Sunday, December 30, 2018

ロープをまたいではいけない

Weekend Whipper: Don't Step Behind the Rope! from Rock & Ice on Vimeo.

Friday, December 28, 2018

ある開拓者の述懐

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岩壁の中に一本のルートを刻み込む。

それはクライマーの夢であるとともに、クライマーとしてのセンスが問われる行為でもある。

私はルート開拓について、空白の部分をただ埋めるだけでは十分とは言えない気がする。

登るのならば、ルートのもつ必然性を感じさせるものであってほしい。岩壁に新しいラインを付け加えようとする場合、それは壁の核心部に引かれなければならない。

また理想とすれば、ボルトの連打を避け、少なくとも、フリークライムが大部分を占めるルートなのが望まれる。

私はフリー至上主義者ではないから、必要を感じたときにはボルト連打も辞さない。ただし、単調なアブミの架け替えが続くのみならば、現代のレベルに達したルートとの評価はできないだろう。
ーーーーーーーー 『屋久島の白い壁』より引用

センスや感性というものは、非常に共通の理解やスタンダード、つまり基準と言うものを設けることが難しく、しかし、それは依然としてあるものだ、と思う。

私自身がボディサイズの面から、その基準に合わない、という点はとても残念だが、それは特別に小柄という特殊事情によるだろう。

そういう例外はあるにせよ、ある種のライン、この程度というのがあるのは事実だと思う。

それを文字列に起こして表現するのは非常に難しいにせよ。

そのレベルに山ヤは達しているべきだと思うが、どうだろうか。


Wednesday, December 26, 2018

山の価値とは何だろうか?

やはり、色々なことを考えると、山の価値、というのは、その山での体験の質にあるのではないか?と思う。

どんなに美しい山であっても、無謀な計画の山では、ひどい山。大した山ではなくても、体験の質が高い山が価値がある。

では、体験の質を決める要素は何か?ということになるだろう。

柏瀬さんはインタレストグレードと言うことを考えたそうだ。

私は、体験の質は、山行の発端からスタートすると思う。良き山というのは、基本的に、相手への思いやりでスタートするものだという気がする。

逆に無謀な山の計画というのは、俺の実力を見せてやる、というような傲慢さからスタートしているように思う。あるいは、怠惰が付加されるときもある。

山への畏敬の念が足りない場合、ギア不足や技術不足で臨むことになり、良き山とならない可能性が濃厚だと思う。

結局のところ、山は山でしかなく、あまり意味は持たない。その不動の対象に、意味をもたらすのは、



ということは言えると思う。メスナーも映画『ナンガパルバット』でそう言っていた。その意味で、山がどういうものであったか?

意味の付与

は人が行うものであるから、その人にとってどういう意味がある山であるのか?ということが、やはり大事なことであるだろうと思う。

意味を紡いでいく

というのが、登山と言う活動の本質ではないのだろうか?

その”意味”の中身が、かつては、挑戦、という意味付けになることもあれば、無邪気な楽しさの追及、と言う人もいるだろうし、”興味関心の追及”と言う人もいるだろう。

かつては

・地図上の空白を埋める
・困難度を上げる

という2点にのみ意味が集約されていた。そのため、結局のところ、競争が起きることになった。国と国。会と会。競争は発展を産んだ。

しかし、価値が多様化すれば、競争は生まれない。競争が人間を発展に駆り立てるとすれば、発展がないことは、競争の不在を示し、競争の不在は、価値の多様化を示す。

結局のところ、我々は良い時代にいるのではないだろうか?

競争は人間にとって甘美なゲームだ。しかし、競争がなくても、足るを知る、ことで、人間は幸福な山を続けていけるのではないだろうか?

そのカギは、観察、オブザベーション、にあるのではないだろうか?

 

世界一貧しい大統領の言葉 2016 APR

Tuesday, December 25, 2018

通称パンツ


■ 通称パンツ

これは、カラビナとドッグボーンをつなぐときに、固定するパーツ。通称、パンツです。

PASは、安全環付きカラビナと接続するときに、これがないと使いづらいのです。

このパーツを買うだけに、山道具屋さんに行くわけにもいかないし… これで一個130円くらいだったと思います。これが1個とかでは、ネット通販は買いにくい。

私がお店の人だったら、PASと安環ビナはセット販売にして、このパンツはサービスでつける、という販売方法を取るでしょう…。どうせ必要ってわかっているんだから。

(山道具、売れない売れないって嘆きはよく聞きますけど、販売努力しているかっていうと、まだ努力の余地はいっぱいあるような?)

このパンツ、自分のを先日、後輩にあげました… ちゃんとアドバイス通り、PASを買って来てくれたから…。

私も、初心者の時、先輩にカラビナがぶらぶらしないように止めておいた方がいいってアドバイスをもらって、このパンツを探すのにだいぶ苦労したんですよね…

その先輩のPASは一つ型が古くて、最後のスリングがすこし輪が長く、タイオフが可能で、ちょっと羨ましかったんでした…。

最近は、ダイナミックロープでのランヤード(セルフビレイのスリングの正式名称)も出ているようです。

後輩へつなぐ愛のシンボル… が、このパンツ。

いくつのマルチといくつの懸垂で、この小さなギアが活躍していくのでしょうか…

Monday, December 24, 2018

あなたの登攀グレードは何ですか?という読者アンケート集計結果



2014年12月あたりに購読していた、Climbing誌より。
この号は、他にも面白い特集が一杯。

あなたの登攀グレードは何ですか?という読者アンケート集計結果。

5.6以下 4%
5.7    4%
5.8    9%
5.9    15%
5.10   28%
5.11   25%
5.12   12%
5.13    3%

とか・・・ へぇ~なアンケート結果が載っています☆

Sunday, December 23, 2018

山で派手な色が必要な理由

山のジャケットは派手なカラーですが、それは理由があります。

遭難した時、捜索で最初に探すのが、ジャケットやザックのカラー
だからです。なので、秋なら、黒や赤、黄色を避け、冬なら白黒以外、春なら何色でもOK、夏はグリーン以外みたいな選択肢になります。

テントが黄色=冬山で目立つから。

都会の登山者は、黒装束の方が多いです。気持ちは分かる。私もOL時代は黒ばかり着ていました。とにかく色合わせが面倒がないのがいいと思っていました。

でも、山では黒は、クマと間違われて撃たれたり、蜂が寄って来たり、と有用な色とは言えない。

Friday, December 14, 2018

体重60kg高さ3mからのグランドフォールで9kN

■ 意外に良かったナッツの強度

私が持っているメトリウスのウルトラライトアシメトリックカーブナッツの強度は

 No1~No5  =7kN
 No6~No10 =10kN

でした。
https://www.metoliusclimbing.com/curve_nut.html?fbclid=IwAR2dyVfDOfyAlVrrUHJ9038yiEcMllvt_gsV_nxXtx13iA8QLV-LKf0QosU

■ カムの強度

多くの人が持っているキャメロットC4は、強度は、サイズ別です。一般的に使うサイズでは、おおよそ10kN以上ありそうと覚えておけば、用は満たしそうです。

0.3=8kN
0.4=10kN
0.5=12kN
0.75=14kN
1=14kN
2=14kN
3=14kN
4=14kN
5=14kN
6=14kN



■ ボルトの強度は?

見た目より全然ダメ。過剰な信頼はしないほうがいいですね。とくにカットアンカー

ケミカル=13.8kN 8.6kN
グージョン=11.9kN 10.8kN
カットアンカー= 5.1kN 3.9kN  
コーン打ち込み= 6.1kN 6.3kN
オールアンカー= 3.2kN 7.6kN
(赤字:9kNない)

ただし、破断するまでには2倍くらいまで耐えれる。試したくないものです。
ロクスノ079号より引用

■ 一般的に人が落ちるときの衝撃荷重は?

体重60kg高さ3mからのグランドフォールで9kN

文登研の確保理論には、グランドフォールした時に体が受ける衝撃を計算した事例が載っています。

誰でも知っている事例として、12kNが人体が耐えられる衝撃の限界…。

ナッツが耐えられる衝撃は、7or10kN。ただ、ナッツが外れたとしても、そこで衝撃は多少吸収緩和されていると思います。

60Kg3mで9kN…という数字は、3m以上のロングフォールは基本的にランナウトであることを思うと、それ以上の衝撃荷重はなさそうですから、覚えておけば、色々と推測の根拠として使える数値のように思います。

■ 支点にかかる衝撃荷重は?

ペツルがクライマーが最も遭遇しやすい状況を設定して、参考値を出してくれています。

https://www.alteria.co.jp/sport/forces-real-fall/?fbclid=IwAR16R8_PXVaWv6Ip76wajLG2ZN1itdGj-lsOt5f6uBif_fB1zNintOAVRU4

落下率0.3(人工壁) 4kN
落下率0.67(マルチの出だし) 5kn
落下率1(マルチの出だし) 6kN

落下率0.3であっても、4kNかぁ…落下率0.3というのは1m置きにドローが設置されている人工壁以外ないですね~

一般的なフリーで、あまり激落ちしないタイプの人にありそうな路線は落下率0.67ですが、それすら5kN

落下率1の場合だと、6kNと支点に全然易しくないです…ナッツ、ハーケンでは落ちれないと、ペツルでも言っている。

■ 結論

というので、フリーで確実に登れる、というのは、本当に大事なことです。

それ以前に、プロテクションが確実になるように、エイドで覚えたほうがいいと思いますが、それは落ちたときの保険を確実にするため.

ですが、たとえ、保険が確実になっても、危険は危険で、依然として落ちないほうが良い、ことには変わりないようです。

確実な支点セット技術を身に着け、フリーで落ちないグレードを高める。これしかないですね。

静荷重の登りと動荷重の登りは全く違うものだということです。

Monday, December 10, 2018

ゲームス・クライマーズ・プレイ


http://web.mit.edu/lin/Public/climbing/Games_Climbers_Play.txt より引用

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Games Climbers Play
Lito Tejada-Flores


Reality is the apparent absence of contradiction
Louis Arragon, Le Paysan de Paris

I

What I should like to propose in this article is not a new answer to the basically 
unanswerable question, 'what is climbing?', but rather a new way of talking and 
thinking about it. Climbing is not a homogeneous sport but rather a collection of 
differing (though) related activities, each with its own adepts, distinctive 
terrain, problems and satisfactions, and perhaps most important, its own rules. 
Therefore, I propose to consider climbing in general as a hierarchy of climbing-
games, each defined by a set of rules and an appropriate field of play.

The word game seems to imply a sort of artificiality which is foreign to what we 
actually feel on a climb. The attraction of the great walls, above all, is surely 
that when one is climbing them he is playing 'for keeps'. Unlike the player in a 
bridge game, the climber cannot simply lay down his cards and go home. But this 
does not mean that climbing is any less a game. Although the player's actions have 
real and lasting consequences, the decision to start playing is just as gratuitous 
and unnecessary as the decision to start a game of chess. In fact, it is precisely 
because there is no necessity to climb that we can describe climbing as a game 
activity.

The obstacles one must surmount to gain the summit of Indian Rock in Berkeley or 
the  Hand at Pinnacles National Monument are scarcely of the same oder as those 
defending the West Face of Sentinel Rock in Yosemite or the North Face of the 
Eiger. And the personal satisfaction of the climber upon having solved each of 
these problems could hardly  be the same. As a result, a handicap system has 
evolved to equalize the inherent challenge and maintain the climber's feeling of 
achievement at a high level in each of these different situations. This handicap   
system is expressed through the rules of the various climbing-games.

It is important to realize at the outset that these rules are negatively expressed 
although their aim is positive,. They are nothing more than a series of "don'ts': 
don't use fixed ropes, belays, pitons, a series of camps, etc. The purpose of 
these negative rules is essentially protective or conservative. That is, they are 
designed to conserve the climber's feeling of personal (moral) accomplishment 
against the meaninglessness of a success which represents merely technological 
victory.

Let us take as a concrete example the most complex game in the climbing hierarchy 
- bouldering. It is complex by definition since it has more rules than any other  
climbing game, rules which prohibit nearly everything - ropes, pitons and 
belayers. All that is left is the individual standing in front of a rock problem. 
(It should be noted that the upper belay belongs to practice climbing, that is, 
training for any of the climbing-games). But why so many restrictions? Only 
because boulders are too accessible; they don't defend themselves well enough. For 
example, it would be an absurdity to use a ladder to reach the top of a boulder in 
Fontainbleau, but to use the same ladder to bridge a crevasse in the Khumbu 
Icefall would be reasonable since Everest defends itself so well that one  ladder 
no longer tips the scales toward certain success. Thus the basic principle of a 
handicap is applied to maintain a degree  of uncertainty as to the eventual 
outcome, and from this very uncertainty stems the adventure and personal 
satisfaction of climbing.

More generally, I discern a complete spectrum of climbing-games, ranked according 
to the complexity (or number) of their rules. The higher one goes on the scale, 
the more inaccessible and formidable become the climber's goals, and, in 
consequence, he need apply fewer restrictions to conserve the full measure of 
challenge and satisfaction inherent in the climbing-game he is playing. At the top 
of the hierarchy we find the expedition-game, which, although complicated to 
organize and play, is formalistically speaking, the simplest game of all, since 
virtually nothing is forbidden to the climber. The recent use of airplanes and 
helicopters exemplifies the total lack of rules in the pure expedition-game.

While variant games have arisen in isolated and special circumstances in different 
countries, one can distinguish the following seven basic climbing games.

1. The Bouldering Game

We have already discussed bouldering, but one should note that the basic 
bouldering rules eliminate not only protection but also companions. The boulderer 
is essentially a solo climber. In fact, when we see solo climbing at any level of 
difficulty it represents the application of bouldering rules to some other 
climbing-game. Aside from that, this game is found in every country where climbing 
exists, although the number of climbers who specialize in it is relatively small. 

2. The Crag Climbing Game

Crag climbing as a pure game form has doubtless reached its highest form of 
expression in the British Isles. It is practiced on cliffs of limited size - 
routes averaging one to three pitches in length. Because of their limited size and 
the large amount of time at the climber's disposal, such routes are not imposing 
enough to be approached with the full arsenal of the climber's tools (though they 
may contain moves as hard as those of any climb). FUndamentally the game consists 
in climbing them free with the use of extremely well-defined and limited 
protection. The use of pitons is avoided or, in special cases, standardized at an 
absolute minimum. Pure crag climbing is scarcely practiced as a game in this 
country except in areas such as Pinnacles National Monument, where the rock is 
virtually unpitonable. There are, however, a number of areas in the States, such 
as the Shawangunks, where the crag climbing game could be played with more rigor. 

