Wednesday, November 29, 2017

UIAA Alpine Summer

■ UIAA

ロープが出る山をしていないと、UIAAの名を聞くことはあまりないかもしれず、ロープももし会に属していると、最初のうちは、おさがりを使っていると思うので、UIAAと聞いても、さっぱり何のことか、わからないかもしれませんが、UIAAは、登山の世界で、最も権威ある組織です。世界の山岳会の親玉みたいなところ。

UIAAについてはこちら。
https://en.wikipedia.org/wiki/International_Climbing_and_Mountaineering_Federation

■ Alpine Summer

そこが出しているアルパインクライミングの教科書を、インスボンに登攀に行ったときに見たのですが…、韓国語でした。

そこで、イギリスから、英語版を取り寄せてもらいました。英語版はフランス語版からの、英訳です。

現在、日本では、技術的に信頼のおけるスタンダードな技術が文書では伝えられていません。

これまで、最も信頼おける技術情報は、ペツルのカタログというのが実情でした。それは海外でも同じだったようで、この本にそう書いてあります。本の中にも、どこかで見た的なイラストがいっぱい。

ここ2年ほど、ペツルはカタログを紙で支給することがなくなりました。これはペツルだけでなく、ロープなどのギアを出している各社同じで、ネット上のPDF化されたカタログで済ませようとしているような様子がうかがえます。

それはそれでいいのですが、新人に教えるとき、紙媒体って、やっぱり便利なのです。というのは、山で、小さい画面のスマホ見ながら、ってのもねぇ…と思うからです。たとえ人工壁でも、ちょっとヤな感じ。

これ読んでおいてね、と貸す本があると、先輩は楽です。

また、ペツルのカタログに書いてあることは、最新情報だということは、クライミング歴が長ければ、わかりますが、そうでないと、たかだかギアの一メーカーが言っていること…とも受け取れてしまいます。ちゃんと読まないかもしれない。

どこか権威ある団体が、これがスタンダード技術ですよ、という本を出してくれないか~と思っていました。

日本では、国立登山研究所の出していた『高みへのステップ』みたいなものですね。しかし、『高みへのステップ』も取り寄せてみてみましたが、残念ながら、一番新しい版でも、8環の時代から、技術的内容が更新されておらず、使い物にはなりませんでした。

今回、紹介するUIAAのAlpine Summerは技術的に、世界で最低限知っておかなくてはいけないことが書かれていると思います。

例えば、流動分散は、日本では、まだ、普通に120cmのスリングを2つのカラビナにかけ、真ん中をねじった、マジックXスタイルが標準的に教えられていると思いますが、こちらの教科書には、オーバーハンドノットをそれぞれの側に結んだバージョンが載っています。確かこれには名前があったと思います。YouTubeで出ているビデオを以前、紹介しました。

オーバーハンドノット付きのだと、片方の支点が壊れた場合も、スリングの伸びが最少で済みます。(がノットを作るとスリング自体の強度が半分程度まで下がるなどの検討は必要かもしれません)

支点として、どういう結びがベストなのか?

ということは、それこそ、ケースバイケースなので、状況を設定して、様々な検討を加えないと最善の解は導き出せませんが、

ただ、この結びは、多分、日本では教えられていないのではないか?と思います…。

おそらく日本では、スタンダード技術というか、標準的に教える内容を定めるのに、議論をすると、議論に収拾がつかなくなるのではないか?とか、そういう事情があると思います…。

それは、主義、主張があるからです。例えば、懸垂下降を、新人に教える時、バックアップつきを教えるべきか、教えないべきか?など…。私はバックアップ付きで教わり、最初から空中懸垂ですが、今ではバックアップを使うことは、めったにないです。斜度が寝ているところで、教えたほうが安全か、そうでないか、も意見が分かれるだろう、ことは容易に想像がつきます。

かといって、いっぺんに全部教えたら、新人が吸収できないだろ、というのは、ほぼ全員一致の意見であるように思いますが…。でも、個人的には、部分的に教えられるより、全体を教わったほうが最初がアップアップでも、後々良いと思いますが。

というような意見の相違や困難を避けているため、日本には、権威ある団体が発行している技術書がないのではないか?と思います。

ので、新人さんは自己防衛のために自分で勉強しないといけないです。それにおすすめの本が、このUIAA Alpine Summer です。

いくつか、この本の内容を映した画像をアップしますので、ぜひご自身で、取り寄せて読んでみてください。 ネット検索で、ヒットします。すでに日本の山岳団体には翻訳を依頼していますが、翻訳が出てくるのはいつになるか、わかりませんし、難しい英語がでてくるわけでもないので、普通に読めると思います。

ちなみにガイド協会が出してるロープワークの本もおすすめだそうです。
http://www.jfmga.com/kyujyomanual.html

本でおすすめはこちら!














■ 参考リンク

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%91%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%AB

Wednesday, November 22, 2017

『荒野へ!』

■ 『荒野へ!』読了

これは、1996年のエベレスト大量遭難に立ち会ったジャーナリスト、ジョン・クラカワーのノンフィクション、Into the wildです。

アラスカの荒野に出かけて餓死した青年の話。若者の思慮の浅さを理解したい…というのが読んだ動機です。

が、ここに描かれている若者は、ここ数日前に阿弥陀の北西稜の途中らへんで、登ったものの降りれなくなり、ヘリで救助された、浅はかな若者とは、全く違うようでした…。

さしづめ、ベック・ウェザーズの『生還』が、山煩悩を極めて(=エベレストに登り)、死ぬギリギリ間際で、解脱した話だとすると、こちらの『荒野』は、現代の出家者の若者が、本当に出家して、即身成仏(=餓死)しまった話でした。

この彼は、”出家”にふさわしい”荒野”が地図上のどこにもないと知ると、なんと地図自体を捨ててしまったのです。なので、登山者の目で見ると、地図さえあれば、いくらでも助けを求めうる地理的条件の場所にいながら、彼は、究極の隔絶された場所にいたわけです。

阿弥陀のヘリレスキューの若者は、レスキューに行った人の話によると、”ジャングルジムで降りれなくった子供と同じ”という状態の、本当にお粗末な事件なわけですが、この荒野へ!の彼も、退路を断たなければ、本当のピンチの時に助けを求めることができたであろうという点で、同じです。(動機の高貴さが違いますが。)

■ 解脱?プロセスの疑似体験=山

山に登っていて人生を重ね合わせない人がいるのだろうかと思います。

山というのは、人生の縮図的というか、(努力することを覚える)→ (達成感や、名誉欲・自己顕示欲にとらわれて頑張る) → (心打たれる) → (結局は、どんな小さなことにも感謝できることが大事と知る) という人生サイクルが、超特急というか、ミニチュアレベルで体験できる機会だと思うのです。

山頂を極めるという活動は、成功を求めて日々努力するというのと同じことです。成功が山頂、そして、下山…登りより、下りが難しいことなど、大変、示唆に富んでいます。

これは一つの山、一つの山行だけのことですが、山ヤ人生というものも同じで、山の難易度自体を少しづつステップアップさせていきますから、そこは、やはり、人生を少しづつ前に進めていく、ということと相似形です。

なぜ、上を目指さないといけないのか?

