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Tuesday, June 19, 2018

やる気のある岳人vs面倒みられたい岳人


指導者クラスの人がいるとき、やる気のある岳人だったら、自分のパートナー候補者を連れて2個一で、指導者の前に立つ。


そうしないと、自立してルートに行けないからだ。

二人セットで連れて行ってもらったら、次は、自分たちだけで行って自家薬きょう中のものとする。そうしないと、いつまでたっても連れて行ってもらう、から、脱却できない。

一方、依存的な人は、一人で指導者につこうとする。のは、親の愛情独り占めと同じで、同レベルの相手を、競合相手と見なすから。面倒を見られたい、という思いが表れているわけだ。

私は、山岳会に入るとしたら、自分のパートナーを連れて入る、というのが正しい路線と思います。基本は自立した山を続けながら、自分の力が及ばない山の時に、助っ人で先輩に入ってもらう。

そんな山をするためにあるのが山岳会の役割と思います。

Tuesday, March 22, 2016

山岳会による新人教育が機能しない理由

■ 時代に会った方法を

山岳会による新人教育は、結論から言うと時代に合わずダメだろうと思っている。

理由は、山岳会は、”技術の向上”や”安全”よりも、”会の存続”つまり組織維持を優先するからである。

逆に言えば、組織さえ維持できれば何でもいい、に陥ってしまう・・・。

伝統がある会には、縛りが多く、若い人には人気がない。したがって、新人が入らないため、ごくまれに入った新人に対しては、上げ膳据え膳の高待遇が待っている。特に若い男子は必要以上に大事にされており、大事にされる方向がかなり間違っている。

だらりんビレイでも叱られず、スタンディングアックスビレイでは両手ばなし、それでも、先輩たちは死の危険を冒してリードしてくれ、おごり作戦で新人確保に努める。どつくなんてとんでもない。そんなことをしたら、あと何年自分が役員をしないといけないのだ?

上位団体が押しつけてくる、面倒な役割を次の者=後輩に押し付けない限り、自分がその役目を降りることはできない。

上位団体と言えば、あまりに新人がこないので、どうせこない客を待つレストランで新鮮なメニューが出せないのと同じことに陥っている。

師匠が驚く杜撰な山行計画書は、どうせ遂行されることがないからの慢心の結果かもしれない。

かろうじて維持されているのは、補助金や助成金でタダで山に行けるうまみがあるからか、結局遭難が起きたときに出動は警察署ではできないからかもしれない。

■ 一緒に行く方が危ない

私が退会したのは、会と一緒にいると、自分でルートに行くより余計に危険だからだ。

師匠に諭されて、会内でパートナーを育成したが、全くダメだった。仕方なく、他会の人と本チャンへ行くようになった。

すると、十二ヶ岳の岩場でリード試験を受からないと本チャンに行ってはいけないというルールができた。そこは私が初年度でリード済みの課題。結論を言うと、会は足かせだった。

1)会自体が足かせ
2)会と行くと単独で行くより危険が増える
3)会にいると高齢初心者の無料ガイド役をしなくてはならない=山の世界の後退に力を貸すことになる
4)会山行が宴会で山行日程をつぶされ邪魔になる(役立つ会話もなく、愚痴とセクハラ)
5)例会が不毛。何も決まらないのに出なければならず、時間を取られる
6)会は山行計画書に的確なアドバイスができない 

でした。実は退会して、余分なことをしなくて良くなったため、逆に山行が充実してしまった。

おそらく新人の目からみると、今の山岳会はメリットは少なく、逆にデメリットが多い組織形態になっている。

男性で、なおかつ技術的に自信があれば、会には属さず、自分で仲間を募って山に行ったほうがむしろ安全という結論になるだろう・・・。

すでに中高年&女性と、決して条件の良くない、私でさえそうなのだから、まして、体力に自信が
ある若い男性にとっては、いくらでも個人でパートナーを見出すことができるだろう。

≪関連記事≫
一緒に行った方が危ないこと ヨセミテさんのコメントに注目

■個人の時代

ベテランが言うには、今は個人の時代だ。〇〇会に属しているから安心とか、よく教育されている、とは言えなくなってきた。

技術(師匠)を得ようとする努力は個人的なもの。組織ではなく、やるかやらないかは、一個人の問題だ。

会に入れば、”会の存続”という理由で、その岳人に努力が一切なくても、一応大事にはしてもらえる。が、大事にされるために、新人側が慢心するので、何年いても、技術は身につかない。

これは同じように講習会仲間がぼやいていた。「みなさん、やってくださるんですよ」つまり、自分でリードしたいのにリードさせてもらえないという話。ロープワークも何もかもお客様待遇でやってくださる。ちなみに、この発言者はそんな会はごめんだ、という相談だった。

私が思うには、アルパインの基礎的な知識(スタカット)を1年たっても、独学できていないなら、有料の講習会に出るべきだ。先輩はすでに教えたのであろうし、そのままで万年セカンドでいいはずがない。熱意はなにがしかの方法で自分で示さなくてはならぬ。

現在の山岳会の新人売り手市場では、当然若さの為、体力で優位がある後輩は、会で技術を身に着けると慢心し、先輩のほうが体力が劣るという理由で、先輩をすぐに見切り、パートナーとしては短命だ。となると、教えた先輩には何も得るものがない。

教える側の先輩から見ると教え損に疲れる。私でさえまだアルパインは3年目なのに、片手には収まらない数の人にマルチピッチを教えて、疲れ気味だ。また最初からか~となる。以前3年目で辞めて来た人にアルパインに誘われたが、仕方ないだろう・・・その人は会から教わっていたから不義理だが、私は会からは教わっていない。

■ 教わろうと思ってくる人は依存的な人

山岳会に来る人は、無料で教えてもらえることを期待して入会するので、教えてもらって当然という依存的な人しかそもそも来ない。

その点については、普通のハイキングの会でも、リーダークラスは、最近入ってくる人は、山岳会を無料のガイドと間違っている・・・とぼやいている。

そういう状況下で、何がなんでも山岳会でやるのであれば、「うちの会では教えません。」と言ってから、来てもらわないと、結果的には依存的な人だけが残ってしまうことになる。

例としては、
・3年間、懸垂下降も自分では出来ず、ローワーダウンしてもらって本チャン。
・8年沢リード一回もせず、沢山行。
・8年山岳会に居て、ワカン履いたことがなく取り付け練習もしてこない。
・30年山をやっていて、地形図を持ってこない。
など。

正直に言って、現代は有料の講習のほうが、学びたい意欲がある人材が集まる。

学ぶ意欲があり、金銭と言う犠牲も払う覚悟がある人は、そもそも精神的に自立しているので、会は不要だ。入っていても、在籍しているだけで、活動は自由にやっているようだ。

パートナーも教育も、山行アドバイスも会には期待していないので、例会に出なくて良い、しがらみがない会のほうがいいと言う結論になる。

結局簡単に言うと、古い革袋には新しいワインは合わないのだろう。

とこのような理由で、新人教育をやりたくても、山岳会という組織継続を目的に行うのは、教わる側の依存性を排除できないので、無理である、と考えている。

≪関連記事≫
失われようとしているベテランの知恵

55歳の先輩と北岳に行った時の記録
雪上訓練が会で出来ない理由

Thursday, December 31, 2015

山岳会の歩き方?

■ 山岳会のタイプ

山岳会には色々なタイプがある。

中でも、誰もがイメージしやすく、一般的な会は、地域山岳会、だろう。その土地の名を冠していることが多い。

≪山岳会のタイプ≫
 ・地域山岳会
 ・特定の志向をもつ会 例:沢専門の会のトマの風 など
 ・同人

■ 高齢化

地域山岳会は、特段書かれていないが、使命は、

 その地域の山好きな人々のニーズを満たすこと、

にある。

”その地域の山好きな人々”の具体的な中身は、世相をそのまま反映して、高齢化している。つまり、一般社会の縮図であり、特定の志向を反映したものではない。

一般社会が高齢になれば、山岳会も高齢化し、一般市民の個人登山のレベルが下がれば、山岳会の山行内容もレベルが低下する。それが普通の事なのだ。

■ 年を取れば穏やかになるのが自然

誰でも、高齢になれば、穏やかな山をしたいと思うようになるのが自然だし、体力も落ちるのが普通のことだ。高齢になれば、今から山で成長する、とは思わないのも普通のことだ。

もちろん、年齢ではない、という部分もあるが、それはどちらかというと、特殊な志向に入るだろう。・・・と言う帰結の結果、多くの地域山岳会は、内実は、

 (60代以降の)高齢初心者が行きたい山を主体とした会、

となっている。

そういう会でも、若かりし昔は、アルパイン的な山にも行っていたのだろう。その当時は、”その地域の人たちが行きたい山”がアルパインだったのだろう。

会は人の集合なのだから、行きたい山は、その会に属す人たちが行きたい山で、それが変化して行けば、その変化に合わせて山の内容が代わっていくのが自然だ。

■ 浮遊票 =行きたい山が分からない人

極端な例だが、10人の会で、9人が高尾山へ行きたがり、1人がアルパインへ行きたがるのであれば、その会の山は高尾山だ。

一方、山に嗜好を持たない人もいる。(そういう人が山好きかどうかは別の議論になるが・・・)

嗜好がない人は、”山はどこでもいい”という人だ。会の行き先が多数決的な決まり方をする以上、日和見主義的な人は、多数決派には好都合な存在となる。

そうなると、会には政治が出現する。自分の意思(行きたい山へ行く)を通すためには、票が必要という訳だからだ。

行きたい山に行くために政治活動をしなくて行けなくなるのでは、山という趣味がシンプルではなくなる・・・趣味は人生を豊かにするものであって、複雑怪奇化するものではない。

そう考えると、政治が出てくる、得票争いをしないといけない、ということ自体が、裏返せば、その集団がもつ山への志向性が一致していない、ということを意味するのだ。

■ 行きたい山に行く会が良い会

自分が行きたい山に行かない会に所属しても仕方がない。

山への志向が同じ人と登るのが、人間は誰しも一番しあわせなのであるから、ハイキングがイイと思っている人に無理して、アルパインに行ってもらわなくてもいいし、アルパインと言えども、ビレイは手放しでよく、後輩は先輩にくっついて行くだけで良いと考えている人と、互いに互いの安全を保障し合うのが仲間だと考えている人は一緒に行かなくて良い。というか、一緒には行けない。

命の軽視を意味するからだ。

客観的に見て、レベル低下を招いている一般山岳会に、”一般市民が楽しむレベルの”アルパインクライミングをしたい人は、所属すべきではないし、勧誘するべきでもないのかもしれない。

ただ一般に人は、そんな内部的な事情は分からない。ただ山岳会に行ったら、山小屋で会うような山好きがいっぱいいて、尽きぬ山の話で盛り上がるんだろうな!って思っているだけってことだ。

山好きが山岳会の事情や実情が分かるためには、山岳会に一度は所属しないと、右も左も分からないかもしれない、ということは言える。

■ 同人

同人というのは、一つの山頂のために集まった人の集まりだ。

私が思っていた山岳会に近い。山に対する考えが同じ人たちが集う場所、だ。

したがって一人一人が自立したメンバーである。最初から山を教えてもらおう、というような依存心が強い人は来ない場所なのだ。知っていることが前提だ。

しかも、同人の場合は、声を掛けられるまで待っているような人には向かないらしい。

つまり、”行きたい人いませんか?この指とまれ”式ということだ。

各自が行きたい山がある、それが前提だ。”連れて行ってください♪”っていうのはナシ、”〇〇へ行きたいんだけど、どう?”って話だ。

■ 欲しくない人が来てしまう

アルパインクライミングを志向する会です、と表に書いてあるのに、アルパインクライミングという言葉の内容があまり知られていないため、「大菩薩に登りたいです」という人が昨今は来てしまう。

そういう会では、毎月一人は入会者がいるのだが、結局、会の中には大菩薩に行きたい人はいない=誰にも誘われることがないので、辞めて行ってしまう。入会金の払い損になるのだが、勉強不足のツケということだろうと思う。

大抵の人が、ハイキングや初級の雪山のような、自分で行ける山も、だれかに連れて行ってもらうことを期待して、山岳会の門をたたくようで、そういう人には、高齢化した地域山岳会が、山としては、合っているかもしれない。高齢者が主体となってしまった会はハイキングの山に行っている。

・・・が、面倒を見られたい若い人は入ってこない。そりゃそうだ・・・わざわざ休日を楽しみたいと思って山に行っているのに、「早く子供を産みなさい」とか、「浮気したい」と言われたい人がいるだろうか?

なので、山を楽しむどころではなくなってしまうので、行く山そのものはおなじなのに、一緒に行くと、大抵は失敗する。

一緒に行くと、”敬老の日”みたいな感じにはなる。だが、一緒に行く方も、そもそも一人で行けるようなハイキングの山に、ガイドブック役を頼み、連れて行ってもらっているのだから、文句は言うべきであるまい。

あるいは、すでに高齢化している会に、定年退職して初めて山を始めたという高齢者が来ているという実情があるが、若返りたい会としては、欲しい人材とはちょっと違うな、ということになる。それも、高齢初心者お断り、とは書いていないのだから、門前払いはできないだろう。

結局、会で若手に入ってしまうと、若返りの期待のためだけに、ちやほやされるだけで、ちっとも行きたい山には行けない、ということになる。

逆に受け入れ側から見ると、ちやほやしてやっているのに、恩返しがない、ということになる。

■ 体力のミスマッチ

高齢化してはいても、山岳会の高齢者は健脚揃いだ。

体力のない高齢の初心者を、体力度5の山に連れて行ってしまう。多分、自分が若いときに山を始めたときには、体力度5の山が入門の山だったからだろう。

一般ガイドブックで、体力度5の山は、山岳部から登山をしてきたような登山者には、”初級”だ。

だが、一般市民レベルからすると、体力度はかなり高度だ。 初級と言う意識でこれくらい歩けて当然だと思うと、ヘッデン下山になる。

その例は、八ヶ岳の赤岳で、一般登山のガイドブックでは最高ランキングのレベル5だが、山岳会の人にとっては「赤岳?日帰り当然ね」だ。(雪上訓練を受けていない人は積雪期の赤岳に行くべきでない。が条件が良ければ、無雪期より易しく歩ける。)

昨今の引退後の登山初心者も、引退後ではない、普通の若い人も、想像を絶するくらい弱い。

ガイドブックにある、コースタイムの1.5倍では、間に合わないのが普通で、2倍は軽い。

やはり、大人になって登山を始める人は、ガイドブックの体力度1から始めないといけない。

が、一般的な山岳会にとって、そのような山は、山のうちに入らないであろう・・・。先輩となる人たちは、コースタイム2倍だと嫌になってしまうだろう。

山梨の山でいえば、片道1時間の日向山などになるが、そんな山に会山行で行かないといけないとしたら、みな困ってしまうだろう。

北岳だって日帰りなのに、北岳は一般レベルでは体力度4の山だが、こうしたかけ違いを認識しないまま、初心者の新人を励ましの美学で、山に連れて行ってしまうことが事故につながっているのではないだろうか?

■ ちゃっかりもしている

一方、入会してくる人も、ちゃっかりしている。

 無料のガイド登山を期待ている → 高齢者のことが多い
 無料の講習会を期待している   → 若い人のことが多い

のどちらか、だからだ。 どちらも有料のサービスがあるので、

 山行計画を立てたくない
 リーダーをするのは無理でも、サポートするくらいでも協力をしたくない
 食当をしたくない
 共同装備を担ぎたくない
 地図を読みたくない

という、”無責任体質”な人は、山岳会に来るべきでない。

ある会では、

 「リーダーをしないといけないなら、ワタシ会を辞めます!」

と言い放った人がいたそうなのだが、そういう人は、率先して辞めたもらったほうがいいのである。

(だが、頭数が欲しいとそれもできないようだ)

■ 山岳会が腰が低すぎるのか?

