Sunday, May 26, 2019

私がこのブログで訴えたいこと

最近、読者の方からコメントをいただき、ありがたいことだなぁとしみじみと実感しています。

このブログでは山の知識…初心者山ヤとして、私が発見し、生身で体当たりして得た知見を共有したいと思っています。

富士山で下山報告せず降りたという若者は、ネットでバッシングされそれがかわいそう、行き過ぎだ、という批判があるそうです。

■ 不寛容な社会は生きづらい

私が、常日頃、思っていることは、不寛容な社会は生きづらいということです。

人は誰でも過ちを犯しますから、過ちを犯すこと自体を否定されてしまうと生きていくのが難しくなり、それは100人人間がいたら、100人に共通です。

私事で恐縮ですが、面接に行ったら、会場が見つけられず、5分前に電話で、遅れますと連絡。その後、3分程度遅れて到着したら、「面接に遅れてくるなんて何様か?そのような人と仕事をするのかいかがなものか」と言う先方。こりゃ、この会社で働いたら、さぞかし私は不幸になるなーと思って、求職依頼を取り下げました(笑)。10分後には踵を返して、帰宅の途に就きました(笑)。やですよ、そんなゆとりのない会社。

時間感覚に厳しいのは、日本人の美徳ですが、自分に適用しても他人に適用するのは、ほどほどにしておきましょう。30分遅れる話なら、違うと思いますが、3分で怒っているのは、心のゆとりなさすぎです。

■ 情報が歪んで伝えられている?

しかし、情報源の読売新聞と言えば、老舗です。

その辺の素人が書いた記事ではなく、本職の記者が、裏取りをして書いた記事である、というのが、このロゴマークの意味です。

もし、その記事がミスリードをしているようであれば、そのロゴマークへの信頼は失墜ですね?

ですので、大手の報道の信頼度は、無名の報道機関の信頼度よりも、高いと思いますが。

しかし、このネット時代、広告収入に頼る大手メディアの報道は信頼が低下していますので、小規模メディアであるから、ダメということではないです。

とはいえ、このニュースで、大手が広告収入のために事実を歪曲する必要があるとは考えにくいケースですね。

■ 社会人の常識レベルの低下は、やはり依然、うかがわれる

”何度も県警から連絡したけれど、本人が電話に出なかった”、とあり、やはり一般常識では、捜索しているかもしれない可能性を考えて、少なくとも22時より以前には、なんとしても、他人に携帯を借りたとしても、連絡を第一にするのが社会人の平均的な常識ではないでしょうか?

ご自身に照らし合わせたらどうですか?

18歳に選挙権が下げられそうになっていますが、若者であったとしても、それくらいの判断力は、大人としては、あってほしい判断力でしょう。

■ バッシング

ネットでバッシングの嵐だそうですが、そうなんですか? 私はそういうバッシングをあまり目にしないのですが… 

発信側に立っている人より、受信側に立っている人が多いのですかね? そういう場を知らないので、何ともコメントしがたいですが。

一般に、容易にバッシングの対象になる、ということが、ネット社会のマイナス面ということなのでしょう。

そのような対象、標的にされないような仕組みが世の中に必要だということですね。

個人攻撃と、社会的問題を切り分ける、ということです。

■ 取り上げるべきか、否かの判断

山の世界では、取り上げられるべきことが取り上げられず、そうでないことが取り上げられがち、ということがあります。

例えば、山のリスクは取り上げられず、山の楽しさ、ばかりが強調されています。

物事の両面を見せないと、片側だけの情報で行くとえらい目に遭いますが、この時期の富士山に丸腰で登ってしまうというのは、まさにその典型に見えることが、このニュースのツボ、ですね。

無知な人に見える、という点と、どうも、本当に無知だったようだ、というのは、真実味がある洞察です。

■ 社会的インパクト

バッシングを受けた若者はかわいそうですが…、仮に

”レスキュー依頼して、無事下山したことを言わないで帰ってもいい”、

ということになれば、その後の山の世界にとって、ゆゆしき事態であることは自明であると思います。

それでは、こうした失敗を防ぎたいというニュースの意図につながって行かない。

ニュースの意図は、若者をバッシングすることではなく、このような無知な行為をほかの方に、再度繰り返してもらわないためにあります。

■ 検索エンジンの偏り

ネット社会特有の問題として、Google独り勝ち問題があります。

ネットに出ている情報のうち、検索エンジンにヒットした上位4~5件の情報しか広まらないという、いびつな情報伝達の形式になってしまっているということです。

それほどまでにGoogleの独り勝ちになってしまったのでしょう…

余談ですが、私は、こちらの検索エンジンを使っています。

https://www.ecosia.org/

45回の検索で、1本の木を植えることができるそうで、山やにぴったりな検索エンジンではないかな?と思っています。

今からは、検索エンジンを多様化していくのも必要なことなのかもしれませんね。

■ まとめ

・バッシングされた若者よ、お気の毒です
・無知を憎んで、人を憎まず、が正しい姿勢でしょう
・バッシングした方は自らも完ぺきな人間とは程遠いことを顧みましょう(笑)。
・若者は反省しましょう バッシングと反省は別です
・レスキューの方ご愁傷さまでした
・ニュース記事を書く方、信頼度高目でお願いします

■ 知識

富士山は、この時期、当然ですが雪山です。アイゼンとピッケルを使いこなせない方は登る時期ではありません。

しかし、行って楽しい時期でもなく、高所登山をやる人が、順応目的(具体的には昼寝)で行くような時期です。

当方の富士山の記録はこちらです。 2014年5月31日に登っています。登り6時間下り2.5時間の山でした。
https://stps2snwmt.blogspot.com/2014/05/blog-post_31.html




Saturday, May 25, 2019

観光収入増大と迷惑はセット販売です

こんな記事が回ってきました。

富士山に「登山鉄道」再浮上 何度も頓挫、新知事が意欲

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190522-00000036-asahi-soci&fbclid=IwAR0q7NH5Za-gjX-vCDFwdaxh1tpA7eQuUuP734kmstYX-Al-WL1oK-0bHxo

富士山に観光鉄道をという記事です。誰でも分かることは、このような事業計画…道路にせよ、ロープウェーにせよ、鉄道にせよ…の目的は、

観光収入の向上、

ということだ、ということです。

一方、このような記事もあります。

富士山で「動けない」救助隊捜索、連絡せず自力下山

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190521-00050232-yom-soci&fbclid=IwAR2ggE7IA3JNvLdk90_oTbzZINTTzsnRCyWGiiG3cayh5fj1TcjEIvsnnUg

■ 観光収入と迷惑はセット販売

物事には、どんなことにも2面性があります。マーケティングというのは、その2面性のうち、1面だけを強調することです。

観光収入が上がるようなことのネガティブ面は?

あきらかに、山に無知な登山者を招き入れる、ということでしょう…

要するに問題の火種は

 観光収入(富)に関する欲

にある、ということですね(笑)。

■ 知恵(ウィズダム)

このような場合、ウィズダム、知恵とは、あらかじめ予防線を張っておくことです。観光鉄道が、鉄道の観光を世間に宣伝するのと同時に、冬山の厳しさ、一人でアイゼンもなしに登り始めてはいけないこと、あるいは、入山禁止のロープを張り、警告文を設置しておくことなどと、色々な対策を同時にやれば、

観光を盛り上げつつ、山の厳しさを伝える

という両方の点を一挙に獲得することができます。

しかし、おそらく、山に詳しくない人が、ただ観光盛り上げだけをやれば、その付けは、

・人命が損なわれたり、
・救急隊に安易なレスキュー要請が増えて思わぬことになったり

するでしょう。山では、すでにそのような事例は豊富ですから、安易な開発ではなく、きちんとリスク評価して進んでもらいたいものです。

観光のマイナス面は、

 無知な登山者が増える

だけでなく、

 環境自体の破壊

もです。自然環境を愛でにいくのに、そもそも環境破壊していては、元も子もありませんから、その点も配慮しないと、こうした計画は、本末転倒のお荷物設備を作って、誰も来ない閑古鳥、と言う結末にもならないとは限りません。

Thursday, May 23, 2019

富士山で「動けない」救助隊捜索、連絡せず自力下山

このようなニュースが、おとといありました。

ーーーーーーーーーーーーーー

富士山で「動けない」救助隊捜索、連絡せず自力下山

5/21(火) 19:50配信
読売新聞オンライン
 山梨県側の富士山を登っていた20歳代男性が20日午後、「疲れて動けない」と富士吉田署に通報した。救助隊員6人が捜索を続けているうちに、男性は自力で下山。同日夜、東京都内の自宅に戻るまで、下山したことを同署に連絡しなかった。

 発表によると、男性は同日朝、単独で麓から登り始めた。アイゼンをつけていないなど軽装で、登山届も提出していなかったという。残雪に覆われた8合目付近で動けなくなり、午後0時40分頃、救助を求めた。

 曇天でヘリによる救助ができず、県警の救助隊員が5合目から現場に向かった。途中で男性と連絡が取れなくなり、捜索は午後9時半頃まで続けられた。その間に男性は麓まで歩き、電車で帰宅。男性から連絡があったのは午後10時頃だった。

 富士山の山開きは7月1日。県警は「この時期の富士山は残雪があり、非常に危険。下山中の滑落や、救助隊員が二次被害に遭うおそれもあった」と指摘している。


ーーーーーーーーーーーーーーーー


https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190521-00050232-yom-soci&fbclid=IwAR2ggE7IA3JNvLdk90_oTbzZINTTzsnRCyWGiiG3cayh5fj1TcjEIvsnnUg より引用


■ 無知 が原因


このような無知をどうやって防げばいいのでしょうか…?


このような無知による、社会的損失のインパクトが大きすぎますね。


5月の富士山に行くような登山者は、私のようなアルパイン経験者か、もしくは、この登山者のような完全無知レベルの人か、どちらかです。


私もこの時期をわざわざ選んで富士山に登っていますが、それは、無雪期の富士山なんて、山初心者が行くような山でしかありません。標高というのは、登山の実力を測るにはまったく無意味な指標です。そのことが分からない人が、一番高い山、を目指します。


この時期の富士山は、経験者には簡単ですが、アイゼンがいる山です。雪の山としては、簡単な部類です。寒さが厳しくないためと雪も腐っているためです。最大のリスクは紫外線。


さて、この方は、雪もしらず、山も知らず、ただ、時間が空いたから、登ってみようかなとでも、思って登りに素直に行ってしまった程度の無知な登山者でしょう…


しかし、引き起こした迷惑、最大…


こうしたことをしてしまった人を責めるのは簡単ですが、一つ間違えば死んでしまいますね。


遭難救助を要請したということで、そのまま連絡せずに下山したら、連絡して下山した場合よりも、なんらかのペナルティがないことには、このような判断を防げないでしょう。


救助隊に


 A)連絡しても、怒られて終わり。


 B)連絡しなくても、怒られて終わり。


であれば、どうするでしょうか?


ここのところに、Aを選択する、なんらかのインセンティブを設けない限り、これからも、


全く無知


な登山者がこのような判断をすることは、避けられないでしょう。


無知な人は無知なだけに、捜索隊がどれほど、大変な捜索をするのか?見つからない限り、帰宅もできないということなど、知らないし、想像する能力すらないだろうからです。


この世で最大の問題は、無知、ですね。





Monday, May 6, 2019

塩見小屋の訴訟問題について

今日のFBから
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「登山者にとってはどうでもいい話です。」

というコメントが入りました。

当然だと思います。
反応してくれたり、応援してくれる方は沢山いますが、割合にすれば、山に興味のある方の数%かもしれません。
殆どの人は、スルーしていると思います。

逆に登山者の一意見として、コメント入れてくれるだけ、有り難い事なのかもしれません。

ただ、内容は塩見小屋の事や管理人としての私の事ではなく反論も出来ません。
裁判や小屋についてなら理解も出来ますが、それとは関係のない個人的な感想は、酷い言い方をすれば、私にも必要ではなく「見ないで下さい。」としか言えません。

前にも書きましたが、テレビの様に嫌でも目につくという訳ではないので、スルーして欲しいです。

仮に私がこの方の投稿に、「あなたの山行日記は、殆どの人にとってどうでもいいこと。」と書き込めば、この方はどう思うでしょうか?

何を言っても一見自由だからこそ、私は投稿には、慎重になっています。
他人の事を考えなくなれば、今の伊那市と同じになってしまうからです。でも、A課長に関してはかばう気にもなれませんが。

伊那市にすれば、これも立派な管理人に対するクレームになるのでしょう。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

■ 正直者が馬鹿をみる世界を放置することは、全員にとっての悪

このコメント、「登山者にとってはどうでもいいことです」

を聞いたときに思ったことは、他者の痛みが分かる人間でありたい、ということでした…。

山に、みなさん、癒されに来ていますよね。山ですら、弱肉強食の論理を持ち込まなくていいじゃないですか…

山くらいは、ただ”母なる大自然に対する深い理解と知恵”を身に着けた人が、その努力の対価を受け取れる世界であってほしいです。

塩見小屋の訴訟は、あきらかに伊那市市長の横暴ということが見て取れます。私自身は、そのような横暴に対して、真正面からぶつかっていく塩見小屋の方が、心身を悪くされないか、心配でなりません。

私自身のことだったら、こんなことに時間をかけないと思います…なぜなら、戦うことで得るものがあまりに少ないと思うからです。

しかし、果敢にも立ち向かっている人に対して、無関心 を伝えることは。

愛の反対は無関心なのです。

社会で行われた不正義を見過ごせば、その社会はどんどんと生きづらい社会に変化していきます。まわりまわって、人を信頼できなくなっていく…。そうした時に返ってくるのは、自分に対してです。

本当に、山ですら、こんなことを言うような人が来てしまう社会になってしまったのですね…

日本の世相が残念です。






Saturday, May 4, 2019

山小屋のオヤジが怒れなくなった山の世界

■ 登山ガイドなんか、まともな山ヤは、なりたくないですよ…

だって、変な人しか山に来ないんだもん…


さて、この本は、山小屋で働く人には必携です(笑)。

何しろ、山小屋には、もうとんでもない人たちが来ます

というか、登山人口の中で、とんでもない人を選別して連れてきているとしか思えないような人がきます。

つまり、基本的にとんでもない人”だけ”がくるのが、夏山の小屋です(笑)。

というのは、ちゃんとした山やは小屋なんか泊まる必要がない、ですから。

山小屋のオヤジが怒鳴らなくなりました。

…というのは、

 第一に、トンデモ件数が多すぎる
 次に、逆切れするお客さんが多い

からです。もう、小屋には怒っていたら、キリがないくらい、怒り心頭するような、自分で、自分の安全も守れないような人…しか来ないんですよ…。

「○○大雪渓って私にも歩けるでしょうか」  知らんがな!って人が多いです。

■ 市場的に見ると…

つまり、マーケット的に成熟してしまい、レイトマジョリティー市場なんです。

市場が成熟して、トンデモな人すら来るようになった、という表現のほうが、実態をよく表していると思われます。

登山ガイドさんにしたって同じです。山岳会で新人を扱っていても、一様にみな同じことを思います。もう、みなさん、トンデモばかり…です。少しは自分で勉強してなーって。

■ 怒りは当然の反応です

そういう場合の解決案として、日本人は怒りを良くないこと、として押し込めていると思いますが、それこそがストレスの原因では?