それは単純に、人は成長をするように設計されているから、です。アルジェナは、なぜ戦わないといけないのかと問うたのですが、それは、やはり、ダルマを遂行することが、人としての生き方の本質だからです。商人に生まれたら商人として生き、芸術家に生まれたら、芸術家として生きなくてはならないです。

というわけで、人は成長することが基本ですが、それは、山頂へたどり着こうとするよりも、そのプロセスを味わうことで学ぶ、学びのほうが大事です。山頂へたどり着くことばかりを考えていると、途中の景色の美しさを見るのを忘れるからです。

何を成し遂げたかよりも、どう生きたかのほうが大事。

でも、そこを学ぶのが大変長い道のりなんですよね。 

そういうことを山ではいつも考えています(笑)。

ヨガとも似ていると思うのですが…。




Monday, November 20, 2017

高齢者のテント泊縦走へのステップアップ

今日は年配のお友達と、小さな山に登ってきました。

私は、そのお友達の思い込みを解除してあげるために、派遣されて来たんだろうなぁと思いました。

お友達は60代と思われ、ザックは5kg程度だということでしたが、すでに8年も月に2,3回の山歩きをされていて、この辺の山では知らないところはない、という博識。下積みは十分です。

でも、テント泊へ進む勇気が出ないでいるようだった。テントも、もう持っているのに、装備が重くて担げない、と思い混んでいるようでした。

しかし、実際のところですが、最近の装備は軽く、総重量10kg行かないでテント泊装備は持ててしまいます。

私が思うには、無雪期の(夏の)テント泊で最大の重さは水です。しかし、夏山だと水は売っていますので、たとえ、500ml500円であったとしても買えば、担がずに済むこと。なので、問題は思い込みのほうだと思いました。

ザックの重さ、歩荷っていうのは、思い込みとか刷り込み、という色眼鏡のフィルターがすごく強いです。それは、文化的に、山男が歩荷自慢だからだと思いますが、歩荷って実は、スリムな人のほうが強かったりもします。きっと余分に担ぐ体脂肪がないからと思うのですが。

若者が30kg担いでいて、自分はこれでいいと思うのも、思い込みですが、60代が5kgしか担げない!と思うのも思い込みです。それぞれ、筋肉量に応じた重さがあるはずです。

大事なことは、自分がやりたいことをやるには、神様は十分な肉体的資源を与えてくれているということに気が付くことかもしれない。

2点目の思い込みは、テント泊で縦走するには、20kgも担がなくてはならないというものです…私のテント泊装備は、実際8kgくらいですから、水4L食料1kg入れても、13kg。10kgしか担げないなら、食料1kg、水2Lにして水は小屋で買うことにすればいいし、9kgなら、食料1kg、水2Lでもどこへでも行けます。 水は4L入れても4リットルいることなんて、ほんとにめったにありません。たいがいは2リットルで十分。

なので、10kgくらいで、誰でもたいがいのルートには行けるんですが、その10kgが、ものすごい重さだという思い込みが強いのが、一般登山者の世界かもしれないです。

もし、その思い込みが解除できないと…小屋泊代を出さないと行けなくなり、山歩きが、お金がかかる趣味になってしまいます…。

しかし、だれを利するための思い込みなんだろうなぁ。

■ 思い込みが解除できるかどうか?は、教育なのだろうと。

思い込みが解除できるかできないか?は、判断の基準を、

 自分以外に置くか、
 自分に置く

ということなので、それは、基本的に自分で考えることができる、ということが、教育の意味なのだろう、と思いました。

例えば山の世界で、世間の普通、などという曖昧模糊としたものに合わせると、5kgのハイキング装備から、脱皮することすら、できなくなります。

しかし、そうしないで、自分はどれだけ担げるのかなぁ?と実際に試して、実験して確認してみると、たいがいは、意外な結果が出るものです。

私も10kgなんて!と最初は思っていましたが、実際に担いでみると、17kgなんて普通に担げたので…10kgが大変というのは、両手で持った時の重さの感覚で、背中に背負った時の感覚ではなかったのです。

たしかに、例えば体重が45kgしかない女性の筋肉量で25kg背負うのは、結構大変と思いますが、25kgを要求するような山なんて、なかなかないです。アイスクライミングのギア+ロープ一式含めて持つ、くらいな感じでないと、そんな重さにならない、ので、必要がないし…。

普通にハイキングしてしてきて、行きたい山、憧れの山が出てきた人は、実際、何キロ持てたら、その縦走ができるのか、試してみることだと思います。最初は水で。水なら捨てられるからです。

特にテント泊縦走へのステップアップは、見えてくる景色が日帰り登山とは全く異なります。

テント泊縦走を避けていると、どうしても、ふもとの山小屋に泊まってピストンという山から脱却できず、山と山の間のいいところを歩き損ねてしまいます。

自分のしたいことが実現可能かを率直に自分に問い合わせて、見極める力、それが教育の成果、ということかもしれないなぁ、と考えた今日の山でした。

今日一番楽しかったのは、みかん、でした。これは、唯一社会規範を犯して、自分の頭で考えて結果の行動だった、と思うから。

私にとっては、知らないところへ行けて、ちょっと楽しかった。遊具があるような、のんびりした裏山でしたので、山としては楽勝でしたが、裏山というものは、いろいろな道が多様についているものなので、とりあえず、探検として楽しめそうでした。

今日は、ご一緒した方の思い込みが解除されることを願ってやまない山でした。

Sunday, November 19, 2017

読了・ベック・ウェザースの『生還』

今日は、冬が来た!と思える寒い日でした♪ 

ヒマラヤ関係の遭難について、ふと、少々復習したいと思い、ベック・ウェザーズの『生還』を読了しました。

ヒマラヤは、山ヤにとって、煩悩なエリアでもあり、最後の秘境でもあり、取り扱いにデリケートさが必要だからです。

日本では、ヒマラヤに登ったと言えば、水戸黄門の印籠みたいな効き目が一般人に対してはありますが、情報によると、ヒマラヤはヒマラヤでも、色々あるそうです。

例:

ゴーキョピーク(5360メートル)
ロッジから標高差600メートル程度。往復3時間程度。無雪期の日本の森林限界を越える程度の山です。現地感覚だと丘。

1977年に2年前にエベレスト南西壁を初登攀した、当時世界最強チームのイギリスのクリス・ボニントン隊。再登は、アレックスとトーマスのフーバー兄弟と、この間亡くなったヘディン・ケネディ達です。以降再登なし。

ラトック山群Ⅰ峰:1979年に重廣重夫氏たちが登って以来再登無しの難峰。

■ 遭難につながる山、つながらない山

まぁ、エベレストが登頂者700人の山であるのは周知として、それでも遭難者はいるわけなので…

  問い:遭難につながる山とつながらない山の差はなんだろうか?