私の師匠の言い分は、最近の山岳会は腰が低すぎ、誰でも入会させすぎ、というものであった。

上記のような発言を聞くと、たしかに、そうだと思える。

師匠は、私が2つ穴しかないバケツ型のビレイデバイスを購入したら、

「リードする気がない人には教えない」

と言い放った人である。芯が通っている。

■ イケイケ過ぎても・・・ 

しかし、リードのお許しは、ついぞ出なかった、アイスクライミング・・・(笑) 自立したい、という人にも、”下積み”時代は、予想以上に長いものなのである。 

これはクラックも同じで、ジャミングは微妙で感覚に依存する部分が大きく、確実性が得にくい技術なので、なかなかすぐにリードへ移行するわけにはいかない。

友人のクライマーのボヤキも「まだリードさせてもらえない・・・」というもの。共感する。

「みなさん、リードしたいってすぐ言うけど、しばらくは無理ですよ」とは、著名クライマーの現実的な意見・・・

落ちて死にそうな人はリードはまだ早い。

これは、行く山も同じで、前のパートナーは、三つ峠で3Pに2時間半もかかるのに、北岳バットレス4尾根に行くと聞かず、結局、説得できなかったためにパートナー解消となった。必要になる技術の見積もりが、新人は甘いのだ。これは先輩が言ってくれた言葉が納得性が高い。

「先輩、後輩ってある程度必要だと思うんだよね。後輩には、判断しようにも判断する材料が経験がないから、分からないんじゃないかな」

つまり、何が核心か分かっていないのだ、新人は。

体力とクライミング力があれば、行けると思っているんだが、どっこいルートファインディング力と読図力がないと、行っても取り付けず、ひどい場合には、4尾根とおもって、2尾根に取り付いてしまうし、登れたものの、取り付いたものの、家に帰れなくなってしまうのだ。

■ 講習会

しかるに、結局は、

 ・判断は謙虚に、臆病に判断し(自分は間違っているのではないか?と常に疑う)、

 ・山に必要な責任は積極的に担う

 ・リスクを冷静に見極めようと努力する 

ということが必要なのだが、これらの条件を満たした人材が豊富に集まるところ・・・といえば、

 講習会

というのが、私の出した結論だった。

もちろん、講習会も中身とレベルが重要で、地図読み講習会なのに、地図って上が北なんでスカ?みたいな”幼稚園レベル”の人が来てしまう。もちろん、学びたい心は素晴らしいのだが。

■ レベル分け

講習会では、レベル分けがある。この ”レベル分け”が、悪平等を好む日本人には、ソリがあわないかもしれない。が、大事なことだ。

1時間300mでゆっくり歩きたい人と、500mでさっさと歩きたい人が一緒にいても、目指している方向性が真逆なのだから、どちらにとっても楽しくないのだ。

初心者には、だれでもハイキングレベルの山を数多くこなす時期が必要だが、それが終わっている人が来るところが、山岳会であると思う。

が、そのハイキングレベルの山を数多くこなすことを一緒にやりましょう、という会があっても悪くないと思う。

要は使い分けだ。 混線すると、問題が増える。ハイキングの価値観を本格的な山に持ち込んではいけないし、ハイキングもできないのに、本格的な山に行ってはいけない。

普段タッチして、すぐ降りなくてはならないようなシビアな山ばかりをしている人も、すこしは、花について学んだり、動物を観察したりする時間や、郷土の山と人のかかわりを学んでも害にはならないだろう。

■ 行きたい山ではなく行ける山

結局、どのレベルであっても大事なことは、

 行きたい山ではなく、行ける山

という方針で動く事だと思える。私自身はそうしている。

”今あるスキルで行ける山”を選んできた。

ということは、つまり、以下のようなことだ。

雪上訓練とロープワークの手ほどきを受ける前は、厳冬期の赤岳は登らない。(事実、登ってもいない)

本式の滑落停止やアイゼン歩行を学ぶ前に行くべきでないと思ったからだ。

雪の岩稜歩行が必要となる、赤岳に行かなくてもステップアップできる山はいろいろある。体力で解決できる鳳凰三山もだし、ラッセルの山もそうだ。金峰山なら、厳冬期でも雪上訓練済みである必要はない。

■ 安全につながるステップアップの仕方

本式の滑落停止やアイゼン歩行を学ぶ前に、もしガイド登山で雪の赤岳に登ってしまうと、どういうことになるか?

たまたま登れたことや、力不足を自覚しない登山者になる。

だからガイド登山は選ばなかった。求めているものは、たまたま ではなく、

 確実で安定したスキル

だからだ。私は単独で雪の赤岳には登っていないが、雪の赤岳より難しい、横岳&大同心稜の縦走やジョウゴ沢のアイスクライミングルートに行った。ということは、今では雪の赤岳が楽に感じられる段階にいると考えられる。つまり、赤岳へ単独で行っても安全マージンができた。

仮に単独で登るなら、そういう風に、いつくか上の山に、仲間と経験として登っておいて、厚めの安全マージンができ、その山に行くのに何が必要なのかを理解してから登るのが、本質的な安全につながると感じている。

10の力をつけて、8の山に登らないといけない。そうすれば、8の山は、チャレンジ山行ではなくて、ご褒美山行になる。10の力をつけるには、12の山が必要だ。

■ クライミングの位置づけ

クライミングをしないと、山には行けない。

それを分かるようになったので、あまり興味がなかったクライミングも受け入れた。その仕組みは、こうだ。

山に行くには、ロープワークが必要だ
 ↓
覚えるには、日ごろロープに触れる機会が必要
 ↓
クライミングが必要
 ↓
クライミングするには、自分が良きビレイヤーに、まずはならないといけない
 ↓
ビレイをマスターしなくては
 ↓
ビレイを理解するには、リードしなくては
 ↓
リードするには、最低限クライミング技術がなくては
 ↓
ボルジム

だから、安全に山に登りたいと思う人は、クライミングは避けては通れない。

山岳会に来る人は、一か八か登山をしたい!という人ではないだろう、というのが、ごくノーマルな思考である。

そうであれば 自分の身の安全を求める人は、結局クライミングや自分がビレイするということは、うけいれなくてはならない。自分の身の安全を守ることだけを会に求め、自分が他の人の安全に対して無責任であればよいというのは一方通行だからだ。

なにも、誰もが5.15を目指せ、というわけではない。

ところが誤解が多く、その誤解は、誤解ということにしておくと都合がよいから、そのままにしている、というご都合主義が根底を支えている。つまり、甘えっぱなしを正当化するために”分からない人のフリを何年もしたままでいる”ということだ。

私が知っている例では、登山歴30年だと言っていたのに、2万5千の地図を持ってこない人がいた。当然だが地図読みも出来ない。できるのは後ろを歩くだけだ。それでは、自分は、仲間に安全保障されているかもしれないが、自分は仲間の命の安全保障に何も貢献していない。

みなクライミングには、まともに取り組まない。それはそのほうが楽だからだ。墜落死の危険があるトップは、人にさせてしまうほうが楽だから、”しない”だけなのに”できない”ということにしている。
(これは登山計画書の作成も同じことだ。)

実際、5.9が確実になるだけでも、ものすごい大きな努力の量が必要になる。それが分かるから、やらないで済ませるほうを選んでいるらしいのだ。

それは頼られるのが好きなリーダーにも、責任の一端はあり、持ち上げられて喜んでいるために、役割が固定してしまっているのだ。もちあげるほうには狡さが、持ち上げられる方には甘さがある。

しかし、難しいのは、本当に無理なところを無理強いして行かせてしまうと良くない。リードは危険が伴うため、自信がある人にしかさせてはいけないのだ。

「自信がない人にはリードはないな」というのも、山の掟の一つである。

■ 突っ込む人

登れる確信がなくても、フリーソロで行ってしまう、という人も存在する。何が危険なのか、まだ分かっていない人だ。

こういう人は逆に後続を危険に晒してしまう。その人と一緒に行く方が、単独で行くよりむしろ危険な人材だ。

「度胸は必要だが、度胸だけの人もちょっと・・・」

と先輩は言っていた。度胸には技術の裏付けがあってこそ生きるものなのである。クライミングシステムがどう命を保証しているのか、と言うことに対して、きちんとした理解が必要だ。 

そうした土台がなく突っ込む人とは一緒に行ってはいけない。

■ 一緒に行ってはいけない

逆に山岳会の方から、

 他会の人間と一緒に行ってはいけない

と言い出すことがある。会則に禁止がなくても、他会の人間と行くことを快く思わない会が多い。

しかも、会内では、行きたい山に募集を掛けても行く人がいないのだから、始末が悪い。

一緒に行ってはいけない、というのは、会がそれくらい、会員に対して責任感を持っている証だが、これは、年頃の娘に、父親が、デートしてはいけない、というのと同じようなことだ。

人は誰だってしたいことをしたいのであるし、したいことが提供できない会のほうが問題であって、その逆ではない。

■ 組織のための組織

また、会というのは、組織のための組織に陥りがちなのである。

つまり、会が存亡するために、頭数が欲しい、と思うもの。

それは活動の質よりも、組織としての体裁が歴史経緯的に必要になってしまうからだ。

どんな会社だって、創業50年でつぶれるのは悲しい。創業3年で亡くなるより、創業50年で無くなるほうが悲しむ人の量だって多いだろう。

しかし、生まれたものは必ず死ぬのである。大企業だってつぶれる時代なのだから、大きい組織ほど、矛盾が多くなり、形骸化・レガシー化して、名と体がチグハグになっていくのは仕方のないことだ。


■ 結局どうする?

 敷居を下げる → 来てほしくない人が来てしまう

 敷居をあげる → 来てほしい人まで来なくなる

と、さじ加減が難しい。

結局、企業のリクルーティングと同じで、

  来てほしいのは、どういう人か?を明瞭にしておく

ことが一番大事なのではないだろうか?

 一番ダメなのは、八方美人

である。あれもできます、これもできます、というのは、もっとも焦点が合わない。

企業も一昔前は多角経営の時代であったが、選択と集中の時代に転換してからも、もう20年以上たっているのであるから、20代も60代も、というのは、無理があることなのだ。

ということは、幅広い年齢層が活躍しています、と書いてある会へは若い人は行かない方がいいのかもしれない。

■ まとめ

以上、とりとめのない文になったが、私のアンテナにひっかかった先輩たちの言葉や見聞きした現実から、こういうことになっているようだと思える事例を取りまとめてみたもの。

あまり、ここから結論を出すということは意識しないでいただきたい。

ただ、1年半程度見聞きしてみたら、こういうことになっているようだ、ということだ。


Monday, December 14, 2015

山行管理のこと

山岳会に入会する人は

 ・教育
 ・同行者

に山岳会入会の意義を見出すものだ、と思うが、教育という点では、やはり人材面や余暇の少なさから、会だけに頼るのは、現実的には相当な無理がある。

だが、その部分は、ガイドさんや各種山岳関係の団体の講習会で有償で補われているような気がする。

さらに、同行者という点でも、山岳会はあまり機能していない・・・。普通にフリークライミングをする仲間を山岳会の中に発見しようとすると非常に困難だろう。

同行者は結局は、非常に見つけるのが困難で、自分で探す努力が欠かせない。探し出した同行者は、探し出した人が育てなくてはならない。

■ 遭難対策

あまり新人さんは重視していない機能の一つと思われるが、山岳会の重要な機能の一つは、

山行管理

だと言われている。

しかし、遭難するかもしれない・・・という心配があまりないと、まったく重要性が認識できない点かもしれない・・・。

山行管理、という言葉自体が、”管理”という名前が付いているので、なんとなく、”あーしろ、こーしろ”とコントロールされているような気がして、どうも好きになれない、という言葉であったりもする。

また、山岳会に所属しない理由の一つとして、山行管理がうざい、というものがある。

山行管理がうざいというのは、本当に本末転倒した見かたで、山を怖いとは思っていない、ということを証明するしかないのだが、でも、本音としてはよく下山報告はするのを忘れる(笑)。

それで、便利なのが、ヤマレコの下山報告システムで、下山報告をするのを忘れると、忘れていますよ、というメールが来る。

その上、各警察署に直接ネットから登山計画書を提出することができる。きっと登山ポストに入れるより、検索で便利に探してもらえるに違いない。

■ ニュージーランドのこと

山岳会に所属していれば、もし下山してこなければ、探しに来てくれる。

でも、例えば、アイスクライミングにいくというような、行くのにそもそも、スキルが必要な山であれば、探しにくることができる能力も、それなりに必要だ。

結局探しに来てもらえないような実力しかなければ、その会に所属している意味自体がないかもしれない。

以前、ニュージーランドの登山を企画した時に、ニュージーランドでは、登山者全員に登山計画書の提出が義務付けられ、下山してこないと、すぐにヘリが飛んでくる、ということに感心した。

日本でも、登山口に計画書のポストがあるときは入れている。

のだが、下山したってことはいつも報告しない・・・ので、意味ないよなぁ~と感じていた。

しかし、ニュージーランドでは、全登山者が入山時に補足されている。これは外国人かどうかも関係がない。入った人はいつ入り、いつ出たかまで知られるところとなり、下山してこない場合には、レスキューが自動的に出動してしまうのだ。

こうしたシステムなど、とても進んでいるのではないだろうか?

そうすることで、登山者は人の援助の手の届かない、隔絶されたところへ行くのだという意識が浸透して、地図の不携帯などによる、下界意識を山に持ち込んだことによる遭難はとても減るだろうし、遭難した場合も初動の遅れが無くなるだろう。

しかも、全山域に携帯電話網を整備しよう、などという自然環境保護と逆行したことをしなくても良くなる。

自然は自然のまま保存され、人の安全は互いの助け合い協力で守るべきなのだから。

Thursday, October 15, 2015

良きメンバーとは

■ 山と助べえ

 ・酒乱の男が好き、とか、
 ・浮気性の男が好き、

って、女性がどれくらい、いるのかどうか?疑問です。誰ですか、山岳会でのセクハラを我慢しろなんて言うのは・・・。そんな神みたいなことは他人に強要できません。

例えば、山には地図を持って行かないとダメだというのは、押し付けであると師匠に指摘されました。

しかし、私は山に地図を持って行くべきだ、というのは、個人の意見の押し付けではないと感じました。

■ ボトムライン

一方で、人目を畏れる人は、 何を言われても自分が非難されていると感じる、ということがあります。それはその人の問題で私の問題ではないかもしれません。

やはり、山が基本的に危険であるという前提を考えた場合、一般常識だけを拠り所として、

 安全を考えると、体重75kg以上の人はクライミングお断り

とか、

 ビレイできるようになってから、岩に行くべし

とか、

 山行計画は各人の力量にあった計画を立てるべし

とか

 皆で山行計画の妥当性を検討すべし

とか

 雪山で酔っぱらいはご法度

とか
 
 読図は登山の基礎である

とか

 装備不足は危険である

などは、万人が納得できることではないでしょうか。

■ 油断や慢心

私自身もまた、油断や慢心は、気を付けたいと思っている点です。人間は安きに流れる生き物です。

個人で山に行く場合より、団体で行くようになると、甘えや隙ができるということは、誰であっても、あり得ることです。

ですから、未組織登山者としてやっていく方がよりシビアであると思います。隙や甘えのできようがありません。 

 ・誰かが地図読みはやってくれるだろう

 ・行ったことがある人がいるから大丈夫
 
 ・自分はついて行くだけでいい

 ・経験者(リーダー)が判断するから、任せておけばいい

そういった認識が、雪山やバリエーションルートでは特に危険です。

 ・リーダーはメンバーがサポートすべきもの

 ・各人が自立した登山者であるべき

という点について、異論がある人はまずいそうにはありません。

良きメンバーとは、一緒に行くことで安全性がより高まるメンバーである、ということも異論があるとは思えない。

一緒に行くと、一緒に行かない場合より、より山行が困難になる関係は、もはや協力関係とは言えないのかもしれません。

無料のガイドツアーとうまくいっている山岳会の境界線は、実は髪の毛のように細いものなのかもしれません。

私はメンバーを見て山行を取りやめたことがガイドツアーでもあります。お金を払って、自分で行くより危険と分かっているツアーに有料で行くことは合理的でないからです。


 


Wednesday, October 14, 2015

学習院大学、阿弥陀岳遭難事故報告書を読んで ・・・山岳会を考える その14


■ 深謝

まずこの事故報告書の入手について、謝辞を述べたいと思います。ありがとうございました。包み隠さぬ勇気、また誠実さに心より尊敬の念を表明したいと思います。

逃げも隠れもせず、事故報告書を一介の個人登山者にまで配布する姿勢は得難いものです。強い正義感と使命感を感じました。誠実さとは、このような態度を指すのではないでしょうか。

昨今、山岳遭難は、原因の究明がうやむやになりがちです。事故を起こした山岳会は、うわべだけの報告書とうわべだけの対策を出して終わり、というところがほとんどです。

事後対策が何であるのか、分からないことが多く、それどころか、山岳会のHPそのものが閉鎖されることも多いです。

遭難へつながるような、軽微な”ヒヤリハット事件”は、反省を受ける機会がないと、ハインリヒの法則によって、、そのまま、遭難確率を高めるだけの、”ロシアンルーレットの空砲が一つ減っただけの状態”を作り出し、遭難確率はますます高くなります。まさに天国への階段を一つ上がった状態、となります。

このような時勢の中、学習院大学の誠実で、かつ公明正大な姿勢は、模範とすべきで、尊敬に値する素晴らしい行いだと思います。

このように遭難に至った経緯、対策のまとめが、世の中で共有されることこそ、遭難を減らす唯一の手段であると、確信しています。

私は、1年半ほど社会人山岳会に在籍しましたが、大学山岳部で起っている状況は、社会人山岳部と同じである、と思いました。

以下、報告書より、問題点の指摘と対策の抜粋と、当方が社会人にも生かせる学ぶべき点と考えた感想です。

■ 内在していたリスク

問題点1)  知識、経験が秀でている者に判断を任せていた

リスク                             対策
1)自発的に行動することをだんだん疎かに   → 自ら考え・意見を発信する
2)組織としての役割分担ができていなかった  → 役割分担をし、上級生が下級生を指導する

基本的に、社会人山岳会も同じ構図です。依存者が増え、自立した登山者は、むしろ歓迎されない風潮があります。

役割分担も担おうとすると、むしろ煙たがれる傾向があります。特に女性に対してはそうです。

山の良さは、合理性だけで判断して行くことがもっとも安全だという点です。下界の上下や性別は関係ありません。合理的でない場合、その判断には、かならず、影が付きまといます。

