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Wednesday, January 6, 2016

新ハイとの出会い

■ 新ハイ

先日、甲武信小屋で新ハイのメンバーと一緒になった。

ハッキリ言って、聞いたこともないようなマイナーな尾根を歩いているのが、新ハイ。ハイキングで行ける標高の低い低山の一般ルートはとっくの昔に歩きつくして、名もなき尾根(といっても大抵の尾根はすでに歩かれているものなのであるが・・・)を日本全国隈なく歩いてしまいました・・・みたいな雑誌である。

玄人度はNo1と思われる、地味というより、渋い、いぶし銀のような山行が連なる雑誌だ。

中高年登山の最高峰というか・・・、そう中高年の憧れの星、エリートなんである。

新ハイキングのHPはこちら。

高齢者と舐めてはいけない健脚者揃いであると見受けられる。ハイキングの価値観(苦しいことは避ける)でも、ここまで、突き詰めることができ、ここまでマイナーな山に登れる、という一種の磨き上げられた、最終形が新ハイの山だ。

■ 正確性 

しかし、気が付いたのは、コースタイムは初心者の私たち夫婦よりはかかっていそうだったこと。

でも、日帰りの山を一泊しているのだから、5時間の山を4時間で歩いても、別になんということはない。

思うに、コースタイムは、

 正確に予測できる

という正確性がもっとも安全に対しては重要なのであって、

 ただ早ければ良い

という訳でもないと思った。別に5時間のコースタイムを7時間で歩いても、昼まで明るいうちなら、なんでもいいのであるからにして。

■ まずいのは、大きすぎる計画

決定的に、まずいのは、計画が大きすぎることである。 

甲斐駒黒戸尾根は、5合目まで、3~5時間と言われている。私の足では、4時間20分かかるので、4時間半で計画すれば問題はない。

が、これが4時間で計画すると、問題になる。最初から遅れることが当然の計画になってしまうからだ。

黄連谷は、ガイド本にも2泊3日で出ていることが多い。そこを1泊で計画すると、やっぱりマズイ。

”山と足が合っている”という言い方をするが、日帰りの山を1泊にしたら行けるなら、そうすればいだけのことで、それも”山と足があっている”という内容になると思う。

一般に、標高差300mを1時間で歩くことが標準的とされている。

日帰りか、一泊か、水はあるのか、山によってザックの重さは決まってくるので、その決まってきた重さで、大体標高差300mを1時間で歩けることが、計画の基本になるのでは、と思う。

■ 電脳

新ハイのサイトを見ていたら、なんと電脳支部というものがあった。 何かと批判の多い、ネット登山ではあるが、中高年登山の最高峰新ハイでも、その利便性は認めざるを得ないところらしい。

こちら: 電脳登山部ネット支部

そうだよなぁ・・・。大阪では、80代のお義父さんも、毎年パソコンで年賀状作っているし、メールも普通に使っているしなぁ。

ネットは何より無料なので、貧乏人の味方である。

ただ”モダン”という言葉が、語義に反して、今では懐古的に聞こえるのと同じで、”電脳”という言葉が古臭く感じてしまうのが、ちょっと悲しいところ。

そう言えば、”サイバー”とか”ホームページ”という言葉もなんだか古く感じるような?最近では、ネットのことを”ウェブ”と言うし、リアルに店があっても、ウェブサイトがなければ、この世に存在しないも同然のようなものである。

■ 山が合う

山が合うというのは、どういうことなのだろうか?

と最近はあれこれ考える。

山は余暇なので、一緒に行きたい人と行くのが良く、会山行だと、一緒に行きたくなくても、義務、で行かなくてはならない。

山岳会は、義務が多いというのが問題の最たるところであるかもしれない。

しかも、義務がないと会則でしていたとしても、会員外と行くと嫌がらせを頻発するらしい。

それは基本的には、嫉妬というところなのだろう・・・

人が集まるところに嫉妬あり。

ということになると、嫉妬の嵐を乗り越えてまで、行かねばならない山があるのだろうか?

