Tuesday, June 30, 2015

ロープが出る山を教えるということ

■ ロープが出る山を教えるということ

私は、山は危険だと思うので、仲間づくりの重要性を認識している。となると、

 仲間を育てる必要

が出てくる。つまり

 初歩のロープワークを教えないといけない

初心者が初心者を教えるなど、もってのほかと思う人もいるかもしれない。実は私自身もそう考えていた。しかし、山の世界には

 教えてもらったら、教え返すという掟

があり、教えないというのは、つまり

 もらいっぱなしで返礼無し

という、ずうずうしい話なのだ。 

余談になるが、”地図を持たないでナビ替わり”、”荷物をもたないでシェルパ代わり”、”車を出さないでタクシー代わり”というような、ずうずうしい話は、山の世界では一般的で広がっており、一度それが自分の当然の権利だと思いこんでしまった人を、

 助け合いとギブ&テイクの正しい関係に戻すのは、至難の業

だ。

■ 教えるには?

問題の9割は

 教わる人が、教えても教わらない

点だ。これは、私だけの問題かと思いきや、見たところ、普遍的問題だ。問題なのは、きちんと教わって、きちんと理解してくれないと 教える側にも教わる側にも

 死の危険が迫る

という点。

新規入会者を岩場に連れて行き、初歩のロープワークを簡単マルチで教える。それ自体は、まっとうなアルパイン入門で、まったく何も間違っていない。ところが、この後が続かない。これまでに、私が見かけた失敗事例。

≪失敗例≫
・トップロープで登るゲレンデが、岩登りのすべてだと思ってしまっている
・登れればザイルは要らないと思っている
・先輩は落ちないから、ビレイは持っているだけでいい
・スポーツクライミングがクライミングのすべてだと思ってしまっている
・岩は手で登るものだ
・スタンディングアックスビレー中に手離し
・ボルトに掛けたヌンチャクをひっぱりながら登ってリードする
・登ってから、ロープを投げる
・ビレイで制動手を離す
・リードのビレイでクライマーを引っ張り落とす
・トップロープのビレイでクライマーを引っ張り上げる
・セルフを取る前に落ちる
・1ピン目で落ちる
・先輩と行くのだから、地図はもっていかない
・フリーで登るから、アックステンションは知らなくてもいい

■ 『「教える技術」の鍛え方』 樋口裕一

何が悪かったのか? という視点で、この本を読んだ。もう1点に尽きると思う。

  教わる人が教える人を舐めている

これは 先生の性別によらない。なぜなら上記の失敗事例は男性の先輩たちが作った失敗事例だからだ。そこで、

 一体どういう教え方をしたらよいのか?

ということを調べた。以下は、上記の本からの抜粋と要約。

1)教える側の心構え
・過大な期待をしない
・なめられてはいけない
・モチベーションを持たせる
・相手のタイプに合わせる
・ポイントを絞る
・自分の好き嫌いを持ちこまない
・予習復習は期待しない
・自分のミスは素直に認める
・実績をきちんと自慢する

2) 舐められてはいけない
・レベルの違いを見せつける
・面倒見の良さで信頼を得る
・教えることが自分も初心者である場合は、そう口に出すほうが良い
・はじめのうちにしっかり叱る
   叱るとは、相手の態度に満足していないこと
   一層の向上を期待していること

3)3回目の原則

2度目まで大目に見て
  「そのうちちゃんとやってくれるだろうと思って大目に見ていたが、ちょっとひど過ぎる」
と叱る。

■ モチベーションを持続させるには?

 伸びを意識させる

・発表の場を持つ
・学ぶ前の記録を残しておく
・具体的な点を褒める

■ 叱り方

 「これくらいなら、君にはできるはずだ」
 「慌てないで良く考えれば、分からないはずがない」

・一つの結果について叱る。
・努力不足、考えの甘さを叱る。
・大人には、逃げ道を用意する。 「忙しくて勉強する時間が取れないのは分かるが・・・」
・自分で考えるように突き放す。  「もう出来るはずだから、一人でやってごらん」
・壁になる。 「俺を乗り越えたら一人前だ」

■ 理屈人間&実践人間

・実践人間には、体系立って教える必要はない
・理屈人間は全体像を与えないと前進できない

■ 面白さを作り出すコツ
・〇〇すると得になる
・〇まるしないと損になる
・裏ワザであると言う
・思い出を離す
・目からウロコ、と思わせる
・個人的体験を語る
・誇張する
・質問して、参加型にする
・モテると言う

■分かりやすさのコツ
・絞る
・単純化
・教える順序を工夫
・具体と抽象
・大きな図を与えてから詳細へ
・グループ分け
・二項対立
・初心者には専門用語を避ける
・なぜか?を説明
・質問する
・たとえ話

■相手のモチベーションを上げるコツ
・自分で発見するよう導く
・実践させる
・手本を見せる
・短期目標を与える
・ゲーム感覚で繰り返す
・その場で暗記させる
・小テスト
・宿題

■ 振り返り

例えば、私の場合だが、クライミングシステムの理解は、きちんと文登研の確保理論を読んでからしか、納得感が出ず、実践していても、原則を理解していなかったので、これで良いのか、不安で確信が持てず、不安なまま岩に行きつづけることが嫌でした。自分のミスで相手を死なせたらと思うからです。

一気に理解が進んだ経験は、ほぼ初めての岩のぼりで、リードしたことです。ザイルを伸ばすってこういう意味か~、と分かりました。それ以来、リード練習しか興味がなくなりました。

一般に、何をできるようにならなければならないのか?ハッキリ言われたほうが、分かりやすかった

≪良かった事例≫

1) 座右の銘: 「何はなくともセルフビレイ」 (ポイントを絞った例)

2) 「リードのビレイが確実にできるようになってくれないと、岩場に連れて行けない」と言う

3) 迷うようならザイルを出せ (ポイントを絞った例)

4) 敗退ができないとルートには行けない

5) 「Ⅴ級マスター」 (目標を与える)

6) 懸垂下降は失敗が許されない (ポイントを絞った例)

7) ビレイヤーのセルフビレイは、パーティの最後の砦


岩場では、結局は、口頭で教えることになるので、ポイントを絞ったこと、1点か2点しか身につかない。したがって、何を学んでもらうのか

 ポイントを絞り切れるか?が最重要

だ。

■ 分かったこと

舐められないこととセットで大事なことは、

   過大な期待をしない

ことだ。これまでの経験を踏まえると、一般的に、ほとんどの人が

  経験の量に即した理解を持っていない

つまり、経験を聞くと、もっと理解があって当然のように感じる。つまり、

 経験の量で相手の理解度を推し量るだけでなく
 具体的に何ができて、何ができないか聞く

必要があります。 実際、聞いたら、全然分かっていないことが多い。

私は師匠がいるので、気楽に質問でき、その点で助かっているのかもしれません。男性は一般に、人に聞く、ということを嫌がる傾向があるように思う。

■ するべき質問

以前、会の人で、三つ峠マルチに行きたいと言ってきた人がいたので、私もちょうど初心者で練習相手が欲しいし、連れて行けるかもしれないと、その人が何が分かっていて、何が分かっていないのか?聞いたことがある。

 「今の課題を教えてください」

これは良い質問だったと思う。

・自分でセットしての流動分散
・自分でセットして、トップで降りての懸垂下降
・懸垂での途中停止(バックアップつきの懸垂下降)
・ビレイヤーの自己脱出
・宙吊りからの登り返し

ができないそうだった。またダブルロープも持っていなかった。これでは外岩に行く段階ではない。

■ 分かっていない事が分かるには?

教えられる相手の理解度は重要だ。 それを知る方法だが、

 自分が行けると考えているルートを聞く、

という方法がある。聞いてみて、例えば

 ・超人的体力が必要
 ・山行に連続性がない
 ・その山行に必要な技術要素をブレークダウンした時、必要な技術が身に付く前座の山行がない
一言で言うと、”いきなりすごいルート”という特徴があると、おそらく分かっていないことが分かる。また、失敗事例を送ることも有効だ。

 間違ったビレイの写真を見せて、その写真の何がいけないかを指摘させる

これで、相手の理解度を計ることができるし、命の危険はもちろんなく、しかも相手も理解が深まり、敬意を深まる。

■ 実戦で確認する方法

連れて行く場合、相手は最低ビレイはできてくれないと、セカンドでさえなく、困る。聞くべきは、

「リードのビレイが確実にできるか?」
「リードのビレイで墜落を止めた経験があるか?」

も入るかもしれない。ちなみに、先輩たちがどうやってこの最低ラインを確認しているかと言うと、いきなり、岩場に行って、墜ちても死なないような高さで、さりげなく墜ちて見せるのである。

私はこのやり方は確実ではあるが、教える側のリスクが大きすぎだと思う。少なくとも、私は制動手が上になっている人のビレイでは、1mくらいしか地面までないとしても、墜ちたくない。

このように、ほとんど命がけで後輩を育てている先輩らが、舐められている、というのは、世の中、何かがおかしくないだろうか???




Monday, June 29, 2015

最近のあれこれ

今日は甲府は良いお天気でした☆ しかし、お山の方を見ると…厚い雲に覆われて、山頂からの展望はなさそうな気配。

こういうお天気の日は、標高が低い山でのクラッギングがよさそうです。今日などは三つ峠が良かっただろうな~と思いました。

■ イドログリップ?

笛吹川領域のような花崗岩の岩には、フエルトソールより、ラバーソールのアクアステルスのほうがフリクションが良いそうなので、買い揃えたいのですが、もしかして、アクアステルスソールって廃盤化???

カモシカでは、セールでガイドテニー(アプローチシューズだが、ソールがアクアステルス)が7000円であったので、買っておけば良かったかなぁ…。

丹沢の沢では、フエルトソールは信頼性バッチリでしたが、ナメラ沢では、寝ている滝でも、ちょっとフリクションが信じられない感じでした…。

ゴムのソールだったら、何でもいいという訳でもなさそうだしなぁ… 今置いてあるのは、イドログリップというソール。

こちらにインプレッションがあった。

■ ウエットスーツ

今日はサーフショップにウエットスーツを見に行った。山梨は海がない。だから、サーフショップってあるんだ~とびっくり。いやあって助かったんですが。 

大阪にいた頃は、GWは宮古島でダイビングに行くのが夫との恒例のGWの過ごし方になっていた。その時はダイビングは、ぜーんぶ借りて済ませていたし、そういうものだと思っていた。何しろ年に1回しかダイビングしないのだし…。今回は、なしでもいいかもなぁ… 寒いかなぁ…。

フルスーツではなく、重ね着の発想で、ベストとかを考えた方が沢での用途は広いかもしれない。

昨日、不動沢の源流で裸足で遡行しようとしたら、10秒とはつけていられない水の冷たさだった…うーん。

ライフジャケットはやたらネットで安いのがあるので、購入予定。しかし、もしウエットスーツを買うならば、無料で貸してくれるそうだった。

■ 『「教える技術」の鍛え方』 樋口裕一

私は教える立場に立つことは、若いころから頻繁で、そう教えるのが苦手な方とは思っていないが、それでも、アルパインクライミングは、ちゃんと教えないと危ないし、命に係わるのに、教えても教わらない人が多いことに危機感を感じて、読了した。

ある友人が言っていたが、アルパインはちゃんと自ら学ぶことができない人は向いていない・・・と。・・・というか、向いていないという言葉が生易しいかもしれない・・・向き・不向きではなく、死の危険がある。

この本に書いてあることは、すべて納得できることだった。

役立ったのは、教わる人には2タイプあるというところ。理論派と実践派。理論派は全体像を把握して、位置づけてやっとわかるようになるのだそうだ。私だ。

実践派は、まず実践から、だそうなのだが、山の世界では、実践派のやり方で教えられていると思う。そのやり方でやると、長い間、経験者の同行がないと、全体像が分かっていないために冒すミスのリスクを補てんすることができない。おまけに連れて行ってもらっているのに、自分の実力だと誤解しがちだ。

それでも、学ぶ相手にあわせて教えるしかないのだそうだ。

■ 山用の車が欲しい!

もうすぐ、2台も車検がくる・・・

甲府では、車がないと生活が成り立たない。現に今日もサーフショップへは車で出かけた。トマトを買いたい!と思っても、車で出かける。

1年目は1台しか車がなく、家に監禁されているような気になって、発狂しかけた(と思う)。最近は、なぜか、そう車で出かけないでも済むようになったのだが、それでも車がある、というだけで、行動の自由があるという心の担保になっているような気がする。

それで、一人一台がいるのが山梨の暮らしだ。まったくエコではないが仕方がない。おまけに今年は2台いっぺんに車検(--;)。

最初の一台を購入した時は、夫の通勤用で、ほんの20分ほど運転するだけだったし、一生に一回買うだけのことだと思っていたので、実用を度外視しても良いだろう、と、夫に好きな車種を選んでもらった。完全に車体デザインの好みで選んだ形だ。それで、ラシーンフォルザになった。

この車は四駆だが、燃料食い。でも林道で立ち往生している普通車などを見ると、四駆で良かったなと思う。クロスオーバーSUVという、なんちゃって四駆らしいが、それでも雪道走行では全然違った。

しかし、購入した時点で10年ものだったラシーンも、7年乗って、17年…。

用途的にも、何を車に求めるのか、はっきりしてきた。

現在、後継車種のエクストレイルに乗り換えるべきか検討中。私は山でJAFを呼ぶのは嫌なので、ぜひ中古でいいから購入したい。一方、夫は、いつかラシーンは100万円出しても買えなくなると言う・・・ホントかなぁ?