山のひとつの良さは、性別・年齢にかかわらず、安全だけを判断の拠り所とすれば、正解が導き出される、ということです。誰が言うかで判断を変えれば、安全が遠のきます。

無理のある山行の指摘をするのは、仲間としての義務ですが、逆に煙たがられた上、参加してもいないのに食当費を請求される経験もあります。

こうしたことは、事実よりむしろ、それを受容する文化が問題です。山は山の合理性だけで判断すべきです。

そもそも、リーダーには盲従し、自立しないことを求める社会的風潮が日本社会自体にあります。意見は歓迎されません。これは、日本社会に特有な文化的な問題があります。

大事なことは、メンバーには、リーダーをサポートしよう、という姿勢が必要、ということです。リーダーだって間違えます。

問題は、誰もサポートしたがらず、サポートされる一方通行を期待する人がほとんどであることです。

問題点2) 山岳部として安全を担保するための考え方を教わっていなかった

1)軽量化を重視し、装備を削った
2)安全性を重視せず、最低限守らなくてはならないルールを軽視していた

これは計画書にある装備を削ったことの反省です。予備の靴下やマット、水を作るための入れ物、満タンのガスカートリッジを持っていなかったことなどが、ビバーク時の不手際へつながり、体力消耗→凍傷のシビア化へつながっています。

最低限、守らなくてはならないルールとは、後述される”目標達成より安全第一”ということです。

個人的には、(何かが起こった時の装備を持っているという事後対策の充実)より、(そのような目に遭わないための予防的対策)により力点をおいて欲しいと思いました。

例をあげれば、ビーコン携帯より、頻繁に雪山に行き、雪崩の知識を持つことです。

問題点3) 上級生の積極的参加意識の低下

リスク                             対策
1)部としての年間目標が腑に落ちていなかった   → 年間目標等の議論徹底
2)山行を漠然とこなしていた               → 毎回の山行の目的を各人が持つ

これは、社会人山岳会では、より一層顕著ではないかと思われます。多忙を背景に、議論する時間がありません。また大学生と違い、議論の土台となる、基礎知識が個人でマチマチで揃っていないため、まともな議論が成り立たず、議論すること、そのものが非常に困難です。そのため、分かっている人の負担が大きすぎ、背負えないかもしれません。

大学生であれば、そうした議論する時間が持てるのは、特権的でさえあるかもしれません。

問題点4) 危険と安全に対する意識が欠如

リスク                       対策
1)危険と安全に対する意識が欠如     → 全員がリスクを主体的に考える

報告書には、”危険と安全に対する意識の欠如が最大の事故原因であると部員は考えている”と書かれています。

つまり、平たく言うと、”慢心”です。「自分はなんとかなる」と山をどこか甘く見ていた、と書かれています。

このような意識の欠如した人材を、依存的登山者と言います。しかし、端的な例で行くと、3年登山をして、地図を読めないのは、完全な依存状態の表明です。危機管理ゼロです。

特にマルチピッチや本チャンなどの”本格的”という形容詞が付く登山をする人にとって、地形図が読めないことは、登山者失格と同じ意味です。

依存者が非依存者に変容するためには、何をしたら良いのでしょうか?学習院大学の学生らは、どのようにかんがえたのでしょうか?以下が対策です。

■ 対策のまとめ

1)机上講習の充実

既に行われている年間15回程度の机上講習をより充実させる。具体的には

・インプットだけでなく、アウトプットを行い、進捗度と定着を図る
・遭難事故を学習する機会を設ける
・登山の歴史や思想を学ぶ
・自分にとって、登山とは何なのかを自主的に考え、山と真摯に向き合う

私は常日頃、個人的に、社会人山岳会に必要なのは、基本的な登山知識の共有だと思っていました。大学山岳部が、年間15回も机上講習していたとは知りませんでした。15回は、すでに非常に多いです。それでも、遭難事故を学ぶ機会がなかったのは、残念ですが、そこいらの登山者より、すでに質の高い教育を受けていると思います。

私は、例会で山行の報告と反省をするのが良いと思います。私自身も、この夏、メンバーの危ない山行計画を見抜けず、ヒヤリハットを経験しました。しかし、それを共有する場はありません。個人の勉強不足を組織でカバーする体制は、もっていないので、それ以来、慎重に参加する山行は選んでいます。

私は個人的には、登山計画は複数のベテランに相談しています。

2)合宿、個人山行のあり方を見直す

・合宿では、目標達成より、安全を重視する
・コンパスの使い方や地形図の読み方など基礎的な技術を、各人が身に着け、個人レベルで安全な登山ができる体制を作る
・不足している技術は、積極的にOBに協力を仰ぐ

これは、社会人に置き換えると、合宿山行と言うのは、今ではテント泊ではなく、小屋泊になっていますし、また参加者の減少により、個人山行レベルになっています。強いリーダーがいれば、リーダーにお任せの山行になりがちです。

また地図読みなどの基礎技術をマスターした人とそうでない人、そうしようという意識を持つ人、持たない人のかい離が大きいです。一生ハイキングで良ければ、目的意識を持ちようがありません。
しかし、ハイキングの人にも同じように降りかかってくるのが山の危険です。

ハイキングの人は山を勉強したいとは思わないのが普通ですが、山のリスクをきちんと対策できていないと本来は山に行けません。が、仕方ないから・・・と連れて行く現状があるのは、本人の努力に依存するため(馬を水場に連れて行くことは出来ても、水を飲ませることはできない)、会内では、あきらめムードだからです。

つまり、最低限のリスク対策、地図読みは、教える側が、教わらない側に根負けして、自分でやった方が早い、となります。

また、逆ベクトルですが、陳腐化も起ります。つまり、ベテランには目新しいことがなくツマラナイ、ということです。

山行計画立案や、カモシカ山行、アイゼントレ、滑落停止、初級の岩やスタカットの練習など、技術的にベテランにとっては陳腐化したトレーニング山行も、ベテランにとっては、あまり実行する意味がなく、意味がある初心者は、意識が低いため、めんどくさくてやらない・・・と双方が、多忙を口実に・・・か、どうかは分からないですが、結局のところ、参加者が集まらず不催行、となります。

必要な技術を身についていない人は、山行の内容をきちんと制限する必要があります。
(例:アイゼントレを受けていない人は赤岳不可。)

3)リーダーを務める山行を積極的に行う

・下級生も年に3~4回はリーダーを務める山行を行う
・その際は、計画立案段階で、山行計画の内容を部員全員で検討する

山行は自分で行くのと、連れて行ってもらうのでは大違いですから、これは非常に良い対策だと思います。単独で行くより、簡単な所しか、初心者を連れて行く場合は行けないので、その差も分かるようになると思います。

■ OBOGからみた現状と今後

1)ルート計画時の山域概念の勉強不足
2)予備手袋・靴下等の持参不足
3)下級生の装備チェックをしていないこと

・コンパス・地図の現在地把握不足
・行動記録がない
・部員間のコミュニケーション不足
・緊急時の本部連絡の遅延
・日々のトレーニングでの目標がないこと
・合同トレーニングがない

これらは、社会人山岳会も同じことです。 現在地把握は、GPSにお任せで、紙の地図ではできない → 一般道しか歩けない、となっています。

コミュニケーション不足 → 多忙を口実に例会へ出ない、例会に出ても身のある議論がされない文化

日々のトレーニング → グループ全体としての目標や全体の練習と、基本的に逆のベクトルに、つまり、属人的(個人に任せる)へ移行しようとしていました。それが私の退会の決断の決め手になりました。

・部員からOBへ意見が言いづらい環境
・意見が否定される経験の積み重ね
・OBの指導の俗人化

これはどの山岳会でも言えることではないでしょうか・・・(ため息)。

このような環境下で、属人化を促進すると、会として組織立つことの意味がなくなります。

もとより、同人という組織は、各人が既に自立した登山者であることが前提です。そうでないことが明らかである、平均的山岳会という組織で、属人化を強めると、会の内部での個人差は広がる方向に行き、全体のレベルアップは期待できなくなります。依存は、さらに強まる方向になります。

・OBとの関与の薄さ
・その結果の伝統、知識、経験の伝承がされないこと

これは昨今、社会人が多忙を極め、趣味に割く時間が取れないということは、30年前とは異なる状況であり、仕方のない面があるように思われます。時代の変化ということです。

■ 個人で引き受ける責任

この事故は、私が単独テント泊していた日に、同じ八ヶ岳で起きました。私にとって八ヶ岳は思い入れの大きい山で、雪山で山を始めたため、ステップアップも八ヶ岳です。

バリエーションルートを行くような、本格的な登山者としては、2年目の去年は、ぜひ阿弥陀北陵を登りたいと思う時期でしたが、パートナーの都合により、不参加。そのため、翌週、ソロテント泊で天狗岳に登頂しました。

その同じ日、学習院大学の阿弥陀北稜での遭難事故が発生し、ニュースなどから考察を深めていました。

余談になりますが、社会人山岳会では、予防的対策は、危ないなと思ったら、単純にその山行に行かない、ということです。

敗退を受け入れることができるような、山ヤとしての能力が高い人は、とても少ないので、敗退したくないメンバーが揃っている場合には、山行そのものへ不参加表明すると言うくらいの割り切りが必要です。

しかし、リーダーの判断を待たず、不参加表明することは、嫌われる元です。

しかしながら、嫌われることと自分の凍傷や命のリスクでは、自分で自分の命の責任を持つことの方が、おそらく万人にとって、より重みがあるかもしれません。

それには、あやうきには近寄らず、ということで、退会ということも含まれるかもしれません。

≪当ブログ内での阿弥陀北稜関係、遭難関連の記事≫
スノーバー買いました
八ヶ岳は天候核心
阿弥陀遭難を考える
阿弥陀北陵から学ぶ ベテランとの対話
学習院大学の遭難 推測
阿弥陀遭難 続報
八ヶ岳のバリエーションルート

やりきった感
感情をコントロールできる人がリスクコントロールできる人

Sunday, October 11, 2015

経験から何を学んだか? ・・・山岳会を考える その13

加湿器ゲット
今日はとてものんびりした良い日だった。夫と甲府を散策し、寺崎コーヒーでまったりコーヒーの本を読んだ。

空気が乾燥して非常につらいので、何とかならないかと思っていたら、無印で超音波のアロマ・ディフューザーが安くなっていた。

空気が乾燥していると岩はフリクションが良くなると言われていて、秋は岩に良い季節だ。もちろん、山の上のほうの岩はもう雪が付いてしまっているので、近郊の岩場のシーズンインだ。

■ 勇気をもらった出会い

さて、山岳会での庇護を捨て、個人でやっていく選択肢を選んだわけだが・・・それには、ある出会いが背中を押している。

フリークライマーのモウアラさんとの出会いだ。

誰かが頑張っているのを見て、「自分も頑張らねば!」と思ったら、それは、その人のように自分もするべきだ、という意味だ。

彼女の記録を見ていると、ゆとりが多いことに気が付く。それは自分でリードするが基本だからだ。

私も行ったことがあるルートで考えると、屋根岩2峰があるが、岩に対する記憶が格段に多い。つまり私よりもゆとりがあるということだ。

自分も頑張ろうと思える人というのは、つまり、憧れの対象ということだ。

ということは、彼女のスタイルは、私が憧れるクライミングスタイル、という意味だ。

彼女は、現時点で、凄く登れるわけではない。でも、一切ズルがない。 

クライミングは個人的な戦いだ。岩と自分との対話。それは山と自分との対話と同じ。

■ ビレイヤー問題

フリーでやっている人は、会には所属しない人が多い。それはフリーの場合、支点が整備されているので、昔ながらの知恵などの重要性が低いことによる。

ぶっちゃけ、ケミカルボルトなら、ビレイヤーなんて誰でも良い。

ところが、私がいた会では、ケミカルなら誰でもよいような条件下でのビレイも任せられない人しかいなかった・・・。つまり、ビレイヤーとしては、その辺のあんちゃんより下だった(ーー;)。

これは、どういう機序でそうなってしまうのか?というと・・・ 以下のように考えられる。

アルパインでは、フリーと違って、決して落ちられない。したがって、落ちないようなルートにしか行かない。特に後輩のビレイが不確実な状態では、不可抗力の事故以外は絶対に落ちない、歩けるようなところしか行かない。

落ちないところしか行かない結果、ビレイは経験が積めない。したがってビレイがマスターできない。その上重要性も認識できず、ただロープを持っているだけになってしまう。

という訳で、落ちること前提のフリークライミングでも、アルパインと同じビレイをしてしまう。

・・・というのが、おそらく事情だろうと思われる。

 ・落ちたらグランド必至のだらりんビレイ
 ・リードのビレイで引っ張り落とす

など、普通はフリーの人が初心者で口うるさく言われることを言われないまま、つまり、初歩の初歩で躓いたまま、経年してしまう・・・ということになる。(と、好意的に解釈している。)

実際、私は人工壁にクライミング練習で、リード練習しようとし、引っ張り落とされそうになった(汗)。ルートでは、登り出す前ではなく、登り終わってから、ザックからロープを出していた・・・(汗)。

というわけで、会内ではフリーを上達するためのビレイヤーが見つけられなかった。

■ ポジティブバイアス + 不信条件 = 我慢しない

最近読んだ心理学の本によると、人間は、そもそも信頼で始めるそうだ。ポジティブバイアスが人間の基本。

そうすると、信頼が裏切られる、という経験を作ることになる。

これは心理学的には、不信条件という条件付けを与えられたことになるそうだ。

不信条件(当てにならない)という条件下での判断は、平たく言えば、”もう我慢しない”である。

我慢というものは、基本的に未来への期待によって支えられているのである。

将来良いビレイヤーになってくれるという期待があるから、今現在の下手なビレイというリスクを受け入れるわけだ。

山岳会の場合は例えば、将来、北岳バットレス四尾根に行けるという期待が、今危険なビレイを甘んじて受け入れるとか、会の面倒な雑務を引き受けるとかなどの、コストを負う(=我慢)、動機となるわけだ。

振り返ってみると、パートナーがいない、山行もないということは、その会の中での、未来への期待が持てないと言うことを意味した。

だから、やめることが自然な成り行きとなったのだろう・・・と今日は納得した。

■ 不信は抑制を外す

したがって、私が退会した理由は、再三、不信が重なったから、だ。

落ちれるビレイをしてくれる人が会内に先輩以外に見つからなかった。

忍耐が足りないと言われそうだが、私はすでに引っ張り落とされそうになった分を含め、3回、危ない橋を渡った。3回は私には十分な我慢と思えた。

もしそれ以上、私が自分の命を粗末に扱うと、私自身も他の人の命を粗末に扱うリスクが出てくる。

人間は自分が我慢したんだから、相手も我慢してくれる、と思うのが普通だからだ。

例えば、落ちてしまう確率が、たったの5%だったとする。5%が3回重なると、確率はどうなるか?

5%×5%×5%=1.25%となるのではない。5%+5%+5%=15%なのだ。この辺は誤解が多いと思われる。

この辺がアルパインでリスク受容が楽観的で結果として遭難が減らない原因なのではないか?と思うのだが、どうなのだろうか。

■ ビレイヤー

私の主たる問題は、今現在はクライミング力をあげること。

クライミング力をあげるには、ビレイヤーが必要だ。ところが、ビレイが信頼できる相手がいない。

いわゆる”パートナー”となると、今度は事が大げさになりすぎる。

フリーで落ちれる程度の信頼関係が結べる相手は、”パートナー”という言葉が連想させるほど、特殊な存在ではない。フリーを一応知っている人なら、だれでもOKなわけだからだ。

”パートナー”という関係性は、ただちに、”独占”を連結してしまう人が多く、特に男性に多いような気がするのは、気のせいという訳ではないと思う。

というわけで、目下のところ、ビレイヤー問題がネックだ。

■ 対策

対策は3つ・・・

 1)ボルダリングでお茶を濁す
 2)夫にビレイヤーをお願いする(現在説得中)
 3)新人を育てる
 4)ソロクライミング

最低でも、週に1回はボルダリングジムに通う必要があるなーと感じている。週一で外岩に行けたら御の字。

結局、私は難しい道(自分の力で登る)の方を選ぶことにしたのだから、その分たくさんの下積みが必要だ。

安全を考えると、これは山岳会に属していてもいなくても同じで、誰でも11辺りまでは、つまり危なっかしさが無くなるまでは、どちらにせよ支払わないといけないことだ。

私はのんびりと鈍行列車で行くつもりだったのが、そんな悠長は行っていられず、特急列車で行かなくてはならなくなったが・・・。

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山岳会関連記事 

Saturday, October 10, 2015

シンプルなことを複雑にしない  ・・・ 山岳会を考える その12

■ 『アンナプルナ 女たちの戦い7577m』

今読んでいる『アンナプルナ』という本は、日本人女性だけで、アンナプルナに挑んだ記録だ。

そこで、出発前に一悶着が起こる。それはメンバーに健康診断の結果に黒星がついてしまった人がいることだ。

尿検査で血尿が出ている人がいて、その人はそれでもぜひ参加したいと言う。山行計画での色々な貢献もすでにあった。彼女には、賛同者もいて、ぜひ今までの貢献を考えて、参加させてやってほしいと他の隊員へ懇願する。

途中まででもいい、現地に行って見て、症状が起きない可能性もある、今までの貢献をどうしてくれるのか、彼女が行かないなら、私も降りる、責任なら私が取る…などなど、人情に訴える説得に、リーダーは終に根負けする。。。

会員間で色々な議論が起っているが、結局、味方となった隊員二人は山行を抜けてしまう。

この議論は、途中で

  血尿が出た人がアンナプルナに行くべきかどうか?という議論(合理的に判断できる)

から、

  貢献をどうしてくれるのか?こんな冷たいグループとは一緒に登れない!

