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Monday, July 17, 2023

読了『お金に頼らず 生きたい君へ: 廃村「自力」生活記 (14歳の世渡り術)』

■服部さんの著作を読みました

 https://amzn.to/3Of1ztk

服部さんは、サバイバル登山という登山分野?を確立した人ですが… 有名男性クライマーって、基本、誰が一番かっこいいか?(=有名か?)で競い合っているんですよね…

私の中では、服部さんは、栗城さんが3.5流だということを世間にきちんと知らしめてくれた人です(笑)。 https://www.youtube.com/watch?v=RVTMbd2IcT4

現代の登山は、価値観が倒錯していて、すごくないことをすごいと自己申告しても、誰もわからないので、俺はすごい!と自己申告した者勝ち、になっている。

そんな中では、服部さんは、等身大で語っており、一般市民の無知に付け込んだ、すごい!という誤解に基づく、支援を求めていないところが誠実。

■ 実はすごくない自給自足

この本は、自給自足の本なんだが…山やが軟弱化した現代では、この自給自足でも、すごいのかもしれないが…でも、実は自給自足ジャンルの中では、全然すごくない…

事例) 去年ウーファーに行った先

https://photographer-akapple29.com/daruma-houbokubuta/

家まで手作り。その日薪暮らし…すれすれを楽しむ生活だった(笑)。

           手作りのログハウス ほんとに住んでいます

日本のヒッピーの人たちは、もっとすごい自給自足というか、お金に頼らない生活をとっくの昔に作り上げていて、すでに2世がいるくらいなんである。

結局、”田舎暮らし”の指南書を書くということなら、服部さんより、うんと前から、日本のヒッピーの人たちは自給自足生活をやっている。

大体が

 非課税所得で、税金も払っていない

ので、お金を使わない生活どころか、税金すら払わないで済ませる生活。その実態を知っていたら、たぶん、この程度のことだったら、本にする価値がある!と思わないと思う。

クライミング界で有名な南裏さんの知り合いが和歌山で自給自足生活をしているが、かなり気合が入っており、クライマーの終着点として、これもあるんだなーと思ったことがあるが、その方と比べると、服部さんのは、まだひよっこ感がある。

たぶん、ヒッピーの人たちは出版と言う手段を持たないため、生活実態を世間に知らせる手段がないのだろう…。

服部さんだが、めんどくさいことに向き合わざるを得ないのは、サラリーマンが人間関係に向き合うかの如く、五右衛門風呂に向き合うという、ただの置き換えなので、肉体労働的なめんどくさいことがだんだんとできなくなる老いの境地で、

 どういう風に処するのか?

が本当の試練なのかもしれない、とふと思った。

■ 本当にお金から解放されるには?

お金だが、最近は、

お金を使わないのもお金を欲しがるのも、お金に振り回されているという点では同じなのではないか、

と思うようになった。

たぶん、一番いいのは、お金について、振り回される時間、考える時間、を最小限にすることなのではないだろうか?

Wednesday, November 22, 2017

『荒野へ!』

■ 『荒野へ!』読了

これは、1996年のエベレスト大量遭難に立ち会ったジャーナリスト、ジョン・クラカワーのノンフィクション、Into the wildです。

アラスカの荒野に出かけて餓死した青年の話。若者の思慮の浅さを理解したい…というのが読んだ動機です。

が、ここに描かれている若者は、ここ数日前に阿弥陀の北西稜の途中らへんで、登ったものの降りれなくなり、ヘリで救助された、浅はかな若者とは、全く違うようでした…。

さしづめ、ベック・ウェザーズの『生還』が、山煩悩を極めて(=エベレストに登り)、死ぬギリギリ間際で、解脱した話だとすると、こちらの『荒野』は、現代の出家者の若者が、本当に出家して、即身成仏(=餓死)しまった話でした。

この彼は、”出家”にふさわしい”荒野”が地図上のどこにもないと知ると、なんと地図自体を捨ててしまったのです。なので、登山者の目で見ると、地図さえあれば、いくらでも助けを求めうる地理的条件の場所にいながら、彼は、究極の隔絶された場所にいたわけです。

阿弥陀のヘリレスキューの若者は、レスキューに行った人の話によると、”ジャングルジムで降りれなくった子供と同じ”という状態の、本当にお粗末な事件なわけですが、この荒野へ!の彼も、退路を断たなければ、本当のピンチの時に助けを求めることができたであろうという点で、同じです。(動機の高貴さが違いますが。)

■ 解脱?プロセスの疑似体験=山

山に登っていて人生を重ね合わせない人がいるのだろうかと思います。

山というのは、人生の縮図的というか、(努力することを覚える)→ (達成感や、名誉欲・自己顕示欲にとらわれて頑張る) → (心打たれる) → (結局は、どんな小さなことにも感謝できることが大事と知る) という人生サイクルが、超特急というか、ミニチュアレベルで体験できる機会だと思うのです。

山頂を極めるという活動は、成功を求めて日々努力するというのと同じことです。成功が山頂、そして、下山…登りより、下りが難しいことなど、大変、示唆に富んでいます。

これは一つの山、一つの山行だけのことですが、山ヤ人生というものも同じで、山の難易度自体を少しづつステップアップさせていきますから、そこは、やはり、人生を少しづつ前に進めていく、ということと相似形です。

なぜ、上を目指さないといけないのか?

それは単純に、人は成長をするように設計されているから、です。アルジェナは、なぜ戦わないといけないのかと問うたのですが、それは、やはり、ダルマを遂行することが、人としての生き方の本質だからです。商人に生まれたら商人として生き、芸術家に生まれたら、芸術家として生きなくてはならないです。

というわけで、人は成長することが基本ですが、それは、山頂へたどり着こうとするよりも、そのプロセスを味わうことで学ぶ、学びのほうが大事です。山頂へたどり着くことばかりを考えていると、途中の景色の美しさを見るのを忘れるからです。

何を成し遂げたかよりも、どう生きたかのほうが大事。

でも、そこを学ぶのが大変長い道のりなんですよね。 

そういうことを山ではいつも考えています(笑)。

ヨガとも似ていると思うのですが…。




Sunday, November 19, 2017

読了・ベック・ウェザースの『生還』

今日は、冬が来た!と思える寒い日でした♪ 

ヒマラヤ関係の遭難について、ふと、少々復習したいと思い、ベック・ウェザーズの『生還』を読了しました。

ヒマラヤは、山ヤにとって、煩悩なエリアでもあり、最後の秘境でもあり、取り扱いにデリケートさが必要だからです。

日本では、ヒマラヤに登ったと言えば、水戸黄門の印籠みたいな効き目が一般人に対してはありますが、情報によると、ヒマラヤはヒマラヤでも、色々あるそうです。

例:

ゴーキョピーク(5360メートル)
ロッジから標高差600メートル程度。往復3時間程度。無雪期の日本の森林限界を越える程度の山です。現地感覚だと丘。

1977年に2年前にエベレスト南西壁を初登攀した、当時世界最強チームのイギリスのクリス・ボニントン隊。再登は、アレックスとトーマスのフーバー兄弟と、この間亡くなったヘディン・ケネディ達です。以降再登なし。

ラトック山群Ⅰ峰:1979年に重廣重夫氏たちが登って以来再登無しの難峰。

■ 遭難につながる山、つながらない山

まぁ、エベレストが登頂者700人の山であるのは周知として、それでも遭難者はいるわけなので…

  問い:遭難につながる山とつながらない山の差はなんだろうか?

これは山ヤは誰でも、答えをわかっていると思いますが…一応。

  山を征服したい!セブンサミッターと呼ばれたい!栄誉が欲しい!

ということが、やっぱり遭難の第一の動機、ということが書いてありました。

■ ”自分との闘い”というけれども

一方で、”山は自分との闘い”、という言葉もあります。この言葉は、たいがいは正しい用法で使われますが、そうでない詭弁の場合もあります。

トレーニング、肉体的な苦難に打ち勝つという意味で、自分と戦っているのは、その通りではありますが…要するにジョギングしていて苦しくなった時すぐやめないこととの、超シビアバージョンです。…が、すでにガイドに頼っている時点で、自分の限界を受け入れる、ということを拒否しているわけです。

もし本当に自分と向き合っていたら、自分のチカラで登れる山の限界をおのずと受け入れ、それをあげていく、ということになったでしょう。

ちなみに山ヤの世界では、ガイドレスでないと自分の山ではない、というのは、だれもが分かっています。

だから、本当は、そういう山ではなく、一から自分で積み上げる山の良さを教えるためにガイドが存在するのだと思うのですが、今の時代は登頂請負人、みたいになっています。

あ、苦言になってしまいました、すいません。

■ 山ヤは山に行かなくて良くなった時が完成、なのでは…

私が思うには、山ヤさんという人種は、バイタリティが余り過ぎている人たち、なのです。

人間は、”生きて、食べれて、寝れて、天井があれば、あとは万事オッケー”、ということを学びに行くのが山、なのですが、実は下界でも同じことなのです。

ただ下界だと、その辺が分かりにくい。

山のように、電気ありません、水道ありません、家もテントか雪洞です、みたいな状況に、人為的に追い込まれないと、”ああ、生きているっていいことだなぁ”、ということが現代生活ではわかりづらいでしょう。

特に鬱になるような人はそうなのかもしれません。賢すぎる人が鬱になると思うのです。複雑に考えすぎちゃうんでしょうかね。

だから、山に行く。それはその人のエネルギーの、余り具合によって、どんな山に行くのかが決まると思うのですが… ベックさんの場合は、それが公募とはいえ、エベレストだったということなのです。職業もお医者さんですから、だいぶバイタリティ、余ってました(笑)。

ベックの満たされない心は、山で満たされ、だから山に行き続けたのですが、もともとのバイタリティが大きいので、成長し続けていくと、エベレストしかなかったんですね。

私は去年のアイスシーズンで、ある時、すっかり心満ちて、もう山に行かなくても、満たされてます、みたいな心境になったんですけど…。

以前は、山恋い、山煩いみたいな時期がありました。1か月も行かないでいると、なんだかそわそわ… なので、行ける機会はすべてつかんでいました。

山に行くことを辞められないとき、それは、まだ成長の、のりしろがある、まだ上に行ける、という実感や探求心があるからでした。

十分、のびのびと成長したら、満足しました。

それには週に2回、1シーズン35回もアイスに行かなくちゃならなかった(笑)。私の場合は、です。

想像するに、ベックさんの満腹、はエベレストまで来なかったんでしょうね。

■ 家庭不和

ベックさんは、そういう風に山を突き詰めていく中で、家庭不和に陥ります。家庭をないがしろにして、山に突っ走ったのだそうです。

そういう背景があるにもかかわらず、遭難で、救命作戦に奔走したのは奥さんであり、それは家族の在り方として正しい愛の在り方だと思いました。窮地に陥った時に助けてくれる人が真の友人です。人生のパートナーなら、なおさら。

なので、これは夫婦に起きた試練ということでした。

結局、ベックさんが得た至福というのは、やはり、思った通りで、日常の些細なことにも神を見、感謝できる、ということでした。

多くの、生死をさまようような出来事からの生還者は、同じように語ります。幸せは実はそこにすでにいつもあったのだと。ただ生きているだけで、いいんだと。

多分、それに気が付くことが、一番難しいことなのです。

それにエベレストへ行くことが必要な人もいるし、手首から下を凍傷で失うという代償が必要な人もいるし、途中で命を落とす人もいるということです。

だから、市井の聖人は、普通に生きているだけで、幸せいっぱいな人です。

決して、お金持ちや、何かを目指している人や、競争社会の勝者、あるいはよく言う、勝ち組などではなく…。

どんな小さな里山でも、それがちゃんと自分の足で歩いた山ならば、大なり小なり、同じメッセージが込められていると思います。

それは、ブラフマムフルタ、宇宙の叡智がみなぎる時間と言われていますが、その時間帯にあふれているもの、と多分同じと思うのですが…。つまりは、早起きさえできれば、山まで行かなくても、触れることができるもののような気もします。

同じものを味わうのに、肉体を酷使する必要がある個体もいる、ということなのかなぁ。






Saturday, October 21, 2017

吉尾弘『垂直へ挑む』 & 芳野満彦『山靴の音』


■ 北岳バットレス中央稜の冬期登攀

この2冊はセットで読むと深みが増します。

というのは、若き日の吉尾さんが、新鋭クライマーとして北岳バットレス中央稜の冬期登攀を書き、同じ山行をフォローで登っている芳野さんも買いているからです。両者の視点で読むと、山行と言うのは、こうも違う印象を持つのだろうかと思うハズです。

吉尾さんは、本当に才能あふれるクライマーだったと言うことが分かります。また、当時すでに、凍傷で指を無くしていた芳野さんが、同パーティでフォローで登っているのですが、靴が脱げてしまいながらも、登っています。

