八甲田山の死の彷徨では、別部隊がいた。その部隊は無事に帰ってきているのである。
八甲田雪中行軍遭難事件
210名中199名が命を落とした部隊と弘前歩兵第31連隊の差は何か?
一言でいえば
山のなんたるかを分かっているか?
だろう・・・。
ありきたりだが、ウィキペディアには、遭難原因がこうまとめられている。
・気象
・稚拙な装備
・指揮系統の混乱
・情報不足
・認識不足
ちなみに、成功した隊の成功の要因は次のようにまとめられている。
・天候不良→ 雪洞でビバーク
・寒冷に対するさまざまな工夫
・統率
・体力と素養
・熟知
つまり、
気象遭難に対する反対語は、雪洞でのビバーク技術
稚拙な装備に対する反対語は、創意工夫であり
指揮系統の混乱の反対語は少人数制とリーダーシップ
情報不足の反対語は、もちろん、熟知しているということ、
認識不足への反対語は、体力と素養だ、
ということだ。
二つの部隊が直面した、気象や山の条件は同じだ。
昨今、夏山での低体温症遭難などで、体力不足に帰結させる論調が根強い。
そうだろうか?体力なんて、ないならないなりの山を組めば済むことなのである。
この八甲田山を例にとると、210人中199名が死ぬ状況で、行き伸びる体力とは、どのような体力だろうか?
全員が生還した部隊は、そのような体力の持ち主だから、生還したのだろうか?否である。
生き残った者は体力が優れていたから生き残ったのであろうか?否である。
体力は、統率やビバークという手段が充分に機能し、実行されたのち、その試練を耐える力でしかなく、そもそもの失態をカバーするものではない。
順序が違うのである。
正しい順序は何であろうか?
体力は、正しい認識(山行計画)、適切な装備、山を熟知していること、正しい危機への判断、統率、そして、その後に来るものなのだ。
体力は必要条件であって十分条件ではなく、体力だけで山に登れると思ったら、大間違いなのである。
したがって、体力はあるけれど、それだけの人は山には向かない。度胸があるだけの人が山に向かないのと同じだ。
凍傷があれば、それは認識不足で山に追い返されたという証なのである。その山は、つまり・・・その人には大きすぎた、ということだ。
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