という信用問題(情緒問題)に置き換わっていた。

■ 問題のすり替えは、実力不足の代償

この経緯を客観的に見て、山はやはり

  安全を第一に考えるべきだ、

と思った。昨今の山岳会で起きていることは、少しこれに似ている…

 実力がそのルートに見合っていなくても連れて行ってもらえる

ということが、初級者と過去の栄光のベテランの両極で起っているように思える。

そのどちらをも、

 実力不足

がその純然たるコアだ。

■ いかに対応すべきか

この時の田部井淳子さんの対応が良いなと個人的には思った。田部井さんは、一貫して、

 病気の人は行くべきでない

と言い続け、それ以上言わない。 

これ以上、シンプルな答えがあるだろうか? 

正論は正論として通す。大事なことだ。ぶれない芯。コア。

大事なことは、これ以上突き詰めない、ということだ。

山には

 ・体力不足の人は行くべきでない
 ・歩けない人は行くべきでない
 ・技術不足の人は行くべきでない
 ・装備不足の人は行くべきでない

そういうシンプルなことがややこしくなる原因は、一つ。 煩悩だ(笑)。

今日は、沢の予定だった…しかし体調不良だ…残念だったが見送った。大きな山行で憧れている沢でもあったが、まぁ仕方がない。

山は煩悩化しがちだ。

その引き際を学ぶと言うことも含め、山だ。

Friday, October 9, 2015

自分の判断力に自信がなかったから ・・・ 山岳会を考える その11

■ 自信がなかった

私が山岳会に入会したのは、師匠の強い薦めや、魅力的な先輩の存在もありましたが、根底を正すと、

どのアルパインルートなら行っても良いのか、自分の判断力に自信がなかったから

です。

■ 依存的かどうかは、組織・未組織によらない

未組織登山者は、技術は山岳ガイドの講習会を受けて学び、困難なルートは自分で登る努力をせず、ガイド依存なのでは・・・と思われていますが、それは、先輩がガイドに置き換わった、ということです。

しかし、山岳会の新人さんも依存体質は強く、自分で登る努力をしようとしない、という点では、お金を本人が出していない分だけ、ちゃっかりしており、山岳会の方が依存については、悪質かもしれません。

突き詰めると、組織者・未組織登者に係らず、依存的かどうかは当人次第、だと思います。

依存的な人は、山岳会へ行っても、ガイド登山へ行っても、結局、どこへ行っても依存的です。依存者を必要とする人もいます。共依存の関係にある場合です。山岳会は新人確保という依存、ガイドの場合は収入という依存です。

依存的か、自立的か、関係性を決めるのは、当人であって、受け入れる側ではないです。

お金がない依存者は山岳会へ、お金がある人はガイド登山へ行くのかもしれません。ガイド登山者でも、依存的でない人もいます。

特に、クライミング系のガイド講習修了者は、依存度は、マチマチと思われます。

■ 判断する材料を未経験者はまだ十分持っていない

私が何より恐れていたのは、自分自身の登山に対する視野が狭いために、

 まだ行くべきでないルートにそうと知らずに行ってしまうかもしれない、

ということです。その辺の判断は、未経験者にはつきづらいです。

自分が行くことができない実力のルートに行くことになってしまったら、目も当てられません・・・。

それを防ぐには、山岳会という山のベテランの庇護の傘が必要だと感じたのです。なぜなら、ベテランの方が、より俯瞰的に、全体像を見て、物事を判断できるからです。

自分で登り続けてきた人にとって、アルパインは、一般登山者時代の判断力が全く当てにできず、ゼロから経験を構築して行かないといけない分野になります。

一番難しい判断は、どこのルートに何ができるようになったら行っても安全か?ということです。

それは、判断する材料を未経験者はまだ十分持っていないからです。

例えば、越沢バットレスは4級しか出てきません。私は5.8はリードできますし、トップロープなら5.10bまでは登れます。(11bは間違いと思います・・・)

しかし、4級しか出てきていないハズの越沢バットレスではリードのお許しが出ないです。

それは、リードするということは、単に登れると言うだけでなく、ゆとりを持って登れる必要があるからです。

どれくらいがそのゆとりなのか?というのが難しいのです。 イレブンが登れる人でも、それが年に一回のことなら、お許しが出ないかもしれません。

ベテランは、細かいことはめんどくさいのでイチイチ言葉にしません。

でも、この人はまだアブナイな~と思うから、連れて行けないだけです。

私はハッキリ、あなたには難しいと言ってもらうほうが好きなタイプなので、いつもそう言ってもらっています。

言ってもらう方が、よし!登れるようになろう!という励みになります。

上手に導く先輩は、次は〇〇に行ってきなさい、と言います。15時間歩いたら、次は17時間ね、という具合。

が、〇〇さんにはまだ早いよ、と言われるのを嫌う人や、そう言うとすねる人がいるために、先輩たちは、ハッキリ言わず、「今日はゲレンデにしようよ」とお茶を濁しているのかもしれません。

■ 実力以上のところに行ってしまうリスクをどう避けるか?

その実力以上のところに行ってしまうリスクをいかに避けるか?についても、色々考えましたが、山岳会が会員を守る盾になっているか?というと、なっていない・・・です(^^;)。

結局、私は個人的に親しくしていただいている人たちの意見も色々と総合して、自分が行っていいか、どうか判断しています。

周囲の人の情報も参考にしています。どんなスキルの人がどんなところへ行っているか?です。

以前、丸三年ずっとセカンドでマルチピッチに行きつづけたと言う話を聞いたときは、もしかして、2度目で、もう三つ峠でリードしているのは、まずいのではないか?私も3年くらいは、セカンド専門で下積みした方がいいのではないか?と不安になりました。

しかし、3年ずっとセカンドはやりすぎで、例外のようですね。

■ 練習台

では、いかに成長するか?ですが、

普通は、大体ロープの出し方が分かるようになったくらいで、レベルを一番下の、ロープがなくても登れるくらいの難易度に下げて、ロープを出す練習をします。

もし、その時に、まだ5.6程度も満足に登れないような初心者の人が来たら、その人はロープをしょっちゅう出して欲しがるわけで、ロープを出す練習台になってくれる人なので、都合がいいのです。ですから、登れなくて怖がりだからと言って、悪いと思う必要はありません。

フリーソロしてはいけないところまで、フリーソロしてしまいがちな人が多い中で、練習台になってくれる人は貴重な存在とも言えます。

そうやってロープを出す練習をしつつ、自分自身のリード経験を積むわけです。

今私が必要としているのは、このような段階です。

 ・私自身が絶対に登れる自信があるところで、リード経験を積む

 ・登れないところを登れるようになる

の2つの方法が必要な時期に入りました。

やりきった感 ・・・山岳会を考える その10

さて、考察の続きを考えます。

■ パーティの必要性

なぜ、山岳会が必要だ・・・と人は言うのでしょう?

それは、いわゆる ”冬山”が、パーティを必要とするからです。

しかし、ワカンが出て、ラッセルするような山・・・は、それが実行できる山岳会というのは、かなり限られます。

 体力があるメンバーがいても、リーダーに相当の冬山経験が積み重なっていないとできない、

からです。

冬山が限定的かどうかは、会の冬山合宿の傾向を見れば分かります。過去には難しいところに行っていても、近年易しいところしか行けなくなっていれば、それは下降局面にいるわけですから、過去の山行例にある場所に行ける可能性はないでしょう。

となると、会内で冬山の質を向上させていきたいとなった場合、息の合った個人間で、となります。

個人で行ける冬山からスタート、となれば、小屋がやっている山域限定となり、それでは自分で仲間づくりをしての、個人山行と変わらない、ということになります。

となると、会の人とは行かないということになり、またまた本チャンと同じ結果になります。

■ 雪と沢

私は、雪と沢の仲間を求めて、山岳会に来ました。

沢は特殊分野と今でもされているので、沢山行がないのは仕方ないです。私も最初から沢山行は期待していませんでした。

しかし、昨今は、山岳会にも雪のノウハウは残っていないかもしれません。

それは新人教育のノウハウが残っていないのと同じような、仕方のない事情によると思われます。なにしろ、低落が叫ばれ始めてから、もう20年以上も経っているのです。

昨日、こちらのブログに、当ブログでも、考察した、今冬の学習院大学の阿弥陀北陵での遭難事件が考察されています。

こちらのブログによると、学習院大学の阿弥陀北陵遭難の反省点は、大きくとらえると

 ・山行計画をきちんと全員で吟味していない

 ・山行中の判断が強気すぎる (他パーティが引き返したのに引き返さない)

 ・事前学習がおろそか

 ・地図が読めない

 ・遭難しているという意識がない

 ・部員が意見を発信できない

 ・全員自立した登山者を目指していない

原因
 安全性を十分に考慮せずに、最低限守らなければいけないルールを軽視していた。

対策
 何よりも安全性を優先し、ルールは遵守する。

とまとめられています。

私が所属していた会ですが、死者は出さなかったものの・・・学習院大学とまったく同じ力学構造をもっています。

それが露呈したのは、同じく厳冬期の阿弥陀北陵の山行でした。私の会でも、6名で3人の凍傷者を出した山行です。遭難は他人事ではありません。

私自身も参加予定でしたが、幸運なことに、自分のパートナーが参加できなくなったので、参加を取りやめました。取りやめることができて、行く前からホッとした山行でした。

この山行は計画時点から、危ないことが分かっていたのです。まずは体力不足でした。北稜は初級とはいえバリエーションですから、赤岳より体力が要ります。でも、赤岳でも息切れして歩けなくなる人がいるのです。そうすると、バリエーションはチャレンジ山行の位置づけのはすです。

それなのに、一升瓶を担いでいくという楽勝モードでの”ご褒美山行”計画です。厳しいことになるだろうことは予想できます。

北稜は、普通は、一泊せず日帰りの山です。厳冬期の山中一泊は体力を奪います。

しかも、なおかつ、初心者を二人。先輩たちの負担は増えます。初心者は一人を連れて行くのに、二人の先輩の目が必要になります。

天候も悪いことが予想され、さらに、ガイドパーティが中止を決定した強風化の天候で、行動継続したそうです。

そもそも、全員にとってチャレンジ山行にも関わらず、チャレンジ山行だという認識がない。そのため、臆病に判断的できない。もちろん、プライドも邪魔をしているようでした。過信です。

装備不足なども、この会では指摘できないことが、別の山行ですが分かっていました。例えば、赤岳に6本爪アイゼンで行くような人も行者小屋待機ではなく、登らせてしまいます。それも人間関係の崩壊を恐れるためです。

でも、人間関係と命、どちらが大切でしょうか?その人がもし落ちてしまった時、装備不備を指摘されなかったことに感謝するでしょうか?

また、遭難間際であったことは、反省するどころか、武勇伝になってしまう・・・という結果でした。

最大の問題は、

 そうしたことを改めることができる可能性ゼロ

ということです。

それは、別の沢山行で起った、ありがちで平凡な、ちょっとしたミスをきっかけにして、明らかになった体質でした。 ミス自体は、指摘と知識で治るようなものです。ミスすることより、大事なのは、その後どうなるかです。

間違いは誰にでもあることですから、死に至らない程度のミスは学ぶチャンスです。しかし、学ぶチャンスがいくら来ても、”学ばない”、”学びたくない”という意思を持てば、確率論では必ず遭難してしまいます。

遭難しないためには、行かない、という選択肢しかなくなります。

■ 山岳会の歩き方

つまり、その会に限らず、現在、昔から継続されている山岳会という社会は、おそらく

 内部からの自浄作用は期待できない組織運営

がされてしまう傾向があります。 もっともマズイ点はこれです。

山岳会の歩き方、という指南がもしあるとしたら、わたしならば、新人にはこう指南します。

 ・自分の目で見て、アブナイと判断した人から、嫌われるように仕向けなさい(誘われては危ないから)

 ・適当な口実を作って、危ない山行計画には、何も言わず不参加にしなさい

です。

■ 未組織登山者のほうが安全なわけ

学習院大学の遭難で指摘されている問題点は、当てはまらない会は少ないのでは?と思います。

未組織登山者のほうが安全です。

というのも、自分で行くなら、つまり未組織登山者なら・・・山行計画は、かなり吟味されます。

行けるか?行けないか?の判断まで、自分でしないといけないからです。

体力に余裕があるか?ないか?の判断も自分でしないといけませんし、未知の領域に踏み込むのですから、誰それさんが行ったことあるから、自分は地図を読めなくても大丈夫だろうという甘い期待はありません。

というわけで、一般にパーティで行くよりも、未組織登山者の方が、基本的に山行計画に掛ける時間や吟味の度合いは、強いハズです。

■ 遠のく安全

つまりどのような意味かというと、自浄作用が組織に期待できない体質である限り、経験(山岳会においては歴史という)がある会であればあるほど、安心・安全からは、遠のく、力学構造になっている、という意味です。

発足したばかりの会であれば、経験がありませんし、経験がないことは全員が承知ですから、互いに相手を当てにせず、自分で調べていくと思います。

この力学は、歴史がある会であれば、あるほど、逆に働きます。

 ・先輩の誰かが指摘するだろう

 ・先輩が道を知っているだろう

 ・危なくなったら、先輩が何とかしてくれるだろう

と、こういうことになります。逆に先輩の側は

 ・前には(楽勝で)登れた

 ・俺だってまだまだ若いものには負けん

という思いがあります。でも、もしかすると、その”前”は・・・

 ・10年前
 ・そのときも先輩に連れられていた

かもしれません・・・

もちろん、内部にいる方のすべてが、過信があり、計画を立てないとか、地図が読めないという人材という訳ではありません。

オーソドックスに地図を読み、計画は念入りに概念図を作り、装備は吟味し、宴会ではなく、山に対面している人たちもいます。

しかし、ほんの少数であり、わたしと立場が似ていると言えるでしょう。つまり孤立気味です(笑)。

■ よく頑張ったな

私は山岳会には、1年半しか所属していませんが・・・振り返ると、一回目の山行の川俣尾根は、すでに道案内役でしたし、地図読みの伝達講習もし、先輩たちが連れて行ってくれなかった三つ峠は会で普通に行く内容となり、ビレイの不備もきちんと指摘し仲間としての責任を果したし、山行計画の吟味の必要性も指摘しました。不味い計画の時は代案を出しました。ギアの不足も指摘しました。山を分かっていない人にそれを指摘するのもしましたし、例え、分かっていない状態であっても、山行に連れて行ってあげる(ガイド状態もしくは育てる)と言うのも、やりました。

もう、やれることは、すべてやりきったなぁ~という感じなのです。

だから、すっきり感満点なのです。

これでは危ないよ、これではだめなんじゃない!と指摘するのは難しいことです。誰も引きたがらないババであると思います。

ただ何も成果なく、ババを引くとババ引き損ですが、ラッキーなことに、最近は別の縁で満たされていますので、そうした意味で、やはり会とのご縁は、引き際かなと判断しました。

しかし、私が選んだ道は、タイヘンな方の道です。

楽でない道を選んだということなので、これまで以上に気を付けて山に望まないといけません。






Thursday, October 8, 2015

分けるとうまく行くのでは? ・・・ 山岳会を考える その9

■ ミスマッチです・・・

山岳会を見捨てないで欲しいと言うコメントをいただき、なんだか悪いなぁという気持ちになってしまったのですが・・・(^^;)

私は、所属していた山岳会は良い会と思うのです。家庭的でした。なので、簡単に言えば、アルパイン指向の人は、

 行きたい山行がない&一緒に行く人がいない=ミスマッチ

なのです。(山岳会なのにアルパインをしないというのは変ではという指摘はこの際、除外)

ただ、問題は、家庭的なあまり、連れて行く/行かれる、という関係が成立、固定化し、それが、登山者として成長する、ということとは逆の方向に作用していることでした。

これでは、アルパインをしたい人は今よりさらに逆境になっていくことが目に見えています。何しろ、登山って、一旦落ち始めた坂から、止まるのは大変です。つまり、前には〇〇に登れたのに、今はもう登れないと言うことを受け入れるのは難しいことです。

その上、会内で連れて行ってもらうのが当然だという意識が共有されてしまうと、「なんで私は連れて行ってもらえないのっ!」という嫉妬が生まれます。

それは水平方向だけ(同期どうし)ではなく、垂直方向(昔は行ったのに今は行けない)も、係ります。

そうすると、連れて行ける人の数は、いつも相対的に少ないので、連れて行く人ばかりがツラくなります。

そうなると、今度は負担の分散を望むため、その人はもう無理!と万歳してしまうかもしれません。

会の求心力の源泉になっている方には、そのようなツライ立場に立っている方が多いのではないか?と推測しています。

そうなると、他に連れて行ける人はいないか?ということになります。ハイキングの人の要望だったら、どこかのガイドさんに連れて行ってもらってほしい・・・と言うことになります。

実際、山岳会に所属する人がガイド山行にも行っています。

■ ハイキング部とアルパイン部を分ける

私が思うには、そもそも、山の好みが違う人種を一つのくくりで、縛ることに無理があるのでは?

ハイキング部とアルパイン部は分けるべきと思います。

というのも、分けていてうまくいっている会をしっているからです。

その上、もしかするとフリークライミング部も分けるべきかもしれません。

ハイキング部: 誰でも入部できる 

アルパイン部: 一日10時間、10kg以上の荷を背負える人しか入部不可。基本のスタカット、懸垂下降、自己脱出、宙吊り脱出などは習得し、最低5.9をリードできないと、山行に同行はできない。アルパイン部の人はハイキング部の山行にはいつでも参加できる。アルパイン部の月例山行はなく、個人山行を会員間で行う。入部者が出る度に、ひとつ前に入った人が新人を教える担当(復習)となり、その前に入っている人が先輩役としてフォローに入る。アルパイン部では、基本的に毎週クライミング練習会がある。参加不参加は自由。

フリークライミング部: アルパイン部のように歩けなくても入れる。クライミングしかしない人の集い。毎週のクライミング練習はアルパイン部と合同。参加は基本的に原則参加。毎月一回、外岩でのクライミング山行がある。(クライミングシーズンは毎週)。これには、ハイキング部の人も、アルパイン部の人も参加できる。

OB部: アルパイン部のOB会。ゲレンデ的に登れる易しいアルパインに行く。自己判断。会の新人に山行計画書について助言を与える。アルパイン部の後輩が同意した場合、ロープを担がせても良い。

こんな風に分けると、うまくいくのでは?

