実は、私は、小さいころ、自閉症と診断されたことがあった。
女の子というものは大抵、連れだってトイレに行くものだ。しかし、私の場合、子供時代全体を通じて、トイレへ、誰かと一緒に行きたい、なんて思ったことは一度もない。なんで行きたいのかも分からない。
大人になっても同じで、OLさんのランチも同じ。 お願いだから解放して・・・と、むしろ、集団ストレスから逃げ出して、おひとり様ランチに行く。
おひとり様でランチをしているような人は、偏屈呼ばわりされ、周囲の人に憐れまれているのを知っているが(笑)、残念ながら、実はおひとりさまが好き!というわけで、実は積極的におひとりになりたいのである・・・。
海外、買い物、一人暮らし、山旅・・・すべてに、これは通じ・・・今でも行動は一人でしたい。
最初の職業はプログラマーだ。開発部では大食堂が嫌で、一人研究室でテトリスをしながら、おにぎりをかじっていた。
今の私を知る人には、ビックリ仰天だろうが、基本的に、人づきあいは苦手だ。
そのために、大きなチャンスを不意にすると言う、大きな挫折を味わった。
転職し、職種が変わったのだった。市場調査だった。その仕事では、時には、海外でアポなしで飛び込み取材が必要だった。
いきなりアラブの電力会社に電話を掛けたりするのだ。電話なら当たってくだけろ!で、済むのだが、会社の名を背負って、人に会うのが、どうしても苦手だった。でも、人に会わなければ、情報は取れない。飛び込み営業と同じなわけだった。
私にとっては、大きなチャンスだった。が、そのチャンスは、人見知りという欠点を克服できず、生かすことができなかった。私は単にヘタレだったのだった。
その後、この時の挫折から、人に会う恐怖を乗り越える、ということを自分に課すようにした。
今では、私が人見知りするような人間だったとは、誰も思わない。
その後、夫の転勤になり、その転勤先で、新たな仕事をしなくてはならなくなった。古巣とは全く違う、華やかな商社での新事業開発部という部署で、ほとんど人に会うだけが仕事だった。
夜の接待のほうがむしろ本番で、昼間はセミナーや会合に出ているか、その報告レポートを書いているか、アポ取りしているか、だ。名刺を配るのが仕事だった。
今はヨガを教えているが、人に自分をみせる仕事など、以前のままの私では、決してできなかっただろう・・・と思う。
人見知り・・・というのは、乗り越え終わった試練だ。
■ 変わりたい人をサポートしたい
以上は、性格のトランスフォーメーションであり、”形の無いもの”だが、形がある、大きな変化も経験している。
実は、体重が今より15kgぐらい多かったのだ。年頃の女の子にとって、平均体重より多いことは、とても切ない事態だ。
今、ヨガを教える仕事をしているが、”人は変われるものだ”という思いをベースにしている。変わりたい、と思っている人をサポートしたい。
登山も同じではないだろうか? 飼いならされた環境から、過酷な自然環境へのシフトは、単純に怖い。
岩登りだって、沢登りだって、単純におっかない。でも、恐怖を克服する経験は、誰にとっても、心の糧になるのではないかと思う。
(時々、むしろ、アディクションに陥っているのではないか?と思わないでもないけれど・・・)
■ インドア派からアウトドア派へ
変化に対応したものが生き残ると言われる。そもそも変化することは怖い。
私も例にもれず、アウトドアは、もともと苦手だ。だから、今の登山をしている私を昔の友人が見たら、きっと驚くことだろう。
私自身だって、こんなことになるとは思ってもみなかった(^^;)。
山梨に来て、思いのほか余暇ができ、では何をして過ごそうか?となった時に、山ってきれいだなって、ただ思っただけなのだったから。
それまでの仕事ONLY、日が沈んだことも気が付かないような生活は、人間らしくないと気が付いた。それに、自然に人間が勝とうとしている文明という仕組みそのものが傲慢だ、と気がついた。
もともと変だと思っていたから、想いに受け皿が与えられただけだったろう。
しかし、変わることを拒んでいたら、私は山梨で大阪時代と同じ消費生活を求めて、不幸だっただろう。
環境に自分を合わせることができなければ、前進も成長もできない。ただ自分が不幸になるだけだ。
変化を受け入れなければ、進化することはできない、ということは本当だ。
■ どんなことからでも学ぶことはあるものだ
大事なことは、どんなことからでも、”吸収する”、”学ぶ”ということだ。
素晴らしい師匠や先輩は一緒にいるだけで、その人のあり方に学ぶことができる。
師匠や先輩が言葉にしない行間を読む、ということが大事なことだ。山岳会における教育は、行間で行われる。
いかに行動すべきかもわかる。
ホンモノの山ヤなら、山の概念図がスタートだ。計画書に概念図がないことは、疑念を起こさせる要素の一つだ。
また計画書に盛り込んである行動時間の見積もりが的確だ。
予測する力は、山ヤの安全管理能力の8割くらいを占める。
ダメ山ヤの計画は大雑把すぎて、行程管理も何もない。したがって何かが起こった時にどうしようもない。概念図も添付されておらず、基本的にガイドブックのコピーが張り付けられている。
”ガイドブック追従登山”をしている、ということの証だ。
ガイドブックは合ってよいのだが、補助的もので、主従の立場が交代していると、それは慢心の証だ。
