■ 『アンナプルナ 女たちの戦い7577m』
今読んでいる『アンナプルナ』という本は、日本人女性だけで、アンナプルナに挑んだ記録だ。
そこで、出発前に一悶着が起こる。それはメンバーに健康診断の結果に黒星がついてしまった人がいることだ。
尿検査で血尿が出ている人がいて、その人はそれでもぜひ参加したいと言う。山行計画での色々な貢献もすでにあった。彼女には、賛同者もいて、ぜひ今までの貢献を考えて、参加させてやってほしいと他の隊員へ懇願する。
途中まででもいい、現地に行って見て、症状が起きない可能性もある、今までの貢献をどうしてくれるのか、彼女が行かないなら、私も降りる、責任なら私が取る…などなど、人情に訴える説得に、リーダーは終に根負けする。。。
会員間で色々な議論が起っているが、結局、味方となった隊員二人は山行を抜けてしまう。
この議論は、途中で
血尿が出た人がアンナプルナに行くべきかどうか?という議論(合理的に判断できる)
から、
貢献をどうしてくれるのか?こんな冷たいグループとは一緒に登れない!
という信用問題(情緒問題)に置き換わっていた。
■ 問題のすり替えは、実力不足の代償
この経緯を客観的に見て、山はやはり
安全を第一に考えるべきだ、
と思った。昨今の山岳会で起きていることは、少しこれに似ている…
実力がそのルートに見合っていなくても連れて行ってもらえる
ということが、初級者と過去の栄光のベテランの両極で起っているように思える。
そのどちらをも、
実力不足
がその純然たるコアだ。
■ いかに対応すべきか
この時の田部井淳子さんの対応が良いなと個人的には思った。田部井さんは、一貫して、
病気の人は行くべきでない
と言い続け、それ以上言わない。
これ以上、シンプルな答えがあるだろうか?
正論は正論として通す。大事なことだ。ぶれない芯。コア。
大事なことは、これ以上突き詰めない、ということだ。
山には
・体力不足の人は行くべきでない
・歩けない人は行くべきでない
・技術不足の人は行くべきでない
・装備不足の人は行くべきでない
そういうシンプルなことがややこしくなる原因は、一つ。 煩悩だ(笑)。
今日は、沢の予定だった…しかし体調不良だ…残念だったが見送った。大きな山行で憧れている沢でもあったが、まぁ仕方がない。
山は煩悩化しがちだ。
その引き際を学ぶと言うことも含め、山だ。
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