Monday, October 5, 2015

山梨では山に登りましょう☆

■ 都会が苦手で田舎もキライな夫

週末都会に一時的に戻り、2泊して帰ってきた。

夫は機嫌が悪い。彼は都会的なものは苦手だ…。大阪生まれ大阪育ち、と言っても、彼は都心まで1時間以上もかかる郊外の新興住宅街に育ったのだから、都会のど真ん中には気遅れを感じるのだ。

高層ビル、ガラスの扉、高級レストラン、ビジネスホテル、摩天楼、地下鉄、地下街の迷路…そういったものには、ドギマギ。落ち着かない。ハイセンスな空間は、居心地が悪いのだ、彼には。

新大阪の駅ビルが新しくなっても知らない。いつも同じところしか通らない。お弁当は和幸のとんかつ。でも和幸だったら、甲府駅にもあるんだから、なんで、わざわざ和幸のとんかつを新幹線で食べなければならないんだろう?どうせ駅弁しか食べれないなら、新大阪でしか食べれないモノを食べたい。

何より、新大阪には空中回廊でつながっているインテリジェントビルや、食堂街があり、駅弁でお茶を濁さなくても、ちゃんとした食事ができる。

彼といると、構内で何かに立ち寄ると言うことはなく、まるで一目散に逃げるように、点と点をつないでいた・・・(^^;)。そうだったのね・・・。

だから、東京神田のホテルへ着くまでは、まるで息を止めているみたいで疲れた・・・。

どうりで出張に行くたびに、「大阪どうなってた?」と聞いても、しーん…で、京都のおいしいお漬物も、大阪の美味しい昆布もお土産にないハズだ。(今回も買えず)

きっと彼にとっては、厳冬期北岳に行くくらいの気持ちでいるに違いない。景色や変化を愉しむゆとりなし、なのだろう。

彼は都会人と言っても、梅田の地下街を地図なしで歩くことはままならない。

それなのに、山梨が田舎だと言って馬鹿にしているのは、狭量だといつも思う。

山梨には山梨にしかない良さがある。その良さを味わうのが大事だ。

■ 多様化

いつも思うことだが、2000年代に入って、価値観は多様化した。高度経済成長期のように、東京のソックリさんになることだけが良さと考えている人は、もうほとんどいない。エンドレスな成長なんか、あるわけがないのはみなが分かっている。

しかし、価値観が多様化したことは、田舎の人には、理解されていない。

基本的に情報が入ってこないために、考え方が10年~20年程度、時代遅れであるということが第一の理由だ。20年くらい遅らせるとちょうど良い。

それは建築物の様式なんかによくあらわれ、去年できた県立図書館や新市庁舎は、ちょっと前の建築ブームの様式を採用していた。つまり関空みたいだった。(関空は1994年の開港)。そう言う様式はすでに大阪ではもう古臭くなっている。他には新築マンションのチラシでも、大阪で私たち夫婦が15年くらい前に聞いたメリットが今頃、謳われている。

時代遅れに対して、時代遅れだと気が付くこと自体が遅く、指摘するのも失礼だから、誰も指摘しない・・・すると古い価値観も相まって、自分の土地の強みや良さには、全く価値が見出せなくなる、ということが起っているように思える。

つまり、今では東京になりたがるのはとっくに時代遅れなのに、いつまでも東京の相似形になりたがっているように思える。もうとっくに東京ソックリさんになりたがっているようなところはない。

5年前には九州で商社の仕事をしていたんだが、九州なんて、九州独自の経済圏を作りたがっているのですぞ?何しろ、九州だけで、オーストラリア以上の経済規模があるのだから、九州だけで国になっても別に十分通用する。実は、自立した方がお得なんである。

東京はワールドクラスの大都市だ。東京と自分を比較することは、NYと自分を比較するのと同じような滑稽さがある。

自立できないと嘆いているのは、もしかして、子供が自立できないと嘆きつつ、子供に巣立って欲しくない親子関係と同じで、共依存にあるからかもしれないなぁ、なんて思う。

15年ほど前だが、市場調査の仕事をしていたときに、大阪以西の西日本担当になり、街角でよく見かける、ある機械の調査で、西日本をくまなく旅したことがあったが、どこへ行ってもそっくりの駅前、どこへ行っても、同じコンビニにファミレスで、飽きれたことがあった。日本は田舎の果てまで均質化されている!と思った。そんな国のどこが面白いんだろう?と思う。

■ 大阪はたくましく人情味にあふれている

大阪が好きだ。東京たらん、としていないからだ。あちらはあちら、こちらはこちら。変なコンプレックスなし。

ハッキリ言って、大阪の人は、ずうずうしく、マナーが悪く、自己中で、岩場でも、山でも大阪弁が聞こえてくると、大阪に住んでいた私だって避けることにしている。

出張で東京の電車に初めて乗った時、マナーの良さには驚いた。誰も座席めがけて、ダッシュしていない!荷物を置いての場所取りもない。

けれど、大阪では浮浪者は殺されない。大阪では浮浪者のおじさんたちに役立ちそうなものは、ゴミ回収の前にわざわざ出しておく。もちろんオジサンたちはわきまえていて散らかすこともなく、持ち去っている。

というか、一般市民の私たち夫婦も、たぶんそうして出されたのだろう、パソコン用のデスクでちょうどいいのを会社帰りに見つけ、拾ってきて使っていた。大阪では夜遅くに友達に電話を掛けて、「〇〇拾いたいねん、手伝いに来て」というのがまかり通る。