記録を作り上げてきた登山者たちが、どのような心境で山に挑んできたのか?ということが分かる。

この本には、奥山章さんも出てきます。第二次RCCの時代の話です。

■ 寄せ集め

しかし、今でもメンバーを確保するのは、会をまたいで大変ですが、やっぱり当時から大変だったみたいです。

なんだ~と遠方各地からクライマーが集まらないと行けないのは普通のことなんだなーと。

なんだかちょっとホッとしました(笑)。

Wednesday, March 23, 2016

読了 『狼は帰らず』

■ 読了 『狼は帰らず』

しかし・・・この本で、感動してはダメでしょう・・・。

実はこの本、アマゾンで見ると ”べた褒め”です。まぁ死者に鞭打つことはないよなぁ。

今映画の『エベレスト 神々の山嶺』が公開されています。映画の理解を深めるために読んだ本です。

ただ、正直言って、この本の主人公の森田勝さんは、山に純粋だったとは言えないと思うのです。

だって、有名になりたい それだけで山に登っていたんですよ。

その動機不純でしょう(笑)。

■ 人柄

しかも、読後の人はすっかり忘れているようですが、

 森田さんはパートナーに嫌がられている男性

です。もし自分の会にいたら、パートナーに組みたい相手かというと全く違う。なぜなら、すぐ捨て鉢になるからです。山で捨て鉢になるのは、本人は勝手にしねばいいけど、パートナーを組んでいる人に対して失礼です。

実際本の中でも、なかなかパートナー見つからず、その上、すぐ捨てられています。一緒に山に行って楽しいとは言えない人物だったときちんと書かれています。

それでも、純粋と言う言葉は頻発します。要するに、

・・・・色々後で考え合わせると、森田さん本人が山に行けるようにこちらはうまいこと利用されちゃっていたな、ちゃっかりしていたな、でも、山に行きたいということだから、許してあげようか・・・

・・・ということみたいです。そういう人が会にいたら、会では割り勘とか、なくなっちゃうかもしれませんね。


■ 街の山岳会 vs 大学山岳部

私が面白かったのはむしろ、市井の山岳会と、大学山岳部の 特徴の違いでした。

 大学山岳部= エリート、お金持ち → ヒマラヤ

 市井の山岳会= 庶民、お金がない → 谷川岳

いや~、時代は変わりましたね~。 

ヒマラヤって昔はものすごいお金がかかったんですね。私は海外をバッパーで渡り歩いて平気なような人ですが、そういう人の目には、ヒマラヤ=安く行けそうな候補地 です。

もちろん、登頂を目指すのではなく山麓トレッキングですが。

谷川岳は、”近くて安い電車賃で行けるバリエーションルート”という位置づけのために通われていたのだそうです。

■ 死の山 谷川

そして、社会人山岳会が通う谷川岳・・・ 初めて谷川にいったときは、宙吊り遺体事件を知りました。

死者が格段に多い谷川岳・・・私、行きたいのかどうか分かりません・・・が、確実に宙吊りになって銃撃で遺体回収される目にあうのは嫌ですね。

森田勝さんがいた、緑山岳会は、柄が悪い山岳会の代表的な例だったのだそうです(^^;)。

サルベージ屋などと呼ばれていますが、遭難時に遺体の回収などでは活躍してくれたのだそうです。

イマドキやってくれる人がいないで困っている分野ですよね。遭対協の方は本当にすごいなぁといつも思います。

その点は尊敬ですが、動機が・・・タダで山に行けるから・・・。そこはうまいことごまかしておかないといけないですね。

■ 山での死

はやり、ギャンブルの掛け金を吊り上げ続けるような山、というのが森田さんの山の表現として会っているような気がします。

山で死なないためには、目の前にある課題から目をそらさず、連続性のある目標を持つことかなと思います。

唐突な目標・・・今行っているルートは3ピッチで十分楽しく満足できるのに、いきなり13ピッチとか・・・

はやっぱり死に直結するのでは?

こういうすごいクラスの岳人になると、初心者の最初のほうで、出てきたルート名は、グランドジョラスの前にかすんで忘れ去られがちですが、最初のほうのルートでも、常人は死にそうですからね(笑)

大事なことは、山は、基本的に死なないで行くこと、です。死ぬために山に行かない。

有名になりたい、というのは人間には多くの人がもつ欲望のようですが、それは叶います。しかし、叶ったら、ちゃんと、その後は死に直結しない山へつなげていくことです。

何のために有名になりたかったのか?というと山で食べて行くためでしょうから・・・

≪追記≫

この記事には、先輩がコメントをくれた。以下コメント

ーーーーーーーーーーーー
時代を考えないといけないと思います。
森田勝に比べて評判のいい長谷川恒男も、Kinnyさんの観点から評価すると同じです。
有名になりたいから初登にこだわり、パートナーをなくし。

また、無酸素登頂や単独登頂などされる前で、海外に行くこと自体が難しい時代だったから、
ヒマラヤに行くためには、登山隊に選抜されなくてはならなかったし、そのためには名を挙げなければならなかった。

山で食べていくというのはないわけではないけど、その前にヒマラヤだったんじゃないかなと思います。
食べていくほうは、RCCIIの湯浅先生などの手でガイド協会が作られました。

日本ではたぶん岩質的な悪さも手伝って、スポーツとしての登山というのが定着したのは、80年代以降くらいだと思います。

昔から登っていて40代以降くらいだと、このあたりの感覚を理解できる人も多いと思います。
今の時代しか見ていないとなかなかわかりにくいかと思います。

私も厳しいクライミングをしようと思うときには、死ぬかもしれないとは考えました。
最近あまりそういう機会ないけど。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

私が思うには、ヒマラヤって言っても事の本質は、やはり初登争いだろうし、記録だろうし、登山の質的に、楽しむというのとは真反対にあるような気がする、ということです。

例えば、横山勝丘さんの本の読後感とは、大きく違っています。

山で死んでしまったら、人生と言う山に登った登頂の喜びが全然ないみたいな感じ。






Wednesday, January 27, 2016

2012年5月29日の日記

■ ツアーか未組織

自分の2012年5月29日の日記を見つけました☆ 今でも同じように感じていますが、今では、すっかり山のために色々なことを後回しにする人(笑)

以前は、登山ツアー(しかも、単なる一般ルートなのに)に、参加しないで、夫と個人山行することを周囲にとがめられ、嫌な思いをしていました。

今では、登山ツアーに入れ、と言ってきた人は、登山者を心配しているのではなく、単純にツアー代金を稼ぎたいだけだったんだな~と分かります。

未組織登山者であることに、後ろめたさを感じてもいました。今では、全然…(笑)。

登山者は、依存的な人、自分で幹事をしたくない人、メンバーとしての責任や役割を担いたくない人、全然クライミングシステムを分かっていないし、分かろうとも思っていない人が分かっている人のおこぼれをもらう場所だ、ということが分かったからです。

この2点が、2012年から、15年にかけて3年間山の世界をつぶさに見てきた人の観察結果です。

ツアー登山には参加する必要はない。

山岳会は高齢化していて、中の人の面倒をみきれない、が正直な感想です。

■ 山中毒

知人が、私の山の写真を見て、山を綺麗だと褒めてくれました☆
うん、綺麗です、山。今私のPCの背景はツルネ山頂から見た、白銀に輝く旭岳…なんて美しいのでしょう!!毎日見てウットリ。溜息をついています(笑) でも、正直に告白すると、実はこんなに美しい雪山も何度も見てしまうと…慣れます(^^;)そして、飽きもします(><) 純粋に美しさだけを求めるならば、ロープウェイで出かける登頂まで1時間弱の北横岳でも充分同様の景色を味わうことができます。

では、なんで何度も山へ行くのは何なんだろう…?そこんところは、実は自分でもうまく説明できません。

ただ…しばらく山に行かないと…とっても、そわそわしてくるのです。 山切れと呼んでいます。それはバレエを習っていた頃、週に3,4回のレッスンが週に1回に減っただけでイライラしてくるのと少し似ています。

ところが、山に行けば行ったで、行く前はあれほど山に行きたい!モードだったのに、あっけなく「疲れた」などと言っています(汗)。 一番ルンルン、ウキウキしているのは、今から山に登ろう!という早朝かもしれません。

朝まだ薄暗い中で…お山が太陽の光を受けて、金色に輝く…と単純に「なんて世界は美しいんだ!」と思います。

そうすると…登山口では気分は盛り上がっています。そそくさと登山道へ。一歩ごとにわくわく。どんな景色が見れるんだろうな!そんな気分です。これは別に上ったことがある山でも問題ないようです。でもこれって、朝の散策でもそう思うんです。登りってつらいんですが、楽しさで打ち消されます。

ただ...お空は気分屋で、なんだか様子がおかしいぞと、途中で雲のなかに隠れてしまった山頂方面を見ると、とたんに不安になります。

そんなときは、鳥はどうしてるか、ほかに登山者はいるか、風はどうか?と何かしら予兆はないか…このまま進んで大丈夫なのか?疑念はそれだけです。五感をフルに働かせ(ってさび付いて働かないのですが)判断します。

たまに降りてくる人などがいたりして、今日は上はダメだよ、など言われたら…行って自分の目で見てみたいような気もしつつ…どこでその判断を下すかを「じゃ、○○まで」と暫定ゴールを決め、そこで判断、お山の様子をみつつ下山するか登るか決めます。

風が強い、雨が降りそう、ガスが出た、お腹が空いた、体調が悪い…原因は色々ですがどっちにしても判断。判断しないのも判断。その判断が面白いんだなぁと思う。 帰ったらその判断がどう出たのか、山レコなどで見ます。無理して登って意外にも晴れた山頂に恵まれた人がいたり、やっぱり下山してよかったなという結果だったり。

自分とお山との駆け引きって感じです。これは他の活動にはなかった?いやあったかな。たいてい、バレエやスポーツジム通い、など、運動系の習い事は、疲れてやる気が起きなくてもやったほうが結果的に気分が良いものです。それと似ています。

ただ、お山はどんなときでも行ったほうが良いかというと違うな…と。ひたすら惨めな気分で帰る羽目になることもあるようです。(まだ経験していませんが。登って損した気分程度ならあります)

■ コンテクスト&シンクロニシティ重視

有名なセリフに 「そこに山があるから」というのがあります。

あれはクライマーのセリフなのかな?高いところに登りたいから登っているわけじゃないので自己への挑戦である高名な登山家や記録の樹立を求める冒険家のもつ登山衝動とごく普通の人たちが山に行きたがる登山衝動は同じレベルで扱うのには無理がありすぎるような気がします。

別に命を掛けたいわけじゃない。ちょっとその先の道がどうなっているか知りたいだけってのは近い。

山の先輩が言っていたのは「山無しでは生きられない」。

私は山に今行きたいけれども、山無しになっても、都会でなら生きれると思います。他に楽しいことが一杯。山に行かなかったら海に。海でなければ湖に行きます。実際サンフランシスコでは夕方に海岸を歩いていました。

たぶん一般登山者は、わあ~ 人間ってちっちゃい~ 山って大きい~、星ってホントはこんなにキレイ~ という”感動”が欲しいだけなのかも??? それは感動がない毎日を乗り切る潤滑油みたいなものです。だから毎日が感動続きの子供には要らない。そして、その感動には中毒傾向があるのかも?特に人生後半の人にとって?

