■ 美学のある山
私の師匠は美学のある人です。
登山においては、切り口の斬新さで勝負!
登山の愉しみをよく知る、通な人です。師匠を喜ばせるのは、そういう意味でちょっと難しいです。
一言でいえば、通好み…。
人の行かぬ道に花アリ・・・路線なので、師匠と行けなかった山を、他の山ヤさんに提案すると、却下されたりします。
切り口の斬新さが求められる、という意味では、物書きの世界がまさに切り口の斬新さで勝負する世界そのものです。発想力が勝負。
師匠は66歳なので、すでに一通り名前が通ったルートは歩きつくし、未知の登山領域と言うのはもうないに違いありません。
そういう人が落ち着く先はやはり、人の知らないマイナーな道や、人気がないルートを歩くことや、人気ルートは人気がない時間帯を選んであるく、などです。
師匠が毛嫌いするのは、ルートコレクター的山登りです。
■ 山が主役
しかし、登山も初期は、
ただたくさん山に行く
というのが必要です。初期の下積みです。登山の常識を身に着け、体力をつける必要があるから。
この時、気をつけなくてはならないのは、体力も何も、趣味で登山をしている人が、体力のために山に行っていたら本末転倒だということです。 いわゆる山岳部の人たちとは違います。同じ登り方をしてはいけない。ゆっくり行くべきです。ピオレドール賞は目指していないからです。敬意は払いつつ、価値観は別にしておきましょう。
趣味の山は、楽しみながら行く山。
愉しんだ結果、体力もつけば、もうけもん。そう思って行くのが重要。
なぜなら、体力をつけたいと思って山に行けば、山は単なる手段に陥ります。体力をつけるにはランニングでも、水泳でもいいわけなので。
考えてもみましょう・・・その、ついた体力は何のためでしょう?改めて考えてみると、ハッと気が付くと思いますが、これは現代生活のパラドックスです。手段と目的の取り違えに陥らないように要注意です。
結局、山を見ずに体力さえつけば良い、という登り方になってしまうと、山は単なる手段に陥り、山なんてどこでもいい、となります。それでは山好きではまったくありません。
■ それぞれの山
実はそれぞれの体力にあった山があるの登山の良さです。
山はそれぞれの個人に等しく、語りかけてきます。その語りかけを見落とさないのが大事です。
私にとっては、初めて行った西穂独評で、11月の雪に会ったのは、雪稜へのいざないでしたし、師匠に三つ峠で出会ったことは、沢へのいざないと思います。ずっと沢に行きたいと思っていたので。
怪我をすれば、それはその山が少し実力より、大きかったという意味です。少し体力的な難易度を下げましょう。
体力は体調でも違うし、ザックの重さでも、違うし、生ものです。 怪我を防ぐには何より、体力に一番マッチした山をするのが良いと思います。
■ きれいな景色
私は単純にきれいな景色を見たいのです。
雪の山は、恐れおののくほどの美しさです。
最近、小川山などのクライミングエリアは、自然が作り出した遊園地だと思うようになりました。富士急ハイランドには行ったことがありませんが、きっと富士急ハイランドより面白いに違いない。
一度一週間くらい廻り目平にテントを張って、クライミング三昧したいな~と思ったりします。岩にずっと触れていれば、何かが掴めるような気がします・・・コツとか岩の弱点とかかもしれません。
■ 色々な山行
山には
・チャレンジ山行
・ご褒美山行
・偵察山行
・体験山行
・お付き合い山行
・ぼろ儲け山行
・友情出演山行
・接待山行
・お散歩山行
・探検山行
・スレスレ山行
・ヨレヨレ山行
など色々な山行があります(笑) 一番やって行けないのは、
・おんぶにだっこ山行
&
・俺様山行
です(笑) おんぶにだっこ山行の代表はガイド山行ですが、これは対価を支払ってなので、まだ許されます。
相互扶助の場である、山岳会で、「おんぶにだっこ」山行をされたがる人は、厚顔な人ですが、その人たちが存在できるのは「俺様山行」をしたい人がいるからです。
依存したい人もいれば、依存されたがっている人もいる、ということなんですよね。
No comments:
Post a Comment