これは山ヤは誰でも、答えをわかっていると思いますが…一応。

  山を征服したい!セブンサミッターと呼ばれたい!栄誉が欲しい!

ということが、やっぱり遭難の第一の動機、ということが書いてありました。

■ ”自分との闘い”というけれども

一方で、”山は自分との闘い”、という言葉もあります。この言葉は、たいがいは正しい用法で使われますが、そうでない詭弁の場合もあります。

トレーニング、肉体的な苦難に打ち勝つという意味で、自分と戦っているのは、その通りではありますが…要するにジョギングしていて苦しくなった時すぐやめないこととの、超シビアバージョンです。…が、すでにガイドに頼っている時点で、自分の限界を受け入れる、ということを拒否しているわけです。

もし本当に自分と向き合っていたら、自分のチカラで登れる山の限界をおのずと受け入れ、それをあげていく、ということになったでしょう。

ちなみに山ヤの世界では、ガイドレスでないと自分の山ではない、というのは、だれもが分かっています。

だから、本当は、そういう山ではなく、一から自分で積み上げる山の良さを教えるためにガイドが存在するのだと思うのですが、今の時代は登頂請負人、みたいになっています。

あ、苦言になってしまいました、すいません。

■ 山ヤは山に行かなくて良くなった時が完成、なのでは…

私が思うには、山ヤさんという人種は、バイタリティが余り過ぎている人たち、なのです。

人間は、”生きて、食べれて、寝れて、天井があれば、あとは万事オッケー”、ということを学びに行くのが山、なのですが、実は下界でも同じことなのです。

ただ下界だと、その辺が分かりにくい。

山のように、電気ありません、水道ありません、家もテントか雪洞です、みたいな状況に、人為的に追い込まれないと、”ああ、生きているっていいことだなぁ”、ということが現代生活ではわかりづらいでしょう。

特に鬱になるような人はそうなのかもしれません。賢すぎる人が鬱になると思うのです。複雑に考えすぎちゃうんでしょうかね。

だから、山に行く。それはその人のエネルギーの、余り具合によって、どんな山に行くのかが決まると思うのですが… ベックさんの場合は、それが公募とはいえ、エベレストだったということなのです。職業もお医者さんですから、だいぶバイタリティ、余ってました(笑)。

ベックの満たされない心は、山で満たされ、だから山に行き続けたのですが、もともとのバイタリティが大きいので、成長し続けていくと、エベレストしかなかったんですね。

私は去年のアイスシーズンで、ある時、すっかり心満ちて、もう山に行かなくても、満たされてます、みたいな心境になったんですけど…。

以前は、山恋い、山煩いみたいな時期がありました。1か月も行かないでいると、なんだかそわそわ… なので、行ける機会はすべてつかんでいました。

山に行くことを辞められないとき、それは、まだ成長の、のりしろがある、まだ上に行ける、という実感や探求心があるからでした。

十分、のびのびと成長したら、満足しました。

それには週に2回、1シーズン35回もアイスに行かなくちゃならなかった(笑)。私の場合は、です。

想像するに、ベックさんの満腹、はエベレストまで来なかったんでしょうね。

■ 家庭不和

ベックさんは、そういう風に山を突き詰めていく中で、家庭不和に陥ります。家庭をないがしろにして、山に突っ走ったのだそうです。

そういう背景があるにもかかわらず、遭難で、救命作戦に奔走したのは奥さんであり、それは家族の在り方として正しい愛の在り方だと思いました。窮地に陥った時に助けてくれる人が真の友人です。人生のパートナーなら、なおさら。

なので、これは夫婦に起きた試練ということでした。

結局、ベックさんが得た至福というのは、やはり、思った通りで、日常の些細なことにも神を見、感謝できる、ということでした。

多くの、生死をさまようような出来事からの生還者は、同じように語ります。幸せは実はそこにすでにいつもあったのだと。ただ生きているだけで、いいんだと。

多分、それに気が付くことが、一番難しいことなのです。

それにエベレストへ行くことが必要な人もいるし、手首から下を凍傷で失うという代償が必要な人もいるし、途中で命を落とす人もいるということです。

だから、市井の聖人は、普通に生きているだけで、幸せいっぱいな人です。

決して、お金持ちや、何かを目指している人や、競争社会の勝者、あるいはよく言う、勝ち組などではなく…。

どんな小さな里山でも、それがちゃんと自分の足で歩いた山ならば、大なり小なり、同じメッセージが込められていると思います。

それは、ブラフマムフルタ、宇宙の叡智がみなぎる時間と言われていますが、その時間帯にあふれているもの、と多分同じと思うのですが…。つまりは、早起きさえできれば、山まで行かなくても、触れることができるもののような気もします。

同じものを味わうのに、肉体を酷使する必要がある個体もいる、ということなのかなぁ。






コメントに深謝

■ いい寒気

風邪、いよいよ終盤です。鼻になってきました。完全口呼吸です。

今日は、雪雲ちっくな、寒々とした灰色の雲が上空を結構なスピードで流れていて、いい寒気だなぁ!という感じです。山も、やっと凍り付き始めたかなぁ…

11月のアイスクライミングシーズンの皮切りは、裏同心ルンゼが定番です。私は行ったことがないのですが、佐藤さんが毎年行っているということは、裏返すと、今年の寒気の入り方を知るのに、毎年退屈でも登っておいたらいい、ベンチマーク的なルートなんだろうなぁ、と思うのですが…。

そういう考えをする山ヤが周囲におらず。というわけで取りこぼし課題。

■ 学び方?

