Monday, November 10, 2014

無謀と従順

■ 無謀

最近、ヤマケイ文庫から一斉に書籍が出たので、本屋で山野井さんの新刊書を立ち読みした。

山野井さんを尊敬していない山ヤはいないのではないか?

たとえば、谷口ケイさんについては賛否両論だったりもする。

私は登山を始めて間がないので、その辺の詳細や機微は全く知らない。ただ恋人でない男性と同じシュラフに入るのはつらいなーと思うだけだ。テントが同じなのはいいけど、シュラフはなぁ…。

話が逸れたが、でも、山野井さんを悪く言うベテラン登山者には会ったことがない。

で、本には、山野井さんの若いころの話が載っていて、色々無謀な話が載っていた。

一人で岩登り行っちゃったりとか。

しかし、無謀って…たぶん、いっぱしの登山家(登山者ではなく)になるための、通過儀礼みたいなものなんだろうな。

若い日の登山家の話に、無謀が存在しない人はいないのではないか?

■ 一人でも行きたい

実は、私も十二ヶ岳の岩場、一人で行きたくなる時がある。

今日は、お天気が良く、南面の岩場は暖かいことが予想され、あそこ、トップロープ用のロープが残置してあって、プルージック登攀で登れば、ほとんど墜落の可能性はない。やってみたら、プルージック、ばち効きだったし。

それに一番易しいラインからなら、アプローチシューズで登れた・・・。

で、トップロープを張って、被ったところの練習だけしたいな~とか思うので、それなら、懸垂下降のようにロープにぶら下がりっぱなしでいいわけなので…とついつい、具体的に考えてしまう…。

でも、ま、行かないけど…。

行ったら先輩が悲しむだろうなぁ…。まぁ、無謀登山者のレッテルを張る口実を与えてしまう。会を首になっても、文句は言えない。

というわけで、行かないけど、行っちゃう人の気持ちはわかる。だって支点もしっかりしているしな。

これは沢も同じで、伝丈沢は歩ける沢だったので、実は一人で行っちゃえ!と考えた。GPSの記録を取っていなかったので、取りたかったのだ。それに易しかったので。

でも、ズミ沢は登山道が並走していたので、一人で行ってもいいと思うけど、伝丈沢はそうではない。熊とか猪とかに襲われて困った羽目になっても、誰も通りがからない。

誰も通りがからなくても、山行管理してもらっていれば、2、3日も帰宅が遅れれば、探しに来てくれるけど、そんな小迷惑なことをしてはいけない。

ま、先輩たちは山ヤだから、分かってくれると思うけど。山は自己責任だよ~と言って終わりなのだから。

自分がオロクになってしまうかもしれないことだから、自分が決めることだ。

歩ける沢でも、高巻きはあったし、足を滑らせないという保証自体はどこにもない。そうなっても自分のせいだし、それでも帰る力があるかないかは冷静に考えても、運次第だ。

というわけで、これも、ま、まともな登山者の私は一人では行かない。それは単純に意思決定だ。

人間が意思だけで出来ているのであれば、単純だが、欲求、つまり感情もある。

登山を本当に動かしているのは、感情だ。

行きたいところへ行かない、となるとストレスが溜まるのも事実だし、十二ヶ岳がそれほど危険でなく、伝丈沢も技術的な不安要素はない、ということもまた事実で、若くて、力のある男性が一人で、リスクを取って、あちこち冒険に出てしまうのは、分かる気がする。

それにそれで痛い目に遭っても、それはその人の肥やしになるだけで、別に死ななければ何でもいいノダ。

この辺の”タガ”が外れた人がたぶん登山家なのだろう。その登山家たちのうち、運よく致命的な事故を免れ、生き残れば、有名な登山家になってしまうのかもしれない…などと、最近は想像するようになった。

ところで、これは登山家の話。私は、登山”家”の候補生ではなくて、”まっとうな登山者”になるつもりなので、この辺は、自分をなだめないといけないことになる。

となると、今度は自分が行きたい時に、行きたい山に、いつでも”うん!行く!”と言ってくれる都合の良いパートナーが欲しくなるわけで(笑)、ま、人生はままならぬものだ。これも一つの修業か。

■ 従順 

そうなると、

自分が行きたいところに、いつでも一緒に行ってくれる人=都合の良いパートナー=従順な人

ということになる。そういうわけで、従順な人は意外にモテるのではないか?と思う。

車がないから自分では行けないとか、そういう条件が限られた人も同じ。そういう人は、連れて行ってくれる人の要望を全部聞くと言う作戦はありではないだろうか?

