学習院大学の遭難について、突っ込んだ報告が出た。
http://www.yamakei.co.jp/yamakei-editors/2015/04/15/yama-to-keikoku201505_amidasounan.pdf
驚いたのは、立場川をだいぶ下っていて、ほとんど全ルートと言っていいくらい、阿弥陀南陵を登り返していることだった。
阿弥陀南陵は体力がいるルートとして知られている。むろん、それは、長い御小屋尾根での下山を含めてのことなのだが、ピークまでとしても阿弥陀南陵は、阿弥陀北陵の登攀よりうんと長くなる。阿弥陀北陵は日帰りルートだが、南陵は一泊二日が普通のルートだ。
したがって、ちょっとしたミスを挽回と言うよりは、二つ目のルート、もう、ほとんど継続登攀と言っても良いような長い行程になってしまう…。
なぜ安全圏にもっとも近い船山十字路に降りなかったのだろうか?が最初の感想だった。
私も以前予想以上にルートに時間がかかったことがあった。その場合は、最短で安全圏に戻れるルートを選んだ。
■ 抜粋
以下気になるところをピックアップした。(赤字、()内筆者)
- ホワイトアウト&降雪の中、中岳沢を下るように指示 (短いと言う以外、危険が最も大きく、最悪の選択肢では?)
- 青ナギの下付近で地図を確認したが、A 以下3人は途中からルートを間違えたらしいことに気づいていた (それはリーダーに言えなかったのだろうか?)
- 標高差270mの登りに2時間30分 (この時点で、すでに何時間かかるか推論できる)
- 主要メンバーは南稜をトレースしており、このときに、危険な状況はほぼ脱出できたと思ったのではないだろうか。(一度行ったことがあることは、危険ではないことと=安全圏に到着 とは違うことくらい誰でも知っている)
- A・C・B のオーダーで、ノーザイルでP3ルンゼに取り付いた (ノーザイルはここでは非常識だ)
- 『このまま登っていては危険すぎるから、お前たちは先に行き頂上に出たあと、中岳沢を使って行者小屋に先に降りろ』と指示
- 16時30分ごろ、阿弥陀岳頂上着。(冬の16時半は遅い)
- 迷う心配がない北稜を降りた (最初から北陵を降りるべきだったのだろう)
- 2時間後の21時40分、監督と連絡がついた (遅い。監督は天気予報を知らなかったのか)
- ビバーク2晩目になることから監督は緊急事態と判断し、23時、長野県警へ救助要請を行ない (阿弥陀山頂登頂から7時間後)
”コースミスをして立場川本谷へ下ったものの、彼らはそれを道迷い遭難とはとらえていなかった。”
→ もしそうだとすると、それこそが過信を示すのでは?反対に降りてしまうことをミスと言わなかったら、ミスを失敗と認めなかったら、他に何が失敗となるのか?
”南稜から阿弥陀岳を越えてBC へ下るまでの過程は、遭難ということはできない。”
→ 一晩のフォーストビバークは立派な遭難と言えるのでは?
”土山のヘッドランプがザックの中にあったこと、道迷い遭難ではなく滑落事故でその後何らかの原因により、滑落事故が起こったと推定される。”
→ 中高年の遭難原因No1は道迷いだが、ルートミスをした結果、歩きまわって最終的には滑落して亡くなるケースが多い。成り行きとしては、滑落はとどめに過ぎない、このケースは非常に似ているのでは?
その前のルートミスはミスであり、フォーストビバークは緊急事態であり、それを過小評価したことが、
その後より短時間で、
より体力を消耗せず、
また滑落の危険を冒さず、
安全圏に降りる機会があったにもかかわらず、その機会を喪失したのは、”強気の判断”と言えるのでは?
リーダーに求められるのは”弱気の判断”だ。
■ 行程管理の甘さ
まとめたライターは
”その後何らかの原因により、滑落事故が起こったと推定される。あと1時間少々の下りを残すだけだったことを思えば、何としても悔やまれる点である。”
とまとめている。
しかし、生還した者たちも、本来7時登頂し、8時過ぎには下山完了していたはずの行程を翌日18時BC着となっている。この生還者たちの山行は成功だろうか?