よく年齢制限を設けていますが、年齢で分けると、選択肢が狭まります。何しろ、今主力で動ける人たちは、高齢です。65歳でもアルパインに行ける体力がある人もいれば、50代でもアルパインはもう終わりの人もいます。

逆に30代でも、トレーニング不足でよわよわの人もいますし、体力で切り分けるのがもっとも現実的で公平であるのではないか?と思います。

■ そもそも、なぜ山行が危なくなるのか?

というか、今の山岳会は、この区分でいくと、アルパイン部が限りなく小さくなり、ハイキング部が大きくなっている状況なわけですが・・・

明瞭に分ける、ということで、いらぬ混線を防ぐことが、事故の防止につながるような気がします。

そもそも、なぜ山行が危なくなるのか?というと、アルパインに必要な知識や技術、あるいは体力を備える必要性を理解しないで、山に行くからです。昨今は若くて技術がなくて行く人より、体力がないのに行ってしまう高齢者の過信が問題になっています。

ポイントは必要性を理解しているかどうか?で、すでに何もかもが出来上がっている人材である必要性はない、ということです。

必要だと分かっていれば、自分で自己研鑽するからです。そうでないと、ずっと教えてもらえるもんだ、と思って、何もしないで待っている人材になります。

高齢者だと、体力が減っているのに、足慣らし山行をしないとか無理な山行計画を組むかもしれません。

何もしないで待っている人はアルパインには本当に向きません。というのも、-25度の冬山で待っていたら、本当に死んじゃうからです。

フリークライミングとアルパインは、基礎と応用の関係にあります。

沢とアイスの位置づけですが、両方アルパインに入れて問題がないように思います。沢は総合力ですし、アイスは昨今のアルパインでは必修項目で、なおかつフリーとほとんど同じです。

アイスのルートはとても難しく、冬壁と良い対照になりますが、冬壁のほうが風雪に晒される分、大変ではないかと勝手に想像しています。やったことがないので想像の域をでません。







Tuesday, October 6, 2015

スッキリ! ・・・ 山岳会を考える その6

■ 山ってしたいんだっけ?

今日は、山岳会への退会を決断した。

途端に、なんだか超スッキリ~!

体が(ココロが、かなぁ~)急に軽くなり、なんとも家事がサクサクとはかどる・・・

■ 私は自分のしたいことが分からなくなっていました・・・

私は山梨生活を楽しむために山をやっているので、アイスでも岩でも沢でも、要するに、

今しかできないこと

ができたら良く、〇〇じゃなきゃ嫌だ~ってのはありません。

まぁ、山なら何でも楽しい♪ って感じなんです。もちろん、アルパインな山ですが。

逆に言うと、

 これこそが私のしたいことだ!

という確信はないのです。たとえば、エベレストに登る、とか。リン・ヒルのように、フリーに嵌るとか。

山は、”今できる事の中で、もっとも楽しいアクティビティ” にすぎません。

それは、山への執着の薄さになって現れ、例えば、沖縄に住まなくてはならなくなったら、山します?私だったら、ダイビングに鞍替えします・・・

そういう訳で、山だけが生きがい、とは言い切れない。山のために生きていく!ともいえない。

山はあくまで今の甲府の、予想外にできた余暇あっての趣味です。山以外に、この余暇を有効に使えるやりがいのある仕事があれば、いいんですけど・・・。

■ 山岳会という代償を払う?!

ところが、なんと、山岳会を辞めることにしてみたら、なんとも心がスッキリ!!

家事がサクサクはかどるじゃあ、あ~りませんか。

身体の声で気が付く、自分の本当の思い・・・。

それにしても、なんで山岳会に属さなければ、登れないと思っていたんですかね?

今は会の人とは、ほとんど山行を共にしていません・・・なので、会と登らなくても登れるんだけど・・・。

良く考えたら、三つ峠も師匠に連れて行ってもらったし、アイスも自分で南沢小滝に行ってトップロープが張れるようになったし、フリーも会にお世話になっているのはシーズンに一回、という頻度。

結局、会に属していても、いつも会外の人と行くんですから、わたしには何の必要があるのかワカラナイ山岳会への所属。

望む山をするためには、先に犠牲を払わないといけないと思いこんでいたから?

■ 思えば遠くへ来たもんだ…(笑)?!

山岳会に属することについての思考の歴史 4年の月日を経て、最近、未組織の初心者時代と同じ結論に達した。

  結論: 個人山行の方が危なくない

2011年 危ないのか誰でも登れるのかどっちよ?  未組織登山者時代

↓

2012年 ピッケルより読図だろっていうまっとうなツッコミ  まだ未組織

↓

2013年 誰に教わるかの検討 その②  師匠に着いている頃

↓

2014年 山岳会所属の是非  山岳会終に入会

↓

2015年 清算


ここから得た教訓:

新人を勧誘するときには気を付けましょう☆ 案外、山に真面目な人かもしれません。


大事なことは、山でつながること ・・・ 山岳会を考える その5

さて、また続きです。スイマセン。

市況として、山岳会の低落が続いている、という状況下で、

 それを体現している山岳会
 その市況にあっても、活気がある山岳会

が、存在するとすれば、その差を分けるのは、どのような点なのだろうか?

ある本に寄れば、

 今でも現役冬壁

が一つのインデックスである、と主張されていた。確かに冬壁はキングオブアルパインな感じだ。冬壁に行く実力、あるいは、ツエルト泊での冬山があるかないか、はそのリーダー個人の山のレベルを見るには、重要な指標かもしれない。

しかし、山岳会の場合は、リーダー個人の能力で持っているわけではなく、大体こういう人は憂き目に遭っている方が多いと思う。

■ 依頼心の強い人はどこへ行くか?

師匠も含め、山岳会に所属するリーダークラスの人たちの中には、会への愛着から、会内の人材育成に、気長な努力を求める声が根強い。会の中に人材がいなければ、会の外に求めることを安直だという意見も聞く。

私もその意見には賛成で、会の中の人材を育ててみてから、ダメだったら、外へ目を向けることにしている。

けれど、結果は、明瞭に悪い。会内の人と会外の人の比較では、傾ける努力の歩留まりは、会内のほうが悪い。

 ・依頼心の強さ
 ・責任感の弱さ

の2点で並べると次のような序列になる

  弱い ←ーーーーーーーーーーーー依頼心ーーーーーーーーーー→ 強い
 未組織登山者 > 他会の新人さん > 他会の指導者 >会の指導者 >会の人

  強い ←ーーーーーーーーーーーー責任感ーーーーーーーーーー→ 弱い
 未組織登山者 > 他会の指導者 > 他会の新人さん >会の指導者 >会の人

もっとも意識が低いく、依頼心が強い人が会の人だ。責任感の強さも、もっとも弱い。

依頼心の強さや責任感の欠如は、何に現れるか?インデックスは?というと・・・

 1)山行の理解不足 による、ギア不備

 2)ギアの準備不足

 3)大きすぎる計画  

だ。例えば、共同装備の負担として、ロープを持ってくるように指定すると、忘れてきたりする。ロープというのは、共同装備の中では、かなり重要な位置づけのギアだから、ないと登れない可能性があるが、自分の山でない、と思うと、忘れてしまう。

もちろん、人間には失敗はつきもので、失敗を通してきずなを結びあうのが人間だから、失敗を共有できれば問題がない。ロープを忘れて皆で温泉に入って帰りました、というのはアリだ。

が、忘れてきたり、準備しなかったりが常習的であれば、

 連れて行ってもらえるもの

という依頼心が強いと言うことを意味する。主体的に係っていないので、その人にとって、その山は経験値の一つには積みあがらないだろう。

もし、あなたが先輩で、その山をその後輩の経験値としてもらいたいと言う意図があったら、それは叶わないだろう。

■ 未組織登山者は、ガイド依存の人たちなのか?

未組織登山者は、登山界では歓迎されない運命にあるが、現在のところの観察によると、

 ・まともな登山教育を受けている人たち

 ・普通に登れる人たち

は、未組織登山者の方だったりしている・・・。これは本当だ。

単純に実力がある人たちは、未組織者の方が多い。

岩で出合う、アルパイン志向の人たちも、「会に一緒に行く人いる?」と聞くと、「いない」と言うし、実際、会の垣根を越えて活動している人が多く、彼らは、会では孤立しているらしい。

山岳会の新人さんと比較すると、同じような年齢なら、絶対に未組織登山者の方が、より多くの情熱を山や岩に傾けて、山に岩に登っている。

それはなぜか?と考えると、能動的に動くことには、コストがかかるからだろう。

コスト・・・とは、

   自ら動く精神的コスト
   リードする恐怖に打ち勝つコスト
   ジムに通う費用
   ガイド講習に通う費用
   それらのために、情報収集する時間的コスト
   一緒に行く人間関係を作る手間暇コスト

などだ。

ある意味、これらのコストを掛けてでも、登りたいと言う意味で、フィルタリングされている。

つまりモチベーションの高い人しか続けられない。

ある未組織登山者の人が、「山岳会は依存心の強い人が行くところ」と言っていた。

ある知り合いの山岳会のリーダーが、「依存心の強い人しか来なくて困る」と言っていた。

面白いことに、まじありあわない両者が同じ事を言っている。ということは、

  依存心の強い人が山岳会に来る、

という現象は、両極から指摘されているわけで、事実なのだろう。

■ 環境が人を作る

環境は人を作る。

依存心が強いわけでなくても、服従や従順を要求されると、結果としては、依存を要求されたことと同じになる。

これはよく山岳会の失敗として取り上げられており、

 他会の人と行ってはいけない
 全山行を報告しないといけない
 〇〇ができないと××してはいけない
 価値観が違う人にはイジメ

などの、”会の縛り”という非常に分かりやすいコトバで表現されている。 

そうした縛りにあって、逃げてきた?人にもすでに会ったことがある。

その人は最近の『Free Fan』に載っていたので、まぁクライミングに掛ける情熱が強い人だろうということくらいは、誰の目にも明らかで、スピンアウトと言えるかもしれない。

価値観が異なる人には、村八分というのは現代では何に現れているか?

というと、メーリングリストからの意図的な除外や山行を連絡しないなどだ。

類似したことが起ったら、それはイジメやパワハラと同じことなので、そう言う集団からは速やかに背を向けたほうが良い。健全な組織運営は期待できないからだ。

■ 技術伝承とは具体的には何か? 

具体的には、何をテイクし、何をギブすればいいのか?

縦のギブ&テイクだが、実際には何を教わり、何を次世代に教えたらいいのだろう?

 ・懸垂下降
 ・基本のスタカット
 ・地図の読み方
 ・山行計画の立て方
 ・レスキュー

 ・支点
 ・その他、ちょっとしたコツやお助け
 ・天気
 ・ピンチのときの態度や行動の仕方

など、山の技術は多岐にわたる。 

上下に分けたのは、上段はおそらく独学で別に誰だって勉強できるような分野だからだ。独学で本にも書いてあるし、本を読むのが嫌いなら、講習会に行くべし。

下段は、長年の経験がモノを言う。こういう時はこうすると良い、という経験則のようなもの。

それらは、一回二回、山行を共にする程度で伝授されるものではないかもしれない。

例えば、年に一回、後輩と山に行くだけなら、10回行くのに10年かかる。それなら、様々な人たちと、1年で20回山行に行った方が経験値の蓄積になる。

多くの人と山行をともにすれば、その人たちから勝手に学ぶことができるからだ。

■ 指導者は外部の人で良い

昔の山岳会は、指導者がいない会も多く、そういう場合は、必要な技術が出てくる度に、外部講師を招いたのだそうだ。

別に指導者は、自前でなくても良いわけで、そうなると、技術習得は、個人で講習会に出るか、団体割引適用で?(笑)講習会に出るか程度の違いしかない。

外部講師を招くという手間がかかることになるが、そもそも、自分で講習会に参加するにしても、同じだけの手間がかかるのだったら、その手間はエクストラという訳ではない。

ただそれに便乗する側の人にとっては、本来必要な手間なし、という訳で、お得になる。

が、そういう風に便乗してラッキーと喜ぶのは、そもそも仲間として歓迎したい、好ましい資質ではないかもしれない。

”楽だから集まって来た人”と言うのは、企業でいえば、”安いから買う客”。

ロイヤリティーは低い。そのような人材をいくら集めても、見かけの売上高は増えても、真の利益は増えない。

■ まともな登山者にアピールする方法

では、どう人を集めればいいのか?

というと、これが困難な問いだ。

私が感じているのは、まともな登山者が集まってくる唯一の窓口は

 講習会

だということだ。講習会も意識が低い人を集めてしまう講習会もある。

 例: 〇〇ツアー会社主催の地図読み講習会
    登山用品店主催の講習会
   
これまでの観察によると、硬派で知られるガイドさん主催の講習会に参加している人は、勘違い率が非常に低い。

それはなぜか?というと、硬派で知られている、と言うことは、それらの山にあこがれた人しか来ないからだろう。

つまり山の内容が引きつけてきた人材である。

大事なことは、

 教えてあげるよ
 連れて行ってあげるよ
 メリットがあるよ
 得だよ
 楽だよ

などという甘言で引き寄せた人材ではなく、

 私の山(〇〇山岳会の山)は、このような山です

という、山で引きつけた人材である、ということなのではないだろうか?












見極める ・・・山岳会を考える その4

この記事は、前の記事の続きです。

さて、山岳会が高齢化して、一般登山しかしなくなるという現象は、人間の生理現象として普通だと言う話。

嘆かれているのは、

 先輩が後輩を無償で指導するという昔ながらのシステムが風前の灯火

であること。しかし、高齢化しても、別にロープワークも、スタカット(リードフォロー)も教えられる。したがって高齢化は教えないことの理由にはならない。

■ 水平方向の劣化

これは2方向から、劣化が進んでいる。

 教わる人の劣化
 教える人の劣化

教える人には教える内容に自信がなく、教わる人は教えても教わる気がない。

・・・となれば、いくら無料でも、中身は何もなくなる。これは水平レベルで起こることだ。こうしたことが起っているかどうかのインディケーターは、

 新人がずっと新人のままかどうか (誰かを連れて行く側に回っていない)

で分かる。

■ 垂直レベル

山と言うのは、ただ単純に自分だけで山へ行っていても、メンバーとしての参加でも、分かることはたくさんあり、高度化していくものだ。

ヤマレコなどで記録を書いている人たちはどんどん、山が高度化して行き、そこらへんの山岳会メンバーなどそこのけ!という健脚者が大勢いる。したがって、山岳会のメンバーとして、ついて行くだけでも相当の経験の蓄積にはなるはずだ。

経験や体力が蓄積したかどうか?は、どうやって分かるだろうか?それは、

 山が高度化していっているかいないか?

が直接のインディケーターになる。ずーっと同じレベルの山に行っていれば、全然、高度化していない。

■ アクセルとブレーキ 

当然だが、高度化するスピード(アクセル)と、劣化するスピード(ブレーキ)が一緒だと、ぜんぜん進化して行かない。

分かりやすい例でいうと、新人さんの流入は、ブレーキになる。最初の顔合わせ的な山行は、ある程度、安全マージンにゆとりがある、易しいところでしかスタートできないからだ。いきなりチャレンジ山行はない。新人が入れば、まずは赤岳程度の山で体力を見て、その人のスキルレベルや体力の度合い、何が得意かなどをチェックしないといけない。

アクセル(山が高度化する要因) 普通登り続ければほっといても徐々に高度化する
 ・慣れ
 ・体力がつく
 ・技術が付く
 ・自信
 ・山が分かるようになる

ブレーキ 山に頻繁に行かないとすぐに弱くなる
 ・新人の流入
 ・山への飽き
 ・体力の喪失
 ・技術の錆びつき
 ・過信
 ・山を舐める

新人の流入は、とりあえずブレーキにしたが、新人さんには個人によって差があり、中途採用と同じで即戦力な人もいれば、ある程度教育がないと使えない人もいる。

期待値的には、一年程度で独り立ち、が出来不出来の分かれ目になる。(独り立ちと言うのは、自分で人を連れて、易しいゲレンデ程度へ行け、基本のスタカット、リードフォローシステムを教えることができること)

アクセルとブレーキが均衡していれば、当然だが前には進まない。

登山は特に何もしなくても山に行きつづければ、高度化して行くものなので、高度化しないで、同じレベルにとどまっていれば、なんらかのブレーキが働いている、と推測できる。

そのブレーキの要因は何か?ということが次には問題になるが・・・原因は、どれも会の内部的なもので、新しく入った人にその責任はない。

■ インデックス・・・内部をうかがう指標

例えば、太っていると、生活習慣病のリスクがあるのは誰でも知っている。生活習慣病は目に見えないが、太っているということは目に見える。この場合、太っているということは、生活習慣病の疑いを示唆するインデックスとなる、と言える。

同じように山岳会と言う組織がどのような状態にあるか?という見えないことが、垣間見れるインデックスがいくつかあると思われる。

 ・飲んでいる人と担いでいる人が違う → 新人だった場合、新人は単純な酒担ぎ要員
 ・同じ人ばかりが運転している     → 同じく、新人は単純な運転要員

これらのことから、ギブ&テイクは、”時差を伴った技術”のギブ&テイクではなくなっていることが分かる。技術はギブ&テイクされていない。

技術がギブ&テイクされているのでなければ、何がされているのか?利便だ。

新人の側は自らルートを調べる手間を省く、道案内役として、先輩を利用しているのであり、先輩の側は自ら担ぐべき荷を担がずに済ませると言う、手抜きの為に利用しているということになる。

しかも〇〇へ行くのに必要な技術トレーニングはないとしたら・・・、”行ってやる”とはいうのの・・・どちらかというと、連れて行ってもらっているのは、担いでもらい、運転してもらっている側・・・つまり先輩の側だ。

双方が手抜きを求めて連帯すれば、これは山ヤ的に成長する、ということの逆行を意味する。つまり、退化する方向性に力が働いていることになる。

一般に一度つるんだ先輩後輩は、次がある。普通一回目は、お試しだからだ。その先がないということから分かるのは、山が進化する方向にはなかったと言うことだ。普通は、どんな山ヤだって、もっと上の山に行きたいのだからして。

≪見極めインデックス≫

 ・新人が酒担ぎ要員にされていないか?

