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Sunday, March 21, 2021

2019年発行の『フリークライミング』ヤマケイ登山学校

もし一冊しかフリークライミングに関する本を買わないとしたら、この本が一番おススメです。


https://amzn.to/3tzLfGi

■ 開拓王 北山真さん + 杉野保さん

杉野さんは亡くなってしまい、大ニュースになりましたが…。つよつよクライマーでも、リスク管理には危うさが残る方、と伺っていました。まぁ、クライミングは危ないから楽しい、危なくなかったら、楽しくない、ので、その人が取れる危なさを許容するのが楽しさなのですが…。

北山真さんは、言うまでもない開拓で大変有名な方ですが、私は面識はありませんが、キュ州のボルトにまだカットアンカーが使われている件をお伝えすると…「まだいますか」でした。九州では情報伝播が遅く、特に年配の人は、20年、30年遅れの情報で作業していることも少なくないです。山岳会、と言う仕組みでは、ボルトに何を使うべきか?と言うような情報は盲点になって、伝播されないからですね。クライミングの雑誌も読まないでしょうし。ひっそりと開拓していたら、補足する方法もないです。

この本では、2019年での最新の知見が詰まっていますので、それ以前のフリークライミングの教科書と見比べると、時代の流れが分かるかもしれません。

好感できるのは、カムの解説に15ページ… どこぞの雑誌で、本気チョークの特集に14ページだった、ていたらく具合と比較すると、ホントにまっとうでホッとします。チョークに粘着性を持たせようというのは、基本的発想の方向性が、エイドクライミングです。チョークの保持力ではなく自分の保持力をアップしましょう。なんならチョークレスで登ったことを自慢するくらいで、ちょうどよいです。

■ ボルダー

ーーーーーーーーー

安全対策としてのマットの出現やスポットの一般化で、最もシンプルで道具を極力排除したはずのボルダリングが、いつしか最も大きな道具=マットを使うクライミングに変化してしまったのは皮肉なことだ。

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若者が選び取ってきたクライミングの道が、

リスクと困難を天秤にかける遊び

ではなく、

リスクフリーでフィジカル解放の快楽追及

である、ということは、ボルダー人気に現れているわけですね。


Tuesday, March 2, 2021

かかりつけクライミングインストラクターのススメ

昨日は講習に出て思ったのですが…どのような関係の濃さであれ、

かかりつけ医

ならぬ、

かかりつけクライミングインストラクター

を持つのは、大事なことです。クライミング業界に長く、歴史的経緯も分かっていて、現在地を正しく位置づけられる人。最新技術の導入も怠らない人。

山梨なら、フリーならピラニアが、アルパインなら佐藤さんがその役割を担っています。

それぞれの地で、きちんとしたかかりつ、かかりつけクライミングインストラクター、にかかっているということが大事だと思います。

Sunday, November 22, 2020

現代初心者 vs 旧来の初心者 の違い

■正見

今日の仏教説話は、偽、でした。指摘を素直に聞きなさいということです。

これは、正見、とセットで考えないと、誤解して運用される可能性がある教えです。

私は、登山業界は、アルパインの、

”現代初心者”

に対する 正見 ができていない、出来ている指導者は一握り、と思います。

現代初心者の特徴は、旧来のアルパイン初心者と比べて以下のような特徴があります。

  現代初心者 vs 旧来の初心者
年齢 バラバラ     18~22歳
性別 男女        男子のみ
知性 バラバラ      大学入学者
運動能力 バラバラ    縦走に耐えた人のみ
歩荷力 未開拓      縦走で開拓済み
歩行能力 バラバラ    縦走で洗礼済み
登攀能力 バラバラ    選別済み

ということです。バラバラの能力の初心者を相手にするということは、前に教わった通りに一律にやる、では、うまく行かないということです。

結果、新人は育たず、育っている人は独学で育った人です。私自身も含めそうです。

■ 師匠丸投げは無しですよ

一般に男性の初心者は、私が師匠がいます、というと、その人に任せておけば、〇〇さんみたいになれる、と思うらしくて自分で勉強しない傾向が強まり…困ります…が、私が師匠がいます、私があるのは師匠のおかげです、というのは、謙遜ですよ…。

実際のところ、師匠は何も教えてはくれないのが当然ですし、自分で学ぶつもりがないと、指導者がいても盗めません。 

逆に、完全に一人きりでは登れないのがクライミングです。

その弱みに付け込む人もいますが、一番良いのは、お互いに持ちつ持たれつ、である関係性を維持できることです。

多くの指導者が、初心者というときに、無意識の前提にしているのは、

 18歳男性大学生

です。ので、現代初心者は、”師匠が行う、新人に対する実力判定”を自ら疑ってかからないといけません

でないと、私のように比叡でいきなりリードで、しかも二人のクライマーを一人がビレイするなんて非常識クライミングで、不必要に命を懸けてしまう羽目になります…。

また、指導者自身が、研鑽不足である、というのが、昨今、かなり濃厚な社会事情なので、そのことも踏まえて、教えられたことの内容を吟味する必要があります。

古い技術は、ピンチの時に役立ちます。しかし、その技術には古くなったら、古くなったなりの理由、つまり欠点があります。

先人が犯した過ちを追体験しないようにしましょう。

すでにリスクは洗い出されているのが現代クライミングです。

同様に新しい技術も、吟味して取り入れましょう。新しいから良いわけではないです。吟味するには自らの体験の量が必要です。

Tuesday, July 21, 2020

The Mentor 師匠との絆



■ 師弟制度はアルパインの伝統

これは、マーカス・ガルシアさんというアメリカ、コロラドのクライマーさんの映像です。短いのですぐに見終わることができます。

映画『Meru』でも思いましたが、師弟制度による、師匠との絆というのは、アルパインクライミングにおいては、欠くべからざるものです。

現在私はフリーの基礎力を固める時期なので、フリーをやっていますが…、フリーでは、グレードは違っても、やることはどのレベルにおいても同じです。5.12を登るようになったところで、5.11のころとやっていることは同じです。リスク管理もそう違ってきません。

しかし、アルパインの場合は、レベルが上がれば、リスクはより大きくなり、気持ちも引き締まり、さらに死という存在が身近に感じられるようになり、さらに言えば、人間性の本質と言うのも見えてくる気がします。


Saturday, July 6, 2019

段階的にステップアップしましょう

■ 境界線のあいまいな日本

登山界ではよく知られていますが、外国では、一般登山者と本格的な登山をする人は、まったく歩くトレイル自体も別です。一方、日本は混在しています。

同じことが、岩場にも言えます。

スポーツクライミングの岩場で、アルパインクライミングの論理をかざしたり、アルパインの岩場でスポーツクライミングの理論をかざしたり…と、ややこしい…。


■ 段階的にリスクを大きくしていく

アルパインへ行くにも、最初は、スポーツクライミングの人工壁でビレイを覚えないと、落ちる人をキャッチする経験値は積めません。

落ちた人を止めたことがないビレイヤーが「私はビレイできます」と言ってきたからって信頼できます?できませんね?