そんな面倒なことになるのなら、山には行かなくてもいいなーと私なんかは思ってしまう。

大事なことは、今ある時間を有効に使い、人生を楽しむことであり、複雑怪奇現象化することではないような気がする。

■ 損得勘定

おそらく、多くの人が、損得で判断しすぎなのだろう。

例えば、自分は確保しなくて良く、確保してもらうばかりの山なら、お得な山だ。

自分は行くスキルがないのに、行けるならば、お買い得品だ。

カチのフェイスのルートで11でも、ジャミングできるなら、10で登れそうなら、お買い得品。

そういう風に考えて、山に行くのは、なんだかさもしいような気がしないでもない。

単純に自分が本当に行きたい山っていうことで、山に行っている人がどれくらいいるのだろうか?

■ 山との駆け引き

登山は基本的に、楽しむためのものだが、”楽しい”の中身が、おそらく人それぞれなのだろう。

酔っぱらっていることが楽しいという人もいるし、酒がなければ何のため登るの?という人もいる。

が、わたしにとってはお酒は別に目的ではない。

色々考えると、山との駆け引きが楽しいの源泉だ。

山との駆け引きがめんどくさい、楽しくない、という人は多いな~と思う。それは私に言わせれば、山が好きなのではなく、宴会が好きなので、ゲレンデで宴会していればよいのだと思う。

■ 充実感

いわゆる”山との駆け引き”が具体的に何か?ということになるが・・・

・アプローチの負荷
・下山の負荷
・荷の負担
・リードの負担

など、作戦が必要、という部分だ。 作戦を立てる、戦略的思考というのが私の強みだから、それが発揮できるから、山が楽しいと思う訳なのだから。

”山との駆け引き”が全然ないのが、ゲレンデ。つまり、ゲレンデの良さというのはクライミングに集中できること。

逆にゲレンデで、集中しないといけないほどに、クライミングやロープワークが身についていない状態だと、ゲレンデでアップアップなんだが、山との駆け引きの部分がないとやはり、充実感と言うのは得られないなーと思う。

そうした山との駆け引きがない、楽しむだけの山、つまり、”ゲレンデ的使用法の山”だったら、きっとまったく充実感は得られないだろうな~と思う、今日この頃。

癒し山行もチャレンジ山行も必要だが、どちらにするにしても、主人公は人ではなく、山なのだ、山に人間側が合わせるのが本道なのだ、という点は忘れずにいたいと思う。



Saturday, November 7, 2015

アルパインと中高年登山の差

■ スピード優先でない山

昨夜は、夜2時に帰宅した。大きくしなくて良い山が大きくなった山だった。

まぁ遠い山で、運転が片道4時間だった、ということもある。

しかし、今回は中高年登山の特徴について理解を深めた。

今回の印象は、

  中高年登山 = ハイキング(行楽)の価値観で、アルパインをしようとすること

だと思った。

中高年登山者のアルパインクライミングへの尊敬や、憧れの念はすごい。でも、行動そのものは、ちっともアルパインではない。

アルパインは、

 スピードは安全につながる

という大前提がある。平たく言えば、スピード命なのだ。快適性を犠牲にして、スピード=安全を取る。

ところが、中高年は、すべてにおいて、快適性を優先する。多少スピードが犠牲になっても、快適な方がいい、という価値観が、中高年登山なのだ。

だから、快適性のために、すごく時間がかかる。 同じ山でも倍の時間がかかる。

いや、倍の時間をかける、と言った方が良い。

山に”安全に”登るために、さっさと歩くより、のんびり、ゆっくり、和気あいあいと歩きたいのだ。

■ 具体的にはどういうことか?

ということが、具体的には、どういう行動に落とし込まれているか?と言うと・・・例えば・・・

≪例≫
尾根を下る。ほんの30mほど、ルートミスし、補正することになる。尾根の下りで、違う尾根に入ることは、よくあることで、通常織り込み済みで、大した問題ではない。分かった時点で補正すればよく、5分のロスで済むことだ。

それなのに、ルートミスに気が付いたところで、地図を見て、一悶着。これで10分ロス。

あれこれ、しゃべるのに忙しく、そのため息切れして、5分の登り返しに10分かかり、ロス5分。しゃべらず、ゆっくり登れば、登るだけで済むところなのに、はあはあぜいぜい・・・状態を作ってしまう。

