市況として、山岳会の低落が続いている、という状況下で、
それを体現している山岳会
その市況にあっても、活気がある山岳会
が、存在するとすれば、その差を分けるのは、どのような点なのだろうか?
ある本に寄れば、
今でも現役冬壁
が一つのインデックスである、と主張されていた。確かに冬壁はキングオブアルパインな感じだ。冬壁に行く実力、あるいは、ツエルト泊での冬山があるかないか、はそのリーダー個人の山のレベルを見るには、重要な指標かもしれない。
しかし、山岳会の場合は、リーダー個人の能力で持っているわけではなく、大体こういう人は憂き目に遭っている方が多いと思う。
■ 依頼心の強い人はどこへ行くか?
師匠も含め、山岳会に所属するリーダークラスの人たちの中には、会への愛着から、会内の人材育成に、気長な努力を求める声が根強い。会の中に人材がいなければ、会の外に求めることを安直だという意見も聞く。
けれど、結果は、明瞭に悪い。会内の人と会外の人の比較では、傾ける努力の歩留まりは、会内のほうが悪い。
・依頼心の強さ
・責任感の弱さ
の2点で並べると次のような序列になる
弱い ←ーーーーーーーーーーーー依頼心ーーーーーーーーーー→ 強い
未組織登山者 > 他会の新人さん > 他会の指導者 >会の指導者 >会の人
強い ←ーーーーーーーーーーーー責任感ーーーーーーーーーー→ 弱い
未組織登山者 > 他会の指導者 > 他会の新人さん >会の指導者 >会の人
もっとも意識が低いく、依頼心が強い人が会の人だ。責任感の強さも、もっとも弱い。
依頼心の強さや責任感の欠如は、何に現れるか?インデックスは?というと・・・
1)山行の理解不足 による、ギア不備
2)ギアの準備不足
3)大きすぎる計画
だ。例えば、共同装備の負担として、ロープを持ってくるように指定すると、忘れてきたりする。ロープというのは、共同装備の中では、かなり重要な位置づけのギアだから、ないと登れない可能性があるが、自分の山でない、と思うと、忘れてしまう。
もちろん、人間には失敗はつきもので、失敗を通してきずなを結びあうのが人間だから、失敗を共有できれば問題がない。ロープを忘れて皆で温泉に入って帰りました、というのはアリだ。
が、忘れてきたり、準備しなかったりが常習的であれば、
連れて行ってもらえるもの
という依頼心が強いと言うことを意味する。主体的に係っていないので、その人にとって、その山は経験値の一つには積みあがらないだろう。
もし、あなたが先輩で、その山をその後輩の経験値としてもらいたいと言う意図があったら、それは叶わないだろう。
■ 未組織登山者は、ガイド依存の人たちなのか?
未組織登山者は、登山界では歓迎されない運命にあるが、現在のところの観察によると、
・まともな登山教育を受けている人たち
・普通に登れる人たち
は、未組織登山者の方だったりしている・・・。これは本当だ。
単純に実力がある人たちは、未組織者の方が多い。
岩で出合う、アルパイン志向の人たちも、「会に一緒に行く人いる?」と聞くと、「いない」と言うし、実際、会の垣根を越えて活動している人が多く、彼らは、会では孤立しているらしい。
山岳会の新人さんと比較すると、同じような年齢なら、絶対に未組織登山者の方が、より多くの情熱を山や岩に傾けて、山に岩に登っている。
それはなぜか?と考えると、能動的に動くことには、コストがかかるからだろう。
コスト・・・とは、
自ら動く精神的コスト
リードする恐怖に打ち勝つコスト
ジムに通う費用
ガイド講習に通う費用
それらのために、情報収集する時間的コスト
一緒に行く人間関係を作る手間暇コスト
などだ。
ある意味、これらのコストを掛けてでも、登りたいと言う意味で、フィルタリングされている。
つまりモチベーションの高い人しか続けられない。
ある未組織登山者の人が、「山岳会は依存心の強い人が行くところ」と言っていた。
ある知り合いの山岳会のリーダーが、「依存心の強い人しか来なくて困る」と言っていた。
面白いことに、まじありあわない両者が同じ事を言っている。ということは、
依存心の強い人が山岳会に来る、
という現象は、両極から指摘されているわけで、事実なのだろう。
■ 環境が人を作る
環境は人を作る。
依存心が強いわけでなくても、服従や従順を要求されると、結果としては、依存を要求されたことと同じになる。
これはよく山岳会の失敗として取り上げられており、
他会の人と行ってはいけない
全山行を報告しないといけない
〇〇ができないと××してはいけない
価値観が違う人にはイジメ
などの、”会の縛り”という非常に分かりやすいコトバで表現されている。
そうした縛りにあって、逃げてきた?人にもすでに会ったことがある。
その人は最近の『Free Fan』に載っていたので、まぁクライミングに掛ける情熱が強い人だろうということくらいは、誰の目にも明らかで、スピンアウトと言えるかもしれない。
価値観が異なる人には、村八分というのは現代では何に現れているか?