人生なんて死ぬまでの時間つぶしともいえます。人類の歴史に残る偉人や賢人も生前に偉人や賢人であったかというとそうでもない。ヴァンゴッホの絵は死後再評価されました。ジーザス・クライストは十字架に掛けられました。それでも地球は丸いといった人もいたし、生きたまま火あぶりの刑に処されたのはジャンヌダルクです。世界は誤解と糾弾と困難で満ちています。でも、今立っている足元を見れば、人間でいるのもそんなに悪いことでも有りません。ドッグアンドキャットアワーといえば、癒しの時間の定番ですが、日本人の場合は山時間なのかもしれません。


人間なんて、飢えない程度に食べれて、安全な場所で寝れて、お隣に愛する人がいれば、もう9割オッケー!そんなことを確認したいだけなのかもしれません。

本当に困難な目にあったことがあれば…死ぬほどのことがあったなら、生きているだけで万事OKです。あとのことは全部瑣末なこと。

いくら大きな財を成してもお浄土には持っていけないし、いくら有名になっても天国では有名人特等席はなさそうです。健康に気をつけ長生きしたところで、そもそも毎日が幸せでなくては長生き自体が苦痛です。いまどきは死ぬリスクより深刻なのはウッカリ生きてしまうリスクです…

結局、今、この瞬間に心を留め置く…そして生きていることの幸せを感じる。味わう。そういうシンプルなことが里でできないから山にいく。そういうことが大事だと山に行けば思う。だから人は山に行くんだと思うのですが…旅に行く人も同じであると思います。

でも、確かにそれだけでは、なぜツルネ東稜が今年一番のベスト山行だったのか説明できませんね。

うーん…短く言うと、ツルネ東稜、あれはお山が私を呼んでいたから。

厳密にいうと、そこには文脈の介在が大きいのです。コンテクスト=話の流れ。

偶然の重なり…です。たまたま入ってみたレストランで出合った初老のオーナーと山の友達に。お山の話。借りてきた古い雑誌の記事。ガイドさんが貸してくれた古い山の本。そこに見つけた、前に興味をもって読んだ本を書いた著者の名。行きたい場所と連れて行きたい場所の偶然の一致。偶然にもその前の山で同じ日、同じ時間帯に登っていた人。

あれやこれやの偶然の糸が手繰り寄せた山行。これで仮に、その日曇りだったらどういうことでしょう。

そんなに気分は盛り上がらなかったでしょう。山は山、やっぱりしんどいな、で終わったかもしれません。

でも、まれに見るほどの大晴天だったのです。お山が呼んでる!と完全なる誤解をしても許されます(笑)

考えてみると1年に一度、そういう風にお山がこっちにいらっしゃいと呼んでくれているようです。

去年は、震災前1週間に登った山で若いガイドさんと出会いました。すっかり意気投合して夜中まで話し込みました。その方がいなければ、今年雪山に登るのに、雪山訓練を受ける必要は感じなかったでしょう。

だって雪山の景色はいつも同じように美しいので、我々としてはお飾りピッケルで充分の冬天狗に毎年登れれば満足だ、とさえ思っていたのです。そもそも美しい景色を人参にして登っていたので。
ところが、今年連れて行ってくれた山はバリエーションルートでした。トレースがない山を登る。トレース追従限定登山からの脱却は、要するにルール主義から原則主義への脱皮です。ただ人の歩いた跡を辿る山から、自分で道を発見して登る山へ。地図にある道を行く山から尾根を見る山へ。2Dの山から3Dの山へ。人参は美しい景色だけではなくなりました。

新しいにんじんが出てくる=新たな山脈です。今まで登っていた山はソフトウェア業界という山脈でしたが別にキャリア縦走ではなくても、どんな山だって登っていればどこかへつくでしょう。

■ 読了 『単独行』 加藤文太郎

そういう時期に『単独行』を読むことになったのも、なんらかのシンクロニシティかもしれません。

山の世界では有名すぎる加藤さんが感じていた単独で山に行くことへの後ろめたさは、時代が変わっても同じだと言うことが分かりました。

ただ私が感じさせられていた煩さは、一抹の胡散臭さを伴っていました。山岳会などのパーティでないことを未組織登山者と呼ぶのですが、未組織登山者は一般に肩身が狭いです。でも、一般の人が一般の観光で登る山に観光的に入ること、つまりツアーに参加しないこと、に今では、昔加藤さんが受けたのと同じような「無謀」のそしりを感じさせられているのには、なんとなく納得が行きません(^^;)自立していないのはどっちなのか?ツアーに参加しないからって無謀とは限らないでしょう。

最近、岩場のこなし方講習会などのお知らせをもらいましたが…一応、行きたいと思っている場所には刃渡りとかいって岩の連なりが多少あるようなのですが…こんな講習に出ないと通行できない場所なのかどうか、よく分かりません。

その分かりにくいぼわっとした部分は格好の商機となって安全志向の人にツアー登山を促しているようです。

でも、一般ルートというのは山岳部などの技術がない人でも歩けるところです。じゃあ何のために連れて行ってもらうのか?荷物もち?地図代わり?なんとなくそれって失礼ではないか?添乗員?

なんとなく、海外でパッケージツアーに行ってどこそこに行ったことがある、という気になってしまう愚と同じ傾向を感じないでも有りません。一番面白いところをお金を出してやってもらうなんて。

…というわけで私はこの本を読んだことで個人山行に更なる自信を深めました。

1人で行けないところには行ける日が来るまで行かなくていい。難しいところに無理して行かなくてもちゃんとお山はお話してくれます。実力以上のところに行きたいのは見栄なのかもしれませんし。

むしろ、充実した山行でもっとも重要なことは、コンテクストの成立まで待つこと…そのことが充実にとっては欠くべからざる最大のイングレディエントではないか?と思いました。平たく言うと出会い。

来るべき時に来るべき山に登れる。それも含めてちゃんとお山が計らってくれるのでしょう。

登れる山は自分で。技術と知識には対価を。そんな感じです。

Friday, January 15, 2016

読了 『安全登山の基礎知識』

■ 読了 『安全登山の基礎知識』 山の知識検定 公認Book

この本は、登山入門者にとっても良い内容だった。

いつも、登山者に足りていないのは、体力でも技術でもなくて、”基礎知識”=机上講習、ではないか?と思っている。

それは山小屋でバイトした時に端を発する。あまりにも何も知らない、まっさらな状態で、山に行きすぎていないか、と思うのは

・山にペットボトル一本で来たり
・ジーパンで来たり
・天気を見ていなかったり
・地図をもっていなかったり
・私にも登れるでしょうか?と聞いてきたり

する等の事例をあまりにも、たくさん山小屋で見てしまったから。 

指摘すると、そういう人は「あの人もジーパンだよ」と山小屋の人がジーパンでいるのを指摘したりもする・・・けれど、山小屋は安全地帯で、雨に濡れて風にさらされ稜線に滞在しないといけない羽目に陥ることはない。

5時間歩くのに、水無しで歩くことも可能だと思う。というか、5時間程度、水を飲まないで過ごせない人がいるだろうか?誰だって5時間くらいなら断水できる。

けれど、5時間中に、脱水が起っていることは事実以上の何物でもなく、体重50kgの人が5時間歩いたときに必要とする水は、公式で求められ、50×5×5=1000ミリリットルだ。だから、それは遅かれ、早かれ、補わないといけない。

その補わないといけないポイントで、山小屋も水場もなかったら、どうするんだろう???

「山小屋があるからいいもん!」と返事をする人は、まだいい。山小屋があると知っている時点で、予習は出来ている。

そうではなく、「行って見たら山小屋があったよ~!良かった~!こんなところにも山小屋あるんだね~!」などとと発言している人は、大きな賭けに出ている=遭難予備軍であることを認識していない。

登山は賭け事ではない。とすれば、事前の知識は必要だ。賭け事にしなくて良いことを掛けにしている。

今、中高年を魅了しているのは、登山の賭け事というアスペクトではないかと思う。少なくとも、その疑いはある。そうだとしたら、山の遭難は減らないだろう。ギャンブルの掛け金を吊り上げるのが喜びの源泉になっているからだ。

確かに登山には未知の発見という喜びがあり、私も安全が担保されている、という場合には、あまり調べないで行くという、贅沢を自分に許すこともある。(例:ベテランがすでに行ったことがある場所に連れて行ってくれる時)

例え、調べに調べても、すべてを事前に知り尽くすことは不可能だし、特に危険個所について、登れるか登れないかの判断は、行ったことがある人でないと難しい。

さらに言えば、個別の山について、それぞれごとに調べ尽くす必要もないわけなので、そこで、”基礎知識”、つまりおおよそ一般的な登山に必要な共通の知識を抽出したものを知っておけばよい、ということになる。

どんな山にも応用できる、最低限の知識は何か?

ということが、具体的に分かるのが この『安全登山の基礎知識』だった。

以下は、当方にとって役立つと感じた最初の行動のところのまとめ。

■ 備忘録

・自然回帰 = 人間の本能的な欲求、リスク低減、謙虚さを学ぶ機会

・メンバー間で実力差があるのは当たり前。(実力の中身=体力、技量、性格)

・実力差の克服法  1)事前の練習登山 2)アドバイス 3)指導

・事前ミーティング = 情報を共有する 

・役割分担  
 
 リーダー = 行動
 サブリーダー = 行動
 装備係り
 食料係り
 
・メンバーの役割とは? 1)主体的に取り組むこと 2)自分の役割を積極的に発見すること

・行く山の選択ポイント 標高差、距離、日数、標高、季節、天候、難所の有無

・行動計画は、積み重ねから割り出す 

■ 考察

役割について。

単独の場合、役割分担はなく、すべての役割を一人が担当する。

一方、山岳会で複数の人と登る場合、明示的には、役割が与えられていないことがほとんどであることに気が付いた。

リーダーは明確であっても、装備担当者がいることはまずない。レインウェアを持ってきていない人がそのまま山行に参加しても、いざ必要になるまで、忘れたことに気が付かれることがない。

明示的に、というのは、暗黙的に役割が与えられていることはよくあり、例えば、力持ちの人にはテントを持つ役とか、食事を持つ役、水持ち役が与えらえることが多いし、クライミング力がある人には、突破担当が振られるし、車が上等の人には運転が振られる。

ある一つの役割に、”新人”という役割があると思う。その”新人”と言う役割に求められるのは、なんだろうか。それは会によってそれぞれ違うのかもしれないが、どんな場合にも言えるのは、

頑張る

のが役目だということだ。

次の入会者がないと、”新人君”は、”ずっと新人君”で固定化してしまう。・・・すると、役割のヒエラルキーを上がって行かない=知識が身につかない、ことになるかもしれない。

メンバーの役割という面で、自分の役割を積極的に見出すこと、という点だが、役割がない場合は、ゲストということで、ゲスト待遇=仲間ではない、ということかもしれない。

以前、ゲストで参加している山行で、ほんの少しの共同装備を割り振られたことがあったが、協力的な相手か様子を見るということなのだろう。

この時は、共同装備の負担がなかったので、お酒を一瓶と柿の種を持って行ったら、とても褒められた。お酒自体よりも、積極的に役割を担おうとしていることが、仲間に入れてくださいという姿勢を表していたからだと思う。

私も同行者はゲストとして遇すことにしていて、何かを持ってもらいたいと思って、山行に誘うことはない。

■追加役割

他にどのような役割があるだろうか?

 読図
 天気  
 記録  
 突破  
 歩荷  
 救護  
 給水  
 運転  
 

”新人”はれっきとした役割である。男性主体のチームでは、女性には、”華”の役が回ってくる。

”きれいどころ”役をしている人はウエアが、ことさら女性らしさを強調したもの(ピンクなど)を着ているので、すぐ分かる。写真もその人を中心に納めている。山岳会だと、新規入会者にPRする目的のモデルということもある。

そういう意味の”キャラ的役割”では、バテ役というのも、固定しがちな役割なので、気を付けたほうがいいかもしれない。末っ子タイプに多いのかもしれない。

”いけいけ”の役割と”慎重派”の役割分担もあり、全員がイケイケ派だと、突っ込んで行って下りれなくなり、いわゆる”セミ”になってしまう。

家の中にお父さんとお母さんがいるように、誰かが「嫌がられ役」を引き受けなくてはならないが、大抵は、イケイケ派がグループ内では評価が良く、怖い役や引締め役はババ引きである。

しかし、山行の前も、山行の途中も、「このままではあぶないよ」と言いにくいことを言ってくれる人が真の友ではないだろうか?

リーダーにはご機嫌取りではなく、「時には叱ってくれる人」がふさわしいのではないかと思う。








Thursday, January 14, 2016

読了 『スピードハイク入門』

■ 読了 『スピードハイク入門』

この本は、トレイルランを”ランなし”にしたもの。

第一章は、装備
第二章は、体作り
第三章は、歩き方(実践)
第四章は、コースガイド

各章で、一般登山との違いは

装備 → ・ローカットシューズ
      ・小型のウエラブルザック
      ・保温着と中間着の兼用
      ・雨具とウインドシェルの兼用(これって登山でも普通の事では?)
      ・肌に汗を残さないレイヤー

体つくり →
       全身持久力 
       巧緻性 (普通の登山ではあまり問題にされないが穂高ではいるかも?)
       敏捷性&平衡感覚 (同上)
       柔軟性 (怪我の予防にいると思う)

       食生活(糖質制限)

歩き方 → 
      行動計画   = 安全にばてず、迅速に歩く、体力温存
      速さの具体例 ハセツネコース → トレランの半分
      歩き方     = 大腿四頭筋に頼りすぎない、地形に合わせて歩く
      登りペース  =体に聞く 220-年齢×0.75 ボルグスケール
      下りは優しく 
      フラットは早く = 親指と人差し指の当たりで着地
      トレッキングポール
      ペース配分 =地図活用
      実感の数値化 = 見通しが立つと焦りが無くなる ※セイコーアルピニスト
      
      行動食 =BCAA
      入山前 =未精製の炭水化物 水
      下山後 =BCAA タンパク質
      呼吸

コースガイド →
      乾徳山
      北八つ
      鳳凰三山
      早池峰山
      妙高
      富士山
      天城山
      六甲
      季節のアドバイス
      ボルダリングエリアのラン

■ 感想

実は、内容的にすでにやっていることだな~と思ってしまった。

特に大腿四頭筋に頼りすぎないなどは、バレエで良く言われること。ハムスと臀筋を使う。

食事も大体同じことをしていた。山の朝ごはんは、玄米餅だし、行動中はアミノバイタルなどを飲み、下山後は食事している。バテがひどいときは、BCAAを下山後も取る。(山ではそこまでシビアでないのでしないが、ムサシはすごい!全然疲れが蓄積しない)

今後やろうと思ったのは、ペース予測。実は、地図読みでベアリング図を書くので、あと標高何メートルで登り、なだらかかどうか、などは、把握していたが、それをペースに置き換える、ということは、想定していなかった。

でも、ごく自然な成り行きとして、地形に合わせて歩くのは普通のことだ。登りはゆっくり、下りは慎重に、平坦な所ではさっさと。

■ スピード?