3. The Continuous Rock-Climbing Game

This is the game that most California climbers know best. It differs from the crag 
game in allowing the full range of rock climbing equipment to be used at the 
discretion of the climber as well as allowing the use of direct aid. Fundamentally 
this game should be played on longer, multi-pitch climbs whose length puts a kind 
of time limit to the mechanical means that a climber can employ and still reach 
the top. Shorter climbs should still be approached as more complex games with 
stricter rules.

4. The Big Wall Game

This game is practiced not only on the bigger Yosemite walls but in the Dolomites 
and elsewhere. It is characterized by the prolonged periods of time spent on the 
walls and by the fact that each member of the party does not have to climb every 
lead (e.g., different climbers may prusik with loads on different days but are 
still considered to have done the entire climb). The full technical and logistic 
equipment range is allowed. In the modern big wall game fixed ropes to the ground 
and multiple attempts to prepare the route are non longer allowed (see par II), 
and a rigorous distinction is still made between free and artificial moves and 
pitches.

5. The Alpine Climbing Game

In alpine climbing the player encounters for the first time the full range of 
hostile forces present in the mountain environment. In addition to problems of 
length and logistics he meets increased objective dangers in the form of falling 
rock, bad weather and extreme cold, and bad conditions such as verglas. All this 
leads to a further realization of formal rules since success in the game may often 
include merely surviving. In alpine climbing the use of pitons is avoided wherever 
possible because of time loss in situations where speed means safety, but where 
pitons are used there is a tendency to use them as holds also. Thus the rules of 
this game do not require one to push all leads free. The restrictions upon the 
player are more determined by the nature of the mountain and the route than by a 
set of rules which he accepts in advance.

6. The Super-Alpine Game

This is the newest climbing-game to appear and is not yet completely understood. 
It rejects expedition techniques on terrain which would traditionally have been 
suitable for it. Its only restrictive rule is that the party must be self-
contained.  Any umbilical-like connection in the form of a series of camps, fixed 
ropes, etc., to a secure base is no longer permitted. This rule provides a measure 
of commitment that automatically increases the uncertainty of success, making 
victory that much more meaningful. Often the major alpine routes under extreme 
winter conditions provide suitable terrain for super-alpine climbs.  Some of the 
early, classic super-alpine routes were the South Face of Aconcagua, the ascent of 
Cerro Torre by Egger and Maestri, and the first winter ascent of the Eiger North 
Wall.

7. The Expedition Game

I have already mentioned the lack of rules in this game, but I wish to point out 
that there are still differences of personal involvement on the part of the 
players from expedition to expedition. For example, members of the German Broad 
Peak expedition who packed all their own loads up the mountain were, in a sense, 
playing a more difficult game than the usual Himalayan expedition that moves up 
the mountain on the backs of its Sherpas.

It should be noted that the above ordering of climbing-games is not an attempt to 
say that some games are better, harder, or more worthwhile in themselves than 
others. One remembers that the very purpose of the game structure is to equalize 
such value connotations from game to game so that the climber who plays any of 
these games by its proper set of rules should have a least a similar feeling of 
personal accomplishment. Of course, each type of game will still have its own 
proponents, its own classics, heroes, and myths.

The real purpose of ranking climbing games into such a hierarchy, however, it not 
to make judgments about a game or its players, but rather to have a useful scale 
against which to discuss climbing ethics, since unethical behavior involves a 
disregard of certain rules.

II

Within our new framework we can now clear up certain misconceptions about climbing 
ethics. Ethical climbing merely means respecting the set of rules of the climbing-
game that one is playing. Conversely, unethical climbing occurs when a climber 
attempts to use a set of rules appropriate to a game higher up on the scale than 
the one he is actually playing (i.e. a less restrictive set of rules). Applying 
this idea to the bolt controversy that has animated ethical discussions among 
climbers for the last several years, we can see that there is nothing unethical 
about bolts per se; it is merely that their use is prohibited by the rules of 
certain climbing-games and not by others. In certain games the question becomes 
meaningless for, as Bonatti points out, on a major mixed face no amount of bolts 
can guarantee success, whereas an excessive number will insure defeat through lack 
of time.

I have assumed so far that the rules for various climbing-games were fixed. Of 
course, this is not the case, as both the games and their rules are undergoing a 
constant, if slow, evolution. The central problem of climbing ethics is really the 
question: who makes the rules for these games? and secondarily: how do they change 
with time?

On reflection, it seems to me that the rules of various climbing-games are 
determined by the climbing community at large, but less so by climbers approaching 
the two extremes of ability. One of these elements is composed of those 
fainthearted types who desire to overcome every new difficulty with some kind of 
technological means rather than at the expense of personal effort under pressure. 
The other group  is the small nucleus of elite climbers whose basic concern is not 
with merely ethical climbing but with minimizing the role of technology and 
increasing that of individual  effort in order to do climbs with better style. But 
before talking about style and the role of the elite climber in climbing 
evolution, I want to expand my idea that the majority of climbers are responsible 
for deciding the rules of a given climbing-game.

No matter what their origin a set of rules must be consecrated by usage and 
general acceptance. Thus, the way good climbers have always done a climb becomes 
the traditional way of doing it; the rules become classic and constitute an 
ethical minimum for the climb, defining at the same time the climbing-game to 
which it belongs. But what of new climbs? At any moment there are relatively few 
members of the climbing community capable of doing significant first ascents; 
these will be members of the creative elite we have already mentioned. The 
question arises: should the style they use on a first ascent determine the rules 
for succeeding ascents? I think not (although their approaches and attitudes will 
of course serve as guidelines for following parties). Examples of cases where the 
first ascent has not set the pattern for succeeding ascents are almost too 
numerous to list. Just because Jeff Foott made the first ascent of Patio Pinnacle 
solo or because Bonatti soloed the South-West Pillar of the Drus, following 
climbers have felt under no obligation to stick to the difficult rules of the 
first ascent; or just because the first ascent of the Eiger North Wall was made in 
a storm, no one has seriously suggested that later parties wait for bad weather to 
go up the face. A kind of group prudence is at work here, rejecting individual 
solutions whose extremism puts them beyond the reach of the majority of competent 
climbers climbing at any given period.

What then, is the role of the small minority of extremist climbers in the 
evolution of climbing-games? To understand it we must first develop the idea of 
climbing style. Style may be defined as the conscious choice of a set of rules for 
a given climbing-game. Thus, if a climber follows the accepted rules for a given 
game he is climbing both in classical style and ethically. Bad style and unethical 
climbing are synonymous and represent the choice of rules from a simpler (higher) 
game, such as alpine climbing with expedition style. On the other hand, a climber 
can choose to climb with better style lower down in the hierarchy than that which 
he is playing. A fitting example  would be the way John Gill has applied 
bouldering rules to certain crag climbing problems, doing extremely hard, 
unprotected moves high off the ground.

In this way the creative nucleus of elite climbers can express itself by climbing 
with better style than the average climber (like aristocrats playing a more 
demanding game than the democratic majority), which certainly provides enough room 
for personal expression, yet seems to avoid the traditional aristocratic role of 
leadership and direction. In fact, these climbers lead the majority only 
indirectly - their responsibility is not to determine and set ethical standards 
(rules) for the majority but rather to demonstrate the superior style. Thus, they 
stake out the possible directions for the evolution of climbing-games. And this, 
aside from suffering the wiles of equipment-mongers, is the only way that such 
changes can come about. 

Let me give a concrete example. The most evident is the way in which the rules of 
the big-wall game have evolved in Yosemite Valley under the influence of the best 
climbers of the day whose primary concern was to do their own climbs in the best 
style possible rather than to impose an arbitrary set of rules on all climbers. 
After the feasibility of doing the bigger Grade VI walls without siege tactics had 
been consistently demonstrated, climbers were impressed enough to accept this 
approach as a basic rule to such an extent that today even strangers to the 
Yosemite climbing community (such as the two Frenchmen who did the Nose of El 
Capitan in the spring of 1966) follow it as a matter of course.

In a less dramatic way the rules of all climbing-games are changing constantly, 
becoming ever more restrictive in order to preserve the fundamental challenge that 
the climber is seeking from the inroads of a fast changing technology. The present 
laissez-faire of the uppermost games is disappearing slowly as the complexity of 
rules shifts up the spectrum. The eventual victim, of course, will be the 
expedition game which will disappear completely as super-alpine climbing takes its 
place. This is not only the newest but, in a sense, the most creative climbing-
game, since here the nature of the obstacles encountered is so severe that it will 
be a long, long time before technological advances even begin to encroach upon the 
climber's personal satisfaction. The possibilities, on the other hand, are 
immense. One can even visualize the day when, with ultra-modern bivouac gear, a 
climbing party of two sets off to do an 8000m peak just as today one sets off to 
do a hard route on the Grand Teton or on Mont Blanc.

Here, I think, this article should end. Not because speculations about the future 
of climbing are either futile or uninteresting, but because we have already 
wandered far enough from our original subject. That climbing will continue to 
evolve is a certainty, although it is far less certain that the idea of climbing-
games is the best basis for looking at this evolution. But surely this, or any, 
new framework for thinking and talking about what we are actually doing when we 
climb is at least a valid step toward the future.

Ascent 1967

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Friday, November 23, 2018

ロープのすっぽ抜け事故

■ 習慣づけ=思考停止

ロープの末端を結ぶ(すっぽ抜け防止)という、原則を守っていないのがいけない、と結論することは簡単ですが…。

その思想には、なんだか、手抜き(=思考停止)を感じます(笑)。

大体、日本の岩場は距離が短く、結ばないで問題がないことが9割だからです。1割のために、習慣化=自動思考するのは… というのが、多くの人が現状落ち着いていることでは?

すっぽ抜け事故には、日本独特の文化的デメリットがあるように思います。

1)トポの不備
一般に、日本のトポには、その岩場で必要になるロープ長が書いてありません。海外のトポには書いてあります。したがって、

”外岩に行く際に、ロープ長を気にする”

という基本の基本ができていないのは、トポによって習慣づけられていないため、ということにも、原因があるように思います。

2)リーダーに金魚の糞
日本での外岩は、知っているリーダーについていくという”金魚の糞”形式をとることが多く、その上、リーダーが質問を嫌う文化的な背景があるため、質問しづらい。そのため、結果的に、相手が強いリーダーであればあるほど、すべて丸投げという外岩経験しか積めない、という結果に陥ることが多くなります。例えば、外岩歴5年なのにロープを持っていない人なども起こりえます。

3)事故情報が共有されない
リーダーの下では守られているため、事故を知ることがないです。事故を見かけることもない。

4)変なボルトを自分で見極める手間も必要ない
ボルトの種類は、ピンキリで、その質を見極めるニーズも生まれないということになり、たぶん大丈夫、というのは、誰かほかの人が行った判断をなぞることになります。

結果、海外ではクライミング1か月の人ですら知っているような、稚拙なすっぽ抜け事故がクライミング歴5年の人に起こりえます。

すると、いつも言われるのは、ロープの末端を結ぶ習慣をつけましょう、です。

これは前述のように、そもそも9割必要ない習慣なので、実際、分かっていてもやっていない人は非常に多い…すると、「分かっているけど現実はね」みたいな建て前vs本音論に落とし込まれてしまうことが多々ありますが、そうではなくて、本当に、9割がた必要がない習慣づけなのです。残りの1割のために、9割無駄なことをする、という方法で、事故を防止することも、もちろんできますが、なんとなく、やる気になれない人も多いハズ。なにしろ、ほぼほぼ問題ない訳ですから。

じゃ、肝心の1割をどうやって無くしていくか? ってことが大事になります。

■ 当然のことを当たり前にしていく

そもそも、ロープ長に思いが至らないのは…なぜか?ということがむしろ意味があることかも?

1)岩場に行く前に、登りたいルートの、ルート長さを考える
2)自分で登るルートは、自分のロープで登る

ロープを購入すれば、自分が登りたいルートに必要な長さを買うだろうと思います。

日本では自己責任とか言いながら、どうも責任の所在があいまいです。そもそも、ロープを持っていない人を外岩に連れていくのは感心しない習慣です。

でも、なぜか持っていないでもいいことになっているような?

■ 登ってしまったあとで、足りないかも?と気がついた場合

さて、登ってしまったあとで、ロープ長がギリギリだった場合、どうするか?ということを考えておくことが大事です。

どうしていいか分からなくなると、クライマーはすっぽ抜けで落ちるしかありません。

1)ビレイヤーが上がる
2)クライマーがどこかの支点にセルフを取り、ロープを引き抜いて懸垂で降りる

一番簡単なのは1)です。ビレイヤーが上がれば、良いだけです。日本の岩場は傾斜地にあることが多いので、ビレイヤーが、地面であっても上に上がれば、クライマーはその分のロープ長で安全に降りることができることが多いです。

■ ロープは60mを買う

あと、私のお勧めは、60mのロープを買うことです。

私は、60か50かの選択肢があったとき、50を勧められましたが、私は後輩には60を勧めます。

なぜなら、ロープは傷んだ端を切って使うことが多く、50m→45mとなったときに、あ、そういえば切ったんだった!というすっぽ抜け事故に発生することが多いからです。”前にこのロープでこのルート登ったよね”という思い込みが起こす事故です。

日本では50mで登れないルートはほとんどないから、というのが、50を勧められた理由でしたが、クラックやっていると、なんと”斜めの課題”があるのです!長方形の腸右辺よりも、斜めのラインのほうが長いことは数学で習いましたよね。

ので、まっすぐ上に登るばかりでないクライミング。60mあるほうが何かといいです。

ただし、10m分は重くなりますので、その分体力つけましょう。

Thursday, November 15, 2018

進まない整備

■新しい仕組み

日本のアクセスファンドの仕組みでは、岩場は整備が進まず、うまく行っているとは言えないようだ。

台湾の岩場では、AAAサーティフィケイトのクライミングインストラクターが整備や見回り、リボルトも含めやっており、ビールを飲めばリボルト基金になる、コーヒーを飲めばリボルト基金になる、ということで、とてもうまく行っている仕組みと思われた。ささやかなお金だから進んで出すし、端数が出た小銭も重いの嫌だから入れちゃう。イラナイモノを出すのだから、あまり負担にもならない。

ラオスでは、ゲストハウスを運営してその営利資金から岩場の整備費用が出たということだろう。地域の観光資源にもなっており、地域にお金を落としているので、地域貢献企業ともいえる。たくさんの外国人を集めている。台湾と同じことで、旅行中でイラナイモノはみんなが置いていくので、置いて行ってもらったもので、ほかの訪問者が成り立つという仕組みらしい。2度目に行ったら、余暇に読む本が増えていたり、ゲームが置いてあったりした。ヨガマット、私のは置いてきた。

ので、日本の岩場でも新しい仕組みを考えたほうがいいのではないだろうか?

