■ 原点に立ち返る
私は山岳会の新人、つまるところ、ペーペーなので、ここしばらく、連れられて行く山行が増えていました。
連れて行ってもらえることにとても感謝しています。
が、自分の山に立ち返る必要も、そこかはとなく感じています。
なんだか一人で歩きたい感じと言うか…
それはどういう時に感じるかと言うと… たとえば、先日、レインジャーで北岳に行った時のことです。
この山行は、テント泊で2泊したのですが、2泊するのなら、白峰三山の縦走ができてしまう・・・というのが私の考えです。 なので、私の気持ちは、吊り尾根から眺める、間ノ岳から農取の稜線に向かい・・・ああ…向こう側へ行きたい…。
2泊3日もの日程で、北岳山荘にも行かず、御池小屋から八本歯のコル経由で山頂に上がって、草すべりで降りてくるだけとは…。時は花まっさかり。なので、気分は稜線散歩。なのに、稜線に滞在する時間がほとんどない行動予定なのが、全く理解ができなかったのです。一般的なコースタイムでは北岳山頂まで6時間なので。
テント泊なので、重量を減らすために定着にしたいという意図が、たぶんあったと思うのですが、
私ならテントを背負いながらも、稜線を縦走するほうに時間を使いたいからです。
そこが価値観の差であり、山が違う、という意味です。
価値観とは取捨選択に現れるからです。
私は、
・豪華な食事 <長い稜線歩き
・重いザック < 乏しい食事
・山麓 < 稜線
・小屋 < テント
・人ごみ < マイナールート(リスク)
という価値観を持っています。
ある先輩によると、白峰三山の縦走は
一日で農取小屋まで入れるのだそうです。一泊二日で!
すごい健脚ですね!
私はそこまで可能な脚力があるのか、まだ分からないので、やるとしたら、それは稜線でのビバーク込の冒険行になりそうですが、白峰三山の縦走は、もう少しゆったりした行程で、必ず歩く予定の山です。
■ 岩を受け入れたワケ
私は山で出会って、個人的に親しくしている、ベテラン山ヤさんがいて、師匠と崇めています(笑)
師匠と私は、実は似たもの同士で、
気難し屋なところがそっくりです(汗)。さすがおとめ座。
その師匠からすると、私は自分の山を見失いつつあるように見えるらしい…ちくりちくりと言ってきます(笑)
師匠は、たぶん、沢に行く同行者を得たいのです。ところが、最近、私がどうも岩に傾倒中なので、このまま、岩ヤになってしまうのかもしれない・・・と危惧しているのかもしれません(笑)。
しかし、私の考えでは、たとえ岩ヤにはならないかもしれなくても、
すべての山ヤさんは、岩時代を過ごす必要があるみたいです。
1)岩がない山はないから。基本的な岩登り能力がないと、なんでもないところが核心化してしまう。
2)岩に才能がない人は、人より余計に時間をかけなくてはならない。
どれくらい私が岩登りに適性がないか、を知れば、きっと師匠も、私の焦り具合を理解してくれる
ことと思います。ホントにクライミング力ないんですよ~。
3)山ヤさんはみな岩時代を程度の差こそあれ過ごしている。
4)岩の基本技術が、山(マルチピッチ)の基本技術である。
一般的な登山(=大衆登山)は、山岳会がやるような”本格的な”という、かぎカッコをつけた登山の立場からすると、一般縦走、という分類に入りますが、一般縦走の登山観の人に、”本格的な登山”に入門してもらいたい場合、
クライミングへの導入無しに入門させることは、基本的に不可能です。
基本のスタカットは岳人すべてが皆身につけなくてはいけない。
↓
基本のスタカットができるためには、ビレイができなくてはいけない。
↓
きちんとビレイができるためには、リードができなくてはいけない。
↓
リードができるためには最低限のクライミング力がなくてはいけない。
と、まぁ、このような事情になっています。 そのことを理解したため、苦手のクライミングを受け入れました。
クラミングしたくない、と言われると、もうそれは、”私は一般縦走止まりで結構です”という意味とイコールです。バリエーションルートなど、望むべくもありません。