元々の計画 → 朝8時過ぎBC帰着
結果 → 34時間後BC帰着
1時間少々の下りで済んだところが、+34時間になってしまっている。
もし普通の登山で、8時過ぎに下山する予定が、一日24時間+10時間遅れで下山完了したら、それは、その登山者たちにとっては失敗の感覚しかありえないと思う。
こうした本格的登山ではなく、ごく普通の一般登山であっても、冬の山小屋には、15時には到着していないとおやじさんに叱られる。
テント泊をするようになると、早々とテントに入っても寒いだけなので、16時が大体のテントに入る時間で、それ以前に幕営適地を見つけ終っていないといけない。つまり18時BC着は登山の常識と照らし合わせて、まったく登山の成功の範疇とはいえない。
ヘッデン下山は、スレスレ山行で、反省の対象であることは登山の常識だ。
しかし、そうしたスレスレを甘受したり、あるいは逆に、勇敢の証であるように、ほめたたえたりする風潮は登山の世界では根強い。中にはそういうリスキーな行動をわざととることによって、自ら一流のクライマーになった気でいたりすることもある。世間でも未成年者の行動を大目に見るように、大の大人のそうした幼稚と言える行動を、登山においては破天荒として、愛したりする人も多い。
そうすると、その風潮に甘えて錯覚を起こしたがる人も出てくる。つまり、わざと破天荒を演出するような登山をするようになる。必要もない危険に近づいていくようなことだ。例えば、気をひきしめなくてはならない山行にお酒を一升瓶で担いでいったりなどだ。ルートに取り付く前に体力消耗だ。
本来の登山家が、リスクを綿密に計算して行動するのとは逆だ。
■ 危急時対応の遅さ
帰ってこない二人を心配して連絡したのが1時間半後というのは、阿弥陀山頂からの下山がそれくらいかかることを思えば、遅くはないのかもしれない。
しかし、連絡してから、なんと2時間から、さらに約2時間もかかって、救助要請している。救助要請が出るまでに結局7時間。
厳冬期の八ヶ岳の稜線は、ー25度くらいは平気で下がり、風速も20mくらいは平気で吹いている。そこに7時間かぁ…。
私なら、すぐに救助要請してもらいたいと思う。もし第一報、16時半で救助要請していたら、どうだったのだろう?そうだったとしても、日本の救助隊は夜間捜索しないので、結局2晩目のビバークになる。
1晩のビバークでも、予定された幕営でない限り、それはもうすでに常軌を逸脱したと言える事態だ。
八ヶ岳の寒さにシュラフなしで耐えるのは、相当の根性が要ると思う。それはシュラフがあってもテント泊していれば分かっているはずだ。
そうしたことが判断できなかったということだ。だとしても大学生、若さは判断の稚拙さの正当な根拠になる。
だから、1晩目の緊急ビバークの時点で、経験のある者の助言が得られるような体制にしてはおけなかったのだろうか?と思わずにはおれない。
ベテランに尋ねるとだれでも、一晩のビバークで、もう、それは遭難と呼ぶと言うからだ。
■ 滑落か道迷いか?
この遭難は、私は、やはり道迷い遭難、道に迷ったつもりがなく、ルートファインディングを誤った遭難だと思う。
最初から、道迷いの危険がない元来たルート(北陵)を戻れば良かったのだ。
以前上越の山に行ったら、降雪が激しく、つい40分前に6人でラッセルしたトレースが消えていた。八ヶ岳はいくら雪が降ってもそんなことはない。自分たちが登ったルートなら、その直後であればトレースが消えるほどの降雪があることは少ない。消えたとしても風でかき消されたなどが多く、少し探せばその先にあったりするものだ。
気になったのは途中でルートミスを互いに分かっている点だ。このパーティは、こうしたルートを外してしまう山行を何度か共にしたことがあったのだろうか?
