Monday, December 29, 2014

スヤマ尾根敗退(上松Aコース)

27日から2泊3日の予定で、冬山合宿に行っていました。結論から言うと、

完全敗退

です(^^;)。

■ Plan

今回のPlan → Do →Check のPDCAの流れを記録します。( )は、私のその時点での感想です。

プランは、上松登山口から木曽駒登頂~宝剣~三ノ沢岳縦走~スヤマ尾根下山でした。(この時点でムリな計画と思っていた)

ベテランより下山に未知の道を使うより、一般道が下山の方がベターとの指摘。(もっともな指摘ですね)

そこで、スヤマ尾根~三ノ沢岳~中ノ三ノ沢~無名尾根下山のプランに変更。(この時点で、おそらく三ノ沢岳ピストンだと思っていた)

この時点で、色々と調べ、スヤマ尾根の正月の記録を見つけました。2つの記録を参考にしました。、一つは三ノ沢岳に届くまで18時間、2日間を要した記録。また別の一つは、木曽駒まで縦走して上松Aコース下山です。山と渓谷1998年5月号に記載された記録がWeb上にあります。

記録をまとめると、

≪資料1≫
・18時間
・徒渉あり
・スヤマ尾根は快適な疎林

 → 辛い記録

≪資料2≫
・取り付きまで3時間河原歩き
・徒渉あるも飛び石
・積雪量少ない
・上部でロープ
・ハイ松藪

 → 甘い記録

でした。 

私の考えは、これらの記録を調べた結果で、一日目は、尾根取り付き幕営、良くて中腹での幕営、二日目は、終始、樹林帯のラッセル。上まで到達しないので、

・ロープが出ることはないだろう
・二日目の全荷での移動が核心

と予測、というものでした。基本ラッセル。汗かき仕様。体力勝負の山です。

お天気は
ーーーーーーーーーーーーーーーー
27日:大陸から本州付近に高気圧が移動してくる。この高気圧に覆われるため、晴れる。朝まで山域北部の稜線や北向きの尾根上では、北寄りの風が強いが、昼頃には落ち着いていく。 警戒事項:強風による転滑落・凍傷(朝のうち)、乾雪雪崩 28日:本州付近の移動性高気圧は日本の東へ進み、次第に南から湿った空気が入りやすくなる。このため、天気は下り坂。午前中は晴れるが、稜線では西から南西の風が次第に強まる。夕方には稜線は雲に覆われ、夜は風雪の荒れ模様の天気に。29日は大雪になる恐れもあり、最新の気象情報に注意。 担当予報士:小林
ーーーーーーーーーーーーーーーーーヤマテンより引用

・1、2日快晴
・3日目下山日の朝前線通過

でした。

私の予想は、ヤマテンを参考にし、3日目は使える時間は一日ではなく半日の予想です。下山だけ。要するに2日目が核心と思っていました。2日目に出来るだけ降りておくってことですね。

私は二日目に向けての夕食と朝食の食当でしたので、この予想を基にできるだけハイカロリーにしていきました。歩荷負担は3kg強でした。ツエルトやコンロ、わかんの冬の宿泊装備一式となので、その分沢に近いということで、水を1.5ℓにして、軽量化を図りました。

■ 実際

実際は、下の地図のように進行しました。

上松Aコースの登山道は、よく踏まれ、夏道より快適に歩けるくらいの登山道でした。スタート時間は、敬神小屋で、8時です。

a点で9:33。ここからは登山道がなく、終始、身長程度の高さの笹薮の非常に濃いブッシュでした。帰宅したら、笹が顔に刺さって小さな切り傷をいっぱい作っていました。

15分後にb点で、距離的に多く見積もっても300mしか進んでいないことを指摘しました。前進するという決断でした。ベテランからは元来た道を戻るのではなく、適当に近道を求めて下るのはダメだという指摘。上松Aコースにて木曽駒という代案が出されました。

次のc地点では、すでに仕切り直しには10時半と時間が遅く、このまま前進したほうが結局早いだろうと結論(実際は余計にかかった。1時間で登れた道は30分で下れる脚力だからです)