なので、尾根の頭で呼吸を整える休憩をしなくてはならなくなり、また10分ロス。

さあ行きましょう、となるのに、また準備が出来ていない人がいて、5分ロス。その人は悪気がないので責められない。

結果、普通なら、たった5分登り返して済む程度のルート補正が、合計30分かかる計算になる。

歩く速度が遅いのではない。歩く速度はみな健脚だ。何が違うかって言うと、

 スピード=安全 スピード>快適性

とは、つゆほども思っていないことだ。

結果、ヘッデン下山になる。たいした山でなくても、大冒険になってしまう・・・というか、大冒険に”して”しまう。

10分が30分に膨らむ。 つまり意図せずして、安全は後回しになっている。

■ 理解不足が山を危険にしている

あーだこーだの話をするために山に来ているとしか思えない・・・(^^;)。

その内容も聞いていると、見当違いなことばかりを繰り返して言っていて、はてな?と思う。

しかし、はてな?と思う見当違いをしていたところで、こちらが指摘するわけにもいかない。

なぜなら、指摘すれば、それを理解するまで、”立ち止まって”教えなくてはならなくなる。

すると、そのためにまた時間がロスする。

 時間ロス = 山が危険になる

から、教える時間はそこでは取れない。

それは、歩く実力以外のところで遅くなるのだ。

≪行動を遅くする要因≫
・手際の悪さ
・段取りの悪さ
・決断の遅さ
・行動時間の理解不足 (何時にどこに着くべきか)
・地形を読む知識不足(ピークとコルで地形を見る基本ができていないので話のベースが揃わない)
・テント泊の基本的行動が身についていない
・多人数

≪その他≫
・必要のないことを言ってしまった後でないと、行動に移せない 
                                例:なぜ水が漏れたか訳を説明
・必要なものがすぐ出せる状態にない 
・ノルディックウォーキングスタイルで、高度な山をしてしまう (運動量をわざわざ上げている)
・ザックがフィットしていない (わざと疲れることをしている)
・3点支持という基本の歩きがマスターできていない (だから、危険)

基本的に、遅くなるような方向性にしか、何もかもが向いていない。

根本的に、理解不足が山を危険にしている。つまり、予習復習、段取りが足りておらず、いきなり本番、になってしまっているのだ。

しかも、それら遅くする要因は、

 自分を理解してもらおうという甘え
 
 や

 相手に何かをしてあげようという善意

なのだ。

相手へ気遣った結果、遅くなり、相手と自分を含むパーティ全体の進行を遅らせる・・・ということになっている・・・(はぁ…ため息)。

それはまったく貢献ではなく、その逆だ。日本的行動で、逆にパーティ全体の効率を低めている。

結果として、長時間行動に陥り、睡眠不足となる。睡眠不足に弱い人や、トップを務めていた人は、当然ヘロヘロになる。

このようにして、行動時間が遅くなるような要素が、いくつもいくつも積み重なる結果、当然のごとくして、遅くなるのだ。

■ ゆとりの計画を立てるも・・・

今回の山は、大きなゆとりを持って計画された山だった。

計画は以下

0泊目: 前夜泊。10時集合、運転4時間 + 仮眠4時間 
1日目: 6時起床 登山口8:00 山頂14:00(幕営) 
2日目: 6時起床、ピーク①11時、ピーク②幕営地14:00 山頂ピストン1:15
3日目: 6時起床、ピーク①9:00 ピーク②10:30 下山口12時 林道15時、
                                      ※車回収2時間 +運転4時間

0日目: 行動時間 4時間
1日目: 行動時間8時間            距離 6.3km  標高差 750m
2日目: 行動時間8時間 +1:15     距離 7.2km  標高差 800m 下400登400
3日目: 行動時間9時間 (内、林道2時間) 距離  12km 標高差 1350 ほぼ下り

と言う具合で、まったく行動計画には無理がない。アップダウンも少ない、易しい山だ。

ところが、これは、全く実現不可能な、ゆとりがない行動計画、ということになってしまう。

その実態は、

1日目: 
  ・1時間の歩きが短縮されたにも関わらず、16時幕営地。 = 3時間プラス

   = 8時間行動のはずが、11時間行動

2日目: 
  ・30分歩き出しが早いにも関わらず、16時幕営地。 =2時間半プラス
  
  ・尾根の下り出し補正
  ・水汲みで40分

   = 9:15時間行動のはずが、13時間行動

3日目:
  ・前日の遅れにより、当初の計画より、1時半遅れで出発。7時半。
  ・核心部ルートファインディングが難しく、時間ロス6時間。
  ・稜線下りはじめが14時半
  ・2時間の下山に2時間半と、30分プラスとなり、17時(この時点で薄暗い)
  ・林道2時間=ヘッデンとなる 19時 (非携帯電波域)
  ・車回収 2時間  21時 (非携帯電波域)
  ・帰宅運転 4時間 25時
  ・帰宅 26時

   = 9時間行動のはずが、11時間行動

と、このような結果になり、

 結果として、連続行動時間 20時間

となった。普通の人であれば、林道は明るい間に歩けただろう・・・。

■ 何が遅れの原因なのか?