庵はたぶん、ある意味日本の先行事例だろうと思う。

トップロープからリードへの移行

■TR->リード

”トップロープで登れたから登れるはず”というのは違うかもしれない。

トップロープで登れたら、ハイ次はリード、

とすると、リードに必要な”余力”が備わっていないかもしれない。

例えば、私が初めてリードした西湖の岩場のような”ハーケンでランニングを取っている5.8”を5.8がギリギリグレードの人に勧められるか?というと、勧められない。

少なくとも、私は後輩に勧めはしないだろう。落ちた場合に、ハーケンでは…(汗)。

足で登れる垂壁に、まだ手で登っている人でも、完登できるからリードでどうぞ、と言えるか?と言うと、中間支点が、その人にとって遠くない課題を選ぶべきだと思う。

というのは、私自身がそのような状態の時に、リードを強要されて、たぐり落ちしたことがあるから。たぐり落ちはもっとも危険。人工壁ですら危険だ。しかし、やってはいけないと分かっていても、クリッピングが遠ければ、バランスが悪化し、そうなってしまう。

またクリッピング体制を作る練習も必要で、トップロープであっても、リードを意識した登りをしていない状態から、いきなりリードへ進むのはいかがなものか?と思う。

リードを意識した登りを身に着けるのには、疑似リードが最適で、疑似リードをすっ飛ばしてリードしても、リードとトップロープがどう違うのか…
・ボルトを目指して登りルートから離れないという点や、
・クリップ体制を作ってからクリップすること、
・スタティックな動き
などの意識づけができないのではないか?と思う。

■ 万年セカンド

私の最初の師匠の鈴木さんは、どんなに易しくてもリードすることが大事、という価値観の人で、それは、万年セカンドを自分の会で作ってしまった反省から出た信念だったと思う。

いかに万年セカンドを作らないか?というのは難しい。

が、早すぎるリードで怖がらせることがマイナスに働くことは確実だ。

私も新人さんに、楽しくリードする経験を積んで、クライミングの楽しみを発見して欲しい。

そこへの移行は…? 言葉で言って聞かせるべきだろうと思う。

■ 事例

事例として自分を考えてみる。

私がリードへ進むのに、背中を押す後押しが必要だったこともあった…例えば三つ峠の一般ルートの隣あたりのやつ…登れないと思っていたら、登れた。岩田さんと登っていたころだ。初めてのクラックオンサイト。アイス5級のリード。

それらを勧めてくれた人の脳裏には、おそらく、私が思考しているようなことがあったはずで、私のリードを成功へ導くために、色々な計算があったはずだ。

それが非言語で言語化されていないのが、もっとも大きな弊害なのかもしれない。

それは、

1)そろそろリードできる能力が身についたという判断
2)適したルート
の2点に凝縮されるのだが、中身は

1)リードできる能力
・ムーブにゆとりがある
・たぐり落ちが発生しないゆとりがある
・足がきちんと使えている
・クリッピング動作が正しい
・バランスで登れている
・終了点でどうしたらよいか分からなくならない
・やってはならないことを分かっている(足をロープの下にいれると落ちたとき頭が下になるなど)
・1ピン目、2ピン目までは決して落ちてはいけないと分かっている
・トラバースでは降られる

2)適したルート
・支点が強固である
・支点がその人にとって遠くない
・終了点が強固である
・その人にとって難しすぎない
・フェイス、オーバーハング、スラブ、クラック、などのクライミングの要素的な部分で、その人の課題に適している(初心者はスラブから)

他にもあるかもしれない。

人工壁でのリードは、こうした要素一つ一つを、意識に落とし込むるためのものだ。人工壁では、トップロープができたら、すぐにリードに進んでよい。が、それは、こうした要素のうち、どれが意識づいていないか?を洗い出すためだ。そのために恐怖心が使える。

怖いということは何かが身についていないということだと思う。

■ 試行錯誤して学ぶ 

こうしたことを私は失敗を通じて学ぶ学び方をしていると思う…。

人工壁に通っていた時代には、だいぶ怖い目にあった。
二つの山岳会に入っていたが、人工壁時代を共にした会Aでは、危険な目に合わせて、それで辞めていく人はふるい落とす派、のようで、今考えても、よく初心者同士のあぶなっかしい落ちれないビレイで、バシバシ落ちていたよなーと思う。私はどっかぶり苦手で最初のころは最初のハングで頻繁に落ちていたからだ。ビレイしてくれていた人も初心者で、リードしたら終了点でどうしたらよいか分からなくなっていた。

一方の会Bは、暖かく見守る派で、私が絶対登れるからと自信満々の5.5ですら、先輩がちょんちょんとチョークをつけてくれた(笑)。信用されていない。この会では、私以外の新人は3年たっても5.10Aは難しいようだった。TRオンリーしかさせてくれない会だった。たぶん、怪我をさせたくないと思うとそうなるのだろう。つまり、先輩は誰も私のビレイヤーを買って出てはくれない。ので、こんなところに居たら一生リードできないと思って、やる気がある人は、ほかにビレイヤーを探し始めてしまう。結局、他会の人と組まざるを得なくなる。他会の人とは日常的にクライミングを共有できないので、結局、危険を排除しきれなくなる。

どっちも両極端で、危険を排除しきれていない。大事なことは、どちらにも陥らず、安定的な成長をすることだ。

(リードという行為に対して初心者時代)は、(ビレイスキルが確実な人…往々にして先輩)にビレイしてもらうべきだ。

ビレイが初心のビレイヤーと組むときは、ビレイがあやふやなので、クライマーは限界グレードには挑戦すべきではない。

それでもって、落ちても安心な高さに来たら落ちてみることも考えに入れる。落ちないクライマーとばかり登ると、ビレイヤーはキャッチ経験を積めないからだ。

■ 紙からSNSへ

以上のようなことは、私が思うには、昨今の人は、かみ砕いて教えないと、多分、分からないのではないか?と思う。

分からないヤツは来なくていい、という排他的な態度ではなくて、たぶん、どこかに書いたものがある、読みたい人は読めるというのが大事なのだろうと。

というのは、昔の人に話を聞くと、みんなたくさん山書や雑誌を読んでいたらしいからだ。読んで自然に理解したのだろう。

しかし、現代では、だれも紙の本を読まない。読むのは、SNSかブログ。情報の伝播の仕方が違ってきているのに、山の世界では、それに追いついていないだけなのかもしれない。

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頑強な男性でも1ピン目でたぐり落ちしている事例

Wednesday, November 14, 2018

摩耗したカラビナの事例


これだけすり減ったカラビナでロワーダウンするとロープが切断される危険性がある。
極力、使わないようにして下さい。

Tuesday, November 13, 2018

リードについて

■最初に習ったこと

1)リードしたくない人にリードさせてはいけない

2)リードクライマーは、悪いビレイでは登れなくなることがある


3)ビレイヤーは装備の一部

4)ビレイヤーのセルフビレイはパーティ全体の最後の砦

ビレイは重要です。ビレイ技術は、クライミング技術(ムーブや逆クリップしてはいけないなど)とは、別個の技術で、ほとんど語られていませんが、

今落ちたらどうなるか?

という想像力があれば誰でもすぐ分かる。(それが昨今、教育の質の低下で分からない人もいるようなので、かみ砕いた説明をした方が安全です)

アルパインでは落ちることは死を意味します。

ので、墜落を前提としてボルトが打たれているスポーツクライミングをしない限り、墜落を止める経験は積めないので、昔からやっているアルパインの人で年配のクライマーは落ちたクライマーを止めた経験がゼロの人もいます。そういう人のビレイは、かなり危ない。だらりん&後ろに後退しすぎています。

ので、リードするときは、相手(ビレイヤー)を見極めてリードしないといけません。

クライミンググレードが高いからといってビレイがいいかと言うと、そういう関係にはなく、ダラリンの人も多いです。握れば止まる、というのも嘘です。止まっても下のテラスに激突すれば、グランドと同じです。

自分の命を守るのは、落ちたらどうなるか?という想像力と、Trust But Checkの力。

Friday, November 9, 2018

自分が作った課題で人が死んだら?

自分が作った課題で人が死んだら?

どう思うのだろう?と、ふと思った。

初登者には、率直にすごいな!と敬意を感じる。が、基本的に山登りは楽しくてしているため、すごい!と言ったところで、それは自分が楽しくてやったまでのこと、でもあるだろう…。

ピオレドール賞を取るようなクライマーも、フリーソロのクライマーも、楽しいからやった、と皆、口をそろえている。

そこには他の人のため、という視点はない。利他や愛他の精神は存在しない。

別に悪いというのではない。

ただ自分が楽しいからやっているということなだけだということだ。

自分の作った課題で人が死ぬ、ということは、クライミングだから当然ありうる。それを考えない課題設定者はいないだろう。

さてさて…

1)ピンのランナウトは、再登者に舐められないため、だそうである。

2)グレードの辛さは、東京方面の再登者に舐められないため、だそうである。

よそから来た人が、その課題を登って

      「簡単だな」と思われるくやしさ vs 命の重み

では、 前者が勝ったということで、それは明らかにエゴイズムの勝利であるように思われる。

そのような愚かしさのために、例えばランナウトで死んだ人がいたとするなら…?

それこそ、犬死というものではないか? 他人の自己顕示欲のために死んだということなのだから…

先駆者や開拓者には栄誉が与えられよう…が、そこには義務も生じるはずである。

後に続く人の安全を守るという義務が。

日本では強者の権利ばかりが主張され、義務のほうが守られていないように思う。

権利があるところ、責務もある。責務を果たしていないで、権利ばかりを主張するのは、いかがなものだろうか?

Tuesday, November 6, 2018

クライミングにおけるリスクの段階的理解

■ クライミングにおけるリスクの段階的理解

1)初心者のころ

トップロープがリスクが最も少ないということも知らないので、単純に高いところに登るだけで怖い。本人は登っておらず、実はロープで引き上げられていることが多い。

2)脱・初心者のころ
クライミングのムーブが少し身について、アレ?登れるかも?な状態になる。

怖いビレイが何か?も知らず、トラバースが危険とか、リードがより危険とか、ハーケンはただの飾りで、当てにならない、とかも、知らないので、かなり危険なことを平気でしてしまう。この期間はかなり長い。

3)クライミングでやってはならない失敗を一通り経験すること

その無知のために、ロープに足を絡めてリードで落ちて頭が下になるとか、逆クリップで落ちてロープが抜けるとか、グランドスレスレで床から50cmで止まるとか、同レベルのクライマーの友人が落ちて死ぬとか、”事件”が次々と起こり、クライミングの危険が何か?について理解が深まる。と、ともに恐怖心が生まれる。

自分がいかに危険なことをしていたか?とビックリ仰天する。死んでいないことが奇跡だと理解する。

今まで平気でスイスイ登っていたところを慎重に登るようになる。

4)ビレイヤーを選ぶようになる

限界にチャレンジしたいと思い始めるが、ビレイヤーが問題で限界にチャレンジできなくなる。巷のほとんどのビレイヤーは、信頼に値しないことが見極められるようになる。自分が落ちないクライマーの人や落ちた人をキャッチした経験がないビレイヤーは、基本的に信頼できるビレイヤーではない。また前に引かれて自分が危険な目に合うなど、自分自身を守る必要も考えられるようになるため、自分自身が良きビレイヤーに成長する。ダラリンビレイとぱっつんビレイの使い分けができるなど。

5)お茶を濁しつつ登る時期

結局、ビレイヤーが問題すぎて限界にはチャレンジできないので、”ダメビレイヤーで安全パイを登る”ことになり、欲求不満で、楽しくないが、その分クライミングの安全マージンは増える。落ちれない。

・・・と私の場合は、まだクライミング歴5年目ですので、ここまでしかわかりません。

ひとえに私がまだ生きているのは、落ちないところしか登らないから、です。

■ 登攀力でクライマーを計ることについて

私は登攀力一気に上がった時がありましたが、それは分かりやすいように、クライミングジムのグレードで言うと、8-7級がムーブを使ってスイスイ登れるようになり、6-5級がちょうど良い難しさ、4級だと登れないのがほとんど、というような状況です。それで3年目くらいだった。(外岩は、5.9がオンサイトできたくらいでした。私はゼロ初心者当時の実力は、5.8RPです。これは大体の初心者と同じです)

男子は腕力があるので、ムーブなしで、初日に6-5級の課題は、ジム課題であれば登ってしまうと思います。なので、たぶん、素人でも、外岩5.9のオンサイトは、初心者レベルでも可能なのだと思います。

一方で、日本では、5.9と言っても、岩場によってその難しさが様々で、昨日のクライミングでは、5.9に5.12RPしている男子が、テンションしてしまいました…。岩場によっては、5.9って、2グレードくらい辛いみたいです…、つまり5.10bくらいはあるって意味です。 

したがって、登攀力が上がって、5.10bがRPできるくらいでも、ある岩場では、5.9がやっとこさ、という時代が長く続くということです。

日本では岩場間でのグレード競争が、グレーディングの統一性を失わせているので、その点で、グレードが命を守るための目安として機能しておらず、グレードで取りつくとえらい目に合います。ひどい目に合うだけならいいのですが、グランドして、大怪我したり、下手したら死につながります。

RPで登攀力が上がっても、なかなか、それを(オンサイトにトライしても良いグレード)にイコール関係で結びつけることが難しい。

例えば、5.12RPだったら、2グレードマイナスした5.11bだったらオンサイトトライできるのでは?とは言えない。

とくにランナウトという問題がある場合、それを難しくしています。

日本の外岩は、なかなか死のリスクを排除することが難しいです。

昨日も、私が目視で、「これなら登れそう!」と思った課題がありましたが、先輩が毒見してくれました…。

毒見した結果、ホールドが悪く、これが私が初見リードで取りつくと、かなりやばかっただろうという結論になりました。

なので、リードで取りつきたいと思って、本当にそうしていたら、今頃死んでいたかも?です。

適正なグレーディングをする、というプロジェクトが日本中に広まれば、話は違うかもしれませんが、日本の岩場は、そのような状況なので、岩場をよく知っている人に最初のうちはトップロープを張ってもらうということが必要になります。

トップロープで岩場の癖やグレード感覚を養ってから、あとでオンサイトする、ということですが…そうなると、あんまり冒険や未知の要素が楽しいというタイプの人には、トップロープを張ってくれる人がいないと、岩場が楽しめないみたいなことになって、その割に課題が難しくて、肉体疲労は激しい、ということになるかも???


Friday, November 2, 2018

アルパインクライミングがどれくらい難しいことか?

