほぼ階段みたいなところなのに。

そしてそれに巻き込まれるのが一番のリスク。

ジャン行きたい、北鎌尾根行きたい、と言うレベルの人は、一般登山者カテゴリーの中で、体力が一番の人って意味ですが、それは、ステップアップした場合の、アルパイン族の中の尻尾なんですよ。

技術はないほう、弱い方ってことです。そこが分かるようになるまでは、取りつかない方がいいです。

3人の死者の事例

一人目は山岳総合センターのリーダー講習の同期だった30代男性です。身重の奥さんを残して亡くなりました。しかも、講師と登っていたのです。つまり講習会でもいい線の人だったということが分かりますよね。ジャンから、涸沢岳西尾根。混雑を避けるためにGW積雪期です。ジャンでは落ちず、涸沢岳西尾根で落ちて死んでいます。なぜロープを出さなかったのか?悔やまれる事故です。この個所は古くから滑落事故で知られている場所です。一緒に行った講師は今も山のガイドをしています。

私はこの時期は、西穂沢と言う山を最初の師匠の清高さんとやり、雪渓を詰めて西穂に到達しました。雪渓へのタクティックスが必要な山です。岩稜のスキルは、ほぼ要りません。いるのは雪稜と雪渓のゆるみを読む力です。

北鎌尾根で死んだ人も知っています。福岡にある山岳会で、リーダーをしていた友人が教えてくれました。彼も行った山だったそうです。ザイルを出さずに山岳会で登り、え?と思った時には同行者の女性は落ちていたそうです。ザイルを出していれば防げた死亡事故です。九州ではザイルを出さない傾向が強くあります。ザイルを出すことを弱虫のしるしと考えているためです。それとザイルを出す技術自体が、山岳会の内部から失われつつあります。

現実的には、登山のルートでザイルを出すという技術は、普通の人工壁やゲレンデでのフリークライミングの岩場でのザイルを出す技術より難しいです。支点になる自然物の選択がもっとも難しいからです。ない場合も多いのでロープだけを持っていても意味がなく捨て縄や使い捨てのナッツなどが必要です。沢登りをしていた人はこういうことが可能です。

一方でトンデモガイドも横行しており、このような場所でロープをだせるという人の技術内容には要注意です。一本のロープに何人も数珠つなぎにつなぐようなロープの出し方をしても安全は増えず、一人のミスが全員を死に追い込むだけです。支点がなく、ただリーダーが引っ張ってあげるという意味の場合もあります(お助け紐)。

支点構築とロープシステムをしっかり理解していない人でも北鎌尾根・ジャンレベルではリーダーとしてあがめられていたりします。これは日本の登山が体力一点豪華主義だからです。体力が上回る人の言うことに従う傾向があるということです。

さて、3つ目の事例は、宝剣です。ピオレドール受賞クライマーの花谷さんが主宰しているヒマラヤキャンプに参加してヒマラヤ経験も積んだ人でした。少しでも不安ならザイルを出す、と言う風に教わったそうです。しかし、この基準の在り方では、ザイルを出さなく、人はなります。技術が上がれば上がるほど、こんなところでいらないな、と感じるからです。彼女はそう感じ、必要を感じないから、と出さなかった結果、足元が崩れ、300m滑落しました。解放骨折の大けがでした。

一命はとりとめたそうですが、その後は音信不通です。もともと、天候の判断、山のコンディションの判断に強気傾向がある人でした。一般に、山の経験値が浅いと、いい時ばかりを経験しているので、これくらい大丈夫だろうという判断が根拠を持つようになります。つまり、事実に裏付けされた自信になる。彼女のケースはこれでした。

私も彼女とはゲレンデをご一緒したりして、頑張ってほしいと思っていたので、とても残念な事故でした。今もどこかでクライミングしていてほしいです。

現代登山者は誰にアドバイスを請うたらいいのか?