(小さなこと)が積みあがり、山であるべき行動時間で行動ができない。

(小さなことが積みあがる)のは、単純に、山の行動規範の理解不足だからだ。

 山で行動を遅くする行動は慎むべきだ。(たとえ、質問であっても、写真撮りであっても)

たとえば、

・休憩は終ったのに、写真の取り合いで、譲りあいっこの押し問答をして、時間がかかる

・テントを設営するのに5分のところが、アタフタして、15分かかる。

・ザックが整頓されていれば、一回で済むところを探し物で、10分。

・テント内生活は、座る場所が悪く作業が互いに干渉し合ってアタフタ

・自分のものがどこかに迷子になってアタフタ

・次にすべきことが、指示されないと出てこない、

などなど…。

テント設営や生活術など、初心者だったら、誰だってそうだから、仕方がない。

ただ、山の人間は、そういうアタフタすることは、近所の公園などで、練習してから、山でやるものだ。

何もかもがこういう具合だ。小さな初歩的なことが積み重なり、時間がどんどんロスされていく。

そのロスを避けようとすると、ガミガミしなくてはならなくなり、自分が嫌な人を演じなくてはならなくなる。一つ一つは小さなことなので、傍から見れば、そんな小さなことを言わなくても・・・となる。

しかし、山とは、小さなことが積み重なって、安全が失われていくものなのだ。

となると、結局はその小さなこと=基本が身についていない時点で、その山に行っている、ということは、

 その山には、その人は資格不足

なのだ。

例えば、言ってしまえば、テント泊をキビキビこなせない人は、テント泊縦走に行ってはいけない。

定着にして、生活様式そのものに慣れ、一定のスピードで生活をこなせるまで、つまり熟練するまで、その段階にとどまるべきだ。

■ 脚力・体力の問題ではない

念のため、言っておくと、遅くなる原因は

 ・脚力
 ・歩荷負担

ではない。体力も脚力も十分なのだ。

 ・各人が最低2リットルほど水を担ぎあげている。
 ・たぶん12~3kg 男性15kg
 ・2時間の下りは、30分程度のプラスで、大したプラスではない

■ しかし、結果としては、ヨレヨレ

一日20時間行動を強要されれば、若い人だってヨレヨレになる。山は山にいるだけで疲れがたまるのだから。

今回の山行を見てみると、

        予定      実際
 1日目= 8時間     11時間
 2日目= 9:15     13時間
 3日目= 9時間     11時間
       
   合計 26.5時間   35時間

となっている。 ハッキリ言って、行動計画は、十分弱気だ。普通の人なら、これ以下で歩くだろう。

行動時間増加の要因は、前述のように、(小さなこと)が積みあがっている。

結果、最終日は、車の回収に2時間、運転4時間をプラスして、トータル20時間行動となった。

そうなると、リーダーなど、車で寝れない、待ち時間で食べれない人には、超人的な体力が必要になる。

自分だけだったら、26.5時間で十分済む山を35時間かけて歩いた上に、さらに運転負担を追わなくてはならないのだ。

これでは、リーダー候補になる人が少ないのは当然だ。単独で行った方が安全なのだから。

■ 非熟練の証

決断に時間がかかるのも、非熟練の印だし、5分の休憩が15分になるのも非熟練の証だ。

  早さ=安全 とは、分かっておらず、

時間をロスしても、安全が犠牲になっている、という自覚がない。したがって、呑気なままで、切迫感がない。

ということは、どういうことになっているか?というと

  安全管理不在 

ということだ。まとめると、

 楽しくお話しするために、安全が犠牲になっている

のだ。 その原因は、

 山行動の理解不足

だ。 山には下界の行動規範を持ちこんではいけない。

理解不足からくる、安全管理不在と、下界の論理を山に持ち込んでいるせいで、本来、

 27時間の山が、35時間の山

に膨らんでしまっている。

しかも、その原因が、一言で言ってしまえば、脚力や歩荷力などの核心部ではなく、理解不足による