特に何の努力もしていないのだが、勝手に歩くのが標準コースタイムよりは早くなった。

単純に、コースタイムのほうが、遅くなったのだろう(笑)。

あんまりスピードのこだわると、修業になってしまい、山の楽しみが無くなる気がするが、愉しんで歩けるなら、早いのは取り立てて、不都合なことではない。

例えば、自分が救助の伝令をしなくてはならなくなった場合、早く歩けると、それだけ救助を早く呼ぶことができる。

■ 3つの方向

それにまた、自分自身のフィットネスを向上する、という意味では、

 ・距離を長くする  → 持久力
 ・スピードを速くする → 心肺能力
 ・重さを重くする   → 筋力

の3方向しかない。まだ、取り組んでいないのは、スピードという方向。

最近は、重さの事はあまり考えずにパッキングしていて、わざわざ軽くしよう!と努力することがあんまり、なくなってしまった。

それは、早く歩きたい!という気持ちが薄れたから、ということもあるな~と思う。ほっといても、暗闇に追いつかれることはないので。

おっと、山を舐めているのか(笑)?

それにしても、初心者の頃、あまり重さやスピードに煩わされることなく、好きなように雪の山を徘徊出来て良かったな~。

最初から、重い荷物を担がされ、急いで歩かされたら、たぶん、山なんて何にも楽しくないと思う。

だから山を好きになるには、易しい山に行くことが大事だ。

■ ギリギリは充足感につながらない

私の場合だが、黒戸尾根の充実感は何によるのか?と言うと、

 ゆとり

に、根本を発している。下山後も、温泉に行って癒さなくてはならないような疲労感や筋肉痛はないし、技術的にも難度は感じなかった。

これは、クライミングでの達成感と同じで、クライミングもまぐれで高グレードが登れることより、確実に5.9が登れることの方がうれしい。

できないことをやるかもしれないという、事前の精神的緊張も無かった。

 ゆとり=安全マージン

もちろん、初めてのことをやる時の、未知に対する精神的な恐怖感を乗り越えることも楽しい。

一歩を踏み出すのは、いつだって勇気がいるものだ。

しかし、それは一瞬のこと。未知を次々と求めつづけても、すぐに飽和することはすでに歴史が証明している。つまり、未踏峰が無くなったように。

楽しみの要素ではあっても、第一義的に求めるものではない、だろう。

では、登山の楽しみに、何を求めるか?ということだが・・・。

困難性の追求が、登山界ではテーマとして掲げられたが、困難性を追求すると、最終終着駅は死であることは、登山の歴史が証明してしまっている。副産物は、他者との競争だ。

登山の歴史で言うと、次には、自分自身の能力の限界へのチャレンジが来たようだ。つまり、他者との競争ではなく、自分を相手に戦う、ということだ。

私も自分へのチャレンジは好きだ。しかし、自分の限界へのチャレンジは、成長期の人間にはふさわしいが、成長期を過ぎた人間には、故障や怪我による早期引退という、自己矛盾を抱えてしまっている。

その後の登山の流れでは、限界へのチャレンジへの反骨精神からか、放蕩が来たようだ。向上より、快適性。山に下界を再現し、山で喰らい、山で飲む。

この方向性も、大きくは環境問題となって行き詰まりを見せているし、個人の面、山宴会のほうも、年齢に勝てず飲みたい酒もドクターストップだ。考えてみたら、そもそも酒や宴会自体もそんなにすきではなかったのだろう・・・この方向も行き詰まりは明確だ。

というような流れを概観すると、

登山をを趣味にする人が持つにふさわしい次なるテーマは、自分の中の確実性やフィットネス、山と自分の適合具合の向上、とでもいうようなことではないだろうか?

自分自身と山との快適性へのチャレンジだ。これなら、自分の肉体が変化する限り、永遠に求められるテーマではないだろうか?

ま、そういう意味では、肩こりがある人には、クライミングはいいのかもしれません(笑)。クライミングしていたら、ダイエットしたくなりますしね!






 おススメ



Friday, November 27, 2015

読了 ジョン・クラカワー 『空へ』

ちょっと前に図書館から借りてきた本を読み終わった。なんだか一気に読んでしまった。

”エベレスト”というと、言葉自体が、やっぱり、”山煩悩”な雰囲気をまとっている。日本で言うと、”富士山”、と同じだ。

富士山の山小屋に勤めていた人が、「富士山は、お祭り」と言う・・・私は富士山に6月に登っているけれど、お祭りの富士山は知らない。

”お祭りのエベレスト”が具体的に本当はどんなことなのか?知りたい人に、良い本だと思う。

映画『エベレスト 3D』では、隊長のロブ・ホールが、登頂制限時間リミットの14時を大幅に超える15時すぎに顧客のダグさんが山頂を目指したい!というのに、同意したことになっていた。それは情に流されたということになっていたが、こちらの記述ではそれは憶測でしか分からない。

映画で見たときと違う印象を持ったのは

・ダグさんは確かに郵便局員だが、他の隊員と比べて明らかに”クライマー”であり、”ベテラン登山者”であり、”自立した登山者”で、”手のかからない客”だった。

・ロブさんは、10回以上もダグさんに電話を掛けて、エベレスト遠征を誘っていた

こと。 登りたかったダグさんの山煩悩に、隊長が情に流されたという構図とは、すこし力バランスが違うようだった。

登らせたい思いと登りたい思いはマッチしているようだったし、どちらも熟練の登山家であり、クライマーだ。なのに、どちらも、14時で降りると言い出さなかったのは、単純に高所で判断力がオカシくなったためなのだろうか・・・。

登山では、”一番弱いメンバーがパーティの実力”と言われる。それで行くと、難波さんは、日本に伝えられているよりも、弱いメンバーだったようだった。

アイゼンでハシゴを歩くのに成れておらず、3回転んだのは、映画ではベックさんだったけれども、実際は難波さんのようだった。難波さんはアイゼン歩きやクライミングは、そうやっていなかったのかもしれない。ヒラリーステップでは10mの垂壁の登りがあるそうなのだが、最後は後続にお尻をプッシュしてもらっている。

でも、そんな高所でのクライミングなんだから、どんな経験があっても体力がおぼつかないのかもしれない・・・。

ベックさんが視力を失ったのは、雪目ではなく、レーシックの手術のせいのようだ。高所に行く人はレーシックしない方が良いかもしれない。

また、ロシア人ガイドのブクレーエフさんは、この事件後、顧客をおいて一人で先に降りたと言って批判を浴びていますが・・・

私の知っているリーダーはいずれもしっかりした人たちですが・・・山岳会では、あまり危険がないと見なしたら、さっさと降りて、ゆっくりの人には付き合わないリーダー多数。幼稚園児じゃないんだから、危険がない箇所くらい、自分で歩きな、って意味ですね。

私もそうされて別に平気なのですが・・・。そうしては、いけないタイプの人がメンバーにいたら、後ろを歩くか、少なくともその人が目に入る距離にいます。・・・例えば、くたびれてヘロヘロになっているオジサンとか・・・どちらにせよ、下山口で合流するし、パーティは一つなので一人で先に行ってもあまり合理的ではない。

早く歩くのは、急かしたい気持ちが表れているわけですが、本当にバテている人は、急かしても歩けないと本には書いてあります。やっぱりバテが遅さにつながるようだと、やっぱり身の丈以上の山ですね。

ので、ブクレーエフさんへの批判は、あんまり登山を知らない人の完全外野の意見だな~と思いました。

■ 公募登山の関係性

驚いたのが、こうした公募登山での、リーダーとメンバーの関係性です。

リーダーと各メンバーは信頼関係でつながっているけれど、各メンバーはみな初対面で、互いでロープで結びあうでもなんでもないのです。なので、メンバー間の助け合いは期待されていません。

そこは、一般的な登山と全然違います。メンバーは他のメンバーを助けることが期待されているからです。

例えば、疲れたメンバーがいれば、ザックを持ってやったりします。

それは、運命は一蓮托生と言うところがあるからですが・・・たとえば、誰とでも最初はあるので、友達になりながら、山に行くのでも、最低限すべきことというのはあります。

初心者の間はあまり分からないですが、ゲレンデから入って山に行くという流れはお見合いです。

 1)ゲレンデクライミング → 2)ロープワークやビレイの確認 → 3)山

例えば明神主稜程度の山に行くのでも・・・最初は三つ峠のゲレンデで互いのロープワーク理解度を確認し合い、その後フリーのゲレンデに行って、互いにどれくらい相手のクライミング力に期待してよいか、確認し合ってからしか、本番の山には行かない。それでも、ゆとりを見て、一人でも行けるようなルートに一緒に行くのですが・・・。 エベレストほどの大きな山なのに初対面!

やっぱり、ある程度トレーニングで大よその実力を分かりあっている仲間と行く方がどんな山でも安全だよな~と思いました。

誤解の無いように言っておくと、互いを知りあうのは、実力程度のところに行く、ためです。今の実力でどこなら行けるか?と考える。

”今の実力で行けるところ”を少しずつ、上げて行くのが山。なので、実力を客観的に見極める必要があります。

そういう意味ではエベレストに登る実力、というのは、難波さんは既に6大陸の最高峰を登っていたから、素人目には一番資格がありそうですが、そうではなかったことが意外でした。

また、公募メンバーは、ガイドとシャルパにすべてをお任せしなくてはならず主体性や積極性を発揮してはならない、ということでした。それは登頂へのエネルギーを温存するためです。

平たく言うと上げ膳据え膳で、「あなたは勉強だけしていればいいのよ」という受験生と同じ状態です。

そんな山、なんだか全然楽しくなさそう・・・ 

山には色々ありますが、やっぱり自分の力で楽しく登るのが一番安全なのだな~というのが感想でした。






Sunday, November 15, 2015

エベレスト 3Dを観ました

■ エベレスト3D

先週は、お給金がでたのだが、マネージャが「エベレスト3Dはみましたか?」なんて言う・・・

「今週末で上映終わりですよ」 などと言われ・・・早川町紅葉&温泉 → エベレスト 3D、になってしまった・・・(^^;)。 ま、いっか~

■ 700万円

「700万円あったらエベレストに登れるよ~」なんて、よく言われる。その700万円と言う価格の、引用元は、これに違いない!と思った・・・。

アドベンチャー・コンサルタント社の公募登山が65000ドルだったことだ。

ニュージーランドのツアー会社だった。

■ 判断の良否が議論のテーブルに

私は高所登山には興味がない・・・。・・・のは、日ごろ低血圧で、酸欠などには、ひときわ弱そうなのと、あまり名誉を追うような登山は、素人っぽく見えるので、したくないな~と思っているからだ。

玄人好みなのだ(笑)。富士山もキライだし、槍穂も派手だから、という理由で、あまり好きではなかった(一応、登山者として滝谷などリスペクトしている)。

ので、エベレストは、”高所遠足”、と言われるくらいだし、興味がないのであったが、今回映画を見て、

 判断の良否

が生死の分かれ目であるところが、やはり一般の人を含む我々登山者をとらえて離さない面だな~と思った。

山は、誰が登るかで、安全度が違うものなのだ。エベレストは、その点が特にシビアにでる、というわけだ。誰にでもその仕組みが分かりやすい、のであるし。

なので、登山の判断を考えるという点で見ても損はない、と思った。

■ 1996

1996年のエベレストの大量遭難は、登山史に残る大遭難のようで、この『エベレスト3D』以前にも、映画化されているそうだ。

でもって、これは、たぶん、登山者なら知っておくべき、遭難劇のように思える。

山の大小はあれど、判断は判断で同じで、安全のためには、質的に良い内容の判断をするべきで、その質の良い判断がどういうものか?ということが、この遭難から学べるからだ。