どうやって河原に出るかを協議。尾根を下り、基本的に南進し、隣の尾根を超えて、滑川に合流できる場所を探す、で一致しました。 クリックで拡大します。










ーーーーーーーーーーーーーー
a 8:00 敬神小屋から金懸小屋方面の登山道へ進む  意見 地形通り滑川沿いを進んだ方が良い

b 9:33 使う予定の登山道が廃道 笹薮でとても進めそうにない  意見 今来た道を下る

c15分で300m程度しか進行していない 意見 戻る、下るのは良くない、典型的遭難パターン

d 少し開けた広場 ここで、もう前進しか選択肢がなくなる

e 急登から沢に降りた 11:00 ココでカメラを落としたことに気が付き、少し戻る12:00

f 少し沢を下りなんとか登れそうなルンゼから尾根の頭へ出ると道があった12:00 意見 金懸小屋へ登る

g 13:30 最終堰堤。正規ルートへ復帰。

h 徒渉 膝の高さ

i  幕営一旦沢へ降り、隣の尾根に取り付ける点を探して、ルンゼから取り付き(取り付きの発見はベテランがやってくれました)

j へつり危険部 お助け紐

K 撤退判断1回目 スヤマ尾根断念

L 大木のピークで鹿の踏み跡発見

m 撤退決定
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

Fのピークへ乗った時点で、ベテランからはこのまま尾根を登り、一般道の上松Aコースへの合流が提案されました。

が、あと少しと言うことで、尾根を下りました。が、この尾根からも藪が濃く、沢が近くてかなり急な崖でしたのでルートを探し、降りれたもののギリギリと言う感じでした。

結局、最終堰堤まで来た時点で、13:30となっており、この道は、普通に林道を歩いていれば、30分の箇所でした。

つまり、敬神小屋から堰堤までの距離を、登って下るという藪漕ぎすれば、5時間半かかり、地形通りについている林道で来れば30分となったということです。

30分の道に5時間半・・・(^^;)

そこから徒渉し、さらに河原を進みましたが、河原歩きも大きな石の空隙があるので気が抜けず、スピードは出ず、15:30、幕営適地を発見。

それでも残り30分進むというので、進み、あまり距離は稼げず、これより先に幕営地が発見できそうにもない河原に出たところで、偵察隊は少し先を偵察してもらい、残りは戻って、幕営しました。(16:15)

翌日は、偵察隊の偵察通り進行しました(6:43)が、偵察隊が行けると判断した箇所は、普通の男性であっても引き上げが必要で、這いつくばって登り、アイゼンを履いてムリに徒渉したりと、かなり困難。

滑川では、要するに冬の沢登りでした。水流を避けるためのへつり、高巻きです。これは沢の経験が生きると確信できました。沢の高巻きでルートを探すからです。

一旦下山の決定をしたものの、帰りは行きに通ったへつりは高巻きしました。これで上がった尾根(標高1500)、Lがたまたま、鹿の踏み跡があり(鹿くらいは通れる道だということでホッとした)、この尾根は下山に使う予定だった尾根であることから、1時間当たり標高200を登れるだろうと予測して、尾根を登ることに合意(8:30)。予測では、幕営適地を発見し、途中で荷をおろし、山頂ピストンできるのではないか?という期待値でした。

が、そこから40分程度上がってみた(9:10)ものの、私がストップを掛けました(最高点)。非常に濃い笹薮のブッシュで直進するのにうんざりしたからです。隣の山を見ても、藪が薄くなる気配はありませんでした。

標高は1550で50メートルしか稼いでいませんでした。つまり、標高100mを稼ぐのに80分、1時間半かかります。

これだけしか稼げないということは、標高2368m、差800ある稜線に上がることは絶望的であること、同じ標高程度の隣の山を見ても、藪が薄くなる気配がないこと、稜線に上がっても展望が望めないこと、などから、撤退を判断して、9:40、下山決定しました。

