Monday, December 9, 2019

古い岳人(2007年)の柳澤昭夫さんの『雪山に向かうキミ』

■『雪山に向かうキミ』

今日は古い岳人(2007年)の柳澤昭夫さんの『雪山に向かうキミ』を読んでいて、本当に羨ましく思った。ここに書かれている文章から推測すると、すでに07年で、山岳会に所属する若い人は、ほとんどいなくなり、したがって雪を目指す人もいなくなった様子が見て取れる。
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クラブに所属しない人は、日ごろの山仲間と生身の経験を交換することや、緩やかな形のチームの在り方について、考えてみたい。形骸に縛られないだけいいチームができるかもしれない。
岳連や日岳協、ジャーナルは、技術やノウハウの提供ではなく、生々しい経験を提供することに力を注いでもらいたい。
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私が山をスタートした2010年には、すでに山岳会から若い人が去って、田舎で10年、都会では30年が立とうとしてるような頃だったらしい…そんなこととはつゆ知らず、独評登高会の『八ヶ岳研究』を読んだ私は、これらすべてのルートが私に開かれたルートだと感じて、ワクワクしていた。

それが叶わぬ夢、平均して20年前に敗れた夢…日本の年功序列や大企業の安泰とフラクタルだ。…ということを、私の山岳会は、メタボのセクハラおじさんを送り込むことで教えてくれた。私は黒船と呼ばれていたが、要するに…唐突な人材、だったと思う。何しろ、「次は、白馬主稜になったから山岳会に来ました」と言ってきたのだから。

こうした過去の記事を読むと切なくなる…のは、私のみならず、多くの同じような人が、もはやアルパインを目指さずに、リスクが少ないスポーツクライミングに分類される、マルチピッチを目指すようになったからだ。

未知なる道を行くアルパインや雪の山とは、比較にならないほど安全で、ボルトが打たれた、つまり、未知の要素がない山を目指すようになっているからだ。

山には旬があり、ほとんど体力だけで、技術的要素は味付け程度の初級アルパイン(例えば前穂北尾根)みたいなルートは、登攀初心者時代以外は興味がなくなる…。ゆとりが大きくて、歩きが長いと、楽しくない。リスク・リワードレシオが変わってしまうのだ。

同じことは、海外にも言え、ヨセミテを知る前にラオスを知るのは不幸なことなのかもしれない。

ランナウトを楽しむのが花崗岩。墜落を楽しむのが石灰岩。

…とタイプが違うクライミングではあるが、なにを好き好んで高い飛行機代を出してアメリカくんだりまで、大ランナウトしに行くのだろうか?と感じる。近くに韓国があるではないかというわけだ。

もちろん、優しい登攀でも、ランナウトしていればこそ、それなりにアドレナリン量が上がるという見方もできるわけだが、その代償が脊椎損傷とあっては、リスクリワードレシオが合わない。それにそもそも、クライマーにも初心者時代の、アドレナリン分泌を求める時期、というのもある。それは分泌されないまま、終わってしまったようだ…。

というので、オールドクライマーの人たちが書かれた山書の世界は、私にはただの、手の届かぬ絵にかいた餅だ…。”せいぜい八ヶ岳のバリエーションルートでお茶を濁す”、というセリフが、まさか、こんなに近くの、数年で手が届くものだったとは知らなかった…

こんなことならば、登攀の練習に捧げた真冬のピーカン日は、寒い湯川なんかでアイスクライミングしていないで、誰もいないに違いない稜線を歩いていたら良かった、とか、そんなことを思う始末だ。

私が初級クライマーとして登攀に捧げた年3分の1のアウトドア登攀経験は、結局のところ、年に1、2回の海外クライミング、日ごろのジム通いに収斂せざるを得ないわけで、そんなもののために、それほどの時間を捧げなくてはならなかったのかと思うと、残念だの一言だ。が、時代と環境が許す山は、やはりジムと海外と言うことになろうと思う。多くのクライマーがそこに着地しているところを見ると。

そうなると、本当に行くところも限られてくるわけだ。

過ぎ去った山の黄金期。歩きが主体であったとしても、未知を楽しむ、アルパインらしい山をしていたかったなぁ…。

山は逃げる…というのは、こういう意味なんだろうなぁ…。

逃げた山で未練があるのは、行き損ねたアイスクライミング発祥の地、黄連谷右俣。今のスキルでは、落ちるはずがないので、普通にリードできそうだと思うが、体力主体のルートだから、今では機会がないだろう。若いうちに行きたかった。しかも、男性とだと足が揃わないのは、他のルートで経験済みだから、できれば女性とか若い男子のセカンドを連れて行きたい。

他に大山北壁や錫杖も逃げたルート…。アイスのルートは、この時期になれば、いつも思い出す…広河原沢左俣。

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