遭難劇の詳細はウィキペディアに記載がある。

■ ロブ・ホール派 vs スコット・フィッシャー派

公募された登山隊にも、二つの系統があったようだ。対比を明確にするために単純化していることにご容赦いただきたいが・・・

 ホール派: 誰でもOK派。
 フィッシャー派: 登山は自己責任派。実力がないと参加させてもらえない。

映画の最初のほうで、混雑という問題が挙げられる。

昨今、混雑は、エベレストだけの問題ではないかもしれない・・・槍穂も混雑がすごいらしく、また、ジャンダルムも同じように混雑しているらしい・・・確かに今年の夏、重太郎新道では、「えっ?こんなよろよろで歩くの?」というような人がたくさん歩いていた・・・。上から人も降ってくる。

その混雑問題を緩和するため、両隊は、協力し合うことになるんだが、タイプが違うと言って、最初からあまりフィッシャー側は乗り気ではない。

■ ロブ・ホール

で、映画で描かれている内容にあくまで絞ると・・・

ターンアラウンドポイント、つまり、時間リミットが午後2時登頂、なのに、リーダーのロブ・ホールさんは、弱いメンバーのダグさんが、3度目のエベレスト登頂で、「今度こそ」と言うのに対して、情に流されてしまうのだ・・・。

ダグさん、3時過ぎているのに、稜線はまだ先だった。16時頃にまだ山頂にいることに・・・。

これは、ごく普通の山でも、とっても遅い。16時だったら、山小屋に入ってギリギリ叱られない、というレベル。

その判断をしたのが、人情派のリーダー。

■ 同じ天候、同じ日の同じ条件でも無事だった人もいる

ロブ・ホール隊の中でも、ちゃんと普通に降りてきた人たちもいる。

タイムリミットの14時を下回る、13時登頂にしたたものの、混雑のために登頂を断念した人たち(ハッチソン他)だ。

八ヶ岳も同じで、わたしと夫も遭難があった日、山にいたが登頂は最初から目指さず、悪天候から逃げるようにして山を下りている。

弱気の判断が山では必要だなと思うんだが・・・。

■ 難波康子さん

難波さんは、ホール隊の顧客、つまり、山頂を金で買う側として参加しているのだが、なんと、最終キャンプまでたったの300m手前で力尽きてしまったのだそうだ。なんと惜しいことだろう。

感想リンク

■ ベック・ウェザーズさん

同じ顧客のベックさんは、難波さんと同じく死んだと思われて置き去りにされているのだが、なんと、自力でキャンプに到着。

それでも死んだとみなされているのだが、国に残した家族の働きかけがあって、ヘリ下山し、一命を取り留めている。

難波さんが亡くなってしまったのと対照的に奇跡的にしぶとく生き残っている。雪目になったらしく、行動不能で逆に体力が温存されたのかもしれない。

登山の成功とは、ピークハントではなくて、生きて下山するまでと言われる。

生きて帰る、ことを最優先とすると、体調が悪化したら、待機させる、山から降ろすということを最優先するように思考回路を切り替えなくてはならない。

体調が悪いのに登る、ってのは、ナシだ。 山から元気をもらうのではなく、山は元気な時に登るもの。

■ 関連本

この登山では、リーダーはどちらも亡くなっている。

ロブ・ホール隊に顧客として参加していたジャーナリストが書いた暴露本。



逆の立場、スコット・フィッシャー隊にいたガイドが反論として書いた本。

一方を聞いて、沙汰するな、と言われるので、この2冊くらいは読まないと、全容は客観的にはつかめないだろう・・・。




■ 生還本

奇跡の生還をした、ベックさんの本は、アマゾンによると評判は今一つ悪い。どうも、プライベートな個人の人生に与えた影響の方がメインの記述の要であるからだ。




ということは、大衆が聞きたいことを書いているのは、ジョン・クラカワー本、ということになる。

■ 映画の予告編

こちらは興味がわいた人へ・・・。

 エベレスト3D オフィシャルサイト

映画自体はすごく良くできていると思った。前に見た、トンデモ登山映画(『岳』とか、『バーティカル・リミット』)とは、格段に違う。登山をする人が見ても、変なことがでてこない。

ユマールも普通だったし、ピッケル、アイゼンも普通。あんまりピッケルを活用しているようには見えなかったが・・・



■ 同じ遭難の別の映画

この遭難は何度も映画に描かれているらしい・・・


■ 7回登頂した人

知らなかったが、日本人でエベレストに登頂した人はいっぱいいる。

中には7回も登った人もいる。なんとカメラマンの方で、他の人の登頂に付き合って登っていたら、7回になってしまった、ということのようだった。

つまり、欲に付き合っていたら、欲がない人のほうの登頂回数が増えてしまったということだ。あれま!

■ 映画の効用

こういう映画は、たぶん、皆で見ると良いと思う・・・というのは、判断が映画の感想から伺えるからだ。

人は、どうしても、自分と似たキャラクターに、自分を重ねてしまう・・・

どのキャラに自分を重ねるのか、それが今の自分であるとも言えるかもしれない。

ちなみに私が共感してしまったのは、

ベースキャンプで、隊をサポートするヘレン・ウィルソンのアシスタント役の若い女性。

ベースキャンプでの交信では、必要最低限のことしか言わない。しかし、その言葉の間ににじみ出る情感が、山を分かっている者には重くのしかかる・・・

その辺の押さえた感じが印象に強く残った。




Saturday, November 14, 2015

読了 『体の力が登山を変える』

■ 平均点が失墜している現実

この本は、登山をして、だいぶ体力がついたな~と感じるのと、一般に言われている

”体力がある”
”体力がない”

ってだいぶ、実感との乖離があるなーと思ったので読みました。

ちなみに私の体力は、40代の女性の平均です。

その体力は、

中高年を主体とした現代の山の世界では・・・ → ダントツに体力がある

アルパインクライミングの世界では・・・ → 全然、体力不足

になります(^^;)。

具体的には・・・

≪一般コースタイム6時間の尾根≫
中高年登山者  7時間   登山人口の79%な感じ
中高年の健脚者 5時間          5%
私          4時間20分       5%
30代男性      3時間30分      10%
アルパイン     3時間          1%

というような現実です。たぶん、昔は、一般コースタイムは5時間くらいだったのが、現代的事情を反映して、6時間に設定されているようなことになっています。

まるで日本社会の縮図のようです。

≪関連記事≫
ペースの見積もり
一般登山者の山、山屋さんの山

■ 運動の目的

一般的に言って運動の目的は、健康増進です。

で健康増進のためにすべきことは、各年代で異なります。

 20代以前の体を作っている時期 = 高負荷をかけて、限界を伸ばす

 30代~50代 = 獲得した体力が落ちないように維持をする

 60代以上 = 衰えを緩やかにする世代

です。30代以上にとって、やせ我慢をして負荷を増大させるのは、健康増進にとってはまったく合理的な戦略ではありません。 30代~50代は節制を身に着ける世代。

60代以上になると、体に故障を抱えていることが普通になるので、定期的な健診を受けて、故障の早期発見につなげる世代です。

つまり

 20代 = どんどん大きな山を目指す世代

 30~50代 = 自分のペースで、無理せず登る世代

 60代以降 = 衰えを緩やかにするために山に登る世代

です。どんどん大きな山に登るにしても、最初は小さな山でスタートでしょうから、他の世代と交流することもあるでしょう。

例えば、大学生は北岳バットレス四尾根にいきなり登っても懲りて帰ってきて終わりでしょう。でも、30~50代は、コツコツ自分のペースで積み上げた結果の山が四尾根と言うケースに限って登るべきでしょう。60代であれば、長く岩登りを続けてきた人だけがクールダウンくらいの気分で登る場合に限って登る山でしょう。

20代であれば、体調が少し悪くても山に行っていればそのうち治るはありかもしれませんが、不調の予防が目的である他の世代では、体調が悪いことはそのまま山に行かないことを意味するべきでしょう。

運動に対する心の在り方が年代によって変化するように、登山に対する心のあり方も、年齢相応に変えていくべきでしょう。

■ 自然を楽しみながら、体を上部に保つ

この本の終わりの方の記述です。

1.自分の現在の健康状態を正しく把握する

2.自分の特性に合わせて、段階的に鍛錬する、あるいは維持する

3.継続的な活動計画を立てて、実践する

4.繰り返し(定期的に) 健康状態をチェックする

5.不調が生じたら、一旦回復に専念するが、活動可能になったら、負荷量を調節して、速やかに活動を再開する

■ 近郊登山

つまりホームベースの山を持て、ということのようです。

・一日つぶさないで取り組める
・天気が多少悪くても予定通りこなせる
・いざという時のバックアップが得られやすい
・そこそこ標高差があり、道が整備されてる

・時間の短縮を図る
・歩荷をあえて増やす

・遭難防止になる

登山の実力は、好天の環境で予想通りのルートを踏破したという経験よりは、いざという時にどこまで耐えられるか、どんな環境までなら切り抜けられるかというところにあります。

登山の実力をつけるためには、「どの山頂を踏むか」だけでなく、どう登るかにこだわる必要があります。

・・・とあります。

Saturday, October 10, 2015

シンプルなことを複雑にしない  ・・・ 山岳会を考える その12

■ 『アンナプルナ 女たちの戦い7577m』

今読んでいる『アンナプルナ』という本は、日本人女性だけで、アンナプルナに挑んだ記録だ。

そこで、出発前に一悶着が起こる。それはメンバーに健康診断の結果に黒星がついてしまった人がいることだ。

尿検査で血尿が出ている人がいて、その人はそれでもぜひ参加したいと言う。山行計画での色々な貢献もすでにあった。彼女には、賛同者もいて、ぜひ今までの貢献を考えて、参加させてやってほしいと他の隊員へ懇願する。

途中まででもいい、現地に行って見て、症状が起きない可能性もある、今までの貢献をどうしてくれるのか、彼女が行かないなら、私も降りる、責任なら私が取る…などなど、人情に訴える説得に、リーダーは終に根負けする。。。

会員間で色々な議論が起っているが、結局、味方となった隊員二人は山行を抜けてしまう。

この議論は、途中で

  血尿が出た人がアンナプルナに行くべきかどうか?という議論(合理的に判断できる)

から、

  貢献をどうしてくれるのか?こんな冷たいグループとは一緒に登れない!

という信用問題(情緒問題)に置き換わっていた。

■ 問題のすり替えは、実力不足の代償

この経緯を客観的に見て、山はやはり

  安全を第一に考えるべきだ、

と思った。昨今の山岳会で起きていることは、少しこれに似ている…

 実力がそのルートに見合っていなくても連れて行ってもらえる

ということが、初級者と過去の栄光のベテランの両極で起っているように思える。

そのどちらをも、

 実力不足

がその純然たるコアだ。

■ いかに対応すべきか

この時の田部井淳子さんの対応が良いなと個人的には思った。田部井さんは、一貫して、

 病気の人は行くべきでない

と言い続け、それ以上言わない。 

これ以上、シンプルな答えがあるだろうか? 

正論は正論として通す。大事なことだ。ぶれない芯。コア。

大事なことは、これ以上突き詰めない、ということだ。

山には

 ・体力不足の人は行くべきでない
 ・歩けない人は行くべきでない
 ・技術不足の人は行くべきでない
 ・装備不足の人は行くべきでない

そういうシンプルなことがややこしくなる原因は、一つ。 煩悩だ(笑)。

今日は、沢の予定だった…しかし体調不良だ…残念だったが見送った。大きな山行で憧れている沢でもあったが、まぁ仕方がない。

山は煩悩化しがちだ。

その引き際を学ぶと言うことも含め、山だ。

Monday, September 28, 2015

読了 『僕は冒険案内人』

■ 僕は冒険案内人 近藤 謙司

私はエベレストは、あんまり興味がない。

それは、山をやっている理由が

  山梨に来たから

なんだから、仕方ない。 私は”山梨での生活”を充実させたいのだからして。

・・・というわけで、高所登山には、実のところ、そんなに憧れ自体がない。読んだのは、師匠が読んでいたから。

■ 感想

率直な感想は、こんなラッキーボーイがいるんだな~ってこと。

わたしと夫は登山初年度に、雪をまとった西穂丸山(調子が良かったので独評手前まで)行って、さんざん周囲にとがめられたのだが、この方なんて、何にも知らないうちから、バンバン穂高の稜線を踏み、ヨーロッパの山を踏んでいる。

いきなり感は半端ない・・・んだが、私自身の人生と照らし合わせて、別にいいんではないか?と思う。

私が二十歳でアメリカに渡った時は、いきなりアメ車で運転だったし、その運転を学ぶため、登校初日にバイトしてくれる人を探し回った。

変に常識に染まらないで、伸ばせるときに、のりしろを伸ばしておく方がいい、と思う。

機会というのは、待っていても与えられないし、逆に機会が来た時に、万全の準備ができていることなんてない。

近藤さんは、時機がよく、楽に国際山岳ガイドになったようだ。今の時代に、国際山岳ガイドになるのは、ちょっとムズカシソウ・・・

なんでも整備が整うと、あとからのほうが大変。

■今井道子さん

そして、今井道子さんという登山家を知ることになった。

中高年のアイドル田部井淳子さんより、凄い経歴のように感じるんだけど、あまり知名度がないのはなぜなのだろう?