下山もこの尾根を行けば、広がった扇状地のような地形に出るはずですが、地形図に現れていない小さな尾根のトラバースを余儀なくされ、そのトラバースも笹薮をかき分けながら、というわけでした。

しかし、10:16幕営地にピッタリに降りてしまいました(笑)。幕営地から河原沿いに歩いて稼げた距離はほんの少しでしたので、ほんの少しの距離にかなり時間がかかったことになります。

後は来た道を戻り、堰堤前(11:25)で、アイゼンをつけ、最後の徒渉。堰堤から敬神小屋まで歩いて30分(汗)。そこからさらに先で、軽量化のため、もってきた2日目の食事を食べ、下山完了でした。

悔しいので、帰りに温泉に立ち寄り、ソースかつ丼を食べて帰ってきました(^^)。

■ Check (検証)

さて、早速ですが、検証します。結論は

敬神小屋から、上松Aコースを上がらなくても、スヤマ尾根には取り付けなかったでしょう

です。

ココから先は、わたし私自身ならどうしたか?ですが、

1)地形的整合性優先

今回上松Aコースの登山道を使って、堰堤までいくことには最初から反対意見でした。

私の意見は河原沿いの林道を行くべきだと思っていました。上松Aコースから分岐している林道は、一見して地形的な整合性がなかったからです。

地形を読んだ場合とつけられている登山道が異なる時は、なんらかの理由があるはずで、その理由が重要です。

通常の一般登山道でも、地図読みしながら歩けば、登山道があまり整合性がない場合があります。その場合は多いのは、登山のための道ではなく、林業のための道である、ということです。

その場合よく使われていれば、早く歩けますが、たいていは、その道を行かなくても、地形を読んで歩いても、ブッシュさえ出ていなければ歩けます。登山の人が歩く場所は尾根と沢で、トラバースと言うのはあまり整合性がない。

さらに地形図にはよく廃道も載っており、歩く理由に乏しいと予想される、根拠に乏しい道は、地形に沿っていない限り、使われなくなっている=利用価値が低い可能性がある、と思います。

つまり、笹のブッシュが閉じている時点で、そういう道であることが分かります。

単純に入り口だけが見つからない場合は、15分も進めば藪が開け、道になっているはずです。尾根の取り付きではよくそういうことがあり、どこから取り付いても、地形的に整合性のあるルート取りをしていれば、後から赤テープが自分を追いかけてくるようになります。(生きた経験、黒富士茅ヶ岳東尾根

が、今回は、変化が見られない。その場合は、撤退すべきです。

2)冬季の河原歩きのリスク

冬季の河原歩きは、水量が問題です。今回は、記録より多いと見受けられました。

冬季は、少しでも濡れると命取りという状況です。

しかし、河原歩きが長く続き、水量が減る気配がない=リスクを減らすための手段はほぼないに等しい。

靴が濡れる、コケて服を濡らす、=終わりです。

おそらく記録にある時よりも水量が多かったのです。

冬に河原歩きは私にも経験が少しあり、アイスクライミングでルート経験が生きました。ルートに出ていると、濡れが一番の問題です。流れている沢に氷を踏み抜いて、足を突っ込んでしまうと、日帰りなら我慢で済みますが、特に泊まりを含む場合は、靴が凍り、その状態で稜線を歩くことは不可能なので、靴を濡らすともう撤退です。

3)藪

地図読みをする山を私も、藪山、と表現したりしますが、実際は藪はあまり漕ぎません。というか、いかに藪を漕がずに地図読みで、良いルートを歩けたかに達成感を見出しています。

4)地図読み

今回は、地図読み山行にて、自分でルートを作った経験が雪山山行で生きることを確信しました。


山行では、自分が作成したルートを歩きましたが、ケツを歩いてもらいました。一か所判断が違うことがありました。また下山で、コンパスの精度が足りず、降りる尾根を一つ間違え、北東尾根でなく北東東の、隣の尾根を降りてしまいましたが(笑)。これは結果オーライで実際は降りようとした尾根では末端が急すぎて降りれなかったです。