山に行くとルートミスに気がつくタイプの人と気が付かないタイプの人がいることに気が付く。
ついて行くタイプの人は、相手にまかせっきりで気が付かないことが多い。気が付けなかったとき、自分がリーダーのミスに気が付いてやれなかった、と考えるタイプの人も少ない。
「自分も気が付くべきだったのに、気が付いてやれなかった、ごめんなさい」という発言をする人は本物だ。
しかし、そういう風に言う人は非常に少ない。昨今では逆に、ルーファイについて怠けていた自分の落ち度を棚に上げ、どちらかというとリーダーを責め、怒りだす人の方が多い。
それはどのルートを採るべきか?の判断も同じだ。
判断には間違いがつきものだ。より間違いを内包する度合いが少ない選択肢の方が優れている時がある。今回は、雪崩の危険があり、ホワイトアウトで先の見えない中岳沢より、山頂でホワイトアウトが収まるまで待つ、という選択肢や元来た道を戻るという選択肢もあったはずだ。
ちなみに登山の世界では、ホワイトアウトの時は、動かないで、視界が戻るまで待つ、という選択肢がベストプラクティスとされている。
最近のスマホでは、自分の歩いた軌跡が取れる。
と、正規ルートにいるかいないか?はすぐにわかる。
だから立ち止まって現在地を確認することはそんなに難しいことではない。
以前、6月の富士山に登った時、下山でコースを外したが、GPS軌跡を取っていたので、コースがずれたことが確認ですぐ分かり、軌道はすぐに修正できた。富士山は放射線状に広がっているだけの斜面で尾根も谷もない。ので、雪の時はコースなどあってないものだから、地図読み力もルーファイ力もあまり役に立ったない。景色もそっくりだからだ。そういう時でもGPS軌跡を取っていれば、少なくとも往路と復路が違うことくらいは分かる。 だからホワイトアウトしても、スマホさえみれば、どこにいるかは明らかだ。
この結論のつけ方には、
判断のミスの連続 ・・・つまり防ぐことができた人災・・・
ではなく、
滑落という不可抗力
に持って行きたいという意図が透けて見える、ということは、言えると思う。
そこには、責任逃れという社会的な事情が存在しないと言える何か確証や根拠があるのだろうか・・・
遭難があった日の朝7時 |
阿弥陀の遭難 八ヶ岳は天候核心
学習院大学の遭難 推測
遭難があった日の当方の山行
同日 8時 すでに横殴り |
最新の中間報告の内容については置いておくとして、
ReplyDelete当時の服装や気温、風速など把握しないままゆうのはナンセンスと知りつつも
「低体温症の症状が出たまま行動を続けてたのではないか」と
想像しています。合理的な思考が出来ない状態ではなかったのかと。
ジブンのコト書いてイイっすか?
一昨日の土曜の お昼過ぎ、その”弱気な判断”、しました。
誰も褒めてくれないので、お願いしますっ♪
弱気な判断をするリーダーが良いリーダー、信頼できる、責任感の強いリーダーです!!!力説!!!
Delete登山の成功は、下山口まで無事に返す、ことにあります。ピークではなくて、下山口です。みんな、ピークで脱力しちゃうみたいだけど、登るより下るのが核心って良くあることですよね!!
沢登りでも 下山が核心 とか 下山も核心 とか よぉあります。最初から そのつもりの時もあれば、そうでないときもありーで。ですんで、下山時もマージンをとれるようにして溯る(or登る)というのが大切やということですね。あー、耳が痛い。
Delete私は最近は、一般登山や縦走は、そうした沢や岩稜、雪稜での、エスケープや下山路の偵察という意味なのだ、と理解しています。
Delete初めての山域に行くときに最初にすべきなのは、もっとも易しいルートでのピークハント、次が縦走で、それぞれ、退路を確認、山域の概要を確認、ということだと分かりました。
なるほどですねぇ~。いやぁ~、勉強になります。それがリスクを下げていく有効な方法の一つでしょう。
Delete「初めて上から降りる道」よりは「下から登ったことのある(&上から降りたことのある)道」のほうが
辿り易いでしょうから。
そうゆう風に考えるなら、ワタシが今までヤってた沢登りはリスクで溢れかえってます♪
そういうリスクを取れることが、山岳会の方法論で、取れない個人は別の方法論が必要ということですよ。
Delete昨今は、私の会のような小さな地域山岳会は、会山行が、個人山行に限りなく近づいているので(組織として成長戦略がなく、山行計画が年間で計画されているわけではなく、行き当たりばったり)、方法論も、個人での戦略に近づけていく必要があるのでしょうね。
単純に言えば、組織の強み、が生かせなくなってきているのです。
「個人個人が戦略を立てていく必要がある。」「組織の方針や計画に沿って動いていればステップアップできるという時代ではない。」というようなコトについては「全体的にそうゆう傾向があるんでしょうねぇ」と思いますが、
Delete「会山行があるような山岳会に所属していたら とれるリスクも、そうでなければ とれない。」という意味で書いておられるのでしたら それは違うと思います。
#そうゆう風に読み取れました
私が今、入れてもらってる会は個人山行のみですけど♪
話変わりますが
土曜、弱気な判断をしたというのは、
同行者が「(続けて)進む」というのに対して、私が条件をつけ、
その条件を同行者が のめなかったため、引き返すことになったわけですが、
今までなら、逆で、「無理」という その同じ同行者に対して、私が「こーこーこーやから行ける」と
言って引っ張っていくのが常でした。(その人がストッパー役みたいな)
ですので、印象的でした。
昔は会社は新人教育ありましたよね、お辞儀の仕方から、名刺の渡し方から。私は受けていませんけど、そういうのが無くなり、新卒採用ではなく中途で即戦力、が普通。今の山岳会は似ているかもですね。
Delete役割逆転、おめでとうございます!相手を越えた日?!
