山には、いろいろなリスクがあります。そのリスクに対して、パーティのメンバーのメンバーシップの発露が、
頑張ってついていく
以外ゼロなのが、中高年登山の特徴かもしれません。このような組織では、
結果的に、リーダーが1人で、一方的にすべての責任を背負う
ことになってしまいます。これが分かっている人はリーダーだけという状態です。これではだめです。分かっている人=パーティ全員でなくては、なりません。
■ 実力以上の山に誘われたら
〇〇山に行く、という山行計画が出されたとき、
その山に行けるかどうか?
自分で自分の実力相応かどうか?を判断する義務がメンバーには、そもそもあります。
日曜日の遠足の延長で、山をとらえていると、日本には、歩けない山はないため、誰だって行ける、を前提にしてしまいますが、実はそうではありません。
飛躍がある山が提案されたら、その飛躍について指摘するのはメンバーの義務です。
かつての日本の会社はキャリアプランまで、会社が考えてくれたそうで、社員はただ頑張っていればキャリアが形成され、財産が形成され、定年し、死ぬまでの滞りないプランが会社により提供されていたそうです。山との共通点は、考える必要がなかった、ということです。
しかるに、中高年登山では、
かつての日本の会社はキャリアプランまで、会社が考えてくれたそうで、社員はただ頑張っていればキャリアが形成され、財産が形成され、定年し、死ぬまでの滞りないプランが会社により提供されていたそうです。山との共通点は、考える必要がなかった、ということです。
しかるに、中高年登山では、
・そもそも、メンバーに参加する脚力がないのに参加した
・そもそも、各自がレインウェアを持っていたのに着なかった
・そもそも、出発しなければよかった
・そもそも、ロープを持っているのに出さなかった
・そもそ、渡渉すべきでなかった
などと、通常、山をやっている人であれば、リスク回避できて当然のことで、リスク回避ができない、という現象がおきます。
そして、結局は、リーダーシップ、のせいにされますが、ここで忘れ去られているのは、メンバーシップ、つまり、
山は自己責任
という視点です。自己責任が要らないような山をしているのが、中高年登山という登山スタイルです。
つまり、人間は、自分の能力ギリギリに行くとなると、だれだって、
必死&正直
にならざるを得ないわけですが…、自分の限界グレードに挑むのに、いい加減なビレイで登れますか???
大なり小なり同じことで、山に対して自分のスキルが低すぎることに自覚がないと、無邪気について行って、「こんなはずではなかった」となってしまいます。
建て前、ええかっこしい、見栄、我慢
など、率直さ以外の要素が、人間関係に交わるようであれば、その山は、ゆとりがあるのです。
建て前、ええかっこしい、見栄、我慢
など、率直さ以外の要素が、人間関係に交わるようであれば、その山は、ゆとりがあるのです。
本当にしんどいときは、しんどいと声に出さないと、自分が死ぬだけでなく、仲間を死の危険に陥れてしまいます。
ですので、ちゃんとした山をやっている人は、みんな
見栄っ張りや建て前
は、克服しています。私の師匠は、なんど私に向かって
怖い
と言ったことでしょう…(笑)
見栄っ張りや建て前
は、克服しています。私の師匠は、なんど私に向かって
怖い
と言ったことでしょう…(笑)
見栄を張らずに、正直に気持ちを伝えあえるパーティが安全なパーティ=良いパーティです。
山はこのように、その人の人間力を暴露します。
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