■ 期待値を下げる
山の場合は、たぶん、一般社会での初対面テクニックは、むしろ逆効果に作用するようだ。
・偏見を持たず、まず好きになってみる
・相手の価値観に飛び込んでみる
これは、ポジティブバイアスというもので、下界のルールで、山のルールではない。山では、一旦信頼が揺らぐと、取り戻すのに大きな労力が必要になる。
なので、むしろ、ネガティブなバイアスを持っておくのがコツだと思われる。
・ダメで普通と思っておく
・自分の価値観を維持して、相手と重なり合うところだけ付き合う
ということが大事なのかもしれない。相手に合わせさせ、自分が寄り添うのではない。
どうもベテランの行動を見ていると、常にそういう風に行動している。ゼロからプラスを積み上げるのではなく、マイナスからゼロにしていくのだ。
新人を育てると言うのは、マイナスをゼロにする活動なのかもしれない。
■ ビジョンの不在
私は長女なので、常に集団を見て、埋めるべき穴を探してしまう。組織の穴を埋めるという観点でいうと、昨今の山岳会は、組織としての、希求力が欠如している。
つまりビジョンを示していないから、向かうべき方向性がなくなる。
すると、オールラウンドな会は、とりとめのない会に陥る。しかし、ビジョンを個人が背負うことは荷がとても重い。
こうしたビジョンの不在は、時代を背景にしているようだ。昔は、山岳会が目指すべきものが、取り立てて、明らかにされていなくても、進むべき道は明確だったのだろう。
それは高度経済成長期には、「より物質的に豊かになる」、具体的には モノ・カネで、人間のモチベーションがコントロールできたことと同じなのだろう。
時代は変わった。今は多様化の時代となった。多様な価値観の中で、”魅力”を発信していくことは難しいことだ。
したがって、組織にこだわる必要自体が希薄になっているのではないか?と思われる。
■ 価値観による選別
運とは掴むものだ、と私は思う。運は万人に訪れるものなのだろう。でも、その時それを掴むかどうかは、その人次第だ。
私が今登っている人はパートナーと一緒にいるときに出会った人だから、パートナーにも同様に運は訪れたと思う。
私の初の本チャンである、前穂北尾根は当時のパートナーも招待した。仙人集会は多くの人に声を掛けた。ヒマラヤの報告があったからだ。
私が個人の努力で得た主要な機会は、すべて組織へ還元しようとしているが、それは、それが人として正しいことだと思うからだ。
機会ロスは大きいと私自身は考えるが、何が価値があるかは、価値観による。私が価値があると感じたものが、価値があるとは限らないのだから。
しかし、私が自分に巡ってきた機会を分かち合う姿勢を持って行動している、ということは、自分自身に対して、嘘や偽りがなく、結果として自尊心に良い影響を与えていると思う。
保身のために自分の知っていることや機会を淫靡する(行動しない)ということは、しない。
■ 常に最悪を想像する
私はあんまりポジティブシンキングではないかもしれない。
藪山を歩けるようになるまでに、数年かかったのは、もし尾根の末端で降りれないような箇所が出てくれば、懸垂が必要になるからだった。
どんな状況が出てきても、対応できる力がある、とは言えないと感じていたため、見知らぬ尾根を降りる資格は自分にはないと考えていた。
それは、ベテランから見るともどかしく見えたようだ。何をぐずぐずしているのか、という訳だ。
私の藪山一号は、ふらりと出かけた茅ヶ岳で、一つ隣の尾根を降りたことで、この藪山山行は、個人的には、厳冬期甲斐駒黒戸尾根以上の達成感を伴った。
積雪期茅ヶ岳
厳冬期黒戸尾根
私が登山学校を目指したのは、厳冬期の鳳凰三山を夫と2年連続で登頂し、これ以上の山にステップアップする場合は、指導者が必要だ、と感じたからだ。
厳冬期鳳凰三山 1年目
厳冬期鳳凰三山 2年目
その後、夫とGWの仙丈ヶ岳に行き、挫折を味わった。GWは天候の急変がリスクだ。幸い一瞬で済んだのだが、小仙丈ヶ岳あたりでホワイトアウトした。そのとき、私はリスクを感じて、完全に霧に巻かれる前に走り降りることができたが、夫はそのスキルを持っていなかった。持っていなかっただけでなく、持ちたいと言う意思もなかった。だから、彼は仙丈ヶ岳には行ってはいけない人だったのだ。
彼を仙丈ヶ岳に連れて行ったのは、完全なる自分のエゴだと悟った。
その時以来、彼とは、アイゼントレが必要ない、易しい雪山レベルに一緒に行っている。小屋泊限定だ。何しろ、10kgでも、重い文句を言っているからなぁ。(ちなみに10kgのザックは軽い)
私は連れて行く人の命に責任があるから、本人が受け入れられるリスク以上の山に連れて行ってはいけないのだ。
■ まだまだ続く変化への道のり・・・
私たち夫婦は、山梨に来て、変化に直面しなくてはならなくなったのだが、主に変化に対応しているのは、妻である私だけかもしれない(笑)
変化に対応するというとき・・・どのような選択肢を取るか?
正解は一つではないはずだ。
人は、脱皮しながら生きていくものだ。迷ったら難しい方をとらなくてはならない。
■まとめ
人見知り
痩身
インドア派→アウトドア派
新しいことへ進むことの恐怖を乗り越えること
ビジョンが重要だということ
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