Wednesday, July 30, 2014

根性ではなく、楽しさを推進力にする

今日は昨日から引き続き涼しく過ごしやすい夏の一日です。毎日こうならいいのにな~。

天気予報では34度が最高気温で、この朝のさわやかさや過ごしやすさはあまり予報には表れていません。湿度が決め手のような気がしますが…

■ 大人が趣味を去る時

私は長年バレエを続けてきたのですが、甲府に来てぱったりと辞めました。

19歳で始め、途中渡航先のアメリカでレッスンを取ったりもし、就職してからは、仕事が忙しくなり、断絶したりしつつ、安定した職にある時は、レッスンを週4~5とか、休日には3レッスンも取っていたほどで、それは職業ダンサー並みです(笑)

と言うのは、無理していたわけではなく、やらないと気持ちが悪いからです。

まぁダンサーは毎日レッスンしないといけないわけですが、毎日ストレッチを欠かさず、通勤ではレッスンミュージックを聴き、一番と5番で立っていましたし、つり革ではルルベです(笑)。見るビデオはバレエの映画か、バレエの公演ビデオか、コンクール…休日は友人のバレエの発表会、もしくは自分の発表会の練習。ポアントは今でも捨てれず、6足はあります(汗)レオタードは3枚しかないのに(笑)

いや幸せな時代でした。

趣味が継続できなくなったのは、ひとつには環境が恵まれない、ということがありますが、ひとつには、モチベーションが維持できなくなった、というのもあります。

モチベーションがなぜ維持できなくなったのか?

それは、これ以上成長するためには、怪我を受け入れるようなプレッシャーがあったからです。

私は今ヨガを教えていますが、教えている時には、決して痛みを受け入れないように強調しています。

■ 運動強度と故障

言うまでもなく、運動は体に良いものです。
また、言うまでもなく、成長することは心に活力をもたらします。

なので、運動によって成長することは、心身両面に良い。

しかし、成長を続けていると、あるポイントから、あんまり成長はしなくなります。成長のスピードが緩やかになります。まぁ当然ですよね。

バレエもそうですね、一年目は良く分からないと思います。たぶん、面白いのは3~4年目から10年目くらいまでです。色々と学ぶことがいっぱいあり、体も動作に慣れ、様にもなってきて、愉しい。

10年を超えると、もう目新しい知識はそうなくなり、通な会話しか楽しめなくなり、そうすると話があう人も少なくなり、レッスンでもスキルアップが頭打ちになり、それで、もっと頑張ろうとすると怪我が増えます…(汗)ので、プロのダンサーの批評家になったり、若手発掘に血道をあげたりと、自分を棚に上げて、バレエ界全体を見るようになります。 いわゆるプラトーですね。

私の場合、非成長期は、ちょうど都合よく仕事が忙しくなったりして、休みになり、休めば下手になり、また巻き返しに忙しくなって、なんだかちょうど良かったので、なんだかんだと20年続いてしまいました。

しかし、なまじ環境が恵まれたりしてしまうと、一歩退く期間がなく、どんどん追い詰められて行ってしまいます。

というわけで、この路線に入ると、どうなるか?というと、怪我へまっしぐらです。”もっともっと”という情熱が怪我を招いてしまうのです。

どんな運動にせよ、ある程度、粗形態をマスターしたら、今度は、ファインチューニングというか精度を上げる番になりますが、精度を上げるのって、見る目がある人が見ないと分からないし、自分で自分を評価するということは大変難しいので、なかなか成長しないように感じ、不満が溜まる、と思います。

そういう時に、良い師というか、励ましがある人に出会わないとダメになります。

逆に、その時に出会う先生が、自己に厳しい人や、若いときから才能がある追い込み型の人だと、戦術的に追い込むことしか方法論を知らず、追い込まないこと=怠惰、とみなされ、生徒側は立つ瀬がなくなります。

なぜなら、頑張りや追い込みによる怪我は、絶対に後退であって進歩ではないからです。

ヨガも同じで、ヨガやバレエに怪我はつきもの、それくらいでガタガタ言うな、という発言をするような人もおり、それには、要注意です。

実際プロで怪我ない人はほとんどいないのです・・・が、それは一種怪我を乗り越えるプロセスが挫折を乗り越える美談として語られがちであるからであって(一種のリップサービスともいえます)、本当のプロは怪我を一切経験していない人がプロ中のプロである、と言えるのかもしれません。よほど繊細に観察眼をむけていないと怪我って避けられないからです。実際、プロであっても怪我は後退であるということは否めません。

挫折を乗り越えることが重要だから、挫折=怪我のリスクを受け入れろ、という指導は、正直に言って、指導の放棄と一緒です。

普通なら自分がやってきた怪我を教える相手にはさせないようにできるのが良い指導者と思います。(ので、私はヨガを教えるときには骨格的な限界を強調するようにしています。ヨガをしている人は必ず柔軟性にあこがれがあるものだからです。)

まぁそうこういう理由で、私は怪我を受け入れるタイプの先生にしか今のところ恵まれていなかったので、バレエはすっぱり辞めました。

趣味の成功は、日常生活の質の向上で計れると思うからです。

怪我をしたら日常生活に支障がでてしまいます。

ちなみに、ヨガでは、体の存在を感じなくなること=ヨガの成功、と言っています。体の存在を感じるとは、不調を感じるということです。

■ 根性ではない登山を

で、まぁ色々な検討の結果(笑)、山梨では、登山をしよう♪と相成ったわけですが、登山も似ているところがあります。

登山って、本質的には、様々な体力の人、様々なスキルの人にあった山行を柔軟に企画出来るところが登山の良さ、と思うのですが、大抵、無理=美徳、根性=美徳 です。

うーん? ホントにいいのだろうか?

たとえば、私は四尾根はチャレンジですが、そのチャレンジのために軽量化や小屋泊、偵察山行などで、チャレンジを成功させるための戦術をアレコレ練ります。その戦術を練る、というところが、そもそも、登山の愉しみって感じがします。

クライミングも一緒で、私は今あまりクライミングが上手ではないので、上手に登れるようになるには、どうしようか?という戦術を練る、というのが、一つの愉しみで、それを自分のカラダで実験する、というような感覚です。

上手くならなくても、この方法論だとうまくならないという一つの実験結果(笑)が得られた、というわけですね。それで先輩の体験談ってのは役立つし、興味がありますが、人のカラダはそれぞれなので、同じことを適用するのではなく、体に合わせて応用するのが大事と思います。

ただ、クライミングにはバレエ以上に、無理の美学がしっかり根付いており、指が曲がるほどにクライミングしないと上達しないみたいな神話?伝説?がありそうです。

うーん?

なんかこの2点については、雲行き的に怪しいなという気配を察知しています(笑)

人は誰もが幸福を追求して生きています。挫折から教えられることはいっぱいありますが、その教えを得るためにわざわざ挫折しなくても(挫折へ至る道を選ばなくても)、人生はすでに問題だの、困難だので、一杯ですから、その必要はないかもしれませんよね(笑)。

やはり、趣味は目的追求の場所というより、心の充足を得る場所でこそありたいものです。

レッツエンジョイクライミ~ング!忘れないようにしたいものです・・・って、これ、初心に戻るってことですかね?







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