最近、私は初心者と登る機会が2度ありました。彼女は私が初心者で始めた年齢より、うんと若く24歳です。(私はクライミングを始めたのが42歳。登山38歳)初心者と登ると、同じグレードを登っても、内容に大きな差があることが分かります。

5.9を初オンサイトした時、先輩に「フリーはこれからだね」と言われましたが、それがスタートして2年後です。

彼女と同じスタートして3か月目にも、5.8をリードしていますが、かなり怖かったです。これがまずは私のスタート地点の能力として、私の成長スピードというのは、私をインスボンに連れて行ってくれた師匠がいうには、ごく標準です。遅くない。スタートで5.7が登れ、5.8はギリギリ、から、5.9をオンサイトするまでに2年。今は5.9は登れて当然でしょう、という感じですが、RPだと5.10c、TPでは11がラッキーで登れるくらいで4年もかかっています。私は元々文系型でアスリート型ではありません。現在は5年目。


私一人の成長事例では、標本数少なすぎますから、隣の事例と言うことで、もっと強い5.12を登る先輩だと、もともとアスリート型でクライミングに有利であっても、5.12をRPできるまで10年。スタートが高くても、結局、じんわりとしか成長できないのは一緒なのです。

例えば、11が含まれるマルチピッチのルートなど(例:白亜スラブ)は、12を登るくらいのゆとりを予め作って、登らないと、”安全”にならないです。それは、設置されている支点が当てにならないため、全力自分の力だけで(これをフリークライミングという)で登るためには、要するに支点がゼロで登るだけの技術が必要だからです。ということは、11が1ピッチでも含まれるルートを登れるためには10年が必要と言うことになります。

私の場合は今は、5.7だったら決して落ちないので、5.7が完全フリーで登れるのに4年かかっているという話です。

これは、支点やロープ技術、ルートファインディングの習得を別ばなしにしての話です。なぜなら山ヤはこれらができていて当然だから、初心者の時に猛特訓を受けることになっているからです。(が、これらの技術は、ほとんど、宝の持ち腐れ技術です。でも、出番がないほうが良い技術ですが…)

というので

私のような一般人で、4,5年努力しても登れる本チャンはささやかなルートですし、
ましてや、白亜スラブのようなルートが登れるには、10~12年程度の修行期間が必要なのです…

こんなに長い修行期間が必要なので、アルパインクライミングやマウンテニアリングを志向する人が減っても仕方ないかなと…。

なにしろ、楽しみが遠すぎます…

私は独学しましたが(馬目さんも独学だと言っていました)、独学は個人間で能力差が出ます。独学に慣れていない人は、何からスタートしていいかすら分からない。となると学習環境が、どうか?ということが、競技人口を左右すると思いますが、山岳会の衰退で学習環境は悪化の一途。ということは、人口は減る一途。

ということで、理解がだいぶ深まりました。

誰でも、命を落とすのは嫌なので、「支点が強固に整備されたルートを頑張ることにします」となると、スポーツクライミングもしくはフリークライミング、をすることになります。実際、この2分野では人口増えている。

・習得に長い時間がかかる割にご褒美が小さい
・危険
・危険を回避する方法がない
・教育機関がない

がマウンテニアリングを衰退させた原因となっています。

Wednesday, October 31, 2018

マウンテニアリング後進国

各国と言っても、ラオス、韓国、台湾しか知りませんが、ラオスでは主に欧米とヨーロッパの、台湾では主にアジアのクライマーと交流して分かったこと。

日本はクライミング後進国であり、技術的には、かなり情報弱者の立場にあり、そして、肝試しクライミングから、スポーツクライミング普及への過渡期にあるということです。

日本のクライマーが情報弱者の立場にいるのは、おそらく、世界の人と交流せず(交流が特権階級者だけが通訳つけてやる高額のコミュニケーション、特別なことになっているようです…世界では普通に若い人同士が、今日どう?みたいなノリで交流しているのに…。100年前のウエストン時代とスマホで登山くらいな格差感あり)、その理由は、単に恥ずかしがりだから、くらいな話っぽいです。

例えば、台湾の若い人は普通に英語通じるらしいですよ。

韓国で登った時は、日本人パーティで登ったため、全く外人フレンドできず。あ、できたか、ゲストハウスで会った、アイスのコンペクライマー!たまたま、泊まったゲストハウスが同じだったんだった。

海外で交流が発生しないのは、日本国内でも同じようなことが起きうると思いますが、自分のグループだけで固まるからです。たぶん。来ないでオーラ出しているのでは?グループの圧力を醸し出している韓国勢や日本勢は結構見た気がします。

フレンドリー路線の人は、日本の岩場でも感じが違いますが、海外では、そっちの人のほうが普通なので、そうでない内輪で固まる感じ(エクスクルーシブ型。古い山岳会に多く、自分のとこだけで登ります、お山の大将型リーダー引率、みたいな感じ)は、ちょっと違和感あります。例えば、岩場の場所取り合戦みたいなことも、日本の岩場では見ました。

マウンテニアリングは、日本では高齢化と人口減少で、過疎の村みたいな感じになってしまっている。特に登山が本格化した、マウンテニアリングの世界で、マウンテニアリング教育をする人、できる人、もしくは、本質を理解している人が極端に減ってしまっている。

クライミングは、マウンテニアリングから分化し、一般登山(ハイキングに劣化中)とマウンテニアリング(アルパインクライミング、雪、沢、岩、氷)に二極化し、その中でも岩だけがクライミングとして独立して、特殊分野になっているのですが、中でも、フリークライミングやスポーツクライミング、ボルダリングが、進化を遂げている最中なのに対し、マウンテニアリングは劣化の一途で、ボルトは朽ちるに任され、新ルート開拓などの光の部分は、失われて久しくなってしまっているようです。かろうじて、沢登りでは光がありますが、それも海外での遡行です。国内での遡行では登りつくされ感あり。

5.9しか登れない登攀スキルでも、新ルート開拓はできるそうですが、そうした行為に冒険的楽しみを見出すという価値観が喪失されて、だいぶたっているのではないでしょうか… 何十年レベルの。

という事情で、日本の登山者のスキルが貧弱化。スキルの貧弱化が、日本の山をまるで町中にいるような状況に変化させ、山に町を出現させ、山小屋が総旅館化しそうな勢いで、豪華化しています。

そこへ、大名登山を好む中高年がちょうどよく大量に定年退職期を迎え、お客として押し寄せて、山を町化する推進力となっているようです。

お客が増えることは喜ばしいことですし、登山者が増えることも喜ばしいことですが、このような状況が結果としては、山の知識&スキルが高い人口増(つまり登山大国化)へは、つながらず、単純に遭難者数増加につながっています。

自然を愛して、ありのままの自然をそのままに保護したいと思う人よりも、健脚自慢から派生した、とどめを知らない無謀登山自慢に流れて行ってしまっています。遭難経験ですら、武勇伝化してしまいます。

…という山の世界の概況観察結果でした。

Wednesday, October 10, 2018

トップロープで支点ビレイはないですよ~

トップロープで支点ビレイはないと、初期に教わりましたが…

日本ではベテランがやっていると、若い人はそれを指摘しては失礼にあたる文化が根強い。指摘=社会的自殺行為。

ということで、そうならないためには、こちらの資料のような良き資料が広まることを切に願います。

http://www.yamanakama-sirius.org/oyakudachi/gijutsutext/IwaSshokChuuyuu/IwaSshokyuuChuukyuuText.pdf

今まで一流の人とばかり登ってきたから、こんなビレイをする人がまだいるんだとびっくりしました。

ので、ゆとりがあるようにしか登りませんでした。

自分の身を守るのは知識と体力。

Wednesday, September 19, 2018

二つの山岳会 + 師匠

私は山は自分で独学できる範囲(単独で登れる範囲)は終わったと思って、さらなる高みへ、行きたいと思い、山岳会の門をたたきました。

ので、県内のすべての山岳会を調べ、そのうち可能性があると思った6件にメールを出して、そのうち4件から返事をもらい、活動がある1件に入会。その入会も、だいぶ躊躇しました。相手方の期待が何か?自分が何が貢献できるか?よく分からなかったので。あと一つは、ジムで意気投合したパートナーが入っていたので義理で所属(笑)。

今振り返ると二つ入って、よかったな!

ホームにしていた会は家庭的な会で、合宿がメインの会でした。合宿で見て先輩から盗む。先輩は後輩に責任を持つ。合宿では保守的なルート選択に先輩のセンスを感じました。

もう一つの会は日常の活動が平日は毎週人工壁で、週末はゲレンデもしくはバリエーションルートなどのクライミング系の山。

私は山岳総合センターのリーダー講習で一通りロープが出る山ってどういうことか?教わってから入会したので、エイトノット知りませーん、登山大系何のことですか?みたいな状態は脱してから、山岳会に行ったので、リードフォローを習得するのは、そう時間がかかりませんでした。

が、なぜ初級のバリエーションにすぐ行ってはいけないのか?などは、やっぱり少々分かりにくかったです。実力への査定が保守的であろう女性の私ですら、そうなのですから、男性だともっと、”えー俺だって〇〇行けるのに”と思ってしまうかも?

例えば、私より後にロープを習得した20代の男性がまだ守りの技も知らないのに、中山尾根に挑戦して落ちていました…あれは、他山の石だったなぁ… くわばら、くわばら。

でも、あんまり保守的過ぎても… 闘争心というか、強い気持ちは大事です。意欲的、ってことですね。大体そういう時は、全然大丈夫だったりします。初めてのジョウゴ沢、硫黄岳山頂までの滝、全部ノーザイルで超えたんですよね~ 師匠には怒られましたけど、簡単だったんですよね。

ロープが出る山を知ってからはロープが出ない山は、ほとんど行っておらず、行くとしても単独。これは厳冬期のテント泊も含めてです。海外のゲレンデ的なクライミングも。

これくらいは一人で行ってもいい、という判断も含め、山岳会で諸先輩を見て学習したような?

なので、色々な会に最初入ってみて、自分が一人でできる範囲を知るというのは良いことかなと思います。

一方の会はとても保守的で、読図すらできる人は稀、一方の会はザイルのトップをじゃんけんで奪い合うような会でした。両方知っていてよかったなって思います。その上にこっそり虎の巻?を教えてくれる師匠がいて本当に感謝しています。たぶん、一番世話になったのは師匠と思う…

今、山を始めてあんまり方向性がつかめない人はとりあえず、なんでもいいから、会に入ってみたらいいのではないか?と思います。

講習会に出ることを思えば、会費は月1000円くらいと安いですから…

Wednesday, September 12, 2018

Advanced Rappel Techniques



先進的な懸垂下降の技術

というタイトルに引かれて見た映像。AAAより。(全米アルコール中毒患者の会ではなく、アルパイン協会です 笑)

その名も、アルパイン爆弾、というラッペル時のロープの投げ方が勉強になった。

下降器をエクステンションしないでバックアップをレッグループに掛けるやり方は、”オールドスクール(=古臭いやり方)”と指摘されています。バックアップつきの懸垂のやり方は、山岳総合センターで教わったのと同じで、後輩にもこれで教えています。

2本(ダブルストランド)かけたつもりで、1本しか下降器にかかっていない(シングルストランド)なんていう初歩的なミスも多いみたいですね。

Monday, September 10, 2018

急いではならぬ&同調圧力

山やクライミングについて、仮にアドバイスができることがあるとすれば、日本人独特の同調圧力に屈してはいけないということ、急いではいけない、ということです。

それはつまるところ、自分の道を行きなさい、ということです。

例えばジムで5.11が登れるから、のノリで、ルートグレード3級の北岳バットレス四尾根に行くのは、三つ峠3Pで2時間半もかかっている初心者には無理だと、何度も相方に訴えましたが、相方の答えは、No。あれやこれやの提案で行きたがっていました…それはなんでか?と思うと、男性の見栄なのかしら?などと思っていましたが、そうではなくて、同調圧力だと思うのです。

山ヤの仲間に入りたい、尊敬を受けたいということですね。周囲から認められたいという気持ちを持つのは、人間の欲求のうち。でも、それが死の危険を高め、仲間を殺してしまう可能性があったら、その気持ちを押さえることを学ばないといけません。

アルパインの初期のころは、そういうパートナーがとても多く、師匠から、”止め”、が入ることがありました。沢などでもそうでした。自然の脅威に無知なために、自分だって行ける!と思う男性が、ただ単に多いみたいです。(余談ですが、女性は自分を過小評価する傾向みたいです)死者が出るような滝にロープ持ってこない人もいました。というかほとんどの(初心者の)人たちが、そういう人たちでした。

急いで成長してはならぬ、のは、各人にはそれぞれ成長のペースがあるからです。私はいつの間にか、一般の人と比べるとかなり筋肉質な体質に変わっていたようですが、クライミングを始めて初期のころは、普通の人並みだったと思います。縦走や雪はしていましたが、ロープが出る山になったら、体にかかる負荷がとっても高くなり、それはだいぶ違うなぁという具合でした。

ので、一般に、成長期の大学山岳部1年生の体力や素質に合わせて、初級アルパインステップアッププログラムというのは先達の山やの頭に入っていると思うので(例:雪の赤岳→中崎尾根→谷川東尾根→…みたいな)、同じのを体力レベルで劣る大人の入門者がやるには、もうワンステップくらい必要だと思うからです。

それに加え、菊池さんのいうところの、”クライミングのあれやこれや”が出そろうまでに大体4年程度は、頻繁にクライミングをしていてもかかるのではないか?と思います。あれやこれや、が分かっていないと、危険を回避することができないです。

■勝手に上がる

もちろん、クライミンググレード自体は毎週クライミングをしていれば勝手に上がっていくと思います。この勝手に上がっていく感が重要で、無理してあげない、グレードを追いかけない、というのが大事な気がします。

私はいままで学習でもあまり無理をしたことがなく、そろそろ英検1級とれるんじゃないかなと思って受けたら受かったとか、TOEICも何点か一応調べておこうかなと思って受けて925点でした。そういう風に成長するほうが、〇〇点をめざせ!というのより、実際地になり肉になっているのではないか?と思います。

学習と違いクライミングのほうは、色々と命にもかかわる問題が出てきます。それらをうまく避ける、ということのほうが、クライミング道に近い気がします。

Tuesday, September 4, 2018

オールラウンドで育ちなさい

オールラウンドで育ちなさい

というのは、二人の師匠が共通して言ったことでした。つまり、山という場所は、人を区別してくれないということです。岩場は苦手だと言っても、山をしていれば岩は出てきます。

山にはいろいろな要素があり、尾根は登っていれば、当然ながら森林限界を越え、岩という要素が出てくるし、冬になれば雪が降る。凍る。雪も、氷もしておかなくては、ということです。

尾根があれば、谷があるのが当然で、谷を知らないと、ということになれば、沢登り技術が必要。読図力がないと、日本では水場が得られないですし、開拓クライマーは地形図で毛虫を探して岩場を見つけているのではと思います。ボルダラーに徹しますと言っても、最適なボルダーって、ボルダーのもともとの意味が河原に落ちている巨岩って意味なので、沢登りの最中に見つかること多し。氷瀑も同じで沢登りは一種の偵察山行です。読図は、登山の基礎力。