 ・同じ人ばかりが運転していないか?

 ・手抜き山行を成立させる力学になっていないか?
 
■ その他のインデックス

というわけで、水平レベルでも垂直レベルでも、力学的に技術伝承は行われない。メカニズム的に不可能になっている。

それどころか、山行頻度が下がれば、アクセルがどんどん重くなっていく。

体力は山に最低2週間に一回程度は行っていないと下がる。

山にめったに行かない人が高度な山にいきなり行くと、危険だと言うことは、誰が見ても分かるが、なまじプライドがあるだけに、それが許されると考えがちな点もリスクに加算される。

だから、誰がどのような頻度で山に行っているか?は非常に重要な情報だ。

特に教えてくれることが可能な先輩クラスの人がどれくらいの頻度で山に行っているかは重要で、いくら昔取った杵柄があっても、3か月も歩いていない人であればすぐにへばってしまう。

しかも、それは、どのような要因に因るのか?と言うと、内的に腐敗した(山に倦んだり、体力が衰えたり)ためであり、新しく入った人には関係がない話だ。

≪その他の見極めインデックス≫

 ・指導的立場の人がどれくらいの頻度で山に行っているか

 ・間を空けて、大きすぎる山に行っていないか

 ・大きい山の前に小さい山があるか(足慣らし)

■ 資産か負債か?

例えば、家や土地を持っていても、それが辺鄙で不便な場所にあり、手入れもされていなければ、活用もされていなければ、資産ではなく負債だ。

山岳会も同じようなことが言える。 一緒に行った方が危険が大きければ負債だ。

≪インデックス≫

 ・山が年々高度化して行っているか(10年前より今の方がすごい山に行っているか)
 
 ・年単位で、新人が育っているか(一人の人をチェックする)

 ・その山岳会ならではの山行があるか?

 ・宴会比率

 ・トレーニング比率

 ・入会者が来た時に教えるべきことが教えられているか?

 ・例会に、議題がきちんとあり、ただの雑談会になっていないか

 ・行きたい山を言うと、「もう行った」(つまり、”もう行かない”と言う意味)と返されるかどうか


全く指標にならないのは、過去の山。過去の山と今の山との対比が重要で、

 過去より今の山のレベルが下がっていれば 下降傾向
 過去より今の山のレベルが上がっていれば、上昇傾向

株価のチェックと同じことをしなくてはいけない。山岳会の低落状況は、株価でいえば、単なる市況であって、そのものの状態を表すとか限らない。悪い市況にあっても、株価を伸ばす会社はいるものだからだ。

どこの山へ行っているかよりも、どのような流れにあるか?のほうが重要なのだ。







大事なことはもっとも安全な道を選ぶと言うこと・・・山岳会を考える その3

もう寝なきゃいけないのだが、夜遅い癖がほんの少しの帰省でついてしまって、覚醒中・・・

クライミングのことを考える・・・

ハッキリ言って、アルパインクライミングを始めたら、そうじゃない普通の山なんて、全然興味がわかない。

沢や地図読みの山は楽しい・・・自分で道を発見しながら歩く。道があるから歩くのではなく、そこが尾根であり、次にコルが出てきて、そこを繋いで自分で設定したルートだから歩くのだ。主体性。

アルパインはそこにスタートする。アルパインクライミングで地図読みの出番は少ないと言えば少ないが、それはよく歩かれて踏み跡ができてしまっているからで、地図が読めないアルパインクライマーはありえない。

指の皮がむけかけている・・・岩に登りに行けという意味だなぁ・・・。指の皮が岩を呼んでいる。

■ 生きることは死と隣り合わせ

登山というか、アルパインやクラック、雪山、といった”死が近い”山の話だが・・・そうした山に適性がある人と言うのは、基本的には、

 生きるということは死と隣り合わせだというリスクを容認している人、

と言えるのではないか?と思う。容認しない人は、そもそも山には行けない。

しかし、山に死の危険がある、とリスク容認することは、だらりんビレイでもいいやと登ることと同じではない。リスクは手当されなければならない。

その手当は正しくないと、全然リスクヘッジにならない。死ななくても良い理由で死ぬ羽目になる。

山の仲間はリスクヘッジのために存在するのだが、一緒に行った方が危険なような仲間は、全然リスクヘッジにならない。

■ 安全を考えると外れる選択肢

まだ未組織登山者だった頃、未組織登山者はそしりの対象なので、まぁなんらかのマズイことがあるのだろう、と、山岳会に所属することを考えた。

しかし、その時は

自分たちで行くのが一番安全

と結論した。

山岳会には、去年、アイゼントレを提案したが、アイゼントレは実現しなかった。

師匠はアイゼントレをモミソ沢でしていて、わたしにも、似たようなトレーニングをしてほしそうだったし、会の山行はアイゼンは出るが、ビーコンは出ないのだから、アイゼントレの方が有効な遭難対策であることは確実だったので残念だった。

トレーニングしないと、行くことができない山がある・・・赤岳はアイゼントレがいる山だ。ベテランなら、赤岳自体がアイゼントレになる山。

赤岳をコースタイムでゆとりを持って登れることは、アルパインと非アルパインの境目になっており、山岳会なら、雪の赤岳は最低限のスキルだ。条件が良い時で良くはあっても。

だから、赤岳に標準コースタイムで自力登山できなくなったら、もう山ヤとは言えないだろう。自分で赤岳程度には登れる人に来てもらわないと山岳会はレベル低下となるだろう。

今年は、カモシカ山行を提案したが、却下だった。そこまでリアルなアルパインはしないのだそうだ。

カモシカ山行がリアルなアルパインに属すか、どうかは謎だが・・・一般登山でも道迷いで夜になることはあり、経験や知識、体力が試されるときというのは、基本的にピンチの時だ。

いきなり本番より、少しでもいいから、そうした時に役立つ擬似的なものを・・・というのがトレーニングの場なのだと思う。

まぁトレーニングはしないという返事だ。結局、宴会つまり親睦が目的なのだが、親睦を目的とするのは良いが、親睦はなんのためにあるか?

山岳会だったら当然、本番に向けての仲間意識の醸造のためにあるはずだ。が、会員からの提案、一切却下だとしたら、そもそも仲間とみなされていない。

結局、どういう風に誰と登るのが、もっとも安全か?ということを考えると、いまだに答えは、自分たちで登るほうが安全となってしまう・・・

色々な顔を思い浮かべても、例えば、明神主稜に連れて行けそうな人はいない・・・体力に不安があるか、行動を分かっていないだろうと思えるか、ビレイが不安だったり・・・対等のパートナーとしては無理がある。

仕方がないので、会の外の人と行くことになる・・・が岩場で聞くと、よその会も同じで、高齢化しておじいさんとおばあさんの会となってしまい、ハイキング(一般登山)しかしないから、アルパインや岩へは一緒に行く人がいないと良く聞く。 

結局、山岳会の低落が叫ばれてから、すでに20年以上がたっている・・・と言う現実は、こういう意味なのだと思う。

人は誰しも老いるので、老いて登れなくなることは普通だし、老いれば太り、太れば、クライミングには向かないのも普通だ。

アルパイン的な人材がいないのが山岳会衰退の原因だと嘆く割には、いてもアルパインクライミングは実現しないのだから、衰退の原因は、人材がいないことではなく、会員の総意がアルパインではなく、すっかり中高年登山になってしまったということなのだろう。

別に年齢相応の登山をするのはわるいことではないのだから、変にジタバタして、屏風岩でヘリに救助されるよりいいんじゃないか、と思う。

ただそういう人がアルパインについてきてしまうと困るんだな。


Sunday, September 27, 2015

違和感・・・山岳会を考える、その2

■ 最初の違和感

振り返れば、最初から、少し違和感があった。

入会前に岳連で冬山講習があった。それは地獄谷だったので、親しみのあるエリアでもあり、入会直後の山行が、厳冬期の冬山合宿というわけにもいくまいと思っていたので、講習会で自分の理解度を会に理解してもらうのは好都合であり、即答で参加を決めた。

・・・が、送られてきた山行計画が杜撰だった。山初心者の私でも分かるくらいだ。当時は師匠についていたので、すべて相談する形式をとっており、その師匠も、「誰ですか、こんな計画を立てたのは」と言う。

それでも、知り合いづてに調べたところ、催行する人は上位団体の上のほうの地位にいる人で、しっかりした山ヤのようだったし、そこはぜひ行きたい山域だったので、この際、計画のずさんさは、おそらく、慣れによるものだろう・・・と解釈することにした。まぁ、慣れて杜撰になることを、世間では慢心する、と言うのだが。

しかし、その山行は、結局は行かなかった。私にとって、冬山での合宿で、食事を共同にするのは、ごく普通のことでいたのだが、とくに指示もなく、個別で持ち寄る計画のようだったし、協力しようと思い分担の提案をしたがうまくいかなかったし、避難小屋泊で、念のため程度のテントを持参するときに、なんだかテントが大きすぎる気がした。

その時は、ただの冬山ではなく、厳冬期だったので、違和感を感じたら、安全のためには行かない方が良いような気がしたのだった。それに天気が悪かった。

未入会者とはいえ、会から先輩が一人出動を決めた後で、行かなかったので、出動になった先輩には悪かったなぁと思ったが、どちらにせよ、参加者の大学生1名を見るのに、経験者2名が必要そうだったから、それはまぁ、私が行っても行かなくても同じかもしれなかった。

・・・が、どちらかというと、山行の結果のほうが、不思議だった。計画は貫徹されず途中で終って帰っているのだった。そのルートは私が登山2年目で、夫や60代の女性と歩いたルートだったので、不思議だった。

つまり・・・催行する力がないのかもしれなかった。もちろん、お天気が悪かったり、参加者が予想以上に弱かったりしたのかもしれないが・・・。

だた可能性としては、打ち上げた計画が大きすぎ、実際の山行は、現場判断で縮小、ということかもしれなかった。もちろん、現場判断で必ず縮小しなくてはならない場合もある。

しかし、優れた山ヤが計画した場合は、計画と実際の山行のズレは少ないものだ。

特にそれが公的な山行の場合だ。それに、目的を達する方法は一つではなく、ありとあらゆる選択肢で、相手に必要なスキルを身に着けさせようとするものなので、違和感を感じた。

■ 小さな違和感の積み重ね

もう一つは、役員のことだ。上位団体の仕事は、一度引き受けたら、10年も引き受けなくてはならなくなるようで、おや?と思った。

先輩たちも、上位団体の仕事は、あまり歓迎していないようだった。今の時代にそぐわないやり方が変えれないのかもしれない・・・というような感じがするが、詳細は知らない。ただ、やっている人が楽しくなさそうと言うことが分かるだけだ。

次の違和感は、意欲についての反応だった。

私がゲスト参加した山岳会では、先頭のラッセルは、皆が競ってやりたがる、取り合いだったし、重い荷を担げる方が強い山ヤだった。

他の会では、人工壁ではトップロープを覚えると、すぐにリードしかしなくなったし、入会初日にビレイを教わり、登りたかったらビレイをマスターしなくては登れないことは明白だった。交代でビレイし合うのだから。

確保理論の勉強会を呼びかければ、すぐに人数がまとまった。

しかし、自分の会では、ラッセルは延々と、くたびれて変わってください、と言うまでしなくてはならなかったし、ワカンの履き方も知らないで、山で悪びれず今日初めて掃きます、という人がいて、それを悪いとも思っていないようで、驚いた。普通は、そんなことをしたら、蹴飛ばされるのではないだろうか?山を舐めている、と言って。

クライミング練習に誘えば、入会2か月の私にトップロープ張ってくださいと言われ、驚いた。

確保理論の勉強会は、せっかく意欲がある人もいたのに、無視され、なぜか結び目を作るだけに終わった。どうもその資料に目を通したくないという意図が見えた。

そう言うモロモロの点で違和感があったが、要するに、私は私の山を勝手に続行しており、忙しかったので、小さな違和感はスルーだった。

■ スピンアウト

そうこうしている間に、友人のつてで、関西からのクライマーの訪問があった。山岳会から逃げてきた人だった。

その時期に、ちょうど、誰かがコメントで、会への返礼を新人に期待するのが近年早すぎる、というコメントを出した。

その人に聞いていると、なるほどなぁと思わされる内容だった。後進の育成を3年目の人がすることになるのは、やっぱりまだ早いのではないか?と思った。

まぁでも後進の育成は半分は自分のためだ。自分のパートナーに仕立てる目的なのだから。

私自身は自分が岩2度目から教える側&リードする側だったし、三つ峠も2度目から連れて行く側だ。やっぱり、その時は恐怖や負担には感じたが、今は良い機会だったと思っている。

流動分散の作り方とか、クローブヒッチとか、図解があるものは、それだけを教えればいいのであるから、そんなに難しいことではない。リードフォローも同じ。懸垂のセットも同じ。

ただ初心者はとんでもないことをしでかすので、初心者を一人きりにしてはいけないと言う意味で、助手はいた方が良い。

それよりも、違和感の根源は、健全さを感じさせないことだった。

■ 体面

組織と言うものは、あまりにも変化がない状態が続くと、淀んだ水と同じことで、腐敗して来るものだ。

組織の腐敗とは何を指すのだろうか?

最近読んだ『安全・安心の心理学』によると、

 ・相手の体面を重んじて、反対意見が表明されないことがある

 ・誰に頼まれたかによって、仕事の優先順位が異なる

 ・仕事ぶりより好き嫌いで評価される

 ・トラブルが生じた場合、何が原因か?より、誰の責任か?が先に問われる

とあった。属人的風土は安全安心には、マイナス要因なのだ。

体面や組織維持の方が、安全よりも重くなるという意味なのだ。それは登山においてはとても危ない思想だ。

それを顕在的に理解したのは、凍傷者3名を出した厳冬期のバリエーションだった。私は、計画段階から、計画に不安を感じていた。師匠も驚く、杜撰な計画・・・。

幸い、パートナーの都合によって参加せずに済んだのだが、予想通りの展開というか、予想より悪い展開だったために、驚いた。

私の予想では、良識によって計画縮小で帰ってくるのかもしれないと感じていたからだ。しかし、そうではなく、どうも無理な計画は、無理な計画のまま決行されたようで、その無理の代償を支払ったのは、計画者本人ではなく、サポートした人のようだったし、サポートしてもらった側には、相手の身体を傷つけた内容の計画および判断を実施したことについては反省がないようだった。

そのため、明日は我が身、かもしれぬ・・・と警戒した。

その不安を裏付けるかのように、同じルートで山岳遭難が起った。山では体力が弱いものから順に犠牲になるということの証明だった。他人事ではない。

≪関連記事≫
八ヶ岳バリエーションでの遭難

■ 付録

これには驚きの付録がついた。参加していない山行で、食当費を請求されたのだ。それも公然と。

一般的感性として、当人が使用していない代金を請求するというのは、かなり勇気がいることだ。しかも、それを公然と請求されたと言うことは、請求して来た人は、かなり正当性に自信をもっているということを意味する。

・・・ということは、含まれる人たちが自分の側に着くと言う確信がある、ということだ。

それはどういうことか?というと、おそらく、否定的な話題で、取り上げられたのだろう、ということを意味する。そうでなくては、普通、人はそんな非常識なことはできない。

しかも、その人に生ガキを贈呈した後。夫は「あげる人を間違ったね」とコメントした。

■ 洞察

まとめると、不安を搔きたてられるのは

・大きく打ち上げて、計画縮小 → 計画は立派でもその立派さは慢心により、実際は実力不足なのでは?

・意欲 → 価値観の逆転現象が起きているのかもしれない?

・運営 → もしかして、押し付け合い?ババを誰が引くか?のような感じ?

