Sunday, October 4, 2015

久しぶりの都会で思ったこと

今週末は法事で大阪に帰省だった。少し早めに出かけて、キレイになった大阪の街をちょっとだけ見物。車で帰省すると、都会の中心部は通らない。となると、街の変化は分からない。

久しぶりの新幹線での利用で、街の息吹が感じられたのが今回の収穫だ。

■ 田舎に引っ込むリスク

都会では聞きたくなくても、色々な情報…雑音とも言う…が入る。電車に乗るから、それだけで時代について行けるってわけだ。(基本的に時代は閉塞感にあふれているので、感受性が良いと鬱になりますのでご注意)。

しかし、甲府にいると、世の中の変化は、努力しないことには感じられない。それは、例えば、趣味のバイオリンに没頭、とか、受験勉強に没頭、とか、サッカーに没頭、とか、やるべきことに集中するという意味では良いのだけれど、裏を返せば、世の中の流れに疎くなる、とも言える。

時代遅れになる=自分が陳腐化しやすい・・・という意味だ。自分自身が陳腐化してしまえば、不利をこうむるのは自分だ。だから、自分の陳腐化は避けたいことだ。

そういえば、都会では高齢でもパソコンが使えないという人は少ない。85歳になる義父でさえ、パソコンを4年程度で、定期的に買い換えている。それがボケ防止に一役買ってもいそうだ。

しかし、地方都市となると、「必要がない」を言い訳に、どのような時代遅れでも、そして、その遅れのために周囲の人々に実害を与えていたとしても、変化しないことを権利と感じてしまるのが怖いところだ。

自動車の時代に、馬車を主張して、スピードで勝てないから・・・と言って、自分の不利を嘆く、というような行為の滑稽さ、見当違いさが見えなくなるリスクがある。

例えば、クリック一つで初期投資もなく商品を売ることができる世の中なのに、注文はファックスで、と主張して譲らないなど・・・だから売れない、という文句・・・は、もはや時代の標準とは、完全に異なるフェーズにいる。そのことが分からないのだ。

似たようなことは山岳会でも起きている。古い革袋に新しいワインを入れることの難しさは、そこにあるのだろうと思う。

世の中の進化や流れには、新聞や雑誌を読むよりも、街の中で変化の空気に触れる方が早い。現場主義ってヤツだ。

梅田の、しかも大阪駅北口の再開発エリアしかチェックできなかったが、それでも、新しくなった北口、グランフロントでの、少しお散歩で、色々な変化が分かった。

■ 大阪駅北ヤード

大阪駅北口は、大阪の一等地にあって開発を免れた最後の巨大な空き地だった。が、ついに美しい高層ビル群になったようだった。

グランフロントは美しくそびえたって、とてもきれいだ。都会の摩天楼は、山で険しい渓谷やゴルジュに感嘆するのと同じような、気分の高揚を感じるし、高層ビルからの眺めは、山頂からの眺めと等しい趣がある。都会の景色の素晴らしさは、洗練された高層ビル群にその一部があると言っても良いだろうと思う。違いは、人工的な光が織りなす美か、おてんとうさまが作った美か。

グランフロントでは、好日山荘とモンベルをチェックしたが、特に好日山荘は関西で一番大きい店舗だそうだ。

一方、モンベルの店舗面積は小さく、ファッションブランドとして取り上げられているだけのようで、わざわざ足を運ぶ甲斐はないかもしれない。

ただ好日も、東京方面と比べて、クライミングギアなどのアルパイン系の商品が充実しているとは言えず、関西ではクライミングの中心地は神戸のほうにありそうで、棲み分けが進んでいそうだ。

他の店舗も、おおむね世の中の流れはナチュラル指向のようで、登山ブームは、癒しサロンが必ずファッションビルに併設されたり、アロマオイルの店が必ず入っていたりするような、自然ブームの一部なのだ・・・と思った。クライミングとは全く違う。クライミングブームはまた別の流れだ。

今は世の中は山ブームと言われているのだが、その山ブームのけん引役の9割は、年齢はともかく都会人なのではないか?と思う。その人たちにとって、山に行く、という行為が意味することは、そういった世の中の流れとは隔絶された山梨から、山に行くという行為とは違って当然だろう。

・・・基本的にはファッションではあるのが残念ではあるが、例えば80年代と比較すると、分かりやすい。人工的で作り込んだもの・・・肩パッドや鶏冠みたいな前髪がもてはやされた時代とは、価値観の転換を意味していそうだ。それが商品として化けるには、衣類の販売しかない、というのが創造性の欠如を感じさせるが・・・。

しかし、好日は売り場の作りはファッション指向だが、ナレッジキャピタル、というコンセプトで分けられた区画にあり、好印象。たとえ、販売の軸足を移せなくても、モノは一巡してしまった日本では、ナレッジのほうが価値があると思える。