最近彼とは山に行く機会が減っているので、まぁイラナイと言えばイラナイ。大体、私の軽自動車でも行けるような低山が私のメインフィールドになりつつあるし…。

とはいえ、車中泊ができる車があれば、夫と前夜泊の山が充実する、ということは言える。夫婦円満のために買ってくれないかなぁ…。

ラシーンは良い車で愛着もあったので、譲れる人がいたら譲りたいと思っている。ただもらう方も四駆が好きで、形が好きでないと車検代もかかることだし、タダでもらっても得はないかもしれない。愛着がキーワードだろう・・・。

修理に関してはそんなにかかる車ではなく、7年で、バンパーの交換(自分でぶつけたせいで)とか、その程度。


■ 空き地

最近、空家法が改正になったらしく、放置された空家の打ち壊しが近所では多い。たぶん戦後のどさくさに紛れて、勝手に占拠したのだろうと思われる、どぶ川沿いの家や線路ギリギリに立つ家が多い。植物に冒されている!と言う感じで、崩壊寸前だ。放置したら危ないよな~というよりも、ほとんど倒壊状態の家もあった。

ところがそれらが最近、バンバン壊されている・・・ ビックリ仰天な内容も見る。

壊されている様子を見ていると、中はすごいゴミ屋敷になっているのもあった。業者さんも辟易している様子だった。

他の一件は壊してみたら、意外に大きな家だったが、床下から河原に降りれる階段が付いていて、ちんまりした家庭菜園にたどり着くようになっていて、見た目に相当なボロ家だったのに、なかなか良い生活が営めそうだった。いちじくや夏みかん、かきの木が植えてあって、今の時代にそんな生活をしようとすると、一体いくらかかるんだ?という感じ。しかし、どぶ川に直接家の中から降りるのは、まるで山間地の家のよう・・・。

そういう家が一杯どんどん壊されていく。甲府は空家率が高く、4分の1は空家。それなのに、山を切り開いて、振興住宅地が作られる。あの空家のあった上に新しい家が建つのかなぁ…。

以前山梨育ちの人と知り合いだったのだが、その彼も中心街で育ったのに、家は新興住宅地に買っていたから、やっぱりクルマ社会では不便なのだろう…というわけで、建たないかもなぁ。

・・・という状態で最近、甲府では建設(?)ラッシュ… 

■ うるさくてビックリ仰天の子供の家

その一環で、長らく空家状態だった、マンションの前の家も、空き家状態が解消され、リフォームした家に家族が越してきたようだ。しかし、問題が…声が筒抜けなのである。

その筒抜け具合が尋常ではない。家族の普通の会話が丸ごと全部聞こえる(汗)。何もかも筒抜けと言うやつだ。向こうは分かっていないのかもなぁ…。

ちょうど空の駐車場を挟んでいるから、音が太鼓のようになるってわけだ。

その様子を聞いていると、子供が野生のままでビックリ仰天。泣きわめいている。わがまま放題だ。

米国滞在時、私はベビーシッターをしていたから、2~3歳の子供、6歳、11歳の男の子などのお世話の経験があるが…こんなにワイルドではなかったし、特にしつけを必要とするような子は、いなかった。

大人を困らせるようなことがあっても、楽しいから、というのが理由で、楽しすぎてボールを投げてと言い続けるわんこのようなもので、自覚なくくたびれてしまう、というのがほとんどのケース… 

こんなに子供がいる生活が大変そうなのは、一体なんでなんだろう…とはいえ、子供が大キライな子供だった子供時代を思い出した…弟と妹の世話をさせられていたので、子供嫌いに育ったのだ…そう言えば、弟や妹はこんな調子だったなぁ…。

その後、アメリカに行って、子供嫌いを返上したハズだったのだが、このお向かいさんの子だくさんの家庭生活の様子を、心ならずも毎晩立ち聞きせざるを得ないようになって、子供嫌いの理由をしっかり思い出しそうだ(汗)。

なんなんだろうなぁ、この日米差は。日本の子供は異様に情緒不安定なんだろうか?  

 

踏み跡と一般登山道を見分ける

■ まずは 一本道信仰を捨てる

地図読みの山を岩登りをする人(=いわゆる”本格的な”という形容詞が付く登山をする人)に、とっては、あちこちに、意味のない踏み跡がいっぱいある、あまり踏み固められていない道を歩くことは、普通のことです。

しかし、基本的に明瞭な一本道を行く、一般登山しかしたことがない人は、踏み跡=登山道と信じています。

実際は、踏み跡程度の道と一般登山道は明瞭な違いがあります。

目の前に踏み跡があるから、と言って、どこへ続く道かも考えずに、ついて行ってしまうような人だと、踏み跡に導かれ、迷いに迷って、出てこれなくなる心配があります。

特に里山では、仕事道やけもの道が多く、踏み跡=道、という信仰は捨てなくてはなりません。

■ 登山道全体像を把握する

道があるから歩くのではない、とすれば、次にすることは、大体どっちに行く道かということです。

山に行くのだから、行きは当然登りです。登るはずの道が下っていたら、おかしいな、と分かります。つまり予想です。予想するにはあらかじめ、どういう道かを知っていないといけません。

これはおおよそで良く、大きく、南進するか、北進するか、何時間後にピークや山小屋などの顕著なものにぶつかりそうか、などを地図を大きく見て把握します。

しばらく行けば、〇〇が見つかるはずなのに、出てこなかったら間違っていますよね。

■ その後がルートファインディング

また一般道であれば、赤ペンキやテープだけでなく、道標が整備されていることが多いです。逆の視点で見ると、赤テープがあるということは、道の明瞭さが、赤テープで補助しないといけないくらい、不明瞭だから、です。

赤テープだけの道は、歩く人に対してそれだけ玄人であることを期待しているので、道標などは当然ですがめったにありません。ただし、ケルンや倒木のバッテン、鉈目などのフィールドサインはあります。

一般道         
・道標あり
・迷いようがなく明らかに道 

踏み跡
・赤テープ
・仕事道
・獣道
・釣り用の道
・クライマーの踏み跡
・鉈目などあり
・なんとなく、”導かれ感”がある程度

■ 理解するためには

これらの差を理解するのに良いのが、ちょっとマイナーなルートです。廃道になりかけのような、

・黒富士
・瑞牆北面から富士見平小屋

は、登下山口に管理棟があるので、フェイルセーフ付きとなり練習におススメです。

ステップアップしたら、地図読みの山に進むことができます。



 これが踏み跡。

踏まれたところは土が出ています。

左下の丸太は、道の境界線を示すものではなく、ただの倒木です。

でも踏み跡は分かる。

導かれ感があります。

これは沢に降りる釣り師のための入渓点です。
これがいわゆる明瞭な道。

上の物とは明らかに違います。

整備された登山道とは、大体こんな感じです。




Sunday, June 28, 2015

瑞牆山・カンマンボロンハイキング

■ 夫と行く久しぶりの山

今日は夫とカンマンボロンを見るをテーマに、瑞牆山ハイキングに行ってきました☆ 最近、夫と歩く機会が減ったので、夫の方は運動不足が積もり積もってしまいました・・・。

彼も月に一回くらいは歩かないと、体力は50歳を境にガクンと下がる、そうです。今日はたった6時間なのに、下りで膝が痛くなってしまったそうです・・・プチピンチ。

今日は湯川クラックのお誘いも受けていて、ああ~惜しい!と思いつつ・・・でした。今日は晴れたので、どっちになっても気持ちが良い山だっただろうなぁ!!

でも、たまには 旦那さま孝行しなくては・・・。彼と行くなら、ハイキング程度の軽い山が良いので、計画にも配慮が要ります。

■ カンマンボロンを見るには、ワイルドアットホームを探す

カンマンボロンを見ることをテーマにした瑞牆山は、2年越しの持越しでした。・・・というのも、岩登りを始める前、まだロープワークの紹介を受けた程度の頃、カンマンボロンを見に行く山を、ベテランから薦められました。それも二人も!

私はそれで、ちょっとどこかに誘導されているような気がして、やだな~と思い、行かなかったのです。あまのじゃくというヤツです。

今回、岩登りに接するようになって2年目、トポも見慣れ、岩装備も一通りは持ち、カム買い揃え中、みたいな立場で見ると、カンマンボロンは、ワイルドアッットホームというルートのお隣、でした。

ですから、クライミングをしたことがない人に、

 ・アプローチの険しさや
 ・踏み跡が入り乱れて、目的の岩場にたどり着くのが、結構タイヘンなこと(いわゆるアプローチ核心

というような、クライミングの常識?良くある出来事を伝えるのに良いルート、です。

まぁ、トポ集を持っている人にとっては、ワイルドアットホームの隣、に行けばいいだけでした。

■ ルートミス・・・大局を見る 木を見て森を見ずにしない

岩登りをする人にとっては、あちこちに、意味のない踏み跡がいっぱいある、あまり踏み固められていない道を木を伝いながら登るのは普通のことですが、一般登山しかしたことがない人は、

 踏み跡=登山道

と信じていますから、踏み跡入り乱れるこの瑞牆の北面は、道迷いの名所です。そういう理由で、瑞牆山のカンマンボロンからのルートは、”迷いやすい道”とされているようです。迷った記録が一杯上がっています。

実際は、踏み跡程度の道と一般登山道は明瞭な違い、があります。

ので、基本的に地図読みができなくても、迷うことはありません。

・・・が、目の前に踏み跡があるから、と言ってついて行ってしまうような人だと、迷いに迷って、出てこれなくなる心配があります。

基本的には、カンマンボロンはP1801の隣の小ピークだ、という”大きな図”が頭に入っていれば、主体的に正しい登山道を選ぶことができるでしょう。(ただカンマンボロンへは、登山道を一時外れます)

今日は、夫は釣り師用の天竜川南ノ沢の踏み跡に踏み込んでしまいました・・・そして、「踏み跡があるってば!」 「ほらGPSの赤線の上を歩いているじゃんか~」と譲らないのです。GPS依存症です。

そこはどう見ても、踏み跡であって、今回は、あまり使われないとはいえ、ちゃんとした登山道があるはずなので、明瞭に違うと予測できる、にも関わらず、です。

GPSの軌跡は、10m~30mくらいは平気でずれますから、現在地も、”大体このへん”で、理解しないといけないのです。スマホでは現在地を大きく映し出しても、少しずれていますが、家に帰って拡大すると、正確に出ます。

「ちょっと待って!行ってもいいけど、間違っている可能性がある、ということを考えながら、行ってよ」
「今日はロープ持ってきていないんだし、敗退は、登りより難しいことを考えて行ってよ」
「ここで落ちたら川底まで落ちれるからね!」

と進むと、案の定、道が消えました。夫が道だと主張したのは、ただの釣り師用の入渓用の踏み跡なのです。

彼の方が登山経験の濃度が最近薄く、しかも、彼はクライミングはしないので、敗退の技術である懸垂下降も出来ないし、しかも、クライミングというか、高いところ苦手なのにです。

その強情ぶりというか、おれの方が合っている!という確信ぶりが、「またぁ・・・」と私に思わせたのでした・・・(^^;)

もう男性はイケイケ、突っ込みまくりで困ります・・・(><) 無条件で俺の方がエライ!分かっている!と思っています。 長年連れ添っている夫でさえ、そうなのです。 

これは私が”業務命令”で、道がはっきりわかるところまで引き返して、ルート復帰しました。

明らかに明瞭な道がありました。

■ 急でクライミングちっくな道

カンマンボロンから、瑞牆山本峰までの道は、とても急で、固定ロープを出してある箇所が、4つありました。ボルジムまで行かない程度の易しいクライミング、と言う感じ。ルート把握は、道は明瞭で、基本的に尾根と谷を把握して行けば、現在地が同定できます。

しかし、私は、スマホを落としてしまい、取りに戻り・・・ こういう道は夫は苦手なので心配しましたが、2度めに通ると彼もスイスイ登っていたのです・・・。神様のお達しです。

やっぱりクライミング的な体の使い方と言うのは、慣れの問題が大きいものなのかも・・・。足を置くところも2度目はバッチリでした。

富士見平小屋からの道に合流するところは、一般登山者が間違って、入らないようにトラロープで通せんぼしてあります。そのあたりは、初めて夫と瑞牆山に来たときに、来た場所でした。なんだかご縁を感じます。

■ ルートファインディング

また、一般登山道に合流してから、中高年の女性登山者が立ち往生していました・・・「初めてなんで、どこが正しい道か分からなくて・・・」と言っていましたが、そこは岩っぽくて、どこを通っても良い道なのです。

  自分でルートファインディングができない

という人でした。

一般登山道では、歩くところはとりあえず決まっているので、自分で決めることは、

  どこに足を置くか?

程度のことですが、足が置きやすい場所が分かる、というのがルートファインディング。わざわざ歩きづらい藪を歩かない、などもルートファインディング。

人間は、水たまりがあれば、普通は避けようとし、滑りやすそうな所は避けようとする、・・・そういうことです。

この女性には、どこを歩けばいいのですか?と聞かれたので、スタンスの見つけ方から、体重移動(3点支持)も懇切丁寧に教えたのですが、アップアップみたいで、手でホールドを持った方が良いと言っても、ストックも仕舞わない・・・くらいなので、心配でしたが、先を行きました。

■ 不動沢コースは変化に富んで面白い

本峰は相変わらず混んでいそうだったのでパスして、隣ののんびりエリアでランチを食べ、景色を満喫して、不動沢コースで降りて帰ってきました。

不動沢コースは不動沢と並走しているせいで、登山道自体が、沢みたいになっている箇所があり、けっこう徒渉を何回もさせられましたが、良い道でした。私はこちらのほうが変化に富んでいて好きかも。

不動滝は一見の価値のある滝でした。よもやあれを登ろうと言う人はいまい、と思える、

立ったナメを流れる滝

です。

途中、私は気持ち良い河原を見つけ、のんびり休憩しました。靴を脱いで、ちょっと遡行してみようとしたのですが、あまりに冷たくて10秒と足を水につけてはいられない!

この先には何があるのかしら・・・見てみたい・・・と思わせられる場所でした。今度靴持って行ってみようかなぁ・・・。

不動沢コースの方が、下山時に瑞牆自然公園で、十一面岩の全体像がドーンと出て、感動が大きいような気がします。

なんでこっちを歩く登山者があまりいないのかなぁ・・・。沢の様子のことを渓相と言いますが、山の様子は何と言うのでしょう?瑞牆は山の様子が気持ちの良い山です。雰囲気が良い

今日は、特に晴れて、本当にゴキゲンな山歩き。変化も多く楽しめるコースでした。

ここは、歩く力はもう充分合って、ルートファインディングとは何か?を学ぶような段階の人にとって、地図を手にしながら、歩くのに良いコースです。

9時スタート。 登り3時間、下り3時間、ゆとりつき、です。

カンマンボロンの上はルーフで、しずくがしたたり落ちてきます。

急登を登り切ったら富士山が見える展開がドラマチックで良い

秘密ののんびりスポットから見た十一面岩と電線鉄塔・・・ 今日はクライマーがいた
下りで発見した秘密の癒しスポット 不動沢源流の水が冷たい!!もっと上に行ってみたい!

 不動滝。

もう夏ですね~という雲。

甲府に戻ると、雨雲が垂れ込め、梅雨の合間の一瞬の晴れを掴んだ、と分かった。

今日はいい日だったなぁ。

夫とルーファイで、けんかしたけど・・・

でも、喧嘩したのは、

互いの安全が冒される

ためです。自己中ではありません。念のため。

彼もまだ、危険が何かを分かっていない登山者なのです。

私はだいぶ危険が予知できるようにはなってきましたが、それでもまだ十分予知しているようには思えません。
下りではこんな景色が見えます。カエル岩?

瑞牆自然公園からの眺め

こんな警告があるとは・・・ 北と南も分からない人が多いノダ・・・

帰りはソフトクリームを食べて帰りました

≪その他≫
・この辺はクライマーが一杯
・瑞牆自然公園からの眺めは素晴らしい
・瑞牆自然公園事務所では軽食やおにぎり、地元の手作り品が売られている
・お茶無料
・トイレ超キレイ
・結構遠くから来ている車が目立った
・一般登山者より、クライマーが多い

・今日は、

 不動滝 画竜点睛 (参考:http://www.geocities.jp/team84page/kiroku/newgold.html)
 カンマンボロンのワイルドアットホーム (http://enokido.net/mountain/archives/002642.html)

に登っているクライマーとボルダラーを見かけた。ボルダラーは多いように見えた。




Saturday, June 27, 2015

最近うれしかったこと二つ

■ 最近うれしかったこと 2つ

最近の成長を感じる山の出来事、2つ・・・

その1) 青笹尾根の地図読み。次に出てくる地形についてのシナリオ想定が出来ていた!

その2) 板敷渓谷での滝の直登。未知の滝で、私が提案したラインをベテランが採用してくれた!