七大陸最高峰登頂の困難度について

一つの時代を築き上げた人のようだった。

私は、俺オレって、いう、めんどくささがない女性と一緒に登りたいと思っているのだが、・・・ということになると、先人に学ぶとすれば、女性登山家がしてきた苦労を知った方が良い。

その際に参考になる女性かもしれないと思って、著作を何冊か借りてきた。

前に同じ発想で、登山好きで知られる女優さんの本を読んでみたが、安全管理は全部男性にお任せで、男が女性を守り、女性は男性の庇護に甘んじる、という立場を自ら作っているようで、あんまり参考にはならなかった。

登山の良いところは、男性と女性の垣根があまりないところ。 

■ 労山系

その他、組織的風土というか、カルチャーと言うか、個人の自由で主体的な集まりを基準に、あつまっている労山系のクライマーと、トップダウン形式軍隊型組織の日山協のカルチャーの違いを感じた。

高所登山については相変わらず、あんまり興味がないけれど、海外の山というのは、海外と言うだけで、過大評価されているんではないか?それは一ドル350円の固定為替レートの時代の人の時代錯誤ではないか?なんてことを考えた。

今の時代、海外出張が決まるのは、一週間程度前で、飛行機に乗ってしまえば、あとは現地に降りたつだけ。

そういう時代になっていることに気が付いていない人は多そうな気がするので、海外登山は実は、すごーい!と人に言わせるという面でみると、お得株かもしれない、そんな気がした。



Wednesday, July 1, 2015

読了 『俺は沢ヤだ!』

■ 読了『俺は沢ヤだ!』成瀬陽一

この本は、以前立ち読み(スイマセン…)したときに、ちょっと読んで、「全然、関係ないなー」と秒殺された本だった(笑)。

あんまりにも書いてあることが凄く、世界が違いすぎて、一般登山者には何の参考にもならない、と思ったのだった。内容が凄すぎ。

今回は、そう言う意味では再読だが、面白かった。もちろん、こんな凄すぎる沢はしないのだが、それでも、参考になったり、共感したりする部分があった。なんだか登山者としての成長を感じるなぁ…。

沢に行くときは、地図を見る。

沢ヤさんたちは、ステキで快適な沢を見つけるのに、滝やゴルジュを探すことを目安にしているそうだ。ということは、私の場合は、逆に滝やゴルジュは避けることを目安にすればいいわけだ(笑)。

だって基本的に、同行者が得られないことが前提。『ウォーター・ウォーキング』という名の本も持っているくらいだ。まぁ、易からスタートして難への流れをすっ飛ばすことは許されない。

この『俺は沢ヤだ!』で、フムフムと思わず、しっかり頭に入ってしまうのは

ーーーーーーーーーーー
どうしても納得がいかない不可解な地形がいくつか存在していた。そのひとつに、源流から高度差1000mも流れ下った沢が突然消えてしまう場所があった。150m分の等高線が消失している
ーーーーーーーーーーーーーー
などだ…。

こういう本は基本的に自叙伝、紀行文で、自分の山ヤ道を紹介しているもの…その中に、ちらりほらりと知恵が含まれている。

例えば、CSの説明は、チョックストーンは登攀が困難なことが多い、と書いてある。それを聞くだけで、チョックストーンを見たら、身構えることができる。

こういう本を読んでいれば、色々なピンチに出くわしたとき、どうすれば良いか分かると思う。たとえば徒渉で流されてしまったとき、ロープを「流せ!流せ!」と叫んでいる。

そりゃそうだ。流れに落ちたのに引っ張ったら身動きとれずに死んでしまう。経験がない人はたぶん、引っ張り上げようとするだろう。そんなの人間の力じゃできっこない。

だから、こうした本を読むのは、大事だ。

■ 地図を見ることは大事だ

地図を見る、だ。私はいつも、地図とガイドブックを行ったり来たりしている。

地図を見ていると、”ここってどうなっているのかなぁ…”っていう地形がたまに現れる。沢を遡行した後に、なんとものんびりした地形が出ていたり… 不思議な地形。それで「行きたいな~」となる。

板敷渓谷は、ガイドブックに載っていない。あの辺りはアイスで凍ることで知られているので、北面の滝がありそうで、それで目をつけていた。アイスクライミングだったら、滝が北向きでないと凍らない。でも、北向きの沢より、南面の沢のほうが気持ちが良い。

滝を登ってお終い、というようなスポーツ的な捉え方は私はしていない。岩も同じ。だから、岩登りはそんなに面白くない。地理的な発見が何もないからだ。

しかし、いきなり適当な沢に行って、怪我でもしたら…困る。だから、むしろ、一人で行けるような沢はないかと地図を見る。つまり、登攀要素がなく、歩けるような沢。登攀を目的にすることが多い人から見たら要するに”ツマラナイ沢”。そのために地図を見る。

伝丈沢は、私が持っているガイドブックには載っていない。金石沢はさらに載っていない。山岳会の会報に報告があって、家族山行に使われていたので、それで一人でも歩けると確信した。ベテランが書いていたし、家族を連れて行くところは、家族に見てもらいたいきれいな場所のはずだからだ。それで、金石沢に大滝があった時は、ちょっとうれしかった。ので、冬にも行ってしまった。

安心できる場所だと分かっていたからだ。冬は、晴れていないと尾根では遊べないが、アイスクライミングなら、多少の悪天候でも遊べる。夏も同じだ。

沢登りで、滝があるのは、沢の屈曲部だ。屈曲すると言うことは、素直に流れることができない何か堅いものがある、と言う意味だからだ。それで、屈曲がなく素直な流れの沢を探しているけれど、そういう視点で探すと全然ないものだ。

大事なことは、縦走路しか歩かないから、何で必要なのか、全然意味が分からなくても、ちゃんと地図読みができるスキルを培っていくことだ。

地図を見る習慣。地形図を見る、というのは、登山の基礎なのだ。冒険は地図を見て、その場所に行きたいと思うことから始まるのだから。

■ 行きたいと言うモチベーション

『沢登りルート120』も見ているが、大体、登山の方も、ガイドブックにある山を片っ端から行くような山はそそられないし、百名山も全然興味が持てない。

じゃあどういう山だったら行きたくなるの?という訳だが、雨乞岳に行きたくなった。理由は、そこの笹の沢という沢を詰めると、ちょっと不思議な地形に出るから。鬼の窓と言う。

その隣に水晶ナギという地形がある。ちょっと興味をそそられる場所だ。でも一人で未知の沢を遡行することは許されない。ので、どうするか?普通に登山道で歩ける。

だから、雨乞岳に行って見たくなった。そんな感じに偵察という意味で、一般登山は捉えている。


■ 面白くない

一方、洞井孝雄さんの『安心登山の技法』も再読しようと思って図書館から借りてきた。実は、以前この本は読んだのだけど、その時は洞井さんの辛口批評に胸がすく思いだった。

ところが今回、また目を通してみると、全然面白くない…(汗)

ヒヤリハットが武勇伝になっていないか?など、わが意を得たり的エッセイもあるが、よまなくても内容が予想できると言うか…本間沢F9みたいなものですね…

洞井さんの本は、でも良い本だ。

一般登山で、山小屋に宿泊する登山には、もう全然魅力を感じられなくなってしまった…困ったものだ。

でも、未知の大冒険に赴くつもりはない。私の力量を越える。でも、分相応に小さくても、未知の場所を求める山、発見の喜びがある山をしたいなと思っている。



Monday, June 15, 2015

岩崎元朗師匠の『沢登りの本』

■ 教科書を複数読みましょう☆

今日は、装備や安全対策に少々不安を感じたので、もう一度初心に返る意味で、沢登りの教科書を読み返した。

1)沢登り入門&ガイド 手嶋亨 最も新しく現状に即した教科書と思われる
2)沢登り 入門とガイド 吉川栄一 この本が一番好き
3)沢登の本 岩崎元朗 物語形式で読みやすい

この3つ以外にも以前読んだ本を入れると結構読んでいるのだ…

今日読み返したのはこの三つ。

■基本装備

基本装備には当然登攀具も入るのだが、トマの風の本によると

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
スリング
 ・6mm×1.5mを輪にしたもの 3本以上
 ・自己脱出用スリング
 ・6mm×3mを輪にしたもの

・カラビナ 自由に使えるものを4枚以上 うち2枚は環付

・その他
確保器、下降器、アセンダー、ピトン、アイスハンマー

ーーーーーーーーーーーーーーーーー P024より抜粋
だそうです。

私は昨日の装備は、

 ・ダイニーマスリング120cm ×2、
 ・ナイロンスリング120×1、
 ・ダイニーマ60×2、
 ・確保器、エイト環、簡易アセンダー、タイブロック、ケブラーコード

を持って行きました。大体これが私の最小限キットなのです。本チャンでもこんな感じです。大体ギアラック兼用で捨て縄を持っています。

余談ですが、初めての芦沢横沢で、沢ではオートロックのカラビナが使いやすいと学びました。雪ではダメですけど。

沢ではナイロンよりダイニーマが水を吸わず快適です。ナイロン120はもしかしてチェストハーネスを作りたいかも?と思って持って行ったのですが、水を吸って重かったので、180の長いスリングを持って行けば良かったなと思っています。6mm3mの代わりですね。

■おススメ 岩崎元朗師匠の『沢登りの本』

岩崎元朗師匠の『沢登りの本』は読みやすく、超おススメです!この本みたいな、アルパインクライミングの本があればいいのに…と思う。

目次は
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 プロローグ
 とりあえず沢に入ってみよう
 沢登りの服装・携行品
 地形と用語
 地図の種類と見かた
 沢登りのための岩登り
 誰と行くか、どこへ行くか
 沢登り講習会
 日本中沢だらけ
 遡行前、遡行中、遡行後
 沢に関する情報を得るには
 一本のボルトが打たれていた春川万滝沢の記録
 沢登りの危険
 エピローグ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

・・・となっていて、面白かったのは、誰といくかの項。そうなのか!とびっくり!!以下抜粋(赤字、当方)です。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
山岳会ったって、ピンからキリまである。…(中略)

山岳会の特徴別に大雑把に分類してみると、
 ①オールラウンドな登山を志向する会
 ②アルパインクライミングを志向する会
 ③ロッククライミングを志向する会
 ④ウォーキングを志向する会
 ⑤沢登りを志向する会
 ⑥山スキーを志向する会
 ⑦とりとめもない会

などとなろう。今沢登りに関心を持つ君は、間違っても②、③の会に入ってはいけない。ここに属する人たちは、沢登りに対して、軽侮と恐怖の入り混じった感情を有していて、沢登りを敬遠しているからだ。

(中略)

選ぶとすれば、①か⑤か⑦の会となる。①の会はわが国で最も数の多い平均的な団体である。(中略)、これといった特徴がないのは、どうも物足りない。しかも、最近では組織が弱体化して、登山学校代わりにすらならないような会が増えてきた。①から⑦への移行が目立つのである。

⑦の会は最近とみに増加しているようだ。運営基盤がぜい弱で志向性がなく、なんとなく集っているといった体である。
(中略)

自分のことは自分でやる

山岳会に入るのがどーもと言う人は、ガイドを頼みなさいと言うものだ 特に年配の人には薦めたい。

それでもどーもと言う人は「自分のことは自分でやる」しかない。ちょっぴりリーダーシップを必要とする。身近な友人を、沢登りに引きづりこまなくてはならないからだ。

(中略)

さて、どこへ行くか。自分とパートナーの実力を考えれば、易しい沢登りルートになる。初心者向きの沢をまずは10本登ってみてほしい。

丹沢: 葛葉川本谷、源次郎沢、水無川本谷、勘七の沢
奥多摩:真名井沢、割沢、鷹巣谷、小雲取谷
奥秩父: ナメラ沢、笛吹川東沢

以上のような沢を登ってみると沢登がどんなものなのか肌で感じられるし、丹沢、奥多摩、奥秩父といった比較的アプローチしやすい山域(初心者は、まず自分がアプローチしやすい山域に焦点を絞った方がいい)の概念を把握でき、自ら次に登るべきルートが浮かんでくる。初級クラスの10本をあげてみよう。

丹沢: 鳥屋待沢、原小屋沢、キョウハ沢、小川谷
奥多摩: 海沢、犬麦谷、唐松谷、大雲取谷
奥秩父: 谷津川本谷、三条沢

以上のような沢が不安なく登れれば、体力、基本的なクライミング技術やルートファインディングなど、合格ラインにあると言えるだろう。そろそろ欲が出てくるころだ。中級クラスとして、登攀要素の大きい沢、総合力を要求される沢をそれぞれ10本選んでみよう。