中学のころ、数学の先生が革新的な人でした。私と、もう一人の成績の良い子に、解答を並行に書かせて、どうしてそういう数式にしたか、説明させるのです。

国語の先生も似たようなところがあり、小説の書中人物の発言の解釈など、公開討論をしていました。

そういう土台があったためか、ディスカッションを基本にする、グロービスのクラスに出たときは、あまりの知的刺激に興奮状態でした。

とても楽しかったのです。これだ!こうすれば、みんなが考え、その考えをベースに、その時の最適解が出せる!と思いました。

以来、HBS式の教授法というのに興味を持っています。

ビジネス環境は、状況により判断がいろいろ考えられ、正解が一つとは限らない世界です。

いうなれば、山も同じ、です。

ならば、同じ方法論が、問題解決に有効なのではないか?と思います。

ただ最近は、残念ながら、山ヤは絶滅危惧種ですので、そうした議論を繰り広げる場がない…ので、私の場合は、考察をブログ上でしています。独学ってわけです。

心には問いがあります。その問いに答えるようなコメントを頂けることがまれにあり、そういう時は、かなりうれしいです。

特にご自身の経験をバックグランドにした、参考にできる事実の提供をもらえると、ちょっと嬉しいです。

今日は、昨日書いた国立登山研究所主催の講習、大日岳遭難事件について、当事者からコメントをいただき、とてもうれしかったです。

ありがとうございました☆

なので、今日は朝6時にして、とても良い日でした☆

■ 憧れの…

私は、登山学校というか、山の学び方をどうするか?という活動には、とても強い情熱を感じます。

で、周囲に今登山学校を終了されてコーチをされている女性の方がいて、その方がとても山ヤとして気持ち良い方なので、どんな教育を受けたのだろうと興味を持っています。

それは、ICUに行った人に授業のこと教えてほしいとか、MITに行った人に話を聞きたいとか、グロービスのすべての科目を終了した人に教えてほしいがあるとか、RYT500など幾多の資格試験を終了した人に率直に聞きたいとか、と同じです。ベストプラクティス、エリート教育、みたいなものには興味があるのです。それは、能力開発という面で、です。私も、ちょっとだけですが、いいなぁという思いがあります。

でも、まぁすごくうらやましいわけでもなく、”与えられていない”のではなく、むしろ、まぁ、私には必要なかったというだけのことなんだよなー的な感じ。

例えば、今と同じTOEIC925点を習得するのに、自分で考えなくてもいいけど、500万円払わないといけない留学コースと、大変だけど5万円の最終収益があるオペアコースとならば、後者を今でも選ぶだろうと思うからです。

結局、どういう枠組みで学んだか?ということよりも、大事なことは、本質的なことをより深く学ぶ、ということだからです。

そのためにはカリキュラムという枠は、あればあったで、あるなりのやり方ができるし、なければ無いで、本質的な理解が伴っていれば、なくてもいいわけなのです。

資格や免状と同じですね。

初めてソフトウェア開発部に行ったころ、先輩プログラマーの皆が、資格がないのに、こんなにプログラミングをすぐ覚えてすごい!と言ってくれました。(私にとっては中学のころ、夏休みに独学した、Basic言語と同じで全然簡単だったんですが)それで、すぐ仕事が来たんですが、逆に、全く仕事をやったことがない会社に面接に行ったら、あなたは文系だから、なんでもいいからマイクロソフトの資格を取ってくれ、と言われたことがあります…。

前者は過大評価、後者は過少評価です。人の評価というのは、先入観次第なんだなぁと思った経験でした…。

私は、”知っているはずがないのに知っていて、すごい”か、すでに実績があるのに、”実績があっても使い物にならないだろうから、買いたたいておこう”と思われていたわけです。

基本的に登山も同じです。

私は、山ヤとしては、全然実績がありませんし、私が高い評価を得ているとすれば、それは、最近登山をする人が中高年で、その人たちの感覚で図られるからで、私ができる程度のことは、基本的に誰でもできます(笑)。

■ 実感ベースの実力の実感が大事

最近、新しいアーサナ(ヨガのポーズ)をやっているのですが、やってみて初めて分かる、先生のすごさ!

っていうか、先生だけじゃなく、レッスンメイトの皆も平気でやっているようなポーズなんですが・・・(笑)

やってみてわかる難しさ!!

とっても難しい~!! 一生できる気がしません(T_T)

まるで、逆アンダーを教わった日のようです…フィギュア4、上がる気がしません…

ということを持ち出したのは、こういう実感に基づいて作る実力への信頼が大事だってことを思うからです。

実力という言葉は誤解があるかもしれません。実力という言葉には、上下の感覚がありますが、上下のニュアンスは不要だからです。何ができて何ができないのか?ということです。

■ 山も

山という活動も、15kg担げる人より、30kg担げるほうが、実力が上、という感性がありますが、そうなると、問答無用で、20代男子が一番上ってことになってしまいます。

しかし、現実の山では、40代後半から50代前半の男性山ヤが一番強いです。30代なんて全然、目じゃないです。

歩荷量の研究という記事は、人気記事ですが、体重70kgの男性が28kg担いでいるのは、筋肉量からして、体重45kgの女性が16kg担いでいるのと、なんら筋肉1kg当たりの負担は変わりません。

私の実感からしても、17kgって大した歩荷量じゃない…ので、これを実感として連想すると、若い男子が30kg担いでいても、トレーニングの意味に成立していないかもしれないです。

ただ一つ言えることがあります。山は絶対値なので、もし冬山に行くなら、だれでも、自分の寝食を担いで二日間は歩けるくらいの自分を守る力は必要だ、ということです。

私は厳冬期北アは行かないのですが、それは、厳冬期の北アの標高差とか行動時間をこなせないからではなく、もし天候が荒れて缶詰めになったとき、一週間程度生き延びる力が自分にあるかというとないなーと思うからです。 いくら体脂肪あっても。

北アはお天気の読みに本当に経験がいります。お天気を読めるようになるには、やっぱり山に行くしかない…となると、自分でも行ける、そう深くない山を探すことになります。

ということで、上高地くらいは行きますし、アプローチ近いアイスとかは興味がありますが…。そうなると、体力ではなく、技術力の山ってわけで、難しいんですよね。

なので、私の今の課題は、体力増進ってよりは、技術のアップなので、フリーとかドライとか頑張るって話になるわけですが、そのプロセスで、すでにある、私の年齢にしては、平均的と言われている体力を失わない、ということも大切になってくるので、

スプーンの油を落とさないようにしながら歩く

という『アルケミスト』のセリフを思い出すわけですね(笑)。














Saturday, November 18, 2017

The World’s Best Belayer -- Petzl

大日岳遭難事故に学ぶ 技術のリスク、雪庇のリスク、思い入れのリスク、誤解のリスクとその結末

アルパイン2年目だったころの、11月の山を振り返っています。

■ 富士山での雪上訓練 技術習得

アルパインクライミングをスタートすると、最初に身につけなくてはならないのは、

キックステップ、つまり雪上歩行

です。これができていないと、傾斜が平なところでも(昨日、紹介した遭難事例のように)転んでしまいます。

キックステップは、フリークライミングの側対のようなもので、自分で身に着けられますし、身についている人が見たら、だれでもすぐに身についているかどうか、見ればわかります。