・風土 → 体面が本質的にあるべき姿よりも重視されると、安全から遠のくかもしれない

・貢献 → 貢献しようと言う気持ちは、凍傷や怪我などとして還元されるかもしれない

・スケープゴート →ありうるラインかもしれない・・・

と、いうわけで、もろもろの違和感が、具体的な懸念となって沸き起こる。

無論、これらの懸念は、私がそう懸念するだけであって事実ではないし、その懸念は私の推察、洞察によるもので、なんらの根拠はないが、事実を基にした目撃情報による洞察であることは確かだ。

目にしたこと、耳にしたこと、それが私に不安を起こさせるのだ。

■ 忍び寄る、ほつれ 

結局、それらはどこに起因するのか?というと、おそらく、マンパワー不足とか、高齢化によるレベルダウン、とか、世代間の断絶とか、そういうところに落ち着くのだろうと思うのだが・・・

それは、出来事ややり方に起因する不安であって、誰それという個人の問題とは思えない。

個々人を見ると、すべての関係者が良い人ばかりだと思う。

ただ良い人の集合が、良い行動を引き起こすとは限らない。

人間の弱さは憎むことはできないが、時間的に不可逆的・・・場合によっては、取り返しのつかない出来事を生むという事実は変えられない。

弱さを制するのは、理性だが、欲求と理性の対立となったとき、理性が勝てない人が主流化すると、子供の集まりと同じになる。

例えば、望まれない子供は、性的衝動への弱さの結果として生まれ、その人間的弱さの結果は、20年の長きにわたって、関係者全員に重しとなってのしかかる。

肥満も同じで、食欲をコントロールできないことを示す。

組織の面で言えば、食品会社による偽装隠ぺいも、誰一人として悪者はいないうちに、身内びいきが起り、隠ぺいという自覚がないままに、起ったものだ。

組織とは、個人とはべつのそういう生き物であり、善人の集団が善とはならないし、衆愚という言葉も知られている。

各論ですべての判断が善であっても、総論で悪ということが成り立つのが組織ということの恐ろしさなのだ。

むろん、万事が塞翁が馬で、良き事が必ずしも、善となるは限らないし、不運が必ずしも悪と転ぶとは限らないわけだから、何が起こったところで、良いのだが・・・。

ただ、災いが降りかかる時、それは必ずスケープゴートになる人がいる。

山の場合、それは、責任感の大きさにより、責任感の強い者がこうむる・・・大体、無理や無謀、混乱のとばっちりは、もっとも弱い者、もしくは、リーダーがこうむるもの、と決まっている。

そして、私は大概の場合、そのどちらかに当てはまっている。

阿弥陀北稜の遭難を見ても、リーダーと弱い者が死んでおり、また自分の会の山行でも、もっともシビアな凍傷をこうむった人はリーダーであり、軽症の凍傷者の二人は最も弱い者だった。

人には自分の身に降りかかる危険を予知する能力があるのかもしれない、ということは言えるかもしれない。




 







Friday, September 25, 2015

清算・・・ 山岳会を考えるその1

■ 清算

清算その① 自己顕示欲のために、後続を危険にさらさないでください。

自分が登れても、後続が登れるかどうかは別の話。トップを務める人の役目は、ただ自分がつっこむことではなく、メンバー全員の安全を考えることです。

ロープの出し方は、色々なやり方がありますから、ケースバイケースで出せるように、きちんと学んでください。そうでない場合は、経験者に相談して、出してください。

清算その② プライドを捨てて、ミスをしたら、ちゃんと謝る

うっかり後続を危険な目に合わせたら、「ごめん」と言ってください。人間だれしもうっかりミスはあります。しかし

安全よりプライドを取るようになったら、山は危険極まりないものとなります。

清算その③ 安全な計画を考える

計画そのものに過信や慢心があり、危険だと分かっている登山計画に、GOサインを出せば、それは、飲酒した人に運転させるのと同じことです。

山行計画からして、その計画の無謀さがあらかじめ予見できる場合は、阻止しなかった側にも責任の一端があります。

山でのミスも同じです。リーダーが道を間違ったら、間違ったことを指摘しなかったメンバーにもミスがあります。

清算その④ ”言っても聞かない”は辞めてください。

「言っても聞かない」というのは、山のベテランがよくつぶやく言葉でした・・・ 

言っても聞かない人にはなかなか教えることができません。

「そのビレイはあぶないよ」と言われて聞かない人のビレイには、命は預けられません。

清算その⑤ 自分の酒は自分で担いでください。


相手は50代男性、当方は40代女性、10歳違いです。これだけ担がされて、”一緒に行ってもらってありがたいと思え”、というのは無理な話です。しかも、一人で行ったほうが早いような一般ルートですし。そんな心の広い人間でなくて、すみません。

宴会の好き・嫌いは、個人の自由ですが、飲みたかったら、自分の酒は自分で担いでください。

自分の酒と自分のロープが担げない人は、そろそろ山は終わりではないでしょうか。

のみたい酒が自力で担げる山に行ってください。

清算その⑥ 食当費は、常識の範囲でお願いします。一日1000円程度が妥当です。

2泊3日、2名の食当費で一人4000円は取りすぎです。メニューは海鮮丼、ラーメン、ペペロンチーノ、雑炊です。

参加していない山行の食当費を公然と請求するのも辞めてください。

いくら先輩でも、そのような態度は、尊敬できる態度とは思えません。

また山ではモノが腐りやすいですから、新鮮なものをお願いします。お腹をこわしたら、大変です。

また何にそんなにかかったのか不審ですから、領収書の添付をお願いします。

清算その⑦ 自分で安全管理して行ける山が自分の実力です

ベテランに着いて行くだけの山しかしないと、自分の実力を過信します。

山は、誰かとの競争ではないです。誰かにすごいね~と言われるために山をしなくても良く、自分の心を満たすためにするのが登山だと思います。

逆に言えば、腹が立つのは人に認められるための山をしているからです。

自分と山との対話だけであれば、外野が何を言おうとも、あまり気にならないです。

自分の荷は自分で担ぎましょう。計画は自分で立てましょう。次に行くべき山は自分で見出す努力をしましょう。

マルチピッチにセカンドで行けても、自分でハイキングの山に単独で行けなければ、自分のトータルの山力は、ハイキングの山の方です。

山は登攀力だけでは行けないのです。アイスとフリーのゲレンデクライミングは登攀力だけで、山屋じゃなくてもいけますし、それもそれでレクリエーションとしての楽しみだと思います。

清算その⑧ 2万5千の地図はハイキング程度の山でも持参しましょう

地図読みができると山が広がり、とても楽しく、山の楽しみが広がります。

人間だから、地図を忘れて出ることもあるし、私も何度も行っている山で一般道しか歩くつもりがないときは、地図を持って出ないことはありますし、岩場に先に行ったことがある同行者がいれば、これ幸いと、ついて行きます。

しかし、現在地図読みスキルがゼロで、2万5千の地図の存在や入手先も知らず、山歴ん十年、厳冬期の北岳にも登った、と言われても、どう反応したらいいのか、よく分かりません。厳冬期北岳が小さくなったということでしょうか?

清算その⑨ レクリエーション vs レベルアップ

レベルアップを目指す人が集う場が山岳会だと聞いていましたが違うようです。

単なるレクリエーションを求める人の会であれば、役割は持ち回りで助け合いが良いでしょう。

レベルアップを目指す人たちにも、もちろん、初回の顔合わせなどで、レクリエーション的な山は、必要です。(フリーでTR張ってのゲレンデクライミングはそのようなタイプの山行です)

しかし、それは、顔合わせと言う目的をもった山行であり、山をレクリエーションのみの場、つまり物見遊山と捉えているわけではないように思います。

レベルアップを目的とする人が集えば、おのずと目的のために団結し、絆も生まれます。

が、レクリエーションを求めている人だけが集えば、楽しくなければ、別れてお終いです。

さらには、安全管理はめんどくさいもの、という位置づけになるため、安全管理の押し付け合いが始まり、結局、一番立場が弱い、山へ行きたい人が安全管理という、ばばを引くことになります。

安全管理=ばばを引く=会への貢献、となったら、悲惨です。

連れて行く行かれるの関係が固定になり、ガイド状態で連れて行く人=会に貢献している人、の構図になります。

しかし、ガイド状態で連れて行くことは、連れて行かれる立場の人の、登山者としての成長を阻害しているので、むしろ退行化に加担していることになります。

誰も、ばば引き役を引き受けない場合、さらに悪いことに、安全管理はお留守になります。つまり、リーダー不在の山です。皆がおれの責任じゃねえ!と言っている状態です。新人がリーダーをしている時に、先輩(影のリーダー)が俺の責任じゃねえ!と言っている状態です。

安全管理お留守の山は、アブナイです。

登山者がハイキングのつもりであれ、本格登山のつもりであれ、山は人を区別しないからです。

清算その⑩ セクハラは勘弁願います。

人生は、本人の選択の結果です。

子供の数が多すぎて、経済的に負担だと愚痴を言いたい時は、産んでくれた奥さんに言ってください。

浮気したいと言われても困ります。私は全くしたくありません。幸福な結婚生活を送っていてスイマセン。

ただ、女性を面前にして、浮気したいと言うのは、一般社会常識的には、セクハラと呼ばれているそうですよ。私は他人にそうと教えられるまで知りませんでしたが。

セクハラされても、笑って受け流せと新人に諭すのは辞めてください。諭すべきは、セクハラする側であって、される側ではありません。

清算その⑪ これは個人の日記ですから、読みたくない人は読まないでください。

ブログの語源は、日誌です。プライベートな、人の日記をのぞき見するということですから、読みたくない人は読まないでください。

更新を心待ちに、読みたいと思ってくれている読者に、迷惑がかかります。

これは、Aboutにも書いてある通り、登山が嵩じて、アルパインクライミングの初級者になった人が、どのような困難や難題に遭遇するのか?志を同じくする人の参考になれば、という目的で描かれた文章です。

読んで役立つと思わない人は、読まなくて結構です。

皆に役立つコメント、情報をくださっている他の方の善意がそがれるという、残念な結果になってしまいます。

■ すみません・・・

今、私は会の山行にはほとんど参加していません。大変申し訳ありません。

理由は、

 1)会山行日が決まるのが遅く、先に自分の山行の予定が埋まってしまうから

 2)目的を持って山行計画を立てているから

 3)山でもフリーでも、レクリエーションなら、友達と行きたいから

 4)一般登山なら、一人でも行けるから

 5)安心してビレイをお任せできる人がいないので、岩に連れて行きたくてもできないから

 6)沢も、あと一人は安全管理のためには監視役が必要で、それができる人がいないから

 7)知識面、理解面で、安心してセカンドを任せられないから

 8)行く山に適したギアを会の人は、まだ持っていないから

 9)その山に安全に行く体力が、会の人はないのではないかと思うから

 10)ロープワークや地図読みを会の人は知らないだろうから(そのため安全に行けないから)

という理由です。

例えば、三つ峠に行きたいと言われても、ダブルロープさえも自分のを持っていなかったら不可能です。その不可能だということが分からないくらいの理解段階だということが、誘っていただいた時点で分かります。

≪関連記事≫
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月例山行スルー
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≪関連記事≫
山を誰に教わるか
山を誰に教わるかその②
その③


Saturday, May 16, 2015

昔の教え方vs今の教え方 ・・・山の世界を考える その6

■ 昔の教え方 vs 今の教え方

常連で読んでくださっている人にはくどいですが、私は大人になってから山を始めた女性登山者です。5年目に入り、山岳会は2年目です。ガチな会ではなく、普通の地域山岳会です。

ですので、昔の教え方、を知っているわけではありません。ただ、先輩たちの言動の端々から、

 昔はこうだったんだろうな~

でも、

 今はそんな教え方ではワカラナイだろうな~

と思うことが多々あります。

■ マズイやり方

こんなことがありました。

合宿では個人装備が指定されています。ロープが出る山をスタートしたころは、

 確保器、エイトカン、簡易アセンダー、プルージックコード、スリング持っているの全部、カラビナ、持っているもの全部、捨て縄持っているの全部・・・

とフル装備というか、もっているのは全部持って行っていました。

すると…

 「そんなに持ってこなくて良い」

と言われます。それで、個人装備表にある通り、スリング3、カラビナ3 を持って行ったら…今度は

 「それじゃあ足りない」

と言われます。 

この教え方では、最近の人はいつまでたっても分かるようにはならず、

 不満だけを貯めていく

だけです。 おそらく、言いたいことは

 「今回の山行に必要なものをリーダー任せにせず、自分で考えて持ってきてください」

という意味です。それは、

 そのまま、言葉にして言わないと分からない

のが、最近の人なのです。それは、60代だろうが、40代だろうが、20代だろうが、最近の人なら同じです。

■ できる人

いわゆる、デキる人は、山行を見て、

 50mダブル ×2  

とあれば、これは登攀がしっかり入るクライミング要素の強い山だな、とすぐわかります。装備リストにヘルメットやクライミングシューズがあれば、クライミングシューズが必要となるような山です。残置もあり、ヌンチャクで済むのかもしれません。

そうなれば、万が一に備えて、簡易アセンダーくらいは必要だし、岩がちな登攀の可能性もあるので、ナッツとかキャメロットの1、2番くらいは忍ばせてもいいかもしれません。下降器は必ず冗長性を持たせて(つまり落としたときの備えも入れて二つ)で持って行きます。

逆に

 30mダブル ×1

であれば、あまり登攀的でない可能性があります。念のためのロープです。ですから、出すことがあれば、先頭としんがり以外は、フィックスで通るでしょう。ルートを見て、樹林帯が主体であれば、支点類には、むしろスリング類があった方がいいのかもしれません。

そう言う風に そのルートで具体的に何が要るか?を想像して持って行くのが大事です。

ですが、くどいようですが、

 「そのルートで具体的に何が要るか?を想像して持って行くのが大事ですよ」

と言われないと分からないのが現代人です。そこはかとない教え方ではだめです。

■出来ない人

テント泊でも同じことが起ります。それはリーダー講習でのテント泊でも、同じように起ったことなので仕方がないことなのです。

例えば次の図で、普通の理解力がある人は、みな左の図のように座ります。

今の人は、右の図のように座ると、最後の人が行き場がないということが

理解できる人の方が稀

です。

昔は山岳部というのは、慶応だの、早稲田だの、長野だの、北大だの、東大とまで行かないまでも、

エリートの集団

でした。

 今の時代の新人さんは普通の人

です。

総合的な理解力も下がっているだろうし、今の時代の人は、山歴10年で、山に慣れていても、その内容は 個人山行です。

個人山行をいくら積み重ねても、テント内での過ごし方を教えてくれる人はいません。

 テント内では四隅に座る

ということを教わる機会はないのです。ですから、6人用テントに4人で入っているのに、「狭いから俺タテに寝る」と言い出す人がいるんです・・・。もっと狭くなるよ・・・。

ところが先輩たちは

 テント内での過ごし方なんて、教えるものじゃない…

と思っています。そういうものは 

 「見て盗むものだ」

というのはイマドキ通用しません。

 ・個人の荷物は一つのバッグにまとめる
 
 ・不用意にがさごそしない
 
 ・火のついた鍋は誰かがかならず押さえておく
 
 ・スペースを互いに譲り合う

くらいは常識の範疇のことです。がそれを口にしないと常識として共有できないのが今の時代です。

それ以前に

 真冬に6テント4人では寒いです

とかも、口に出して教えないといけません。なにしろ、今の時代の人は、ギアには豊かに育っています。テントは先輩の時代よりうんと軽いのです。

私のソロテント泊装備はとくに軽量化しない状態で食料抜きで8kgです。テントは一人用ではなく一人で行くときも、2-3人用です。個人山行でテント泊するときは、山岳会と違って、朝出発するまでに40分しかかかりません。山岳会ではかならず2時間はかかります。

座る順番もです。古い会では年功序列がまだ生きていて、誰も奥の4隅の一つを取らないので、私が入ったら、

 「新人のくせに…」

と案の定文句を言われました。だから「テントに入る前に誰がどこの隅に座るか決めてください」と言ったのに…。

新人のギアを見て 「そんなものを持つのは10年早い」などと言ったところで、それはセールで買ったものなのです。先輩の時には日々切り詰めたお金を貯めて、大枚を握りしめて、買いに行ったようなものでも・・・。

■ まとめ

要するに今の人は、

 やんわり指摘 & 盗ませて覚えさせる

という方法では育てられません。

 こういうふうにやりなさい

と結論を言わないとやれないのです。

あれもダメ、これもダメ、方式は、昔はおそらく選抜の考え方があったのではないでしょうか?それでついて来なくなるような奴は、どうせまともな山ヤになれない、という発想です。

ツラい歩荷訓練も同じ意味があったのでは?それで辞めるようなヤツは辞めてくれて結構、という時代です。

今の時代はそうではありません。山屋的才能がなくても、来た人を何が何でも山屋に仕立て上げないといけない時代です。

持ってくる装備を見れば、その人の実力が分かります。それで相手を値踏みし合っていたのです、たぶん。しかし、そんなこと今の人が発想できるはずがありません。

昔は競争社会をベースにしています。今は飽食の時代なんてとっくに終わって、ゆとり教育も終わりの時代です。ゆとり教育の人は、円周率は3.14ではなくて、3で習っているんですよ?そんな人たちが後継者なんです。平成の新時代さえも過去のこととなりつつあります。

スマホを嫌うより、スマホに詳しくなる方が得策です。ホントに遭難対策に仕えますから。

先輩たちが教わった時代の教え方では、よほどスルドイ人でないと、意図が伝わらないのです。そこはかとない伝え方ではだめでしょう…

だから、色々な人がいますが、

〇〇ができなければ、××には連れて行けない

たとえば、
ビレイで墜落をきちんと止めてもらえなければ、ルートには連れて行けない

などです。その前に、リードできなければ、リードのビレイはきちんとはできるようにはなりません。

何ができるようになれば、どういうことができるのか?はっきり言った方がいいです。そうでないと、だらりんビレイで 「うひょ~ 俺ってかっこいい~!」と思っている新人を作ってしまいます。見ると不必要なギアばかりをじゃらじゃらハーネスに着けていて、ちっとも玄人目にはかっこよくないのです。

そんな人にビレイをしてもらって連れて行かなくてはいけなくなったら、連れて行く本人は勝手に命がけにすればいいですが、会の他の他の人まで命がけになります。

 不必要なギアをじゃらじゃらつけているのはカッコ悪い

ということも、要するに行ってやらなければ分からないのです。


Wednesday, July 23, 2014

若い人の山岳会離れ

今日は辛口批評です(笑)

■ 若い人の山岳会離れについて

若い人が山岳会離れを起こして久しい…という嘆きは、私のような登山新参者でも、少なからず耳にします。

ちなみに私自身は40代に入ったばかりの、登山歴4年の女性登山者です。

登山を始めた当初は、「山ガール」と呼ばれていました(汗)。山ガールブームについては全く知らずに、山梨生活をエンジョイするためという理由で、登山を始めりましたが、順調に山が成長した結果、今は誰も「山ガール」と呼んでくれません・・・(^^;)。

おそらく、昨今の登山ブームで、10人登山を始めれば少なくとも1人は私のようなガチに進化するでしょう。そうなった場合、私のような登山者は行くところがなくて困るんじゃないか?と思います。

(ちなみにガチの中では一年生のひよっこです)

■ 微妙な40代

登山の世界で、”若い”と言えば、本来はたぶん”35歳以下”を指すのだと思いますが、現状を見回すと40代前半は、相対的な都合で、”若い”に入ってしまいます。というのは、山岳会は高齢化が進んでいるからです。

ちょっと話は逸れますが、40代が若いか若くないか?は、グレーゾーンです。

”まだ若いんだから頑張る”から、”もう若くないんだから無理をしない”へ、移行するべき年齢ですが、そのタイミングは、日ごろの肉体のメンテナンスによりけりで、個人差が大きいようです。中高年というのは、要するに個人差が大きい世代なのです。

■ 若い人に問題があるのか?

