Thursday, October 1, 2015

体力以前のことがおろそかになると危ないということ

さて、理性的な話に戻そう。

八甲田山の死の彷徨では、別部隊がいた。その部隊は無事に帰ってきているのである。

八甲田雪中行軍遭難事件 

210名中199名が命を落とした部隊と弘前歩兵第31連隊の差は何か?

一言でいえば

 山のなんたるかを分かっているか? 

だろう・・・。

ありきたりだが、ウィキペディアには、遭難原因がこうまとめられている。

・気象
・稚拙な装備
・指揮系統の混乱
・情報不足
・認識不足

ちなみに、成功した隊の成功の要因は次のようにまとめられている。

・天候不良→ 雪洞でビバーク
・寒冷に対するさまざまな工夫
・統率
・体力と素養
・熟知

つまり、

 気象遭難に対する反対語は、雪洞でのビバーク技術
 稚拙な装備に対する反対語は、創意工夫であり
 指揮系統の混乱の反対語は少人数制とリーダーシップ
 情報不足の反対語は、もちろん、熟知しているということ、
 認識不足への反対語は、体力と素養だ、

ということだ。

二つの部隊が直面した、気象や山の条件は同じだ。

昨今、夏山での低体温症遭難などで、体力不足に帰結させる論調が根強い。

そうだろうか?体力なんて、ないならないなりの山を組めば済むことなのである。

この八甲田山を例にとると、210人中199名が死ぬ状況で、行き伸びる体力とは、どのような体力だろうか?

全員が生還した部隊は、そのような体力の持ち主だから、生還したのだろうか?否である。

生き残った者は体力が優れていたから生き残ったのであろうか?否である。

体力は、統率やビバークという手段が充分に機能し、実行されたのち、その試練を耐える力でしかなく、そもそもの失態をカバーするものではない。

順序が違うのである。

正しい順序は何であろうか?

体力は、正しい認識(山行計画)、適切な装備、山を熟知していること、正しい危機への判断、統率、そして、その後に来るものなのだ。

体力は必要条件であって十分条件ではなく、体力だけで山に登れると思ったら、大間違いなのである。

したがって、体力はあるけれど、それだけの人は山には向かない。度胸があるだけの人が山に向かないのと同じだ。

凍傷があれば、それは認識不足で山に追い返されたという証なのである。その山は、つまり・・・その人には大きすぎた、ということだ。





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