ちなみに、落ちた人を止めた経験がない人は、人工壁がなかった時代の年配のクライマーには、一杯いそうです。(ついでに言えば、自分が落ちたことがない人もいそうです。)

そののちに外岩に行きますが、最初から瑞牆なんていかないでしょう?

最初は、Ⅳ級のゲレンデからです。

そして、Ⅴ級、つまりフリーのグレードになってからは、最初はボルトがしっかりした城山などのスポーツクライミングの岩場に行きます。

そこで登りが上手になってから、小川山などのフリーの岩場へ。

《まとめ》
1)人工壁で、ビレイとキャッチの経験値を上げる
2)ゲレンデで、初歩的な登攀を覚える (落ちないクライミング、手作りの支点)
3)スポーツクライミングの岩場で、落ちても死なないクライミングになれる
4)フリークライミングの岩場で、危険を避けて困難に迫ることを覚える
5)マルチを覚える

そういうリスクとスキルの段階的なステップアップをしていかないと、リスクを積極的に取るアルパインクライミングはできないと思います。

安全にギリギリに迫るスポーツクライミング、困難を追求するフリークライミング、リスクを能動的に取っていくアルパインクライミング、と背後にある価値観や思想が違うのに、日本では、きちんと色分けされていません…。

結果、どのクライミングでも、肝試し大会みたいになっているし、互いが理解しあえないで、否定しあっているように見えます。

私はラオスに行ってとても楽しかったのですが、スポーツクライミングとはいえ、5.13もちゃんとあり、毎年通ってくる、強つよクライマーもいます。

そのクライマーは困難を追求しているので、安全でないと困難は追及できないです。

日本では、初級グレードが足りておらず、安全に困難を追求できるクライミングのフィールドが限定的なので、世界へ足を伸ばさないと、安全vs困難の追及のバランスが、各クライマーの成長段階によって適切に選ぶことができないです。

そこが、ボトルネックになって、クライマーにとっては、安心してクライミング力を伸ばすことができない、と言うことになっているように思えます。


これが登れないんだったら来るんじゃねぇ!という岩場で、その一番易しい課題が登れない人はどこに行ったらいいんでしょう?


その易しい岩場に行ったら、今度は大ランナウトだとすると、その人にとってはどこも難しすぎるか、危険すぎるかと言うことになってしまいます。


多くの人がそういう意味で、ボルダリングジムでだぶついてしまいます。もちろん、インドアジムでクライミングをしている目的が、痩身、とかでもいいのですが。


都会ではボーリングのようにボルダリングが受け入れられており、それはそれでいいと思います。つまり、その先に発展性がなくてもいいという意味です。


しかし、もし、さらに頑張りたいという人がいるのなら、その道は残してあげるべきかなと思います。


今すでに登れる人は自分が登れるから、それでいいということになってしまいますが、その状態になるのに梯子を外されているのが若いクライマーたちです…


それだと、若い人はどうしたらいいのか?となります。

Tuesday, June 25, 2019

オンサイトの美学

■ 美学と現実 建て前と本音

オンサイトが一番いいスタイルと言うのは、クライマーだったら誰でも知っていると思う。

しかし、その哲学を主張する人の意見に感化されて、そのまま取り入れることが可能な人と不可能な人がいると思う。

ので、真に受けないようにしないといけない。

1)環境 落ちれるビレイヤーかどうか?
2)体格 165cm標準体格に合わせてピンが打たれている
3)標準体力 ガバがガバでなかったりとか、一般的に想定されている基準値から自分が離れている場合は要注意 例:握力17kg

エイプレシオも関係があるそうだし、指のパワーと言うのは体格のばらつきよりもより小さいみたいなので、指パワーvs体格では体格が大きなクライマーは不利だ。

というので、クライミングのスタイルで何を大事にするかは各人の哲学で、各自が勝手にやればいいという話だが、それをほかの人に適用する…押し付ける場合は、用心が必要だ。

押し付けには自分の主張も含まれる。オンサイト、ヨーヨースタイル、レッドポイント、ピンクポイント、マスターリード、ぬんがけリード、などなど、自分が一番楽しいスタイルで登っていればいいと思う。

押し付けられた人にとっては、ものすごく危険になることがある。

例として

1ピン目を掛けれるなら、どんなルートでもリードで取りついても良い

ということを言われたので、そのようにしていたら、1ピン目で落ちてキャッチしてもらえず、そのままグランドし、流血して背負われて救急車に乗り、7針縫うことになった。1ピン目掛けたあとのフォールだから、責任はビレイヤーにあるが、誰の責任かと問うても不毛だ。

事故があると、損をするのは、クライマー界全体であり、岩場が禁止になることもある。

ので、一番大事なことは事故を起こさないことだ。

ので、過度に自分の哲学を披露するのは、押し付けとすれすれになることが多いので、やめましょう。

昔の強つよクライマーももはやリードしていません。力量が下がると、分かるようになるようですが、力量が下がる前は分からないものです。相手の体躯、パワー、知識と経験、とすべて相手の立場に立ってモノが見れるわけでないので、基本的に相手は、その人ができるベストの行為をしているとみて間違いなしです。

つまりトップロープだから頑張っていないという指摘は当たっていません。誰がより頑張っているか、競争にならないようにしないと。

リードする力量がない人がリードで落ちて、ビレイ力量がない人がビレイヤーでキャッチできなかった場合、変にこだわらずに、トップロープにしていればよかった…、と言うことになります。

もちろん、トップロープで、ノーテンで登ったことをオンサイトと称してしまうような基本的な間違いは教えてあげたらいいのですが、トップロープしかしない人がそれで楽しいのであれば、それでいいのではないかと思います。