話を戻しますと、”若い人の山岳会離れ”というものは、基本的には

 ”若い人の側に原因(問題)がある”

という目線で語られることが多いように思いますが、最近、それには疑問を持ち始めています。

というのは、私が参加した山岳総合センターの講習会など若い人だらけだからです。

山を学びたいというニーズはある。意欲もある。

それは確実に真実です。

ということは、そのニーズに単純に山岳会という枠組みが答えられていないだけではないのだろうか…?

■ 若い人が多い会 

若い人が一杯の山岳会も、実はあります。 講習会の修了生が作った会も昨今は目立ちます。

こうした山岳会は新しい形態の山岳会と言え、希望がある形態です。なぜなら、

山を学びたい!

という一つの共通目的でつながっているからです。 技術志向、とも言えますね。

もともと講習会仲間ですから、意欲、という面で、すでに選抜を受けており、学ぶ意欲がなく、連れて行ってもらいたいだけの人は除外されています。

既存の山岳会で問題となる、ただ連れて行ってもらいたいだけの人がたくさん入会してきてしまう、という欠点をあらかじめ除外できます。

そして、技術レベルも、同じ内容の講習を受けているということで、最低限相手が何を知っているか?は、共通の理解があります。たとえば、セルフはメインロープで取る、というようなことを知らない、というようなことはない、というような意味合いです。講習内容は、身についている程度の差はあれ、項目としては共通理解なので、何を後輩に伝えていくべきか?も共有しています。

≪今までの山岳会の問題点≫
・連れて行ってもらいたいだけの人が入ってきてしまう
・技術伝承が個人任せ、運任せ
・結局、同人化してしまわざるを得ない

≪講習会→山岳会のメリット≫
・意欲の無い人が最初からいない
・タダ乗り派が最初からいない
・ある程度教育内容がフレームワーク化する

今までの山岳会では、教育システムが、口承(笑)で、何をどう具体的に新人に教えるのか?決まっていない会が多いようです。

基本的に、教え好きな人がボランティアで教えるに任せる、ということであり、技術と言っても、間違って覚えたことが、そうとは分からないまま、そのまま継承されてしまうことも多かったようです。昔はインターネットありませんしね。

そういうわけで、きちんと教えられていない人は、教えることができない。教わっていないから教えられない。

それはその人のせいではありませんね~! 

しかし、登山を教える、ということについては、大まかな枠組みさえ、曖昧なようです。

それは、やはり、率直に言ってしまえば、手抜きが積み重なったということのようですが、個人で出来ることは少ないので、組織と言うメリットが生かせなかった、ということなのでしょう。

組織の在り方が、個々人の努力任せだった、と言えるかもしれません。個々人が趣味に割ける時間が時代背景的に少なくなった結果、個の弱体化がそのまま組織の弱体化となったということでしょう。

今は山岳会の中心メンバーとなるような年齢の人が山に行きづらい時代なのです。残念ながら。

■ たとえば…

それゆえ、登山において新人の目で見ると、はてな?な事態が頻発します。

たとえば、夏の雪渓歩きです。

先輩Aの指示: 軽登山靴+前爪ありの10本爪アイゼン以上 + ピッケル
先輩Bの指示: アプローチシューズ+アイゼンなし+ピッケル無

全く同じ雪渓を歩くのに、ここまで指示が違う。

師匠によると、昔は、夏山一般道の雪渓をアイゼンなしで歩けないようでは、バリエーションルートに出てくる急な雪渓などこなせない、との考えが一般的だったのだそうです。

私も実はその意見に賛成です。

というのは、岩場に行くアプローチは非登山道なんです。非登山道でありながら、登山靴はかさばるので、アプローチシューズで行くのが普通です。私や相方なんて、クロックスで歩いています(笑)。
急斜面なので、歩くの、結構大変です。(雪はありませんが)

要するに、より困難な道を、よりプアな道具で歩けるだけの脚力が前提です。たとえ靴に泥が入って、不快であっても、ザックの重さとの兼ね合いでアプローチシューズや場合によっては、クロックスが合理的選択です。

そういう風に、バリエーションに出る状況というのは、ただ単純に非一般道を登山靴で歩きます、というようなワンランク難易度が上がりました、という状況ではなく、現実に巡り合う状況的には、もっと過酷です(笑)。ワンランクではなく、3ランクは困難度が上がった感じがします。

なので、一般道の登山は、やっぱり単純に練習の場、と化してしまいます。

バリエーションから見ると、整備された登山道は、本当にすごく歩きやすいからです。スパッツがいるほど草が生えていることもないし、道はよく歩かれて、尾根がえぐられて、明瞭です。足を置く石も豊富。

だから、非一般道を歩くことに慣れてくると、一般道くらいは運動靴で歩けてしまいます。私は、鹿柵のボランティアなどをしに行くときは長靴です。靴底はペラペラ。

翻って、夏の雪渓ですが、私は、雪渓、登山靴だけでも歩けます。スプーンカットを丁寧に拾っていけば、傾斜が緩い夏の雪渓に、アイゼンが不要なのは分かります。でも、私も、6本爪アイゼンを装着しますが、別にアイゼンがないと歩けないからではなく、そのほうが脚力をセーブでき、一般道を歩くような登山では別にザックが重いわけでもないからです。 

ちなみにピッケルは要らず、ストックです。傾斜が緩いので、ピッケルでは地面に届かず杖にならないからです。こけてから停止することを考えるピッケルより、コケない装備のストックが有効な斜度だと思います。斜度的に転ぶリスクが限りなく小さいからです。

しかし、同じ雪渓でも、靴底が柔らかいアプローチシューズでは、ピッケル無しに歩く気がしません。転ぶリスクが一気に高くなるからです。特に下山はかかとを雪面にけり込むキックステップなど、靴底が柔らかい靴ではできない。靴底が柔らかい靴は、基本的にはフリクションを効かせる靴だからです。おなじアプローチシューズであっても、靴底が硬いタイプであれば、歩けると思います。

しかし、普通、ここまで説明してくれる人はいませんね。 アプローチシューズを持ってこさせる前に、説明する人もいないし、ピッケルかストックかを主体的に考えさせる人もいない。

なので、指示を受けた側は主体的に自分で判断しなくてはいけません。

すると、どういうことが起るでしょうか?

先輩Aにも先輩Bにも服従しなかったということになります。 そりゃどっちの先輩も面白くないかもしれませんね~。

しかし、よく考えてみると、”山は自己責任”。 考える人は歓迎のはずです。

登山教育で最も重要なのは、たぶん、”自分で考える”ということであり、登山界では”自分で考えない”ことについての嘆きが、360度方面から聞こえてきますが、アカウンタビリティ(説明)がなされない状況下で、いざ”自分で考える”タイプの人がいると、このような結末になります。

私が思うには、こうして、若い人は立場がなくなっていくということになるのではないか?

それはもともとの原因をただすと、説明が不十分である、ということに尽きるわけです。

■ アカウンタビリティの時代到来?

私がここで主張したいのは、

 合理的で論理的な説明が不足している

ということです。根拠の説明、ということです。

若い人が多い会は、よく見ていると、説明が豊富で、根拠が明確な会です。つまり分かりやすい。

また、人気がある山岳ガイドは、くどいほど説明が丁寧です。説明のパワーで納得性を高めています。

考えてみると、言葉は何のためにあるか?それは、分かりづらいことを説明するためですしね。

若い人がついて行く岳人はどのような人物か?を観察していると、やはり、指摘が論理的である、ということに尽きると思います。

そういう意味では、今山岳会に起きていることは、山岳会離れ、ではなく、

 山岳会の淘汰

なのかもしれません。 

年齢が上だからとか、過去の実績、ではなく、キチンと技術を伝えられる、現在も実力者である、という、根拠に基づいている、ということであれば、本来、与えられるべき正当な評価が、選抜の根拠であるということであり、それって実は歓迎できる流れではないでしょうか?

■ 更新情報

Sunday, May 4, 2014

鹿島槍 鎌尾根 その3

 ■ ピーカン・・・(汗)

二日目の夜は、お酒がもう舐めるくらいしかなく・・・BC(ベースキャンプ)にまさか戻ってくるとはおもっていなかったので・・・実は稜線でビバークだと思っていたのです・・・ 

鎌尾根から、布引沢へサクサク降りて、16時にBCについてしまった時には、若手のM野さんは、てっきり「今日中に下山か!」と思っていたくらいです(笑)

BCから1時間くらいで、登山口なので、正直、フツーに当日下山できてしまう・・・というか、もしかして、鎌尾根日帰りの山?!くらいな勢いでした。

そのように、時間的にも体力的にも、安全マージンの大きな山、だったので、この3日目の朝のピーカンには参りました(笑)

もう、もいっかい登って帰るぅ・・・?な感じ(^^;)


あーあ、今日は雪質が硬く閉まってアイゼンがよく刺さり、おまけにこのピーカン・・・
 わざわざだらだらとゆっくり起きて、だらだらと朝食を支度し、だらだらと撤収しても・・・この晴れ。

何しろ、山に温泉はつきものですが、下山が早すぎると温泉が開店していないかもしれない(^^;)

ので、下山はわざとだらだらと・・・(笑)

実は昨日の下りも、わざと尾根の頭で、1時間ほど時間をつぶしたりしたんですけどねぇ・・・







しっかし、雪崩痕は増えているような?!

そりゃそうかねぇ・・・ あんだけ、雪崩れれば。

昨日は、登っている途中に、布引沢のほうを見ると、まるでダムの放流のように、土砂を含んで茶色くなった雪が、岩溝から、空中に弧を描いて、流れ出しているのが、間欠的に見えました・・・。

雪、白くなくて茶色なのは、だからです。







さようなら・・・鎌尾根。

めっちゃ、気に入りました。マイナーで静かで、楽で(笑)

すばらしいルート。ここは、ピストンなら、前夜泊日帰りです。

隊長はダイレクト尾根に行きたいのだそうです。

■ してやったり(笑)

帰りは、大勢の登山者が上がってくるのとすれ違いました。

みな、一様に大型ザックを背負い(つまりテン泊)、ヘルメット持参の人も多かった。

一組だけ、ダイレクト尾根の人たちに会いましたが、実はそれは山岳総合センターの講師の一団でした。

「あれぇ?赤岩先生!こんにちは!」と、叫んだものの、実は赤梅先生でした・・・(^^;)、あんまり鹿島槍研究したんで、赤岩尾根に引きづりこまれていました・・・スイマセン。


先生たちの一団だけがダイレクト尾根、あとは、5~6組すれ違うもみな、赤岩尾根。

赤岩尾根も下部が悪そうなのに、西沢を使う人がいないのは不思議でした。朝の早い時間なら、この日の雪は固く閉まり、アイゼンがサクサクでした。

上級の講師に「鎌尾根を下れたんなら、ダイレクト尾根も登れるべ」と言ってもらったのが、うれしかった。 よし!じゃ来年はダイレクト尾根で(笑)

しかし、大町近辺の山ではよく講師に合いますね・・・。後立でなくても、私のホームベース甲府の小瀬でも、クライミングウォールで、村上講師に会ったし・・・。いや~もしかして、山の世界は超狭い?

下山すると、大谷原の駐車場はほぼ満車でした。 私たちが入山した5月1日は、3台しかなかったうえ、隣の一台は止めてからだいぶ経つ様子だったのに。

もう、登ってくる登山者とすれ違うと、静かな山を味わえたことに、なんとなく、優越感が(笑)

■ 反省

今回は、定着テント泊2日、もしかしてツエルトビバーク1泊、の予定でした。

(先輩は、パーティの行動力が読めないので、色々と心配していそうだった)

  &

(心配の種の大部分は、入会したての私の脚力が読めないということにありそうだった)

ので、私は一応、自分で自分のコースタイムを予測し、それを先輩に伝えていましたが・・・鎌尾根は取り付きから5時間だろう、と。

それは、かなり正確な予想で、まーぴったし!でした。自画自賛。パチパチ~。まぁ奇遇ですけどね。

しかし、失敗は、酒の量です(笑) じゃあ、一瓶持ってあがっても良かったかねぇ・・なゆとり具合。

今回は私は食当もなく、運転もなかったので、結構ゆとりがあり、想定される担当は、

 1)酒つまみ担当
 2)写真担当
 3)バテナイこと

でした。 しかし、山行がシビアそうだったので、ちょっと酒を大量に持ち込んで、士気を下げるのはためらわれ・・・ 私はシビアな山の時は、食料でさえ軽量化を図るので・・・さらに担げないのに持ってあがってバテたら、最悪です。

基本、新人の最大の任務はバテナイこと、です。

御坂山岳会との合宿は初めてなので、まぁ、お互いどれくらいの真剣度が要るのか?あるいはどれくらいご褒美山行なのか?分かりませんね。

今回は、安全マージンが大きく、会の性格として、非常に慎重な会であることが分かりました。

私自身も結構慎重な方と思いますが、それより輪をかけて慎重。

今回、それ以外の反省では、人に合わせることのむずかしさが・・・。

スマホの充電器は持って行ったのに、ケーブルを忘れ・・・ああっ! なにしろ、普段は自分の車で充電できるので、ケーブルは最後に車から入れればいい・・・今回は人の車なので・・・

あと、最大の反省は靴です。 靴はもう芯まで濡れ、下山時はとても気持ち悪くなっていました・・・(><) 自車なら、常にスリッパが置きっぱなしですが、今回は、乗り合わせなので、サンダルを持たずに行ったら・・・下山の温泉などでさっぱりしたのに、ああ~靴が・・・な状態。

先輩に「アルパインの気合入ってるね~」と言われましたが、気合ではない・・・ちょー気持ち悪い。

下山の快適さにサンダルは必携です(笑)。靴は意外にどうするか難しい点です。電車で山登りするときは、サンダルはあっても邪魔で結局、登山靴は履いて移動するのが一番楽です。

それにしても、冬靴、防水性なんとかなりませんかねぇ・・・もうぐちょぐちょ。ネオプレンソックスの出番かしら・・・

というわけで、まとめ

 1)事前の予習&コースタイム予想は良かった
 2)山にはビビりすぎだった
 3)お酒が足りなかった
 4)行動食は多すぎた
 5)スタカットはマスターできた
 6)雪崩でも尾根を歩けたので、これがボトムラインの経験値になった
 7)忘れ物等は要注意
 8)行きに水道水をもう少し持っても良かった
 9)山で不要でも自宅のカギを持とう!

行きはスタバに寄れてよかったですが、帰りは緑湖で、軽く軽食を食べて帰りました。

帰宅は早々に13時。 帰宅すると夫の車がない! そんなに早く帰るとは思っていなかった&携帯の充電ができず、夫に連絡できない!さらに、夫はほとんどの場合携帯を鳴らしてもつかまらない!

ので、帰ったのに自宅に入れず・・・(><) 図書館で岳人2冊と雑誌1冊を読み時間をつぶして、やっと家には入れたら14時・・・

夫と山の写真を見て、「元君でも行けるんじゃなーい」なんて言いながら、スゲー雪崩!を見て、15時、昼寝して16時・・・という感じで、締め。

振り返ると、大変さはあまり感じない山でした。もっぱらの今後の課題は、先輩と楽しく話せる共通の話題を見つけることですね!

あと、北アのこのルートは、もう少し寒い時期の方がいいのかも? 雪崩が落ち着いている時期で、冷えているということを考えると、4月中旬くらいかなぁ・・。