自分で雪山に行っても習得できますが、習得しようという自覚がないと、雪上訓練に行っても、一生習得しないで終わってしまうかもしれない技術でもあります。平らなところ…例:北八つ…でアイゼンを履いていると身につかない…。

私は雪上訓練に出たときには、すでに習得済みでした。雪は3年目だったからです。その年は、2度、雪上訓練に行きましたが、高所の順化に役立つのは、富士山での雪上訓練です。こちら。

雪訓

富士山での雪上訓練は、強風対策・寒冷対策が春山の訓練よりシビアです。たまにニュースで、雪訓中、亡くなっている人もいます。

私は積雪期(春)に富士山山頂へ静岡県側から行っていますが、富士山の傾斜は、走って降りれるほどの緩い傾斜でした。登り6時間、下山は2時間半でした。

■ 鎌ナギで学んだこと 思い入れのリスク

リーダーでもメンバーの実力を客観的事実として判断するのは難しいことを学んだ

鎌ナギ

の記録です。

鎌ナギは南アルプスの深南部という秘境的な山で、この山域でもっとも難しい山です。

山の難易度としては、UIAAのAlpineSummerにあった難易度を基準にすると、T6 Difficult Alpine Hike です。

鎌ナギはT6に必要とされる、Excellent Orientating Skill & substantial alpine experience(卓越した読図技術&アルパインの経験)もなく、体力もないのに行ってしまった山でした。

リーダーは優れた人でしたが、優れた人に任せておけばよいわけではない、ということを学習しました。リーダーだって人ですし、特に、その人の会歴が長ければ長いほど、実力を客観視する力学よりも、なんとか連れて行ってあげたいという親心のほうが優位になります。思い入れというのは、安全に対して、プラスに働くとは限らないわけです。

山の実力を客観視することの難しさ

■ 大日岳遭難事故 若さリスク

鎌ナギの研究をしたおかげで、『岳人』にたまたま、

大日岳遭難事故

が掲載されており、知るところとなりました。

これは、非常に有名な訴訟事件で、

 国が非情

であることが克明に浮き彫りにされています。

こちらのクライマーKさんの情報は、コメント欄に残しておくだけでは、もったいない記録ですから、転記しておきます。

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私が初めて剱岳に登ったのはGWの早月尾根からでした。
大日岳の立山川側に張り出した巨大雪庇がひと際印象に残っています。
合宿最後の日に剣沢のBCから、大日岳を往復することになりました。
最も重要なことは、あの巨大雪庇の上を歩いてはいけないことでした。
稜線の傾斜が緩い部分は雪庇の上です。絶対安全圏は稜線から50メートルと想定しました。
なので室堂側の急斜面をトラバースしていきました。
早朝は雪が硬く、くるぶしが痛いトラバースが延々と続きました。
休息するときは傾斜が緩い雪面に上がりました。そこは岩や這松が露出している所。ここは山稜の上で安全です。この程度のことは山岳会一年目の私でも考えていました。

この事故のときの文登研の講師は、詳しいことは忘れましたが、ヒマラヤで素晴らしい記録をを幾つも残している人です。その時代の尖鋭を歩いていた人です。岳人備忘録でこの人の項目に「この事故の全責任は全て自分にあると、国に言っていた」と書いてありました。事故と国の対応で二重の呵責だったのではと私は感じました。やはり、国側は非を認めず裁判になりました。

天気の良いときに剱岳の頂に立ったことがあれば、早月尾根、別山尾根からも大日岳の雪庇は見えるはずです。
他の山でも縦走をしていれば、雪庇というものが、どんなものか認識していたはずです。
彼は雪庇がどんなものか理解していなかった。つまり壁屋(クライマー)であって、山屋(アルピニスト)ではなかったということでしょう。スポーツの世界では、優れたプレーヤーだった人が、優れた指導者になれるとは限りません。

高度な冬山技術とは何でしょう。冬壁のクライミングではないでしょう。
まず大学生が覚えることは冬山技術の基本ではないでしょうか。


例えばアイゼンワーク。荷物を背負わない雪上訓練では、実際の登山では役不足です。
一週間分のテント泊装備とクライミングギアを背負い、2日間は歩け続けるくらいの山力は必修です。GWに馬場島から登り、剱岳の三の窓にBCを張るくらいのことです。登山技術云々の話はそれからです。
疑問は研修登山期間に学生を保険に加入させていたのでしょうか。あれば、国に過失があろうと、なかろうと保険は支払われると思います。登山研修所が実行する登山なので、研修所がかけるべきです。未確認ですが、講師には日当が払われていると思います。

文登研の所長が言っていることは、典型的な役人の責任逃れの詭弁です。

低価格な学連講習というのは、自称アルパインクライマーで、現在は山に行かなく、人に教えるのが大好きな人が講師というのがあります。有料講習で無資格でもOKなのが日本です。
国際プロガイドでも変な人を知ってます。自動車免許を持っていても、いろいろな人がいるのと同じです。

○○○山岳連盟の岩登り講習会で、残置支点を無視。懸垂下降の訓練中に講師の作成した支点が崩壊。講習生が重傷というのを聞きました。
何年か前の秩父ブドウ沢の事故は、沢登りが2回目の人で、確保なしで残置固定ロープをトラバースさせていておきました。有料の登山学校です。フェラータ方式でトラバース、かつ持参したロープで確保すれば安全だったはずです。遅れて5人も後続しているので、なおさらです。この事故は誰も責任を取っていないと聞きました。

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赤字は、当方がつけています。

この遭難を知ったことで、

・雪庇は遠くから確認して目視で何メートル先が安全か想定しておく
・地物の上で休む
・それくらいは、山岳会1年生でも、できて当然
・まず覚えるべきことは冬山の基本
一週間分のテント泊装備とクライミングギアを背負い、2日間は歩け続けるくらいの山力が基本
・無保険だったらしい(講師にもかかっていなかったことが岳人備忘録に書かれています)
・自称アルパインクライマーで、現在は山に行かなく、人に教えるのが大好きな人が講師=危ない かも
・ヒマラヤに行った人が適切な講師とは限らない
・山岳連盟の講習会だからと言って内容が良いわけではない
・国際山岳ガイドだからと言って内容が良いわけでもない
・講習会でも支点は自分でチェックする