yosemiteです。
ReplyDelete『山と渓谷編集部ブログ』で詳述版を先に読んで異和感を感じ、その後に5月号の記事を読みました。
「遭難に至る経緯」という表とパーティーが辿ったラインを赤線で示した地形図が作られ、不明点がいくつも解けたものの、遭難の核心はまだまだ謎だらけです。
そもそもこれは、山岳部の正式な中間報告ではなく、プロライターM氏の一取材記事にすぎません。
山と渓谷社は、販売されている山と渓谷誌の記事を『抜粋版』と呼び、ネット公開してる方を『詳述版』としていますが、その書き方には乖離があります。
ネットの『詳述版』はM氏の根拠薄弱な矛盾とも言える推測が並びますが、市販誌の『抜粋版』はその不見識な推測を全てそぎ落として書き直されています。
山と渓谷は、両者の違いを、「誌面の都合により、一部省略した箇所がございましたので、学習院輔仁会山岳部のご協力を得て、ここに詳述版を掲載いたします。 」と言ってるのだが、理解に苦しむ。
私は、根拠薄弱で矛盾をさらけ出している取材者の「憶測」は、紙面が永久に残る本誌に乗せるわけにはいかないので、見識ある編集者がそういった「憶測」を取り去って書き直したのだろうと見立てている。
最後の「遭難の事実と報道などの相違点」と題したまとめがなんとも醜い。
当事者たちは下山のコースミスを道迷い遭難とは考えてなかった、と推定するのは可能だし自由だが、
「南稜から阿弥陀岳を越えてBC へ下るまでの過程は、遭難ということはできない」というご説には耳を疑った。 当事者の思いは判断力低下の中での事だが、遭難かどうかは外部が客観をもって判定することであり、この事態を遭難と言わずして一体どうしようと言うのだろう。
「本事例は道迷い遭難ではなく滑落事故であった」と言うのも、全く首肯できない。
一体何を主張したいのだろう。
Amazonの著者紹介によると、
1954年、秋田県生まれ。1990年ごろより『山と渓谷』などを中心に活動している編集者・ライター。この5年ほどは、山岳遭難関係の記事を中心に執筆している。学生時代に登山を始め、登山歴は約30年。最近数年間はフリークライミングに熱中。里山歩きからテント泊縦走まで、幅広く登山を行なっている。日本山岳文化学会理事(遭難分科会、地名分科会メンバー)
とあるが、今回の記事にははなはだしく落胆した。
私もヨセミテさんの意見に賛同です。すなわち、
Delete・「南稜から阿弥陀岳を越えてBC へ下るまでの過程は、遭難ということはできない」というご説には耳を疑った。
・「本事例は道迷い遭難ではなく滑落事故であった」と言うのも、全く首肯できない。
の2点です。 おかしい、おかしいと思いつつ、誰もそれを指摘し、合理的でベストだと思える判断を全員の知恵で出すことができなかった、というプロセスが見て取れる遭難劇だと思います。むろん、このような判断の収束が一人のリーダーに偏ってしまうプロセスは、成人のパーティでもよくみられることで、私の会の冬山合宿でも、その時々で、よりベストな判断を出せたとは言えないプロセスでした。
遭難においては判断がもっとも重要で、冬山合宿は山行としては成立しなかったとはいえ、そうした判断がこのメンバーにおいてはどうなされるか?ということがよく見え、その意味で有意義だった山行だと思っています。
yosemiteです。
ReplyDeleteKinnyさんに一言あります。
南陵ではなく南稜、北陵ではなく北稜、です。
「陵」というのは、「みささぎ」といって、天皇のお墓のことを指します。
山屋は、正しく「稜」を使いましょう。
よろしく。
あら!指摘されて気が付きました。変換だと全く気付かずスイマセン。
Delete今、今月号の、ヤマケイ見てきたのですが、ホントにそうですね。変な意見のところが、かかれていないものでした。 この意見の部分は書いてあるほうが、議論を呼び起こしそうです。