また地図読みでは、小さいピークとコルをつなげます。基本的に、コンパスを当てて単純に地形を無視して直進ということは最後の手段です。目標物を目指して下る場合でも、その途中の地形を重要視します。途中に危険要素があると時間が余計かかるからです。

そうした登山の経験が生きる、と分かった登山でした。

4)強行突破

行けるか?行けないか?の判断は、終始、強行突破の連続でした。

思うに、ベテランには一定の閾値と言うようなものがあります。それはブッシュを見て、コレはダメだな、と判断できる力と言うことです。少しならブッシュも突破で良いのですが、その場合は

程度と量

が問題です。

これは、若く体力があるほど、困難を乗り越える方を選択してしまいます。しかし、やはり、そのように健脚であっても、結果としては、余計時間がかかることは変わりません。

つまり登山判断力にとって、有り余る体力は、リスクを減らす要因にはならないということです。

体力がない人よりも、泥沼にハマりやすい。ちょっとした困難なら乗り越えられるからです。その、ちょっとした困難が、1か所ならばそれは良かった、という結果になりますが、今回は強行突破が終始です。強行突破は、その価値がある場合にだけ使うべきです。

体力や技術が、リスクを減らす要因になるのは、基本的なリスクがマスクされている場合だ、ということですね。支点崩壊のリスクがない場合には、登れる方が有利ですが、支点崩壊のリスクがある場合には登れようが登れまいが同じだけのリスクがあるということです。

今回でいうと、技術があってもなくても、水ポチャリスクがあります。

5) どこが二者を分けるのか?

私が常日頃、疑問に思っていることは、

多くの人が同じ経験をし、同じような教育を受け、同じように機会を与えられるにもかかわらず、結果には人によって大きく違いが出る、

ということです。

登山はリスクをはらんだ遊びです。リスクがないところに楽しみもなく、その楽しみの追及は悪いことではなく、その二律背反のバランスこそが醍醐味といえる部分もあります。

しかし、人には、山ヤになる人と、ならない人がいます。積雪期北岳に行ったほどの人でも、何年も何回も、山行を重ねても、「連れて行かれる」から「連れて行く」に転換することはできません。必要な技能が積み重なって行かないからです。積み重なっていかなければ、自信にもならない。

今、老練で熟練した登山者でも、かつては若く、イケイケの登山判断をした登山者だったでしょう・・・そうした若い判断力に掛ける登山者が、どのような思考のプロセス、あるいは、経験値を経て、的確な良い意味での”弱気”の判断力を身に着けるのか?そこに興味があります。

なぜなら、それは後進を育成する場合に重要なキーポイントとなるからです。

私は自分では保守的な判断をする登山者だと思っていますが、去年ゲストでセックンに行った時、リーダーが迷ったというので、5mほど登山道を外れて登ったら、こっぴどく叱られました。しかし、私自身は私がリーダーの時に他の人が、「ちょっと見てくる」と勝手な行動をしてもあまり腹が立ちません。それは自分もそうするだろうからです。つまり、イケイケかどうか?は、どこを基準にするかに寄ります。私も、一糸乱れぬ統率や厳格な命令への従順を求める人とは合いません。

私の登山の喜びは自分で引き受けるリスクの量を加減しながら、登山の成果を最大にする、というところにあるからです。

■ 私の学び

今回は、

1)積雪期であっても、雪が少ない山の場合は、登山道(藪払い)があるほうが良い

2)雪がしっかりあれば、登山道がない山も良い 

3)冬の沢は水量次第

4)合理的な説得には数値による説得が必要

5)進退の判断は、実績ベースの行動時間、実際の状況判断に寄るべき

です。

今回は、濡れについては、事前に師匠が近いコースを歩いていたこともあり、汗による内側からの濡れを対策して行き、雪による濡れはさほど心配していませんでしたが、それは正解でした。

