Thursday, February 5, 2015

いかに生き残ってきたか?  『アルピニズムと死』

■読了 『アルピニズムと死』

この本は、いわずもがな、の山野井泰史さんの本です。2ヶ月ほど前に購入して正月に読んだもの。

この本を読みたくなった理由は、去年亡くなった野田賢さんのことを思って書かれた本だからです。

ちょうど亡くなった次の春シーズンに春山合宿で、私も鹿島槍の鎌尾根を歩いたからです。野田さんが亡くなったのは、となりの天狗尾根でした。合宿山行の研究中に知った遭難でした。

しかし、読んでみて、野田さんに伝えたかったことが何なのか?は、少し分かりにくく感じました。

実際、山野井さん自身もあとがきで、

いかにして生き残ってきたか?を書こうと思っていたが、最後まで具体的な説明はできませんでした

と書いています。たしかにそうかも・・・。

全体に、山野井さんがいかに危険をかいくぐってきたかという回想になっています。

アルパインクライマーがする表現は、奥ゆかしく、断言を避けます。「あなたに伝えたいことはコレコレです」という言い方をしないモノなのかもしれません。

その作法が、”鈍い”と言わないまでも、”鋭くはない”人たちには、言わんとすることが通じない、ということが頻発しているようです。

■ 死なずに山に登り続けていくためのヒント 

冒頭、山野井さんは、こう話しています。

彼とは何度か山行を共にしましたが…(略)しかし、経験だけが取り柄の僕からみると、彼のいくつもの危険な行動、あるいは心理的な弱点が見え隠れしていたのは事実でした。情熱に満ち溢れた友人の顔を思い出すたびに、もっと助言をすればよかったと悔いが膨らみます。

先輩から見ると、後輩の

 ・危険な行動
 ・心理的な弱点

は良く見えるもののようです。 

以下は山野井さんの”事故”の経歴から抜粋したものです。 ⇒は私のコメントです。

■ 山野井さんが経験した事故

1)初めての事故  墜落
・中学生
・指が開いていく感覚
・高さに対する感覚のマヒ
・当時読んでいた山岳書「迷ったら元の道に引き返せ…谷には降りてはいけない」
・自力下山

当時から山岳関係の記事や本をたくさん読んでいたそうです。

                     ⇒ 山岳書をよく読んで先人の知恵に学ぼう

2)2度目の事故
・大きな岩場はいくつも経験していた
・ナッツやピトンを自分で設置する経験が浅かった
・リードクライマーが設置したプロテクションが全部、次々とハズれた
・手で受け止めた
・自力脱出した
                     ⇒ プロテクション作成能力を磨こう

3)死亡事故の目撃
・プロテクションを一本もとれない状態でハング
・他のクライマーが墜落死
・今でも一番好きな岩場    
                     ⇒ 悲しい出来事に遭遇しても、めげない

4)トール西壁 (会心の登山)
・6か月前の知人の死
・1週間以上になる孤独に耐えられるかの不安
果たして30ピッチ以上になると思われるビッグウォールを全くミスを起こさずに登り切れるか不安だった
・傷ついた指と疲労した頭と身体で繰り返すことの、どこかで凡ミスを犯す可能性
・岩壁の中で形状を読み取り、落石の発生がない場所にルートを採り、もし石が落ちてきてもロープを切断させる可能性のある位置にはビレイ点を作らない
・3週間の天候待ち
・毎日15時間以上の登攀

5)落石
落石を見極めるのはベテランでも難しい
・落石を回避する事は易しくありませんが、細心の注意を払えば、確率的にかなり低くすることはできます
・気温の上昇、沢の真ん中を歩かない
・ガレ場ではパートナーと離れず歩く
・先行パーティの要る場合は同じルートは避ける
・懸垂下降では短くピッチを切りフォールラインに立たない
・雨、風、気温、などの気候と岩質、地形全体を読み取れば回避できる

                        ⇒全部重要

6)ソロについて
・独学に近い形で試行錯誤で能力を向上させていった
・ソロの要因
   友人との登山への情熱の違い
   単独独特の達成感

                  ⇒ 山に真摯に向き合えば、パーティもソロも学ぶことは同じ

7)トレーニング
・体力トレーニング
・イメージトレーニング 悪い状況も頭の中で描く最悪のシナリオの場合はどうするか?
・情報収集以上に、色々なシナリオを想像しておくことも大切
・過酷な状況を想像することも必要
・鋭敏すぎる登山への感覚、細か過ぎる体への配慮
      
