Monday, December 8, 2014

気のおけない仲間

12月になって、寒い日が続いています。地方によっては大雪になって道路で車が動かなくなるなど、被害が出ているようです。

山梨は幸い、良い天気が続き、寒いけれど過ごしやすいです。雪の地方のみなさん、お大事に。

■ 気のおけない仲間

昨日は人工壁、秦野まで行ったので、結構遠かった。山梨の小瀬の人工壁は、街中にありますが、秦野のは、山の中にあります。知らない場所を経験でき、新鮮でした☆

今回ご一緒に登らせていただいたのは、平塚の方たちです。平塚市は小さいので、複数の山岳会の中で、クライミングする人たちが寄り集まって、クライミング会をしているそうです。山梨もそうなったらいいのに・・・ですね。

長い間、一緒に山やクライミングをしていると、いわゆる”気のおけない仲間”になるみたいです。

大事なのは、”気の置けない仲間”になることだなぁと思いました。

■ ハッキリ言える間柄が大切

私は、言わねばならないことは、ハッキリ言う方です。たとえば、ビレイが間違っていたら、ハッキリ言います。ビレイ器上下逆さまとか。初歩的ミス。ロープの使用方法も同じ。

しかし、そうした指摘が受け入れられない人もいます。

そういう人は、失敗から学んで成長して行かないので、クライミングそのものに向いていないかも?

クラミングの基本は、相手の立場に立って考える、ということみたいです。

つまり、ロープの使用法のミスでは、自分がロープを貸す側の立場には立ったことがないと、想像もつかないわけですね。

余談ですが、ヨガを教えていると、ちょっとしたことを指摘します。「お腹を引き締めて」とかですが、大体やってくれるのは、すでに出来ている人で、やってほしい人は自分のことではないと思ってヤラナイ・・・

結局、突き詰めると、謙虚さ、とか、勉強熱心さ、自分を客観視できるか?ということになるのかなぁ。

■ 拗ねてはいけない=謙虚になりましょう

しかし、間違ったことをしていて、指摘された時に、「軽蔑されている」「ショックだ」「馬鹿にされている」「山を舐めていると言われた」等々、つまり集約すると、”拗ねる”なら、言わなければならないことも言えなくなります。

つまり、間違いを指摘され、慣れていないわけで、甘えん坊だったということですね。

間違いの指摘は、間違いを指摘しているだけで、人格を否定していることではありません。

しかも、人は自分が聞きたいことを聞くものです。自分が聞こえたように、人が発言しているとはかぎらない。

大抵の人は、最初から色眼鏡で言葉を解釈しています。

例えば、嫌われているんではないだろうか?と心の中でびくびくしている人は、ロープの使い方のミスを指摘されただけで、「やっぱり嫌われているんだ」と自分の中の心の声を補強するわけです。

事実を指摘されても、「あなたって〇〇な人ね」と聞こえてしまうのは、ずばり自分に自信がないからかもしれませんね。自信を持ってください。

素直に言葉は聞きましょう。人の目を気にし、批判を恐れて生きている人には、すべてが批判に聞こえるようです。ニュートラルな心の人には、ただ普通のことが書いてあるにすぎません。

そういう意味で、クライミングは、心が健全で、すこやかでない人には向かないのかもしれません。

なんでもかんでも、すぐ「個人攻撃に受け取り」「傷ついた傷ついた」と騒ぎ立てるタイプだと、誰もそうした間違いを指摘できません。

本人に間違いを受け入れる、心の余裕があるか?ないか?は、本人の中の自信によりけりです。

遠慮してしか、モノを言えないなら、間違ったことが間違ったままになります。

それはどういうことか?つまり山で危険が増す、ということです。アブナイな~。

■ クライミングは命がけの活動だよなー

「自分の命がかかることなんだから、”でいっか”なんて言っちゃいけない」

私はエイトノットとってもキレイに結べる方です。でも、品定めされながら、結んだので、「これでいっか」と、つぶやいたら、上記のセリフを言われました。

いいな~ 好きです。 私もそう思います。

そういう仲間内でしたので、初対面の人たちでしたが、昨日は墜落4回。 

クライミングに行くと、墜落しないことを、なぜか、とがめられます。なんででしょう(笑)?

まぁ下から私のクライミングを見ていて、もう少し登れそうにみえるんでしょうね。怖がって、体が硬くなっているのが、主たる登れない原因で、怖がらなければ登れるからです。それは、私だって知っています(^^;)

でも、私だって、墜落して死ぬのは嫌ですから、相手を見て、墜落できそうな人の時だけ、墜落しています。

つい最近クライミングを始めたくらいの人では信頼できません。がそれが普通です。

クライミングシステムがきちんと分かっていない人のことは、まだ信頼していません。

ビレイヤーとしての責任感が目覚めていないからです。

え?とか アレっ?とか、うっかり!で、私を落とすかもしれないからです。そんなことになったら、目も当てられません。

たとえば、ビレイグローブをしていなかったとか、クライマーの私が核心部に入ったのに、誰かと下で談笑しているとか。

特に、初心者はクライマーの動きをつぶさに見ていないで、注意力散漫になっているのが、かっこいい、と勘違いしている節があります。カッコよさ中心の人は警戒しています。

ベテランで、ビレイしながら、話をしている人もたまにいますが、そういう人の手には、たいていグリグリがあって、制動手を離したら即墜落、のATCがあるわけではありませんが、初心者はグリグリとATCの違いも知らない。

登り出しではスポットしていたり、ビレイの仕方を見ていると、その人の理解度が分かります。

墜落を止めるビレイは、スポーツクライミングでしか練習できません。トップロープでのビレイは墜落停止の練習にはなりません。

外岩ではリードしても被っていない壁でない限り、大きな墜落ではないはずです。せいぜいテンションがかかるくらいです。外でもテクニカルなルートでかぶっていれば落ちることができますが、そこまで行くのに人工壁で最低11以上はのぼっていないと、そもそも、そんな岩に行けないでしょう。

墜落を止められず、相手を殺してしまったビレイヤーを知っています。生涯、心に深い傷を負っていそうです。

■ Forgiveness and Letting go

また、昨日は、ベテランのリーダーと言う方たちにもお会いしました。

リーダー格のベテランには、やはり一定の人としての成熟を感じさせる、にじみ出る人徳、があります。

それはやはり、登山というのは、人格的な成熟が必要で、それなのに、対等とは言えない、精神的に未熟な人たちが多くかかわるからではないか?と思いました。

つまり、登山というのは、リーダーとなるような人にとっては、”許し”という試練を重ねることなのかもしれないと思いました。

私はまだ初歩的なクライミングが分かるだけの初心者ですが、それでも私が理解している程度のスタカットの理解もない人も多いので、何か力になることは、と考えています。

マルチピッチに分かっていない人を連れて行くのは命がけなので、命がけで色々と教えていても、不義理で返されることもしばしばです…

縁もゆかりもなく、クライミングや登山がきっかけで出会った個人間に信頼関係を築き上げるには、大変な労力がかかり、その労力の8割は無駄骨です。

つまり、教える側にとっては、”許し”以外に”手放す”という試練も乗り越えないといけないみたいです。

そういうとき、ベテランに接すると、励まされます。

無駄な骨折りが多いですが、そんな中にきらりと光る一粒のお宝、そんな人を見つけたら、大事にしなくては・・・ですね~。

2 comments:

  1. この記事は天声人語を超えましたね♪

    Letting go,野郎ならLet him goでしょうか。

    そろそろ雪山ですかねー

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    1. いつもコメントありがとうございます。そう、もう雪山シーズンです。雪のニュースを見ては、うるうるしています。

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