Monday, October 26, 2015

読了 『モチベーションマネジメント』

■ 今日の出来事

今日は、朝からショックでした・・・家の前の銀杏の木の剪定が始まったのです。我が家は2Fで、木立が目の前なので、木を切っているオジサンから、部屋の中が丸見え・・・はぁ~。これでは、落ち着けませんので、とっとと家を出ました。

しかし、今日は読みたい本が溜まっている・・・図書館は月曜は休館日だし・・・。

とりあえずスタバへ。スタバでは、ハロウィーンのコスチュームの外人さんに会いました。聞くと、近くの小学校でハロウィーンパーティをやっているのだそうです。

奇妙奇天烈なハロウィーンのコスチュームを着ているのに、スタバにいるお客さん全員が気が付かないふりをしているのが、シュールでした(笑)。

■ 夫のヤル気

夫は、登山にはヤル気が全然でないのです。

・・・と言っても、ブドウの収穫体験にも、やる気が出るわけではないのですが(^^;)、行くかな?と聞いてみると、行くって返事でした。行くと仕事をさぼるわけでもないし、わたしより働き者かもしれないですし・・・登山も同じで、行けば行ったで、楽しそうにはしています。

でも、行きたい!ってのはないみたい・・・

まぁ、危険なこと、アブナイことにヤル気を出せ!と言っても、無理ってものかなぁ・・・と、私も思わないでもないです。

■ 何を動機にする人か?

しかし、アブナイと一口に行っても、色々な危ないがあります。トップロープのクライミングは、”危なくない”の種類なので、それで危ないからヤダ、というのは、どちらかというと、誤解の領域。

まぁ、私でさえも、危ないことをしたいわけではなく、色々な山に触れて、オールラウンドな山ヤとして成長したい、という気持ちの方が今のところ勝っているようです。

 (成長意欲) > (危ない&怖い)

この本には、モチベーションポートフォリオというフレームワークがあります。

≪モチベーションポートフォリオ≫
 ドライブ型    自力本願 
 ボランティア型 他者に尽くす
 アナライズ型  解明したい、論理探究
 クリエイト型   感性発散

私は完全に自力本願で、アナライズ型です。それが登山に適性があった理由でしょう。リスクって分析力がないと回避できないのです。

多分、夫は、ボランティア型です。彼はパソコンが得意なのですが、修理などを頼まれると、うれしそうにしていますから。また、彼もアナライズ型と思います。

登山において、クリエイト型の人というのは、おそらく、クライマーだと思います。クライマーの記述には、クライミングはクリエイティビティだ!と書いている記述が多いです。

私は、探究派で、山を探求したいという気持ちが強いと思います。

 モチベーションの大きさ = (報酬の魅力) × (獲得可能性)

ということなので、私は夫が山の何を魅力に思っているのか、よく知らないといけません(^^)。

健康増進効果なのか?会社ですごいね~と言われることなのか?写真が美しいことなのか?

■ 補完的メンバー?

この本は、

 ・わたしにとって動機になることが、他の人にとって動機になるわけではない
 ・また私と同じような発想をする人が、かならずしも補完的なメンバーではない

と思い、手に取ってみました。私はどうにも納得できないでいるのです。

例えば、まったくパーティに貢献する気がなく、7kgもしないようなザックを背負っているだけなのに文句を言っているような人を連れて行く価値があるのでしょうか?

あるいは、パーティの足を引っ張るような人とか?セクハラする人とか?クライマーを引っ張り落とす人とか?あるいは、一人で行くより、その人と行った方が危険のリスクが増えるような人とか?

リアルな例では、過信がある人と行くと、凍傷になったり、あるいは死んでしまうかもしれません(汗)。

私は、アブナイと思える時は行かない主義です。

以前、厳冬期甲斐駒を誘われたときは、同行者がコケそうなスキル程度の人で、もし彼がコケたとしたら、ガイド氏がいても、カバーしきれず、自分も同じロープだと巻き込まれると思ったので、断わりました。冬山では、特に危ないと思う時は、そもそも一緒に行かない。

逆に、私は初心者と行くときは、歩荷を肩代わりしたりします・・・酒を一瓶かついで行って褒められたりしています・・・それはその人が特別に一緒にいたいと思える人(パーティ)だから、そうしたのです。

なんでそう思えるかというと・・・なんでだか、自分でも分かりません(^^;) 一緒にいたい人とそうでない人がいます。

行きたい山はありますが、あまり思いつめないようにしています・・・というのも、思い詰めると、無理をして行くことになるからです。

行ける山に行く。行ける機会が来た時に、チャンスを逃さないよう努力をしておく。

そんなことを考えてしまうのは、

  (山行で強いられる我慢の量=支出) と (その山行で得られる報酬=メリット)

が、釣り合わないと、私が考えている証拠なのでしょう・・・

しかし、周囲のリーダーを見ていると、驚くべき忍耐力を発揮しています。その忍耐の源泉は、どこなのか?というのが、私の疑問でした。

私には強く行きたい山がないので、寂しい人なのかもしれません。

■ バブル崩壊前と後

世の中は、変遷が激しく、特に、バブルの崩壊前と崩壊後では、価値観が著しく変化しています。

私のパッと見の印象は、バブル崩壊以前の価値観が根強いのではないか?と言うことです。

つまり 個人 < 組織。 個人が滅私奉公して、組織に奉公する、というものです。

この本によると、バブル前とバブル後では、報酬の原資が違うそうです。

         報酬の原資    組織と個人の関係
バブル前   カネ&ポスト      拘束関係
バブル後    多様化        相互選択

   → 働く意味を問う時代 物質的な豊かさから精神的豊かさへ

つまり、「より豊かな生活を求めて」「企業内の出世の階段を登る」というのは、ニンジンではなくなったらしいのです。確かにワタシにも、夫にも、そんなのニンジンではないですね(^^;)

バブル後は、組織と個人の関係は、互いに選び選ばれる、という関係に変化しています。嫌な会社だけど、給料が上がりそうだから、我慢、というのはないのです、もはや。

では何があるのか?というと、組織が人を選ぶと同様に、人も組織を選ぶようになった。ということです。

組織は、人をつなぎとめるために、カネと地位以外の、報酬を持たないと、結集力がない、という訳です。

これは、金銭が介在する企業と労働者の関係性の変化ですが、山岳会では、そもそも金銭的報酬が介在しないので、もっと顕著かもしれません。

では、一体どういうものがニンジンなのか?

それは、価値観の多様化、ということで、

  個人による

のです。その個人が何に価値を見出すか?そこが重要なポイントです。

≪代表的な報酬例≫
・楽しい人間関係
・人間的成長
・専門知識、技能
・大切にしてくれる
・力を発揮できる
・好きな仕事
・学びたい上司や先輩
・友人
・海外勤務
・結婚相手

登山においては、価値観で結ばれたきずながないと、とりとめのない会になってしまうかもしれません。

■ それでは、自分の価値観を突き止めないと

となると、自分の価値観を突き止めるのが重要になるわけですが・・・

私にとっては、山は良き思い出を作るためのもの・・・です。

今まで山で会って、お友達になった方、みなさん、すてきな思い出をくれました。敦子さん、ありがとう!ウッキーさん、ありがとう!絵里子さん、ありがとう!トシゾーさん、ありがとう!前のパートナーのSさん、ありがとう!山であったおじさんたち、ありがとう!山岳会の先輩たち及び岩場であったクライマーのみなさん、ありがとう!

みなさんが思いやりから心配して、一緒に歩いてくれたのは、よく分かっています。

山でいい思い出ができるっていうのが、人と一緒に山に行く良さだと思うんですよね。