読図に加え、フリークライミングは、登山の基礎力なので、避けて通ると、全人的な登山者としての成長を否定したことになってしまいます。

が、何も5.13まで登る必要はなく、一般的にはクラシックルートを制するには、全国的5級A1がフリーで越えれたらOKでしょう…(ただし、ワイド、スラブ、フェイス、クラックとすべてのタイプの登攀で)

その辺の兼ね合いが、どれくらいからロープを出すかという知識などと同じで、兼ね合いなので、推し量るのが難しいところ。その落としどころを知っているというのが、山やの完成のひとつかもしれません。

読図、フリークライミング基礎、に加え、ロープワークが完璧なら…これはビッグウォールをやると自然と身につくのですが…

一方で、登山史に名を遺すタイプの山をされる方は、

最低限5.12の登攀力&最低限40kgの歩荷力

を目指してください。それくらいは担げないと、フォローでもつらいそうなので。

Saturday, August 11, 2018

小川山で墜落事故

昨日ヘリが3往復しているのを見ました。父岩なら、初めての小川山での定番、小川山物語かなぁ。

一般的にフリークライミングの岩場では、中間支点もアンカーもしっかりしているので、ビレイがきちんとしていれば、フォールしてもキャッチしてもらえ、大怪我には、ならないはずです。

私は、登山から入ってクライミングしていますが、外岩にデビューする前に、ビレイ技術の習得が必要だと考え、そのためだけに人工壁に通いました。人工壁でのリード練習に通ってビレイを習得する時間は、週2で半年、週1で一年程度だと言われています。

それを設けず、山に行くのと同じ感覚でフリークライミングの岩場に出かけてしまう人が多いように感じています。

特に山から入った人は、ビレイなんて先輩は落ちないからロープを持っているだけでいい、と、ビレイ習得への意欲が低く、ビレイ=技術だと認識する以前に、五級AIで表現される山の岩場と同じ感覚で、デシマルグレードのフリークライミングへ進んでしまっている印象が強いです。

インドア壁にちゃんと通わないとビレイは習得できないのです。それはインドア壁での強固な支点がないと、気軽な墜落は許されないからです。

小川山へ行く人は、ビレイ習得ずみを第一条件にフリークライミングへ進んでほしいものです。

世間の傾向として、クライミング力への注力、賛辞は大きいですが、守りの技術であるビレイ習得に関する情報や強調がほとんどなく、事故が多いのは、そうした社会の在り方の反映でしかないと思います。

※後日、これは、すっぽ抜け事故ではないかと思われる情報がありました。

Monday, June 25, 2018

ルートは山からの賜りもの

心・技・体・知・経ということで、山ヤとしての完成度が高いのは、やはり40-50代ではないかと思う。

私はまだ5.11は到達していないし、アルパインのルートで、どこでもこなせる支点制作力が身についていないし、一日15ピッチはたぶんできるが、20ピッチは疲れそう。40P?無理、無理。

もちろん、山は楽しむものなので、楽しんでいたらいいのだが、楽しいということは、成長も、経済ペース。つまり、無理をしていない。ゆっくりということなので、例えば、60代で山を始めた人が、ロープが出る山で山ヤとしての完成をみることは、おそらくないだろう。技術がついて登れるようになる前に、肉体的に登れなくなっていく。

もちろん、ロープが出る山をしなくても、ただ単に、足腰を鍛える山歩きをしていれば、いいし、それはそれで、満たされた良き活動。

ただ、山の難易度で見たときに、上向きではないということだ。もちろん、上向きだけが良い価値観ではない。

ということを考えると、楽しく登って、経済ペースで成長し、そしてそれで、うまいこと体力の絶頂期に、山の技術、経験、知識、が身についている時期というものがある。

それに、行きたい!という心が加わる。結婚してしまうと闘争心はなくなるので、例えばアイスの6級なんて、挑みたい気持ちが無くなるだろう…登る前に子供の顔がよぎったりして。トップロープ?それでは、牙を抜かれたみたいな気がするだろう…

というわけで、大事なことは、タイミング。そして、そのタイミングが来たときに、掴むこと。

現代は山の世界は貧困化しているので、多くの場合、環境が揃わない。私は2年ほど前、ちょうど黄連谷が良い時期だったが、メンバー不足。錫杖も同じ。大山北壁も同じ。だから、山というのは、特にルートの場合は、天からの賜りもの。

ありがたく頂戴するのが大事だ。

Tuesday, June 19, 2018

やる気のある岳人vs面倒みられたい岳人

指導者クラスの人がいるとき、やる気のある岳人だったら、自分のパートナー候補者を連れて2個一で、指導者の前に立つ。

そうしないと、自立してルートに行けないからだ。

二人セットで連れて行ってもらったら、次は、自分たちだけで行って自家薬きょう中のものとする。そうしないと、いつまでたっても連れて行ってもらう、から、脱却できない。

一方、依存的な人は、一人で指導者につこうとする。のは、親の愛情独り占めと同じで、同レベルの相手を、競合相手と見なすから。面倒を見られたい、という思いが表れているわけだ。

私は、山岳会に入るとしたら、自分のパートナーを連れて入る、というのが正しい路線と思います。基本は自立した山を続けながら、自分の力が及ばない山の時に、助っ人で先輩に入ってもらう。

そんな山をするためにあるのが山岳会の役割と思います。

Wednesday, May 16, 2018

草原の減少=減ったノウサギ

http://fireside-essay.jp/miyazaki/nousagi/199.html

自然界の観察者としては、宮崎学さんが大変優れた観察をされています。1960年代、今から50年前は、ノウサギは、今の鹿くらいな勢いだったみたいです。今の植林は、樹齢50-60年が多いのと一致していますね。

2000年代、ノウサギは、山に入っていると冬に足跡を見るもの。

で、実際に兎に遭う、っていうことは、そんなにありません。

しかも、信越など寒いところの動物かなと思っていました。調べてみると、北海道を除く日本全体が生息域らしいですが、宮崎さんの観察では、草原の減少が生息数の減少原因のと考察されています。

ということは、草原が維持されている山域などは、まだ生息密度が濃いのかも?たしかに、私たちがノウサギを見たのも、飯山の方でした。

こちらに日本の草地面積の減少についての資料があります。
http://www.kyoto-seika.ac.jp/researchlab/wp/wp-content/uploads/kiyo/pdf-data/no30/ogura.pdf

日本の森林蓄積が過去最大というのは、結構、常識ですが、その反対には、人の手が入らなくなったことによる、草原の喪失があります。

森林蓄積量

余談ですが,クロボクと呼ばれる土壌の豊かな土地は、野焼きの結果みたいですね。



Tuesday, May 15, 2018

山をどう教えたらいいかわからないのでは?

■山をどう教えたらいいか分からない?

昨今の登山者レベルの低下とそれに伴う遭難者の増大は、”結果”ですので、原因が何かあるはずです。

山を教える人も教え方が分からないんじゃないか?と思うのですが…? 

というのは、昔の人の教え方って、教えるんではなく、盗め、ということで、非言語コミュニケーション主体だからです。

■ 事例

登山のガイドブックを買ってきたら、難易度1の山に行きます。大抵は3時間くらいの山です。3時間かかるときは、山頂に12時にいるとしたら、9時に登山口を出発しないといけないというのは、誰でも分かりますよね。下りも3時間と仮定すると(そうならないことが多いですが)、往復は6時間かかります。

もし、12時までにたどり着けそうにない時は、12時で辞めて下ります。また来ればいいのです。

同じのでもいいし、別のでもいいし、また同じようなサイズの山をすればいいだけです。

繰り返している間に体力もつくでしょう。12時山頂だと、夏だと暑くてやってられないから、6時に登山口に行って9時山頂ということなども思いつくでしょう…

登れたら、4時間の山に行けばいいわけです。

日帰りでは、基本的に×2になるため、一日に使える昼間の時間帯は限られており、日の出から日の入りまでの12時間程度しか使えないので、せいぜい片道6時間が限界となり、あまり大きな山に行けないので、もっと長い時間、山にいたいなぁと残念に思うようになり、そうなると、縦走がスタートします。

個人的な意見ですが、そうなる前に縦走しなくていいと思います。縦走だと、長い時間山にいることができて、大変、満足度が高くなります。

縦走が始まると、山で自分の快適性を上げるための工夫が始まると思います。ザックの詰め方や快適なウエアなども、ほかの人はどうしているのかなぁと調べたり、読んだりするうちに自分のスタイルが身に付きます。

快適に担げる荷の重さも人それぞれなので、自分のスタイルが明らかになるでしょう。重くても、お酒は絶対な人もいれば、フルーツは外せない、という人もいるはずです。

日本では、縦走は小屋をつなぐと大変お金がかかるので、自然とテント泊という流れになります。

テント泊縦走は重いので、軽さを求める人はツエルト泊になりますし、実際、ツエルトで事足りることがほとんどです。

そうした縦走を楽しんでいる間に勝手に体力はついていきます。

もう少し大きな山に行きたいと思ったら、その山に行くには、自分にはロープワークや読図の知識が欠けていることを自然の成り行きで自覚するようになると思います。その時が勉強のしどき、です。

そこで講習会などに参加します。機が熟してから、いく。

そうすると、学んだことがしっかり身に付きます。

そのころには雪山に行くための基礎知識も、すでについており、体力も十分でしょう…

ということになっていると思います。

大事なことは、急かされず、間のステップを端折らず、途中経過、プロセスを楽しんでゆっくり成長することです。

発酵でも急いで発酵させたお酒はおいしくないです。低温でゆっくり発酵させたお酒のほうがおいしい。

山やも同じことで、自分のパートナーに、と急こしらえの山ヤを作るようなことは、あまり感心しません。

登れても下れない、後ろをついて歩けても自力下山できない、という半人前山やが出来上がってしまいます。

なので、俺の背中を見て盗め、は、もう現代には無理なのです。

説明し、
やってみせ、
連れて行って、後ろを歩いてやらねば、人は育たない。

《岳沢小屋のブログ》
http://www.yarigatake.co.jp/dakesawa/blog/2018/05/post-1190.html

Monday, May 14, 2018

これから山をスタートする人へ2

■ これから山をスタートする人へ

急がず、目の前の課題を丁寧にこなしていく(例:山に慣れる、歩き方をマスターする、長い距離を歩けるようになる、ザックを少しづつ重くしていく、テント泊に慣れる…などなど)という方法論で、各自のペースで成長していくことをお勧めします。

最初から、山岳会へ入ったり、ガイド登山を行うことは、お勧めできません。せっかくの、味わい深い山の世界を味わいそこなうと思います。

私の登山&クライミングですが、

1)一般登山 3年 
  ・歩くだけ 
  ・ハイキングの山からスタートして徐々に山を大きくしていく(一番大きな山を済ませる)


2)リーダー講習 1年 
  ・山を困難にしていくには、どのような技術が必要かを知る


3)山岳会   1年半  
  ・実践

4)海外登攀

という流れで、自立への道へ進みました。

登山でたどるべき成長の方法論は、登山史がそのまま提示してくれています。1)山を徐々に大きくしていく、2)すべて済んだら、困難にしていく です。今は登山史の中で、2)の後ろの方にいます。

■ 具体例

歩きは、3時間のハイキングの山からスタート、しました。
登攀は、5.9がオンサイトできるまで2年半、です。

今の人は急ぎすぎなのかもしれません。おそらく、周囲の人が、槍に行った、穂高に行ったと語るので、うらやましくなってしまうのでしょう。

ただ、急いでいなくても、山の世界の全体像を知るまでには、そう時間がかかるものでもないのかもしれません。

もちろん、私自身もまだ全体像が分かっているほど、全体を知っているわけでは、おそらくないでしょう… 

とはいえ、登山を始めた人の多くが、1)の段階で、「もう山は分かった」と終わってしまうのよりも、数歩レベルで先へ行っているのは真実です。

せっかく山をスタートしたのに、山の何も分かった、とは言えない1の段階で終わってしまう人が多いことは残念です。

1)の場合は、一般に、”富士山で初め、北鎌尾根を登って終わり”、だそうです。

それは、周囲に自慢できる、すごい山、を目指すから、です。自己顕示欲の山、ということですね。

残念ながら、北鎌尾根は、3)の地点からみると、まったくすごくありません…。まだ初歩の初歩です。それを分かる状態になるだけでも、視野が、文字通り一段広くなるでしょう。

2)へ進むと、山の楽しい面だけではなく、厳しい面、困難な面が出てきます。そこからが本当の山です。

山という大自然の中では、どのようなスキルや力が必要なのか?について、おおよそ理解できるまで、だいぶかかります。ロープワークやレスキュー、ビレイなどの防御の技術が中心になり、短く見積もって2年程度です。

3)実践のだん階へ進むには、仲間が必要です。その時点で、山岳会を検討するのが良いと思います。しばらく自分で歩いたことがある人でないと、山岳会でも何もしてあげることができません。

■ 山に対する理解

具体的で的を得た、山に対する理解、登山行為に対する理解がないと、登山の成果に対して、間違った評価をしてしまいます。例えば、高い山に登れるほうがすごいですか?違いますね。

そして、間違った評価をしてもそれに気が付かないで終わってしまいます。

現代社会では同様の現象が、別の分野のあちこちに出ているので、仕方がないかもしれません。

が、”登山道を山小屋を数珠つなぎにして歩くだけの山”を登山だ!と思ってしまうような、底の浅い理解のまま、それが登山だ!と信じてしまうのは、もったいないことです。

そのような登山では、登山ごっこ、補助輪付きの登山、ということが分かったにすぎません。


Thursday, May 10, 2018

Alex Honnold Japan Rock Trip

やっぱりスポーツルートがいいですよね!しかもどっかぶりで落ちても安全なオーバーハング!