二つとも、些細な、ちょっとした達成感だ。でも重要なスキル。その1)は、道迷いを事前に防ぐ防御力がまた一つアップした、ということだった。その2)は、岩の弱点を見る目が、少しだけど向上した、ということだった。

私はまだ判断力の面で、自分で下した判断では、行き詰まる可能性がぬぐえず、一人では沢には行けない。でも、着実に成長している、ということが感じられて、うれしかった。努力が実ることを感じるのは、うれしいことだ。

■ 成長の物差しの、どのあたりの登山者か? 

去年の成長の軌跡をまとめた記事がちょうど6月にあり、色々と振り返っています。

最近、一緒に行った人が、最低限分かっているはずのことも分かっておらず、「こんなことも分かっていないのか・・・」とびっくりしたのですが、仕方がないのかもしれないなぁ・・・と。

一緒に行くことになる人には、何が出来て何ができないのか、ちゃんとその人に聞いてからですね。

(もちろん、ブログなどできちんとその人の様子が分かる場合は除きます。このブログは、口頭では伝えづらい、登山者のありのままの姿を伝える目的もあって書いています。)

会の人も、他会の人も、一緒に行くとなった時、自分の経験を具体的に述べるのを避けているようなそぶりが少し感じられました・・・ 一方、逆に積極的に自分の現在の登山者像を伝えてくれる人もいます。

自分の登山経験を開示したがらないそぶりが見えたら、ちょっと警戒した方が良いという経験になりました。

普通は

 「今度、一緒にアイス行こうね~」
 「でも、私まだリードはできないんですよ~」
 「私も今ちょうど擬似リードに進んだくらいだから、大丈夫ですよ~」

などと言う風に互いのレベルの伝え合いが、自然と発生します。そう言うケースは大丈夫なケースという意味かもしれません。

「岩は前からやっている」・・・等々、漠然としていると、良いほうに解釈するのが人間のさが。

私の場合は全くの初心者なので、わたしより理解がおぼついていないとは、想定できず、当然、まったくの初心者の私よりも、理解が進んでいるもの、と想定していたら・・・、あれま!ヌンチャクを掴みながらリードしている・・・(汗) ビレイしてもらったら、リードクライマーを引っ張り落とす・・・(汗)

・・・ということは、ずぶの素人、つまり、何にも分かっていないのと同じ・・・(^^;)。まだアルパイン0.5です。それだったら、最初からそうと言ってくれた方が、そう思って付き合う分、随分マシです。

カムの支点を2点でしか取っていなかった時点で推して図るべしだったのかもしれませんが。

・・・が、初心者が初心者です、と言わないのは、それがどのようなレベルなのか、自分で客観的に位置づけできなかったのかもしれませんね。

人の成長はそれぞれのスピードでなされるもの。

去年の今頃の自分の成長の軌跡を振り返ることで、

 どの段階にいる人なのか?
 そのころには、自分はどんな失敗をして学んだか?

を振り返り、

 「まぁ仕方ないかもな~」

と思えるようになる・・・?かもしれない・・・??です。

これはクライミングに対する理解だけでなく、地図読みも同様で、”本格的”登山の、”本格的”という字が付くような登山を初めて間がない人は、いくら一般登山での経験が長くても、まったく白紙と同じことのようです・・・。

だから、沢をしたいと言う人が、地図読みの素養が全く無くても普通かもしれない????

■ ツアー以下

私は沢については、ツアーで奥多摩の海沢(泳ぐような沢です)へ行った後、労山の登山学校での講習会で、後藤ガ イドの講習会で東沢 釜の沢に行きました。そのため、

・防水パッキングの方法
・足ごしらえ
・ラン チ
・救急セットに 真水
・徒渉の仕方
・二股での枝沢と本流の確認方法、
・巻くか巻かないかの判断、
・沢での生活技術、
・常に沢の様子がうかがえるようにして退路を準備しておくこと、
・増水時の退路用にフィック を張ってから就寝すること、
・焚火の仕方、
・睡眠にシュラフカバーだけを使う習慣、
・下山時の地図読みも核心であること、
・地図の防水加工の必要性
・トポの読み方
・下山時の靴の携帯、

など、とおり一般のことは、一通り教わってから、山岳会を検討しました。講習会であり、ツアーではないので、装備負担もあり、当然それくらいの役割が担えるくらいの知識、沢入門書は読んでから行きました。マナーです。

しかし、会山行で参加する人は、連れて行ってもらえる期待、ですので、役割を担うという意識は薄く、そのため、事前予習は全くなく、自ら入門書を読むことさえない、それが普通のようです。防水パッキングさえ知らず、いきなり沢!です。

となると、滝の前で登攀方法を検討し、アンザイレンする、というような初歩的な所が抜け落ちてしまうのは、ある意味、当然のことなのかもしれません・・・(--;)

会で連れて行く側の先輩たちだって、ツアーではないのですが、懇切丁寧な事前周知などやりようがないでしょう。 そういえば、雪山のバリエーションに、装着方法を知らないでワカンを持ってきた人がいました・・・

そう言う調子で、何も知らない、知る必要がないと思っている人と、沢に行くと、初級の沢でもすごく危険です・・・。

この記録は、25歳、38歳、40歳の男性三人が本間沢に行った記録ですが、私たちが難なく超えることのできるF9 25m樋で、25歳の若い男性がフリーズし、37歳の男性は、スタンスがなく、手だけで登る羽目になっています。沢で3点支持を無視した、そのような登りはありえません。私たちが巻いたF10では、一人がセミになり、上からザイルを垂らしてもらう窮地に。地図読みさえできれば楽勝の詰めも、突っ込む一方のルートファインディングの為、落石ガンガンコースに入ってしまったようです。

まさしく、初級の沢なのに Xマーク付き(Xは岩のレイティングで危険なルートについているマークです)・・・。

自分が何を分かっていないのか分かっていないのが初心者だ・・・と以前、他の会の代表が言っていましたが、まったくその通りの様子で、つっこんで行ってしまう・・・のは、この記録にある人たちだけでなく、山岳会に所属している新人さんも同じです。気持ちだけが先走っているのです。

うーん、アブナイ!! しかし、こういう人たちは危ない目に遭って、やっと分かっていなかったことが分かるらしいです(--;)。

しかし、そのやり方では、分かった時点で一巻の終わりという人も確率の問題ですから含まれてしまいます。

きっと三つ峠の初心者講習で、「セルフとって」と言われてセルフを解除して、死んでしまう人はそういうタイプの死に方なのかもしれません。

そう言う意味では、登山の適性と言うのは、自覚力、というものが大きくかかわってくるのかもしれません・・・自覚がない人には、いくら教えても、自覚は生まれません。

よむべき本(たとえば『生と死の分岐点』)を渡しても読まないし、間違いを指摘しても直さないのです。

そう言うことを分かっているから、先輩たちは無駄な努力はしないのかもしれませんね・・・

■ 成長の軌跡 自分の今を把握するために

今年も成長の軌跡をまとめておくべきだと思ったので、続きをまとめました・・・。

こちら。http://stps2snwmt.blogspot.jp/p/httpstps2snwmt.html

登攀力は長い間の課題ですが、急にアップするのは無理だし、大量の努力をしても、ほんのちょっとしかアップしないのが登攀力です。

なおかつ、早くアップしたところで、成長する楽しみが早く無くなってしまうので、ゆっくり頑張ります☆

アンコントロールなチャレンジ=無謀

■ 幸福を実感中

昨日は、冷たい雨がしとしとと降り続く日で、梅雨を実感する寒い日だった。その雨で、去年、モロクボ沢に出かけたときのことを思い出した…

あの時は、狭い車で車中泊して切なかったけど、良く考えれば、あれが幸福と言うことの意味なのだろう。まだ山岳会への例会参加は3度目くらいで、先輩たちにとっては私は見知らぬ他人に近かった。

最近思う。幸福って、懸命ってことなのかも…って。いわゆるゲラゲラ笑うようなことが楽しいってことではなく、時が一瞬に感じてしまうような、懸命さで生きている時、それは人生が充実している、っていうことなのだろう。

登山を初めてから、時がたつのが早い。甲府に来てもう5年目とは信じられない。1年も短いようで遠い…。あれから丸一年たったとは…。自分自身の登山者としての成長には感慨深いものがある。

≪関連記事≫
去年の今頃の成長の振り返り

■ 登山者としての成長の複合的な形

一つ一つの山行では、何を具体的に学んだ、と言えるのかは、凄く曖昧だ。モロクボ沢は大増水していて、そして、私はロープをザックに入れ忘れた。沢の具体的な内容は、もう覚えていない。

配慮に気がつく能力
けれど、よく考えれば、モロクボ沢は、私のために師匠がよく配慮して選んでくれていた。私は今でも丹沢のことは全然知らない。家から遠いから、同じ時間で行くなら八ヶ岳のほうに出かけてしまう…が、最近、レスキュー講習で丹沢に行って、多少土地勘ができた。すると、私の自宅からの距離にも配慮して、モロクボ沢を選んでもらっていたんだなぁと分かるようになった。当時は、師匠が、モロクボ沢を選んだ理由は分からなかった。

こうしたことは自分が逆の立場をやるようにならないと気付くことができない。

ピークを大事にする
モロクボ沢では、ピークを踏まなかった。沢の源頭を詰めるのを避け、短縮コースで帰ってきた。私は、もちろん地図やトポを持って行き、地形の理解をしてから行った。それくらいは登山者として当然のことだ。が、しかし、何という山に登る登路として、魅力がある沢なのか?は知らずに行った。

だからピークを詰めないことには異論はなかった。

一般的には、ピークを大事にすると言うことは山の基本だ

むろん沢においても、沢山行いう山行物語は、ピークを詰めると言うハイライトなしには成立しない。そのことには当時は無頓着だった。

行動様式の継承
もちろん、山行はテーマによりけりで、このモロクボ沢は、初心者の私に沢を紹介すると言う、目的(師匠とは初めての沢)であるのだから、美味しいとこどり、が正しい戦略だった。

振り返れば、私もその通りの行動様式を取っている。初心者を連れて行った伝丈沢では良いとこどりで、ピークを踏むことよりも、焚火の楽しさや沢のキレイさを味わってもらうことを主眼にした。

初心者と行く場合の別の戦略は自分が連れて行けるもっとも大きい山に連れて行くと言う戦略だ。
厳冬期金峰山は私が初心者を連れて行けるもっとも大きな山だ。これも師匠から受け継いだ行動様式だ。考えてみれば、先輩が連れて行ってくれた前穂北尾根はこれに当たる。

≪必要な経験を与えるという高い視野≫

こう言う風に登山者としての成長には、”今この登山者に必要な経験は何か?”と考える思考回路が必要だ。その発想を持っている人は少なくなった。それがおそらく師を持つ、ということの最大のメリットなのだろう。

昔ながらの山岳会は、伝統的にそういう発想をしていたようだが、最近はそのような発想はしない。おそらく、このような発想で、山行計画を立てる、ということは、同じように育てられた人しかできないモノの見方なのだ。

山ヤ教育が廃れ、すでに何十年もたっている状況では、ステップを踏んで成長させる、というオーソドックスなスタイルは、やりたくでも人材の面でできないのだ。

≪山ヤ道先行者を信頼する≫
もちろん、当時でも師匠がおそらくさまざまな配慮をしてくれているだろう点は分かっていたし、ルートの選択にも、全幅の信頼を置いていた。

沢自体が初心者である私には、師匠がやってくれたように「この時期の初心者に良い沢山行は何だろうか…」と考え、無数にある沢の中からその登山者の成長段階に即した計画を立てる能力はないということは明瞭で、その点については最初から全幅の信頼を置く。

大抵の場合、私はベテランと行くときには、その計画に異議を唱えない。これが大事なことのように思える

最初から、疑ってかかる人を連れて行きたい人はいない。その上、その態度は裏を返せば、値踏みであり、ガイド客待遇を期待しているということだ。自分自身も安全管理に協力する気がない、と言う意味だ。だから、相手が載ってこなかった時点で、その山行に対する実力が備わっていなかったと言う意味だ。山を知らなければ、自分が行けるかいけないかも分からないのだから。

まったく初対面の相手であっても、一緒に行くベテランが選んでくれる山は全面的に信頼している。それは山ヤだったら分かるからだ。連れて行く相手に対して、どれほどの責任感が必要かを・・・命の危険があると言うことが分かっていれば、連れて行ける確信がなければ、連れて行けるなんて発言はできようもない。

もちろん、信頼しているからと言って調べないで行くと言うのは違う。Trust But Checkが基本だ。多くの人はどうもそれが逆になっている。Untrust Because No check 調べないから、どのような性格の場所かを知らず、それが不安となり、不信感を駆り立てる。調べれば大抵は不安は解消するものだ。

それにそもそも、登山においては、行ける山というのは、連れて行く人の技量で決まリ、連れて行かれる人の技量で決まるものではない。

連れて行ってもらった山は自分の力量の山ではなく、復習山行をしてやっと自分の山になるのに、その点について、無理解な人が山岳会でさえ多いのは驚きでしかない。

≪リスクを大きくしていくか、未知を大きくしていくか≫
しかし、振りかえてみると、雪では、無数にある山について、ステップアップするという視点を持って、選んできたと思う。現在のスキルで行ける山ということだ。ステップを外していない。

雪ではリスクを大きくしていくのではなく、未知を大きくしていく方向に収まった。近所の小さな山にも未踏のルートは一杯あった。

おなじことを沢でしようと思っている。小さくて易しい沢でもいいから、人の歩かないルートを狙いたいな、と思っている。師匠はこれをロマンと表現していた。 

ビッグネームになりたいと願いさえしなければ、山は今でも楽しい冒険フィールドをたくさん用意してくれている、と思う。

■ アンコントロールなチャレンジ=無謀

去年の6月ごろの成長を振り返ると、遠方からのゲストも来ていたりして、すごく忙しい月だった。またザイルパートナーを得て、初めて初心者だけで、小川山のマルチピッチに行けるようになっていた。人工壁に通い、リード練習していたし、クライミングについての基本的なことの理解と、ビレイ技術が身に付いた。今年は2年目で、A1を覚える時期にきた。

初心者は、山での判断は、第一にどうすればもっとも安全になるか?と言う発想で行うべきだ。

それは図らずも登山の歴史をなぞることと同じになる…つまり初登スタイルと同じことになる。

まずは考えられるもっとも安全な手段、もっとも臆病なスタイルで貫徹する。

そうして、安全に登ることをマスターしてから、その安全の枠を外し、リスクに近づいて行くべきだ。

つまり、墜落の危険があるところではザイルを出すという基本ができてもいないのに、いきなりフリーソロで、墜落リスクを甘受しながら登る、というようなスタイルは慎むべきだ。

つまりノーマルルートもできないのに、いきなりバリエーションはしないのと同じことだ。

それは、コントロールされたチャレンジではない。

無謀とチャレンジの違いは良く議論される。おそらく、この辺に違いがあるのだろう。

無謀とは、同じ個所をより安全に通過する方法があるにもかかわらず、その方法が何かであるか?を知らずに挑むこと。選択肢が与えられている状態に気が付かず、選択せずに選ぶこと。

チャレンジとは、その場での選択肢については分かっているが、あえてリスクの大きいほうを選ぶこと。

大きな違いは自覚だ。無謀な人は多くの場合、無謀であることを自覚していない。したがって悪気が一切ない。

本間沢F9でザイルを出さずに登ってしまった人もそうだし、ロープワークが未熟なのに四尾根に行くことを主張する人もそうだし、ビレイがまだできないのに、三つ峠に行きたい人もそうだ。

その地に行くために必要なスキルを身に着けてから行くと言う発想がない。

そのような人から、距離を置くことは、登山者としての生き残りには必要な知恵かもしれない。

なぜなら、そうした彼らには悪気がないためだ。


Friday, June 26, 2015

久しぶりのボルジム

■ 高さが怖い

昨日は久しぶりに(9か月ぶりくらい???)に、ちゃんとボルジムへ。本当はシーズン初めの4月にするべきだったなぁ・・・ 

クライミング自体が久しぶりという訳ではない、ということもあるが、そう”オールリセット”はされていなくて、良かった~。

昨日は、ジムは忙しい日で、ビレイヤーを待つ必要があり、その間にウォームアップのボルダリングの課題ばかりをしたので、17本も初級の課題を登ってしまい、やっとリード壁に着いた頃は、相当腕が来ていたと思うのだが、そうでもなかった。

リード壁は5本。パンプしたのはリード壁で、なんでパンプするかと言うと、「墜ちる!」と言う思いが体を強張らせ、腕が引きつけの体制になってしまうのだった。だから1本目の方がスムーズで、2本目はムーブが上手く行かず。3本目で思ったように登れた。高さが怖いのだ。

でも、外の岩で高さが怖いという恐怖のラッシュに襲われたことはないんだけど…一体なんでなんだろう???