などが分かりました。

■ 被害者は遭難者だけではない

さて、この遭難事件は悲しい事件だったようです。昨日、ある方からこのような感想を頂戴しました。

ーーーーーー
尊敬していた山の会先輩の〇〇さんは先発していたA班の講師でした。事故の後、雪庇を認識していて講習生にも指示していたことを証言、マスコミに誤解されて、今で言う炎上ですね。遺族と文登研の板挟みになり、真面目な方なので、一生懸命、真実を語っておられましたが、国が責任を取らなかったため、自ら責任を取る形でガイドをやめて、山岳界を去りました。今も消息不明です。被害者は亡くなった方だけではありません。悲しい事故でした。
ーーーーーーー引用終わり

つまり、学生の側が、指摘を受けたのに、それを真に受けないで雪庇上で休んでしまった可能性もありますね。むろん、雪庇から落ちた人に直接、指摘していなかったかもですが。

大日岳なんて、雪庇がいっぱいということを知りに行くような山なんで、そもそも雪庇の危険性に無頓着ということ自体がありえない、と思ったりもしますが…、大学一年生だしなぁ。

そうこう、考えている間に、


と題するヨガの文章を読むことになりました。つまり、

 教えても教えても、教わらない人も世の中にいる

という話です。実際、それは、昨日読んだ、若者の雪山ハイキングでの遭難の話と、私が山岳会で見聞きしたことと一致します。

これをどう読み合わせるか、どういう結論を導くか?ということは、個人次第と思いますが、一つ、考慮すべき事実としてあげられることがあるとすれば、

アルパインクライミングで、もっとも死亡率が高いのは、20代男子、

ということです。



それはなぜなのか?ということについても、よく考えてみる必要があると思います。

■ 参考文献

関連図書 『岳人備忘録』

当方の読後禄 https://stps2snwmt.blogspot.jp/2014/11/blog-post_50.html

山本一夫さんが、この大日岳遭難事故を語っています。

それにしても、リスクに備える心が、足元をすくわれるのは、ほんの些細な点ゆえであり、そして、人間なら誰にでも起こりうる心の癖ということです。

それが大きな悲しみにつながり、人生自体の崩壊とも言えるような大事件につながっている…ということを、歴史から学ぶことができると思います。

私が見る限り、大事なことは、怠惰に陥らないこと、よく自分の頭で考えること、小さいことをおろそかにしないこと、客観視しようと努めること、人任せにしないこと、執着を手放すこと、など、普段の生活上でも、やっているべきと思えることばかりです。


Thursday, November 16, 2017

今日の遭難事例(赤城山)で思ったこと

しばらく前に、アルパインクライマーの伊藤仰二さんが、海外遠征間際だというので

「保険金、高くしとかないと!」なんて冗談で言ったら、

「でも、俺らがやっていることより、一般登山者のほうがうんとリスク高いんじゃないかな」

なんて言うんで、”あ、地雷踏んだな~”と思いました。

地雷というのは、この場合、適切な表現ではないですが、本質的な議論の端緒を開いてしまったな~ということです。

今の時代の問題点は、世界的アルパインクライマーよりも、一般登山者のほうがリスクが高い登山をしていて、そのことに本人が無自覚ということかもしれません。

■ 事例

今日は朝から、こんな遭難事例が飛び込んできました。

http://portal.nifty.com/kiji/171115201202_2.htm

が…、この方は、たぶん、事故後も、それではこういう目に遭わないためにはどうしたらいいのか?ということは、まだ理解できないのではないかと思いました。

(もし理解されていたらごめんなさい。こういう事例は、非常にありがたい事例なので、利用させていただき、事例を紹介してくださる勇気に感謝してます。)

遭難を防ぐのは、”今度から12本爪アイゼンで歩きましょう”、ではないです。ちなみに。


この写真から判断する限りですが、この程度の斜度では、よほど雪がコチコチに凍って、氷化しているのでもない限り、アイゼンはつけないで、つぼ足で歩きます。基本的に冬用の登山靴で、キックステップができていれば、滑るような斜度ではないです。

ヒップそりなしでヒップそりをしたことに反省点を求めているような様子もうかがわれますが、ヒップそりすることが悪いことではないです。ただ、木に激突して止まるという方法論が危ないと、普通の感性の人は、最初に気が付くと思います。

もし、スピードが付きすぎていたら、物理の法則で、自分の体の強度のほうが激突の衝撃に負ける可能性がありますよね。

誰が考えても、それは、リスクコントロール外です。スピードがつきすぎたときに、衝撃何キロニュートンか、即座に計算するスーパーコンピューター並みの頭脳があれば、危ない!とわかるかもしれませんが、たとえ、そうだったとしても、危ない!と思ったときに、ほかの手段で減速するなり、停止するなりの手段が用意されているか? …ないです。バックアップ、つまり保険なし、です。

ヒップそりに関して言えば、ヒップそりをするなら、アイゼンを脱ぎ、ぶつかっても強い衝撃になってしまうような障害物…木や岩…がない場所を選ぶべきです。つまり、だれでも、わかることですが、原っぱ的な場所ですね。現に、滑り主体のスキーなど、そのような場所を選んで行われているでしょう。

そして、斜度がゆるんで自然停止するか、もしくは、お椀の底のような地形で傾斜が立って自然減衰する場所なら、ヒップそりをして遊ぶのに、最善です。

そういう場所を選んだ上で、減速する練習…たとえ、雪で体がべちょべちょになったとしても、体の摩擦で止まる…を練習するなら、安全が増えていくだけの、本当に楽しい活動です。

ヒップそりの安全な練習場所を説明するのは、これが尻セードという、れっきとした登山技術につながるからです。私の経験で言わせてもらえば、尻セードは、楽しんでやれる滑落停止訓練と思えば、やっておいて損はありません。

余談ですが、グリサードという、もっと高度な技が登山技術にはありますが、現代のピッケルは短すぎて、グリサードに向かず、今やる人は少ないそうです。

さて、続きを考察しましょう。

この彼は、仲間思いのいい奴であることは、誰の目にも明らかです。仲間を助けに行って、自分がレスキューされる羽目になる。ミイラ取りがミイラ、みたいな話ですが、このケースは骨折で済んでいますが、同じ行動で死ぬ人もいます。沢で事例を知っています。