見ていて、もっと良いスタイルで登れるので、もったいないなとは思いますが。

それとこれは別でしょう。リードへ進むには、ビレイヤーと言う環境が要ります。ちゃんとしたビレイヤーは天からの賜りものです。


Monday, June 17, 2019

命知らず賛美と同調圧力の結婚

■ クライミングの分類

現代では、クライミングは、

・外にあるボルダーという岩を登るボルダリング
・その模倣である、インドアジムの壁を登るインドアボルダリング

・ロープを命綱にして、できるだけロープに頼らず登るフリークライミング
・ロープを全身の手段にして登るエイドクライミング

・何十回も落ちながらトライして、やっと登れるスタイルの高難度フリークライミング

・落ちないで自然物だったら、なんでも使い、落ちること=死、を意味するアルパインクライミング

・人口のプラチックホールドを用い、落ちることを前提にしたスポーツクライミング

と様々なクライミングのスタイルがあります。

■ 命知らず賛美

その中でも、日本に独特のカルチャーとして問題なのが、

 命知らずを賛美する傾向

です。これは、アルパインクライミングと言うクライミングの歴史上の経緯でそうなっています。簡単に言えば、時代遅れの考え、ということです。

当然ですが、難易度が高くなると落ちる確率は高くなってきます。現代は、難易度的に落ちないで登る、というのはありえないレベルまで、一般の人のクライミングも高度化しています。 

■ 落ちないところしか登らないだと成長できない

100%落ちないという登り方だと、登れるところが限定されてくる、という訳です。

おそらく100%落ちないという登り方で、登れるところと言うのは、業界の平均で5.7~5.9みたいです。幅があるのは、グレーディングと言ってグレードを与える行為が安定しておらず、主観にゆだねられているためです。

例えば、5.10以降は、難易度が高くなり、落ちる可能性が非常に高くなるため、落ちること=死、を意味するルートでは、それ以上にトライする人は非常に少ないです。言葉としては、高難度マルチ、と言われています。

その希少性がどれくらいか?というと、5.12が含まれるスーパー赤蜘蛛をフリーソロで登った佐藤祐介さんは、”世界的なクライマー”です。クライミング界のアカデミー賞と言われるピオレドール賞を受賞しているくらいです。

一方で、市井のクライマーでも、落ちても死なないことが前提であれば、5.12などは、現代のクライミングレベルでは、「もはや中級者に過ぎない」と言われる登攀力でしかありません。普通ということです。クライミングジムで数年修行を積めば、若い男子はすぐに到達できるレベルです。

落ちても死なないという保険あり、で登るのと、落ちたら確実に死にますね、という保険なしで登るのとがどれくらい違うか、ということです。

■ ランナウト

用語として、ランナウト、というクライミング用語がありますが、ランナウトというのは、命綱が命綱として機能しない、と言う意味です。

ランナウトしていると、たとえロープがあっても、落ちれば、地面にたたきつけられてしまいます。

■ ピアプレッシャー

この命知らずの伝統は、イギリス→アメリカ→日本へ、と伝えられた伝統ですが、日本では、日本人独特の、

 同調圧力

によって、問題化しています。

 命知らず行為をしなければ、クライマーじゃない!と言って排他する、

ということです。つまり、

 仲間外れにしたり、
 軽蔑したりする、

ということです。

これは、一般的には、”幼稚だ”、と言う言葉で表現されているようです。

私は、これが、人格的な境界線を尊重しない日本の文化の中で、

 死者が絶えない理由

ではないかと思います。しかし、ほかの分野では、越権行為をされても死にませんが、クライミングでは死んでしまいます。

■ 幼稚なクライミングとは、どのようなクライミングか?

ギリギリで5.9しか登る能力がない人というのは、5.9でも落ちるかもしれないという意味です。

なので、5.9でランナウトが当然である課題(アルパインクライミングではよくあります)に登れば、時間の問題で、いつか死にます。

古参のクライマーが教えてくれたところによると、大学山岳部で死者が絶えない理由は、5.9しか登れないときに、ランナウトが当然のルートで、5.9にチャレンジさせてきたから、だそうです。

つまり、最初からロシアンルーレット状態で、死ぬこと確実な活動だったそうです。

しかるに、現在、古老である、どの方に聞いても、

 生き残ったのは運

だったとおっしゃいます(汗)。一般にランナウトしたルートと言うのは、山岳地帯の中で多く発生しています。

■ 怖いことを怖いというと否定される日本

日本では、

 個性

ということが尊ばれていません。

  恐怖心と言うのは、本能によります。

個々人の能力、握力、体力、リーチ、体の強さ、など総合的に、自然に察知するのが人間の能力によるようです。

怖がり、というのは、クライミングにおいては、身を守るもの、危険を察知させるもの、なのです。

しかし、同調圧力で、怖いと言うことができない羽目に陥らされ、登らされる羽目になる、ということが日本ではよく起こります。

同調圧力で死んでしまったら、まぁ、犬死ですね。

■ プライドで後に引けなくなる

それと近いものが、プライドです。神風特攻隊は、自ら志願して特攻隊になったということになっていますが…本当にそうだったと思っている人はいませんね?

同じことが、現代日本でも起こります。

とくに男性。プライドをくすぐることで、相手が後に引けないようにしてしまう、ということです。

そんな、ちっぽけなプライドは早めに捨ててしまいましょう。

■ アメリカと日本

私は、命知らずを賛美する文化はアメリカにもあると思いますが、何が違うのか?というと同調圧力であると思います。

アメリカ人は個人主義が徹底しているため、他者に同じ価値観を要求しません。

日本人は全く違います。同じ価値観でなければ仲間ではないという扱いです。

そうなると、死んだ仲間がいくら、幼稚なクライミングの結果、ただの犬死をしただけだとしても、それを賛美せざるを得ません。

生死を掛けたい人は掛ければいいし、掛けたくない人は掛けなくてもいい、

そこの線引きがきちんとできていないために、日本でのクライミングが危険なものに陥ってしまっているのは、基本的に

社会的リスク

であり、クライミングそのもののリスク、ではないと思います。

Saturday, June 15, 2019

クライミングガイドの問題点

■ 初心者の行くところがない

日本では、”クライミングガイドについてクライミングのイロハを学ぶ”というルートが確立されていないですが、それは現状のクライミングガイドが、クライミングを教えるやり方が、横柄で間違っているから、と思います。

商業ベースでやっているのに、旧来の山岳会のやり方を踏襲しているのでは?と思います。

例:「こんなことも知らんのか」→ 知らないから教わりに来てるんでしょ!

「5.10aでは、あなたたちには、アップにならないわね(ムフフ)」→ 当然でしょ、初心者なんだから!

