■ 恩返し?
最近、私は本チャンに行けて本当に感謝しているので、次はだれか他の人に同じ喜びを与えてあげる番だと思っています。
しかし、私は特定の誰か一人に教わっているのではなく、自分で、自分のカリキュラムを作っていました。つまり、自分の課題、自分が今何を学ぶべきか?について、常に意識していました。独学のカリキュラムを作るのが得意らしいのです。
また身に着けたいという意思もハッキリしていました。「誰か教えてくれる人がいたら、教えてもらえたらいいな~」という程度の、状況依存的な希望ではなく、「山梨には教えてくれる人がいない?じゃ、無名山塾を検討しよう。じゃ山岳総合センターに行こう」そういう具合です。
犠牲も進んで払い、遠いとか、お金がかかるというハードルは、山小屋に出稼ぎに行ったり、頑張って一人で3時間運転して行ったりして、都度乗り越えました。
自覚、意思、犠牲を払うこと、は、どんな物事においても、何かを達成したい!ときに重要な3点セットだと思います。
そういう人には助力が現れやすいのは、たぶん、何を助力すればいいか?傍から分かりやすいからではないか?と想像するのですが、どうなのでしょうか。何に躓いているのか?分かりやすいと言うか・・・
■ スタカットを覚えるには、ショートピッチは役に立たない
どんな人も最初はスタカットを理解しないといけません。スタカットとは何か?を分からないと、「分かっていない人」という扱いを受けます。
では、スタカットとは何でしょう?別名は ”各時登攀”です。
・一人が登っている時は、一人が確保する
・確保ゼロの瞬間を作らない
です。
・一人が登っている時は一人が確実に安定したどこかにつながっている
です。
いたってシンプルですが、そのことが分かるのは、なかなか難しいようです。
例えば、セルフビレイを自ら外して、墜落してしまう人がいるのは、つまりこのことが分かっていないからです。
■堂々巡りの選択肢は取らない
友達にスタカットがなかなか覚えられない人がいます。何とかしてあげたいのですが、難しい。
マルチピッチには何度も連れて行ってもらっています。でも、リードしている人を引っ張り落としそうになったりしています。
彼女は私はゲレンデには誘いません。それは堂々巡りの選択肢だからです。
なぜなら、いくらゲレンデでショートピッチのクライミングをしても、スタカットは覚えられないからです。
ただだからと言って、またマルチピッチのクライミングに誘っても、確保してもらって登らせてもらいたい!という期待値、つまりセカンドとして行ってみたい!という期待ばかりでは、自分は形ばかりのビレイをするだけで”自立したセカンド”ですらないので、やはりスタカットへの理解は進まない。
登ってうれしいのは当たり前。
となると、彼女の課題を進展させるには
自分の力で登るにはどうしたらいいのか?
という発想に転換し、そのためには一体どこのルートが適しているのか?という発想に転換しないことには、肝心のことは、何度山に行っても分かるようにならない、ということになります。
つまり必要なのは発想の転換です。
でも、山岳会でも、どうしていいか分からないから、安全面を見ると、ゲレンデのショートピッチへ連れて行ってあげることになり、いつまでたっても、必要な発想の転換は訪れないと言う、堂々巡りになってしまうのかもしれません。
既に自立したいと思っている人も同じです。自立したいと思っている時に、誰かと一緒に行こうとしても自立は得られない。自立したいと思っている時はどんなに易しくてもいいから、単独行をしないといけません。
しかし、それにしても、発想の転換はどうやって起こるのだろう???
■ 一回目の岩は動機付け
登ってうれしいという気持ちは、重要なモチベーションになる。
だから先輩は一回目はVIP待遇で連れて行ってくれます。
先輩の期待は、その人が強烈に登りたい!という強い意欲を持つことで、どちらかというと退屈なアレヤコレヤのルールを覚えるのに、耐えることができる(笑)という期待かもしれません・・・。
ロープワークも覚えないといけないし、スタカットもきっちり理解しないといけない。
真の信頼できるイコールパートナーになってもらうには、何をしたらいいのか?
そして、スタカットの仕組みがしっかり分かるためには何をしないといけないのか?
それはかなり頭を悩ませる問いです。
理解だけが問題なので、机上講習でもいいのかもしれません。
そうでないと先輩は一生フリーソロしながら、セカンドを連れて行かないと行けなくなります。
では、なぜ、彼女は自分が貢献しないことに何の疑問も抱かなくなってしまったのか?