例えば、本間沢のF9 私は目視で15mくらいと思った滝、実は25mあったけど、別に怖くない。ロープの必要性も理解できるけど、ロープがなければ決してトライしない、というほどの怖さのものでもない。これと比べると10mくらいのジムの壁の上部のほうが怖いんだけど…、一体なんでかなぁ?露出感かなぁ・・・。

岩で心から怖かったっていうのは、まだない。登れなくて墜ちる、というのは、あるけど…。最初の離陸で一歩が登れないってのもある。

でも大抵、核心は一歩で、その後は問題なかったりする。私はまだセカンドしか大体のルートで登れないので、Aゼロ。Aゼロしないで行くと墜ちる。

そういう感じで、結局、昨日は、ボルジム課題17本、リード5本、トラバース2、して、3時間。手のひらに豆が三つできた。

・・・けど、やっぱりボルダリングジムの課題ができるようになって、今ある私の登山の何に役に立つのか、良くは分からなかった(汗)。

■ コピーする能力

ほとんどピンクとピンク黄色課題しか登っていないので、登攀グレードの面で見ると、ハッキリ言って、ずぶの素人の時と全然変わらない(^^;)。全くの初心者の時でさえ登れた課題ばかりだ。

昨日は、今日が初めてデースという初心者の女の子3人組が来ていて、同じような課題をしていたので、私も初めての時、他の人に教わったから、教えてあげた。

とりあえず、ムーブは私の方が良いのは分かった。でも、そんなの、すーぐ追い抜かれちゃうような話だしなぁ。1年前と同じ課題でも、楽は楽だ。

初心者の時は、正対しか知らないので、彼女たちも例にもれず、被った壁で墜ちていたので、フリを教えてあげたら、ぎこちないけど、ちゃんと出来ていた。

お手本を正確にトレースするというのは、子供の方が上手く、バレエってほとんどそればっかり。やって見せられたことを、自分がコピーしてやってみる。それは得意不得意があるみたいで、3人の中でもすぐできる子とすぐできない子がいた。

見た動作をコピーして再生する能力は、若さに依存する。

随分昔だが、中2の頃に、母親にテニスの素振りを教えたのだが、あまりに下手くそで、ビックリ仰天した。今思えば、母はその当時、今の私より若い。が、「歳だから仕方ない」と、14歳の私は思っていた…

この日は、60代の男性初心者もクライミングに来ていて、同じことを教えた。・・・が、やっぱりサッパリな感じだった。

■ 年齢??

オジサンは、「トップロープを勉強したくて来た」のだそうで、なんだかそのセリフを聞いて、まだ分かっていないのかもなぁ、大丈夫なのかなぁ、と思った。

年齢が高くても、私の知っている、平塚のほうの会の人たちは、リタイヤしてからクライミングを始めて立派に登っている。私なんかよりうんと上手だ。

だから、年齢であきらめる必要はないと思う。

でも・・・登れる人でも、アンザイレンのエイトノットを見ていたら、締めこむところをわざとふんわりゆるゆるにしていて、「あら…(汗)」と思った。

締めなくてもどうせローワーダウンで締るんだし、結束は摩擦力で締めるものなのだから、いくら解きやすくしたいと言っても、これではダメだ。

で、クライミング歴6年でも、”勉強不足”なんだなぁと思った。その人はクライミング歴6年ほどだったから。

若くても若くなくても、外に行くならロープワークをまずは確実にしないと、単純なポカミスで死ぬようなことになる。そんな無駄な死は、犬死、というようなことになる。

■ 全体像を理解しようという努力

クライミングに関しては、全体像がそもそも分かるのに、きちんと自分で勉強する必要があるみたいな気がする。

それは、なんだかOSの理解と似ているような気がするなぁ…。

イマドキ、誰だってコンピューターを使うのだが、基本的な原理を知らない人は、ウィンドウズが絶対だと思っている。世の中には、スーパーコンピューターもあれば、メインフレームもあり、マイコンもあり、まったくOSを搭載しないダムコンピュータ(ダム=バカ)もあり、それぞれのOSを持っていると言うことを理解していない(まぁしないと使えないわけではない)。

すべてのプログラムが、0と1だけで成り立っている、ということも同様だ。なぜ0と1の世界に、グレーゾーンができるのか、ということも理解されていない。

ハッキリ言って、こういう理解は、ただネットを使っているだけ、アプリを使うだけならイラナイ。

だけど、本質的なことが分かっていない、ということはできる。

プログラミングするようになって、初めてコンピュータを使っている、ということができるようになるんだが…。世の中では、そのことが理解されていないせいで、コンピュータの側に使われているのに、使っているつもりになっている。

パソコンの世界も、黎明期は誰もが本質を理解して使っていた。30年たって、今では理解していない人の方が99.99%みたいな世界になってしまった。

今ではDOS窓って言っても知っている人もいないし、コマンドラインを打ち込める人もいない。

でも、私が中学生でパソコンを使っていた頃は、自分でプログラムを組まないと、”コンピュータはただの箱”だった。それが本質だ。

そういうことが分かってアプリを使うのと、そうでないのとでは、行為の質に差がある。

それと同じようなことを、昨日は考えた。

本質を理解しないのは、60歳のオジサンも若い女性3人組も同じだけれど、どちらがより危険かというと、若い女性三人組の無邪気より、オジサンのリスクが大きいような気がした。

OSが何かも分からないのに、プログラミングの世界に行こうと思ってます、みたいな…。

何しろ、わたしに向けてエライ自慢話してたからなぁ・・・有名なガイドを知っているとか言って。

それで私の方もこの人を知らなければモグリ、というような人の名を挙げて見たんだが、オジサンは知らなかったし。

Thursday, June 25, 2015

パートナーシップの問題

■ストーカー?

今日は甲府は朝から晴れて久しぶりに山恋しい。

・・・ところがウラヤマ散策は自粛中・・・(--;)

春山合宿のための歩荷散歩をしていたとき、山頂付近で、あるオジサンに会った。そのおじさんとは他の散策者も交え、ちょっと話をした。

オジサンは今から裁判所に向かうところだと言う・・・え?と聞くと、取引していた会社が7億5千万円強の負債を抱えて、自己破産してしまったのだと・・・。オジサンの経営する会社では1500万円の不渡り、だそうだ。

それで裁判所に行くのに少し時間があり、のんびり空を眺めているのだそうだった・・・。どうせ、戻っては来ない1500万円がどうなるか、せめてもの自分の納得のために裁判所にいくのだそうだった。

そうか~、そういう事情なら、”少し時間を割いて話を聞いてやってあげないか”という神様の采配かもしれないなと思った。私は身の上話、聞くの上手なのだ。

おじさんは誰かに不幸を話したい気分だった。それは至極もっともなこと。人類愛で、おじさんの話をフンフンと聞いてあげた。

不渡り・・・「1500万円も損失したら、わたしだったら、立ち直れないなー」 「働いてなんとか穴埋めするしかないね」「オジサンは本当に働き者なんだね」

妻はタイ人で嫉妬深いのだそうだ。「でも、そんな遠い国から一人で来て、オジサンしか頼る人がいなかったら誰だってそうなって普通だよ~」 

・・・という具合。要するに私はオジサンが発したすべての問いに、オジサン自身が心の中で用意したのと同じ言葉を発してあげただけだ。

正しい傾聴。誰だって、悩みに対する解は、分かってはいるけれど、他の人に代弁してほしいものだ。

私はこういうシビアな状況に陥った人を慰め、元気づけるのは、なぜか上手なのだ。どうしたらいいか分からないと言うことはない。

たぶん、自分も普通の人には、絶体絶命と思える場をくぐってきたからだと思う。(ただ断っておくと、愚痴りたいだけの人も、その分、分かってしまうので、その場合容赦なく切り捨て)

・・・という事件があって、その日は春山合宿の前の日だった。

それで、私は、ちょっといい、プチ人助けをしたな~と自負して帰ってきたのだが・・・。

最近、後日談が・・・なんとそのオジサン、私のマンションの周りをウロウロしているらしいのだ・・・(汗)

子供が二人いる、同じマンションのママさん友達が教えてくれた・・・「なんかヨガの先生をしている人がこのマンションにいないかって探しているオジサンがいたよ」

いや~まさかストーカーにはならないと思うが・・・しかし、何があってもおかしくない、ご時世なので、怖くなり、一人の近所の裏山外出は当分自粛だ。

・・・というわけで、晴れても散歩は自粛。 私が行方不明になったら、南アルプス近辺にラチされたと思ってください(笑)。

■ 女性パートナー求む!

しかし、洗濯物がカラリと乾きそうなのは、気持ちが良いことだ。

最近色々と思うのだが、私に限らず、女性は、自分と同レベル・・・つまり、初心者・・・の男性とは、パートナーを組むことはできない。

それは、リーダーシップの問題があるからだ。

女性と男性、日本では、どちらが優れていても、男性がリーダーシップをとることになっている。

登山に必要な体力と知力を男女が、それぞれにそれぞれのレベルで持っていた場合、組み合わせではこうなる。簡単な確率論だ。 体力とは登山に必要な体力、知力とは登山に必要な理解と知識、判断力だと思ってほしい。
 
≪4つのケース≫
男性が体力が上で知力も上の場合   リーダーシップ問題なし
男性が体力が下で知力が下の場合  不成立
男性が体力が上で知力が下の場合  よくあるケース 問題ありのケース
男性が体力が下で知力が上の場合  体力が下降気味の熟達者 リーダーシップ問題なし

考えても見てほしい。小学校6年生で、男女のどちらが賢かったかを・・・。同じ年齢なら、10中8,9、女の子の方が概して、しっかり者で、大人さでは勝っているものだ。この年齢の男の子は子供っぽい。いや、この関係は大学に入学した時も変わらないし、大学を卒業した時も変わらない。60歳で定年するときも変わらない。もちろん個人差はあるだろうが、一般的にはそうだ。

私には2歳年下の弟がいた。彼は身長180cm、水泳は5歳からで、県大会のメダルいっぱい持っているような、超逆△の体型。

そんな彼も、5歳では、お母さんが見えないと「ママ~」と大泣きに泣いて、手がつけられなかったし、それは、私が親から自立した年齢より遅く、おねしょは10歳近くなるまで治らなかった。

精神的成熟と言うのは、年齢ではないのだ。それが登山のなんと関係があるか?というと、大ありなのだ。

登山では、結局、クライミングシステムをよく分かってくれているか?何が危険で何が危険でないのかを分かってくれているか?という”理解”や冷静な状況の判断力が、危険から身を守る。

・・・のだが、一般的な目で見ると、男性登山者のクライミングシステムに対する”理解”を妨げているものは、

 オレ、平気で登れるから、ロープなんていらね~

みたいな”プライドだ。その”余計なプライド”のおかげで、1年で分かるようになることも、1年以上かかってしまうようだ。

”登れるからいらね~みたいな話じゃなかったんだー”と分かるのに、登れる人は、それだけ時間がかかるってこと。

登れるなら要らないのなら、15mの人工壁は、5.7ならロープイラナイって話になるでしょう・・・でも、そんな単純なことも、現場では分からなくなる。

ちゃんとした人なら、15mの人工壁は、裸足とかクロックスで登っても、ロープはちゃんとつけていくでしょう。そーゆーことです。どうして分からないのかワカラナイが、そこは男性諸君には、理解が非常に、難しいらしい。

ロープと言うのは登れないからつけるものだと勘違いしており、おそらくその勘違いが起点だと思うが、引っ張るんです!!クライミング中に・・・。引っ張られると、例え、トップロープでも、登りにくいってば!登るために登ってんのに、引っ張られたら、楽しくないってば!テンションって言ってないでしょ!

しかし、これはおそらく、”登れない彼女をオレが行って引っ張り上げてあげなくては・・・”と思っているに違いないのです・・・

違うんです・・・姉さんに必要なのは、ひっぱってくれる人じゃなくて、墜ちたときに、しっかり受け止めてくれる人なんです。ちなみにねえさんでなくても、誰だってそうです。

・・・と、まぁこういう状況において、理解度という点でどちらが上か?というと、姉さんが上になってしまうんです。状況の理解度も同じ。

ところが、男性と言うものは、一般に 俺についてこい! と思っているわけです(汗)。

ついて行くと、余計あぶないからねーという状況を分かっていない・・・しかも、意気揚々なわけです(^^;)。

ねえさんは困ってしまいます・・・もちろん体力も登攀力もねえさんが下なのですから、フォローでいいです。

でも、ねぇ、君のアブナイビレイについて行ってあげたいのは山々なんだけど、フォローだとしても、墜ちたら、そのビレイでは、ダメですからねぇ・・・

・・・ということになります。 私が知っている男性は10中8,9こうなのです。それはクライミングだけでなく、登山計画においても、単純な読図においてもそうなのです・・・ 

なぜ彼らの中で、突破力上=俺についてこい!なのか訳が分かりませんし、その自信が何に基づくのか分かりません。

それより、先にザイルが的確に出せる人になってほしいです。

そーでないと、必要もない初級のところが、Xグレードになってしまいますからね!