「回収してきてください」→「どうやって?」教えてあげるのが仕事でしょう

つまり、技術的なことを教えないです。教わる側が知っていることと前提にしてきます。

そして、最近の人はレベルが低いと言います。

■ ほとんどの人は白紙できます

私は、教える側は、もはや経験豊富です。

『アウトドアクライミング』などの本も世の中にはちゃんと出ていますが、基本、読んでこない人が99%です。私のように、『日本登山体系』を読んで、講習に来る人はめったにいません。

そういう前提知識がないことを当然と思って講習は組まないといけないです。しかし、そうなっていないです。

■ 新しい仕組みがない

山岳会、という仕組みは、もう機能しなくなってから20年くらいたっているようですが、新しい仕組みを誰も提案していないようです。

私が一番いいな、と思ったのは、都岳連の岩講習です。

しかし、それすら、講師が蔑まれていて、驚きました。山に行かない人がレスキューを教えるなという批判です。しかし、山に現役で行く人は、初心者相手の講習なんか、まどろっこしくて誰もやりたがらないです。

講習会講師は不足していますし、講師になること自体が名誉という扱いなので、出世の階段を上がるように、山岳会で、下働きをした人だけが、講師の名目を得れるような日本的システムになっていますので、いつまで経っても、ブーリンを自慢してしまいます。

もうブーリンは新人には教えないでいいです、って話になっているハズなのに、おれはブーリンでアンザイレンするね、がベテランの証になっています。ブーリンが国際的に採用されなくなったのは理由があります。世界は、より安全を採用するようになった。

そもそも、誰もやりたがらない講師をしてくれている人が、山に行けなくなったのは、講習を教えるので手いっぱいで、山に行く時間が無くなったのではないかと思います…。

教えるというのは大変な作業で、ちょっとしたことであっても、復習が必要です。私も新人を抱えていると、自分の登攀に向けて努力する時間が無くなり、下手くそになります…。つまり、トップクライマーでいたい人は、人に教えることに時間を使いたくありません。

講師をして、そのために山に行けなくなったことで、業界で蔑まれるなら、ただでさえ報われない新人相手の講習をやってくれるベテランは、さらにいなくなります。

お金を取っているクライミングガイドですら、ロープワークやリスク管理を、きちんと教えるのは、安全とは何か?という思想を相手に伝えることなので、大変、手がかかり、嫌がります。

というわけで、上手く行かないネガティブループに入っている日本の外岩クライミング業界。

一方、インドアボルダリングジムとスポーツクライミングの人口の爆発的増加を見れば、クライミングしたい若い人は、いっぱいいることは明らかでしょう。

ただ受け入れる側が、変化を拒んでいるだけに見えます。

昔は特権であったので、それを手放すのが怖い、ということです。

しかし、LCCでも、同じでしたが、既存の航空会社は既存客を奪われると言ってLCCを否定しましたが、結局のところ、業界全体の業績が伸びて、既存の航空会社も売り上げが上がりました。

つまり、単純に古い業界の体質というのは、

変化への恐れ

でしかないのです。

Thursday, February 7, 2019

現代クライマーのエイドデビュー と 古典クライマーのビレイ習得

■ 古典的アルパインクライマーの成長プロセス 

1)一般縦走で足腰を作る、生活技術と山の基礎を学ぶ
2)沢でロープワークデビューする
3)初級の岩登りルートに行く
4)エイドを教わる 登れない時用
5)フリー化
6)積雪期
7)徐々に山を大きくしていく
8)徐々に山を困難にしていく
9)到達できる最高到達点は人それぞれ

■ 現代まともな人
1)一般縦走で足腰作る (フリークライミングだけの人はここがない)
2)人工壁でロープワークとクライミングの基礎を作る
3)外岩ゲレンデデビュー
4)スラブ、フェイス、オーバーハング、クラック、ワイドとそれぞれ登れるようになる
5)最高グレードを上げていく
6)マルチにデビューする
7)大きくしていく
8)5.12が登れるくらいになったらビッグウォールへ
9)初めてエイドを学ぶ
10)5~6000m級アルパインへ

■ ビレイがダメな古典クライマー vs エイドがダメな現代クライマー

という具合で、

1)古典的クライマーは、スポーツクライミングを経由しないためビレイ習得機会がない

2)現代クライマーは、エイドが出てくるのがヨセミテビッグウォールからなので、5.12に到達する以前には、習得機会がない

クラックさえあれば何とかはなる、というのは、カムエイドがあるからです。5.10cのアダモは登れませんが、カムエイドなら簡単です。

■ プロテクションのスキルが磨けない

ハーケンはエイドによる前進用ですが、そのような技術が必要なルートが、ほぼ国内にはないため、現代のクライマーがハーケンを含め、リムーバブルプロテクションの習得を行う機会は、ほぼ皆無です。

その結果、カムでのクラックリードはフリークライミングのスタイルでエイドを経ずに行われるため、プロテクションは習得しないまま行われることになり、ギリギリのグレードで落ちて、プロテクションが3つ飛ぶなどの事例となります。

それはエイドでプロテクションの設置技術を磨くプロセスを端折っているからです。

クライミング力が上がってしまうと、エイドの必要は低く、さらにフリーの世界ではエイドに対しては否定的な空気がありますので、フリーのルートでエイドすると怒られるでしょう。

まぁフリークライミングというのがエイドクライミングの対語なのですから(笑)

…というので、私はしばらくはカムエイドを磨こうと思っています。

エイドができるということは、リードにおいてクライマーにとっての、かなり大きな精神的武器と思います。

Saturday, January 5, 2019

”山を知る”とは?

多くの人は山を知る、ということについて、ピークを一度踏むだけ、という理解をしていると思うが、私はそれだけでは山を知った気持ちになれない。よく味わったという感じるために必要なことはなんだろうか?と時々感じる。

太田氏の屋久島の地域研究にそのヒントが。目次を拾う。

1)自然学的なもの
自然(植物、動物、両生類昆虫、魚)
山岳概要 (地理的位置関係)
気象

2)地理的なもの
登山道案内



3)人文学的なもの
登攀史
地名
遭難
見どころ
根拠地
名所・旧跡
交通

半分は理系で、半分は文系。登攀史を知らないと、開拓をするにもどういう開拓が必要とされるか?分からないだろうと思う。

記録を作るには歴史を知っている必要があると思う…

一般登山では、花、樹木、星空観察、程度で、しかも、小屋つなぎの山しか知らないで、山を知ったつもりでいることが多い。もちろん、私自身もそのようなプロセスをたどった。