登攀要素の大きい沢
丹沢: 大山川、滝郷沢、円山木沢、同角沢、悪沢、下棚沢
奥多摩: 滝谷、小常木谷
奥秩父: ヌク沢、鶏冠谷

総合力を要求される沢
奥秩父: 豆焼沢、水晶谷、大荒川谷、真ノ沢、東ノナメ沢、大常木谷、井戸沢
大菩薩: 小室川谷、大菩薩谷
谷川岳: ヒッツゴー沢

この6割をこなすことができた人には及第点を与えても良いはずである。 P106
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

つまり

 1)最初の10本
 2)次の10本
 3)さらに次の10本

が指南されているのだ。これを自分の地域に落とし込めばいい。

私が思うには、段階的なステップアップについての指南が余りないのが、沢を始めることのむずかしさであり、特に沢登りの会は、東京に集中しているため、それ以外の場所で沢をしたいとなると非常に不利になる、ということは否めないと思う。

≪沢登り入門&ガイド 手嶋亨に紹介してある沢登り中心の山岳会≫
わらじの仲間
鈴蘭山の会
ろうまん山房
遡行同人梁山泊
逍遥渓流会
グループ沢胡桃
ぶなの会
山登魂
相模山友会
新潟稜友会

■ 急がず、愉しみながら

私は沢に関してはあまりステップアップ志向ではなく、一年くらい掛けてじっくり初心者向けの沢を味わい尽くしたいと思っている。何事も急ぐと怪我の元のような気がするからだ。

雪だって、別に急いだわけでなく、あっという間に天狗岳から鳳凰三山まで行ってしまったわけなので、沢だって同じかもしれない・・・。

ただ教育的山行は要所で入れなくてはならないと思う。技術を学ぶことを主眼にした山は確実に普段の山に生きると思う。地図読みなどは其れだけを目的にした山が良いし、ロープワークやレスキュー、焚火や宿泊もそうだ。 テーマを絞った時はそのテーマに集中して、無理をしないことだ。

私は、特定の山域を地域研究的に歩きたい、ホームベースが欲しいと思っていて、それには、たぶん、金峰山の南面や瑞牆、増冨や川上村周辺あたりがいいかな~と思っている。

あるいは甲武信岳の周辺。芦川周辺、大菩薩周辺もその次のステップとして視野に入っているのは流域にはちょうどよくアイスもできる可能性があるから、という訳だ。

が、当然普通のピークハントの山で偵察しておくべきだと思っている。そうなると、ハイキングは偵察ということになる。

■ 欲しいものリスト

沢に行くと非常にモノが汚れるので、やはり兼用ではなく、沢だけのザックがあったらいいなと思うようになった…靴もザックも服もホントによく汚れる(笑)。

今欲しいもの・・・
カム一式
冬用ダブルブーツ ファントム6000
沢用ザック
沢用バイル
沢用ハーネス クーロワール
マイクロトラクション
沢用補助ロープ15m
タープ

とまぁこんなところで、全然オシャレウエアに回る予算なし(笑)

Friday, May 22, 2015

読了 『死を悼む動物たち』

■ 死を知っていること

アダムとイブは、禁断の実…それを食べると知恵が開くという…を食べ、楽園を追われた。動物と人間を分ける知識…知恵の実、に当たるものは、死の知識だ。動物界の中で、人間だけが自分は死ぬということを知っている。

動物はいつか自分が死ぬ運命にあるとは知らないが、仲間の死を目にしたとき、動物によっては、死を悼むようなそぶりをすると言うのが、この本の訴える内容だ。

つまり、動物は死を知らないが、喪失の痛みは知っているようだ。つまり、仲間が死ねば、それが分かる。仲間の死を悼むように思える動作…死骸をつついたり、しばらくそこに佇んだり、などの行動をする。それは、死を理解しよう、受け入れようとする行為に思える。

動物が相手の死を悼んでいるとは言えなくても、

 死という事実を受け入れるのに、時間がかかるということは人間と同じ

ということだ。それは人間と全く同じだ。

弟が死んだとき、葬式と言うものは死者の為ではなく、残された遺族がその死を受け入れるためにあるものなのだ、と理解した。

死とは受け入れるには時間がかかる事実なのだ。特に、突然死の場合は。

■ 愛とは一緒にいること

動物も一生を生き抜くのに、コンパニオンを必要とする。

ある猫の姉妹は、生まれたときから一緒に暮らしていたのだそうだ。ある日、片方が死んでしまうと、これまでのように餌も食べれなくなって、衰弱してしまう。そこで、別の猫を連れてくると、亡くなった妹猫の代替えとはならないまでも、また食事も戻り、日常をやって行けるようになる姉猫。

人が一人きりで生きていけないように、にゃんこも一人きりでは生きていけないんだなぁと思った。

猫や犬などの動物にとって、愛情の表現はすごく単純で、

 一緒にいる

ということだ。

それは人間にとっても当然至極のことで、子供たちが親に要求しているのは、実際ただそれだけのことだ。子供はおいしい食事をくれとか、高い衣服を買ってくれ、良い学校に行かせてくれとか、親に要求しない。そういうものは、親の方が勝手に子供に押し付けるものだ。そのような、言ってみれば2次的なもののために、結局、大抵の場合、親は子供と十分な時間を過ごすというほうを選ばない。

経済的豊かさと子供と過ごす時間では、経済的豊かさを選ぶ人がほとんどで、例えば一家の大黒柱である父親の立場のように、やむを得ない場合でさえも、子供が必要とする愛情の確認を十分与えることをしない。

人は自分がされたようにしか次世代を扱うことができないので、親のせいではないが、結局、愛情不全状態の再生産に陥っているようにさえ見える。

一方で、人は孤独に恐れおののき、ペットに救いを求める。ペットは最後の砦なのだ。

■ 理想郷の住人

私はいつも欧米の人たちは動物との接し方が上手いし、動物と適切な関係を築いていると思う。

飼い犬は甘やかされておらず、猫は猫で、猫かわいがりはされていない。動物のありのままの”さが”を受け入れ、愛していて、素晴らしい態度だなぁといつも思わさせられる。犬にはご主人様が必要だし、猫には自由が必要だ。動物にも感情があることを当然と受け止めている。

動物に対する特別な愛… 馬への敬愛とか、猛獣への恐怖を伴う憧れ、一夫一婦制を守る野生動物の観察など、動物とともに暮らした民族なのだと感じることができる。

それは、熊や鹿などにに対する日本人の感情の持ち方とはまったく異質で、共感をベースにしているような気がする。日本人の場合は、鹿の力強く唸る筋肉を見てうっとりした、というようなことはないだろうし、熊だってその勇猛な姿に畏怖を感じた、ということはないだろう。これが海外のサラブレッドに対する感傷的な想いや、バイソンに対しての畏怖ならば、意味が通りスッキリする。

西洋の人たちは、ある意味、野生動物に理想郷の住人として、あこがれを抱いているようだ。

■ 死

自分が死ぬことを知っているため、人間は理想郷には生きていない。

死の認識が人間にどう働くか?というと、誰もが思いつくのが恐れだ。

人は死を恐れるがために子孫を残すのだろうか?

自分の遺伝子が後世に残ったことで安心するというのは、いぜん誰かから聞かされた。昔から洋の東西を問わず世継ぎ問題は大問題だ。しかし、自分の遺伝子をこの世に残すことができたとしても、自分の死が回避できたわけではない。

死は予想できず、回避もできないので、結局人ができることは、唯一、今の時間をよりよく過ごすことだけなのだけれど、それがどういうことなのか?理解するのが難しく、理解できた頃には、すでにそれを生きる時間が残されておらず、死を目前にしている、ということに世間の相場は大体決まっているように見える。

充分に生きるとはどういうことなのだろうか?それは動物の生き方に観察することができるのではないだろうか?

この本は、久しぶりに読む良書だった。

良書である理由は、巻末に観察の根拠となる論文リストが載っていること。つまり、すべて学術的な観察を基にした推論や考察であって、きめ細かく、決めつけや誤謬、認識違いを避けていることだ。

是非一読をおススメする。

類書としては、テンプル・グランディンの本があり、こちらも非常に良い本だった。



Tuesday, May 19, 2015

読了 『ザイルを結ぶとき』

■ 工事中

最近、家の前でリフォーム工事をしており、けたたましい音で目を覚まさせられる。

大阪では、工事をする場合は周辺の家に連絡が来る。工期も連絡が来るし、大きな音は午後に出すようなスケジュールだ。ところが、甲府は田舎なので、そういう洗練されたことはやらない。その上、太鼓のように鳴り響く建物の位置関係にある、ということを大工さんらが自ら気が付く・・・という習慣や経験もないようで、大声でウルサイと言ってやらなければ、話声をひそめることさえしないで、何もかもが筒抜けだ。

土地柄として、それほどに呑気で平和だ。素朴というのは、一般的には良い意味で使う言葉だろうが、わたしには甲府の素朴さは、子供っぽい自己中心性に見える。

そういうわけで、家の中から逃げ出す必要があり、昨日は本を持ってスタバに逃げ込んだ。図書館は月曜はどこも休みだからだ。

■ 奥山章 『ザイルを結ぶとき』

それで、読んだのが奥山章の『ザイルを結ぶとき』。

『二人のアキラ』の数珠つなぎ。 奥山章さんの本の方は、山岳会に提出した記録をまとめたものなのではないか?という感じがするカジュアルな文章だった。

大きないびきが上顎ガンの前兆だったとは・・・奥山さんは、ガンに絶望にして、自殺してしまうのだが、その死の引き際が気弱な気がして、男性らしさをある意味感じさせる。男の子の赤ちゃんの方が病気に弱かったり母親にべったりで甘えん坊だったりするのと同じ感じだ。

印象に残ったのは、沢ヤの登山風俗。戦後すぐの沢ヤは、女物の赤い下駄を履いていたのだそうだ。着るもの、持ち物というような風俗を歴史順に並べたらきっと面白いだろう。

フリーの方でも昔はピッタリとしたサイケデリックな柄のタイツを履いていたそうで、ちょっと前にアメリカの雑誌でも、冗談っぽく取り上げられていた。登山なのにラガーシャツを着ていた時代のこともときどき雑誌に見かける。

北岳バットレス中央稜の積雪期登攀は、複数の会にまたがる人たちのパーティだったそうで、それが特に当時としては革新的なことだったようだ。

滑落で首にロープが巻きついて死んでしまった仲間の話など、どうやって首に巻き付いたのか?と回想していたりする。

■ アブナイか危なくないか

最近思うのだが、自分の目で見たもの以外に確証を求めようとする癖は日本人独特かもしれない。平たく言うと、資格主義。 士業には多い。何をするにも資格はあるか?という。

登山こそ、目の前の山の状況と、登山者個人との山と山の対話の世界だと思う。

人物評価にしても、自分が目にした相手という、生情報を基にしない。評判ビジネスと言う言葉があるが、評判ばかりを気にするのは、今住んでいるところが田舎だからだろうか?

アメリカにいるころ、快適だったのは、実力主義の世界だったからだった。ベビーシッターでは、2.5ドルからスタートして、最終的には11ドルもらっていた。ベビーシッターの実力が何で分かるのか? 

ダニエルが自転車から落ちて頭から墜ち、前歯を折った時は、すぐに傷口を水道水で洗い、消毒し、頭は冷やしてやり、ソファに寝かせて、体温を計った。その後に親に連絡して、医者に連れて行ってもらった。

その後こうした救急処置が評価された。日本の人なら普通に誰でもできることだが、海外では普通ではないらしかった。

赤ちゃんは安心できる相手と一緒だとおとなしく一人遊びしてくれる。2歳の子が私の姿が見えなくても安心して遊んでいる姿を見たとき、親は自分がいない間に任せても安心なのだと理解したようだった。

ニュージーランドへ出張で行った時はヘッドハンティングに会ったのは、リーダーではなくサブを務めていた私の方だ。

海外では、みな能書きより、目の前の自分の得た事象を大事にする。だから実力があれば、ステップアップでき、そうでなければはねられるだけだ。

日本の場合は、そんなにシンプルじゃない。会社の昇進であれば色々な人の思惑が絡んでいることが多いし、逆に力があればねじ伏せられる。資格さえあれば実力がなくても良い目に遭えるというのが、資格を求める理由だったりもする。

そう言う意味で、登山者の手記はAという登山者の力を正確に伝える唯一の物なのかもしれない。

Wednesday, April 22, 2015

『ふたりのアキラ』

■ 実用書→小説?