■ 女性は軽自動車

いつもは、遠出は、四駆のラシーンなのですが、先日は、一人だし、燃費がいいほうが安くついていいと思い、珍しく私のお買い物用ジーノ君(軽自動車)で、高速道路を運転したのです。

・・・で、女性登山者は高速道路における軽自動車みたいなものかもしれないな~と思いました。

登りは、軽だから、ぜんぜん出ないのです。当然です、排気量、違いすぎです。だから、次々追い抜かれて行きます・・・でも下りは、大型車も軽もそんなに変わらないみたいです。ジーノだって、気が付けば、140km出ています(汗) だから、トータルで行くとそう変わらないのです。

登山も同じで、私は小柄で152cm 体重50kg未満です。身長180cmの弟は、御飯、おかわり、3膳でした・・・そんな巨体と出力を比べられたら、困ります。体格がいいほうが筋肉量が多いんだから、パワーがあるのは、自然の理。

燃料がそれだけ違うのですから、瞬発力や心肺機能(車に言うなら排気量)が、大きいほうが有利な登りで、小さいエンジンのほうが、出なくても仕方ないです。

つまり心拍値120で登れる速度は、それぞれってことです。しかし、逆に下りでは、大型車と大して変わりがないです。逆に膝にかかる負担が少ないので、早いくらいです。

車における燃費は、持久力という話かもしれません。長い時間歩いても、私のほうが夫よりバテナイです。でも、登山についてはまだ初心者の夫の方が、登りで早いので後ろです。岩塊斜面は彼の方が今でもラクラク登山しています。下りは彼、遅くて気が付いたらはるか後方です。

耐久性でみると、女性の登山者は60歳でも、70歳でも登り続けていますが、60歳で登っている男性の登山者は希有です。

聞くと、腰痛にひざ痛。若いときに無理をするから、耐用年数でみた耐久性が犠牲になっているのです。

例えばですが、富士山に去年行った時は、須走口で登り、6時間(一般的)、下り2時間半(早い)でした。

西穂高沢では登りでも下りでも師匠がくたびれていたので、先頭交代。ところが、私が歩き慣れていない河原歩きでは、師匠断然トップ。見えないくらい先をいっっちゃってます。

歩くことに対しても、技術が必要な所で、技術がないのは、新人には普通のことです。

一方、同じような新人の若者を見ていると、歩き方、超雑です。ベテランと比べると、一歩が大きい。その歩き方で早くても、排気量で取っているだけで、あんまり効率は良くはなさそうです。

真砂尾根での山崎カールなど雪の急斜面での下りなど、急傾斜なところでは、先輩の足の方が先に痛くなり、わたしの足はまだ新中古で使い初めなので、痛くなりませんから、遅くはなりません。

ルーファイが必要な場所では、若い男性にはルーファイの面で私の方が効率よいルートを採りますが、向こうは馬力で、その無駄な距離を挽回できるので、トータルでは同じになるでしょう。

強い弱いの感覚は、そのようなものです。そんなのに一喜一憂したり、プライドがどうこうと言っていても仕方ありません。

その日でも違いますし。生理の時は、要するに出血中なので、ヘモグロビン濃度の関係で当然登りが遅くなります。だからと言って、言い訳して登ったことはありません。別に早いのがエライわけではないのですから、いいのです。

体力なんて、デカいほうが合って当然なんですから、そんなところに自信の拠り所を求めないでほしいなー。

登りは体力、下りは技術&怪我や故障のあるなし、です。

■ 究極の選択?

結局、そういうわけで、同じくらいのレベルの初心者の方と切磋琢磨しながら、本チャンへの夢を温めるという成長戦略は、一般的に女性全般にとっては、取るのが難しい選択肢のようです。

ベテランと一緒に行くと、軽自動車の私にとっては、多くの場合、技術不足のために、速度に追いついていけず、難易度ワンランクアップですが、

 ベテランと一緒に行って、体力度ワンランクアップで頑張るか?

   vs

 初心者と一緒に行って、初級ルートを ”X”つきで頑張るか?

の選択となった場合、どちらがより死ぬ危険が少ないか?という観点でみると、ベテランと行く側です。

頑丈なら、多少あやふやなロープワークで、Xレイティングを付けて墜ちても、死なないかもだけど、こっちは、すぐ壊れそうですから。

不必要な精神的負担を背負って登ると、登れるところも登れなくなります。

ベテランと行けば、こちらは技術不足ですから、常にアップアップしているわけで、快適度はのぞめません。常に自分の至らなさ痛感です。

体力度でキツイとアップアップで、心配りも雑になります。それでも、Xグレードよりは良いかもしれない・・・命あっての物種・・・

最近出した結論です。


 






Wednesday, June 24, 2015

Ignorance and pride

■ 長所をPRしているつもりで、欠点をPRしている

ずっと昔のことだが、

「長所をPRしているつもりで、短所をPRしていることになっていないか」

という自らの振り返りポイント(?)を本で読んだことがあった。

登山をしていると、このセリフを思い出すような事態によく遭遇する。

例えば突破力があるということをPRしたくて、ガンガン突っ込んでくれても、後続をきちんと確保できないなら、むしろアリガタ迷惑だ。後続は不必要なリスクにさらされてしまう。つっこんでくれないで、敗退した方がむしろいい。ノーザイルで行って落ちたらどうやって救助しろと・・・。

断っておくが、私は、基本的に

 善意

で色々なことが起っていると思う。 問題をややこしくしているのは、

 何が安全で何が安全でないか

を正しく分かっている人でなければ、

 善意が仇

になってしまうということだ。

例えば、リードのビレイで引っ張る初心者は多い。そのミス自体はありきたりなミスだ。

おそらくゲレンデでのトップロープのビレイで、テンションしまくりで引っ張ると登る人が楽だから、ガンガン引っ張ることが、親切なのだと勘違いしてしまったのだろう。

しかし、ご存じのようにリードのビレイで引っ張ると、落とされてしまう。

そのようなビレイをしているうちは、その人は 

 何が安全で何が安全でないかを分かっていない人

だ。この場合のような、(おそらく)善意で起こったことでも、命のリスクに晒されるような事であれば、命への責任という観点から、それは指摘され、是正されなくてはならない。

■ 人間関係 > 命の重さ ?

その指摘で、壊れてしまうような人間関係なら、それは最初から壊れた方が、命を守ると言う観点からすると、むしろ安全である、ということは、単純明快な道理だ。

誰だって、引っ張り落とされたら、たまらない。引っ張り落とすようなビレイヤーはイラナイ。

そうして、ひとつふたつと人間関係が消えていく・・・。と何も残らなかったりして・・・(^^;)

同人という言う組織では、自己責任が確立しているので、誰も救いの手は差し伸べない。

一方、山岳会には敗者復活戦が容易されていて、基本的には初心者の失敗は許されるものだ。だれもが成長過程なのだから。

ただ、命が大事か?人間関係が大事か?というと、命より大事な人間関係が、あるはずがない。

だから引っ張り落とすようなビレイをして、自覚なく、行ってあげているつもりの人、というのは、

オレと行きたったら命を掛けろ、と相手に迫っているに等しい。その傲慢に気が付いていない。

■ 真価が問われるとき 

誰しも、間違いは誰にでもあると分かっている。

だから、間違った場合に、

 どのような態度を示せるか?

というのは、逆の観点から見ると、人間の真価 = 誠意を示すチャンス、ということだ。そういう時にその人の真価が見えるというわけだ。

だから、間違いを正された場合は、良きにせよ、悪しきにせよ、人となりが出る。

■ 自信の大きさ

ふと思ったのだが、男性は、自分が発言している、正しい内容が、頭ごなしに全否定されるという経験をもったことがあるのだろうか?

最近、私がどの本にそう書いてあるのか、出典を引き合いに出して教えた山の知識が、頭ごなしに、「ごめんなさいね~」とあたかもこちらの勘違いで言っているかのように否定されて、驚いた。しかも、その人が引き合いに出した解は、登山界のものですらなかった。

何に驚いたか?というと、その確固たる自信の大きさだった。

これは私が否定されたのではない。山の教科書が否定されたのだ。

登山の教科書に書いてあることを否定するような自信というのは、よほどの登山経験・・・登山の教科書を書いてしまえるような・・・からしか生まれようがないと思うのだが・・・。

そうでないのであれば、逆に私が見くびられている、としか言えない。一体どっちなのだろうか?

しかし見くびるとして、何を根拠に見くびるのだろうか?

その他の色々な見聞を総合してみると、こうした強すぎる自信を見るのは、クライミングを含む”本格的な登山”について初心者の男性には珍しいことではない。歳をとっているか若いかは関係がないようだ。

例えば、前の相方は3人ものベテランが、「君たちには実力不足だよ」というルートをあきらめないで、困ったし、12をトライ中の若者は、まったく根拠なく「地図読み大丈夫なんですか」と言ってくる。彼はゲレンデしかしていないので、こっちが聞きたいセリフだ。

私に連れて行ってもらって安全管理してもらっているのに、なぜか連れて行ってもらっていると分かっていない人もいた。向こうが私を連れて行ってあげている気なのだった。私のロープで私の登山計画と道案内で登っているのに、だ。

■ 無知

これらのゆるぎない自信は、何に基づくのだろうか?

私には無知に基づくように思えた。

しかしながら、登山における登攀システムの選択など、分かっているか分かっていないかは、命に係わる大問題と言う気がする。

無知によって支えられている自信は、過信であって、

 その人を死に追いやるのではないか?

と言う気がするのだが・・・

まぁ人の問題であって私の問題ではない、と言うことは言えるかもしれない。


本間沢ヒヤリハットその2

今日は、疑問だらけです・・・

■ 本間沢での出来事

本間沢では、核心部でトップがザイルを出さずフリーソロして行ってしまった。後続は、二人目もフリーソロして、上り詰め、3番4番はタイブロックを使ったが、ラストはフリーソロ。ラストがアンザイレンしていないかったために、3,4番はロープが弛み、登るには、不必要に両手を空けなくてはならず、登攀難度は、ワンランクアップ。ラストは、アンザイレンして、最後に皆が登ってから登るシーンだが、そうせずフリーソロ。(これはラストは知らなくて当然の人だったので仕方がない)

つまり、へなちょこクライミングになってしまった・・・。

・・・のだが、この出来事は、一体どう因数分解したらよいのだろうか?

私から見ると、

 ・単純に、知識がないために、かかなくていい恥をかいたケース、

あるいは、

 ・無知がゆえにフォローが不必要なリスクにさらされたケース

と映ったが、そうではなく、

 ・リーダーシップの問題

とみなす人もいる。一つの物事に対して、その原因を判断するのは、判断する人の価値観であるので、

 無知が問題だった と結論する人=知に重きを置く価値観の人
 リーダーシップの問題ととらえる人=精神性に重きを置く価値観の人

であるのかもしれない。

現実は、ただ一つ。ザイルを出すべき場所で出さなかった、それだけだ。

それは、どうしたら回避できるのか??? それが切実な問題だ。

■ なぜ出さなかったのだろうか?

その人は、なぜ出さなかったのだろうか? その理由が問題だ。

 1)ザイルを出すか出さないかの判断を滝下でしないといけないのだという知識(認識)がなかった

 2)ザイルを出す箇所の条件自体を知らない

 3)自分が先に行って、みんなを引っ張り上げてあげようという善意(=誤解)

 4)フリーソロできるところはザイルが要らないという誤解

 5)先輩を無視して行ってしまうというリーダーシップの問題

状況としては、場所は25mの滝で登攀は3級程度で易しい。難易度については、このサイトのF9を見てくれれば分かる。典型的な、”ロープは念のため”という場所だ。一目でフィックスでいいと分かるところだ。(そういうところでも、一般登山者は、フリーズして死ぬ目に遭っている。)

しかし、トップがフィックスを作ることや作り方自体も分かっているかどうか不確実だったので、確実に分かっていそうな人に、2番で行ってもらった。

結果、やはり、トップで行った人は、フィックスを作るという判断が出来ていなかった。

つまり、予想は当たっていた。セカンドは先輩だから当然、フィックスを張ってくれたが、その登攀システムについて、ラストも理解がなかったので、フィックスにしたのに、いかにも登攀しづらいロープワークになった。滝から私が叫んでも下では聞こえなかったのだ。

結果としては、3,4後続は必要のない危険に晒されたということは事実だ。

ザイルなんて、ないほうがいつだって登りやすい。その上、そのザイルが確実に安全を確保しているものでないのであれば、ただ邪魔なだけだ。

実際、私のつけていたロープは、中間者でタイブロックで登っているのに、たるたるで適度な張りがないせいで、両手を開けて、アセンダーを上に引かないと登れず、登攀はフリーソロより難しくなってしまっていた(^^;)。4番の後続も同じ。早く登れると言うのが、この登攀システムのメリットなのに。

フリーソロが凄いと言う至上主義の人のためにくぎを刺しておくと、この場合は、フリーソロのほうが凄い(=登攀が難しい)わけでは全然ない。弛んだロープを手繰らなければならない手間をかけながら登った人の方が、シビアな登攀を要求されてしまった。フォローの方が大変な目に遭っているのだ。(ラストの人は自分の方が登れるつもりで、得意げな顔でフリーソロしてきたので。)

じゃあ全員フリーソロのほうがマシだったというわけだが、ここは高さが25mあっても、登攀は3級くらいと易しいからいいが、今後滑落の危険が出てくるような所に、このスキルで遭遇したら、後続はひどい目に遭うということは、誰でも分かる。

しかもトップはフリーソロで行っているわけだから、自分がフォローをひどい目に遭わせたとは、よもや思ってもいないのではないだろうか???

ということは、トップはこの山行を自分の限界点とは考えないだろうと言うことも分かる。(実際もっと難しい滝もフリーソロできるだろうし、そんなことを言ったら、登攀力のもっと無い私だって、もっと難しい滝で、ロープをつけていたがロープに命を救われた経験はない)

■ 行動が示しているメッセージは何か?

しかし、このへっぽこ登攀の状況は、パーティで共有もされなければ、反省もされなかった。

ということが、なぜ言えるのか?

それは次に出てきた垂直の滝F10でも、トップが同じように行ってしまったからだった。

F9を彼が失敗ととらえなかった、ということを、行動そのものが示している。

F10は、どういう滝か?遭難も起きている滝だ。しかも垂直。おそらく登攀は、さほど難しくなさそうだけど、墜ちたら死ぬね~という場所だ。(事故例は、頭骨、腰椎突起の骨折と、右足靭帯の損傷)何しろ沢床は、土でも水でもなく岩なんだから。実際、墜ちた人の談話はこちら

その判断がなく、またもや突っ込むトップ。しかも、2歩目くらいで墜ちている。

・・・という行動は、どういう思想に支えられた行動か???

その真の答えは、本人にしか、分からない。

ちなみに、私は一目で巻くことに決定した。こんな人のフォローで登って、こんな初級上くらいの易しい滝で落とされでもしたら、何がカッコ良いだろう?行きたい人は勝手にどうぞ。という訳だ。

それでもフィックスで上からスリングを垂らして登攀の補助は作った。結局彼らは巻いてきたのだが。

■ 看過して良いか?どうか?

この2度のフリーソロ行為は、仲間として見たときに、看過していい行為なのだろうか???

事実を整理すると、

 1)結果オーライだった
 2)とはいえ、フォローの方が大変
 3)同じ失敗を2度繰り返していた 
 4)状況的に勝手に巻ける場所だったから良いが、そうでないシビアなケースだったら???

これを 看過して良いケースと考える人は、どのような根拠(あるいは価値観)に支えられて、そう思うのだろうか?

看過してはならないと考える人は、どのような根拠(あるいは根拠)でそう思うのだろうか?