しかし、どういう入り口であれ、深く山を知りたいと思えば、あらゆる切り口での模索を始めると思うし、そうなれば、収れんされてくるものがあると思う。

この中で欠けている項目あるとすれば、

・環境問題
・物語・口承・伝説

ではないだろうか?日本の山は、似たような伝説がとっても多い。また環境問題は、人と自然の接点で必ずみられる問題だ。

Thursday, November 15, 2018

トップロープからリードへの移行

■TR->リード

”トップロープで登れたから登れるはず”というのは違うかもしれない。

トップロープで登れたら、ハイ次はリード、

とすると、リードに必要な”余力”が備わっていないかもしれない。

例えば、私が初めてリードした西湖の岩場のような”ハーケンでランニングを取っている5.8”を5.8がギリギリグレードの人に勧められるか?というと、勧められない。

少なくとも、私は後輩に勧めはしないだろう。落ちた場合に、ハーケンでは…(汗)。

足で登れる垂壁に、まだ手で登っている人でも、完登できるからリードでどうぞ、と言えるか?と言うと、中間支点が、その人にとって遠くない課題を選ぶべきだと思う。

というのは、私自身がそのような状態の時に、リードを強要されて、たぐり落ちしたことがあるから。たぐり落ちはもっとも危険。人工壁ですら危険だ。しかし、やってはいけないと分かっていても、クリッピングが遠ければ、バランスが悪化し、そうなってしまう。

またクリッピング体制を作る練習も必要で、トップロープであっても、リードを意識した登りをしていない状態から、いきなりリードへ進むのはいかがなものか?と思う。

リードを意識した登りを身に着けるのには、疑似リードが最適で、疑似リードをすっ飛ばしてリードしても、リードとトップロープがどう違うのか…
・ボルトを目指して登りルートから離れないという点や、
・クリップ体制を作ってからクリップすること、
・スタティックな動き
などの意識づけができないのではないか?と思う。

■ 万年セカンド

私の最初の師匠の鈴木さんは、どんなに易しくてもリードすることが大事、という価値観の人で、それは、万年セカンドを自分の会で作ってしまった反省から出た信念だったと思う。

いかに万年セカンドを作らないか?というのは難しい。

が、早すぎるリードで怖がらせることがマイナスに働くことは確実だ。

私も新人さんに、楽しくリードする経験を積んで、クライミングの楽しみを発見して欲しい。

そこへの移行は…? 言葉で言って聞かせるべきだろうと思う。

■ 事例

事例として自分を考えてみる。

私がリードへ進むのに、背中を押す後押しが必要だったこともあった…例えば三つ峠の一般ルートの隣あたりのやつ…登れないと思っていたら、登れた。岩田さんと登っていたころだ。初めてのクラックオンサイト。アイス5級のリード。

それらを勧めてくれた人の脳裏には、おそらく、私が思考しているようなことがあったはずで、私のリードを成功へ導くために、色々な計算があったはずだ。

それが非言語で言語化されていないのが、もっとも大きな弊害なのかもしれない。

それは、

1)そろそろリードできる能力が身についたという判断
2)適したルート
の2点に凝縮されるのだが、中身は

1)リードできる能力
・ムーブにゆとりがある
・たぐり落ちが発生しないゆとりがある
・足がきちんと使えている
・クリッピング動作が正しい
・バランスで登れている
・終了点でどうしたらよいか分からなくならない
・やってはならないことを分かっている(足をロープの下にいれると落ちたとき頭が下になるなど)
・1ピン目、2ピン目までは決して落ちてはいけないと分かっている
・トラバースでは降られる

2)適したルート
・支点が強固である
・支点がその人にとって遠くない
・終了点が強固である
・その人にとって難しすぎない
・フェイス、オーバーハング、スラブ、クラック、などのクライミングの要素的な部分で、その人の課題に適している(初心者はスラブから)

他にもあるかもしれない。

人工壁でのリードは、こうした要素一つ一つを、意識に落とし込むるためのものだ。人工壁では、トップロープができたら、すぐにリードに進んでよい。が、それは、こうした要素のうち、どれが意識づいていないか?を洗い出すためだ。そのために恐怖心が使える。

怖いということは何かが身についていないということだと思う。

■ 試行錯誤して学ぶ 

こうしたことを私は失敗を通じて学ぶ学び方をしていると思う…。

人工壁に通っていた時代には、だいぶ怖い目にあった。
二つの山岳会に入っていたが、人工壁時代を共にした会Aでは、危険な目に合わせて、それで辞めていく人はふるい落とす派、のようで、今考えても、よく初心者同士のあぶなっかしい落ちれないビレイで、バシバシ落ちていたよなーと思う。私はどっかぶり苦手で最初のころは最初のハングで頻繁に落ちていたからだ。ビレイしてくれていた人も初心者で、リードしたら終了点でどうしたらよいか分からなくなっていた。

一方の会Bは、暖かく見守る派で、私が絶対登れるからと自信満々の5.5ですら、先輩がちょんちょんとチョークをつけてくれた(笑)。信用されていない。この会では、私以外の新人は3年たっても5.10Aは難しいようだった。TRオンリーしかさせてくれない会だった。たぶん、怪我をさせたくないと思うとそうなるのだろう。つまり、先輩は誰も私のビレイヤーを買って出てはくれない。ので、こんなところに居たら一生リードできないと思って、やる気がある人は、ほかにビレイヤーを探し始めてしまう。結局、他会の人と組まざるを得なくなる。他会の人とは日常的にクライミングを共有できないので、結局、危険を排除しきれなくなる。

どっちも両極端で、危険を排除しきれていない。大事なことは、どちらにも陥らず、安定的な成長をすることだ。

(リードという行為に対して初心者時代)は、(ビレイスキルが確実な人…往々にして先輩)にビレイしてもらうべきだ。

ビレイが初心のビレイヤーと組むときは、ビレイがあやふやなので、クライマーは限界グレードには挑戦すべきではない。

それでもって、落ちても安心な高さに来たら落ちてみることも考えに入れる。落ちないクライマーとばかり登ると、ビレイヤーはキャッチ経験を積めないからだ。

■ 紙からSNSへ

以上のようなことは、私が思うには、昨今の人は、かみ砕いて教えないと、多分、分からないのではないか?と思う。

分からないヤツは来なくていい、という排他的な態度ではなくて、たぶん、どこかに書いたものがある、読みたい人は読めるというのが大事なのだろうと。

というのは、昔の人に話を聞くと、みんなたくさん山書や雑誌を読んでいたらしいからだ。読んで自然に理解したのだろう。

しかし、現代では、だれも紙の本を読まない。読むのは、SNSかブログ。情報の伝播の仕方が違ってきているのに、山の世界では、それに追いついていないだけなのかもしれない。