Thursday, May 3, 2018

ルートの易しさと落ちたときの危険度(致命度)はマッチしない

■マルチの墜落 10m

去年インスボンで師匠がカムセット中に墜落。セットしたカムは効いて、墜落したとき、出ていたロープはほとんどゼロ。(ビレイヤーは私ではない)

でも、10m落ちたそうで、だいぶ愚痴っていました。10mって長い距離なんだ~と理解。本来、もっと短い距離で済むはずという口ぶり。

一方、墜落を止める自信があると話してくれた人も、マルチ10m墜落だったそうだ。10mで済んだという見解。

10mが大きいのか?小さいのか?は、その時、支点から出ていたロープ長さによるだろうが、10m落ちて、どこにもぶつからないアルパインルートってあったっけ?っと考えた。

インスボンは、10mくらいなら、大怪我はしないだろうと思えるが…

一枚板の大きな岩場は、比較的落ちても、滑り落ちて、テラスに激突って考えづらい。

岩の形状がクラックでも、ディエドルみたいなところでは、カムが効いている限り、空中にいそうだ。

つまり落下を許容する岩というのは、足場がないほうがいい。

むしろ、稜線チックな岩稜帯は、足場が豊富で登攀は易しいが、左右が切れていて落ちたら奈落の底。

甲斐駒黒戸尾根で落ちた人も知っているんだが、その人は一命をとりとめた系みたいだった。

ルートの易しさと落ちたときの危険度(致命度)はマッチしない。

アルパインで落ちるなの本当のところ

■ 「アルパインでは落ちるな」

結局、「アルパインでは落ちるな」、と言われるが、「アルパインでは落ちるな」という言葉では、どのような状況でなのか?が、あいまい。

アルパインらしいルートとして、前穂北尾根を例にとる。

前穂北尾根で落ちると、どうなるか?涸沢の谷底まで、すってんころりん1000mくらい落ちれてしまう。ロープがあれば、それが10mなどで済む。

が、岩場は凸凹していて落ちたら、必ずどこか体を打つ。骨折くらいで済めばいいほう。

しかし、凸凹しているからこそ、登攀できないような人はあまりいない。一般ルートで岩稜が歩けない人があまりいないのと同じだ。

アルパインではダブルで行くことが多いのは、ルートが屈曲しているためだが、テンションがかかったロープは、実質ゴム紐と同じであるため、その状態で圧迫、つまり岩角にあたっているなど・・・が加わると、当然だが、非常に切れやすい。

また支点がハーケンなど脆弱であるため、ロープの伸びで衝撃を吸収しないと、支点崩壊を招いてしまう危険のほうが大きい。

なので、伸び率の大きさは甘受しないといけない。

フリーのマルチでも落ちることがあるが、支点が整備されていて、こちらは墜落はフリーの墜落の範疇と思う。

Tuesday, May 1, 2018

適切なプロテクション間隔を考察する

■アイスでリード

やっぱり、確保理論を実感として理解するには、アイスでリードするのが一番いいのではないでしょうか?

なぜなら、自分でプロテクションを設置するから。

まずは立てるところに1本目を入れます。2mと仮定します。

次は?

2m以下なのは当然でしょう。

何しろ、2m+2m=4mでは、40cmのロープストレッチが加わるため、グランドします。

2m登ったら、そこで落ちれば、20cm伸びる。最終支点がある2mの地点から、1m登って、3mだと、30cm伸びる。

2m-(1m+30cm)であれば、70cmのところで止まるでしょう。

ので、とりあえず、1m上の3mで入れることにするとしたとします。

次は?

もう2m先でも大丈夫ですね。

3mロープが出ているので、2m先にプロテクションを入れると、ロープ全長は5m。50cmのロープストレッチ。

3m-(2m+50cm)であれば、50cmで止まるでしょう。

次は?

あとはどんどん、プロテクション間隔は離して行けます。理由は、下のロープのほうが、最終クリップから出ている長さよりうんと長いから。

もう5mロープが出ているので、5mより間隔が狭ければOK。 例えば、3mとしましょう。

5mすでに出ているので、3m足すと8m。ロープストレッチは80cm。

5m-(3m+80cm)= 120cm 120cmで止まるでしょう。

登れば登るほど安全♪ ってわけです。

もちろん、テラスが出てきたら、オールリセットですが…。

まとめると、
1ピン目 2m  1m出ているときに落ちると、70cmで止まる
2ピン目 1m  2m出ているときに落ちると、50cmで止まる
3ピン目 2m  3m出ているときに落ちると、120cmで止まる
4ピン目 3m 

先日みたグランドフォールは、ロープが3mほど出ている状態で最終ピンから3mほど出た状態でクライマーは墜落しました。

すると、3m-3mでグランドしないか?とおもいきや、6m分のロープストレッチがあるので、60cmの伸びがあり、クライマーはグランドフォールしました。

同じことがカムでも学べるとは思いますが、カムはセットが繊細で、カムが外れる事故が多いので、初心者は、かっこつけるより先に50cm置きに取らないといけないです。

Monday, April 30, 2018

『クライマー魂』を読みましょう

最初のパートナーは、自信過剰すぎて、三つ峠3Pに2時間半もかかっているのに、北岳バットレス四尾根に行くと言って、師匠や会長が、二人では無理と言っても、聞く耳持たなかったので、パートナーは解消した。

その後、大学生の後輩ができた。私はすでにアルパインをしていると思って、アイスのルートに連れて行ってしまった…ので、そのあとに先輩の務めとして、技術的なことは全部教えた。レスキューも共有していないとどこにも行けないので、それすら。

で、最初の男性パートナーで苦い経験があったので、この本を貸し出した。


この本には、山岳同志会で、どのように新人が育てられるか、こと細かく描いてあるので、自分がどのようなプロセスをたどって成長するべきか?ということが、分かるようになっている。

現代の山ヤは、登れても敗退の技ができていない、というようなアンバランスな成長をしている人が多い…のは、先輩が無責任体質だからだ。山をするうえで必要なことを教えていない。

後輩は仕方ないから、登攀だけを頑張る…

…結果、登れても、下れない山ヤが増える。レスキュー技術ゼロで、みな本チャンに行ったりもしている。つまり、何かあればアウトってことだ。

私が思うに、北岳バットレス四尾根は、ロープが出る山を今年始めた人が、3年後の目標とするには良い。

遠くの目標がないと、今何をするべきなのか?が明白にならないからだ。

・三つ峠に通って20Pくらいを楽々こなせるようになる
・岩場のルートファインディング(弱点)を突けるようになる(それに必要なのは、フリーではないのは明白でしょう、フリーは強点を登るもの)
・ハーケン打ちに慣れておく
・ピンチの際の、リングボルト打ちなどを体験しておく
・レスキュー技術を共有する(リーダーレスキューまで)
・前座で、北岳夏山登山道は終わっておく
・ついでに池山吊り尾根も終わっておく
・近郊のゲレンデ的マルチピッチ(小川山の烏帽子岩、乾徳旗立)などを終わっておく
・テント泊縦走などで互いの生活技術を摺合せしておく

これだけでも、だいぶ、お腹いっぱいでしょう。ルートファインディング力などはつけるのに時間がかかります。

こういうプロセスを得ないで、ただ先輩の後ろをついて登っただけの本ちゃんだと、退屈なこと極まりなくなります。

ついていく=冒険性ゼロです。



Monday, April 23, 2018

蛮勇vs地頭力

山の世界では、蛮勇がもてはやされる…これは山の本の影響。

勇気は大事だが、蛮勇である必要はない。

蛮勇とは、今風に言えば、イケイケってこと。

むしろ、山に必要なのは、地頭力、だ。

リスクを、とことん考えて、現実的に、どうしたらリスク回避できるか?を考えつくす力のこと。

例えば、アイスリードが課題だとしよう。

その時、自分に必要なのは何か? 

いくら易しい三級アイスでも、もろいアイスは、適さない。仮に敗退が起こった時に、アイススクリューを残置したくなければ、アバラコフを作れる技術が必要だ。アバラコフを作るには、最低20cmくらいの厚みの氷は必要だ。

などなど、お尻から考えて、今何が必要か?が分かる。

そういう、リスクを因数分解する思考能力のほうが、よく考えもせずに、勇気だけで取りつく、蛮勇よりも重要。

リスクを因数分解する能力=地頭力。

死なないために山ヤは、地頭力を鍛えましょう。

5.11がRPできないと登れない5.10b? 経験者の同行が必要とされる訳

”日本での”、岩登りは、非常に危険だ。

というのは、

”5.11がRPできないと登れない5.10b”
とか、

”5.10bのムーブが出てくる5.9”
とか(笑)。

一般的な常識からすると、

「じゃ、素直に5.11でいいのでは?」

とか、

「素直に5.10bでいいのでは?」

と思ってしまう。

平たく言えば、グレード感が統一されていない。

グレードは初登した人がつけるので、その人の意思を尊重されて、そのグレードになっているわけだ。

だが、

グレードは何のためにあるか?

という本質を考えると、

怪我を防いで、安全に楽しむため。

である。登れるスキルの目安が必要だ、というのがグレードの意味である。11しか登れない人が、12に取り付いたら落ちてしまうのは当然なので。

今のグレーディングの現状だと、真逆になっている。

そのため、そこの岩場をよく知っている人に、あらかじめベータと言われる情報を貰って、正確な情報を貰ってからでないと、トポの情報だけで行くのは、とても危険、ということになっている。

特にクライミングを始めて間がない人は、このような事情自体を知らないだろうことが多いので、特にそうだ。

そのため、

この道の先導者

が必要と言うことになっており、それが、

”経験者の同行が必要”

ということの意味になっている。

Tuesday, April 17, 2018

怖いvs怖くない 初心者経験者対決

初心者のころは、はっきり言って、ロープシステムを理解していないので、無知がゆえに怖くない(笑)

       初心者vs 理解者
ランナウト    怖くない 怖い
トラバース    怖くない 怖い
1ピン目遠い   怖くない 怖い
ハンギングビレイ 怖い   怖くない
セルフなし    怖くない 怖い
ロープをまたぐ  怖くない 怖い
スリングで伸ばす 怖い   怖くない
ロープがこすれる 怖くない 怖い
ゼロピン目なし  怖くない 怖い
被り       怖い   怖くない


自分も含めてだが、初心者のころの登攀ってホント怖いよな~と思う。ハーネスもつけずセルフもつけないで、岩の上の際から10cmのところに登山者は平気で立つ。高所恐怖症を公言する夫ですらそう…

でも、確実な支点と繋がっていないで、よくやるな~とクライマーならだれでも思う。

私は支点では必ず自分で支点にずーっと安定的にテンションしたまま、ビレイしている。あるとき、後輩に、”こんなところで、支点にぶら下がって空中に露出しているなんて、勇気ありますね!”と褒められて(?)、ガックシ… 君だって、同じ支点に守ってもらっているんだよ~。ビレイヤーのセルフは最後の砦。

リードにはリードの技術があり、ダブルのロープなどやっぱりよく考えて登らないと交差したりもして、気を遣う。

セカンドでも、よく考えてくれる人だと、ロープのたるみは最小限で、余った部分をたるませず、ビレイしてくれるので、落ちても何とかはなるだろう…が、ランナウトした岩場で落ちると、その後が厄介だ…。宙づり登り返し技術、ビレイヤーの脱出、リードクライマーの救出法くらいは知っていてほしいかも?捨て縄とか、ムンターミュール用のスリングなど、ちゃんと持ってきてほしいかも?

トラバースは、登山者のころはしょっちゅう登山道でトラバースばかりしているので、その延長の感覚があり、怖くないですが、クライミングしていると、何が安心って直上が一番安心です。トラバース、=振られる。

被りは、真逆で、初心者時代は超怖いが、フリーだったら、かぶっていないと落ちれない。かぶっていれば、落ちても空中。スラブで落ちたら、大根おろしなので、スラブこそ怖い。同じことで、テラスやバンドが出てくると、またグランドするところが出てきたということで、用心する対象が増える。その場所から1ピン目ではやっぱり落ちれない。落ちたらグランドと同じことだからだ。

とまぁ、初心者時時代にほっとするところと、ロープシステムを理解してからほっとするところでは、かなり違う。

やっぱり確実な支点というのが、心のよりどころとなってしまう、今日この頃…ハーケンなんて信頼はできない。リングボルトはもっと信じられない。

でも、この恐怖心は、成長と引き換えの恐怖心なのだ…はぁ。

何も怖くなかったころの、無垢な自分が懐かしい…

三つ峠は初心者ゼロで行って、2回目からリードしていたが、それがいかに危険行為であったかを理解して、驚愕した…(笑)登攀自体は易しいので、何も怖くなかった。

Thursday, April 12, 2018

リード登りvsフォロー登り

■アルパイン登りvsフリー登り  

アルパインでの、リードはザイルを伸ばしていく…という活動で、実際、登っていると、とても時間がかかります。

それは落ちると、死や怪我に関わるから。

特にアルパインではそうで、ビレイがあっても決して落ちてはいけないと教わります。(のため、落ちない程度のところしか、逆に言えば行けません)


フリーの場合は、上手になるためには墜落も含め、できないことをできるようになる、という活動をしないといけない。

頻繁に墜落します。つまり、落ちます。

これは、なかなか切り替えが難しい活動です。

■ セカンドはさっさと登る

一方、アルパインでもフリーでも、マルチではセカンドはさっさと登る、です。

リードは危険が大きいから、時間をかけても許されますが、セカンドだったら、とにかく早く登ってきてくれないと。

セカンドなのに、フリーにこだわって登る必要はないです。

(でも、へたにエイドするより、フリーで登るほうが、どんな場合も素早く登れます。フリーにこだわるというのは、ロープに頼らない、という意味です)

■ トップロープが長いクライマー

トップロープばかりの期間が長いと、リスク管理がおろそかなクライミングが身に付きます。

というのはロープに守られて、今、おちたらどうなるか?という思考をしなくなるから。

つまり、クライミングが大胆だ、ということです。

■ リードは繊細な登り

リード登りは、逆に言えば、大胆ではないクライミング、になります。

つまり、実力が10の力だと仮定しましょう。

トップロープなら12の力が出せても、リードだと8の力しか出せません。

”落ちるリスク”が高いからです。

■ リード経験の積み上げ

なので、大事なことは、低いグレードを登っている時代から

 リスク管理 & 登攀の実力 & スピード

の3つの力をバランスよく育てていくこと。

5.8と登攀が易しくても、落ちたらマズイ場所にある課題は多いです。

■ 実例

私が、兜岩でリードした5.8は、翌年は、1ピン目のボルトが増えていました。

つまり、リスク管理力も、5.8しか登れない頃は、クライミング自体が初心者のため、比較的低い、ということ。

誰かが落ちたのでしょう。

■ セカンド専門クライマーの欠陥

セカンド専門クライマーの欠陥は、

リスク管理不在、

ということです。

これは、肝心の、扇のかなめ、のところが欠けていることになり、自立したクライミングには、それだけ成長しても、結びつきません。

一方、登攀力が低くても、リスク管理とセットで成長していけば、小さな山でも、少しづつ、積み上げて登ることができます。

実際、山というのは、リスク管理が楽しみの一部とでもいえるもの、なので、セカンドだけ、というのは、楽しみの一面しか知らない、というのとも、同じ意味になります。

自分のエゴのために、後輩にセカンドしかさせないクライマーもいるほどだからです。

大事なことは、

リスク管理、登攀力、スピード、

全部をバランスよく育てていくことで、特定の課題の特定のムーブが、たったの1度だけこなせたら、5.12登れました、というのでは…。

クライミングは、課題により、損と得があるので、自分に合った、どこかの一課題だけでそれを実現しようとしている人は、けっこう多く、そして、それはあまり難しいことではないように、思います。特に若い間に、パワーだけで解決する、というのはありがちです。