助けに行く場合、後先考えずに行く、という、突発的な行動自体がすでにダメです。

自分が事故を起こしてしまったら助けにならない、というのは、立ち止まって考えたら、すぐわかることです。

助けに行く場合は、考える間を持ちましょう。現に友達は、元気だったのですから、そこから、普通に登り返してもらったら、よかっただけなのかもしれません。

声が届く範囲にいるなら、声をかけて状況を確かめるのが先決でしょう。

■ リスクは、本人の理解力・判断力の未熟さ

ここまで説明して、一般登山者の方に、わかってもらいたいのは…、4本爪のアイゼンで雪山に行くなんて、雪山を舐めていたのが悪い、という反省の仕方は、全くを持って、的外れで、逆に、不必要に冬山のリスクを誇大妄想させるだけだ、ということです。

単純に無知がリスクだったのです。ですから、年齢や体力、知的レベルにかかわらず、無知な場合は、たしなめてくれる経験者の同行が必要です。

この方の反省文からは、無知から脱却したことが読み取れず、個人にとってかなり甚大な怪我を経験していながらも、同じ過ちを繰り返す可能性があります。

問題点1) 雪上歩行は無雪期の歩行と異なることに、全く無自覚
問題点2) 何かにぶつかって止まろうという発想は、そもそも平地でも危険
問題点3) 停止する手段を確立しないまま、ヒップそりという自分のコントロールの聞かない手段を採用していること、そのことに無自覚
問題点4) 周囲の安全確認の不足
問題点5) 木が障害物、危険物であるという認知がない
問題点6) 文章からはアイゼンを履いたまま、尻セードしたと伺われる
問題点7) 状況の把握をする前に、突発的な行動に出ていること

問題点8) 上記のすべてに依然として無自覚であること(自分の何が悪かったのか、基本的な理解が伴っていない)

つまり、リスクに対して無自覚、ということが、もっともリスクです。

これは、一般に、リスク不感症、と呼ばれます。

しかし、足首の骨折という大怪我をして、リスク不感症を脱することができているか?というと、たぶん、ですが、この文章を見る限りですが、できていないようです。

だからこそ、指摘してもらえる山岳会が必要なわけですね。怪我をして、反省しても、反省ポイントが的外れであれば、また同様のことが起きます。

こういう事例は、会で危険認知のためのディスカッションの良き題材とすることで、多くの方が、リスク不感症を脱することができる事例、と思います。他山の石ということです。

■ 雪山ハイキング = 雪とお友達になる会

本来、なだらかな雪の山、雪山ハイキングというのは、雪面の歩行が無雪期とは全く違うことを認識することが目的です。雪と言っても、いろいろあり、みぞれっぽいのから、固く氷化したの、あるいは、さらさらの、と色々あります。それぞれ、滑りやすさ、歩きやすさが違い、キックステップは、基本のキですので、転んでも問題がないようなところでは、先輩はアイゼンをつけろ、とは言わないはずです。アイゼンを付けたら、練習にならない。

若い人が若い人だけの力で、雪の山に行こうとするのは、全くを持って健全でよいことです。

しかし、そこから、ちゃんと山が語り掛けてくる、山の言葉を、正しく聞き取らねばなりません。

昨今、たとえ怪我などの痛い目に遭っても、この山の言葉が聞き取れない人が多いのではないか?というのが、こういう記事を見た私の感想です。

そして、こうした人は、年齢が若く(つまり体力的なリスクは少なく)、無邪気であるので(つまり憎めない)、山岳会も甘くなりがちです。

が、山には向き不向きがあります。向かない人というのは、

 基本的にリスク物・事を見ても、リスクを感知できない人、

です。

逆にリスクを感知できされすれば、それを避けるように人間は動くので、たとえ、ギリギリボーイズのようなリスクに近づく山をしていても、むしろ安全、と言えるのではないかと思います。

自分がどの程度の場所を転倒することなく歩くスキルがあり、どのような状況までなら山の様子を理解しているか、自分は耐えられるか、などという、もろもろのことに自覚的だからです。

山で一番必要なのは、自覚、です。

これは雪1年目の山。西穂です。

私たちがGWの八つでの足慣らしののち、行った雪山。まだ6本爪アイゼンしかなかったが、危険を感じたら進行しない、ということで山の声を聴きながら歩みを進め、独評手前で降りてきた。

敗退ではない。というのは、山頂を目指していたわけではないから。危険なしに行けるところが、そこまでだったため。

小屋から下りで、4本爪アイゼンの老夫婦に出会い、アイゼンを拾ってあげた。


Tuesday, November 14, 2017

ロクスノ017号の100Tips

このロクスノはたまたま、自宅にウォールを作りたいと思って、教えてもらって、取り寄せたのですが、内容が濃すぎて目が離せない!という特集記事、100Tipsが載っています。

昨今、山の質問や疑問を受けつけてくれるネット上のサイトもありますが…私が見たときは、しょぼすぎる質問で、気分が萎えました…。

こちらのQ&Aは、質問が高度です。

適当に質問内容を拾います…。ご参考に…

・モダンミックスの国内ルートはありますか?

・単独登攀のシステムで 最も安全性の高いものを教えてください。

・フィフィの収納の仕方

・オールラウンドクライマーを目指しています。山岳会に入会したほうがいいのでしょうか?

・コンティニュアスの方法と、注意点

・長期にわたる雪稜登攀では、手と足の保温システムはどのようにしているのでしょうか?

・雪洞内にテントを張るとき、積雪の強度の判断はどのようにしていますか?

・アルパインをしています。その基礎となるフリークライミングを日常トレーニングとしていますが、レベルの高いフリークライマーは皆、足が細いように思います。しかし、アルパインでは、ザックを背負った歩きやラッセルがあり、足の筋肉が必要だと思います。私にはこの二つが矛盾しているように感じられるのですが、どのようなトレーニングをするのが理想なのでしょう。体脂肪がある程度ないと、冬季クライミングは厳しいと思いますが、そのあたりのこともお聞かせください。

・一ノ倉沢を見たとき、いつかここを登りたいと思い、クライミングを始めました。とりあえずジムに行ってみました。いかれた若者が奇声をあげていて不快なだけでした。自然の岩場ならとボルダリングにも出かけてみましたが、ここも同じような状況でした。もっと自分のモチベーションを高めながら練習できるような場所、方法はないものでしょうか。

・4000mで高山病にかかったのですが、ヒマラヤは無理ですか?

・チベット側から8000m峰などの高峰に挑戦する際、ネパールで4000m~5000mのピークでトレッキングして高度順化してから、チベット入りするほうが成功率は高いのでしょうか?

・とりあえず、エルキャピタンを登りたいのですが、ステップアップの例などあれば、教えてください。

・高所に行く際、日本で富士山を登りこむトレーニングをすると聞きました。その場合の方法を教えてください。どの程度の高度まで耐えられる体を作ることができますか?

・アルピニストを目指しています。酒とたばこのどちらを辞めるのが効果的でしょうか?