私はこのようなレベルの時に、師匠の清高さんを得ることができ、彼から与えられた知識や技術で自分を死亡事故と言う脅威から守ることができました。

以上述べたような知識は、旧来は山岳会の飲み会で語られていたようなことです。しかし、社会のゆとりが亡くなり、飲み会がなくなり、ネットではフィルターバブルの影響で良いニュースしか語られなくなりました。

本格的なガイドさんといると、色々な山の話を聞くことができます。昔の大学山岳部の人は前述の記事のように、ガイド講習を義務付けられていないので、知識が古く、むしろ危険人物化しています。

こちらの山下さんはガイド協会を率いていた方です。そうと書いていないので、知らない人にはわからない…。

トップレベルのクライマーでもある方です。

私自身も積雪期登山ガイドステージ2ですが、新しいクライマーですので、山のこともクライミングのことも、ここ最近の15年くらいの出来事しか知りません。私が山デビューしたころ、小窓尾根の遭難がありました。あれから、です。

事故事例を学ぼう

山岳総合センターのリーダー講習で最初のほうにやるのは、事故の事例とそれをどう乗り越えたか?と言う事例集の読み合わせです。
運転免許を取るときも、失敗したらどうなるか?を先に学ぶでしょう。それと同じことです。

高尾山のような誰でも登れる山に登っている間はそれでいいのですが、北鎌尾根、ジャン、などが見えてきたら、フリークライミングの基礎力が成否を分けます。もちろん、体重がクライミング向きであることも大いに関係がありますが、なにも5.13を登れと言っているのではないので劇的に痩せている必要はありません。でも平均以下の体力・体格ではだめです。

せめてコースタイムの8割で歩いてくれないと…と言いたいところですが、現代のコースタイムは中高年登山者を反映して大幅に水増しされており、その年齢相応の体力で歩けるべき時間を示していません。

その際は標高差で体力を測ってください。標高差300mを一時間で歩けなかったら体力不足です。私はこれらの山を登っている当時で440mを一時間で歩けました。それでも体力としてはかなり下の方です。現代のピオレドール受賞者レベルは1000m、遭難救助隊のレベルで700m~600mです。これは、山小屋に勤務して、遭対協の方を知っています。私の講習の講師も八ヶ岳の遭対協の副隊長の一人でした。

沢登り、岩登り、積雪期とステップアップしていくと、緩やかに時間をかけてこれらのことが理解できますが、理解できるほど時間を掛けたくない人はガイド登山で行くのが良いと思います。

一番死亡事故が多いのが、一般登山から本格的なバリエーションへステップアップしたくなる、この時期です。

ジムにいって、基礎的な3点支持の正対のぼりを習得しておけば、日本の一般ルートの岩稜で歩けないところは、ほぼないです。

まぁ、クライミングスキルが上がると、なんでひいこら6時間も歩いて、立った3級を登らないといけないのか?とお買い得の反対、お買い損な感じがしてきてしまい、魅力を感じなくなります(笑)。

というわけで、こういうルートがまた廃れていくのですが…。

あんたは行ったんだろうな!と言われると困りますが…北鎌尾根の代替えとして、ツルネ東稜へ新人としてリーダーで会のメンバーを連れて行き、その返礼で、北鎌尾根よりも、より難しい、前穂北尾根に御坂山岳会に連れて行ってもらった後、明神主稜を自分で登っています。そのあと厳冬期の甲斐駒と阿弥陀北稜をソロでやり、後は興味を失いました。

なんせ、アイスクライミングで相沢の大氷柱を55m×3回連続で登る方が楽しかったからです。

以降は、海外でも岩場を登るようになって、今に至ります。

大抵の人は同じような結末を迎えるよう…。
登山をしていたのに、なぜかフリークライミングに…。

それは、現代の真実のアルパインクライミング(スーパーアルパインと言いたいですが…)が、ザック40㎏、5.12はスイスイ登れる、というのを前提の条件にしているためです。それに満たない人はお呼びでないです。