問題の根源は、コミュニケーション力の不全にあり、怒りを感じないというのは、人間である限り、無理であると結論しています。

  1)覚悟、
  2)コミュニケーション能力、
  3)ルールの明確化

この三つが怒りを上手に表現し、解決へ持っていく基本ツールです。

最初から逃げに走るとストレス耐性次第では、引きこもる以外なくなります。

つまり、怒りを避けるという手段は、”逃げ”という選択肢という訳です。

世間とのかかわり方を子供時代に、きちんと学ばなかったという自覚が私にはありますが、私はどちらかというと、健全な魂を持っており、良くないことには、きちんと怒りを感じるタイプです。

善と悪の判断にも、自信があるタイプです。神の場所は知っている。小さいころから、心に神を持っていました。もちろん、悪いこともしていますから、聖人君子ではありません。そんな人がいたら、その人こそ、ウソつきです。

とはいえ、パオロさんの指摘は、子供のころ感じていたことと同じでした(笑)。素朴な疑問、ってやつです。

■ 具体例

先日、チベット僧のターパさんに ”怒って注意” しました。というのは、お寺に朝から座禅に行くのに、ナビで運転中に話しかけるんです、今、運転ナビ聞いてるってば!っていう奴です。それでも、彼とは変な仲になっていません。

同じようなことで、日本の74歳、世間に名の知れた往年クライマーの場合…。足が痛くて歩けないですって何度も言っているのに、私を連れまわすんです…。

何度も何度も「歩くのも痛いんです」と言って、事態を理解してもらうのに、丸2日、かかった上、彼との仲は、3か月の投資期間があったにもかかわらず、おじゃんです。ちょっと怒っただけで。

それは私が文句を言ったからです。ターパさんにしたのと同じように。

どんだけ打たれ弱いねん!

ターパさんと日本の往年クライマーの差は、”メンツを立てられるのを当然視しているかどうか”だと思います。

恐るべし日本のオジサン。チベット修道僧より、俺様化!!

つまり、日本の男性の自尊心は、俺はお前よりエライ、ということにしておいてもらわないと、はかなく散るような、自尊心ないのかもしれません。

先日、運転をしていた高齢者が、通行人をひき殺して、すぐさま保身に回り、話題になりましたが、似た部分を感じました。逃げ足と無責任さ、にです。

■ ルールを無視する相手対策

余談ですが、海外では、自分の安全は自分で守るものなので、私は小型小銃すら携帯していました…

私は体が小さくて、暴力やレイプには非常に脆弱だと誰が見ても明らかだからです。

日本では、女性に対する性的嫌がらせは、厳罰化していないので、特に都会と田舎では温度差がかなり激しく、田舎に行けば行くほど、セクハラは、”大したことないでしょ視”、されています。

この根底にある思想は、マチズモです。マチズモとは、力が正義に勝ると定義している世界観ですが、この世界観では、力が弱い=序列の最下層です。昔の父権制度と同じです。

ですので、弱い性である女性をセクハラしても、まぁ、それは大したことにカウントされません。子供に対しても同じです。

それは、強い側から見たとき、共感が得られないからです。尻を触られたくらいなんだ。とかそういうレベル。

したがって、チベット修行僧と74歳の差が出るような理由というのは、よくよく原因を求めると、

日本という国では、弱者であっても、きちんと強者に向かって怒りを表明できる社会でない

ということが根底にあると気が付きました。

要するに、多様な価値観が受容されていないからだと確信しました。

日本でも多くの価値観が認められるようになっていくのが私の願いです。

特に山は 体力1点豪華主義の人が多数です。体力だけで遭難が減るわけないでしょ。


エゴシステム・エコシステム

https://7secondcoach.com/2017/02/28/egosystem-ecosystem-one-program/より引用。

登山の良さ、本質を一言で捉えると、山は、エゴシステムではなく、エコシステムだということに自覚をもたらすことです。

山でもっとも優秀なのは、誰か? 山でのサバイバルという非常に狭い範囲で見ても、人間ではない、ということは、ちょっと考えただけで明らかです。

鹿さんや、カモシカさんなどの野生動物が、一週間道に迷って死にますかね?死にませんね? 一方人間は脆弱で弱く、数日の野外生活ですら、死んでしまう人いるほどです。

人間は傲慢になっているため、自分たちのシステムを山に持ち込むために、遭難が後を絶ちません。

私が山をスタートして以来、遭難者数は過去最高の記録を更新中ですが、理由はあきらかで、

 山の本質の捉え方

が、間違っているからです。山は町ではない、そんな言われてみれば当たり前のことを、みなきちんと自覚せず、山に行くからです。

山の本質の一つは、登山をするからには、

 新しい地理認識システム

を習得する必要がある、ということです。それは、下界のような 東西南北の碁盤の目でもなく、30m歩いたら、右手にコンビニが見えて右折、みたいなナビシステムでもなく、尾根と谷を使い、標高差と歩く時間を使うものです。

山では体力は必要ですが、どんなに低い体力の人にとっても、登れる山はあります。

山での体力一点豪華主義は、傲慢につながります。体力順のピラミッドシステムで、山の価値、序列をつけるようになるということです。

例えば、美しい尾瀬と急峻で体力がいる甲斐駒、どちらの価値が上ですか?

そんなの、比べられませんよね? 比べられないということに、序列をつけるシステムが、価値観、になってしまっています。それは、往々にして、我田引水のことが多く、体力がいる山が上だと思う人は、体力一転豪華主義を採用していることが多いです。

例えば、アルパイン・クライミングにおいては、体力だけを強調される往年のクライマーが多いですが、現在のアルパイン初級ルート(前穂北尾根を想定します)は、アプローチ6時間の涸沢側から入ったとしても、往年のクライマーはすでに体力が初心者より下になっている可能性が濃厚です。

では、というので、アプローチで消耗がないゲレンデ的なアルパインルート(例:錫杖)が人気になっています。つまり体力一転豪華主義はなくても、楽しめるルートはすでにある、ということが基本的には明らかになってきています。

(これは、もちろん、登山者としての最低限の脚力、一般登山を終わり、一日10時間程度の行動は苦にならないくらいのもの)が無いのはアルパインはそもそも教えられないという前提です)

なので、体力はあっても邪魔にならない資産ではありますが、ありさえすれば安全という資産ではありません。山において、体力や歩荷力は、下界のお金と同じことですね(笑)。

ないなら、ないなりの山をすれば良いということです。

■ どのような問いを作っていけばいいのか?

これから山をされる方は、ぜひ問いを持ってください。その問いとは

”どうすれば、山に安全に登って降りてこれるだろう?”

というものです。誰かについて行けば安全 という解を出される方が多いのが、問題ですが、誰かについて行っても安全は増えません。その人が、山を知らなければ、意味がないからです。

ガイドさんについて行けば安全も、間違った思考です。ご自身の安全はご自身で守れなければならないからです。

例えば、低体温症でなくなる人は、ザックにレインウェアやレスキューシート、ツエルトが入っていたことが多いです。ガイドさんが着れと言わなかったから着なかったのでしょうか?

その方は寒かったら服を着るという6歳時でも行えることをしなかったために山で命を落としたのです。

ですので、どんなにすごいガイドがついても、自分で考えない人には、ゲームアウトが待っています。

常に自分で考える、そのためには、

 山で死なないためにはどうしたらいいか?

と常に問うてください。そうすれば、山は常にあなたに微笑みかけてくれるでしょう。

Wednesday, May 1, 2019

雪上のルート選択


こちらは、雲ノ平ナビ 北アルプス黒部源流域/Peak2Peak写真山岳ガイド事務所からFBで回ってきた画像です。

今年は積雪が多く、特に雪崩での遭難が心配されています。

GWは雪山にデビューされる方が多い時期ですが、人のトレースを歩くことが山だと思ってしまう人も多数の時期です。初心者の傾向として、そうなります。

一方安全の中で大事なことは、地物があるところを歩く、ということです。雪庇の上かどうかの判断は、夏道を知らないと想像できないかもしれません。

あらかじめ無雪期に山の形状を頭に入れてから、GWに舞い戻ってくるような、用心深い登山者は昨今だいぶ減ったのではないでしょうか?

山でも、日本的な、みんながやっているから大丈夫、が目につきやすいですが、この画像でも示されている通り、安全な選択肢(左側)を取れば、より高度な雪上歩行技術が必要になります。

 ・安全なルート選択を知っているということと、
 ・その道を歩ける技術がある

の2点が必要です。

Sunday, April 21, 2019

デイビッド・ラマの訃報




スポーツクライミングからアルパインへ進化したクライマーの訃報が入ってきました。デイビッド・ラマ氏です。かっこいいクライマーでした。雪崩だそうです。

April 16,2019 David Lama, Hansjœrg Auer and Jess Roskelley, shining stars of the purest alpine style, were trying to repeat this difficult route in Canada, but a huge avalanche took away them from this World.

https://www.nationalgeographic.com/adventure/2019/04/climber-david-lama-dies-in-avalanche/

心よりお悔やみを申し上げます。

Tuesday, April 16, 2019

ヘルメット要る?イラナイ?

■ヘルメット要る?イラナイ?

ヘルメットはクライミングする限り、どのようなクライミングにも必要です。

例えボルダリングであっても(ボルダリングではヘルメットしないのが普通です)が、本質的には、ランディング時に後頭部をぶつける可能性があるところでは、必要です。ただ、現在、慣習上、しないことになっています。

大体、自分の子どもにクライミングさせるとしたらどうするか?を想像すると、正解が導き出せます。

■ フリー

ヘルメットは、フリークライミングで初期のころに始めた人たち、ヨセミテ派?ボトムアップで登るクライミングしかしない人たちは、しないことが多いです。

これは、墜落がそもそも、ラッペルダウンルートと違って頻繁ではないためと想像できます。しかし、ラッペルのルートでも、被らないクライマーも多いですが、これは逆に大空間があれば、そして墜落をコントロールしているならば、ラッペルのルートのほうが逆に安全だからです。空中にぶらんとなるだけなので。

という事情で、フリーでは被らない派が50%を超えていると思われます。

ヘルメットの要・不要は、一つには、ルートの傾斜によります。寝ていたり、垂直ならばロープテンションで、墜落時は、頭を含む体のどこかを必ずぶつけます。ハングしたルートならば、ビレイヤーが上手ならば、どこにもぶつけないことが多いです。

あとは、ルートのもろさ、ラクが考慮する要素です。

またどれだけ墜落を予想できるか?は、クライマーが落ちそうと感じるか感じないか?によります。

■ 落石

逆にアルパインの人は、ヘルメットを被るのは、落石が当然であるアルパインルートでは、常識です。沢も同様です。

■ あえてしない人 = ただのアピールです

逆に敢えてしない人もいます。この場合は、無理強いはしていません。

というのは、自尊心、も大きな問題で、おれは死をこわがっていないぞ、というジェスチャーをその人がしたいのであれば、してよいと思うからです。

たとえば、私の知っている山やさんで沢でもヘルメットしない人がいますが、一緒に行った初めての沢で、彼の頭の横を落石が通り過ぎていました。上を小動物が通ったためです。

それでもしない。ので、個人の選択の問題です。

■ 落とさない登り

アイスも同様で、アイスでは必ずラクがありますが、本来はアイスはラクを作らないように、氷を丁寧に扱って登ります。落氷は、コントロールできる、というわけです。

それのアピールのために被らない人もいます。

私はバイザー付きのヘルメットで目を保護しています。それでも、顔を切ることは頻繁です。小さい落はしょっちゅうだからですね。

■ 人工壁

人工壁なら、ヘルメット不要かというと、ドライでは人工壁でもヘルメットを被ります。

というのは、人工でも、アックスが自分に降ってくる可能性は否めないからです。アックスは手を離れたら、ただの凶器です。

ヘルメットいるかな?と初めて行くルートの時は思うと思いますが、そういう場合は、ルートを見るまでは、持っていくほうを選ぶとよいと思います。

■ 私の場合

私の場合は、外岩は、トップロープで、ラクがない場合は被らない。リードで、ギリギリグレードにチャレンジする場合は被る。

インスボンでは、セカンドしかしておらず、インスボンは一つの大きな岩山なんで、ラクはほぼないですが、被っていました。

セカンドでも、上のクライマーが重いと墜落時に上に引っ張り上げられたときに頭が何かに激突する、という可能性はあります。

このようにヘルメットを被るか被らないかだけでも、考慮するリスク要因はたくさんあります。

Sunday, April 14, 2019

ヨセミテのクライミング解説

エルキャップフリーソロのオノルド君とドーンウォールのフリーでのトミー・コードウェル・・・どちらも凄いですが、そのすごさが分かりにくいのが現代の事情です。

そのすごさを一般の人にも分かるように解説している解説が出ましたので、お知らせします。

http://cliff.world.coocan.jp/topics/topics.htm?fbclid=IwAR28F0l3qKZ_tPqaV75l215tPGOBPK0bXPDB83uo16hT-4ApVV8LlUDqJoY

Tuesday, April 9, 2019

Mountain - Official Trailer




この映画はDVDで家に買いたいくらいでした。山岳会に来た若い人に見せるべし。

1)登山の初期=山は神か魔物が住むところ=常人でない人が行くところ
2)なので、当時は、達成感以上に、そこへ行くということにある種の覚悟や崇高さがあった
3)ところが危険に対処していくうちに、山は冒険ではなくなった
4)山が劇場化した

5)リスクジャンキー=つららにドラツー。
6)リスクそのものに価値を見出してしまう倒錯者=フリーソロ。
7)美をまとった狂気=ベースジャンプ
8)エクストリームスキー滑降=自己愛と恍惚との引き換え=巨大ブランド宣伝&オンラインビューアップ宣伝
9)エベレスト=普通の人を一瞬だけ普通じゃなくしてくれる山=もはやクライミングでなく順番待ち…。

赤のところが 本質、です。

Monday, April 8, 2019

小松由佳さんの講演会が川口こども食堂であります


以前登っていたクライミングパートナーとのご縁で、小松由佳さんと繋がり、小松さんを川口子ども食堂をされている方にご紹介したところ、講演会の運びとなりました♪

山のシンクロニシティ、素晴らしい~♪

小松さんのご経歴を知らない山やは、モグリですね(笑)。現在は山では活動されていませんが、こちらに経歴があります。アエラ等にも記事を投稿されていらっしゃいます。



Sunday, April 7, 2019

クライミングは遊びです。命を大事にしましょう ー志賀の岩場

こんにちは。Kinnyです。

さて、登山やクライミングっていうのは、とっても楽しい遊びですが、どうも遊びという一線を越えて、なにか別のものをかけるのが、”正しい!それ以外は間違いだ!”と思ってしまう、残念な人が多い業界です。

かけているものの代表は…、ずばり   です。

俺の命なんだから勝手にさせろ~って言ったってね、人間は社会的動物です。一人で生きて一人で死んでいける世界には、そもそも住んでいないんですよ。

死んでから、「岩場が死亡事故で閉鎖になったんで、責任取ってください!」って、地元の岩場管理者に言われても、本人は死んでいるから、責任も取れないでしょう。

さて、このような回覧が回ってきました。よく読んでおいてください。

私が思うには、命知らずなクライミングをしたい人は、自分で開拓しましょう。そうすれば、開拓の苦労が分かります。大変なんですよ。

まぁ、そもそも、プリクリップが必要ないように、確保理論通りにボルトが打てればいいのですが、コスト面や労力を省く面、岩の質や形状の制限、などから、ガバ=ボルトと同等、みたいになってしまい、どうしてもランナウトが避けられないことがあります。

そういうケースでランナウトして落ちても、自己責任と言われます。その場合は

1)プリクリップする必要があると見極められる
2)絶対落ちない登攀力がある

のどちらかである必要があるでしょう。プリクリップをするクライマーを見下す習慣は改めましょう。

その程度の話で見下されまいと頑張って落ちて、怪我したくらいならまだしも、死んだって、他者の意見に左右される幼稚なクライマーだったというくらいのことにしかなりません。

おりしもフリーソロのアレックス君がもてはやされていますが、大学も辞めて通い詰めて自動化がもたらした快挙ですので。同じことができない人が安易にマネすることではないです。