 単なる行動の遅さ

だ。

このような登山は、その価値観そのものが山では危険だ。

でも、それが価値観なのだから、それで何が悪かろう?小さな山を大きく登ったっていいのだ。

最初から35時間の山として計画すべきで、正しい計画は、

0日目: 前夜泊
1日目: 計画6時間  → 実際は9時間
2日目: 計画6時間 → 実際は9時間
3日目: 計画2時間 → 実際は、9時間半

とすべきだったのだろう。 

つまり全部が教育的山行と同じことなのだ。その場合、安全に山行を行うには、登頂は二の次、三の次にしないといけない。


Thursday, September 25, 2014

百名山志向と中高年

Thursday, September 25, 2014 
■ 百名山登山の何が悪いのか?  

まずは、百名山登山の批判の矛先が、具体的に何に向けられているのか?整理しておきます。
  • 深田百名山は深田久弥が選んだ山であり、オリジナリティがない
  • 深田久弥と同じルートで登っていない
  • 雨だろうが台風だろうが行く、弾丸登山スタイル
  • 山のスタンプラリー
  • 山の良さを見ていない

というところでしょうか。他にもあるかもしれません。これを裏返すと、いいってことになりますね。
  • オリジナリティのある登山を行う
  • 深田久弥と同じルートで登る 
  • 弾丸登山はしない
  • スタンプラリーと揶揄されるような、日程を詰めこんだ、急ぎ足登山は辞める
  • 山そのものの良さを味わう
≪参考≫
深田百名山リスト
日本二百名山リスト
日本三百名山リスト
新日本百名山リスト
花の百名山リスト
山梨百名山リスト


■ 中高年

百名山登山というのは、かなりの強い相関で”中高年”とセットで語られることが多い登山形態です。

中高年は、なぜ百名山行脚にこだわるのか?

2014年現在、中高年と言えば、団塊の世代が主力です。

この世代の特徴は、まず数が多いことです。圧倒的に量が多い。人間の数、多すぎなんですね。勢い、些細なことがデバートのバーゲン会場化します。そのバーゲン会場化についても、さらされる頻度が多いために場馴れしている世代と言えると思います。

そして、競争の世代です。戦争については、”戦争を知らない子供たち”、イケイケどんどんな世代です。右肩上がりの高度経済成長ど真ん中ですから、楽観的で、なおかつ、下り坂を知らない、恵まれた水準に気が付いていない世代と言えると思います。

経済破たんの主たる要因を作り出し、現在の借金漬け財政体制を受け入れたのも、この世代で、それはアメリカ式借金式経営法を自分の人生にも、行政にも取り入れたことによると思われます。つまり、何もかもローンで買う世代ですね。家も車もローンで買って、ローンの貸出可能枠が自分の経済力だ、と思ってしまう世代です。

≪団塊の世代の特徴≫
・人数が多い
・メジャー志向
・”バーゲン会場”が良くも悪くも生息域
・競争大好き
・右肩上がり信仰
・恵まれた水準にあることに無知
・よくもわるくもアメリカ礼賛
・赤信号みんなで渡れば怖くない
・借金経営平気世代

これが山ではどう発現するか?というと

・混雑した山、大好き 
・百名山のスタンプラリー大好き

となるのではないでしょうか。暴論ですが、ひょっとして、この世代は、混雑大好き、もしくは、混雑したほうが、むしろ気分が高揚して良いくらいなのかもしれません。

百名山登山がどんぴしゃりだったのは、右肩上がりと競争が大好きだからではないでしょうか?この世代は、なにかにつけ競争がシビアで、”勝ち組”であることにこだわる世代です。

そして、自分の幸福のためには人を蹴落とさないといけない、と信じている世代です。Win-Winなんて言っているのは、後の世代で、この世代はWin-Loseです。

本来、自分との戦いであり、他者との競争がないのが、登山の世界ですが、そこに他者との競争という視点を持ち込むことができる唯一の登山形態が百名山登山、と言えるかと思います。

もしかしたら、そうした視点がなかったら、この世代を惹きつけることはできなかったのかも?