国内のアルパインルートは赤岳主稜をはじめとして、すっかりスポーツルート化して魅力を失っています。

それ以外は、登れる人もいなくなり、原野に返されていると思いますが、むしろ良きことのようです

Tuesday, July 14, 2026

【登山者の心理学】ピアジェの発達理論で”登る前から遭難”が説明できます

事例:

次の事例をピアジェの発達理論をもとに解説して:登山で登頂には6時間かかる尾根である。午後から雷の予定が出ている。朝8時に登山口を出たら、雷につかまるので出発する以前から出発するべきでないと分かっているが、出発してしまう。

解説: 

この事例は、ピアジェの理論における「形式的操作期(仮説演繹的な論理)の機能不全」と、そこから生じる認知の歪みとして極めて明確に説明できます。

論理的・客観的な推論が可能であるはずの成人であっても、なぜ「自明の破綻」に向かってしまうのか。ピアジェの発達理論の枠組みを借りて、このプロセスを解体します。

1. 形式的操作期における「論理的検証」の放棄

11歳以降の形式的操作期に達した大人は、本来、「時間(8時+6時間=14時)」「天候(午後から雷)」「リスク(雷=命の危険)」という複数の変数を組み合わせ、「登頂を諦める」という結論を導き出す仮説演繹的思考が可能です。

しかし、この事例ではその論理が適切に運用されていません。これはピアジェが重要視した「メタ認知(思考を客観視する能力)」の停止を意味します。

  • なぜ論理が機能しないのか: 本来なら「もし8時に出発すれば、14時に稜線にいる。雷発生時刻と重なるため、結果として遭難する」という推論ができるはずです。しかし、出発してしまう大人は、「8時に出発したい」という強い欲求(感情的同化)が先行し、論理的な推論プロセスそのものを、「今日は大丈夫かもしれない」という根拠のない仮説へのすり替え(不適切な同化)によって遮断しています。

2. 「前操作的」な直感への退行

極限状態や強い願望があるとき、大人の思考は形式的操作期から「前操作期」へと退行します。

  • 直感的判断への依存: 「遠くの空はまだ晴れている」「今のところ風はない」といった目の前の断片的な視覚情報のみを絶対化します。「午後から雷」という未来の抽象的な事象よりも、「今、目の前にある登山口という環境」を過大評価し、それがずっと続くかのように錯覚します(これをピアジェの理論の延長で解釈すると、時間軸を無視した直感的思考と言えます)。

  • 自己中心性(認知の歪み): 幼児期の特徴である「自己中心性」が極限状態で再燃します。「山は私にだけは微笑んでくれるはずだ」「自分は雷を避けるスキルがある」といった、客観的な確率論を無視した全能感に近いバイアスが支配的になります。

3. 同化と調節の機能不全

ピアジェが提唱した発達のメカニズムである「同化」と「調節」が、ここでは歪んだ形で発動しています。

  • 過剰な同化(Assimilation): 「雷の予報」という不都合な外部情報を、「自分の都合(登頂したい)」という既存のシェマ(認知の枠組み)の中に、無理やり自分に有利な形で取り込んでいます。「雷といっても遠くで鳴るだけだろう」「午後早めなら大丈夫だろう」と情報を加工し、自分を納得させてしまいます。


  • 調節(Accommodation)の拒否: 本来なら、「雷の予報がある」という事実を前に、自分の「登りたい」という計画(シェマ)を修正しなければなりません。しかし、登山を中断することは「自分の目標の放棄(=自我の毀損)」と直結するため、既存の計画を維持することに固執し、現実(天気予報)に合わせた思考の修正を拒否します。

結論:なぜ出発してしまうのか

この大人は、「形式的操作期」という高い論理的能力を持っているにもかかわらず、「登りたい」という根源的な欲求を論理的に正当化する道具としてしか知性を使っていない、と言えます。