ーーーーーーーーー引用ーーーーーーーーーーー

山岳地帯で行われるアルパインクライミングと違って、スポートクライミングの岩場の多くは人里からそう遠くない所に位置し、ときに地権者や集落の住民などとトラブルになることがある。駐車場問題や糞便の問題、また事故の発生による騒ぎなど。そうして立ち入り禁止になった岩場は数多くある。

そのため、岩場には得てしてローカルルールというのがある。駐車する場所のことや駐車料金の納め方、立ち入ってはいけない箇所、地元へのあいさつ等々。

佐久志賀の岩場にも当然ローカルルールがあり、かつての資料には「絶対に事故を起こさない」「守れなければ使用禁止」との記載もあるくらい事故にはシビアだった。僕らは事故の発生を恐れている。

岩場の「公開」は、ローカリズムに無理解なクライマーが来る可能性を孕んでいる。

よそから来るクライマーにとっては「A岩場が立ち入り禁止になったらB岩場へ行けばいい」くらいの感覚はもしかしたらあるかも知れない。

けれど考えて欲しい。地元のクライマーが地元の岩場を失うことの大きさを。それがどれだけ取り返しのつかない痛手であるかということを。

地元クライマーが大事に大事に守ってきた岩場が、よそから来たクライマーによって台無しにされてしまう可能性こそが「公開」のリスクである。地元クライマーの多くが心配していることくらいは心に止めて欲しい。

古い資料を見たら、プリクリップを推奨する記載がいくつもあった。ああ、こうやって岩場を守ってきたんだなという感慨を覚える。実際、佐久志賀の岩場ではプリクリ棒を多用するクライマーを多く見かける。

岩場を守ることよりも自身のクライミングスタイルを優先し、プリクリ棒をチョンボ棒と言って揶揄するようなクライマーは、佐久志賀の岩場以外に行かれたほうが良いと思う。

ともあれ、佐久志賀の岩場の正式な公開はもうすぐです。詳細はJFAや佐久平ロッククライミングセンターのフェイスブックで確認してください。リボルトは進んでいますがまだまだ追いついていません。古い支点など十分に気を付け、見極めてご判断ください。くれぐれも事故やトラブルの無いようにお願いします。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

⑤ 花もも 出だしが核心 プリクリップを忘れないでください
⑥ レイチェル プリクリップしてください。
⑧ 名前読めず プリクリップしてください。

くれぐれも事故を起こして、岩場が閉鎖にならないようにしてください。

Thursday, April 4, 2019

ヨセミテの歴史が分かる映画をみました




大変おすすめです。ヨセミテの現在が分かる。

ヨセミテの歴史が分かる映画でした。ベースジャンピングでフリーソロの下降手段だったんですね。

しかし、ヨセミテというのは、山旅的要素はなく、ただただ 

 達成感

の世界です。合う人と合わない人がいるだろうと思います。 


Monday, April 1, 2019

アルパインの中にあるマチズモの伝統

■アルパインの中にあるマチズモの伝統

が、アルパインクライミングをしていく中でのリスクの一つだと、今回は学びました。

マチズモは混乱が多い言葉で、例えば、”闘争心”とよく混乱して理解されています。当然んですが、闘争心は必要です。

山でピンチに陥ることはよくあり、その時、みずから負けを選択するような人だと、アルパインどころか一般登山にも、全く向きません。

リスクそのものを理解できない人も向かないですが、やむを得ず陥ったピンチに、立ち向かえない性格の人も向かない。

しかし、イラナイのは、マチズモ。一般には男性のナルシシズム的な解釈をされている言葉ですが、白人男性の不安の裏返しがトランプ大統領の登場だと言われているように、理性での対話を放棄し、単なる力の理論に持ち込むという思想です。

山では、どう現れるか?というと、体力一転豪華主義とか、登攀力一点豪華主義の人です。

つまり、非常に極端な理論を信奉する人です。”登攀力があれば、フリーソロ出来るのだから、ロープはいらない”とか、”登攀力があれば、ビレイヤーは誰でもいい”、という理論です。

登攀力や体力は、実力と同義語なので、実力さえあれば、パートナーは要らない、ロープは要らない、という孤高主義とも似ています。

このマチズモの伝統は根強く、否定しがたいところがあります。

例えば、小さな点では、クライミングで、”迷ったらハードプッシュ”もマチズモ的な力による解決です。

クライマーの中にも色々な主義主張があります。クライミングはムーブだ!という人もいれば、クライミングは結局は保持力だ!という人もおり、そのひとつです。

私はクライミングは、ムーブで解決する、という主義のほうが知的だとは思いますが、ハードプッシュでしか解決できない課題があることもまた事実です。

登攀力も、体力もほぼないに等しい、私のようなクライマーですら、アイスでではありますが、”落ちないところしか登らないからビレイヤーは誰でもいい”という心境に到達しました。そうすると、どんなしょぼいパートナーでも、受け入れることができる、登れる話になってしまいます…。

それは登りたいと思ってもやらないだけの自制心が必要でしょう。

それは、登攀という実力での解決、という意味で、マチズモと同義ですが、現状、存在はするけれども、間違った思想です。できるならその道は取らないほうがよい。

やはり、理想は、パートナーとの協力の体制が作れるというものです。

大事なことは、互いに相手を守りあう、与え合う関係であり、互いが権利を主張し、奪い合う関係ではないということですね。

現代アルパインの在り方

■ 山やとしての在り方を学ぶ

はるばる行った遠征で、岩に取り付く前に、負傷(肉離れ)してしまいました。

そのような場合、どう行動すべきでしょうか?

現代は、そうしたことを教える山の指導者が不足しています。

正解は、負傷者を優先する、です。

まぁ、誰に言われなくても、誰でも分かることだと思いますが。昨今は、分からない人が増えている時代ですので…。




パーティに負傷者が出た場合、負傷者を最優先することが、人間らしい行いです。

各自の都合で、「えー?俺の予定をどうしてくれるんだ」と言うことが、人間性の低いの行いです。

私としては、何度も「歩くのすら痛い」と言ったのですが、相手は「もっと軽症だと思っていた」そうで、良かれと思ってあちこちに連れまわされ、どんどん症状は悪化の一途をたどっていきました…。

私に足りないのは相手に人間性の低い、思いやりの足りない行為、を行わせないだけの自己主張の強さだと分かりました。一般に、上下関係がある間柄では、下からの主張は通りにくいです。

私の足、いまこんなん…。

■ 競争がある社会に後から参加した人は競争の蚊帳の外であること

私は、バレエからヨガに入りましたが、バレエの世界とヨガの世界の違いは、バレエは競争を是とする階級社会、ヨガはそうでないということです。

まぁ私は普通の人がバレエから足を洗う19歳で、バレエの世界に入ったので、バレエの競争的な面は何も味わうことなく済んだのですが。

バレエと同じことが、アルパインの世界にも言えます。

アルパインクライミングは、初登争いの世界、困難追及の競争社会です。

しかし、それは高校山岳部でスタートする人、大学山岳部でスタートする人、そのうちのエリートの世界です。

大人でのスタートですから、いかに私が特急コースで成長したと言え、そんな競争社会とは無縁に過ごしたいというか、過ごさざるを得ないわけですが、なぜかそうではない…(汗)

のは、指導者たちが基本的に、いわゆる”山や”(つまるところの選手とか戦士)を育てるのと同じ育て方をするからです。それしか知らないのですから仕方ないですね。

大学山岳部では、山を何も知らない1年からアルパインのバリエーションルートに連れて行きます。当然、1年はリードしませんが、2年からはそこをリードです。これでは、一年生も2年生も、足腰という基礎力がない状態で、ルートに出ることになります。

それと比べ、一般登山者は、一般登山で足を作る、という基礎を作ることができます。(が、三つ峠に一回行って、次からリードしているのは、1年ー2年をすっとんでやっていることになり、急すぎるかもしれません。まぁ三つ峠はゲレンデなのでいいと思いますが。)

例えば、バレエの場合は、バレエはあまりに難しいので、3歳からスタートしたプリマ候補と同じことを、大人でスタートした人に求めることはありません。最初からコースは別です。

一方、一般登山と本格的登山は、連続的なので、どうしても指導者は、一流山やである自分が通過してきた成長と同じことを、大人でスタートして、どうやっても一流には、もはやなりえない人に要求してしまいます。

中には、昔の山岳会のリーダー程度には成長する人もいます。それでも10年がかりです。4年で大学山岳部は仕上げないといけないことを考えると、倍の時間をかけてよいということで、ゆっくりですが、それでも、その人の最初の資質が大きくものを言うことは変わりありません。資質=才能、ということです。

一般に、”昔の山岳会のリーダー程度の登攀力”とは、5.12程度がリードできることで、それはその当時のトップクラスの登攀力ということです。

しかし、現代では5.12は中級者レベルです。まぁ、トップクラスということで行けば、最低ラインが5.13くらいになってしまいます。

かつての一流、現代の二流、三流、です。

■ 楽しんで登る世界

私が思うことは、大人のバレエには、プロのバレエの世界にある競争がないかわり、楽しんで踊る世界があったということです。

同じように、楽しんで登る山の世界があってもいいのではないか?と思います。

なにしろ、山の一流たちの世界は進化し続けているので、今ではかつて一流と考えられていたルートが、易しいルート、であるからです。

そうした場所が、命がけルート、ではなく、易しいルート、となり、現代の一流まで行かなくても、かつての一流が現代の二流、三流なのですから、普通の人でも楽しめるルートが増えたはずということです。

楽しさを追求できる。他者に勝つ。自分に勝つ。という勝ち負けだけではない世界が出現できる可能性があります。

それこそ、山の新しい価値の創造ではないでしょうか?

ただし、そこには、ただ楽しいだけでいい、とは思いません。

山に対する礼儀として、最低限の知識武装、トレーニング、丁寧な計画、タクティックス、山との対話というものは山の伝統として継承すべきと思います。

冒険、未知との遭遇、困難の追及、山との対話、仲間の尊重、などの山の伝統のすべてのアスペクトから、

 エリート主義
 競争
 マチズモ
 体力一点主義
 栄誉主義

を取り除いたものが、現代の一般市民が楽しむレベルのアルパインクライミング、であると思われます。



Tuesday, March 26, 2019

日本の本チャンは世界でもっとも危ないかもしれないこと

■ 日本の易しいルート=死の危険があるルート

というのは、漠然と知っていましたが、私は、いよいよより正確に緻密に理解しつつあります。

  日本国内の易しい登攀=死の危険がある、危ない登攀だということ。

この理解を助けるのに、そもそも論をしなくてはならないので少しお付き合いください。

   そもそも、登山の本質は、なにか?

それは、

   困難と危険がトレードオフの関係

にあることです。(ここを理解したい方は、『The Games climbers play』をひも解いてください。)

どういうことか?というと、登山というゲームにおいては

 ・易しくなれば、危険になり、
 ・安全になれば、難しくなる、

ということです。

つまり、難しさを受け入れられなければ、要するに危険になる、ということです。逆に言えば、危険を受け入れられなければ、難しくなるということです。

そして、最も危険なのが、”日本の易しいルート”、です。

例えば、ピッチグレードでⅣ級、つまりデシマルで言うと、”5.1~5.9以然”(つまりナインアンダー)のルートは、登攀の易しさを補うために、ランナウトを平気で受け入れています。そうすると、落ちる=死となります。

ちなみに、昔は5.8がリード出来たら、すごい!と言われたそうです(汗)。それは、5.9以上はすべてⅤ級に入り、Ⅴ級を登るということは、結局のところ、当時の当世の最高難度を含むことになるため。

 Ⅳ級がリードで確実になるよう指導を受ける=リーダー候補生、

です。

■ クライミングの楽しさとは?

一方、誰だって登っていて、ホールドがハズれたら、嫌です。そのために落ちたとしても、自分のミスではないからです。なのに落ちれば、大怪我や死のリスクがあります。

  楽しいルートとはどんなルートか?

岩の面がきれいで、岩が固くしっかりしており、てっぺんまで見通せ、最後まで登り切ってヤッホー!と言いたくなるような、きれいな岩。

間違っても、じめじめ、ぬるぬるの苔が生えたところ、なんて登りたくありませんね(笑)。

これは好き好きですが、とは言いにくい話で、まぁ10人いれば9人は

 快適に登れるほうが楽しい

です。まぁ、これは分かりやすくするために極端な事例としましたが、要するに、楽しさには、

 岩登りしやすさ

という要素があるのです。そして、残念ながら、日本の自然条件は、岩登りしやすさ、という面からみると、反対方向に向かっています(笑)。脆い、コケが生える、アブナイ、ということです。

■ この二つの事情を組み合わせると

Ⅳ級で、岩も美しくなく、脆い&悪くて、その上にさらにランナウト(ロープが命綱として機能しない状態)があると、いっくら登るのが、大好きなクライマーであっても、

 何が楽しいの?

となってしまいます。それが日本のナインアンダーのルート事情…です(汗)。

「落ちないからロープ要らない」というのとは、全く話が別なのです。それではエルキャップはフリーソロされたので、全部、残置を抜きましょうという話になってしまいます。

■ ナインアンダーに当たる、易しいルート=本チャン、であることが多いが…

では、ナインアンダーのルートは?と見渡すと、日本では本チャンルートがそれにあたります。

ところが、日本の本チャンルートでは、40年前に打たれたハーケンが古くなり、もう支点としての役割を終えています。

「日本の本チャンルートは、大変危ない状態です」と”2002年”のロクスノに書いてあり、その時点から数えても、すでに17年の経過…さぞかし危なさは増えているでしょう…。本チャンどころかエイドルートも危ないから、いきなりヨセミテのビッグウォールで勉強しろ、と書いている有名クライマーすらいます。

ナインアンダーと言えば、フリークライミングの世界では、まだクライマーとカウントされないくらいのスキルレベルです。つまり、そのような段階の人は、まだまだ初心者。
初心者=落ちる可能性がある。

そんな人が、ボロい支点のところに、行けば?

まだ落ちる可能性がある人が行き本当に落ちてしまったら、それは即、死と結びつくことになってしまいます…。となれば、落ちる可能性がない人しか行けない。

ということで、日本では新人を安全に育てることができる場がないということに帰結しています。

■ 初心者の生命線は海外です

実はこのことは、数年前に私は予見していました・・・。というのは、日本でこの段階をクリアしたクライマーは、ほぼ全員が海外の登攀の経験者、だったからです。

それで安全に5.9(=5c)がたくさん登りだめできる場所として、ラオスに行ったのです。ラオスでは、ナインアンダーと言えども、ランナウトはしていません。課題数も豊富で、毎日5本登っても、10日いてもまだ登れます。

おそらくクライマーの能力開発には、恐怖心を取り除いた状態で、たくさんクライミングする必要があります。

現代の場合、それはジムになっていますね。ただジムクライミングだと岩ではないので、ルートファインディング能力はつきません。つくのはフィジカルだけです。

つまり、日本にいて、ルートファインディングもできるクライマーに成長するのは、状況的に大変、難しい事だということです。

■ 自己破滅的世界への耽美

また昔の日本のクライマーはランナウトに関して、憧れにも似た憧憬をもっているようです。落ちてはならないと思うと、自分でも思っても見なかった力が出る。のは、誰でもその通りです。

しかし、一般的にランナウトというのは、

  やむを得ず、するもの。

やむを得ないで、そうせざるを得ないからランナウトしている、危険である、というのは、致し方なし、となり、”受け入れざるを得ないリスク”となりますが、アプローチ0分、電動ドリルを持ち込むことの困難がほとんどない場所、でのランナウトというのは、現代では

 ただの整備上の怠惰

と結論できます。誰でも犬死はしたくないわけで、そのような怠惰な岩場に行きたいという人が減ったとしても、道理でしかありません。

安全とは怠惰との闘いで、ちょっとした面倒を省くことが危険に直結するというのは、山やの多くが知るところです。

■ 死が必死さを後押しする

昔のクライマーの中には、ランナウト(死)に憧れにも似た憧憬を持っている人たちもいます。その人たちが青春をささげた時代の背景を考えると、そうした憧れを自分の主義主張として、返上できないのも致し方ないと思えます。

そのルートが初登されたとき、ボルトは手打ちで、しかも、高額でもあったのでしょう。したがって易しい登攀で落ちないと思われるところで、ボルトを使うことは浪費に感じられたはずです。そのような事情で、ランナウト(=死の恐怖)に耐えながら登ったおかげで、現在そのルートがある、という訳です。

その精神の在り方に、美学を見出したとしても、それはあながち登山の歴史的観点から逸脱したことには思えません。なにしろ、人間が必死になって登山の地平線を切り開いてきた…というのは、最近のクライミング、ヨセミテのエルキャップフリーソロやドーンウォールなどの開拓にも通じることです。

■ 誰がババを引いているか?