また、徒渉にネオプレンソックスを持って行ったのは正解でした。

ただ、撤退を薦めるときに、合理的な数値による説得がもっとも説得力があるので、私は暗記が苦手で、あまり数値をさっと計算しないので、コレは反省が必要だと思いました。

リーダーは最後まで、甘い記録を基に行動を組み立て、判断していました。すでに実績ベースの数値がそこに出ているにも関わらずです。メンバー側は、そういう場合、もう少し数字ベースで話をしないといけません。そうでないと無駄足が増えます。無駄に体力を浪費してしまうことになります。

6)ケツを歩いてくれる先輩は良い先輩だ

と、私は常日頃思っています。安全の傘の下で失敗を重ねる必要があるからです。そういう意味で、この完全敗退の山行は、我会が非常に良い教育システムを持っている、という傍証になるのではないでしょうか?

また、

7)危険個所の判断は穂高の縦走路ベース

です。今回はいくつもいくつも、「これはないな」と言う箇所が連続しました。つまり、通常の登山で一か所、2か所の核心部と言えるような箇所が何度も連続します。

沢でお助け紐を出すような箇所です。このような個所が多いと時間を食いますし、一か八かが増えるということは、帰りも一か八かだということです。

8)行きに使うルートが退路として有効かどうか?を常に考える

予測のつかない、未知の道を行く場合、私はピストンを基本にしています。これは横山厚夫さんの著書にも基本方針として掲げてあります。

今回の場合だと、行きに使うルートが藪の時点で帰りに使うのは、合理性がありませんから、行きでは、このルートが退路として有効かどうか?を考慮しながらルートを組み立てる必要があります。

■ まとめ

ひとりの自立した登山者を育てるのに、どういう技術をいつごろ、どのような形で教えるべきか?

当然個人個人に習得の速さの差はあっても、一つの型とでも呼べるようなものがあれば、そこから応用系を派生的に作って行くことができます。

最近私が学んだのは、

 ただ山行回数を重ねただけでは、経験の蓄積にはならない

ということです。

 登山者育成の視点には、体力だけでなく、登山マインドの育成が必要

ということは多くの事例が証明しています。

また

 教える順番(ピッケルより地図読みでしょ)も重要ではないか?

と思っています。そうでないと、クライミングが出来ても、道の無い山は歩けない登山者になってしまい、道のない山を歩けなければ、基本的な遭難時対策ができていないということで、その人は一生誰かに安全対策をゆだねなくてはいけなくなり、つまり自立はできないことになってしまいます。

そこで愉しみを優先するほうに、安全対策はいいや、と開き直ると、凄い山を自慢げに登っていても、実際は山ヤ的な成長はしていないということになってしまいます。よくニュースでも山歴〇十年のベテランが・・・とあるようなケースを育成してしまうということです。

しかし、自立した登山者には、多くの小さな失敗の経験が必要です。

それが”経験を積む”ということの意味です。

経験を積んでいる間に死なないようにするには、どういうマインドが必要か?と言う質問には多くのクライマーが

 弱気 

と答えています。私は”保守的な判断”という言い方をしています。

また実際

 強いクライマーほど撤退判断が早い

です。中山尾根に行った時は、降水で、6:30撤退判断でした。すぐ転進しました。

師匠が広河原沢左股へ連れて行ってくれた時は、ラッセルで中央稜に上がる予定でしたが、5歩くらいで、登ってきたルートを下降に決定しました。私も相棒も、もう少しラッセルできると思っていたので、見くびられたようで少しびっくりしましたが、リーダーの判断に従いました。

一方、私のほうがより保守的な(弱気な)判断をしたこともあります。金峰山黒平での下山決定のプロセスです。ピストンを提案されましたが、メンバーの消耗具合を考慮して、より弱気な3時間で下れる一般ルートにしました。ヘッデン下山を避けた格好です。

意思決定には、色々な要素が付きまといます。そして、意思決定こそが登山の安全性を高める非常に重要なファクターです。

これについては、良く考えて考えすぎることはないのではないか?と思えます。

黒平での撤退判断 この時は先輩より保守的な判断をした

中津川滑沢 沢で濡れると怖い

黒富士 ひとり地図読み

茅ヶ岳東尾根 一人で地図読み