■ 経済効果

さらに言えば、恵まれた経済力で、百名山”スタンプラリー”が、可能になってしまうのが団塊。百名山をやる人はお金持ちです。たとえ、ツアーを一切使わないで自分で登ったととしても、1座につき、2万円の平均的な予算がかかったとすれば、2万円×100座で、200万円ほどかかることになります。ツアーを使い、5万円の予算がかかれば、500万円です。

100名山登るには、1年10座くらい登ったとして、10年かかります。一年50万円のレジャー支出。

登山人口はハッキリしません。300万人とも800万人とも言われます。最新の数字では860万人と言われています。(最新の数値は1000万人だそうです。2016.7)

http://www.pref.nagano.lg.jp/kankoki/sangakusounan/documents/06shiryou3.pdf

試しにこの860万人という数字をベースに、6割が中高年という前提とすると516万人が中高年となり、その8割が百名山をするとなると、412万人。その人たちが年間50万円を支出すると、2千億円規模の市場になります。これが交通費、山小屋費、ガイド費用になるわけですね。装備などの周辺市場は含まないでも、この額です。

この人たちは遭難者の代表的なプロフィールでもある上、百名山登山=登山と思いこむ視野狭窄にも陥っているので、オーソドックな登山の安全対策が知識として入っておらず、遭難予備軍であるので、登山界の権威筋からは、当然ながら、問題視されています。

■ 対策?

対策としては、未組織登山者 → 組織化 が挙げられますが、これは無理なんじゃないかと。

この種の人たちが、山岳会などの硬派な世界に属さないのは、むしろ歓迎すべきことではないか?と逆転の発想をしてみました。

というのは、山岳会は今指導者不足なので、こういう大量の人口がなだれ込んだら、対応できません。山岳会はおまけに”相互扶助”の組織ですが、”相互”にはならないで、”一方的扶助”になると破たんすること確実です…

幸いなことに、団塊の世代の方でも山岳会などに所属することにはあまり積極的でないようです。

この世代に、登山をよりよく楽しんでもらうにはどうしたらよいか?ってことになりますが、やはりその世代にマッチした価値観で歓迎するのが合理的選択となります。
  • ”群れ”志向
  • 面倒なことは誰かにお任せ志向
  • 節約よりむしろ、お金で娯楽を買いたい志向
  • オリジナリティーは求めず、メジャー志向
  • 詰めこみスケジュールのストレスには強い
  • 数値志向
  • 積み上げたがる
  • アメリカン志向
しかし、実力そのものはハッキリ言ってないですから、体力的敷居を下げつつ、たくさん運動したと言う気になってもらわないといけないのです。

山としては、危険個所が少なく、デカい山が合っていますね。(あっ、それって南アルプスでは?)

■ ガイド登山に誘導できるか?

団塊の世代に代表される中高年が山岳会に来ないから、と言って、ガイド登山に誘導することは、おそらく、世代の求めるものとガイド登山が提供するものが異なりすぎ、論理的に成り立たないのではないか?と思います。

近年ガイドの不足が叫ばれていますが、これも、ガイドになりたがらない人が多いのは仕方ありません。何しろガイド業は食えません。

昨今の中高年の登山スキルはかなり低下しています。たとえば先日の権現でも、ヨタヨタ歩きの人が、かなりの数でいました。スキルの低い者同士が結託しても、やはりスキルが低いことのリスクヘッジにはならないようでした。はっきり言い過ぎかもしれませんが。スイマセン。

餓鬼岳でも、ちょっとどうか?というくらい足元がヨレヨレのオジサンパーティを見ました。そもそも歩くということが、ちょっとどうかなーというくらいヨタヨタですが、平気で北アに来ます。あまり自覚はないようです。

そういう事情もあり、ガイドの必要性が各方面で叫ばれていますが、その割にガイドとなった人の年収は低く、ガイド業では300万円を超えれば御の字、と言われています。

私は登山2年目のころ、やたらガイドにならないかと誘われました…たった2年の経験しかない私なのに?といぶかしく思っていましたが、それはやはり実力がある、山男のベテランガイドなどが必要ない、丘というような山を、10人も15人も連れて歩く、”違反”ガイドツアーの方が実はどこでも人気があるからのようです。違反かどうか分からないような新参山ヤの方が、そういう低いレベルのガイド山行を引率する資質としては、優れている、ってことになります。