もちろん、裏道はあります。人の行かぬ藪山、あるいはロープが要らない程度の初級の沢などです。しかし、ロープが使えないとなると、未知の領域には踏み込めず、あくまで”ロープ不要”という情報がある場所にしか行けません。
基本のスタカットを理解している&懸垂下降ができる、ということは、ホントに基本のキの必要最低限のことなので。
そこはクライミング力とは直接関係ないのですが、クライミング力が関係があるような斜面にならないと、スタカット自体が必要ない、というわけなのです…。
私はもともと、岩志向ではありません。
ですが、この、
ことの成り立ちを理解した瞬間、クライミングを受け入れました。
というのは、クライミングが苦手という苦い薬より、混雑のない山に行きたいという飴が、私にとって勝つからです。
正直言って、岩は固くて厳つくて、どうもお近づきになりづらいと言うか…。
雪が雪の女王的に美しくも厳しいものだとすると、岩は”美女と野獣”の”野獣”の側のように、私にとっては感じられ、粗野で、いかめしく、ちょっと男っぽすぎるというか、指先を痛めるし、エレガンスを感じさせることがないというか・・・。髭面のパパのほっぺに、チューしろと言われた、三歳の女児が、チューを拒否する…そんな感じです。分かります? 清潔感に欠け、イガイガしていて、痛そう…。
そんな抵抗感を岩に感じていた私ですが、最近やっと、整備された岩場の岩って、安心して頼ってよい存在と分かってきました。やっとパパの腕の中は安心なんだって分かってきた感じ(笑)?
ホントに、岩のことは信頼していなかったんです。
私の中にある岩のイメージは、すぐ動き、もろく、安心できない存在だったからです。登山道でもザレた場所とか、異様に慎重に歩いている私がいます。よく賽の河原、などと書いてあるような岩場などです。
■ 自分で自分の幸福のバケツを満たす
若き山ヤの先輩が、「今は自分の山はできないから、教えることに専念する」と言って、ちょっと悲しく思っています。
私は、趣味の山ヤなので、「自分の山」以外、考えられないです。
もちろん、「北岳バットレス」は、「今現在の私の山」ではなく、「相方の山」に、私は便乗している側です。
でも「北岳バットレス」が、「自分の山」の1ページにない山ヤさんなんて、この世に居ません…(たぶん)
いつかは誰だって登りたい山なんです。
なので、私には、アルパイン1年生で、かくも、早く、この高い頂が、見え隠れしている、ということに、正直、驚き、そして恐れおののきこそすれど、行きたくないなどとは決して言えません。
単純に、実力が足りない自覚があるために、ビビりこそすれど、「バットレス」を拒否する理由はどこにも見つかりません。
それは、
努力する意思がないとか、
チャレンジする勇気がない、という話はあるでしょうが…。
求めよ、さらば道は与えられん、です。
同じことが、この先輩にとっては存在しないのだ…ということが、少し悲しいです。「求めても与えられない」という諦観が悲しい・・・。
決して、行きたい山をあきらめないで、今できることを少しでも続けてほしいなと思います。
先輩は、私より若い人ですが山歴16年のベテランです。 クライミング力もすごい…のにも、かかわらず、「自分の山」が遠くへ行ってしまったんだなぁ…。
なんだか、あまり登山という趣味の道中を急いで歩いてはいけないのではないか…と思わず、自分の登山という趣味の辿り着く先を想像せざるを得ません。
きっと先輩はとっくに「自分の山」をのぼり詰め、今登るべき「自分の山」は、もはや国内には存在しないのかもしれません。
それは60代となり、山人生の終わりに近づいてきている師匠の苦言からも、時々漏れ聞こえます。師匠には行きたい山(沢)がもうないのかもしれないなぁと時々想像するからです。要するに、すっかり歩き尽くしてしまったのかなぁ…。私には無尽蔵に思える”山”ですが・・・。
■ しかるにじゃあ、私の山って?