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Tuesday, November 6, 2018

クライミングにおけるリスクの段階的理解

■ クライミングにおけるリスクの段階的理解

1)初心者のころ

トップロープがリスクが最も少ないということも知らないので、単純に高いところに登るだけで怖い。本人は登っておらず、実はロープで引き上げられていることが多い。

2)脱・初心者のころ
クライミングのムーブが少し身について、アレ?登れるかも?な状態になる。

怖いビレイが何か?も知らず、トラバースが危険とか、リードがより危険とか、ハーケンはただの飾りで、当てにならない、とかも、知らないので、かなり危険なことを平気でしてしまう。この期間はかなり長い。

3)クライミングでやってはならない失敗を一通り経験すること

その無知のために、ロープに足を絡めてリードで落ちて頭が下になるとか、逆クリップで落ちてロープが抜けるとか、グランドスレスレで床から50cmで止まるとか、同レベルのクライマーの友人が落ちて死ぬとか、”事件”が次々と起こり、クライミングの危険が何か?について理解が深まる。と、ともに恐怖心が生まれる。

自分がいかに危険なことをしていたか?とビックリ仰天する。死んでいないことが奇跡だと理解する。

今まで平気でスイスイ登っていたところを慎重に登るようになる。

4)ビレイヤーを選ぶようになる

限界にチャレンジしたいと思い始めるが、ビレイヤーが問題で限界にチャレンジできなくなる。巷のほとんどのビレイヤーは、信頼に値しないことが見極められるようになる。自分が落ちないクライマーの人や落ちた人をキャッチした経験がないビレイヤーは、基本的に信頼できるビレイヤーではない。また前に引かれて自分が危険な目に合うなど、自分自身を守る必要も考えられるようになるため、自分自身が良きビレイヤーに成長する。ダラリンビレイとぱっつんビレイの使い分けができるなど。

5)お茶を濁しつつ登る時期

結局、ビレイヤーが問題すぎて限界にはチャレンジできないので、”ダメビレイヤーで安全パイを登る”ことになり、欲求不満で、楽しくないが、その分クライミングの安全マージンは増える。落ちれない。

・・・と私の場合は、まだクライミング歴5年目ですので、ここまでしかわかりません。

ひとえに私がまだ生きているのは、落ちないところしか登らないから、です。

■ 登攀力でクライマーを計ることについて

私は登攀力一気に上がった時がありましたが、それは分かりやすいように、クライミングジムのグレードで言うと、8-7級がムーブを使ってスイスイ登れるようになり、6-5級がちょうど良い難しさ、4級だと登れないのがほとんど、というような状況です。それで3年目くらいだった。(外岩は、5.9がオンサイトできたくらいでした。私はゼロ初心者当時の実力は、5.8RPです。これは大体の初心者と同じです)

男子は腕力があるので、ムーブなしで、初日に6-5級の課題は、ジム課題であれば登ってしまうと思います。なので、たぶん、素人でも、外岩5.9のオンサイトは、初心者レベルでも可能なのだと思います。

一方で、日本では、5.9と言っても、岩場によってその難しさが様々で、昨日のクライミングでは、5.9に5.12RPしている男子が、テンションしてしまいました…。岩場によっては、5.9って、2グレードくらい辛いみたいです…、つまり5.10bくらいはあるって意味です。 

したがって、登攀力が上がって、5.10bがRPできるくらいでも、ある岩場では、5.9がやっとこさ、という時代が長く続くということです。

日本では岩場間でのグレード競争が、グレーディングの統一性を失わせているので、その点で、グレードが命を守るための目安として機能しておらず、グレードで取りつくとえらい目に合います。ひどい目に合うだけならいいのですが、グランドして、大怪我したり、下手したら死につながります。

RPで登攀力が上がっても、なかなか、それを(オンサイトにトライしても良いグレード)にイコール関係で結びつけることが難しい。

例えば、5.12RPだったら、2グレードマイナスした5.11bだったらオンサイトトライできるのでは?とは言えない。

とくにランナウトという問題がある場合、それを難しくしています。

日本の外岩は、なかなか死のリスクを排除することが難しいです。

昨日も、私が目視で、「これなら登れそう!」と思った課題がありましたが、先輩が毒見してくれました…。

毒見した結果、ホールドが悪く、これが私が初見リードで取りつくと、かなりやばかっただろうという結論になりました。

なので、リードで取りつきたいと思って、本当にそうしていたら、今頃死んでいたかも?です。

適正なグレーディングをする、というプロジェクトが日本中に広まれば、話は違うかもしれませんが、日本の岩場は、そのような状況なので、岩場をよく知っている人に最初のうちはトップロープを張ってもらうということが必要になります。

トップロープで岩場の癖やグレード感覚を養ってから、あとでオンサイトする、ということですが…そうなると、あんまり冒険や未知の要素が楽しいというタイプの人には、トップロープを張ってくれる人がいないと、岩場が楽しめないみたいなことになって、その割に課題が難しくて、肉体疲労は激しい、ということになるかも???


Wednesday, September 19, 2018

二つの山岳会 + 師匠

私は山は自分で独学できる範囲(単独で登れる範囲)は終わったと思って、さらなる高みへ、行きたいと思い、山岳会の門をたたきました。

ので、県内のすべての山岳会を調べ、そのうち可能性があると思った6件にメールを出して、そのうち4件から返事をもらい、活動がある1件に入会。その入会も、だいぶ躊躇しました。相手方の期待が何か?自分が何が貢献できるか?よく分からなかったので。あと一つは、ジムで意気投合したパートナーが入っていたので義理で所属(笑)。

今振り返ると二つ入って、よかったな!

ホームにしていた会は家庭的な会で、合宿がメインの会でした。合宿で見て先輩から盗む。先輩は後輩に責任を持つ。合宿では保守的なルート選択に先輩のセンスを感じました。

もう一つの会は日常の活動が平日は毎週人工壁で、週末はゲレンデもしくはバリエーションルートなどのクライミング系の山。

私は山岳総合センターのリーダー講習で一通りロープが出る山ってどういうことか?教わってから入会したので、エイトノット知りませーん、登山大系何のことですか?みたいな状態は脱してから、山岳会に行ったので、リードフォローを習得するのは、そう時間がかかりませんでした。

が、なぜ初級のバリエーションにすぐ行ってはいけないのか?などは、やっぱり少々分かりにくかったです。実力への査定が保守的であろう女性の私ですら、そうなのですから、男性だともっと、”えー俺だって〇〇行けるのに”と思ってしまうかも?