というと、メーリングリストからの意図的な除外や山行を連絡しないなどだ。
類似したことが起ったら、それはイジメやパワハラと同じことなので、そう言う集団からは速やかに背を向けたほうが良い。健全な組織運営は期待できないからだ。
■ 技術伝承とは具体的には何か?
具体的には、何をテイクし、何をギブすればいいのか?
縦のギブ&テイクだが、実際には何を教わり、何を次世代に教えたらいいのだろう?
・懸垂下降
・基本のスタカット
・地図の読み方
・山行計画の立て方
・レスキュー
・支点
・その他、ちょっとしたコツやお助け
・天気
・ピンチのときの態度や行動の仕方
など、山の技術は多岐にわたる。
上下に分けたのは、上段はおそらく独学で別に誰だって勉強できるような分野だからだ。独学で本にも書いてあるし、本を読むのが嫌いなら、講習会に行くべし。
下段は、長年の経験がモノを言う。こういう時はこうすると良い、という経験則のようなもの。
それらは、一回二回、山行を共にする程度で伝授されるものではないかもしれない。
例えば、年に一回、後輩と山に行くだけなら、10回行くのに10年かかる。それなら、様々な人たちと、1年で20回山行に行った方が経験値の蓄積になる。
多くの人と山行をともにすれば、その人たちから勝手に学ぶことができるからだ。
■ 指導者は外部の人で良い
昔の山岳会は、指導者がいない会も多く、そういう場合は、必要な技術が出てくる度に、外部講師を招いたのだそうだ。
別に指導者は、自前でなくても良いわけで、そうなると、技術習得は、個人で講習会に出るか、団体割引適用で?(笑)講習会に出るか程度の違いしかない。
外部講師を招くという手間がかかることになるが、そもそも、自分で講習会に参加するにしても、同じだけの手間がかかるのだったら、その手間はエクストラという訳ではない。
ただそれに便乗する側の人にとっては、本来必要な手間なし、という訳で、お得になる。
が、そういう風に便乗してラッキーと喜ぶのは、そもそも仲間として歓迎したい、好ましい資質ではないかもしれない。
”楽だから集まって来た人”と言うのは、企業でいえば、”安いから買う客”。
ロイヤリティーは低い。そのような人材をいくら集めても、見かけの売上高は増えても、真の利益は増えない。
■ まともな登山者にアピールする方法
では、どう人を集めればいいのか?
というと、これが困難な問いだ。
私が感じているのは、まともな登山者が集まってくる唯一の窓口は
講習会
だということだ。講習会も意識が低い人を集めてしまう講習会もある。
例: 〇〇ツアー会社主催の地図読み講習会
登山用品店主催の講習会
これまでの観察によると、硬派で知られるガイドさん主催の講習会に参加している人は、勘違い率が非常に低い。
それはなぜか?というと、硬派で知られている、と言うことは、それらの山にあこがれた人しか来ないからだろう。
つまり山の内容が引きつけてきた人材である。
大事なことは、
教えてあげるよ
連れて行ってあげるよ
メリットがあるよ
得だよ
楽だよ
などという甘言で引き寄せた人材ではなく、
私の山(〇〇山岳会の山)は、このような山です
という、山で引きつけた人材である、ということなのではないだろうか?
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