イチイチ面倒なことを言わないで、ビレイだけ確実にしてくれればいい…というのは、ある程度、本音かもしれない。

そうなると、従順=女性の方程式から、女性が好まれがちになるのかもしれない。(かどうかは分からない)

が、女性を連れて歩きたがる男性登山者の仮説としては成り立つ。(従順なら男性でもいいのだろうが)

連れて行かれる側としては、自分の力ではいけないところに行くこと、や、計画の手間が省けるというメリットがある。相互依存が成り立つのだ。

実力以上の山に行けると言うのは、魔の魅力だ。この魅力に抗するのは、並大抵の克己心では無理だろうと思う。

そうなると、連れて行かれる側の最善の作戦としては、最初は自分の実力以上のパートナーの要望を全部受け入れて、その間に技術を盗み、その後、連れて行ってもらっているという批判をかわすために、同レベルの相手と山に行く。

それがたぶん一番合理的になる。

それだから谷口さんは評判がイマイチなのかなぁ…良く分かりませんが。

しかし、連れて行かれる人は、「連れて行ってもらっている」という批判は致し方ないと受け入れるしかない。ホントだから仕方ない。 連れて行かれる山は、実力以上の山だと知らない山ヤはいない。

とはいえ、実力以上の山に触れる機会は、本当にありがたいものだ。光栄と心すべし。ゆめゆめ、不満になど思ってはいけない。

■ エイリアス

夫と残雪期の仙丈ヶ岳に行った時、夫とはこれ以上の山には行ってはいけないのだと分かった。

ので、夫とは、チャレンジ山行ではなくて、ご褒美山行を愉しめばよいのだが、チャレンジ山行のほうが感動が大きいので、ホントは夫もいたらいいのになーと思う。

涸沢で月を眺めたときはそう思った。

が、彼は彼で、今仕事が面白いので、仕方ない。他に面白いと思うことがあるんだもの、そっちに力を入れるべしだ。

たぶん、ほとんどの山の先輩が自分の真の配偶者について、そう思っているんだろうな。

というわけで、私も大概の山の先輩が辿り着く踊り場に来たみたいだ。

一緒に行きたい人は行ってくれない。でも行きたいところはあるから、多少の不満は目をつぶって代替えとなる同行者、すなわちエイリアスを探す。

大抵の同行者は同じ穴のムジナなのだ(笑)。



 


 

5 comments:

  1. ご尤もです。

    ワタシは割と「ココ行きたい」ゆうのがアルほうなんですが、
    「コノ人と行ってみたい」っちゅうのもあります。

    ココで問題があって、「ココ行きたい」オーラが出てる人は
    「コノ人と行ってみたい」がために、「コノ人と行く時はドコでも行くよ。」と
    条件付き従順オーラを出そうとしても
    「我が強いオーラ」を消せないようです。
    で、ワタシが「コノ人と行ってみたい」と思う人は
    大体「我が強い」に属する人であり、
    そうゆう人は「我が強い」人を本能的に避けるためか
    なかなか思いを遂げることが出来ません。

    でも、まぁ、そんなことは どうでもよくなって
    一人で沢に行っちゃう時もありました。
    最近は 一人だと家族が心配するということもあり、同行者を探すようにはしてるんですが
    一人には一人の魅力がありますよねぇ♪じゅるっ。

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  2. なるほど、そういうわけで、傍から見て、AさんとBさんは、行きたいところは同じようなのに、なぜか一緒に行かない、ということが起るわけですね~。

    私から見ると、「ん?男同士は行かないみたいな契約?」って 感じに見えることが・・・。あれは「我が強いオーラ」のせいなのか。

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  3. もしくは もっと具体的に「核心は俺がリードしたい、アイツと行ったらかちあう」とかあるのかも。

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    1. おー、そうなのですか! いいですねぇ!!ヤル気に満ちていて(笑) じゃんけんで買った方がリード!って決まりにするとか(笑)? 

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    2. じゃんけん負けのリスクを どう捉えるかみたいな話になってきますね。(ならんか)

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