例えば、私より後にロープを習得した20代の男性がまだ守りの技も知らないのに、中山尾根に挑戦して落ちていました…あれは、他山の石だったなぁ… くわばら、くわばら。

でも、あんまり保守的過ぎても… 闘争心というか、強い気持ちは大事です。意欲的、ってことですね。大体そういう時は、全然大丈夫だったりします。初めてのジョウゴ沢、硫黄岳山頂までの滝、全部ノーザイルで超えたんですよね~ 師匠には怒られましたけど、簡単だったんですよね。

ロープが出る山を知ってからはロープが出ない山は、ほとんど行っておらず、行くとしても単独。これは厳冬期のテント泊も含めてです。海外のゲレンデ的なクライミングも。

これくらいは一人で行ってもいい、という判断も含め、山岳会で諸先輩を見て学習したような?

なので、色々な会に最初入ってみて、自分が一人でできる範囲を知るというのは良いことかなと思います。

一方の会はとても保守的で、読図すらできる人は稀、一方の会はザイルのトップをじゃんけんで奪い合うような会でした。両方知っていてよかったなって思います。その上にこっそり虎の巻?を教えてくれる師匠がいて本当に感謝しています。たぶん、一番世話になったのは師匠と思う…

今、山を始めてあんまり方向性がつかめない人はとりあえず、なんでもいいから、会に入ってみたらいいのではないか?と思います。

講習会に出ることを思えば、会費は月1000円くらいと安いですから…

Monday, September 10, 2018

急いではならぬ&同調圧力

山やクライミングについて、仮にアドバイスができることがあるとすれば、日本人独特の同調圧力に屈してはいけないということ、急いではいけない、ということです。

それはつまるところ、自分の道を行きなさい、ということです。

例えばジムで5.11が登れるから、のノリで、ルートグレード3級の北岳バットレス四尾根に行くのは、三つ峠3Pで2時間半もかかっている初心者には無理だと、何度も相方に訴えましたが、相方の答えは、No。あれやこれやの提案で行きたがっていました…それはなんでか?と思うと、男性の見栄なのかしら?などと思っていましたが、そうではなくて、同調圧力だと思うのです。

山ヤの仲間に入りたい、尊敬を受けたいということですね。周囲から認められたいという気持ちを持つのは、人間の欲求のうち。でも、それが死の危険を高め、仲間を殺してしまう可能性があったら、その気持ちを押さえることを学ばないといけません。

アルパインの初期のころは、そういうパートナーがとても多く、師匠から、”止め”、が入ることがありました。沢などでもそうでした。自然の脅威に無知なために、自分だって行ける!と思う男性が、ただ単に多いみたいです。(余談ですが、女性は自分を過小評価する傾向みたいです)死者が出るような滝にロープ持ってこない人もいました。というかほとんどの(初心者の)人たちが、そういう人たちでした。

急いで成長してはならぬ、のは、各人にはそれぞれ成長のペースがあるからです。私はいつの間にか、一般の人と比べるとかなり筋肉質な体質に変わっていたようですが、クライミングを始めて初期のころは、普通の人並みだったと思います。縦走や雪はしていましたが、ロープが出る山になったら、体にかかる負荷がとっても高くなり、それはだいぶ違うなぁという具合でした。

ので、一般に、成長期の大学山岳部1年生の体力や素質に合わせて、初級アルパインステップアッププログラムというのは先達の山やの頭に入っていると思うので(例:雪の赤岳→中崎尾根→谷川東尾根→…みたいな)、同じのを体力レベルで劣る大人の入門者がやるには、もうワンステップくらい必要だと思うからです。

それに加え、菊池さんのいうところの、”クライミングのあれやこれや”が出そろうまでに大体4年程度は、頻繁にクライミングをしていてもかかるのではないか?と思います。あれやこれや、が分かっていないと、危険を回避することができないです。

■勝手に上がる

もちろん、クライミンググレード自体は毎週クライミングをしていれば勝手に上がっていくと思います。この勝手に上がっていく感が重要で、無理してあげない、グレードを追いかけない、というのが大事な気がします。

私はいままで学習でもあまり無理をしたことがなく、そろそろ英検1級とれるんじゃないかなと思って受けたら受かったとか、TOEICも何点か一応調べておこうかなと思って受けて925点でした。そういう風に成長するほうが、〇〇点をめざせ!というのより、実際地になり肉になっているのではないか?と思います。

学習と違いクライミングのほうは、色々と命にもかかわる問題が出てきます。それらをうまく避ける、ということのほうが、クライミング道に近い気がします。

Monday, April 2, 2018

私の提案したい山


■ リスク中心主義



私は山のスタンプラリーや、自己顕示欲の山は嫌いです。また、特にリスクが何か?を自分で考えない山、リスク補填を自分でやらないことが前提のガイド登山は嫌いです。


登山とは、”山は危険なところである”という前提から入ります。

これが、下界との最も大きな差です。下界の前提は、”安全である”、です。


ですから、登山では、危険が何か?ということさえ、押さえていれば、ほぼ99%、大丈夫です。何を中心に考えるか?リスクです。

■ リスクをマスクした後、どうするか?

しかし、リスクを中心に考えて、リスクを避け、リスクがない部分では、距離や高度差、体力的な難易度、あるいは登攀的な難易度を上げる、というやり方では、早晩、彩りに欠けることになります。

守り:リスク中心に考える
攻め:どんどんと課題を困難化する

そこで、多くの人は、山での美食に傾きます。日本の山はサイズ的に小さいので、アルパインで鍛えた、多くの山男さんに担ぎ上げられない美食はないです(笑)。黄連谷にカニを担ぎ上げていらっしゃいます(笑)。

美食に走らない人は、美女に走る? 中高年登山では、昔歩いたルート自慢が盛んです。往年の美女が寄ってきてくれるようです。第二の青春を謳歌するのも悪くはないと思います。(と言っても、四尾根程度を自慢されたってねー。ガッシャブルム2峰とかなら、なびかないでもないが)。しかし、山のすごさで競うのは、やはり自己顕示欲の山です。






■ 楽しさを自分自身で定義し、創造する楽しみがあるのが山です






さて、美食にも美女にも走らないとすれば?何に走ればいいのか?