いつだったか、お正月の帰省で、さあ甲府へ運転、というときに、朝の散歩中のおばさんに会った。
普通に「おはようございます」と言っただけだが、「いつも来ているお友達が今日は来いへんねん。だから、これ、あげる」と言われて、ゆで卵を2つもらった。それなら、というので、おばちゃんにもなんだったかな?もう忘れたくらい、ちょっとしたものをあげた。大阪は人情の町です。アメちゃん必携。

橋本県知事の頑張りは、甲府にいるとあまり聞こえてこないが、頑張っているのだろうか…

そう言えば、甲府を経つ前に、甲府駅に浮浪者のおばあさんがいた。山梨ではめったに見ないから、いたら、目につく。その脇で、赤い羽根共同募金の人たちが募金を募っていた。

シュールで、関東らしい景色だと思った。目の前にいる、困っている人を見捨ることができる人がどのくらいの慈悲の心を他人に依頼して良いのだろうか?

浮浪者のような境遇になることを畏れる余り、享楽に耽る人々・・を見ると、焼かれたソドムの街を思い出す。

■ 6年目に入りました

甲府へ来て5年満期。9月で6年目に入った。転勤生活はいつ終わるともしれない。

甲府の一杯飲み屋の価格を考えると、甲府の人の方がお金持ちではないかと思う。こちらの暮らしは、配偶者の愚痴と浮気で、6時半から焼き鳥屋でクダを巻いても生きていけるような、既得権に守られた幸運な人生のようだ。

都会では20時前に家に帰れる人はほとんどいないのではと思う。都会人がお金があるように見えるのは、単に使う時間がないからだ。

いつかは都会生活に戻ることを考えると、山梨にいる間に、自然に親しむ活動をすることは、すべて、とてつもない価値があると思う。

登山、アルパイン、沢登り、岩登り、アイスクライミング、農業、ワイン、単なる自然体験…分野のいかんを問わず。

太刀岡山に、瑞垣に、小川山に、東沢釜の沢に、八ヶ岳に、あるいは穂高に大阪から来ると、一体いくらかかる? もちろん、コストで価値が計れるわけではないが、コストが活動の障壁になることは確かだろう。

多くの山梨県民は知らないが、北杜市には、4人もピオレドール賞の受賞者が住んでいる。ピオレドール賞というのは、金のピッケルと言う意味で、山登りの世界のノーベル賞みたいなもの。

山梨は、北アの玄関口の長野の大町や安曇野、あるいは山岳救助隊で有名な富山よりも、山岳環境としては恵まれている。それは雪で閉ざされることがないために、オールシーズンだからだ。もちろん、スキーには有利ではないが、年中山を歩くことができるし、アイスクライミングやフリークライミングに至っては、メッカに近い趣がある。

雪がないから、雪かきの苦労がなく、山梨の好天率の高さはほとんど全国的には知られていない。南国宮崎並みなんだけど。日本のへそは、知られざる楽園になっていて、その良さを享受しているのは鹿ばかりのようだ(笑)。

元々山梨にいる人は外へ出たがらない。日本全体を見渡すという全体像を見るという姿勢がない原因は、夫が都会で何も見ずに新幹線に乗る心理と同じことなのだろう。

いつ終わるともしれない、お客さん状態ではあるが、山梨の自然を味わう岩や沢こそ、山梨で価値ある活動だと確信した今回の旅。

2 comments:

  1. はじめまして、二日前から読んでいます。コメントから察すると大変頭が良く、プロフィールも読みました、素晴らしい方だと思います。良い意味で登山界の貴重な方です。上から目線の言い方で、すみません。31歳から66歳までどっぷり山岳界につっかている身にとっては、胸にささる事ばかりです。山岳会のありかた。クライミング、その他すべてを考えて、文章にできる能力。今まで会ったことはありません。私も未だ、発展途上?思案中です。山岳界に失望しないで、長いめで見て下さい。

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    1. 大変お気遣いあるコメントを下さり、恐縮です。山岳会にも良いところも悪いところもある、と思われます。今回は、状況と何が得れるか?ということを考えてみて、わたしには合っていない会だったのだな~と結論しました。相性ということです。
      そう思うのは、私の師匠を含め、尊敬している方は大抵、大学山岳部から、社会人山岳会へ進んだ方が多く、また、山岳会では指導的立場の方が多いからです。
      ただ実力があるクライマーが群れたがらない、というのも、一方で事実のようです。若いクライマーは育っていますが、従順を要求される山岳会には寄りつかないです。それでも、誰だって楽しい仲間は必要です。

      結局、楽しい仲間は自分で仲間づくりをするのが一番の解決策かもしれません。

      ある年輩のベテランの女性クライマーが、山岳会に面倒みきれないと言われたそうです。その方は面倒みてもらうつもりで入っているのではなさそうでした。私の会は面倒を見たい会です。恩を売りたい会は、面倒を見られたいと思っている人にはちょうど良い会です。
      会が合っている合っていないは、山もですが、どういう関係性で山を共にしたがっているか?も重要なのだなーと思いました。
      色々な会が合って良いのですが、内容がない会でも属したほうがマシと思う人が多いのは、未組織登山者に対する風当たりが非常に強いからだと思います。山岳会の人は未組織の人でも登り続けている人に温かい支援を差しのべて上げてほしいと思っています。
      未組織で登るほうが、経済的にも、心理的にも、タイヘンなことだと思います。

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