Thursday, October 8, 2015

負の連鎖 ・・・山岳会を考える その8

山岳会へ入会すると、新人はもれなく、いきなり岩へ連れて行かれる。でも、そうすると、トップロープして降りてくるだけが岩登りだと言う誤解を生んでしまう。

アルパインという枠で見た場合、いきなり岩へ行きたいのはビレイヤーが欲しいという先輩側のエゴイズムだと思う。

だって、岩と言うシチュエーションになった途端に、それがどんなに易しくても、血圧が上がるのが普通の山しか知らない初心者だからだ。

落ち着いてロープワークに専念できる環境で教えていないことが、テンパっている状況で、すぐ出てこないからって、怒ったって仕方がない。

先輩にはツマラナクても、初めて教わる人には、何もかもが新鮮なはずだ。

その一回の手間をおしんだがために、何年たっても、万年フォローしかしていないのに、それで自分はイケてる、カッコいい奴だな~とか、思ってしまう・・・。ぬんちゃくをラックに、ぶらぶらぶら下げているだけで、使っていないのに、それで自己満足してしまうのだ。

それは何も知らない人が、そのギアを見て、凄い人というまなざしを送ってくれるからだ・・・。

そんな”凄い人”という誤解を受けても、本当の自信はつかない。

だから、リードできないし、リードしたい!という気持ちにもならない。

一生セカンドで、登って、周囲に”凄い人ね~”と誤解されたままでいる方が楽チンだからだ。

そんな人を作らないためには、最初に、ちゃんと教えるべきことを教えてから、連れて行くべきだというのが私の意見だ。

〇〇に行きたいなら、××をできるようになってください とハッキリ言うべきだ。

それは失敗例を根拠にした意見だ。

■ 新人が誤解する仕組み

山岳総合センターでは、ビレイができないと岩には連れて行けない、と講習生だれもが分かっていた。

ビレイも出来ないのに、高度な山に連れて行ってはいけない。それはズルだ。ズルができる、ということが、その山岳会に所属するメリット、になってはいけない。

岩に行くなら、最低限

 ・ビレイ
 ・ビレイヤーの自己脱出

は、できないと困ると教え、相手が分かった、行きたいから教えてください、という気持ちになってから、行く・・・というのが正しい順序であるべきだ。

実際に完璧にできるかどうか?ということはともかく、できるようにはならねばならない、と最初に理解していることが大事だ。

そうであれば、できないのに連れて行ってもらっている、という意識が芽生える。つまり、謙虚さ、ということだ。

■ 謙虚さがない新人は間違った教育のインデックス

そうでないのに連れて行けば、連れて行ってもらうことは当然と感じるだろうし、自分は食当だから自分の役目は果たしている、と勘違いしてしまう。食当やロープを担ぐなどの分担は、貢献にはカウントされない。皆で協力するのは普通のこと。

貢献と言うのは、その山行の遂行に欠くべからざるメンバーになる、ということだ。その人が抜けても山行成立するなら、別に何も貢献していない。

何も貢献していないのに、自信満々であるとか、どこそこへ行ったと自慢話をしている、ということは、どういうことを意味するか?

聞いた人は単に「分かっていない人だな~」と思うだけなのだが、分かっていない人の存在が意味することは?

それは、多分、間違った教育、だろう。間違った教育の結果が、自慢話なのだ。

例えば、誰にでも分かりやすい例は・・・

 ・ビレイもできないのに外岩
 ・高尾山にも行けないのに、GWの穂高のバリエーションルート
 ・地図も読めないのに、厳冬期北岳

人には親心というものがあり、山にあこがれる人には、ちょっと背伸びしてでも見せてあげたい!という気持ちが働くものだ。

それが行きすぎるのは、連れて行く人のエゴなのだ・・・そのエゴと言うのは、自分だけのパートナーにしたい、自分に依存してもらいたい、という気持ちなのだろう。

教えた人が自立してしまうと、せっかく自分の時間と労力を費やして教えたのに、教えた相手が気に入った相手と勝手に出かけ始めてしまうからだ。

それが経験値として積み重なると、最初から依存傾向にある人だけ選んで連れて歩くようになる。

つまり自立したがる人は良いパートナー候補とならない。

同じ原理で、山岳会は、会員が確保できないと感じるようになるだろう。


■ 外岩に連れて行くタイミング

前にいた、アルパイン系の山岳会では、外岩に連れて行くタイミングは非常にデリケートに感じているようだった。

ある程度、人工壁で、リードが確実にならないと外岩デビューはない。

何しろ、外岩デビューはビッグイベントで、それはご褒美と言う位置づけでないといけない。

安売りすると後で損するのは自分なのだ。

岩登りそのものだって同じで、人工壁である程度登れてから連れて行く。自分はこのグレードは登れるんだという信念が、外の岩だって登れるはずという気持ちを作るからだ。

登れなくても、じゃあなんで登れないのだろう?という話になる。

そうやって、努力する動機を作ってあげるのが、先輩の役目で、できないことをあたかもできるかのような気持ちにさせて、自分に同行させるのは、ニンジンを吊り下げているだけで、じきにもっと良い人参が欲しくなるのが人間の性だ。

そうなるとこんなセリフが出てくる。「こんなところしか連れて行けないの?」

こんなことを言われないためには、ちゃんと踏むべきステップを踏んで、分かるべきことが分かるようになった人から、押し出すことだ。

会にいる時間が長いから、とか、〇〇をよくやってくれるから、ではない。 登山者には、その時の登山者にふさわしい山がある。

十二ヶ岳がふさわしい人もいれば、三つ峠がふさわしい人もいて、ゲレンデの小川山がふさわしい人もいる。

それを無視して、自分の好みの山しかしないと言うのは、自分もそういう教育をされたということなのだろうから、その人のせいではないが、上手くいかない連鎖をどこかで断ち切らないといけない、ということはいえ、断ち切ることができないのは、弱さだということは、また言える。

これは、何も別に、岩に限らず、地図読みだってハイキングの山だって同じことだ。




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