山は自己満足。


山の価値は、自分の満足の深さで測るという意味です。藪山に心が燃える人もいれば、岩場の陰にひっそりと咲く花を追いかけることに喜びを見出す人もいます。たのしさというのは、千差万別。

ただ、やっぱり、一つのピークを登っておしまい、という山は、平板だと思います。その山の何を知ったことにもならない。






■ 例えば 乾徳山






例えば、山梨の山で、乾徳山というのがありますが…これは、縦走もできれば、奥秩父の前座で破線ルートでもあり、プチアルパインの入門ルートである旗立岩中央岩稜もあり、ボルダーもできれば、実はトレランでも有名です。


 


ふもとには有名な恵林寺があり、座禅を組んでの瞑想ができ、日本庭園を散策できますし、ワイナリーなら、山梨の良心と言われている幾山が近いです。






春、夏、秋、冬、すべて通うことができます。まぁ、あまり冬に行く人はいないですが、春は、たらのめと蕨が、取り放題。山菜取りの山としても使えます。かつては牧場、ということです。






という具合に






文化的・民俗的軸

登山の体系的軸

時間軸

用途軸






と多面的に山を味わうというのが大事なことだと思います。私自身の山はそういう山です。






スタンプラリーにしてしまうと、達成感だけが山のご褒美になってしまい、それでは、山という活動の中で、多くの”充実感”を得ることができないのではないか?と思います。





Friday, March 16, 2018

”山”という地理システム

昨日、山を知らない人に、山のことを説明した。

■ グループ内小分けシステム & ストリート番号システム

日本では地理システムは、”グループ内小分け”システム。大阪市という大きなグループの中の、中央区の中の、河原屋町の中の、2番の中の・・・1の場所というふうに地理を把握する。

一方、アメリカをはじめとして、外国では、”ストリート番号システム” ハミングウェイ通りの130番なら左側、131番なら右側。ストリート番号が1だったら開始部。番号が上がれば上がるほど、長い道。 

ちなみに、ストリート番号システムは、かなり分かりやすい。それと比べると、日本のグループ内小分けシステムは分かりづらい。3-4-1なんてどこかってどうやって分かるんですか?と良く外国人に聞かれる。

GPSは言うまでもなく、緯度と経度のグリッドシステム。

■ それ以外???

それ以外に、空間認知システムがあるのだろうか???

あるんですね~!

それが尾根と谷です。

山をする、ということは、尾根と谷システムをマスターするということです。

尾根は登れば登るほど一つに収束します。谷(沢)は登れば登るほど、分岐が出てきます。尾根は起伏がありますが、谷(沢)は、下る一方です

というわけで、尾根と谷を見ていれば、山では、自分が大体どこにいるのか分かるわけですね♪ 

というわけで、山が分かるようになる、というのは、”尾根と谷システム”のマスターということです。

新たな思考回路、新たな地理システムの獲得ということなんです!

でも、このことを誰も言わないから、山が魅力的な活動にならない。

人の後ろを歩くのが山だって思っている人が多くて困ります。

Thursday, January 18, 2018

山のベテランからいただいた知恵のまとめ

山のベテランからいただいた知恵のまとめ
1)ラッセルはラッセルそのものよりルートファインディング
2)ルートファインディングには読図力が前提
3)良き仲間を得る最善の方法は、レスキュー訓練の共有
4)自分の目で見て、現場で地形判断することが大事
5)ビレイの要諦とは、常に今堕ちたらどうなるか、を考え続けること

Monday, January 15, 2018

山を続ける上での課題

■ 教え損を無くす

最初の師匠は会の代表者で、よく相手を試す人だった。

まず出会いからして、「流動分散を作って見せなさい」
次は三つ峠で。「人気ルートは何ですか?」
アイスで。「ここがリードできないようじゃ、見込みなし」

答えられないと次がない仕組み。これは、教え損を減らす師匠なりの工夫だったようだ。

■ 危ない人と危なくない人を見分ける方法は?

アルパインをスタートして2年ほどで、ずいぶん多くの、アルパイン1年生の死や事故を耳にした。

危険な人と危険でない人を、予見して 切り分ける方法はあるのだろうか?

同行者というリスクマネジメントをしなければ、巻き添え死を受けてしまうのが、山、のようだった。

1)いい人かいい人でないか?は、基準にできない

阿弥陀北稜凍傷3人の人も、4人の父親で世間ではいい人。

2)山小屋関係者かどうかも基準にはできない

小屋のオーナーとしばらく歩いたが、4時間登頂にかかる山なのに下界で10時出発にするなど

3)知性も基準にできない

ものすごく賢い人に、ものすごくエリート教育をほぼ無料で一年してみたが、全くダメビレイヤーにしか育たなかった

4)年齢

若くてもしっかりした人はいるし、高齢でベテランでも、自覚がなく突っ込む人はいる

5)体力

体力がある山ヤは、その辺にごまんといる。が、ほかの人の安全には貢献しない。自分が安全になるだけ

6)高度な山岳会に属している

これも老舗に属しているからと言って、優れた山ヤとは限らない

7)登山歴の長さ

これは生き延びたということで、その人が、人的リスクを避ける方法論を確立しているのではないかと思うのだが、非言語で、言語伝達されない

8)性別

男性にも危ない人はいるし、女性にもいる

9)ガイドかどうか

死んだ同期の友人は、ガイドである先輩についていった山で亡くなった

10)クライミングが上手かどうか

全く相関関係なし

11)子供がいるかどうか

関係なし

12)責任ある地位についているかどうか

多少あるのかもしれない

13)読書家かどうか

強い関連がありそうに思うが、定量的に計測できない

14)年間登山日数

関連がありそうだが、内容にもよるだろう

15)装備のよしあし

関連は多少はありそうだが、見た目では判断できないことが多い

16)教育

山教育をしても、あまり効果は上がっているように思えない。無駄とまでは言えない

というわけで、外見やその他から、その人が安全かどうかを見分ける方法はないに等しい。

■ レスキューを共有する

唯一の実効性がありそうな対策は、レスキューの共有。レスキューを共有していると、その人がどれくらいスキルがあり、あるいは考え方がどのような考え方なのか?ということが、垣間見える。

ベテランであっても、危ない人は危ない。

スキルではなく、判断力の場合もあるので、姿勢を見る、ということになると、突っ込むタイプかそうでないか、なども見れるようだ。

一生の友達ができることもあるそう。

■ 2点が課題

・教え損を無くす
・危ない人を避ける

この2点が、山ライフを続ける中での最大の難問で、この回答に、ガイド登山を選ぶ人もいます。アルパインのガイドさんというのもいますが、阿弥陀北稜5万円とかです。5万も払って、相手にリードさせてやるなんて、なんか損だなぁとか、私などは思ってしまいます。

私と夫で、適当に二人で行ったような北横岳程度の山でも、ガイド登山で行くと、3万円です(汗)。

同じお金なら、レスキュー講習に払うのがベスト!