■ 安定性

しかし、クライミングでむしろ大事なのは、安定性、です。

安定性とは、悪い時も良い時も登れるグレードという意味です。

安定していないと、リードで取りつくときに、やはりリスクが大きくなるためです。

リードで取りつくときの安定性、というのは、疲れていても、一本目でも、ということです。


Thursday, April 5, 2018

登山の恩恵 今ここ

登山というか、クライミングなのですが、クライミングは圧倒的に困難なので、

今ここ

以外考えるゆとりゼロです(笑)。

ヨガの、Be Here Now を圧倒的に実践できます(笑)。

沢登りでの滝の登攀とかも同じ。本チャンクライミングも同じ。クラックも同じかなぁ…

とにかく、今ここ、をクリアしないと、次の瞬間は命がないです(笑)。

しかし、それを考えると、佐藤さんのスーパー赤蜘蛛フリーソロとか、アレックス君のエルキャピタンフリーソロとか、信じられない集中力です。同じ人間とは思えないなー。

ちなみに、肉体的な命がけではなく、社会的な面での命がけは、外国暮らしだと思います(笑)。

自分にも、こんなにも、内なるパワーがあったことを発見するなら、両方、お勧め。

Tuesday, April 3, 2018

道しか歩いていないと、道がないと歩けなくなる

先日、バイト先で、肉に包丁を入れている姿を見て、上手だなぁ…と思い、筋肉に沿って包丁を入れるのか聞いたら、その通りで、慣れていれば、肉のほうから包丁が入る先を導いてくれるそうだった。やっぱり。

山も一緒だ。尾根と谷が読めるようになると、山のほうが、こっちですよ、と言ってくる。特に尾根はそうです。細い尾根(=険しい尾根)ほど、歩くべきところは限定されます。逆に、広い尾根(=安全な尾根)は、幅が広く、どこでも歩けてしまえるため、どこを歩くべきかというのは分かりにくいものです。

そういえば、瑞牆山で、「どこを歩いたらいいんですか?」とおばちゃん登山者に聞かれたなぁ… 岩ゴロゴロの道ですが、どこを歩いてもいいのです。

道しか歩いていないと道がないと歩けない、と思い込んでします。

山と同じで、人生のほうが、こっちだよ、という道を行けばいいんですよね。

Monday, April 2, 2018

私の提案したい山


■ リスク中心主義



私は山のスタンプラリーや、自己顕示欲の山は嫌いです。また、特にリスクが何か?を自分で考えない山、リスク補填を自分でやらないことが前提のガイド登山は嫌いです。


登山とは、”山は危険なところである”という前提から入ります。

これが、下界との最も大きな差です。下界の前提は、”安全である”、です。


ですから、登山では、危険が何か?ということさえ、押さえていれば、ほぼ99%、大丈夫です。何を中心に考えるか?リスクです。

■ リスクをマスクした後、どうするか?

しかし、リスクを中心に考えて、リスクを避け、リスクがない部分では、距離や高度差、体力的な難易度、あるいは登攀的な難易度を上げる、というやり方では、早晩、彩りに欠けることになります。

守り:リスク中心に考える
攻め:どんどんと課題を困難化する

そこで、多くの人は、山での美食に傾きます。日本の山はサイズ的に小さいので、アルパインで鍛えた、多くの山男さんに担ぎ上げられない美食はないです(笑)。黄連谷にカニを担ぎ上げていらっしゃいます(笑)。

美食に走らない人は、美女に走る? 中高年登山では、昔歩いたルート自慢が盛んです。往年の美女が寄ってきてくれるようです。第二の青春を謳歌するのも悪くはないと思います。(と言っても、四尾根程度を自慢されたってねー。ガッシャブルム2峰とかなら、なびかないでもないが)。しかし、山のすごさで競うのは、やはり自己顕示欲の山です。






■ 楽しさを自分自身で定義し、創造する楽しみがあるのが山です






さて、美食にも美女にも走らないとすれば?何に走ればいいのか?


山は自己満足。


山の価値は、自分の満足の深さで測るという意味です。藪山に心が燃える人もいれば、岩場の陰にひっそりと咲く花を追いかけることに喜びを見出す人もいます。たのしさというのは、千差万別。

ただ、やっぱり、一つのピークを登っておしまい、という山は、平板だと思います。その山の何を知ったことにもならない。






■ 例えば 乾徳山






例えば、山梨の山で、乾徳山というのがありますが…これは、縦走もできれば、奥秩父の前座で破線ルートでもあり、プチアルパインの入門ルートである旗立岩中央岩稜もあり、ボルダーもできれば、実はトレランでも有名です。


 


ふもとには有名な恵林寺があり、座禅を組んでの瞑想ができ、日本庭園を散策できますし、ワイナリーなら、山梨の良心と言われている幾山が近いです。






春、夏、秋、冬、すべて通うことができます。まぁ、あまり冬に行く人はいないですが、春は、たらのめと蕨が、取り放題。山菜取りの山としても使えます。かつては牧場、ということです。






という具合に






文化的・民俗的軸

登山の体系的軸

時間軸

用途軸






と多面的に山を味わうというのが大事なことだと思います。私自身の山はそういう山です。






スタンプラリーにしてしまうと、達成感だけが山のご褒美になってしまい、それでは、山という活動の中で、多くの”充実感”を得ることができないのではないか?と思います。





Sunday, April 1, 2018

ロイヤリティの発揮先 

山岳会など、およそ”会”と名のつくものを作った場合、日本人は、会の理念ではなく、組織の存続そのもの、を優先しがちだ。

これは逆説的だが、組織の弱体化を招く。間違った道だ。

現在の山岳会の多くでは、年功序列が根強い。どんなに間違ったことを言っていても、会歴が長い方を守る、という不文律がある。会歴が長い=年齢が高い、に、必然的に収まる。

つまり、会社と同じで、”組織へのロイヤリティ” を求められている。

が、本質的に、ロイヤリティを求められている先は、

   ”山”という自然の摂理

だ。山では、山という自然の掟に従うことを行動指針とし、山に対してロイヤリティを発揮すべきだ。

これを犯したとき、山での遭難が待っている。

年を取っていても判断力に劣る人もいるし、若くても判断力の優れた人はいる。体力もそうだ。

という当たり前のことを学ぶ場が山だ。

Monday, March 26, 2018

阿弥陀南稜で7名がロープにつながって遭難…の感想

■ 引用

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滑落に伴う雪崩に埋まり死亡か

25日、長野県の八ヶ岳連峰で7人が滑落し、3人が死亡、4人がけがをした事故で、死亡した3人は滑落した際に起きた雪崩に巻き込まれ死亡した可能性があることが警察への取材でわかりました。
警察は、けがをした人から話を聞くなどして当時の詳しい状況を調べています。

25日、長野県の八ヶ岳連峰にある標高2805メートルの阿弥陀岳で、男女7人のパーティーが滑落し、神戸市の会社員、亀石安央さん(48)と、京都市のアルバイト従業員、山下貴久子さん(39)、兵庫県伊丹市の建築士、中澤恒雄さん(63)の3人が死亡したほか、4人が重軽傷を負いました。
警察の調べによりますと、7人は阿弥陀岳の標高およそ2600メートルの「P3」と呼ばれる地点付近の急な斜面を登っていた際、斜面を300メートルほど滑落したということです。
その際、死亡した3人は滑落した際に起きた雪崩に巻き込まれて雪に埋もれ、窒息して死亡した可能性があることが警察への取材でわかりました。
また、けがをした1人は医師に対し、「滑落した際、7人はザイルでつながっていた。先頭の人が足を滑らせて落ちた」と話していて、警察によりますと、現場にはザイルが残されていてその一部は切れていたということです。
警察はけがをした人から話を聞くなどして当時の詳しい状況を調べています。
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山岳ガイド「大雪で不安定か」

長野県の八ヶ岳連峰で7人が滑落し、3人が死亡、4人がけがをした事故について地元の山岳ガイドは「現場は、先週の大雪で足場が不安定になっていていつもより危険な状態だった可能性がある」と指摘しました。

八ヶ岳のふもとの長野県原村で山岳ガイドをしている石川高明さんは、25日事故が起きた阿弥陀岳の南側にあるP3と呼ばれる地点付近のルートは何度も登ったことがあるということです。
このルートは、「とい」のような形の傾斜が60度ぐらいの氷と雪の壁になっていて、登山専門サイトで「この時期のおすすめルート」として掲載されるなど、登山者が多く訪れる場所で、石川さんは、「首都圏から近いこともあり、冬山の初心者が登山の練習をしに訪れる昔から人気のコースだ」と話しました。
そのうえで石川さんは、「本来であれば3月は雪が固まっていて登りやすい時期だが、先週大雪が降ったことで、足場が不安定になっていていつもより危険な状態だった可能性がある」と指摘しました。
また、けがをした人が医師に「滑落した際、7人はザイルでつながっていた。先頭の人が足を滑らせて落ちた」と話したことについては、「状況はわからないが、通常は安全確保する人と登る人の2人でザイルをつなぎ、ほかの人は、1人が落ちても引きずられないよう、岩場などで待機するので、そういう状況ではなかったのかなという推測しか出来ない」と述べました。
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現場付近 去年は早大生が滑落死

7人が登っていた阿弥陀岳の南側の「P3」と呼ばれる標高およそ2600メートル付近の岩場が切り立った尾根では、去年2月にも早稲田大学の登山サークルに所属する大学生4人のうち2人が滑落し、20歳の男子学生が死亡しています。
地元の山岳ガイドは、現場付近で滑落やなだれによる事故が多発しているとして、登山者に注意を呼びかけていました。
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■ 感想

昨日の遭難、阿弥陀南稜 P3らしい。

阿弥陀南稜は、本チャンルートです。ルートに7名の大所帯で行くこと自体が、登山前遭難、です。遅くなるからです。しかも、7名がロープにつながるって、ロープの出し方を分かっていない人のやり方です… 沢などでフィックスを張って、タイブロックやユマール、プルージックで登るときの方法で、阿弥陀南稜を登ろうとしたのでは?

私は、前の会で、同じく7名の大所帯で、2月厳冬期の阿弥陀北稜に登ろうという計画書が出て、そのリーダーは、阿弥陀どころか、普通の赤岳でも下山で息切れして、きちんとは登れていない人だったし、7名の大所帯だと遅くなるので、危ないと登山前に進言しました。結果的には、プロのガイドが敗退を決定した強風下の中、強行して登って、凍傷者3名。これも、行く前から遭難が見えていた山でした。なんだかデジャブー感あります。

トップはリーダーが務めていたと思いますが、20代で楽勝で登ったところは、40代、60代と年を重ねると、鍛えていない限り、困難になります。たとえ、フリーをやっていても、ゲレンデが主体で、アプローチがごくごく近いことが多いため、必然的に”歩き”が弱くなります。

クライミングジムでも、全身に疲労がたまると、ムーブの出が悪くなります。つまり、アルパインというのは、要するに肉体的に全身疲労した状態で、登攀するっていう話です。

だから、若い時が有利で、長時間の歩きが、そう疲れもしないため、登攀も、さして危険とも怖いとも思わない訳ですね。私も、初めて三つ峠の天狗岩(初心者向きゲレンデ)を登った時は、これの何が難しいの?くらいな感覚でした。前穂北尾根も同じです。登攀はあっけなく、2峰ではロープ要らないなーと思ったくらいです。

アルパインでどれくらい危険を感じないか?というと、アイスですが、ジョウゴ沢の核心部大滝は、フリーソロしちゃっています。今考えると、師匠が怒るのは分かる。もろい岩で、落ちたら大怪我してしまいます。が、登攀そのものは簡単なので、ロープ要らないなーと感じてしまいました。

アルパインの登攀は、フリーのようにロープの保険やしっかりした支点=ボルトの保険を積極的に利用して、ギリギリに迫る登攀とは全く違います。気軽に落ちることは許されません。

余談ですが、疲労した状態を作ってからクライミング練習する、というのを、世界クラスの男子選手などは、されています。あくまで疲労した状態で…というのが肝心。

フリーの作法では、体は常にフレッシュな状態で登ります。肉体を最高の状態に持っていくことも、オンサイトするための、ひとつの作戦だからです。

例えば、ラオスはクライミング合宿という趣ですが、大体のクライマーは、フリークライミングの人たちなので、2日登って1日休む、または3日登って1日休む、です。
(ちなみに私はアルパイン出身なので、5日連続登って疲れた…なので、高難易度のは登りません、登れません)

どれだけ連続で登れる力があるか…1日の中での持久力や、数日にわたる登攀など、どれだけ疲れていても、登れるかという、別の要素が、アルパイン、特に登攀ルートでは必要になります。

ついでに言うと、アルパインでは落ちたら死が待っています…この事例のように。

余談ですが、65歳だった師匠は、毎年、体力の定点観測のため、阿弥陀南稜に登っていたそうですが、60を超え、阿弥陀中央稜に替えたそうです。

若いころには何ともなくても、年齢を重ねると、長いルートは堪える。

つまり、阿弥陀南稜は、長さが核心のルートです。

Sunday, March 25, 2018

山という意思決定システム

■ カルチャーショックだった洋上研修

中学のころ、洋上研修に行きました。そこで分かったこと。

海の上で、どう行動すればよいか?は、海のコンディションとお天気と星が決めるということ。

何時に起きるべきか、いつ食事をするべきか、どう食器を洗うべきか?どう進行すべきか?

すべて、自然の掟通りで、迷うことはない。

そのことに感動しました。

私は、”命令に従うのが嫌”なのではなく、”理不尽な命令に従うのが嫌”だったのです。

■ 山に従い、人に従うのではない

同じことが山にも言えます。

山では、山の合理性があり、それに従えば、誰しも、ほぼ同じ意見になります。尾根を読めば、進路が分かります。天気を読んで、進行すべきか、すべきでないか分かります。

合理的なロープワークというものも、あります。

2級程度のところでは、コンテなど意味ないな。ロープを出すならスタカットで出しましょう。

例えば、今日遭難のニュースを聞いた、積雪期の八ヶ岳阿弥陀岳でのことです。御小屋尾根に中央稜から転進で来ていた、登山者に会ったのです…彼は伝統がある会の出身でした。

その日は、翌日がマイナス35度の寒気が入る日で、前線通過は12時頃。午後から下り坂。この予報を聞いただけで、山が「今日は11時まで登りで、あとは下ってね」と言っているなーと分かります。

彼に「今日はどういう予定ですか」と聞かれ、「11時まで頑張ってあとは降ります」と答えると、そうですよね、という答え。

一方、私が連れていた初心者の人たちは、なんで11時で引き返すべきなのか、わからないので、不満だらけでした… こういう人たちは、登山前から遭難予備軍です。

山が語ることを聞く、というのは、そういうことです。

私は、長年のリーダーがした判断と異なる判断をすることは、ほとんどありませんでした。

しかし、山の言うことではなく、

俺の言うことを聞け、

という人とは、まったく意見が合わないことが多かったです。

そういう人は山を見ていない。

みんなに、俺を見てほしい人なんだろうな。

Friday, March 16, 2018

”山”という地理システム

昨日、山を知らない人に、山のことを説明した。

■ グループ内小分けシステム & ストリート番号システム

日本では地理システムは、”グループ内小分け”システム。大阪市という大きなグループの中の、中央区の中の、河原屋町の中の、2番の中の・・・1の場所というふうに地理を把握する。

一方、アメリカをはじめとして、外国では、”ストリート番号システム” ハミングウェイ通りの130番なら左側、131番なら右側。ストリート番号が1だったら開始部。番号が上がれば上がるほど、長い道。 

ちなみに、ストリート番号システムは、かなり分かりやすい。それと比べると、日本のグループ内小分けシステムは分かりづらい。3-4-1なんてどこかってどうやって分かるんですか?と良く外国人に聞かれる。

GPSは言うまでもなく、緯度と経度のグリッドシステム。

■ それ以外???