こうしてみてくると、一番のババを引いているのは?

 現代のまだ駆け出しのクライマーで、落ちて死んでいく人たち…。

すでに私の周りに3名、九死に一生を得た人1名がいます。

ロープを出すべきか?出さざるべきか?ということは、ルートが簡単かどうか?によらず、落ちたらどうなるか?によります。落ちたときに危険があるなら、必ずロープを出すべきです。それしないのは、サボタージュです。

しかし、せっかくロープを出したとしても、上記のような事情で、日本では社会的&歴史的経緯の観点で、ランナウトが許容されており、ランナウトしてしまえば、まったくロープの意味を成しませんから、ロープはあっても形だけ(=フリーソロと同じ)ということになります。

したがって、いかに登攀が易しくても、ランナウトしていれば、登るべきではない、もしくは、フリーソロ並みに磨きこんでから、ということが、常識的なクライマーから見ると、当然の帰結です。

■ デッドロック状態

という事情で、日本ではナインアンダーに相当するⅣ級のルートは登られなくなって、ん十年のようです。

このような事情は、私のように言葉にして表現しなくても、なんとなく誰でも分かるものだからです。

結果、面白くもない(=簡単)なところに死の危険を冒しながら行くなんて、よほどのモノ好き、みたいな位置づけになってしまいます。

物好き=アルパインクライマーって帰結…(汗)。

このような膠着状態が、おそらく何十年も続いており、何らかの解決案が提案されているわけでもなく、ルートは往年のクライマーが老いるに任せ、整備が放置され、取り替えるべき支点は朽ちるに任されています。

まぁ、個人ではどうしようもないと思うので、しかたないわな~。


という結論が、大方の人たちの帰結になりました。

■ 自己効力感

このようなデッドロック状態の何が良くないか?というと、クライマーだけでなく、クライミング界全体の、自己効力感にマイナスだということです。

日本社会で一時蔓延した、仕方がない、という言葉に表れる無力感ですね。

クライミングの大きな魅力は、おそらく自己効力感です。


・自分の力でなんとかできる、
・状況打開できる、

という実感がクライミングにはあります。たとえ困難があったとしても、その困難を乗り越える力が自分にある、と感じれることは、ものすごく強い自信になります。

それが失われていいるということです。

私のラオスを考えても、旅のプロセスで様々な困難に直面したものの、すべて私の社会的な能力、語学、経験、そういうもので打開でき、それは楽しく海外登攀が貫徹できたのでした。能力をフルに生かすと人間はとても楽しいのです。

■ もう落ちないけどさー

さて、私自身は?というと、2度のラオスや韓国の登攀が功を奏して、今では初心者ルートで落ちることは無くなりました。まぁ、もうⅣ級では落ちないでしょうね。

したがって、Ⅳ級なら行けます。

しかし、そのような危険な状態にあるⅣ級に行くべきか?というと?さてどうなのでしょう?

行ける能力がある、ということと、行きたいという欲求があることと、行くべきという義務があることとは、それぞれ全く違います。

危険で易しいルートに関しては、能力があっても欲求がない…というのが、大方のクライマーの帰結であるようで、その帰結に私も来てしまったようです。

あーあ、せっかく登れるようになったのに、ご褒美なし?

というわけで、これまで5年間の努力はなんだったのか?


ご褒美がないじゃないか!という帰結になってしまったわけです(笑)。

まぁ、それでもご褒美を求めて楽しいクライミング遠征に行くんですけれども…

Wednesday, March 20, 2019

初登ルートの保存と確保理論踏襲の両立

■初登ルートに色を付けたらどうでしょうか

ふと思ったのですが、昔の人は電動ドリルがない時代に初登したのですから、Ⅲ級やⅣ級ランナウトは、ギアの配分等、色々な面で受け入れざるを得ないリスクであったのではと思います。

そして、ボルト間隔は、「そのリスクを受け入れてまでも登ったんだよ」ということを示す貴重な証拠。

ということで、”初登のボルト間隔を後世に残したい!”というのは、

”苦労を理解されたい”&”受け入れたリスクの大きさを理解されたい”

という切実な願い、であると思います。 

ランナウトしたスラブのルートは、ボルトを打ってしまえば、ただのとっても楽しいルート、になってしまいます。つまり、挑戦がないってことです。

それは、それで、山の両面性という重要な側面を教えそこなうかもしれません。

とはいえ、現代の感覚では、アプローチ0分の岩場でボルト節約なんて、基本的に怠惰と言われても仕方ありません。

しかし、かける必要自体が希薄なところで命がけになるというのは、知性に欠けますし、無駄な死を誘発します。

ので、後世にとって命の危険があるのは良くない。

というか後世の人たちにとっては受け入れがたいリスクでしょう。

背景が昔とは違うからです。

■第三の解はないのか?

そこで、第三の解はないかなと思ったんですが、初登のボルトの位置に赤ペンキしたら、どうでしょうか?

そうすれば、初登の時は、こんな遠くにしか打てなかったんだ~昔の人はすごいなーと登った人は思うでしょう。

イラナイという人は、自己判断で、安全のためのボルトは飛ばせばいいですし!

山は自己責任と言われますが、もし自己責任であるのなら、「困難」というよりは単に「危険」というようなところには行かない、というのが、普通の人の理性的な判断になるでしょう。

■ 外国人を連れてはこれないルート

やっぱり、今のままでは、日本の岩場は世界にお披露目するには、恥ずかしい…かもしれません。

今度、訪ねてくるアメリカ人の女性は、台湾の岩場では5.12まで登っていましたが、15mもランナウトした5.6には、絶対に連れて行けないと思いました…。はるばる遠くから日本に遊びに来てくれたのに、そんなところに連れて行ったら、怒っちゃうと思います。

こんなところ登れってか?って感じですもん… 遠回しに、”さあ、落ちて死んでもいいよ~”って、言われている気分になっちゃうと思います。 

それか、挑戦状たたきつける、みたいな感じ?

というので、やはり ”おもてなし”という精神とは真っ向反対になってしまいます…

しかも、実際、15mランナウトのトラバースで落ちた人いるみたいですし…。

岩場が誰もが登りたくなるような真っ白の花崗岩とか魅力にあふれた場所であるなら、自然と有名になって、ランナウトさえも魅力というか、あばたもえくぼ、みたいな感じ、つまりヨセミテみたいになるかもですが…。

そこまでの魅力がない岩場だと、やはりその立場は練習場、ゲレンデということになると思います。

そういう場合でなくても、やはり、初登者への敬意を求めるならば、その要求とやはり同程度には、後ろに続く人たちの命への配慮も必要かもしれません。

相手と自分を同じくらい大事にする、ということです。

車で横付けできるようなところでは、穂高や滝谷とは違うのですから、ある種、練習場としての役割と割り切りが必要だと言えるでしょう…


Tuesday, March 19, 2019

連れて行ってあげたいの連鎖

■ 愛で紡ぐ山

最近、いつも思っていることがあります。それは、連れて行ってあげたい、という気持ちが連鎖していくのが、本来あるべき山の成長のプロセスで欠かせないものではないのかな、ということです。

新人さんが来たとします。すると新人さんは一生懸命でしょう。そして、新人としてきたからには、行きたいところ、があってのことでしょう。

それにつれて行ってあげられるかどうか?

それは、そもそも、その新人さんの実力次第であると思います。まぁ、実力がきちんとあったとしましょう。

そうすると、先輩たちは来てくれたんだから連れて行ってあげたい!とたいていの場合は思うでしょう。

実力未満だったら、実力がついたら、ぜひ連れて行ってあげたいと思って実力がつくようなルートを提案してくれるでしょう…

というので、結局、連れて行ってあげたい!ということがいつになるか、その早い、遅い、はあったとしても、ぜひ連れて行ってあげたい、山の世界を見せてあげたいという気持ちは、あるでしょう。

決して、それは、”どれどれ、お手並み拝見”みたいな気持ちではないと思います。さらに言えば、”ふーん、あっそう”みたいな気持ちでもないと思います。

最初に、”俺は登れるぜ!どうだ~”みたいな新人さんもいます。もちろんやる気がある、向上心がある、というのは大事なことですが、あまり登れますアピールが強いのも。

そうなると、連れて行けるところどころか、”連れて行っても、落ちられるかもしれない”と心配になって連れて行けないかもしれません。イケイケというのは抽象的な言葉ですが、実力を過信している人だと、どうしても、事故のリスクが増えます。

そうなると、今度は、レスキューしてあげなくてはいけなくなります。

というので、心配に…

やはり、山というのは、憧れ、それに向けて努力して、そして、どきどきしながらチャレンジして、チャレンジしたらあっけなく登れた、というのが、あるべきプロセスのように思います。

予想がゆとりがあるほうに外れるほうが安全です。したがって計画は弱気に。

しかし、弱気すぎてもいつまでも成長できないので、先輩は、そこを埋める存在として、その人に行けるだろうけれど、本人が行けないと思っているようなところを案内するはずです。

私は初めての本チャンの前穂北尾根は、もう、とんでもない九死に一生みたいなところに行くんだと思っていました…行ってみたら登攀はあっけなく簡単でした…あれ?みたいな。

でも、色々なことが分かって、それまで怖かった山が怖くなくなったのです。

なので、それは、やはり、先輩が、連れて行って見せてくれた登山の地平線の進化でした。

「連れて行ってあげたい」それが先輩から後輩に連綿と受け継がれていくのが、登山って気がします。

そうやって人類は歩けるところの地平線をじりじりと広げてきたのかなぁって…そういうタペストリーの中にいる、ということは、とても光栄なことだなぁと最近、とても感謝しています。





Tuesday, March 12, 2019

自分さえよければほかの人はどうでもいいという態度がはびこっている世界


ーーーー引用ーーーー
ノー残置も大切なことかと思いますが、夏でも冬でも、初心者と一緒に練習的な気分で取りつけるルートがだんだんと少なくなっているように感じられる昨今です。

このようなルートで先人たちに連れられて、エイドを登る技術を身につけたり、フリーにはない、エイドの楽しさを感じたりしたことがあったように思いました。

それらを今、伝承したいと思ったときに、良いルートがありません。

昔はエイドで登られていたルートなら、フリーで登れても、残置を撤去してエイドできなくしてしまうことがないようにしてほしい。

とくにそのルートの残置にさんざんお世話になっていながら、上手くなったら、すべて残んち撤去して、まだ取り付いたことのない者が取りつけなくなるようにしてしまうのは、「強者の論理」だと思います。

ーーーーーー

まさしくその通りで、このためにアルパインクライマーが増えず、山から徐々にステップアップしてきた人が、そのままフリークライマーになってしまう結末になり、結果山からは遠くなり、ただのゲレンデクライマーに落ち着いてしまうことになるのだと思われます…。

それもこれも、自分さえよければ、ほかの人のことはどうでもいい、という強者の論理のためだったとは。

Tuesday, March 5, 2019

クライミングテクノロジーの Easy Move





このブログでもお勧めしていたCTのロープクランプの上級モデルですね。機構が少し複雑ですが、固定する機構が増えています。荷重しなくてもロックされたままにできる。解除がより難しいとも言えますが…。

Saturday, March 2, 2019

花の山は岩の山

■ 花と岩

昨日は、とある奥地へ、フクジュソウを見に出かけた。仰烏帽子山と兎群石山だ。

花の山は、岩の山であることが多い。それは、アツモリソウの保護活動をしていたころ、三つ峠で覚えた。

劔で落石で亡くなった新井さんはれっきとしたクライマーだった。高山植物の図鑑を出すカメラマンへ転向した人だった。逆に言えば、高山植物カメラマンはクライマーでいる必要がある。

高山植物…珍しい植物…というのは、基本的に競争に弱い。競争に弱い植物は厳しい環境に耐えるほうを選ぶ。結果、他の植物が嫌う貧栄養の地…岩っぽい山ということになる。

■日本における秘境

今回は、フクジュソウの仰烏帽子山(のけえぼしやま)を選んだ。九州でも秘境の五木は自然が多く残されているのではないか?

西へ西へと文明を進めたアメリカと異なり、日本の場合、未開の地というのは、海から遠い内陸部、という意味だ。

手つかずの自然を求めれば、内陸部へ行かなくてはならない。交通の便が悪い、ということが一つの条件ですらあるようだ。

それは、多くの場合、落人伝説の地と重なることが多い。400年前に追っ手を逃れて逃げ延びた人たちがたどり着いた土地は、今日、自然を求める人が落ち着く先と似ているのだ。過疎とか限界集落という言葉はネガティブな言葉だが、実は、そのおかげで自然が残ることが多い。

ということで、平家の落人伝説が残る秘境の五木とスプリングエフェメラルを合わせてみた。

■ 読図と岩場偵察

花を見る山というのは、昨今、一般の人たちのためにほとんど歩かずに行けるように整備されていることが多い。本格的な山をする人にとっては歩き足りない、物足りないことになる。

行くのに交通費がだいぶかかるのに、歩くのがほんのちょっとでは元が取れた気がしない。そのあたりの感覚は、一般の人の正反対で、歩かないで済む山など、価値がない、というくらいなのだ。

そこで読図を組み合わせることにした。読図力というのは、なかなか得難い能力だ。一言で言えば、不確定要因を含みながら進む能力、ということになる。万が一というときに命を助けるのが読図能力…道なき道を行き、文明へたどり着く能力…だ。

読図力をすり合わせするには、比較的小さい山…本番ではない練習に適した山…が必要でだ。花の山は林道が整備されている。失敗に対する保険付き。やりやすい。ちょうどよい機会だということで、読図を組み合わせることにした。人の知らない尾根にフクジュソウが咲いているかもしれないという下心もあったかもしれない。

椎葉谷口から馬蹄形にP1206、P1186のピークへ南下し、登山口に円を描くように戻るという方法を考えた。

また、五木の岩場で、まだら岩、天狗岩、という2か所の岩場の偵察も組み合わせることにした。山が小さくて、物足りないことが分かっていたからだ。

■ メンバー

メンバーは読図なので2名より多いほうが好ましく、3~4名が良い。一般ルートではだれも通らないので助けが呼べないという事態は考えにくいが、読図ルートで事故となると誰かが偶然通りがかるということは考えにくく、リスクに対する備えが2名では不十分だ。

かといって大所帯は小回りが利かない。正しい意見が聞き届けられず、収拾がつかなくなることが多い。例えば、オーソドックスではない独自のおかしな主張をする人…たとえば、眼前に見えている尾根を読まずに、GPSの軌跡をたどろうとする人…など、おかしなことを始める人がいたとしても、メンバーの数が多いと上手く行かない。「それは変よ」と指摘する、まっとうな”善玉菌”に対して、意見する能力がない”日和見菌”的な人が増えてしまい、”悪玉菌”を抑えきれなくなるのだ。これはどうも日本独特の文化的リスクらしい。

