Friday, September 26, 2014

登山者、ハイカー、山ヤ、アルピニスト・・・

■ 言葉の枝葉のこと

登山する人を正確に言い表すのは、結構難しいです。

パッと思いつくのを挙げてみます…

  登山者、登山客、登山家、岳人、岳女、山男、山女、山ガール、山ボーイ…

  山ヤ、沢ヤ、岩ヤ…

英語で言うと、

  ハイカー、クライマー、アルピニスト、アルパインクライマー、フリークライマー、ピークハンター…

”登山者”という単語がもっとも広範一般的だと思いますが、それだけに的確には表せない。

百名山ハンターと岳人100ルートに行くような本格的な山をしている登山者は、別個のものなので、白峰三山の縦走をすると、両者は稜線で出会うが、決して一緒ではない。

前者は登山客で、後者は登山者よりはぬきんでている。

”登山家”になると、これは職業として山に登っていないと使いづらい。岳人/岳女は、文化的でいい感じがするが、一般には理解されない。山男/山女になると、少々侮蔑的な感じもするので(とくに山女)使い方要注意になる。

山ヤ、沢ヤ、岩ヤ・・・は、山行のタイプにのっとるわけで、特定の山行を志向するときしか使えない。

それにしても、雪ヤとか冬壁ヤって言うのは、ない。雪稜だけをやる、と言う人はいないからだろうか?

■英語

英語だと選択肢は、ほぼHikerClimberしかない。英語でClimberという時のクライマーは、日本語でクライマーという時の気負いがなく、5.12以上を登れないとクライマーとは自称できない、なんてことはなく、とりあえず、何であっても、攀じ登ってさえいれば、Climberだ。

日本語でハイキングといえば、登山以前の低い山への遠足的響きだが、英語ではHikingは3か月かかる、長丁場でもハイキング。要するに徒歩旅行はハイキング。

日本語で特殊な使い方をする言葉にトレッキングがあり、ハイキングより格上の扱いだが、トレッキングと言う単語は、高所と仲良しで、つまり〇〇アルプスというような場所をクライミングするのではなく、ハイキングすることがトレッキングで、同じ歩行距離で標高差でも近所の山だとトレッキングにならない。ヒマラヤトレッキングとは言うが、ヒマラヤハイキングは変だ。

そういう風にいうと、Backpackingも英語だけで良く使用される汎用的な言葉で、日本語でバックパッキングとかバックパッカーと言うと、無銭旅行者の、ちょっと反社会的な感じがする。英語では好意的な感じしかしない。侮蔑的な言葉は他にあるので。

アルピニストは、英語でも日本語でも気負った言葉みたいだ。つまりウィキペディアに載るような、歴代の登山家たちを指すようで、生きている人にそんな風に使うのはあまり聞かない。イモトをアルピニストとすると反感を買うような気がする。でも、アルプスにある山を登れば、アルピニストなので、イモトはアルピニストなんだけど。昨今はエベレストもお金で山頂が買えるようになったらしく、高所遠足などと揶揄されたりするので、たぶん、アルピニスト自体の重みが軽くなったのかもしれない。

という理由からか、アルパインクライマーと言うのは、よく耳にし、そして座りが良い言葉になっている。

けれど、これは本来は、山ヤ、沢ヤ、岩ヤと同種の分類のための用語で、フリークライマーに対するアルパインクライマーだ。でもボルダリングだけをやる人を、ボルダ―クライマーというのは聞かない。ボルダラーと言う単語もあるけど、なんとなく下に見ているニュアンスがある。

一般には、アルパインクライマーとフリークライマーの差は認知されていないので、クライマーと言えば、フリーのイメージしかないのではないかと思う。

「フリーで抜ける」という言葉があるのだけど、それはエイドを出さないと言う意味だったり、Aゼロしないって意味だったりするが、この場合は「フリー」がアルパインより格上になる。一旦、登られたルートを「フリー化」するという言葉もあるが、それも、より困難化した、という意味なので、よりリスペクトに値するようなニュアンスがあるが、「初登」よりすごいという意味には決してしたくない、という反論には共感する。それもこれも、処女地がどこにもないという現代の登山事情によるような気がするから、なのだが。