それ以外に、空間認知システムがあるのだろうか???

あるんですね~!

それが尾根と谷です。

山をする、ということは、尾根と谷システムをマスターするということです。

尾根は登れば登るほど一つに収束します。谷(沢)は登れば登るほど、分岐が出てきます。尾根は起伏がありますが、谷(沢)は、下る一方です

というわけで、尾根と谷を見ていれば、山では、自分が大体どこにいるのか分かるわけですね♪ 

というわけで、山が分かるようになる、というのは、”尾根と谷システム”のマスターということです。

新たな思考回路、新たな地理システムの獲得ということなんです!

でも、このことを誰も言わないから、山が魅力的な活動にならない。

人の後ろを歩くのが山だって思っている人が多くて困ります。

Thursday, January 18, 2018

山のベテランからいただいた知恵のまとめ

山のベテランからいただいた知恵のまとめ
1)ラッセルはラッセルそのものよりルートファインディング
2)ルートファインディングには読図力が前提
3)良き仲間を得る最善の方法は、レスキュー訓練の共有
4)自分の目で見て、現場で地形判断することが大事
5)ビレイの要諦とは、常に今堕ちたらどうなるか、を考え続けること

Monday, January 15, 2018

山を続ける上での課題

■ 教え損を無くす

最初の師匠は会の代表者で、よく相手を試す人だった。

まず出会いからして、「流動分散を作って見せなさい」
次は三つ峠で。「人気ルートは何ですか?」
アイスで。「ここがリードできないようじゃ、見込みなし」

答えられないと次がない仕組み。これは、教え損を減らす師匠なりの工夫だったようだ。

■ 危ない人と危なくない人を見分ける方法は?

アルパインをスタートして2年ほどで、ずいぶん多くの、アルパイン1年生の死や事故を耳にした。

危険な人と危険でない人を、予見して 切り分ける方法はあるのだろうか?

同行者というリスクマネジメントをしなければ、巻き添え死を受けてしまうのが、山、のようだった。

1)いい人かいい人でないか?は、基準にできない

阿弥陀北稜凍傷3人の人も、4人の父親で世間ではいい人。

2)山小屋関係者かどうかも基準にはできない

小屋のオーナーとしばらく歩いたが、4時間登頂にかかる山なのに下界で10時出発にするなど

3)知性も基準にできない

ものすごく賢い人に、ものすごくエリート教育をほぼ無料で一年してみたが、全くダメビレイヤーにしか育たなかった

4)年齢

若くてもしっかりした人はいるし、高齢でベテランでも、自覚がなく突っ込む人はいる

5)体力

体力がある山ヤは、その辺にごまんといる。が、ほかの人の安全には貢献しない。自分が安全になるだけ

6)高度な山岳会に属している

これも老舗に属しているからと言って、優れた山ヤとは限らない

7)登山歴の長さ

これは生き延びたということで、その人が、人的リスクを避ける方法論を確立しているのではないかと思うのだが、非言語で、言語伝達されない

8)性別

男性にも危ない人はいるし、女性にもいる

9)ガイドかどうか

死んだ同期の友人は、ガイドである先輩についていった山で亡くなった

10)クライミングが上手かどうか

全く相関関係なし

11)子供がいるかどうか

関係なし

12)責任ある地位についているかどうか

多少あるのかもしれない

13)読書家かどうか

強い関連がありそうに思うが、定量的に計測できない

14)年間登山日数

関連がありそうだが、内容にもよるだろう

15)装備のよしあし

関連は多少はありそうだが、見た目では判断できないことが多い

16)教育

山教育をしても、あまり効果は上がっているように思えない。無駄とまでは言えない

というわけで、外見やその他から、その人が安全かどうかを見分ける方法はないに等しい。

■ レスキューを共有する

唯一の実効性がありそうな対策は、レスキューの共有。レスキューを共有していると、その人がどれくらいスキルがあり、あるいは考え方がどのような考え方なのか?ということが、垣間見える。

ベテランであっても、危ない人は危ない。

スキルではなく、判断力の場合もあるので、姿勢を見る、ということになると、突っ込むタイプかそうでないか、なども見れるようだ。

一生の友達ができることもあるそう。

■ 2点が課題

・教え損を無くす
・危ない人を避ける

この2点が、山ライフを続ける中での最大の難問で、この回答に、ガイド登山を選ぶ人もいます。アルパインのガイドさんというのもいますが、阿弥陀北稜5万円とかです。5万も払って、相手にリードさせてやるなんて、なんか損だなぁとか、私などは思ってしまいます。

私と夫で、適当に二人で行ったような北横岳程度の山でも、ガイド登山で行くと、3万円です(汗)。

同じお金なら、レスキュー講習に払うのがベスト!

Wednesday, January 10, 2018

メンバーシップ

■ 良きメンバーシップとは、ともにリスクを考えること

山には、いろいろなリスクがあります。そのリスクに対して、パーティのメンバーのメンバーシップの発露が、

 頑張ってついていく

以外ゼロなのが、中高年登山の特徴かもしれません。このような組織では、

 結果的に、リーダーが1人で、一方的にすべての責任を背負う

ことになってしまいます。これが分かっている人はリーダーだけという状態です。これではだめです。分かっている人=パーティ全員でなくては、なりません。

■ 実力以上の山に誘われたら

〇〇山に行く、という山行計画が出されたとき、

  その山に行けるかどうか?

自分で自分の実力相応かどうか?を判断する義務がメンバーには、そもそもあります。

日曜日の遠足の延長で、山をとらえていると、日本には、歩けない山はないため、誰だって行ける、を前提にしてしまいますが、実はそうではありません。

飛躍がある山が提案されたら、その飛躍について指摘するのはメンバーの義務です。

かつての日本の会社はキャリアプランまで、会社が考えてくれたそうで、社員はただ頑張っていればキャリアが形成され、財産が形成され、定年し、死ぬまでの滞りないプランが会社により提供されていたそうです。山との共通点は、考える必要がなかった、ということです。

しかるに、中高年登山では、

・そもそも、メンバーに参加する脚力がないのに参加した
・そもそも、各自がレインウェアを持っていたのに着なかった
・そもそも、出発しなければよかった
・そもそも、ロープを持っているのに出さなかった
・そもそ、渡渉すべきでなかった

などと、通常、山をやっている人であれば、リスク回避できて当然のことで、リスク回避ができない、という現象がおきます。

そして、結局は、リーダーシップ、のせいにされますが、ここで忘れ去られているのは、メンバーシップ、つまり、

山は自己責任

という視点です。自己責任が要らないような山をしているのが、中高年登山という登山スタイルです。

つまり、人間は、自分の能力ギリギリに行くとなると、だれだって、

 必死&正直

にならざるを得ないわけですが…、自分の限界グレードに挑むのに、いい加減なビレイで登れますか??? 

大なり小なり同じことで、山に対して自分のスキルが低すぎることに自覚がないと、無邪気について行って、「こんなはずではなかった」となってしまいます。

建て前、ええかっこしい、見栄、我慢 

など、率直さ以外の要素が、人間関係に交わるようであれば、その山は、ゆとりがあるのです。

本当にしんどいときは、しんどいと声に出さないと、自分が死ぬだけでなく、仲間を死の危険に陥れてしまいます。

ですので、ちゃんとした山をやっている人は、みんな

 見栄っ張りや建て前

は、克服しています。私の師匠は、なんど私に向かって

 怖い

と言ったことでしょう…(笑) 

見栄を張らずに、正直に気持ちを伝えあえるパーティが安全なパーティ=良いパーティです。

山はこのように、その人の人間力を暴露します。

Monday, January 8, 2018

つぼ足

■つぼ足について

雪山を学ぶにあたって、習得する要素の一つに

つぼ足

があります。一般ルートのように滑落の危険がほとんどなく、傾斜の緩い、雪上歩行では、つぼ足を基本としたほうが、後々、高度な歩行スキルが身につく、と思います。

一般ルートで学ぶべきことは、高度な歩行スキルの習得、です。

アイゼンは、基本的に氷をとらえるためのもので、雪ではないです。氷化していない通常の雪では、キックステップとフラットフッティングで、たいていのところが歩けます。

もちろん、傾斜や雪の状態にもよりますが、雪=アイゼン、という自動思考は、必要ないです。

むしろ、キックステップが必要な斜度とフラットフッティングで十分な斜度の違いを、身をもって理解したり、逆ハの字歩き以外の足の疲れを分散させる歩きを工夫するためにも、初心者は、できるだけアイゼンなしで、雪道歩行してみることをお勧めします。

■ アイゼンが絶対いる山と、念のため必要な山が明瞭に分かること

…こう書くと滑落の危険があるところでアイゼンなしの人が出るかもしれないと思うので、念のため書くと、八ヶ岳赤岳は、12本爪以上のアイゼン必携で、仮に6本しか持ってこないようだったら、行者小屋待機が適当です…念のため。装備不足はダメです。

金峰山や鳳凰三山のように、長いけれど特に危険個所がない山では、つぼ足で大体のところが歩けます。これらは、アルパインの基礎となる山なので、ほとんどつぼ足で歩けて当然の山です。もちろん、コンディションによるので、アイゼンは必要な時はすぐにつけられるよう、持っていないといけません。

どのような道やどのようなコンディションでどのような装備が適当か、どのような技術が必要なのか、そうした見極め力をつけるのが、山とお友達になる、という登山という活動の楽しみ方かと思います。

■ 分かっていない人との軋轢について

こういうことが頻繁に山では起きています。

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同意致します。オーレン小屋前で、未アイゼンで歩いていたら、年配者に見下されました。フカフカ雪で、必要無しでしたが。その人は、高価なファイントラックの上着、無意味なリュックサックに付けた、無意味なカラビナ&スリングに、アイゼンでダブルストック。必要無しだろ?そう思いました。
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このブログで私が受けた一般登山者からのバッシングも同じく分かっていない人からのバッシングです。気にしないのが一番ですね!

どういうことか?と解説しますと、こうしたことが怒るのは、ある意味仕方がないのです。

雪の山がスタートの人と、雪の山がゴールの人の違いなのです。あるいは、赤岳がスタートの人と赤岳がゴールの人。

いわゆる一般登山で、スタートした人は、カラビナの使い方を知ることがありません。ので、スリングとカラビナは、アクセサリーとなってしまっても仕方がないのです。スリングも持っている種類が全く違います。簡易ハーネスを作るためのスリングと、支点用では、用途が違います。

ウエアが高級なのは、高額なクライミング用品を買いそろえる必要がないので、余った資金がウエアに行くためと思います。

クライマーにならない限り、アルパインへのステップアップ(本格的登山へのステップアップ)は、ありません。その場合、クライミング用品は買いそろえるだけで、だいぶお金がかかります。

また、講習会費用も掛かります。揃うまで2-3年は、高額なウエアに回すゆとりはないですし、ゆとりが回せるようになったころには、海外の岩場に行くほうにお金を回したくなってしまい、またウエアに行くことはない。そのころには、多少品質の落ちるウエアでも、リスクマネジメントできるので、高級なウエアは必要なくなっている…という循環になっていると思われます。





Thursday, January 4, 2018

安全かどうかは、その人による

■ 体力一点豪華主義

若い人は誰でも、おじさん登山者に、「体力すごいですね~!」と言ってあげます。それは、若い人が礼儀正しく、おじさん登山者が言ってほしそうにしているからです。言わないと、もっとややこしいことになるのは、目に見えているし…。

本当にすごい人には誰も「すごいですね~」と言わず、もっと具体的で根拠を特化したほめ方をします。

■ 防衛体力

体力には、2種類あります。通常の体力と防衛体力。

通常の体力は、有酸素運動や筋トレでだいぶ人により変わり、そこらのへなちゃこ20代より、強つよの60代がいることも、また真実です。

これは、20代が弱いだけなのかもしれません。よくわからない。やる気の問題かもしれません。

が、防衛体力っていうのは、「年齢は嘘つけないね」ってやつです。

■ 個別事象

例えば、視力が衰えれば、夕暮れでは、こけやすくなるから、早めの下山が必要です。若い時は、少々のヘッデン下山は楽しみのうちかもしれませんが、視力が衰えると楽しみではなくなります。

コケて怪我でもすると、レスキューになり、それだけならまだしも、低体温症でピンチに陥ったり、長期の怪我の要因となったら、山に行けなくなったりと、リスクがリスクを呼ぶ循環に。

物忘れが多くなる=ロープはどっち引きだっけ?というのは、若い時より注意が要りますし、俺の手袋どこ?!さっき、ぽっけに入れてたよ、なんてのも増えます。

そういう意味で、いろいろと注意していくことが増えますが、全く覚えていない人よりマシで、新人さんは、「セルフ取りました」と言って、セルフを解除したりします。全く分かっていない人の危なさはないです。

また、経験値が高いということは、自己管理力が上がるので、たとえ末端の血管が弱くなっても、手首にカイロ張るという知恵があり、それを怠ることがないので、それがない若い人より、むしろ安全な人もいます。

というようなことを、事細かく解説するのは、めんどくさいので、一般的に、山やは

「安全かどうかは、その人による」

という言い方をして、結果

うーん、分かったような、分からないような?

と山を知らない人には感じさせてしまいます。

要するに必要なのは、

自分自身をよく知り、
山をよく知り、
予想される個別の事象を一つ一つ、つぶしていく…

ということです。

■ ついていくのが使命っておかしい

山域概念図が頭に入っておらず、右も左もわからないでバリエーションへという人は、ものすごく中高年に多いです。それは、たぶん、

リーダーについていくもの、という固定観念



山に行く前に、どういう知識がないと危ないことになるか?という山行シミュレーション

が、不足しているからなのではないか?と思います。

風が強かったら、どうするか?
雪が降っていたら、どうするか?
トレースがなかったら、どうするか?

いちいち個別に事象を予想して(仮説思考)、そのリスクに備え、

(リスクいっぱいで行けない)を(リスクはあるけど行ける)にひっくり返していく、

というのがゲームの本質だと思うのですが、違うのかな?