                 ⇒ 次のシナリオを想定する力とトレーニングが必要

■山野井さんが他の岳人から学んだこと

・いつでもどんな場所からでも確実に降りることができる技術を持てば自信を持って頂を目指せること
・登った数より常に内容
・慎重に進むべきルートを選択する
・怪我をしないために技術を磨く
・決してイライラしない
・自分の目で山を眺めて判断する
・見栄を張りたがらず、記録を自慢したがらず、自分の弱点を素直に人前に出す
・他のクライマーの派手な記録を羨ましがらない
・笑顔で登山を面白がる

■自分のことが好きでなかった時期

・湧きあがる衝動から山をちゃんと目指していたのでしょうか?その他のことを意識していなかったと正直に言えるでしょうか。

1)明神での墜落 40m
記録を意識する自分がいて、次回にと言う気持ちになれなかった

2)甲斐駒での墜落 80m
「辞めたほうがいいよ」を無視

3)マナスル北西壁
・山からの警告は示されていたのに、新ルートへの野心が正しい判断を鈍らせていた
嫌な感じを持ちながらの登攀

                        ⇒ 動機が不純な時は登らない方が良いのかも?

■ 山野井さんの山の選び方

・山を選ぶ…実際に登るのと同じくらい楽しく充実した時間です

・体力、技術、バランス感覚、判断力などの能力が目標に適していて、また心から興味のある対象に向かわなければ進退窮まってしまう

同ルートを下降できないようなルートに単独で挑まない

自分に合った内容の山を選ぶ(クラックルート)

我慢してまで登らない

・「何をやってもできるんだ」という自負を捨ててしまうことになるが、今まで以上に開放感が増し、嬉しいことに一つの課題に集中する面白みが増しました。
・高峰の単独登攀の未練を捨てた。ヒマラヤの単独登攀を続ければ近い将来に死が訪れることが分かった

・その時々の肉体の状態に合わせた、身の丈にあった目標にしかむかっていない
・実は自分の能力にピタリとあった山にむかったときこそ、感激は大きいように思います(P132)

・吹雪の一ノ倉沢に出かけるような、危険な領域には踏み込まないように注意してきたのです。

・破天荒の格好よさを少しは理解できますが、(中略)計算高く慎重に山を選び、状況を見極めてきたのです。

⇒ 赤字筆者。

■山野井さんの成長の仕方 

・目指す山からクライマーのセンスがうかがえる。
・目標は、探す努力がないと、なかなか見つからない。また、好みがないと目にも留らない。

限界状況への渇望から、深く考慮せず計画を進めては絶対にいけない
・慌てずに素直に身体の声を聞かなくてはならない

・強引な方法ではなく、軽やかに攻略できるか検討する

ゆっくり吸収する、これも大事なことなのかもしれない

・毎日のゆっったりした静かな生活からアイディアが生まれ、限界近い登山への集中力が生まれているのかもしれない
散歩をしながら次の夢が見つかることがある

・例え登頂に失敗したとしても、氷河に寝ころんで気温の変動を肌で感じながら、稜線の風や雲の動きを観察して、出発するタイミングを見極めたい。判断するという楽しみを失いたくない。
動物としての能力が発揮できる機会を守っていくことは山で生きるうえで重要に思えてならない

■ 野田さんに言ってあげたこと

「もっとゆっくり降りていいんだよ」
(奥穂の吊り尾根を夏道通りにあるこうとするので)「稜線から離れたほうが歩きやすいし、体力を消耗しないよ」
「ビレイ点のプロテクションは、もっと確実なものにして。これが抜けたら二人とも致命的だよ」

自然を愛しているからという理由だけで踏み入れるのではない。まして自己表現のために高みを望むものでもない。限界線から一歩踏み出すたびに生命が躍動した。安住できる土地を離れ、不安や孤独を感じながらも、克服することがより困難で切り立った場所に向かっていった。

■まとめ&感想

私は、20歳で単独アメリカに渡りました。(その前に親元を18歳で独立しました。)

アメリカに行った時、実際どこに行くのか?と、友達と、地図を出して調べたけれど良く分からず、財布には現金2万円程度しか入っておらず、ただ身の回り品を一切処分して、ゼロになり、飛行機に飛び乗っただけでした。

そうして行ったアメリカでは、言葉が当然通じないので、生活の初歩的なことにも四苦八苦でしたが、生まれて初めて運転し、そのために教えてくれる人を手書きの募集チラシを配って募り(入国2日後)、夜は夜で語学学校に通い・・・何もかもが困難の連続でした・・・最初はバスに乗っても、おり方が分からず、結局元の場所まで乗ってもどってしまい、そこから、タクシーで住所を告げて帰ったくらいです(笑)。