そこで、植物学に詳しいS氏をメンバーに同行依頼することにした。Y氏を含め、3名で出かけた。山としては小粒だったので、疲れるとすれば、ほぼ運転だと思われた。

■ 当日

運転時間から逆算して、朝は6時出発とし、5:45にS氏を近所のコンビニでピックアップ。Y氏の自宅へ向かう。そこからは高速道路で、ほぼ難しいことは何もない。

途中、高速道路のPA情報を得るために、カーナビを設定したが、全く役立たずだったのが、可笑しかった。役立たずどころか、ナビに従うと害があるくらいなのだ。早くグーグル地図をナビに表示できるようにしなくては。

高速を降りてすぐのコンビニで食料を調達するのをしなかったら、現地では周辺にコンビニがなかった。が、朝9時到着では、普通のお店はどこも開いていないのではないか?と思われた。

■ ヤマメ

結局のところ、この日からヤマメ漁が解禁だったらしく、五木の道の駅では駐車場が混んでいて驚いた。春だ。ちょうどよく、手作りのおにぎりとお惣菜のお弁当が、たったの300円で売っていた。コンビニなどよりうんと良い。うれしくなった。

もうおとどしになるが、魔法のように魚を釣り上げる青ちゃんが、釣りの腕前を披露してくれたことを思い出した。ヤマメ漁に連れてきたら喜ぶかなぁ。

同行者は「釣ったら食べなきゃならんからなぁ」とか本末転倒なつぶやきをしていた。

食べるために釣るので、食べなければ釣らないというのが釣り師の生業と思っていたが、あとで、この地域の解説を読むと、”キャッチアンドリリース区間”と書いてあり、同行者のように釣るという行為自体を求める人が多いということが分かった。

食べないのに釣るのは残酷なように思われる。スポーツフィッシングということなのだろう。それは昨今のスポーツクライミングにも通じる、現代的な価値観の変遷のようだ。

さて、道の駅で登山口情報を聞くと、椎葉口は使えないそうだった。

結局、この情報のために第一登山口から稜線へ出て、稜線から仰烏帽子岳、兎群石山山頂を踏み、帰りに仏石に立ち寄るプランになった。

帰って考えてみれば、兎群石山から、一つ尾根を読図して、仏石に降りることを考えればよかったのだが…。累積標高差が増えるが、まぁ、このメンバーだったら問題はなかっただろう。小粒でも読図が入るほうが楽しい山ができる。

臨機応変に山を充実させる、ということには、一つの課題が残ったということだ。

■ 崩落痕を歩く第一登山道

朝、登山口につくと先客は2台だった。第一登山口からの登山道は、”登山道”という整備を前提とする道としては、かなりひどいもの、で、ほとんど沢の崩落痕を歩くのがスタートだった。

基本的に沢というのは、山の下水道、であることを改めて確認した。雨水が山を削る、という造山活動の現場ということだ。

しかし、そのような土地を好んでフクジュソウは咲くようで、この道は素晴らしい花の道だった。

しかし、道が悪く、落石を起こさず歩く配慮とぬかるみを滑らず歩く配慮のために、道へ注意力が向き、後ろからS氏が声をかけてくれなければ、フクジュソウの大群落も気づかぬまま通り過ぎることになりそうだった。

S氏は、花や自然にとても詳しく、1時間の道のりも3時間かけて歩ける人だ。そのため、この読図山行では、時間がかかる可能性を配慮して、距離自体が短くなるようにしたほどだ。

見上げると苔むした古い崩落の斜面一体に、フクジュソウがあちらこちらに咲いていた。あそこにも、ここにも、ということで、宝探しから、一気に楽園を見ることになった。一度、脳がフクジュソウを見つけるようになると、どんどん見つかるのだ。

懸案の道の悪さも、沢の二又を超えたあたりからは解消した。平坦で楽な道のりに変化し、のんびりとフクジュソウを眺めながら歩く、機嫌のいい小川沿いの小道となった。

稜線に上がるあたりで11時だったので、そこで一服することになった。スタートが9:30だったので、1時間半で稜線だ。少し食べたり飲んだりもする。

尾根に上がると、ピークを巻くように平坦なトラバース道続く。石灰岩が突き出た大地に植えられた檜の樹林帯の中だ。ここは、ぬかるんでおり、滑るのが怖かった。

しかし、尾根沿いも歩けそう。からっとした、広葉樹の木立のなかの日向の道は、針葉樹林の薄暗い中よりも快適そうだった。尾根を歩きたい!と思ったが、時間的なものもあるので、今回は遠慮した。尾根を選んだハイカーもいたようだった。

トラバースなので、あまりアップダウンもなく、12時前に仰烏帽子山山頂に到着。ここは、非常に登山客が多かった。休憩するには適しているとは思えなかったので、7分先の兎群石山山頂へランチ休憩とすることとする。

行くと、鹿の食害に生き残ったと思われる、あけびが樹林化をスタートしたばかりの、石灰岩がウサギサイズ?に飛び出た山頂で、今回行かない判断になった読図で使いたい尾根がきれいなカヤトの歩きやすい尾根であることが目視できた。サイズは小粒で、丹沢サイズだった。

■ 尾根のサイズ

サイズ感というのは重要で読図山行で、尾根やピークを見慣れていないと、ちょっとのつもりが1時間かかったり、見積もりが外れることが多くなる。

これは、慣れの問題で、慣れを維持するというのも、山やの”精神的な活性度”の問題で、山と接している時間が少ないとすぐに不活性化してしまうものだ。ここ2年ほどはかなり不活性化していると思われ、今回はどうかな?と思いながらの山だった。あまり感性が鈍っていないことを確認できてよかった。

さて、あたたかな日差しの山頂でのんびりした後は、往路を仏石方面へ向かう。よく考えたら、読図で近道すればよかった。この時は発想として思いつかず、往路を素直に戻ってしまった。

電子的に地形図が取得できるようになり、印刷された地図を買わなくなったが、このような時に備えて、大きな紙の2万5千の地形図は持っているべきだった。地図は用意していたが、必要なエリアのみだったため、プランの再検討が必要な時に役立つことがなかった。これは反省点だ。

■ 登山客

さて、順調に下り、分岐で13:13.仏石に到着すると、ものすごくたくさんの人々であふれていた。どこかのツアーのようだった。フクジュソウが目当ての人たちは、ほとんど第二登山道から登るらしい。

私たちパーティが現れると、途端におばちゃんたちはツアー客独特の自意識過剰へ陥り、わざとこちらへ聞こえるように自己弁護的な言葉を投げかけあっていた。

自己弁護しなくてはならないような山しかできないのが気の毒ではあるが、どこかで独立して行動できる人種と、独立して行動はできない人種が分かれる。どんなにおばちゃんたちがこちら側に来ようとしても来ることは絶対にない。

それは、前の山岳会で、”金魚の糞でついて行くこと”が山だと勘違いしてしまった、山おばちゃん登山者を、そうでないまともな登山者に”教育”しようとして挫折した経験から学習した。

私は、読図山行の伝達講習からスタートして、厳冬期の金峰山までおばちゃんの高齢の後輩を指導したのだ…それでも、彼女は東西南北すら理解することなかった。意識を持つことができなかったのだ。一番の大きな問題は依存心だと思っていたが、それだけではないと思う。

ある種、思考のシステムが全く違い、どんなに互いを理解しあおうとしたところで、絶対に平行線のまま、かみ合わない。それは明らか過ぎるくらいに分かる。同じ場にいたとしても、山のスタイルが違うだけでなく、思想そのものも全く異なるのだ。

■ 仏岩

仏岩はぐるりを回ってみたら、南面は堅牢でガバが多く見出せそうな、90度あるかないかの適度な傾斜の岩で、開拓したら登るのによさそうだった。ぐるりと周回して岩場を偵察する。隣の岩はさらによさそうで、楽しいクライミングができそうな適度なサイズ感の岩場だった。しかし、ここはフクジュソウのために岩場に名前がついているほどだから、開拓可能性は低いだろうと同行者Y氏と話しあった。

さて見るべきものは見終わったので、あとは下るだけとなる。行きに使った崩落激しい沢沿いの道を落石を起こさぬよう、用心しながら下った。

途中で湧水が沸いている最初の地点で、おいしい水を味わった。夏場の山で、水が切れて、のどがカラカラに乾いた話などを互いにしあう… 

一般登山者が山歩きをスタートするころ、山やにとっての尾根歩きの山は終了する…のは、夏の尾根歩きは暑くてやってられないからだ。暑いだけならまだしも、水場が枯れてしまい、水は得難くなり下からの担ぎ上げとなり重いだけだし、脱水は健康にも良くない。夏の尾根は暑すぎて花という見どころもほぼないことが多く、労多くして得るものが少ないというのが大抵の山やの勘定だ。

すると、カネのない者は沢に傾倒することになる。本来、夏は涼を求めて、標高か水をもとめる時期なのだ。カネのある者は標高が高い山へも行けるが、これはカネだけでなく休みの有無も関係してきてしまう。近所のゲレンデでは、岩はフリクションが悪く、快適な登攀も望めないことが多い。となると沢だろう。

もちろん、標高が高い岩場は、夏場こそ登り時なのだが、これは本チャンと言われて夏山の気象にも影響されるし、結構命がけなので、そうそう本チャンで山に入りっぱなしということは考えにくい。となると、夏山は登山客だけの山となり、割り切って小屋でバイトしたり、ガイドをやったりして稼ぐ時期とする山やも多い。山や稼業は季節労働者なのである。

現代生活では、季節に合わせて生活を変える、ということは忘れ去られているというか、季節を克服する、ということに都会では焦点が当てられているように思うが、山やの発想は、その季節でしかできないことをする、季節のメリットを捕まえる、ということで、そこが都会生活者と違うことだ。

暑いなら、暑さをネガティブにとらえるのではなく、水遊びのチャンス!と捉えるわけだ。寒いなら、アイスのチャンス。雪が降ったらラッセルのチャンス。気候が良い春秋は行楽のチャンス。人間主体ではなく、自然主体の思想がある。

夏は何をして遊ぼうか?というのが、当然我々の会話になったが…楽しい沢ということを、九州で、と考えると祝子川が思い当たる、となり、では皆で行こう!ということになった。
山やの基本的な思想が合う者同士だと、結局のところ発想は同じで、暑くて死にそうな夏の日に、骨まで凍えそうな冷たい沢の水の中へドボンとする清涼感に今から憧れている(笑)。

■ 荒廃した登山道

とはいえ、目の前の荒れた涸れた沢はラクを起こさないようという配慮に気が抜けない…

こんなところ、年配のおじちゃん、おばちゃんが通っても大丈夫なのだろうか?というとおそらくNoだろう…

とはいえ、この道を選ぶ登山者はほとんどいないようだった。多くの一般のハイカーは、第二登山口のようだ。

仮にS氏が第二登山口を見たいというが、車が大きかったため、すれ違いの労を惜しんでいかないことになった。運転があまり上手でなく申し訳ない。

■ 天狗岩偵察

偵察で、天狗岩へ出かける。途中で道迷い1か所。田舎の道路はほとんどが一本道で判断が必要なポイントが少ないわりに、一回のミスで走らなくてはならなくなる距離が長い。

天狗岩は、巨大な洞窟が特徴的な、大きな石灰岩の壁で、同行者によると2ピッチはありそうだ、とのことだった。80~100mくらいか。 しかし、下から取り付くにも、案内者が欲しいような感じだった。どこかに古いルートはあるらしいが。あまり登攀の可能性は感じられない。

私は早急にドライが練習できる場所を発見したいのだが…。

あとは来た道を温泉めがけて戻る。五木の道の駅付近の温泉で汗を流したが、これは塩素入りの風呂で長居は無用の湯だった。

Y氏は湯上りに一杯ビールを。運転がない人の特権で私もノンアルコールビアで一杯やった。

帰りは渋滞も高速を降りての一瞬で済み、運転3時間で到着。3時間の道のりは、そう秘境とも言えない。

今回は不案内な土地での山で、冒険度は足りないが、最初の出だしの一歩として、あまり冒険度を向上させなくても構わないだろうと思えた。一日の行動を共にするという行為が重要だったからだ。

 五木村の道の駅は車中泊が可能だそうだ。
 時候柄、おひなさまが飾ってあった。
県立ということで管轄は県のようだ

盗掘を警告する看板が最低でも5つはあった。

よほど盗掘者が多いのだろうか?

山梨では盗掘は罰金だが、長野では山から何かを持ち出すことは生活の一部であり、罰金はないそうだった。山で暮らす人=貧しいという構図だったのかもしれない。もともと、非貨幣経済を実現するのが山だったわけだった。

 荒れた第一登山口
 苔の中に咲く。
 キンポウゲ科で、日が当たると開花する。

https://48986288.at.webry.info/200903/article_1.html

がくをみないと、ミチノクフクジュウソウとフクジュソウを同定できない。
 このように群落になっているが、これでも最盛期は過ぎていたようだ。
 石灰岩で登りやすそうな岩が仏岩付近にある。
天狗岩。これは大岩壁であった。登攀は2ピッチ。
















■ 役立つサイト

椎葉谷側から、周回コース
登山口情報

その他のフクジュソウの山
岩宇土山 来年はこっちですね!

■ 2000円で泊まれる宿
http://www.geocities.jp/itsuki_mura/oyado/index.html

Tuesday, February 26, 2019

900mのハイボルダー エルキャップフリーソロ

■ フリーソロとインドアボルダリング

”フリーソロ”と言うと、山の世界では、ほとんど”命知らず”と同義語になっています。

”命知らず”なだけではなく、”非常識”などもセット販売。

でも、実はみんな、フリーソロ、いつもやってる…(笑)。

それは、ボルダリングです。インドアジムでボルダリングしている方、呼び方が違うだけで、それはフリーソロと同じですよ(笑)

フリーソロとは、

・ロープをつけない
・ハーネスをつけない

クライミングのことです。

インドアボルダリングは、基本的にフリーソロです。ただし下にマットがあり、インドアなので、高さは高くてもせいぜい5mです。

■ 外岩ボルダリング

インドアボルダリングのクライマーが、外で同じことをすれば、それはだいぶ大きな進化です。

外岩ボルダリングとインドアボルダリングの違いは?

クラッシュパッドに着地 vs 30cm厚の分厚いマットに着地
ホールドを自分で見出す vs プラスチックで色分けされたホールド
高さは色々       vs 高さはジムで設定
アプローチも歩く    vs アプローチなんのこと?
マントリングあり    vs 終了点でジャンプオフ、もしくはクライムダウン

基本的に外に岩でもっとも面食らうのは、ホールドでしょう。自分で見出す、ということが必要です。一般に、ルートファインディング、という言葉で言われています。ボルダーは、とても短い数手のルートファインディングが必要です。

が、誰か仲間と行けば、たぶん、先に登った人が教えてくれるので、問題なしです。というかルートファインディング力はつかないということです(笑)

落ちる場合は、クラッシュパットの上に、上手に着地しないと、アブナイです。クラッシュパッドの厚みは15cmくらいですから、あまり高いと衝撃が強いですし、スキマに落ちて捻挫はよく聞きます。

この現象を見て、ロープクライマーは、やっぱりボルダーのほうがアブナイ、などと思ったりします。

■ ハイボルダー

この外岩ボルダーのカテゴリーの中に、ひときわ大きな岩、ハイボルダーがあります。

ハイボルダーというカテゴリーは正真正銘、”命知らずな方向け”とされています。

日本では、室井登喜男さんなど、マットを使わないで登っています。

それでも、20m超えるハイボルダーがあるのかなぁと思いますがどうなのでしょうか?