私の見方でしかないが、看過して良いと考える人が根底としている思想は、”自分の責任ではない”、”山は自己責任”であるように思える。トップでフリーソロで行こうとした本人の責任という訳だ。

看過してはならぬ、と考える人が根底としている根拠は、”助け合い””仲間への思いやり”であるように思える。

これは私がそう思っているだけなので、そうではないと言う人もいるだろう。 たとえば、

 看過して良い=些細な出来事に大げさすぎる、結果生きていれば問題ない
 看過してはいけない=仲間には厳しくあるべきだ 他人の命を危険に晒すのは良くない

それを話し合う機会が昨今の山岳会には欠如しており、組織としての意思は形成されていない。

■ 失敗は、知識に落としこむ

一般論だが、失敗の指摘については、このようによく言われる。

 1) 間違いが小さいうちに指摘するべき (タイミング)

 2) 個人ではなく、事柄を指摘するべき (How)

 3) どうしたら良いかを教えるべき (What)

今回のケースの場合、指摘のタイミングはどうあるべきだったのだろうか??いつ指摘すべきだったのだろうか???

第一点のタイミング滝下では、トップが滝下で判断をしなくてはならない状況で、判断をしないで行ってしまうというミスが発生した時には、すでに間髪を入れず、トップは登り出しており、指摘するタイミングを失っていた。

この行動は実は予想できることだった。で、私は予想できたため、少し前に、大げさだと思えるところで、「出して」と言っていた。そこで、みなで、どの滝と、どの滝で出そうかと判断するという行動様式を確立する時間がとれれば、後先、考えず行ってしまうというミスは防げただろうと思う。なにしろ、F9はガイドブックにだって出せと書いてあったんだし。

まぁとりあえずF9は、メンバー全員にとっての登攀力以下の滝だったし、スリップも起らなかったので、大事には至らず、事なきを得た。

第二のタイミングは、滝上だ。滝上に登ってホッとしたタイミングで、こういう場合(フィックスでアセンダー方式で登る場合)は、どうしたら、よいかを教えるべきだったのだろうか???

その時は、支点は一点しか取っておらず(まぁ大丈夫そうな立木だったが)私の目には、せっかくだったら、バックアップを取る方法や、支点構築の基本である、冗長性を教える良いチャンスに見えた。

現実は・・・というと、第二のタイミングも逃し、うやむやなまま前進となった。

ただ言うなれば、気の利いた人相手なら、指摘なんぞしなくても、正解を見せるだけで問題ない。F9では、ごぼうしようとしていたトップに対し、先輩はフィックスを工作してくれたのだし、それを見れば、登山を学びたいと言う思いがある人間か、普通に気の利いた人間ならば、自覚として、「あ、ちがったな」という意識が自然とわき起こる。

その「ミスしたな・・・」という意識が起っていれば、誰が何を指摘しなくても、後で反省し、次に恥をかくのを防ぐため、自分で登攀の方式を復習するなり、調べるなりする。

後で判明したことだが、その復習・・・自分はどうすれば良かったのか?を調べる・・・は、成されていなかった。それはなぜだろうか???

想定できる理由はなんだろうか???

それって、自分はあれでよかったと思っているということとは違うのだろうか???? 

■ 間違いは誰にでもある

間違いは誰にでもある、と言う記事に書いたが、間違いは、誰にでもある。

ただ、ハーケンを打たねばならぬと分かっていて打ち方を間違える失敗と、そもそもザイルを出さないといけないということを考えもしないで登ってしまう失敗には、なんだか本質的な違いがあるような気がする。

■ 厳しい世界

同人という世界と一般山岳会は、ある目的を持って山に登るということを目的にしている同人組織と、互いに安全を担保し合うために一緒に登ると言う一般山岳会以外にも、大きな違いがある。


 同人 一人一人の自立が求められる
 一般山岳会 非自立から自立への移行が求められる

 同人 目的追求型
 一般 楽しみと安全の追求

 同人 パートナー発見の場 気が合えば同行し、そうでなければしない 任されている
 一般 好むと好まざるとにかかわらず、同行 会山行は義務的(=教育目的だから)


一般に同人に来る場合に、”新人です、何も知りません”というのはない。会のやり方、特定の個人のやり方は知らなくても、クライミングシステム程度は知っていることが前提だ。一般的には、山岳会で、ある程度、登山技術を学んでから、行くのが同人組織だ。

しかし、昨今は、岩崎師匠も書かれているように、”オールラウンドな一般山岳会”の”取りとめもない会”への移行が著しく目立つと言われれ始めてからも、だいぶ時が過ぎている。

教育機能は、期待すべきでないと、岩崎さんの近著には、はっきり書かれている。登山技術は登山学校でまなぶべしと具体的には書かれている。

縦のギブ&テイクが存在しないから、というのがその理由だが、現実的には、山岳会の側から見ると、教育が必要だと言うのは分かってはいるが、そうは言っても、ない袖は振れぬ、というのが実情ではないだろうか?

私が聞くところによると、同人と言う世界は

 フリーの岩場でボルトに掛けたヌンチャクに頼りながらリード 

  → もう何も言わずに次回から一緒に行かない

くらい、あっけなく厳しい世界だそうだ。

ザイルの出し方も学ぶ前に、フリーソロで行けるから行ってしまい、フィックスも張れず、後続に余計な危険を背負わせてしまう人などは、二人目のパートナーが現れることは期待できないだろう。

何しろセカンドの確保があやふやなトップなんてありえないんだから。

一方で、この出来事は、同人ではなく、一般山岳会で起こったものであり、現実的には今の時代の人材難の山岳会で、そんなことをしていたら、誰も行く人がいなくなる。さらに言えば、一般山岳会は同人ではなく、助け合い&教え合いの精神を基盤とすべき組織形態だ。しかし・・・

本当の助け合いとは一体何をいうのだろうか????

このようなヒヤリハットをそのまま看過して、一緒に山に行きつづけることを言うのだろうか???

第四のタイミングは、山行後、ということになる。それでも誰も指摘しないのは、一体どういう価値観に支えられての行為なのだろうか???

うやむやなまま、自分の命だけでなく、他人の命を危険に晒すということが、そのまま続けられて、重大事故につながらないためには、一体何をすれば良いのだろうか?????

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Tuesday, June 23, 2015

運転7時間のお買い物

■一升瓶ワイン

土日は、たぶん酒飲みだろうと思われる集団に会いに出かけていく・・・というので、酒屋さんまで出かけ、一升瓶ワインをゲットしてきた☆

青こう 秋合宿に持って行った
山梨と言えば、一升瓶ワインでしょ。

実は山梨は平地が少ないので、米所ではなく、あんまりお酒はおいしいのがない・・・私のおススメは、青こうという、北杜市の若手蔵元のお酒。

でも、甲府では売っているところが一か所しかなく、依田酒店まで車で出かけて行かないと手に入らない・・・。

頑張って、はるばる出かけてきて、合宿にも持って行ったんだけど、先輩たちは、なんだかお酒自粛中のようで、誰も飲まなかった・・・(ーー;)。

おまけに正直なところを言うと、このお酒は味わいが繊細で美味しいお食事といただくべきもので、エピキュリアンなので、どちらかというと大量に飲むことに主眼が置かれている場で、ありがたがられるものかどうか・・・(^^;)

・・・というわけで、色々考えると、山梨らしくて、たくさん気軽に飲めると言えば、一升瓶ワインがいいかな♪ とあいなった。

でも、一升瓶ワインって、当たりハズレがすごく大きいものなのだ。瓶が大きいので、瓶詰するときに最初の方に入れたのと最後のほうで要れたのでは味が変わるのだそうで、同じ銘柄でも味が違ってきてしまうほどなのだそうだ。

山梨はワイナリーがいっぱいあるので、おいしいワインや、おやこれは!と思うような秀逸なワインもいっぱいあるが、一方で原産地だけに、どうしようもないものもある。
ルミエール一升瓶ワイン

・・・というわけで、どこで買っても良いってわけではない一升瓶ワイン・・・というわけで、まともな酒屋さんへGO!というわけで、てくてく出かけてきた・・・

・・・ら、酒屋さんがない!!最近、近所は経済循環の波が押し寄せて、酒屋さんがみんなファミリーマートに置き換わってしまっている・・・。

えんえん歩いて、甲府の中心街まで行ってしまった・・・(汗)。

酒屋さんもディスカウント酒屋系になってしまって、普通の酒屋さんが、近所になくなってしまったのだ。

・・・どうにかこうにか、酒屋を3軒も渡り歩いて、やっとルミエール、ゲット。

もうここでダメだったら、岡島(山梨で一番の高級デパート)に行くしかない、と思っていた。

ルミエールは、ルミエールを買っておけば間違いがない、という中堅ワイン代表。

八ヶ岳権現の青年小屋は遠い居酒屋で知られ、親爺さんの竹内さんは相当の酒好きで、日本酒など銘柄にこだわったモノしか置いていないが、そこでもルミエールのワインを置いている。

酒屋さんに、事の次第と酒屋がなくて、困った話をすると、なんとおやつをふるまってくれた(笑)。

■ 2時間

出かける先は駒ヶ根キャンプセンターだった。

駒ヶ根方面は、全く不案内で、お正月の帰省で大阪に帰る時に高速のPAを通るくらいなので、時間が読めず、たぶん3時間もあればいいだろう、と出かけた。

そうしたら、意外に早くついてしまい、高速を降りたのは2時間くらい。そこから車で15分もかからないので、1時間、早すぎるなーということで、ゆっくり贅沢に時間を使ってランチを食べた。

特に買い物の必要はなかったが、コンビニと100円ショップに立ち寄って、周辺探索&おつまみなどゲット。

一升瓶ワインが2500円ほど、おつまみが1000円ほど。会費2500円と高速代2600円、たぶんガソリン代2500円くらいと合わせ、総額1万円くらいの旅。

駒ケ岳に登って帰ったら良いかも?だったのだが、うわさのロープウェー、高すぎて乗る気になれない・・・。中央アルプスの縦走も前からしたいなーと思っているんだけどな~。

仙丈ヶ岳は山梨からは見えないで鳳凰三山がみえるけどこっちは逆

高速で見た案内板からは、仙丈ヶ岳が目の前で、大阪方面からくると、こっちが表と感じるんだろうな~と思った。

甲府から見ると、前衛は鳳凰三山、甘利山、櫛形山。仙丈は奥地に感じる。北岳より奥に感じるのだ。

今年はキタダケソウは早いそうで、もう満開だとか・・・。バス開通に間に合わないなー。

今年は北岳いくのかなぁ・・・会ではレインジャーで行くのが一番お得だ。

■ 帰り

集会は、滞りなく済み、大勢の見知らぬ人に囲まれて、壁の花でポツンと寂しいこともなく、酒盛りにも、生きの良い若い衆らに混ぜてもらって、なんとなくやり過ごし、(ワイン若者に大うけ)、後はテントにそれぞれ寝転んで、芋虫何匹?な状態で寝れば、朝は三々五々解散。

福岡にいるころ、毎週のように経済セミナーや異業種交流会に出るのが仕事だった。会社の名の入った名刺を色々な所に、置いてくるのが仕事。たくさん人に会えば合うほど良い。

そういうわけで、こういう場に場馴れしていて良かった・・・。当時は、なんで、こんな仕事を私がしているのかなぁ~と思っていた・・・。会社としては、誰も個人を見ないで組織名を見ているので、誰が置いてきても同じ名刺なのだから、安い人材ほど助かるってのは分かったけど。

その仕事のおかげで、経済セミナーで色々な勉強ができた。人に会って、名刺を渡して、懇親会で世間話をし、セミナーとアポと夜の接待で、スケジュールを埋める、忙しい仕事。あれで、お金をもらったら、ずるいよなぁ。スイマセン。

キャンプ場で寝ていて、キャンプ場というのを使ったのは、そういえば子供の頃、以来だな~と気がついた。なんだかテントの床がやたら上等に感じたのだ。平らだ~と思った。

翌日は、私はカモシカスポーツに立ち寄って帰る気だったので、11時の開店(実際は10:30だった)まで、早すぎるので、だらだらと朝を過ごし、帰り始めは、だいぶ遅く出発した人だった。

ほとんどの人は、山の予定が入っていて、早朝に経ったようだった。お天気は、朝から雨で、あまり山には良さそうではなく、こういう日は沢かな~という日。

沢に行くという若者グループがいて、一人は、足の甲にヒドイやけどを負っていた。そのただれた足で、一度沢に行ってしまったんだそうだ。みながばい菌が入るから辞めた方がいいよ~と言う。

そのうち、ラップをはがしてみよう、ということになったが・・・、被爆者みたいになっていた。

ガイドをしている人が抗生物質入りの軟膏を持ってきて塗っておけと言う・・・だよね~。

若者は、医者に行けと盛んに言われていたが、残念ながら、健康保険に加入していないそうだ・・・

・・・うーん、私の頃は、保険証と言うのは気軽に使いまわしていたけれど、今はそれができないのかな?1割か3割かみたいなのもあったので、みな1割の人のを借りて行っていたような???

やっと出発してもまぁいいかな・・・くらいの時間になり、9時出発。松本まで、えんえん下道2時間を運転して、カモシカスポーツに着いた・・・。

けど、欲しかったミゾーのハンマーは売っていない(涙)。

ステルスソールの沢靴も売っていない・・・ ステルスソールのガイドテニ―はあったけど・・・。

もちろんファンタム6000は、季節外れだから、あろうはずもない。

店員をしている先輩に挨拶をと、思いきや、その人もいない。

とりあえず、沢は汚れるので、沢だけに使うザックが欲しいな、と思い、ザックを物色したら、38リットルのザックが、なんと2600円で売っていた!!