ということもあり、山歴30年のベテランを、登山者と呼ぶのは、ちょっと憚られる。かといって、登山家では変だし、アルピニストも変なので、敬意をこめて、山ヤと呼ぶことになるが、山ヤというのは本来は、自称するべきもので、他称するものではないので、山ヤ”さん”というような、ややこしいことになってしまう。

つまり、”ベテラン”登山者とか、山ヤ”さん”とか、前後につける形容詞に頼らなくてならなくなるわけで、コレという、的確な単語がない。

■ 山ヤでなくても登山者にはなれる

さらに言えば、10年登山をしていても百名山登山しかしない人や”金魚の糞登山”の人は、まったく山ヤとは言えない。

一方で一年しか経験がなくても、地図をもとに行先を考え、未知なる領域に一歩を踏み出そうという若者は、もうすでに”山ヤ”である。

でも、北岳バットレスに行ったくらいでは、ルートはクラシックアルパインだけど、アルパインクライマーとまでは言えない。

ここまで来て、「じゃ、三歩はなんなんだ?」と思ったが、たぶん三歩自身も自称するのに適当な語がないのに困っており、「山の者です」と言ったりしている。山の者って、里の者、町の者ではないって、意味だろう。

山の者を表す言葉には、山人、サンカやマタギがあるが、これは山を生活居住区にしている人で、山に登る人ではなくなってしまう。町人といえば、江戸時代、みたいな。なので、現代で、そういわれると、きょとんとしてしまう。

三歩さんは、山の者で、かつ山男で、かつクライマーで、アルピニストになり損ねた、アルパインクライマーというところ。名誉を求めていない、というニュアンスが、非アルピニストにはある。アルピニストだと、山で死なないといけなくなりそう…。

ところで、登山史に名を残す、というのは、若きアルパインクライマーは誰もが目指すものなのでしょうか?

という風に思うと、登山歴4年の私はまだ山ヤというにはおこがましく、しかし、一般登山者としては、すでに異なる次元におり(というか最初からそうだったような?)… しかし、山女も山ガールも女性を揶揄した言葉で、自称するのは自己卑下のように思われる。クライマーではまだないし、というので、一番近いしているのは、今のところ、英語のHikerかなというので、Hiker'sProfileに落ち着いている。

■ 価値観の差

でも、先輩はみんな山ヤです。結局、山ヤと一般登山者の違いは価値観の差となる。

この場合”一般”をつけたのは、登山者というものは本来、山ヤと同じ価値観に基づいて行動していたものだろうと思われるのに、昨今の登山者は異なるためで、”一般登山者”と”登山者”も行動様式が全然違う。

≪一般登山者と山ヤの違い≫

山ヤ
・地図の見かたを知っている
・未知のルートの方が価値が高い
・ロープウェーがあるルートなどより、より自然状態に近いルートの方が価値が高い
・人があまり歩かないルートの方が、よく歩かれたルートより価値が高い
・山をピークと言う点でなく、ルートと言うライン、もしくは山域と言う面で見る
・自然の両面性を含め、自然に触れるのが楽しい

一般登山者
・できればロープウェーで楽をしたい
・”花鳥風月的”自然観 縁側に座って眺める庭園的自然観
・自然の両面性はできれば否定したい
・メジャーなルートが良いルート

他にもあるだろうか?

つまり、一頃前の登山者と登山客の差になるが、今は登山客が”一般的”になってしまい、”一般登山者”化した、ということなのだろう。

異なる人種はやっぱり交わらない方がいいのでは?と思うのだが、百名山ハンターが、山ヤになることはあるのだろうか?


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