■ ビッグウォールのハイボルダー化=エルキャップフリーソロ

さて、アレックス君が登ったエルキャピタンは、約900mの壁です。

私が去年、師匠と登りに行ったインスボンは、250mの壁です。約4倍。

インスボンでも落ちたのは、1、2回です。しかし、ロープをつけていなければ、一度でも落ちれば死ですから、私は2度死んだことになりますね(笑)

■ 偉業を理解する

最近、小さい岩場で10本ノックをしました。登攀のトータル距離は100mくらいです。

私はへとへと。まぁ距離を登る登攀が久しぶりだったということもありますが。半日で100mです。

一日だと200m。私はクライマーの中では女性で体力がないほうに入りますので、例えば、体育会系の鍛えた男性とだと体力差は歴然です。

仮にそういう強い人が、一般女性の倍強いと仮定して、400m、8時間。 

ちなみに世界を震撼させたアレックス君は、900mを登るのに3時間切っています。

アレックス君の偉業を語るとき、落ちれば死、落ちなけば偉業ということで、オールオアナッシング的な面、フリーソロという極端なスタイルの賛美だけが主体で、具体的なすごさが伝えられていません…が、このような比較で分かってもらえるのではないでしょうか?

あいまいに、すごいすごいというだけで、すごさの具体的内容を伝えられないマスコミがちょっとイケテイナイなぁと私などは思います。

■ ボルダリングはフリーソロ

ちなみにフリーソロがすごいと言われますが、インドアのクライミングジムで行うプラスチックホールドを登って遊ぶボルダリングジムは、フリーソロです。

だから、一般人のみんなもいつもフリーソロしている(笑)。

しかし、ジムの壁の高さは、大体5m程度です。5mでも、高所恐怖症の人は高いと言って怖がります。

これを900mでやってしまったというのがアレックス君の偉業です。

ジムの壁を3時間ぶっ通しで落ちずに登る…易しい課題から難しい課題へ。

これをやり続けていけば、エルキャップフリーソロが見えてくるのかもしれません。

若いクライマーの皆さんは頑張ってください。

ちなみにアレックス君は、ベジタリアン、です。

Monday, February 25, 2019

那須岳雪崩事故 被害者のページ

■ 那須岳雪崩事故の被害者ページを見つけました。

https://nasu0327.com/page-148/

この事故は、一般的な山ヤの感想としては、雪崩岳を少しでもかじった人であれば、雪崩は予見でき、このようなルート取りや、よくわからない言い訳など、考えられないというものです。

引率者たちが全くの素人レベルで会ったことをうかがわせる事故、事件だ、というのが一般的山ヤの見解ではありますが…

こういう事故が起こりうる社会システムがあるところが、基本的に日本のアキレス腱となっているかもしれず、また確実に言えることは、事故が起きてからでは遅いということです。

各自で自衛するしかありません。指導者がダメならば、指導者を凌駕する知恵や知識をみにつけましょうということです。

■ いったん失われた命は戻らない

結果とリスクを分けて考える、ということが山では一般的です。

例えば、落ちて死ぬところでは、どんなに登攀が易しくてもロープをつける。

ということは、結果(の重大さ)、と リスク(の低さ)を分けて考えています。リスクは低くても、起きる結果は重大、という事象です。

しかし、一般に、一旦事故になることの結果が重大でも、リスク(そうなる可能性)が低ければ、ロープはつけない、とする態度が日本の登山の世界では一般的です。

分かりやすく言えば、シートベルトに相当するかもしれません。シートベルトの着用が義務付けられたのは、今の世代は最初からそうだったかもしれませんが、私が子供のころはシートベルトは任意着用だったように思います。

また子供を膝の上にのせて運転することも、問題視はされていなかったように思います。

問題が起こらなければ、なんでもないこのような些細な安全対策も、今では、誰もが当然のように行うことになりました。

これは、何かが起こった時の結果が重大であるので、そうなる可能性は小さくても、その可能性を補填する、ということだと思います。

■ 雪崩

雪崩というのは、自然界では、あちこちでそれこそ、しょっちゅう起こっている事象だそうです。

雪崩が起きやすい傾斜、というものも言われますが、斜面があれば、すべて雪崩れると思え、というのが基本的な山ヤの態度です。

なので、雪の山に入るのに、雪崩の知識を得ないで入る、ということがそもそも理解不能ですし、雪崩があるとしたら、どこが起きやすいか、というのは、一つ一つの山に固有なので、その山で過去に起きた雪崩事件は、たぶん知ってから入りたいと思うはずです。
当然、遭難の事例を調べるなどします。

この調べるプロセスで、人が介在した雪崩事故は記録に残されるが、人的被害がない雪崩はどこにも記載されない、ということも理解するようになります。要するに、雪山でデブリを見たら、それは雪崩の痕で、それはそれこそあちこちにあります。

普通の人は、この時点で、自分には雪崩が起きそうな箇所が見極められる経験値が足りない、と実感することでしょう…。

そうであれば、比較的安全と思われる日に、どこが雪崩が起きる可能性があるのだろうか?デブリはどこにあるか?という目で、雪山を見る習慣をつけて、雪山に入る場合は観察が主な関心となることでしょう。

そういう関心をもってして雪山を見れば、状態が一様ではないことは、数回の山との接点で明らかなので、観察量の不足、つまり、経験値が溜まっていないことを感じるでしょう。

となれば、リスクに十分に備えたとは言えないという自覚が生まれるので、それなりの緊張感をもって雪山に入ることでしょう。

那須岳の雪崩事故については、この緊張感が皆無、という点で、山やの起こした事故とは全く本質が異なり、単純な無知と行政の責任逃れを露呈している事件にしか思えません。

このような態度で国民は接せられているという事例で、対策としては、自衛する以外あるのだろうか?というのが私の感想です。

人命という大きすぎる犠牲を払っても、国民が全員戦死するまで戦争を辞めない、というか辞めることができない狂信的な国だったわけですから、同調圧力の強さは並ではなく、人の命を何と思っているんだと糾弾したとしても、和の精神というものは裏を返せば、責任の所在をあえて不明瞭にしてしまうことだ、ともいえるわけなのです。

このような場合は一人一人が賢くなり、知識武装するのが、唯一個人が取りうる自己防衛手段と言えるのでは?と思える事件でした。

亡くなられた方のご冥福を心よりお祈りしています。

また残されたご遺族への誠実な謝罪、このような愚かなミスを繰り返さない対策が施されることを切に願います。




Wednesday, February 20, 2019

ビレイループはちぎれる!トッド・スキナーの事故

■インスボンで…

韓国インスボンで、私がギアを落としてしまい、それを拾いに下降した。すると、なんと落としたギアではなく、ちぎれたビレイループを発見した。

古くなったハーネスを皆に指摘されながら、「大丈夫、大丈夫」と言って、買い替えないでいた相方が真っ青になっていた(笑)。

事故の話は当然知っているが、ビレイループってホントにちぎれるんだ~ 

そして、その後すぐに旅の帰りにハーネスを新調した。

■ ビレイループ2重

この話を先日、一緒にいたベテランにしたら、自分のハーネスを見せてくれた…

なんとビレイループ、もう一個手作りのループが付け加えてあった。

50年山をやって、死なない秘訣は、ここにあると見た。


https://www.climbing.com/news/loss-of-a-legend/?fbclid=IwAR0rpmomib5T67a4IHApdd-QY6OHjs0G6caX_B-Xref3Ocxz7_i8RjN9Q2c

Tuesday, February 19, 2019

分かっていないクライマー事例

■先日見かけた自立していない初心者

先日、とある岩場を登攀中、隣のパーティをみたら、懸垂下降しているのに、ロープの末端が地面届いていない!ロープの末端も結ばれていない…

どうするんでしょう~

下からほかのクライマーに

「ロープが地面まで届いていないぞー」
「2本で降りろー」

と叫ばれていました(笑)

こんな流れ。

「もう一本のロープはどこだー?」
「ザックの中でーす」

…(一同)。

「そこの中間支点にセルフを取るんだー!」
「ザックを絶対に落とすなよー」
「ロープを出して連結するんだー」

クライマー「ロープ連結しましたー」

そのあとがズッコケ。

上の人に「ロープ引いてくださーい」とクライマー。いや、どっちの末端を結んだか、上の人が分かるはずないでしょ。そういう時は自分が引くしかないでしょ。

このクライマー何も分かっていない人なんだなーとみんなも思ったはずです。

これは序の口で、懸垂で無事降りて、次は中間にいる初心者をローワーダウンで下で確保しておろすことにしたらしいのですが、当然2本を連結しているので、ザイル通過があります。

他のクライマー:「ザイル通過あるよ」
クライマー本人: ?

確保器がない=プルージックで仮固定が必要ですが、そういうことは期待できないだろうと、明らか(笑)。

他のクライマーが確保器を貸していました(笑)。

要するに初心者の時ほど高度なロープワークが必要という事例です。ちゃんと全部必要なことは教えてから外岩に連れて行きましょう。

あとオマケのズッコケ話がありますが、それは、また。

Sunday, February 17, 2019

山では臆病に徹しろ

■臆病

山では臆病に徹しろ‼️という格言を雨宮崇氏にいただきました。

このことについては、思い出があります…

師匠の鈴木さんは、”臆病”という言葉を使わずに、”弱気”、という言葉を使っていました。

私は、”保守的”、という言葉を使っていました。

 臆病>弱気>保守的

という感じがしますよね(笑) なので、私のことを鈴木さんは、「強気すぎる」と思っていたみたいです。

■ ジョーゴ沢オールフリーソロ…

実は、知らなかっただけ(笑)。

3月後半のジョーゴ沢は氷瀑も腐って柔らかくなっており、傾斜が寝ていて登りやすいというのを前年度の記録を見て知っており、そうした時期をわざわざ狙っていきました。

それで核心はF2と大滝ですが、F2は解け解けで登れず、巻いたのでノーザイル。

大滝もワンポイントしか怖いところがなく、しかもトップを登ってくれたS熊さんは、ロープを出してリードする習慣がまだない初心者でした(笑)。この時は、それすら分かっていない状態だったのです。あとで沢に行って判明しました。

彼は、たまたまトップを歩いていたのですが、サクサクと超えていき、私も特に登攀上、難しいことは無く、サードで登ってきた講習会同期、かやさんも、一瞬 ”え~”という顔をしていましたが、女性が登ってしまった手前、ノーザイル。

私が本当は、「え~ザイル出してよ」というべきだったんですが… 

大滝を超えたところ

これです。この写真を見ると、やっぱりザイルは出した方がいいように見えますよね。

しかし、その当時は、

 登攀の難易度ではなく、落ちたらどうなるか?でロープを出す、

という原則を学ぶ以前だったのです。登攀が易しいから要らない、と思っていました。

アルパインルートでは登攀が易しくても、地面が不安定だったりして、不確定要素に備えるのにロープを出すわけですね。たとえば、ヒドンクレバスとか。

しかし、この当時は、そんなことも知らないものだから、全員、何も不安を感じることなく、オールフリーソロで超えました。

師匠の鈴木さんには、エライ怒られました…(汗)

「そんな山は教えていません!!」

と…。ハイ。本当にすみませんでした…。しかし、3月のジョーゴ沢・・・初めて初心者だけで挑んだバリエーションルートでした。楽しかった。

■ バランスを理解するのが難しい

かやさんの会は、初心者だけでいくことを許可せず、一体だれがリーダーか?というので、ホントは私がリーダーをしたのですが、会の同期のS熊さんが最年長で50代だったので、彼をリーダーということにして会の心配をかわし、なんと、かやさんの会はそれでも心配だというので、我々にビーコンを持たせました(笑)。

ビーコン、絶対要らない…と私は八ツ岳のことは詳しく分かっていたので、思っていましたが、まぁ、ないと行けないというので、携帯しました。カヤさんの会は、中央アルプスをホームとし、遭難者が出たのです…ビビっているんだろうと理解しました。やっぱ、あぶないですよ、中央アルプスは。何しろ、かやさんの会のもっている雪山のイメージは宝剣ですから。

そして、朝からパプニング…。ダブルロープを指定したのに、会のS熊さんが持ってこない!!

ので、私の車に常設してあった、重たいシングルロープを担ぐ羽目に…。3人で、1人がリードの予定だったのでダブル2本だったのですが、シングル1本とダブル1本。

しかも、その日私はレディースデーになってしまい、鉄分が足りないのか、いつものように歩けなかったのです…。でも、この日は逃したくない!

この日は気温も高く、雪はしっとりしており、もうすっかり春山でした。

鉱泉前で身支度していると、ガイドさんが好奇のまなざしで私たちパーティを見ていました…。

いったいどこぞのヒマラヤに登るねん!っていう重装備だったからです…ロープ2本、それぞれ、アイススクリュー、ズラリ、アックス2本、スノーバー、ガチャ類、そしてビーコンの受信テスト中…(笑)。

ほぼ冬山全装…このあったかぽかぽかの春の日に…(笑)。なんだー、こいつら!と思うのが普通なので、恥ずかしかった…(笑)。

そして挑んだジョーゴ沢…これはアイスクライミングのルートの予定で、ショートではないので、全部の滝を詰めて、山頂へ抜ける計画でした。

もう山は、おいでおいでしているようにしか見えず、全員が興奮モードでした…。

実はこの時、同期のS熊さんは、マルチピッチの手順を全く分かっていない人だったのですが、そのことも判明する前だったので、彼が核心のF2でロープを出さなかったのは、登攀を易しいとみて、要らないと思ったのだろうと全員が思っていたのですが…実は彼はまだマルチのリードどころか、ショートのリードもしたことがない人だったのです。リードが何かを分かっていないので、ロープを出せるはずもなく…(笑)

プロテクションを取ってリードする、というアイスのリード経験があるのは、たぶん、私だけでした…けど、そこは男子2名は、俺が登ってやらないと!と思っているわけですからね(笑)。

それで、ノーザイルのオールフリーソロになったわけです。

ロープが重くて、男子2名の歩みが遅くなって、私にはちょうどよかったです…

最後は、腐った雪のラッセルで山頂に詰めました。

あとで写っている写真で振り返ると…かやさんは生まれたばかりの赤ちゃんがいるパパだったから、やっぱりロープを出すべきだったなーと思いましたが…

あの時は、登頂がうれしすぎて何も分からなかったんですねぇ…(笑)

今となっては初々しい時代の思い出…。当時の私はイケイケでした…。

当時は、ビーコンや、余剰のギアを持っていることで、保守的な判断、をしているつもりだったんですね。ただの重しなのに。

成長したなぁ… 今では、山のリスクへの理解が深まり、ランナウトはバカっぽいと思うようになりました。かけなくていい命なら、かけなくても…。

山って遊びなんですからね。

フリーソロで登っちゃった大滝

Monday, February 11, 2019

RCCとデシマル

■ 見た目より難しいRCCグレード

昨今のクライマーの育ち方は、岩に入門するとビレイの習得のために、人工壁でリード壁に通うことになる。そして、基礎ということでフリーに進む。その場合、通常使っているグレーディングはデシマル。ムーブ習得のために、インドアジムに通う場合、グレードは段級システムで日本独自。

という事情のため、アルパインのルートに行くようになると?これがRCCのグレーディングに遭遇する。とよくわからないので、デシマルへの変換表を使う。

この変換表が信頼性に欠ける(笑)

あるトポにあったものーーー

Ⅲ+ →5.1
Ⅳ 5.3
Ⅴ 5.6
Ⅵ 5.9
Ⅶ 5.10c
Ⅷ 5.11b
ーーーーー

ーーークライミングインストラクターに貰ったもの
Decimal grade vs RCC grade(Japanese grade)
Ⅵ=11a
Ⅵ-=10d
Ⅴ+=10c
Ⅴ=10b
Ⅴ-=10a
Ⅳ+=5.9
Ⅳ=5.8
Ⅳ-=5.7
Ⅲ+=5.6
Ⅲ=5.5
ーーーーーーーーーーーーー

ーーーー別の方に貰ったものーーーー
5.5=5-(ゴマイナ)
5.6=5級
5.7=5+(ゴプラ)
5.8=6-(ロクマイナ)
5.9=6級
5.10a=6+(ロクプラ)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ーーーーアメリカのクライミング雑誌にあったものーーーー
1960年以前 → 現代
5.3 → 5.7
5.6 → 5.8
5.7 → 5.9-
5.9 → 5.9~5.15c(笑)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

(昔の人の感覚のⅣ級)=(5.3)= (現代の5.7) 

ということを昔の人は知らない。それは、フリーをしないから、ではないかと思うのだが…

昔のV級=5.10bというのが、フリーで基礎を作ってからの私の感覚に最も近い。

アルパインでは決して落ちれないので、

  落ちないグレード=2グレード引き算

です。

今日はアルパインでも落ちること前提みたいで、驚きました。

マルチなので、グランドすることは無いですが、どう考えても落ちても大怪我することはあっても、死なないよとは言われましたが、それは違うような気がします。

フリーでは落ちて死んでいる人は見ないけど、半身不随程度の大怪我は見ています。

参考サイト: http://nozakimakoto.hatenablog.com/entry/2015/01/08/173637

Friday, February 8, 2019

穴の開いた桶、もといプロセスを丁寧に

■ プロセスを大事にする

穴の開いた桶、というのは、誰もが圧倒されるような優秀さで世間を黙らせるスーパーヒーローの反対ということです。穴の開いたという形容詞が、欠陥、を物語っていますが、それがまさに桶、本人の気持ちを代弁中。

このネガティブ思考…と思いました(笑)。桶としては、私なんて穴が開いているんで・・・と自己卑下している。

さてどうやって、ポジティブ思考にしましょうか?