サイズも合い、悪いところが見当たらなかったので、とりあえずゲット。パッド類も、あまり水を吸って、重くなりそうな感じではなかったので。

私のバリアント、なんか最近くたびれて見えるようになってきちゃったし・・・ 

あとは、プーリーを買ったので、オーバルのビナがいるな~というのでビナ。

あと、ちょっと買わないと割引にならないので、液体チョーク。

軽量なライトが850円で安かったので買ってみた。

 グリベルのザック、なんと2600円!!
 エクレ38、だそうだ。

背面長は47cm。私とちょうど。
あとはこんなお買いもので、はるばる出かけてきた割には・・・な成果。

■ 知人にバッタリ

でも、ばったり、リーダー講習で一緒だった人と会った。

彼は講習会の講師が立ち上げた山岳会に、同期仲間たちと入った人だ。

その新しい山岳会に私も誘ってもらったが、その会の代表者とは、講習会でも全然接点がなく、あまり親しくなかったので、会の内容が良く分からなかったのだった。

例会参加も遠くて辛そう、というので、入会はしなかった。

話していたら、今年のGWに涸沢岳西尾根で亡くなった同期の人は、その会の所属だったのだそうだ・・・(汗)

それで遭難を起こしてしまったため、会の運営は実質、現在、自粛状態だそうだ。

御坂山岳会は、遭難が少ない山岳会であることを誇りに思っている会だ。

帰りは、高速道路代を節約しようと、下道で帰ったら、松本から塩尻までに1時間・・・(汗)

渋滞で、もうダメ・・・高速に乗ろう、と思ったら、すいすい流れ始め・・・結局、その後は、渋滞はそんなにひどくなかったので、下道で帰ってきた。

今まで高速ばかりで、諏訪とか茅野あたりを運転したことがなかったので、新鮮だった。

けど、疲れた・・・(^^;)

延々20号を運転して、甲府に着いたら、運転5時間。カモシカまで、2時間だったから、この日は運転7時間・・・

このザックとビナのために7時間かぁ・・・。でもまぁ、下道で帰れるということの確認になったから、良しとするか。

高速代、かなり高くて2600円もして、夫と二人なら、あまり高いと感じないけど、一人だと贅沢な出費のように思える・・・。

結局、ハンマーは近所のICIで買いました(--;) おまけに割引なし・・・(ため息)。

11500円+税。

割引なし。






Sunday, June 21, 2015

登山をしているのはなぜだったか

■ リスクに近づいて行く遊びと怖さを乗り越える喜び

アルパインクライミングは、色々と考えると、リスクに近づいていく遊びだ。もしかして、基本は、恐る恐るながら、火遊びする子供の心境と同じなのかもしれない。大人の知性を使って、ありとあらゆる方面から可能性を排除して、危険を最小化しようとはするが、それでも危険には分かっていながら、近づいていく。

同じ危険にも、ある人はある程度のゆとりを持って近づいて行くけれど、他の人は、ゆとりなく、ギリギリまで近づいていく。

近づく距離と近づくリスクの大きさ。リスクにはギリギリ近づけば、近づくほどやり遂げたときの感動が大きいのは当然のことだ。

サイズに関しては、最初は小さなリスクしか取れなくても、段々と大きなリスクを取れるようになっていく。それが”成長する”ということだ。

たとえば些細な点で言うと、最初は雨の日、というリスクさえも取れないけれど、雨合羽を着るとか、どの程度の雨なら歩ける、とか分かるようになれば、つまりリスクが取れる範囲について理解が深まれば、雨の日だって歩けるようになる。

でも、近づきすぎれば死んでしまうし、大きすぎても死んでしまう・・・ 

一方で、怖いという気持ちを乗り越える、ということは大事なことだ。健全な強い心を作ると思う。

■ 自然と接する

私が思うには、大昔は人というものは、自然界のリスクを避ける方法をよく知っていたのではないか?と思うが、現代社会ではそうではない。

私は大阪にいるころは、普通にOLでお勤めがあったので、雨が降っても傘さえイラナイで、地下鉄の通路から直通で、空調されたインテリジェントビルの中だったから、ひどいときは、暗くなっても気が付かなかった。

そういう生活が幸せかと言うと、絶対に違うような気がするが、当時はそれしか選択肢がないのだから、それしかないわけだ。

単純に日が登り、日が沈むと言う程度のことでさえ、自然とはまったく切り離されていたのだった。寒い暑いも同じこと。都会では自然環境には影響されないで、人間生活が進む方が良いという前提が働いた社会に組み込まれて生きている。

そういう生活が20年も続いたせいで、自然に接するだけでいいな~と思った。登山の持つ、人間本来の生きる力を使う・・・ということが、気に入ったから、登山を始めたのだと思う。

登山は自分と自然との対話のゲームなので、お隣の誰かとの競争ではないところも気に入った。

自分自身の物語を紡ぐことができる。

■ それで気に入ったはいいのだけれど・・・

昔は山登りは、結婚したら辞める…というくらい危険だったそうで、「イマドキは昔と違って、そうではない」と聞いていた。

そうか~と思って、楽しく登山を楽しもうと思ったら、一人で山に登っていると、”危ないアブナイ”の大合唱をされる・・・ので、それじゃ、アブナくないように登山を勉強しようと思った。

それで講習会に出た。一番ちゃんとしている講習会だと思う。

ところが、それじゃ全然あぶなくなくはならなかった。”あぶなくない”ためには、仲間が必要だと言われたから、そうかと思い、山岳会の門をたたいた・・・

・・・ただ、それだけのことなんだけど・・・

ところが、始めたら、「昔は危なかったが、今は・・・」というのは嘘なんじゃないか?と思った。

”本格的な登山”という、”本格的”という形容がつく登山を始めた、ちょうどその時、知人の一人が亡くなった。

アイスクライミングに行きたいな~と思い、先輩にそういえば去年一緒に行き損ねた人は・・・と問い合わせたら、なんと!その人は、亡くなっていた…。しかもご近所の富士山で。私が冬山の合宿に行っていたとき。

今年のGWは、リーダー講習で同期だった人が亡くなった。

・・・(汗)。 まだ2年しか、正確に言うと、山岳会に所属した期間は、まだ1年と3か月しかたっていないのに、知人レベルであって、遠い知り合いとは言え、3人も亡くなっている・・・。

・・・ということは、やっぱり”本格的な”がつく登山は危険なのではないだろうか?

私は単純に楽しく安全に山に登れたらいいと思っているだけなのに・・・。夏山の一般道は、暑いし、人が多いし、快適ではなく、楽しい道ではないような気がするし、オイルサーディンの缶詰みたいに押し込まれる山小屋ではなくて、楽しいテント泊とか、詮索好きでおせっかいなおばちゃんがいる山頂ではなくて、静かな山頂とか、そういうものを求めただけなんだけどなぁ・・・(汗)。

ロープがあれば安心、と聞いていたけど、ロープがあっても、やはりそれを使うのが人間である限り、今度はヒューマンエラーの問題が起きるのだから、それもやっぱり安心とは言えない。

おまけにルートは一般道並みの渋滞で、先着順の取り合い。

・・・とまぁ、もろもろの要素を考えると、静かな山頂って、ほんとに昨今は得難いものなのだなぁと思う。

■ やっぱり死ぬ?

昨日は、海外遡行同人と言って、海外の沢を遡行する人たちの集まりを教えてもらって、沢登りの大ベテランたちの集まりに、出かけてきた・・・

・・・参加者はハッキリ言って大ベテランの方たちなので、わたしにとっては雲上の人。まぁ、登山を初めて間がなく、あまり深く知らないからこそ参加できる、というのが正直なところだ。

しかし、びっくり仰天な会だった。

おおむね、初心者の私は、楽しい沢の話を聞かせてもらった。

が、話を聞いて、「やっぱり登山は今でも死ぬ世界なんだ・・・(汗)」と思った。

■ 海外

韓国の沢は、とても良いそうで行ってもいいかもな~と思うようになった。

私はもともと外国への志向が強く、外国語学部の卒業だし、お金を貯めては海外に行くというような生活は、率直に羨ましいな~と思うし、実際自分もそうしていた。英語ができるので、たまに「旦那さんは外国の方ですか?」と聞かれたりもしていた。

でも、行きたいのはなぜか?というと、海外の〇〇という場所に観光で行きたい、のではなく、そこで暮らしたい、というほうが強い。サンフランシスコに暮らしたことがあり、水が合っていたので、一時は、そこへ”帰る”気でいたくらいだ。

というわけで、海外へは大いに興味があるが、特定の個人的な思い入れの場所が既にあり、未知の場所を探して、海外へ行きたいという訳ではなく、今ある生活を充実させたいから、趣味として登山をしている。

SFで暮らすことを夢見ていたことからすると、今の生活自体がセカンドベストなわけで、ベストを求めるのが生きると言うことだ、という価値観から見ると、すでに挫折した人生の上に何を築いても一緒ということになる。

■ 女性的な沢

沢を志向する女性がどこかにいないかしら・・・というわけなのだが、あまりいないんだなぁ。

男性と女性では、山登りで求めるものがやっぱりちょっと違う。

大体において、観察によると、男性のほうがより登攀的。単刀直入なチャレンジを求めている。

私の場合は、短くて登攀的な場所よりは、長くても良いので景色が良いところ、美しいところ。

しかし、景色が良いところに行くには、登攀要素がある、どこかを突破しないと、たどり着けなかったりもするんだな。

・・・というわけで、どちらかというと、やむを得ず、という形で、登攀を食わず嫌いで苦手にしていては、良いものを見損ねるから、というので、クライミングもしている。

■ 原風景

沢はとってもキレイだと思う。子供の頃、菊池渓谷という景勝地に年に一回行っていた。水の中に入りたいな~と思ったのに、アブナイからダメ、というのが、とても残念だった。

菊池渓谷は、母が好きな場所で、わたしにとっては、母親との良い思い出の場所だ。森の中での散歩が好きなのも同じ理由ではないかと思う。

私にとっては母親への想いと言うのは敗れた恋と同じことだ。失恋と同じ。

子供というのは、100%親のことが大好きだと思う。どんな子も、どんな変わった親のことも、100%受け入れて丸ごと愛している。Unconditional Loveと言うけれど、それを実行しているのは、親から子供への愛ではなく、子供から親への愛のほうだと思う。

そういう愛情が受け入れられ、幸せだったと感じた頃の記憶、まだほんの幼いころの記憶、それが私が沢のきれいな青い淵を眺めていたいと思う理由だと思う。

私が沢に対して思っているのは、あくまで透明で済んだ青い淵、清廉な水の沢であって、暗く、険しいゴルジュと奥にそびえる大滝登攀ではない。

大滝と行かなくても、小滝位でも、滝の傍はマイナスイオンが一杯でいいなぁ・・・とは思うけれど、クライミングに達成感を求めているか、挑戦を求めているか?というと求めていない。

ただクライミングして、登れれば当然うれしいし、デキなかったことができるようになるプロセスを味わう経験は誰にとっても、自己肯定感につながるものだと思う。

私は比較的に自己肯定観の強い人間だなと思うのだが、振り返ってみると、それは出来るようになるまで繰り返すという、結構しつこい性格だからで、失敗しないからではない。

もともとは、景色の良い綺麗な所に行きたい、それだけの話だったんだけどなぁ・・・ 

そういう経緯で登山をしたいなと思っている人も命がけで登山をしている人も、山と言うのは平等に等しく危険・・・

だからこそ、襟を正して、ちゃんと登山について学ぶという作戦をとったはずなのになぁ・・・

でも、やっぱり死んでしまうかもしれない。

・・・なんというか、とほほ、な気分だ。

でも死について一言言うなら、人は山で死ななくても、交通事故でも、自宅でも、死ぬのだし、いかに死ぬかについては、人には選べない。弟のように、ただおやすみなさいと寝て、次の朝、死んでいることもある。




Friday, June 19, 2015

ザイルを出すか出さないか? 私の場合

■ 迷うようなら出せ

私は最初にザイルワークを教わった時、

  「山に一か八かはない。迷うようならザイルを出せ。」

と教わった。

私は山ではスピードは非常に大事な要素だと思う。だから、本番の山では臆病すぎるくらい軽量化して行く。重さは、完全にスピードに対してネガティブ要因だからだ。

どれくらい軽量化するかというと、夏山はシュラフを持たないで、シュラフカバーとウエアだけで済ますくらいだ。これは先輩を見習ったもので、70代の女性の小柄な先輩が、まだ3月なのにマットを銀マットにしていた。小柄だと、重さを受け入れられないから寒さを我慢しないといけないのだと思った。

■ ジョウゴ沢大滝

スピードを重視する結果、私はどちらかというと、出さないで済ませられるところは出さないタイプだ。

それで一度師匠から非難されたことがある。今冬のジョウゴ沢だ。核心部の大滝で、ザイルを出さなかったことだ。

出さなかった理由はいくつかあった。

 その1) 登攀に不安がなかった

 その2) すでに取り付いており、ザイルはトップのザックの中で、今から出すと核心部でザイルを結ぶ羽目になり、速やかに抜けるより、むしろ危険が大きかった

 その3) トップはすでに抜けており、後続は私より登攀力のある(だろう)年下の男性だった

しかし、この判断はパーティで共有されたものでなかった。ただザイルを持っているトップが深い考えなく行ってしまい、それを私が問題と捉えなかったのだった。ただ問題が起らなかったから。

私のミスであり、褒められることではない。私が登れても、後続が登れないことはありうる。だから、その時、事故が起らなかったのは、肯定的な要因が重なったためでしかない。

その意味で、核心部の突破に対して、判断そのものが欠如していたことは、パーティ全体にとっては、マイナス要因だった。

ザイルが要らなかったのは結果論でしかなく、本来は出してしかるべき個所だったからだ。

■ ビレイ期待なし

しかし、3人で行ったが私はジョウゴ沢ではビレイを誰に対しても期待していなかった。

自分がフリーソロできる自信があるから行った。

出すべきなのに出さなかった滝 その1 ジョウゴ沢
ビレイヤーとしてみると、一人は私を引っ張り落としそうになった人だったし、一人とはザイルを組んだ経験がトップロープ以外ではなかった。ので、リードのビレイをお任せできる人はいなかったから、ビレイヤーの期待はしていかなかった。いざとなれば、自分がオールリードする気でいたのだった。

万が一の伝令としての期待はあったけれど、それ以上は期待していなかった。

通常の自分の力が10で、12の力をつけて、10の山に行くとすれば、わたしにはジョウゴ沢は10か9の山だと感じられたから、行ったのだった。決して12ではない。

他の山行でも、私は自分がオールリードできない山に誘うことはない。三つ峠や十二ヶ岳の岩場なども、自分が全リードする気持ちでいるからで、リードで落ちると思うところには、信頼できるビレイヤーと一緒でないと行かない。

ルートならさらに用心深く、初心者を連れて行った伝丈沢は5とか6の力で行ける場所だ。

■ 怒っていた先輩

冬山合宿の三ノ沢では、数メートルだが、落ちたら濡れて、山行は終わりになる沢のへつりで、きわどいところが一か所あった。

そこはザイルを出そうと先行者がしてくれたが、私がさっと超えてしまったので、先輩は、嫌そうな顔をしていた。

たしかに、チャンスを取って、落ちてしまってからだと遅い。そこは死にそうにはなかったが、濡れてしまうと冬なので、山行はその場で中止になる箇所だった。

それ以外にも、徒渉で靴を濡らさず、行けるところがなく、えいやっ!と渡ったら、先輩はそれも「こいつめ~」という顔をしていた。すいません。

でも、これらのようなザイルほどではなく、お助け紐とか、一瞬の底上げ程度で渡れそうなところは、出している時間がもったいないと感じてしまう。

だから、私はリスクテイカーな方だ。

■ アイゼンで切り抜けた岩稜

残雪期真砂尾根では、私はザイルイラナイなーと思ったところで、長身で体格の良い30代の後続は懸垂して降りていた。

例の、冬の沢で怖い顔をした先輩は、平気平気~と行ってしまったので、私もそれにならって、必要とは全然感じずに通過し、二人で後続を待った。10分以上あっただろう。

そこはもはや雪稜ではなく、岩稜になっていて、アイゼンを付けたまま岩稜帯を渡った。一か所切れていたが、一瞬だったので、すごい用心で大丈夫だった。

■ 飛び石はダメ

ところが、同じ一瞬のことでも、徒渉はそうはいかない。

私は体格が小さいので、同じ10kgのザックでも、50kg無い体重にとっての10kgと体重65kgにとっての10kgは意味が違ってきてしまい、飛び石でぴょんぴょんと行くのは、私はチャンスは取らない。

飛び石の距離も同じで、背が低いので、ちょっとでも遠いと非常に不安になる。

これは、カサメリ沢のクライミングの帰りに、クライミングギアとロープが入ったザックを背負って、何でもない単なるトラバースでザックに体を捕られて墜ちた経験があるからで、その時の滑落は、自分でもびっくりするほど、意外な滑落だった。