・現在は、フリークライミングしかしていませんが、将来的には山野井さんのような高所でのハードなクライミングを目指しています。今から並行で、本チャンの岩場でトレーニングしたほうがいいでしょうか?クライミング歴は2年で、最高RP5.11c、最高OS5.10dです。

・超高難度のフリーをビッグウォールで何ピッチも続けられる持久力は、どうやってみにつけているのですか?

・高所、ビッグウォール、フリークライミングと、どれが一番、男女差がないと思われますか?

・コンペのルートセットしているときに、心がけていることは何ですか?

・リードで登るときにランナウトがめちゃめちゃ怖くて固まってしまいます。どうしたらいいですか?

■ いかがでしょう?

いや~ いかがでしょう?

ちなみに回答者も豪華メンバーです。

平山ユージ
ミック・ファウラー
中根穂高
小山田大
まだ旧制の遠藤由香
東秀機
吉田和正
室井登喜男
リブ・サンゾ
北山真
山野井泰史
花谷康広
馬目弘仁
小西浩文
アレックス・フーバー

敬称略。

これも、目についた人だけで、です。写真がみんな若くてびっくりです。それもそのはず、この本は、2002年の本なのです。15年前!

しかし、質問的にあまり古さを感じないです。今も昔も新人が困ることと言ったら、同じってことなんですかね?

あ、モダンミックスとは、今では言わないですね(笑)。

なにそれ、お好み焼き?って思いました。岩と氷がミックスした、ルートという意味と思いますが、そうだとしたら、今は普通にミックスルートというと思います。

回答のほうは、日本にはモダンミックスはない、という回答が寄せられていましたが、現在はミックスルートならあります。私は4Pのミックスを登っています。

昔は岩をアックスで登るのは、Mテクと言ったそうですが、MはミックスのMです。今ではドライツーリングと言っています。








http://yukiyama.co.jp/mountain/2012/02/climbing-at-2012.php

Monday, November 13, 2017

山のあるライフスタイル

■ 山ヤと自然回帰

昨日は、グレートヒマラヤトレイルの報告を聞きました。

山の価値観にはいくつかあり、未知→高さ→困難と価値観が変遷してきたわけですが…。

(苦言になりますが、現代の一般登山は、山を開発して、自然を非自然化する方向に発達しており、結果として、自然の中にいても、自然ではないことになっています。せめて山小屋を使わず、テントで行くのが山ヤたるものの忸怩、というものでしょう)

現代では、世界中が冒険されつくされてしまい、人類にとっての未踏の地というのはないのです。が、その中でも、未開の要素が強いところ…都市の対極…は、第三国です。あまり、開発されていない国ってことです。なので、例えば、ヨーロッパのような、高度に都市化されたところより、そうでないネパールなどのほうが、当然ではありますが、より自然度が高く、食料を持っていくなどの苦労が、価値につながります。

が、グレートヒマラヤトレイルなどは、行く期間の長さによっては、道端の草も食べないといけないらしい…(笑)。イラクサのカレーと言えば聞こえはいいですが…(笑)。

日本でいうところの、摘み草料理みたいな感じですね。なので、こうした山行というのは、本質的に、

人間そのものの生きる力、原始的なところで生き伸びる力が試される、

ということでした。

 どこでも寝れて
 なんでも食べれて
 自分の道を切り開ける 
 悪条件に耐えれる

ということが、基本的には人間の底力、というものみたいです。

山行報告の中で、最も素晴らしかったのが、この報告でした。

が、だれも後に続こう!という人がいないのが印象的でした(笑)

なかなか、文明をそぎ落として生きていくのは、つまり、シンプルに生きるのは、方向性として、かなりとることが難しい選択肢なのだということです。できることから、スタートしていこうと思いました。

ご興味ある人は、こちら。https://mainichi.jp/articles/20170527/ddl/k40/040/535000c

■ 山のある生活

山をしていて、こんなきれいな地球に住めることの幸運を思うわけですが…単純にシンプルに自然の中に、たたずむ喜びだけに、ひたひたることが、本当に貴重な、無垢な時間なのだということが、わかるのは、登山も、だいぶ高じてからかもしれません。

未知なる場所というのは、人類にとってはなくなりましたが、個人には無数に残っています。知らないところへ行くと、人は成長します。したがって、成長の場所はいくらでもある。

高い場所を求める必要は、個人的充足には、ほとんどないです。薄い酸素に耐えること、は、少ない資源で生きること、につながりはしますが、現代では、酸素ボンベを持っていく山が主体です。そうすると、大掛かりな装置が必要なので、そのようなことをしてまで登らなくていい。そうまでしてしたいというのは、もはや煩悩となるのだ、ということが報告を聞いてわかりました。まぁ登山史をたどる旅と思うべきです。

困難については、ワールドカップの選手でもない限り、自分の喜びとなる程度の困難の追及でないと…!登るために生きるようになるとよくないですね。

大事なことは、結果への執着を手放し、調和的なライフスタイルを築くことだと思います。

■ 調和的ライフスタイル

そういう風に思うのは、私だけの結論ではなく、おそらく、多くの山ヤが出す結論なのだと思います。 

人にはそれぞれ、その人に適したスキルレベルがあるので…私の登山におけるスキルレベルは、1,2年で市井の一般登山者のスキルレベルを超えましたが、山岳会に入っているような、山やさんたちのスキルレベルとすると、まだ駆け出しです。

が、これを上げる必要は…ないかもしれません。

5.12を登るスキルは、現代の若い男性クライマーでは珍しいことではないですが、私の登りたい雪の山に、必要となるレベルでもないでしょう。5.12と40kgの歩荷は、大学山岳部ならできていなくてはなりません。

5.11を登るのは、山やとしては最低レベルへの到達、と思うので、頑張ろうとは思いますが、急ぐ理由はどこにもないかも…。11まで行けたら、あとは、そう上に行く必要もないですが、11は、一度は通っておきたい場所です。まぁ今でもトップロープなら、5.11Aは登ったことがありますが、まぐれでは残念ですしね。取り組みとして、5.11は一定のスキルということが言えます。

そういう風に思うので、なんとなく、肩の荷が下りた報告会でした。

というのは、正直、山やとしての成長は、こちらでは減速せざるを得ないからです。しかし、2、3の山に行ってみて、まぁ、あまり停滞でもないと思いました。山はいくらでもありますしね!










Saturday, November 4, 2017

DIRTBAG: THE LEGEND OF FRED BECKEY (Official Trailer)

ダートバッグというのは、ヨセミテで、クライミングに生きることを決め、世を捨てた人のことです。それはそれで、すごい生き方ですね!