しかし、生きているなぁ~という実感が強くありました。

要するに、日本という社会が、生きている実感がないほどに、困難さがない社会なのだ、と理解した瞬間でした。

それは一般の人と比較して、より困難な人生を強いられているはずの勤労学生の私にとっても、日本はぬるま湯だったのです・・・

アメリカでは、常にリスクに対してセンサーを鋭くしていないと、誘拐されたり、ドアを開けたとたんに打ち殺されたり、身ぐるみはがれたりするリスクがありました。

実際、私は横断歩道を歩いていたら、ごつい白人の男性にひょいと持ち上げられて、持って行かれそうになったことがあるくらいなのです。その人はおふざけのつもりでしょうが、私は超ビックリして、最初は刺されたと思ったくらいです・・・何しろ銃を携帯するお国柄。(じたばたしたら降ろしてくれました)

そういうわけで、日本では研ぎ澄まされることのない、危険を察知するという能力が、海外に行くと高まり、それが海外を一人で旅することの愉しみだなぁと思います。ちょっとしたことでドキドキです。

それが自然の中で起こると登山なのかもしれませんね~と思いました。

単独行は特に海外一人旅と似ていると強く感じます。

パーティでの登山は、相手に対する依存心が生まれるので、その分、達成感が目減りしている気がします。


4 comments:

  1. 「パーティでの登山は、相手に対する依存心が生まれる」…、ありがちなんでしょうけど
    逆に、「パーティだから頑張っちゃう。」ってこともあります。言い換えると、「単独なら安全マージン多めにとるけど、パーティなら挑戦しちゃう」ってことですね。それも ある意味、依存ということになるかもしれませんが、ちょっと種類の違う依存かもしれません。
    例えば、他のメンバが「ココは ちょっと無理かもなぁ」なんて言い出すと、へそ曲がりなワタクシは「ん?ほんま無理?案外こっちのほうが安全にいけるんちゃうん」なんて そっちのほうに走っちゃったりします。「ワシがいかねば誰がいく?」ってやつですね。
    とはいっても、山野井さんみたいに厳しいとこ突っ込んでるわけではないし、後続が登る段取りも考えて登るわけですけど。。。
    そうゆう自分自身の傾向もあって、一人のほうが安全かなと思うこともあります。もちろんケースバイケースですが。。。

    ReplyDelete
    Replies
    1. たしかにそうですね! 

      私も夫がいるときは、チャレンジャーです。 実をいうと、私をチャレンジャー側にしてくれる相手を探しています。 

      自分より判断力が劣る相手といるということが明らかな時は、私はチャレンジャーになれず、ブレーキ役です。初心者の人がいるときは誰だって、安全マージン大きいですよね。

      逆に、「私これくらい行けるけどなー」と思っても、先輩がダメといえば、従います。あの岩登れるんだけどな~と心で思っても、先輩の方が良く分かっているんだろうし、と従います。

      だから、自分がチャレンジ出来るパーティに入っているということは、実力均衡型のパーティということで、羨ましい環境ですね。安全だと安心していられる仲間ってことです。

      Damienさんの心理的弱点は、みんながいると、つい張り切っちゃうということですね~(笑)
      頼りになるお方☆

      Delete
    2. 「頼りになるお方」なんて書かれると恥ずかしいです。くすぐり上手ですか?

      私も過去、随分上の先輩から「ダメ」と言われて、結局、その先輩とは行かなくなりました。可愛くない後輩ですね。Kinnyさんは可愛がられるタイプだと想像します。

      私の仕事はソフトウェアの開発プロジェクトなんですが、沢登りというか、いわゆる登山もプロジェクトという意味で似ている部分が多いと思ってます。プロジェクト遂行の上で、チームメンバーが どんな人で どんな行動/言動をとるかというのは重要な要素ですね。リスクを指摘してくれるのはいいけど、「どう解決/対策するか」にはフォーカスしてくれない人が居たりとか。。。
      話とんでスミマセン。お邪魔しました。

      Delete
    3. 確かに開発部と似ていますよね。 ソフトウェア開発って、納期に間に合わないというので、開発メンバーを増やすともっと間に合わなくなります(笑)。登攀って、4人がベストで、それ以上増えると、テントは大きくなるし、登攀も時間がかかって、余計遅くなるのと似ているような・・・。

      メンバーシップに関して言えば、ヤル気のない者は”できない理由”を上げ、自ら達成して行く者は、いかにして出来るか?を考える、と言われています。

      経営学のドラッガーの言葉であったような・・・正確な言葉は忘れちゃったのですが。

      Delete