つまり、本格的に山をやってきて(本チャンもバンバン行くような)、まともなガイドに育った人は、団体登山をやりたがらないのは確実です。大体、登山は、3人~4人がベスト人数です。それより大きいと小回りが利かなくなるし、それより小さいとリスク対策に不安がある。団体になればなるほど、遭難というババを引く可能性は高くなります。

■ そろばん勘定

ガイド登山は、基本的に5人以下が普通です。ガイドの日当は3万円と決められているので、5で割ると、6000円。しかしこれではガイドは、何人ガイドしても、日当以上は儲からないことになります。仮に月に20日ガイドしても(そんなすごいスケジュールで山に行ける人は少ないと思いますが)、60万円にしかならず、冬季はガイド業は基本的にお休みですから、6か月60万円の収入が仮にあったと仮定しても(そんなことはありえそうにありませんが)、360万円にしかなりません。

これが、うまく行ったケースとなれば、サラリーマン世帯と比較して、一人前の男性にとって、ガイド業が成り立つとは言えません。というわけで、ガイド業は主たる生計を支えなくてよい場合の、副業的な位置づけとなります。

一般に山をよく知っているガイドさんにとっては、ガイドレシオの縛りを振り払い、団体登山に足を踏み入れるのは、大変勇気がいることです。たぶん…。団体になった途端に、暴徒とまでは行かなくても、衆愚と化すのが見えているし…。

しかし、中高年登山者を取り込むには

 たくさんの人が集まる形態

でしか、充足することのできない精神的ニーズがあるのではないか?と思います。青春のフラッシュバックかもしれません。

この人たちにとっては、団体で群れる、ということがかなり意味がある活動なのでしょう。

山ガールに代表される、若い人(団塊Jr)の山ブームも、端を欲したのは

 野外フェス

であると言われています。野外フェスも団体で楽しむイベントですよね。

ということは、時代は今、

 多くの人がコロニーのように集まって何かを共有できる場

を求めているのかもしれません。余談ですが、ヨガのクラスも、団体化が一旦加速すると、規模が大きくなればなるほど人を惹きつけるようです。一旦始まった大規模化は止められない勢いのようです。そうすると本質的なことは失われますが、そのことより、集まる、群れる、という集団の陶酔、のようなものが重要な要素なのかもしれません。

それは私自身の登山の志向性とは全く反対ですが、時代がそういう、いまだに満たされていないニーズを持っている、ということは、各種のデータや社会現象が如実に表現しているところかもしれません。

大事なことは、そのニーズ、エネルギーを社会が良くなる方向に方向づける、という先見の明かもしれません。

というわけで、団体登山という群れは維持しつつ、百名山登山をガイド登山で可能にする形態を試考してみました。

≪新・これなら安全にいけるんじゃ百名山≫

  • ガイドが寄り集まって、登山者組織を作る。
  • 会員制組織にする 会員優待を作る
  • 募集型ガイドツアーを催行する
  • その際、百名山登頂をプログラム化する。低い難易度の山をクリアしていないと、次のステージに進めない。(ゲーム感覚)
  • 10座、30座、50座、などのキリのいい数字で、記念品を渡す
  • 深田百名山と同じルートで登る 
  • 深田百名山の該当部分を各回配布する
  • 催行は15名~20名でも、実際は小パーティに分け、引率者は4~5名にする。
  • パーティを分け、少し時差をつけて登山する(山へのインパクトを軽減するため)
  • 宿泊地で全員集合。小屋泊にして、小屋には、できるだけ現金を落とす。
  • 小屋生活では、その団体が迷惑登山者にならないマナーを誘導しておく(ウルサイ、散らかす、汚す、傷病者を放置するなど)
  • 夜は山のお天気や音楽の夕べなどの、時節にあったイベントを毎回行う(そうしないと騒いでウルサイので)
  • アメリカンな小物などの量販会も買ってくれるでしょう
  • 朝はまた小パーティに分かれ、時差出発する
  • 皆でバスに同乗して団体気分を維持して帰る
  • 引率者から、到達度評価をその都度渡す

要するに、山への行き帰りと小屋でだけ団体で、歩くときは団体でなくてもいいんじゃないか?ってことですが。

それとやはり無知な部分はリスクヘッジを引率者でしつつ、山のことは山で教えるしかないので、達成感志向という面を上手に利用して、知識の面でも達成感を与える何らかの枠組み作りを薦めたら良いのではないか?と思います。

啓蒙、という形では絶対に啓蒙されないような?