小売りの現場では既に言い古された言葉だが、モノではなくて、体験を売れと言われて久しく、今は、もう体験・・・でさえ古いのでは、と思える。つまり一回コッキリの体験ではなく、体系的なナレッジの時代に入ったのではないか?と思う。

例えば、山とは何か?というようなナレッジだ。そうすると、必然的にモノは必要が出てくるので、売るために必要なものではなく、そのナレッジの完結に必要なものが出てくる。

そういう視点で見ると、世の中にはまだ必要があるが、供給されていないモノがあるように思える。

■ 新しいワインは新しい革袋に

法事を済ませ、東京へ移動。移動は疲れた・・・。

翌日、神田のICI本店とさかいやスポーツのザック売場、クライミング用品売り場、高田馬場のカモシカへ立ち寄った。

ICIで思ったのだが、若い人と年輩の店員さんでは、登山に関する知識が違う。私が欲しかったのは、寒いことで知られる八ヶ岳で、足が凍傷にならずに履ける冬靴だったのだが、アルパインアイスも、フリーが登場した前と後では登り方が違ってきている。端的には、アイスアックスが違う。新しい世界での登りについて行っていない人と、新しい世界の人では、商品の進め方が違う。

登山靴は、指一本大きめ・・・それはもちろん間違っていないし、縦走の時はそれでよく、私もそうして買ったシリオを愛用している。

が、クライミングが入ってくると、靴はタイトでないとつま先に乗りきれない気がする。歩きで良い靴とクライミングで良い靴が違うのは、クライミングシューズで顕著だ。平たく言えば、クライミングではキツイほうが有利だ。

それでもアルパインで履くクライミングシューズと登山靴は違う。アルパインで履く、クライミングシューズとしては、ゆるゆるのシューズは、登山靴との比較では、小さい靴だ。

沢も同じで、沢登り用としてはハーフかワンサイズ下げたような靴の方が登りやすいので、一度買い直ししてしまった。

というわけで、冬山と言っても縦走用の靴を買うような買い物をアイスクライミング用の靴でしてはいけないかもしれない。

注意点は

 ・どこか一か所だけが当たって痛い、というようなことがないこと

 ・出来るだけ小さいつま先に乗れることを店内で確認すること

だ。昔の人はぶかぶかの靴や縦走用のストレートシャフトのピッケルで、何でも済ませてしまってすごいなぁとは思うけれど、今から始める人が昔の人の辿った苦労をする必要はないかもしれない。

そのことは、ずっとアイスをやり続けている人なら、古い山ヤだろうが、新しい山ヤだろうが分かっているが、昔の知識しかない人・・・つまり陳腐化してしまった人には、たぶん分からないだろう。自分は前のやり方で登っているし、登り続けるつもりだからだ。

今電話を買う人が、固定電話を買うことが無いように、今の時代において、もっとも費用対効果が計れるものが買うべきもの、と言えると思った。

■ 本末転倒が疲れるんだな

アリが巣をつくるように、人が都市をつくるのは、人の自然の営みとすれば、都市も自然の一部と言えるのかもしれない・・・と時折思う。

が、やっぱり都会で暮らしていると、本末転倒には疲れる。

ホテルは空気が乾燥している。それは、窓を閉め切って、石油エネルギーを使って発電した電力で、エアコンを入れるからなんだが、エアコンを入れると空気が乾燥するから、加湿器を入れる。加湿器もまた、石油エネルギーを消費している。ただ窓を開ける、ということができないのは、なんとかならないか?と思う。

運動も同じで、路面のことや治安の関係で、歩く場所走るに適した場所がないから、スポーツジムへ通う。ジムに通って、トレッドミルを走る。そして、石油を消費しなくてはならなくなる。

プールへ行けば、たくさんの人が泳いでいるから衛生面のために、塩素が入っている。そうすると、肌に悪いから、という理由で、また肌をしっとりさせるクリームが必要になる。最初から塩素が入っていなければ、必要なかったもの・・・

延々と人工的なものは、対処療法と同じことなので、キリがなく石油エネルギーが消費されることになっているのだ。

それでも、日本人のエネルギー消費量は、アメリカ人の4分の1。世界で生活水準が上がりつつあり、それは、皆が大量の石油エネルギーを消費するライフスタイルを選ぶと言うことになる。

別に、これが良いと思っているわけでもないのに・・・なんだか罠にはめられたような気がするライフスタイルなのに。

甲府に来て良いことの一つは、暑い日は暑さを寒い日は寒さを素直に味わえる、自然さ、だ。

暗くなれば寝て、夜が明けたら起きる。シンプルに生きられないと、人は息が詰まるように出来ているし、そのせいで都会の人の方が疲弊している、ということは言えるように思う。

そういう意味での疲弊も、都会人を山の生活に憧れさせるものがあるのではないか?と思うのは、経験者は語る、だからだ。









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