私は登山を趣味にしているので、登山関係の本を読むのですが、最初のうちは初心者だったので、余暇のための読書というより、

 山の常識を知識として仕入れるための読書

で、本の良しあしは、実用書としての良しあしでした。 山に役立つ知識を取り入れるための本ですね。

それで、よく遭難関係は最初の頃読みました。赤岳に登るなら、安本訴訟は知っているべきでしょうし、落ちたら何と言う川に落ちるのか?立場川へすってんころりん、です。そういうのは、どの山でも一緒で、西穂に登った時は、松本深志高校の落雷事故について知りました。

あとは山小屋オヤジの・・・とか、登山のABC・・・みたいな本は、よく読みました。去年はアルパイン1年生ですから、クライミングの技術書や赤本、そういうものが主たる読書の対象です。

技術書、マニュアル、実用書、トポ、ガイド本・・・そのあたりは、もう過ぎつつあるのか、今度読んだ本は、『ふたりのアキラ』です。

■ 読了 『ふたりのアキラ』

この本は、アルパインをやる人におすすめです。二人のアキラとは、松濤明、奥山章のアキラです。

ただ松濤明さんは、『風雪のビバーク』で知られてしまったため、印象が強くなってしまったかもしれません。どのような人だったのか?伝説化されてしまった感があります。

この二人のアキラでは、松濤明さんについては、1時間半の出会いがあっただけです。至って普通の人。

私が驚いたのは、それだけしか接点がない人を迎えに、お正月の厳冬期に西穂に登ってしまう、山田美枝子さんご本人です… 臆病と自称されていますが、臆病な人が厳冬期に一人で西穂行きますかね?? いや~すごい女性だな~と思いました。『氷壁』では、恋人役のモデルとなったそうですが、実際はその1時間半の出会いだそうです。

それで相手は遭難死してしまうのです…
 
  我々ガ死ンデ
  死ガイハ水ニトケ、ヤガテ海ニ入リ、
  魚ヲ肥ヤシ、又人ノ身体ヲ作ル、
  個人ハカリノ姿 グルグルマワル
 
を残して…。 私は思うのですが、死ななくても、このようなことは山にいればいつも感じますね。自分が世界のほんの小さな一部でしかない、という感覚です。

一方奥山章ですが、奥山章さんとは結婚していた人です。奥山章さんは第二次RCCを立ち上げた人ですが、この当時の人たちのアルパインにかける情熱はすごかったのですね。最後は自殺してしまうのですが、山がないなら人生もイラナイ、というくらいの山キチ度です…今の時代、それくらいの想いを傾ける対象を持っている人は少ないのではないでしょうか?

それ以外にも古川純一さんも出てくるし、バラバラに読んで知っていた名前が統一感のある横糸でつながった感じになりました。

読むべき本をまとめると・・・


■女性クライマーについて

女性は山の世界では、昔からいるので、山の世界に来た当初は

 意外に男女平等主義なんだな~

と思っていました。が、この本でよく読むと、

 当時の女性クライマーはセカンド専門。

アレ? どんな場所に行ってもセカンドです。何がびっくりしたって、それがごく当然とされていたことです。

今の時代は、セカンドというのは、過渡的な地位と認識されていると思います。相手がどんなにへたっぴであっても、です。基本がつるべですから。

私自身、セカンドで登っているときの心境としては、”まだ”セカンドでしか登らせてもらえない…という気持ちです。

やはり登った、と感じられるのは、リードしている本人、トップですから。トップの方が数段楽しいのです。

そういう点もへぇ~と時代がだいぶ変わったことを感じる『二人のアキラ』でした。

ところで平塚晶人さんは、読図の大家だと勝手に思っていました・・・。ノンフィクションの人だったんですね。

 
■ 中高年登山?

ついでに市毛さんの本も読んだのですが・・・今の山ガールが読んでも、たぶん、この方角には魅力を感じないだろうな~と思ったりしました・・・スイマセン。



なんとなく、みんなが私を誘導しようとしていた先はココだったのかなぁとおもったりもしないでもない・・・けど、全然今の時代には、違う場所、違う山ライフ、違う理想像を思って、ガチ系な山女子は山に登っていると思います・・・。

■ 『ハンターガール』

 
最近、山の世界でホットなのは、若い人の狩猟への取り組みです。服部文祥さんの影響もあるのかな?この本は、狩猟免許を持っているけれど、猟銃ではなく、罠猟の人の方です。

そして、動機はフランス料理のジビエ料理を作りたい!

そのために、ジビエが欲しい!

です。つまり料理家の目線から、肉としてみた猟です。 

私はヨガを教えている関係上、ラクトオボベジタリアンです。ヨガでは、肉を食べないのです。

とはいえ、ごくたまに卵を使いますし、外食で宴会があれば、普通にいただきます。そこは別にしておかないと、日本ではベジタリアンは理解が難しいと思います。でも家の中に肉があったのは、思い出せないほど遠くの過去です・・・。

類書で読むと楽しいのは、以下の本です。レイモンド・カーバーは特に外国の本ですが、今の日本の肉食の感覚に最も近いと思われるので入れました。

Saturday, April 4, 2015

アイスクライミングのルートガイド本

■今冬のアイスのまとめ

今年は雪が無くなるのが早く、去年は今頃もアイスをすることができたのに、今年はアイスは3月中旬の小滝が最後だった。
今年
去年


アイスクライミングは適期を捕まえるのが難しい。冷えれば氷は固く登りづらい。柔らかければ登りやすいがプロテクションが不安だ。

全体に今年はアイスは近場が凍らない年だった。多くの人が西上州方面に逃げていたのは、近場が凍らなかったからだ。八ヶ岳では新雪期に早めに雪が降ってしまい、谷が雪で保温されて流水状態となり、新雪期が充実しなかった。というわけで、残雪期のジョウゴ沢も、アイスクライミングと言うより、沢登り、となっていた、という結末だった。

アイスクライミングも沢登りや岩と同じく、トポが出ている。私は今年は沢のトポを書けるようになりたいなと思っている・・・のだが…歩いている間にメモを取ってみたけど・・・時間もかかってめんどくさい…デジタルで何かいいソフトないのかな?

■ アイスクライミングルートガイド

アイスクライミングのルート集は、有名なヒロケンの『アイスクライミング』が、再版されるそうだ。今はアマゾンで 12241円!!もの価格が付いている!決して間違って買わないようにしないと、古いのを高値で掴んでしまう。


他にアイスクライミングのルート集としては、『チャレンジ!アイスクライミング』もある。こちらは技術情報や後ろにベテランクライマーのコラムなんかも載っていて新しい感じがする。



 技術的古典として、イヴォン・シュイナードのアイスクライミングもある。


日本で初めて登られたアイスのクラシックルートである甲斐駒黄連谷が載っている、紀行文として、『わが岩壁』

 

下記コメントに紹介のある、ジェフ・ロウ『アイスワールド』



読んでいないモノを紹介するのは心苦しいが、こんなのも見つけた。

 
『アイス・エクスペリエンス』 はなんと檄安!

これは悪ノリ?!ついで・・・ 英語の本は英語が読めなくても、絵だけ見ていても結構いろいろ分かるものだと思う。

 

私は、夏の間は、易しい沢を歩いて、水量の少ない沢を見つけ、2月の近郊のアイス時期に行けないか開拓しようと思います。

Thursday, March 19, 2015

山書 『氷壁に生きる』 安川茂雄

■うれしい再会 

今日はうれしいことがありました☆ 以前、八ヶ岳にご一緒しようとした、関西の方が来てくださったのです☆

会いたいと思っていたのでうれしかったです!来てくれてありがとう。

白峰三山を厳冬期に単独縦走したという、つわものの女性です。すごい!私は、この話を聞いてだいぶ勇気づけられました。

ホントにね、一人でも行きたいですよね、山。こういう方こそ、次世代を担うアルパインクライマーになるのかもしれない…・と思っていました。ちょっと遭難していないか、心配しつつ…。


■ 誤解なきよう…

私は一般の方から見ると、なんだかよく分からないけどスゴイ山をしていそう…に見えると思いますが、それは一般登山者の方の登山に対する無知に基づいた判断であって、山の内容自体は、本格的登山としては入門以前の位置づけの山ばかりしていて、そんなにすごい山はしていません。

標高差や距離を見てくだされば、な~んだ~と思うと思います。特にクライミング寄りになると、クライミングでは歩きませんから、一般の人からみると、なんだかすごいように思えても、実際はそれほどすごいことをしているわけではありません。

手元にある本に『登山家が愛したルート50』って本があります。

一般の人はこうした本に出てくる登山家と山岳会のやっている山の違いが判別できないと思いますが、ぜんぜん違いますから!

”アレアレア”とか一生行かなくていいですから… ”赤蜘蛛の巣”とか”穂高のパチンコ”もです。”滝谷”も私の手に余ります…。

■ ヒヨドリ君たち喧嘩

ヒヨドリたちが相変わらずベランダにおねだりに来ます。どうもヒヨドリ以外のお方の立ち寄りスポットにもなって
しまったみたいで、どれどれと思って、みかんをおいてあげたら、2羽のヒヨドリが来るのはいいのですが、そのうちの一羽が食い意地が張っていて、外に干していた大根の皮まで食べようとする… みかんもあらかた食べ終わったので皮をしまうと、何か誤解が起ったのか、2羽が空中戦で喧嘩してしまいました… それも人間様の至近距離で!

ああ~喧嘩するならもうあげない!

こういう光景をみると、人間の行いは、神の目には、野鳥たちの浅はかな行いと同じように見えているのではないか…とおもったりします…イブが食べたという知恵の実の、”知恵”とは、”自分を客観視できる”ということであるのかも…人は主観だけで生きている時のほうが絶対幸福度は高いと思います。動物を見ると単純でそう思います。時の観念もないほうが死を恐れず、今という瞬間に生きることができると思います。

客観性が人間の幸不幸のキーファクター? 自分を改めて見ると…しょげる…。

■ 勝手知ったる感

今日は甲府はウットオシイ雨・・・このところ気温が高く、お山の雪がどんどんと溶けてなくなっていくのではないかと不安です…。

私は毎年この時期は、八ヶ岳ですが、今行きたいルートは西面で、良く知っている東面より雪がなくなるのが早そうです…(汗)積雪量の違いですね。

山の満足感を語るにあたって、私たち夫婦は、厳冬期、毎週三ツ頭に通って、天気がどうだ、寒さがどうだとやっていたあの頃…あの頃はとっても幸せでした。山について意識が集中していました。関心の先が絞られていたのです。

今は、パートナー問題や山岳会問題、遭難についての考察、良きリーダーシップとは何か?という、山以外のことについて意識を広げなくてはならず、意識が100%山だけに傾けられない…山そのものについて観察眼を十分向けれていないような気がします…そこがプチ危機感。毎週山に接したいと言う感じです。

ちょっと一人で歩きに行かないといけないのかな。

山に対する強さ…というものを色々と考え合わせていると、一番の強さというのは、やはり頻繁に山に通って、その山の様子をつぶさによく知っている、ということが一番かなぁと思います。

そういう意味で、”勝手知ったる感”とでもいうのでしょうか?そういう感じが大事だと思いました。

山ヤは、クライミンググレードや山歴の長さだけでなく、どれだけの年間日数、山に接しているか?で、比較されるべきものなのかもしれません。

山ってやっぱり受け取るものがあるような気がします。

■ 『氷壁に生きる』

安川茂雄さんの『氷壁に生きる』を読んでいます。

これはすごい本です!

山初心者の頃、丸山までなら初心者コースと聞いて、西穂丸山(実際は独評手前まで)に行った時、松本深志高校の落雷事故について、学びました。

その時もなかなか資料がなくて、もどかしい思いがしました。この本にバッチリあります!

この本は遭難について扱った本です。

しかし、何でタイトルが『氷壁に生きる』なんだ??

昔は、山岳会は体育会系で、シゴキ事件などがあったそうです。時代を感じます。

今はシゴキの反対、つまり山を街化しすぎていることが逆に問題化している時代です。

富士山のベテランの遭難事件の話は、非常に怖い。突風に飛ばされた純然たる不可抗力の話のようですが、私も5月の富士山には行っていて、入道雲を見て、雹が降ってきたので大急ぎで、かけ降りたことがあります。

今年も同じ時期に富士山に行く予定ですし…富士山は毎年一回登って体力測定の山にする予定。

突風だけは予想できないし、富士山測候所では風速30mはそよ風らしい…。やはり登山はリスクに近づいて行く活動なので、怖いです。

昭和山岳会の南アの大量遭難の話も出ています。山の人の間では非常に有名な遭難なのだそうです。

ベルグのオーナーは昭和山岳会のご出身でしたっけ…

この本はとても良い本なのに、アマゾンにも県立図書館にも、市立図書館にもありません。

こういう本はぜひインターネットで無料でその内容を手に入れることができるようになってもらいたいものです。