2回転半して8mほど下で止ったが、ヘルメットをかぶっていなくて頭をしこたまぶつけて、もう少しで死んだかもしれない滑落だった。

この滑落で私が学んだのは、意外に私の体はザックに持って行かれやすいということだった。

だから、大股の徒渉は空荷で、足も届く自信があるときしかしない。 

あるとき、ベテランがマラ岩へわたるのに長靴を持ってきていて、配慮を感じた。背が低い女性には徒渉は核心になることがあるのだ。

■ 自信

歩荷力については、女性は誰でも男性より弱いので、足を引っ張らないように、と思い、朝から歩荷訓練をしたりしていた。春山合宿の前にも歩荷散歩している。

朝の1時間くらいの散策だが、12kgから徐々に重さをあげて行き、20kgくらいまでなら、なんとか歩けると感じていた。

私のテント泊の装備は軽く、1泊二日の装備は8kgくらいしかない。だから、これまでソロテント泊でも12kgくらいまでしか担いでいなかった。

12kgという重さはどんな重さなのだろうか?まだ山ガール扱いされていた頃、温泉で会ったおばちゃん登山者が「私には12kgが限界」と言っていて、その人はとても山歴がありそうだったので、私はすごく重い重さなのだと思ったが、12kgは担いでみると最初から何の負担にもならない重さだった。

後立の単独縦走をしたときはトレーニングはなかった。15kg担いで4泊5日を歩いたが、一番大変だったのは、初日で、あとはザックが重いとも思わずにルンルン気分で歩けてしまった。

そういうわけで15kg担げれば十分だと自分では思っていたのだが、クライミングでロープが入るようになると、15kg+3kgの、18kg位までは上げないとダメだと感じるようになり、実際18kgくらいまでは、スピードが多少落ちても、コースタイム内で許容範囲になりそうで、自信をつけていた。

一度夏の北岳で、自分が快適に担げる範囲を超えると思える重さ(おそらく20kgくらい?)を担いで登ったら、普段2時間弱しかかからない白峰御池小屋までの道に3時間かかった。

もっともこの時間はパートナーが不必要な休憩をたくさん入れたので、私には必要のない休憩も入っていたが、それを考慮しても、2時間40分だと思った。つまり遅くなった。

そういう色々の経験で、私は勝手に自信をつけており、このカサメリ沢での滑落があったときは、まさか、それくらいの重さで自分の体がザックの重さに負けるとは思ってもみなかったのだった。

■ 観察

その後、太刀岡山左岩稜に行ったのだが、登攀力抜群の、30代でガイドもしている男性クライマーが、ザックを軽量化して挑んでいて、ビックリした。

壁が被っているとはいえ、彼にとってはたったの5.9のクラックで、彼の登攀グレードからしたら、そう難しいグレードには思えない。

それなのに、全員がザックを軽量化し、セカンドで、もっとも登攀力が低い私はザック免除、なおかつラストが全員分の食料と水を背負って登った。そんなに難しいのか…と青くなった。

5.9と言えば、まったく岩初心者の私でも身近に感じられないグレードではない。

初心者は岩は、5.7くらいからのスタートで、私が初めてリードしたのも5.7。5.8はリードは大変だが、できるかもしれないかも…と可能性を感じさせるくらいのグレード。去年、5.8をリードしようとして、先輩に制止された。つまり過信の対象になるくらいのグレードだ。私はまだ5.8では墜ちる可能性がある人だ。

Ⅳ級がメインのクラシックルートでも、5.9は時折出てくるので、5.9が登れることは、初心者クライマーの目指す、最初の目標としては良いグレードだ。

ちなみに2年目の今でも私はまだ、5.9の初見リードはできない。三つ峠の草溝直上ルートは私には難しい。

しかし、そのときのリードクライマーは、フリーでは、5.12くらいはオンサイトしている人だったので、そういう登攀力のある人でも、かぶったクラックは、用心して、ザックの重さを取り除くのだ・・・ということが発見だった。

一体これはどういう意味だろうか?

体幹の力が女性よりうんと強い男性だって、かぶったところではザックの重さは、多少であっても負担なのだ、と言う意味だ。

ザックがあると、登攀は大変になる。

こういうのは全部観察して分かったことで、誰も言葉に出してこういうものだよ、と言ったりしない。

■ 総合的判断

ザイルを出すか出さないか、は、総合的な判断だと思う。

私が濡れを甘受して渡ったところをリーダーがしかめっ面したのは、それが冬で濡れが致命的になるからで、夏だったら、「はいどうぞ」だったかもしれない。

墜ちたとき、大事に至る場所があれば、基本的には、チャンスを取る(一か八か)ではなくて、ザイルを出す、を基本にしなくてはいけない。

それは

 ・第一に初心者は、どこが墜ちたら大事に至る箇所か、分かっていない

 し

 ・第二に初心者は自分がどこから落ちる可能性がある人なのか分かっていない

からだ。

ただ墜ちて死ねる場所でも、そこが一歩またぐだけだったり、心理的なものであれば、お助け紐で済んでしまうことが多い。

■ コンパスの差

背が高い人に取っては楽な一歩でも、当然コンパスが短い人に取っては、巨大な壁になることがあり、一歩が出ないときは、差し出されたアックスを補助に握るだけでその一歩が出せたりする。その場合、ザイルを出すのは大げさすぎる。

アックスを握るのは、エイドだ。もしそのエイドがなく、単独であれば、その一歩のために、少し迂回して5分余計にかかっただろう。

でも、エイドなしのフリークライミングにこだわって、5分を余計に掛けるより、目の前に登り切った人がいるのだから、一瞬のエイドを受け入れたほうが総合的なメリットが大きい。

■ 高巻き

では、滝の高巻きはどうだろうか?

滝の高巻きは正直高巻くほうが危ないことが多い。ちょっと考えれば、誰でも分かることだが、川っていうのは、山を削って、土砂を下流に運び出しているのだ。

ということは、川=沢の両岸というものは、今削り取られている真っ最中の土砂ってわけだ。ガレと同じことだ。土壌が緩い。

草が生えているから、大丈夫だと思って乗ったら、平たい岩の上に堆積した落ち葉が土壌に変化しつつある所に生えている草で、土壌はその岩の上の10cm分くらいしかなく、その半径50cmくらいの土壌が一気に全部滑ったことがあった。

ちなみに私の沢経験は、まだ10くらいだ。

おまけに、高巻きの場合は、トラバースで確保が確保にならない場合が多い。

だから沢では滝は直登した方が、よっぽど安全な場合が多い。

特にロープを出す場合がそうで、ロープクライミングは上向きに登るのは安全だが、横向きはあまり安全ではない。

ある意味、滝は、水であれだけ叩かれていても、崩れていないという、頑丈さを実証された岩、と言うことができる。

なので水流の中の方が良い足場があったりするのは、本当だ。

ただし、これも水流の強さとの兼ね合いによる。下が釜だと取り付きも出来ないし、水流で体重の軽い人は押し返されてしまう。

だから、安全に高巻く技術は大事だ。

■ 良く落ちる

初心者は良く落ちます・・・と師匠が言う。

初心者と言う言葉を使われるのを、人は嫌うが、沢に10本登るまでは、やっぱり初心者だと思う。

岩も、ロープをまたいで墜落したり、逆クリップしたり、ゼットクリップしたり、という一通りの失敗を全部経験して、自分で何をしたら、危険で何をしたら危険でないかが、良く分かっているようになるまでは、やっぱり初心者だと思う。

ほとんどの人は、自分が初心者でないかどうかをグレードで計っているので、それだと危険回避については一切学んでいない人も、5.12が登れれば初心者ではなくなってしまう。

登攀力は、新しい環境では当てにならない自信だ。

どんなに登れる人も、沢の岩みたいにツルツルのところでは、今まで培った経験による、”ここまで大丈夫”というラインを塗り替えないといけない。

岩に慣れていても、沢に慣れていなかったら、どこまで大丈夫か、分からないのだから、やはり初心者にはザイルが必要と書いてある所ではザイルは出さないといけない。

ザイルを出さなくても大事に至らなさそうな小さなところでは、落ちたほうが、自分の限界がどこら辺にあるのか分かってよい。

墜ちても死なないところ、墜ちても大事に至らないところでは、チャレンジして、墜ちた方が限界についての理解が深まるのだ。

一方、連れて行く側からすると、初心者は登攀力がないためではなく、どこまでで落ちて、どこまで落ちないかが分からないために良く落ちるので、ザイルを出す手間を惜しがっていてはいけない。

■ ヘリが来るかどうか?

本間沢F9 トイ
特に私が考えるのは、墜ちたとき、レスキューがどうであるか?

沢にはヘリは来れない。毎日ヘリがどこかで飛んでいる夏のアルプスで落ちるほうが、誰も来ない沢で落ちるより、ヘリに救助される可能性は高い。

一回の失敗が取り返しのつかないことになりそうかどうか?ということもザイルの有無の総合的な判断のポイントになるのではないだろうか?


≪写真≫
出すべきだったのに出さなかったジョウゴ沢大滝
同じく、出すべきだったのに出さなかった本間沢F9

F9は目視で15m位と思ったのだが、後で本で確かめると25mとあって驚いた。

私のロープは、8.5㎜ ×30m でした・・・(^^;)

ギリですね~懸垂下降はできないですね~

Thursday, June 18, 2015

コンパスを自在つきに

■ 今日もウットオシイ雨です・・・

雨の日は整理整頓♪です。 実はこの時期に阿弥陀中央稜に行きたいと思っていたのですが、なんだか忙しいなぁ・・・週末は遠征です。もったいないから月曜に登って帰ってこようかな~

最近、なんだか山に対して、ケチ臭くなってしまい、誰かと一緒(つまり親睦つき)でないと、もったいないと感じるようになってしまいました・・・ハイキングの山や一般登山の位置づけが、なんと、”お見合い”なのです・・・それはいつの間にか、本チャン以外の山がリハーサル的位置づけになってしまった、ってことなのです・・・

小川山や三つ峠と行ったゲレンデのクライミング、簡単な癒し系の沢、地図読みの山、一般登山などがそういう位置付です。カンタンな山=パートナー候補の人とのすり合わせのための山・・・って位置づけ・・・(汗)

なので、相手がいないと足が向かなくなってしまい・・・なんかアルパインに毒されてしまっているような???

これは、山との向きあい方としては少々マズイかもしれませんネ・・・(汗)  

■ 楽しかった山行

ここのところ一番楽しかった山行は、60代の女性先輩二人と出かけた兜山です。あれは楽しかったなぁ・・・ 冒険&探検って感じでした。

山行には

 ・教育的山行 ・・・ 信頼できるリーダーの元で行く山
 ・同レベルとの山行 
 
の二つがあります。 優れたリーダーと登ると、その山がえらく簡単な場所に感じるという特徴があります。自分で行き直すとビックリ仰天です(笑)。

同レベルの人との山行は、色々な内容がありますが、気が抜けないのは1点。

それで兜山を振り返ると、地図読みについてもクラミングについても、自分と同じレベルだったので、相手のことをあんまり心配してやらなくて良かった、ということがあります。

雨が降り出してもレインウェアを出さないような人だと、雨具の心配もしてあげないと行けなくなりますから・・・。そういう基本的な所で心配が要らない人はハイキングの良い友です。

大体お互いが何が出来て何がダメかを知り尽くしているということが安心の材料なので、色々お見合いを続けるしかありませんね。アルパインに行きたい人は、それだけでも絶滅危惧人種です・・・

山岳会というところは、お見合いセンターみたいなところなのかもしれないと思うようになりました・・・。

■ 自在つきコンパス

コンパスの携帯ですが、ぶら下げておくのが良いようでしたが、ブラブラすると邪魔なので、自在つきにしてみました☆
コンパスって実は、きちんと結ばれていないんですよ~

ほら!

これって、首に掛けて死んでしまった事故の反省でこうなっていると聞かされましたが、コンパスだけが外れても意味がないんでは・・・?と思ったりしたのでした・・・ねぇ



ナイフはギアラックにぶら下げることに変えました。事故がないベテランは、ほとんど使う機会がなくて、ザックに結局入っているそうですが、私の場合初心者パーティで行くことが多いので、事故のリスク、けっこうリアルに感じます・・・

周囲には、ロープ無で突っ込む系の命知らず系な人がけっこういらっしゃるような・・・?

対策にレスキュー講習に出ましたが、リアルにレスキュー技術発動になるかもしれません・・・。

ハーケンも持っていた方が良いと反省して、出してきました。 カッターナイフ程度の刃物でも、ちゃんとロープ切れます。これは予備にザックに入れておくもの。

笛とリップスティックと暗闇で役立つキーライトは、暗闇用に、反射シールを張っておきました。
あとはハンドジャム用のテーピング。色々な用途に役立つ。


 ついでにてる坊もぶらさげようかな~



Wednesday, June 17, 2015

地図を買ってきたら・・・

2万5千の地図は見出しが左端にある
 ■地図萌え

最近また地図萌えになってきている・・・

なんだかこれで3度目か4度目の地図萌えと思う・・

しばらくは、カシミールで印刷した地図を使っていたのだが、最近は、ヤマレコで印刷するのが一番早くて便利だな~と思っていた。

ところが、沢に持って行くと、自宅で印刷した地図は、インクがにじんでしまう・・・ので、沢にはあんまり向いていない。

一方、2万5千の地図は、A4サイズではなく、A3で非常に大きいので、折りたたんでも、ポケットに入らないし、携帯性がとても悪い

用紙がしっかりしているので、水には強いのだが、どっちもどっちで困ったな~と思っている。

その2万5千の地図だが、最初の頃は、山ヤ折りしていたが、最近は、折ってしまうと山行計画を立てるときに見つけづらいので、A4サイズに普通に折っている。

見出しが左端についているので、それが見えると探しやすい。ところが書いてないのもあるんだな~もう、統一してほしいなー。

■地図を買ってきたら

1)磁北線を引く
2)防水加工する

■ ルートに行くと決まったら

1)尾根線を入れる
2)水線を入れる

■ 沢の場合

1)今から行く沢の二股(=枝沢の流入)を確認する。枝沢が流れ込むところが現在地確認ポイント。

2)トポがある場合はトポを、地図に移す。

※ 屈曲があるところ=滝があるところ
  狭いところ =ゴルジュ
  崖マーク =ゴルジュ?

  屈曲が変わるところ 角度を出しておく 南東なのか、北なのかくらいはきちんと理解して行く
 
トポの記号はこちら・・・
トポの書き方
遡行図の書き方

■ 尾根の場合

下山は大抵尾根なので・・・

1)尾根の分岐をチェックする 大抵尾根は3つに分かれる

2)方角が代わる場所(尾根の頭)で、角度を出しておく

3)目の前に見えるものを予想しておく 例: 山麓の建造物、道路、遠くのピーク

■ 歩くとき

尾根の場合・・・

・つねに隣の沢を意識して歩く。尾根の下りはじめはあまり気にしないで良く、降りる尾根が明瞭になってきたら、補正して、その尾根に乗る。

・尾根は登りが易しく、下りが難しい。

・尾根の下端は急なことが多い。降りる場所が核心のことが多い。

谷の場合・・・

・つねに隣の尾根を意識して歩く 二股は尾根が差し込むところでもあるので、なだらかであれば、そこで尾根に乗ることもできる。

・谷は源頭が危険なことが多い

・沢には同じ標高のところは二つとないため、現在地を特定できる

全体・・・
・トラバースはできるだけ避ける
・利用できる道(作業道、けもの道、踏み跡)があれば、それを利用する
・テープは追わない。テープの方が自分を追いかけてくるようになる
・次に出てくるシナリオを予想する
・迷ったら分かっているところまで戻る
・一般道のほうが読図的整合性がなく、読図は難しい