「出発するべきでないと分かっている」というのは、表層的な知識としては保持されていますが、深いレベルでは「雷」を抽象的な脅威として認識できず、「自分の期待する未来(登頂)」を現実に「同化」させてしまう前操作的な認知状態に飲み込まれています。

この事例をピアジェ的に克服するには、単なる知識だけでなく、「自分の論理は、今、感情的な願望によって歪められていないか?」という、自身の認知プロセス自体を疑うメタ認知的な訓練(=大人の段階におけるさらなる発達)が必要であると言えるでしょう。


ピアジェの理論についてはこちらです。

https://note.com/kinny2021/n/ne1c8dbd4d45a?app_launch=false


「判断を鈍らせるストレス要因がないにもかかわらず、合理的な判断を回避して出発する」という現象は、ピアジェの理論と発達心理学の視点から見ると、「未発達な自己調整機能」ではなく、「信念体系(ビリーフ・システム)の強固な固定化」として説明できます。

1. 「前操作期」的な信念の「絶対化」

前操作期(2~7歳)の認知の特徴は、「自分の見えているもの(自己の信念)が世界の全てである」という点にあります。ストレスがない状態であっても、この「自己中心的な信念」が強固である場合、事実は信念のフィルターを通してしか認識されません。

  • 「無意識のフィルター」: 登山家にとって「自分は山を熟知している」「このルートは通い慣れている」という前提(シェマ)が、あまりに強固に完成されている場合、天気予報という客観的な外部データは「例外的なノイズ」として処理されます。「雷の予報はあるが、自分には関係ない」と、論理的に考えるまでもなく、直感レベルで処理してしまうのです。


  • ピアジェ的解釈: これは情報の「同化」が極端な形で行われている状態です。新しい情報(雷の予報)を自分の既存の「自分は大丈夫」という枠組み(シェマ)に合わせて歪めてしまい、自分を修正(調節)する必要性を全く感じていません。

2. 「形式的操作期」の道具化(合理化の罠)

ストレスがない平時の知性であれば、本来は「論理的検証(形式的操作)」が機能するはずです。しかし、ここでは知性が「山に登るための理由付け」を構築する道具としてのみ機能しています。

  • 論理の悪用: 「過去のデータでは雷は発生しなかった」「風がこれくらいなら大丈夫」という、一見論理的に見えるパーツを並べて「出発しても問題ない」という結論を導き出します。

  • メタ認知の欠如: ここでの最大の課題は、この人が「自分の論理的プロセスに欠陥があるかもしれない」という「メタ的な疑い」を持たない点です。平時だからこそ余裕があり、自分の思考の正しさを疑う必要を感じません。この状態をピアジェ的に言えば、「主観的な確信が論理的な推論を凌駕している」と言えます。

3. なぜ遭難に向かうのか?(発達心理学的メカニズム)

ストレスがない状態でこの行動をとる場合、その人の心の中では以下のような「発達の停滞」が起きている可能性があります。

  • 「全能感」の残存: 幼児期特有の「世界は自分の思い通りになる」という全能感的な思考が、成人後の趣味の領域でそのまま保持されています。

  • 「現実検討能力」の選択的停止: 自分のアイデンティティや幸福感と直結する事柄(この場合は登山)についてのみ、論理的思考のスイッチを切り、幼児期のような「世界観」に浸ることを許可しています。

結論

出発前に合理的な判断の邪魔になるようなストレスがないのであれば、それは「退行」ではなく、「確信に満ちた前操作的思考(2~7歳の自己中心的な世界観)」が、大人の論理能力を支配下に置いている状態です。

この人の知性は、「客観的事実を自分に合わせて都合よく作り変える」という点において、未就学児〜小学校低学年レベルの思考メカニズム(自己中心性)から卒業できていないと言えます。

大人の論理的能力を、「現実を理解するため」ではなく、「自分の幻想を維持するため」に使っているという点で、認知の発達段階における「均衡化」が、現実ではなく「幻想との均衡」で止まっているという解釈ができる。