私は、

 プロセスを大事にしなさい、

と教わりました。一般世間では、今を丁寧に生きる、と表現する人もいます。

山では、心・技・体・知・経のバランスをとって成長するのが大事だと教わりました…

ので、例えば、それは、フリーをやるなら、フェイスも、スラブも、ワイドも、クラックも、やるオールラウンド。

山だったら、テント泊縦走もやるし、沢もやるし、雪もやるし、岩もやるし、氷もやるし、ボルダリングもやる、ということでしょう。

あるいは、スポーツクライミングだったら、インドアもやるし、外壁もやるということ。

■ 技術習得のひと段落

というのが私の念頭にあり、アイスでゲレンデ経験を積み上げ、ゲレンデのサイズばかりを大きくしていくことには躊躇がありました。

60m登れれば、ロープスケールからして、ルートを楽しむには十分です。100m登れるようにトレーニングするより、60m登れるスキルでルートに行くほうが、技術と、知識&経験のバランスがとれる、と考えます。

技術だけ上がって、知識&経験値の上がっていないクライマーが基本的には遭難事故をおこすものだからです。

100mを一気に駆け上れるスキルと、山の知識や雪崩を避け得る知識は違うからです。いくら100m駆け上がれても、雪崩の巣にそうと、気がつかないまま、突っ込む山ヤでは…。これは特に若い男性クライマーには理解が難しいことかもしれません。

■ ゲレンデとルートのバランス

本来、もっとも楽しいアルパインの成長論は、山が舞台であるルートで成長し、練習の場であるゲレンデは、ほんのちょっと、ということではないかなと思うのですが。違うのかなぁ。

山の規模を徐々に大きくしていく、ということは大事ですし、困難度を徐々に上げるということも、大事です。

分かりやすいように、極端な事例を上げましょう。

例えば、自分の得意なフェイスの5.13を一本だけ200便出して、レッドポイントして、ワイドになれば、5.8も登れない…というのは、あまりバランスの良い成長とは言えないということです。

これは、アルパインのクライマーが遭遇する技術的課題は、山にあるあらゆる要素ですので、山ではフェイスだけとかワイドしかない、とかありえないからです。

もちろん、現代ではルートの情報がありすぎて、このルートにはワイドしかないとかクラックしかないとか、情報が出そろうので、そればかりを練習してから行くというのは可能です。実際、私もインスボンに行ったときは、スラブとクラックばかりを練習していきました。

が、基本的にアルパインクライマーの目的は、

未知なる山に備える

ということです。未知の山で、練習していないクラックの岩が出てきたときに、「おれクラックは苦手だからやらない」というのでは、即、敗退です。

ということで、多くのアルパインクライマーが、あらゆるタイプのクライミングを練習して備えています。

フリーの課題はアルパインのクライマーにとっては、目標ではなく、道具です。なので、練習になれば何でもよいという感覚です。ちなみにフリークライミングはアルパインの基礎と言われています。フリーしかしないクライマーと比べ、アルパインのクライマーは、課題に通う時間が少なく、目標として一つの課題に通い詰めるという精読というような活動が欠如している人が多いので、すこしはしたほうがいいよ、かもしれませんが、それはまた別の話です。

一本だけ5.13。そういう成長の仕方では、オールラウンドな成長とは言えないため、ほとんど一発屋、と言ってもいいかもしれません。そう思っている人は多いと思われます。

もちろん、これはその方が、”その1本のルートに掛けた思い”を否定するものではありませんが、基本的にフリーに掛ける努力とアルパインに掛けるのでは、ルールも厳しさも違うはずです。

現代は、時代的背景から、アルパインのルートに掛ける思いを語る情報は少なく古いです。フリーの課題に掛ける思いを語った情報ですら、30年前が主体で、岩と雪は現代の図書館整備システムから抹消されつつあります。

入手のしやすさという意味では、ボルダリングの課題に掛ける思いをつづったものは比較的手に入りやすいのは、現代クライマーの最高難度の到達が、今の時代はボルダリングに向けられているからです。手に入りやすい情報に人は流されるということでしょう。

Thursday, February 7, 2019

現代クライマーのエイドデビュー と 古典クライマーのビレイ習得

■ 古典的アルパインクライマーの成長プロセス 

1)一般縦走で足腰を作る、生活技術と山の基礎を学ぶ
2)沢でロープワークデビューする
3)初級の岩登りルートに行く
4)エイドを教わる 登れない時用
5)フリー化
6)積雪期
7)徐々に山を大きくしていく
8)徐々に山を困難にしていく
9)到達できる最高到達点は人それぞれ

■ 現代まともな人
1)一般縦走で足腰作る (フリークライミングだけの人はここがない)
2)人工壁でロープワークとクライミングの基礎を作る
3)外岩ゲレンデデビュー
4)スラブ、フェイス、オーバーハング、クラック、ワイドとそれぞれ登れるようになる
5)最高グレードを上げていく
6)マルチにデビューする
7)大きくしていく
8)5.12が登れるくらいになったらビッグウォールへ
9)初めてエイドを学ぶ
10)5~6000m級アルパインへ

■ ビレイがダメな古典クライマー vs エイドがダメな現代クライマー

という具合で、

1)古典的クライマーは、スポーツクライミングを経由しないためビレイ習得機会がない

2)現代クライマーは、エイドが出てくるのがヨセミテビッグウォールからなので、5.12に到達する以前には、習得機会がない

クラックさえあれば何とかはなる、というのは、カムエイドがあるからです。5.10cのアダモは登れませんが、カムエイドなら簡単です。

■ プロテクションのスキルが磨けない

ハーケンはエイドによる前進用ですが、そのような技術が必要なルートが、ほぼ国内にはないため、現代のクライマーがハーケンを含め、リムーバブルプロテクションの習得を行う機会は、ほぼ皆無です。

その結果、カムでのクラックリードはフリークライミングのスタイルでエイドを経ずに行われるため、プロテクションは習得しないまま行われることになり、ギリギリのグレードで落ちて、プロテクションが3つ飛ぶなどの事例となります。

それはエイドでプロテクションの設置技術を磨くプロセスを端折っているからです。

クライミング力が上がってしまうと、エイドの必要は低く、さらにフリーの世界ではエイドに対しては否定的な空気がありますので、フリーのルートでエイドすると怒られるでしょう。

まぁフリークライミングというのがエイドクライミングの対語なのですから(笑)

…というので、私はしばらくはカムエイドを磨こうと思っています。

エイドができるということは、リードにおいてクライマーにとっての、かなり大きな精神的武器と思います。

Wednesday, February 6, 2019

山のスーパーおじいちゃん

2月5日は、カルロス・ソリア・フォンテンさんの80歳のお誕生日だそうです。

こちらのイケメンおじいちゃん ↓


日本では世界の情報が不足しているように思われますね。

ということで、この御年80歳の方の実績。

カルロスさん、スペイン人マドリッド生まれ。1939年生まれ。
ーーーー

Born on this day; 1939.02.05; Carlos Soria Fontán aka 'Himaal Baaje' Spanish Madrilian climber, who ascended

Nanga Parbat in 1990,   ナンガパルバット
Gasherbrum II in 1994,   ガッシャーブルム
Cho Oyu in 1999,  チェオユー
Everest in 2001,  エベレスト
K2 in 2004,  K2
Shisha Pangma Central-Peak in 2005, シシャパンマ
Broad Peak in 2007,
Makalu in 2008,  マカルー
Gasherbrum I in 2009,  ガッシャーブルム
Manaslu in 2010,  マナスル
Lhotse in 2011,  ローツェ
Kangchenjunga in 2014 and Annapurna I in 2016. カンチェンジュンガ とアンナプルナ

He also finished the

Carstensz-version of the Seven Summits in 2010.
He is the oldest person in history to have successfully climbed the

K2 (65 y),   65歳でK2
Broad Peak (68 y),  68歳でブロードピーク
Makalu (69 y),  69歳でマカルー
Gasherbrum I (70 y),  70歳でガッシャーブルム
Manaslu (71 y),  71歳でマナスル
Kanchenjunga (75 y)  75歳でカンチェンジュンガと
and Annapurna (77 y).  77歳でアンナプルナ

ーーーーーーーーーーーー

わーお!としか言えないが…。 マナスルなどは、もうユマールで登る山。

なので、高齢になっても可能性がある。最盛期はどこなのかなぁ。チェ・オユー当たりなのかなぁ? 65歳でK2はすごい。

K2はどんな山やに聞いてもすごい山という話です。登攀グレードが高いのでしょう。

高所登山という登山カテゴリーは、山の世界ではすでに登られつくしており、また高所という環境のシビアさを味わうもので、登頂のスタイルやプロセスは問われない傾向にあり、これはお金さえかければ登れる山に繋がる結果となり、そのため、玄人以外は、登頂の価値が判断できない、ということになっています。

とはいえ、世界のピオレドール賞が高所登山に受賞者を当てようとしていないことから、現代登山の登山史をめくる1ページは、もはや高所登山には見いだせないことがうかがわれます。

ちなみに高所登山は、まったくルールなし!なので、下手したらヘリで山頂に下ろしてもらっても、高所登山です。

有名な栗城さんは、エベレストは、ベースキャンプにもたどり着いておらず、亡くなってしまいました。もともと、マラソンの日本人男子平均の体力もなかったようです。ので、無謀だったという見方が山を分かっている人の間では支配的です。

栗城さんの件はいかに現代の登山価値を理解することが若い人にとって難しいか、ということの事例であると、私などは思います。私は、いわゆる本格的登山、というカテゴリーに入るロープを出す山をしていますが、そのカテゴリーに入ることを躊躇する若い人は多いです。しかし、それではロープが要らない程度の傾斜のところしか登れません…

ロープが出る山をするようになると、急、という感覚が新たに塗り替えられます。なにしろ90度以下は、すべて”寝ています”。

しかし、このような記録は、年配の山やさんにとっては、希望になるところでしょう。

また参考にもなるのかもしれません。


日本の山やさんも多くの方が若かりし頃の思い出をしのびに、ネパールへトレッキングに行かれているようです。トレッキングと言っても高所。お体にお気をつけていかれてください☆






最近ヒマラヤはトレッキングパーミットが緩くなり、まぁ処女峰はいっぱいあるみたいです。落穂ひろいと言われても…ロマンはありますよね。




Tuesday, February 5, 2019

ネイリングの習得 いきなりヨセミテ?!


これは大人の山岳部からのQ&Aです。この中では

実際のことろ、現在、国内では、ネイリングを駆使するルートは限られています

とあります。要するにハーケンを打つルートということです。

実際、私の先輩でアルパイン歴が10年ほどの人がいますが、ハーケンを打つことは沢ではあっても、岩ではほとんどないとのことです。私自身もハーケンは沢には持っていきますが、岩には持っていったことがありません。

私自身も、これまで行ったルートでは、ほぼほぼボルトが整備され(落ちれないボルトだとしても)、それは、基本的にフリーで登り、落ちない力をつけてから行きます。つまり…行こうとするルートの2段階上のグレードが目安です…例としては、5.7のルートに行くなら、5.9が登れる…をつけてからしか行かないです。

ので、ボルトの存在意義が限りなく低いために問題になっていません。要するに落ちる人はいないという意味です。

現代のクライマーの登り方です。

■ いただいたコメント

ーーーーーーーーーーーーーーー
ヨセミテでいきなり練習?

シングルピッチのフリークライミングを十分していない人が、例えば瑞牆のマルチピッチでフリーの練習をしますかね。

国内でピトン打ちをしないで、いきなりヨセミテのビックウォールでネイリングなんかしたら大迷惑です。

初級ルートでネイリングなんかするところがあるんですかね。クラックをトップロープで登っただけでは、カムをセットし、それが墜落に耐えられるかわからないのと同じです。

エイド経験者と同行しても、たいしたことはわからないです。

ピトンは自分で打って荷重して効きを感覚として覚えるものです。

トップロープでクラックを登っても、カムのセットや墜落したら大丈夫かは分からないのと同じです。

この回答者は自分でろくにハーケンを打ったことないでしょう。

GWの奥穂にスニーカーにアイゼンを付ければ登れますくらい、いい加減です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

全くその通りだと思います。ネイリング=ハーケンを打つこと、は、やり始めて2~3か月かかるスキルのようです。

こちらに別のベテランの意見がありますので、ご参考にしてください。

ーーーーーーーーーーーーーーー
 随時、ルートの状態でハーケン打ちやボルト打ちも適当にします。

ランニングビレイやアンカー作りは野北や日向神が一番良いと思いますよ。

毎週通えば、2〜3ヶ月で不安を払拭できると思います〜。
ーーーーーーーーーーーーーーー

2,3か月というと土日で、8回から12回。それくらいの練習が必要ということで、現代のフリークライマーだと、野北なんて、フリーで楽勝で登れてしまうので、ただ退屈してしまうかもしれません。こんなに通う気になれないかも。

■ リムーバブルプロテクション

ハーケンはエイド用です。つまり、静荷重には耐えられますが、衝撃荷重がかかる墜落に耐えれるか?は打つ人や岩の質にもより、耐えることは最初からあまり念頭にあるプロテクションではありません。

一方、現代のリムーバブルプロテクション、つまりカムは、基本的には、墜落に耐えることが前提です。

ハーケンもカムも回収が前提ですし、それならハーケンよりも、カムで行くほうがより安全ですね。

マイクロナッツという選択肢もあります。これについては、まだよく知りません。ハーケンよりもナッツのほうが高額なのではないかと思いますが。

■ 2グレード下のルートに行く

どちらにしても、現代のクライマーは、ルートに出る前に高い登攀力…5.9がオンサイト出来る…程度を人工壁と外岩ゲレンデで身につけてから、外岩デビューすることをお勧めします。

理由は、バリエーションルートの易しいルートでも原則落ちれない、腐敗したハーケンやリングボルト、あるいは、オールアンカーと言われる現代の安全水準に満たないボルトが、易しいルートでは主体だからです。

これらのボルトは墜落には耐える設計強度はありません。

一般に現代のクライマーは5.7などでは落ちないですので、そう言ったルートの腐食したボルトを、墜落可能な強度があるボルトに打ち替えようとは、誰も思いません。

ちなみに落ちそうになったら、Aゼロしてください。

■ お勧め初級ルート

落ちない前提で、ですが、三つ峠は、一般にハーケンとリングボルトで構成された、マルチピッチの登攀ルートで、基本的に北アでのアルパインルートの練習場所とされています。