結局、私は、じゃあどんな山に登りたいの~という話になりますが、私が憧れていたのは、もしかして、
アルパインスタイルのクライミングではなく、荒野を歩くバックパッキングかもしれません。
というのは、私の山歩きの憧れのスタートは、カリフォルニアその他の地で見かけた、バックパッカーだからです。
自由の象徴。
私は長期の出張でニュージーランドのウェリントンに滞在したことがあるのですが、その時、毎朝、ホテル横の波止場を散策していました。ホテルに缶詰めで仕事では運動不足になるからです。
その波止場には、長い長いクライミングウォールがありました。一か月間、ほとんど毎日通るので、そこのお兄さんと、顔見知りになり、一度、「登ってみる?」と声を掛けてもらいました。
が、当時の私には、そのクライミングウォールは、死に至る道にしか見えず、とんでもない!と、ビビッて断った思い出があります。
今思えば、それは長いリード壁でした。傾斜は垂直か寝ていたような気がします・・・。
私には単純にビビったという思い出でしかありません。
でも、チャレンジすればよかったなぁ。
その時の後悔がクライミングのベースにあります。32歳の頃です。でもまぁ出張先ですから、何かあったらことなので、大人の対応が正しいと思いますが。
同じ出張で、二週間に一度の休暇が、やっとこさで、めぐってきたとき、私は一人北島から南島に渡り、ミルフォードサウンドに出かけたのですが(波止場からフェリーですぐだったから)、その時見た、
バックパッカーたちが、とてもうらやましかったのです。
”羨ましい”という気持ちは、「あなたもやりなさい」という神の声です(笑)。
結論すると、私は、どうも今いる場所から、どこか遠くに行きたい・・・という気持ちが強いみたいです。
特に海外に出る旅には、子供時代から、心が強く魅かかれます。
子供の頃は、バイクで阿蘇の周辺を旅する大学生のお兄さんたちに憧れ、中学の頃は、太平洋を航行する航海士に憧れ、本気で航海士になろうと思ったくらいです。
ムーミンで一番好きなキャラはスナフキンです(笑)し、私の大好きな子供の時代の読み物は『大草原の小さな家』で、一家で西へ西へと旅するアメリカ開拓民の話ですが、その中で、ローラは日焼けをするからボンネットを被れといくら母さんにしつこく言われても、視界が狭くなり、風を感じられないのがイヤで、すぐボンネットを後ろに垂らしてしまいます。すごく共感。私も風を感じるのが大好きだからです。
アメリカへ渡った時の憧れは、ルート66です。車で東部まで横断する企画をしたほどです。
私は、基本的に荒野が好きみたいなんですよね。
というわけで、
テントを背負いたいという、そもそもの動機が、前進手段、というものなので…定着山行というものは、私にとって、それまでの一プロセスに過ぎない、というわけです。
ですから、去年、後立は、小屋泊が無料なのにもかかわらず、
あえてテント泊縦走をしたわけなのです。たったの4泊5日でしたが、大変、充足感がある旅でした。
私はそういうわけでアルパインスタイルの山については限界への挑戦を求めている訳ではなく、山岳地帯での基本的なサバイバルスキルを求めているだけのようなのです。岩についてもそのようです。日本の山岳地帯を考えた場合、基本的な岩登りスキルは必須のようなので。私は危険を排除するためにそうしたスキルを欲しがっているのです。危険に近づくためではなく。
沢については、もうこれは
日本の山の心は沢にしかない!と思っています。日本にあって、外国にないもの…それは、こじんまりとして、美しく、楽しく遊べる、清流以外にないと思います。
これは、もしかしたら、海外に容易に行くことができない、負け惜しみかもしれません(笑)。