■リンゲルマンの法則
リンゲルマンの法則と言うのをご存知ですか? 別名、社会的手抜き、と言われます。
人は一人だと全責任が自分に来るため、しっかり者になります。というか、ならざるを得ない。
二人なら、自分には半分の責任しかない、と思ってしまう。3人ならもっと自分の貢献は少なくて良い。…って具合に、自分の役割をどんどん薄めて行ってしまう、心理的な傾向をリンゲルマンの法則といいます。
つまり、長年、誰かと登っている人のリスクは、これです。自分の責任は少ない、と怠惰になるのです。ソロ、単独であれば、それはありません。
そして、その登っている相手が常に固定していると…つまり専属のパートナーだと…役割固定のリスクもあります。
例えば、我が家では私作る人、あなた食べる人になっており(^^;)、たまに私が外泊すると、夫は自分で自分の食事を用意することもできません。
余談ですが、私が外泊している間、コンビニ弁当で、そんなことをしているから風邪をひいてしまったみたいです…冷蔵庫にはちゃんと食べるものが一杯詰まっているのに…なのです(--;)
役割固定といえば、人が最初に役割を授かるのは家庭内です。私は姉なので、面倒を見るのは得意ですが、見られるのは違和感があり、甘えるのは苦手で下手です。
逆に妹は甘えていても甘えている状況だと気が付かない傾向があります。一般に、子供もそうですよね。たとえば、親に大学に出してもらって、その上、仕送りが少ない、と文句を言うような勘違いした子供がそういうわけです。
それと同じことが登山について言えます。
・連れて行ってもらった山がつまらないと文句を言う人
・こんなところにしか連れて行けないのか?と言う人
・山行計画立案も天候判断、色々な判断を自分ではしていないのに、連れて行ってもらっているのだとわかっていない人
こうした、その人の考え方というのは、ちょっとしたセリフや行動の端々に表現されます。
例えば、最近、権現に人を連れて行ったら、一言「八ヶ岳に来たのに赤岳に行かないなんて…」。うーん・・・。彼女は、パーティへの貢献はゼロなのに、自分だけが行きたくて他の人は行きたいと思っていないところに連れて行ってもらう権利がある、と感じているようでした(--;)。
私は優しいので、連れて行ってあげますが、もし恋人候補だったら、めんどくさい女性と思われてしまうかもしれません。まぁ頼られるのが好きな男性からは、可愛い女性と思われる可能性もあります(笑)。
あるいは、ハンギングビレイしていたら、「勇気がありますね~」。このセリフなども、スタカットを分かっていないことが、分かってしまうセリフです。
あるいは、到底ハイキングには分類されそうにない山へ、ハイキング気分で行ってしまう人などは、自分の力を過信していることだけでなく、山について無知なことの2つが同時に分かってしまいます。
バットレスも同じで、よく指摘されているのは、登攀グレードだけで判断して登れるからと来てしまい、渋滞を作り出している、という実情です。つまり、ほとんどの人が実力を過信する方向にあるのです。私自身も含めてです。
あるいは、ホワイトアウトしている山の稜線で、そのまま進行しそうになった人。リスクを考えていないのが分かってしまいます。
甲斐駒を大菩薩と言ったりすれば、山の大まかな位置関係さえ把握していない、とか、ガイドブックを全く読んでいない、つまり勉強不足な人だと言うことが分かります。
たぶん山の先輩たちはそういう言動の端々から、新人はどういう人か?ということを判断しています。
みな、早く新人には対等のパートナーに育って欲しいからです。
こういう言動には、単純に、山の知識がないとか、リスク管理について学んでいないということ以上に、普通の判断力の部分で、判断力が停止していることや、山について勉強しなくてもいいと思ってしまっている、ということがうかがえます。
そうした言動が垣間見えるに加えて、強いリーダーがいると、つまりその人は強いリーダーにいつも頼っていると言うことが明らかになってしまいます。登っている山と知識が釣り合っていないからです。
強いリーダーがいれば、縦走でも登攀でも、自分はなんていう山脈のなんという山に登っているのか分からないでも、登れてしまうし、ビレイヤーのアンカーはパーティの最後の砦だと言うことが分からなくても、一向に岩は登れてしまうからです。
要するに、しっかり者と行くと人は、自分はしっかりしていないことに気が付かない。
私だって、あるしっかりしたした先輩と山に行った時「〇〇さんと行くから、まぁ大丈夫だと思っていつもより調べてこなかった」と言ったら、その人も私と行くからと思って、いつもより調べてこなかったのだそうです(笑)お互いに相手を当てにしているんですね。
師匠とも師匠と行くからと思って、ついうっかりのミスが増えたことがありました。「今日は二人とも行けていないね~」と笑いあいました。ロープを忘れたりとかです(笑)
しっかりした人(強いリーダー信頼できるリーダー)と行き続けると、そういうリスクがあります。
私自身もしっかり者なので、しっかり者は依存者を作り出してしまう欠点があり、今その欠点を直すにはどうしたらよいかを勉強中です。
さらにいつも同じ人と登ると言うことには、役割固定のリスクがある。
その役割に付随する責任分担も固定してしまい、自分の役割外の責任を取る能力がなくなって行ってしまうというリスクがあります。
■ 心配
人は言葉の端々から、「あれ?大丈夫かな?」と心配してくれます。それは山がそれだけ危ないところだから。
そして、その人に対して、それだけ責任を感じているからです。
大丈夫かな?という心配に対して、怒りを爆発させる人がいます。それは逆切れというものです。
もし誰かに「あなたには〇〇はまだ早い」と言われたら、それは、「〇〇に行ける自分になるにはどうしたらよいだろうか?」と考えるチャンスです。
私はまだ白峰三山を人を連れて歩けるスキルはありません。
ここ最近、三つ峠に初心者を連れて行こうとしましたが、対等レベルのパートナーと三つ峠に行けても、初心者の段階の人を連れて行くスキルは私にはまだないことが判明しました。
残念ですが、山が厳しいもの、である以上、仕方ありませんね。
教訓: しっかり者は依存者を作り出すことがあると自覚しよう
役割固定してしまったら、役割以外の能力が減じている可能性がある
堂々巡りの選択肢は取るべきでない
≪参考記事≫
自立したセカンドになるには?
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