三つ峠を落ちずに登るには、ですが、まぁ背が高い一般的な運動能力の男性だと、最初から特に練習を必要とせず、登れるのではないかと思います。

が、例外もあります。例えば学生時代から運動神経はイマイチだという自覚がある人だったり、50代になてクライミングをスタートするなどだったり、慌て者の性格だったりする人は、事前にクライミングジムや人工壁に3か月程度通うほうが良いかもしれません。ジムグレードで、6級程度の登攀力という感じでした。

6級なんてものは、20代の男子であれば、ジムに来た初日に登れますが、それでも腕は張るし、ムーブはこなれてはいないというような感じです。女性であれば腕力がないので、ジムでは被りが出てくるので登れたり登れなかったりですが、三つ峠では傾斜が寝ていて、腕力が必要な個所はないと思うので、そう問題にならないと思います。

三つ峠は決して落ちれないマルチピッチですが、登山靴で開かれた岩場だけに、三つ峠で落ちる人というのは、結局のところ、よほどの人か、もしくはロープワークを理解する前に来てしまい、自分でセルフを外すような人です。

死者はガイド山行ですら出ていますので、現代の高齢化した初心者の方は、ジムで保険をかけてください。

昔の新人というのは、ほぼ20代の若者です。こうした人たちに楽勝で登れたとしても、現代の高齢化した新人は、きつい可能性があると思います。50代の男性新人で、登攀力を磨く前のスタート時の能力が42歳でスタートした私よりもはるかに低い人を2名、すでに見ています。30代の男性、20代の男性でも、人工壁で私より登れずに落ちている人というのは結構います。自分のタイプを見分けてください。

■ セカンドなら墜落もありのルート フリーのマルチ

三つ峠の後は、私は春の戻り雪3Pでデビューしましたが、こちらは、セカンドで行くなら墜落は許容できます。アンカーも、中間支点もしっかりとしています。

ところがリードとなると話は別です。核心は大ランナウト、です。この意味するところは、落ちると大怪我という意味です。ので、いくらグレードが5.7とはいえ、きちんとリードする能力を磨いてから、リードで登るべきです。

ので、5.9がショートでリードできるようになってから、行けば、リードにもゆとりがあり楽しめるでしょう。直上ではなく、右上したり、立木で懸垂したりも出てくるので、
ショートとは違う危険個所もあり、勉強になると思います。

これに取り付く前に十分な登攀力を持っていかないと、リードで落ちれば怪我になります。

■ ハーケンを打つ経験値を積めない

ハーケンを打つ経験値を現代のクライマーは、ヨセミテが視野に入る登攀能力がつくまで、積むことができません。

が、それは、どれくらいの登攀能力か?というと、5.12くらいです。

5.12が数本RPできる…というくらいになれば、ヨセミテのビッグウォールが視野に入ってきます。

その程度の登攀能力ができないと、ヨセミテビッグウォールは時期尚早ということですが、ビッグウォールではオールフリーは要求されていません。

あくまで、スピードが優先になり、セカンドはオールユマールも許されています。またリードであってもピッチ数が多く、とてもオールフリーでこなすのは大変すぎるので、この時になって初めて、ネイリングという技術が前進のために必要になる、ということになっています。

昔の新人が入門1年目にやったようなことを、入門して10年目でやっと必要が出てくる、ということです。

このような状況に現代のクライマーはあります。

どんな山やさんも、言ってくださることは、それぞれ真実なのですが、現代のアルパインで成長する人の困難は、言われた通りにしたら死ぬかもしれないので、自分で客観的に自分の実力を見て、最善のパスを見出すということです。

■ ハーケンを打っても良いゲレンデ 

越沢、葛葉川、松木沢などが関東エリアではハーケン打ちの練習に使用可能なゲレンデです。


Sunday, February 3, 2019

沈殿19日

■沈殿のこと

昨日は、屋久島開拓者と”沈殿”について世間話をしました。

知らない人のために解説すると、”沈殿”というのは悪天候で一日中テントから出れない、という日のことです。

黒部横断でピオレドールを取った伊藤さんは牛首尾根で19日間の雪洞泊での沈殿をしていました…ので、あるとき宴会で、伊藤さんに「そういうときって何をするんですか?」と聞きました。答えは「大マッサージ大会」 好天が3日連続しないと行動不能なそうです。

屋久島開拓者の方は5日間の沈殿の経験があるとこのこと…。もう高齢の方ですが、往時は地域山岳会でトップクライマーだった方です。

翻って一般クライマー。クライマーに人気の夏の小川山合宿ですら、雨が3日も続くと苦痛です…。山岳用テントの狭い中に3日。雨だと行動が不能ってわけじゃありません…外に出て歩くくらいはできて、登攀が不能なだけです。それでも、師匠の別荘に、「雨だから助けて」と駆け込んでくる人はいっぱいいました…

私は沈殿ではありませんが、ほとんど雨の後立を5日間縦走したことがありますが、無雪期だからいいけど、冬季ではなぁと。冬季のテント泊で3日以上って結構つらそうだと思います…。そういえば、ビバーク訓練で、雪のかなのビバーク経験が1日ありました。私だけがシュラフを持ってきていない人でしたっけ…。あの時は日中は普通に動けました。

 1)現代の世界的トップクライマーがやっていること(雪洞泊沈殿19日)、 
 2)伝統的な山岳会のトップクライマーがやっていること(沈殿5日)、
 3)山岳会の中堅レベルがやれること(ノーシュラフの雪中ビバーク1日)

の差が、分かるでしょうか?

私はよく、「そんなハードコアな山はしなくても」とか勘違いコメントを貰いますが、まったくハードコアではありません。こんなくらいでハードコアって言ったら、ハードコアが笑われます。

何が起こっているのか?ハッキリ言って一般のハイカーのレベルが低下しているのです。

私は厳冬期のテン泊も縦走も、一人でやっちゃう系ですが、その程度の人ですら、一般市民レベルの登山”者”クラス(冬季山小屋泊ができる人:一般市民の登山からすると1割の上級者)から見ると、かなーり高いレベルです。 

さらに冬は山はお休みで、夏しか山をしないハイキングレベルの登山”客”レベル(全体の9割)から見ると、かりにそういう人が私がやっている山をすれば、ほぼほぼ遭難、です。

 1)現代の世界的トップクライマーがやっていること(雪洞泊沈殿19日)、 

・・・大きなギャップ

 2)伝統的な山岳会のトップクライマーがやっていること(沈殿5日)、
 3)山岳会の中堅レベルがやれること(ノーシュラフの雪中ビバーク1日)
 4)山岳会の新人レベル(無雪期のビバーク)

・・・大きなギャップ

 5)中高年登山 (山小屋泊)
 6)一般登山 歩くだけ

現在、どんな物事でも二極化、ということが言われますが、山の世界の二極化、が分かってもらえるように解説できたでしょうか?

Friday, February 1, 2019

真砂尾根の思い出

■人気

この一か月ほど、真砂尾根の記事が人気で、一日に80PVくらいの閲覧数を稼いでいるようだ。

真砂尾根…渋いルートで良きルートだった。

ここを大学山岳部の雪稜経験が少ない人たちにお勧めするのは、良い事なのか悪い事なのか分からない…ので詳細に解説しておこうと思う。

このルートの位置づけとしては、難易度としては、ルートグレード1級の本チャンルート以前、という感じの場所だ。

危険度としてはロープが出る、ということでジャンダルム以上。したがって、一般登山者クラスはお呼びではない。

また体力度としては、雪稜で2泊3日の行程は長く、当時同行者だった先輩(50代)がよれたために、参考は短縮になったため、体力度としては高く設定してあると思う。

しかし、私(40代女性で体力は平均)の体力では、まだまだゆとりがあったため、そうやみくもな体力が必要なわけではない。

また要所要所で、人工的に人に会う施設(例:駅、山小屋)があるため、比較的安全地帯との接触があり、危急時の保険が多いと言える。

したがって、きちんとした雪稜…スタンディングアックスビレーや雪洞泊、滑落停止技術が必要な山・・・・をまだやったことがないアルピニスト候補者のような人が、ほぼ確実に落ちないだろうと見込める易しい難易度の場所を長時間かけて歩いて、雪稜慣れする、というようなことに向いている。

一般に、初心者のトップは、誰でも支点の選び方が下手であり、墜落に耐えることができる支点を作ってくれるかというと、そうではない。なので、後続に落ちてもらっては困る。

後続が落ちることは考えにくいような簡単な場所をスタート地点として、経験値を積んでいく必要がある。

私が真砂尾根に行った当時、Mさんは、私より入会年度が早かったが、クライミングにはしり込みしており、まったくやらないため、5.9の人工壁でも私が彼の代わりにトップロープを張ってやらないといけない状態だった。

ちなみにMさんは、30代前半で180cm近い大男の若者である。が、登攀は見るからに下手くそであった…。

しかも、雪稜のことも、山のことも分かっておらず、雪割れがあり、そこの通過が容易に回避できるときに、ジャンプ!と後続に強要する程度の分かっていなさ、リスク認知程度の低さ、だった。

その彼が、この山行ではトップを登り、案の定、彼においついたら、スタンディングアックスビレー中に両手を放してスマホをいじっている最中であり、これが、本気モードの山だったら、「こら!」とか、げんこつ、では済まない大失態であろう・・・が、そこはさすが先輩で、彼の甘ちゃん下限はよくわかっていらしたので、大失態を大失態とならない程度の山が選んであるのである。つまり、そこは、歩いて到着できる難易度…私としても、あきれてものが言えないわ!という程度で済ませた。

あとで彼については別の山の記録で、読者にコメントを貰った…山のセンスがない人、という評価だった…。

才能がない人は、要するに山のリスクがよくわからない人、見えない人、ということだ。たぶん、下界でもリスクは管理しておらず、人任せなのだろう…親がお金を出して店を持たせてやっているという人だったが‥‥山もずっと才能がないものかもしれないと思う…。自己責任という感性が育っていないのだと思われた。

こういうところで才能が見え隠れして、才能がない山やだなーと烙印を押されているとは、彼も気がつかなかったかもしれないが、そのこと自体が才能のなさを物語ってしまうかもしれない…というような性格の尾根だ。

■ 山は弱い者に合わせるもの

一般に、山岳部、山岳会というものは、基本的に、パーティの中で一番弱い者に合わせる、という不文律がある。

この山行では、春山合宿2度目の私のほうが、3度目の彼よりも先輩に位置づけられており、彼を一人前にしてやるために、フォローをしてやらないといけないという意味だった。

他の先輩らはみんな、当然ながら彼よりも登れ、ヨセミテ経験者すらいるわけで…。通常は入会年度が少ない人のために、山の計画を作るのであるが… 結局、2年目ですでに私の名前が彼の名前より前にあるので、私は先輩側として、彼の面倒を見てやる側に入らないといけないということだった…

じゃあ、いつ私自身が、自然物を使った支点構築を勉強する私自身のための機会を与えられるのだろうか?というと、この会にいれば、一生Mさんが”一番弱い者”扱いと決まっているということなので、私にはトップを先輩の確実なビレイで歩かせてもらえる機会はめぐってこないという意味だと理解。

この会にいては、人の成長を後押しするばかりで自分の成長をないがしろにしないといけないのだということが理解できた…。という非常に悲しい理解を伴った山だった。

山の世界では、人は優しい。というか遠慮しており、分かっていない人に、君は分かっていないよ、とは言わない…。教えてあげたほうが結果的に親切だと思うのだが。

前回の春合宿も、彼のリードで登らさせられたが、トップを行かせるのであれば、それにふさわしい知識や責任感を彼に植え付けてからにしてほしいと思った…。が、ルートは簡単だったので、そこで目くじらを立てるのは大人げない、という程度だった。鎌尾根は。

30代の男性と言えば、社会ではれっきとした大人であるが、50代の先輩たちに交じれば、坊やという位置づけになってしまう… そんないい加減なトップが作った支点であるので、セカンドで登るにしても絶対に落ちれない…。まぁ、雪稜ですから、いい加減なアイゼン歩行くらいしか落ちる要素はない。が、それにしても、責任感のないトップの確保で登るということは、確保意味なしって意味なので、むしろ、フォローで登っている側のほうが責任重大になってくる。

この話を持ち出したのは、それくらい、真砂尾根という尾根が歩き主体で易しい、ということを理解してもらうためです。ピッチグレードはないですが、あえてつけるとすればⅢ級からⅣ級マイナスくらいでしょう。デシマルで言えば、昔のではなく、現代の5.2程度です。

まったく信頼度ゼロのMさんのビレイで事が済むような雪稜という意味です。当然、後続も落ちることは全く考えられないような、易しさであるのです。

途中Mさんと先輩の一人が、懸垂を一回出していたが、そこは私と別の先輩はノーザイルで普通にクライムダウンで降りてきたところだった。

なので、ロープは念のため、だ。

■ 黒部横断

黒部横断は、日本らしいアルパインが味わえる渋いルートと思うが、

http://yukiyama.co.jp/mountain/2016/03/kurobe-oudan-ito-gyouji-sato-yusuke-miyagi-kimihiro.php

大谷原→赤岩尾根 →鹿島槍→牛首尾根→十字峡→トサカ尾根末端壁(ゴールデンピラー/11P 380m Ⅵ)→黒部別山北尾根→真砂尾根→別山尾根→剱岳→早月尾根から下山

という行動の一部分を味わうことができます。

大谷原→赤岩尾根→鹿島槍 は一般ルートです。前年度の春山合宿が鹿島槍鎌尾根でしたので、黒部横断のルートのうち、鹿島槍登頂の部分を切り取って、一番易しい難易度の部分をつまみ食いする、というルートでした。

■ 『鹿島槍研究』

昨今、アルパインのルートをする人は少ないようですが、それには、ルートの調べ方を知らない、ということもあるかと思います。

ネット全盛時代、ネットで手に入る情報だけで済ませようという人たちが多いことは残念なことですが、基本的に山の難易度や困難度などは、主観であるため、その主観の把握で間違ったことになると、大きく当てが外れることになります。

それを修正するには、多くの記述や文献を読むに限ります。一つ一つは主観の集まりであっても、それが3つ4つ、あるいは10と集まると、大体のラインというのは見えてくるものだからです。

私のお勧めは、『鹿島槍研究』を読むことです。この本は、多少議論の余地がある本だそうですが、登山体系に加え、地域研究の本を読むことで、その山の中での複数のルートの困難度が困難度順に並べてありますから、一つでもそれを知ることで、自分の中の基準とマッチさせていくことができます。

ちなみに、春山では、一般ルートの赤岩尾根のほうが、バリエーションルートの鎌尾根よりも困難と思われます。

■ 体力度

また体力度は、標高差と時間を計測することで、自分なりの数値データを持つことが可能ですので、標高差何メートルを1時間で歩けるのか?は比較的体力の目安になります。

このルートでは、一時間に標高差300mが17~8kg背負って、8時間程度、歩けない体力の人は、お呼びではないと思われます。要するに冬山最低ライン。

がちなみに、私はこの山は楽勝でした。

標高差300を1時間で歩くのは、ごく一般的なコースタイムですし、17~18kgはかなり冬山としては軽いでしょう。ロープを持った先輩は、20kgくらい行っていた可能性がありますが、その本人が最初によれて計画短縮になったような(笑)? 昨今のロープは軽くダブル60mで行くのが正しいと思われます。まぁ練習でピッチを短く切って支点工作の時間が増えても良いというならば、軽量化で40mでもありと思います。体力度を下げたい場合ですが。

このルートをご検討されている方のご参考になれば幸いです。