昨日はヨガを教える仕事の日でした。 私は仕事では、生徒さんのカラダの特徴を発見して、ニュートラルなバランスになるために何が必要か?を見てから、必要なアーサナを決めて行きます。
背中が曲がった人には後屈。腰が曲がった人には前屈。肩こりの人には、腕を使ったポーズ。それを易しいポーズから、難しいポーズに徐々に上げていきます。
そうすると最終的には大抵の人が上手にできるようになります。逆に上手にデキるポーズを伸ばすこともあります。ただ上手にできるのは、やっていて楽しく楽なので、そちらだけやりがちなので、注意が必要です。
そんな具合に、登山も発想しているんだなぁ・・・と、最近、また新たに自分を発見しています。
山に行くとなると行きたいところへ行くわけで、自分で好きな所に行ってもいいわけです。
が、近所の低山など、いろいろと調べていて、知識はつくわけですが、行くか?というと、行く理由が薄すぎて行きたいと思えない。ご近所の低山。
例えば、大蔵経寺山とか八人山とかですね。それは、この辺は大体、森林の雰囲気が同じなので、MY裏山の愛宕山と同じだろうと想像がついたり、里山であることから、冒険的要素がないな、ということもあります。退屈と感じてしまう。
それ以上にそこへ行く必然性・・・縦の流れがない…と感じています。
何か、そこへ行くには理由が必要だ、と思っているわけですね。
しかし、本当に山好きな人は、理由がなくても行きたい人なのかもしれません。
■ 山に行く主訴?
例えば、
晴れたら、展望の良い山に行きたい
となるでしょう。秋の紅葉の時期だったら、
人工林ではなく、自然林の多い森に行きたい
でしょう。
曇りの日にわざわざ山に行ってもいいけど、それは、
親睦が目的
でしょう。行くなら行っただけの甲斐を求めてしまいます。
それは、山に倦んできたのかなぁ…(不安・・・)。
私は、季節ごとにその季節を味わう山が良いと思います。
11月は里山の秋
12月はアイス
1月は冬山合宿
2月は冬期登攀
3月は雪稜
GWは北アの雪稜
4月はスプリングエフェメラル
5月は新緑
6月は花
7月は南ア
8月は北ア
9月は北アの紅葉
10月は紅葉
自然はその時期にしか味わえない美しさがあり、その自然の都合に合わせて、人間の方が予定や行先を柔軟に考えるのが良いと思っています。
■ 縦のライン
私は、目標をブレークダウンするのが好きなのです。例えば、目標が阿弥陀南陵とします。
そうしたら、阿弥陀南陵に行く前に 阿弥陀中央稜は良い選択肢です。さらに、ハイキングを目的にして、立場山にでも行っておくと、本番の阿弥陀南陵に行くときにアプローチでの時間ロスを減らせます。
1)立場山
2)阿弥陀中央稜
3)広河原沢
4)阿弥陀南陵
そういう風にステップアッププログラム化すると、行先に必然性が出てきます。
まずは、春の花の季節に中央稜へ。立場山へは年配の方や初心者の方とハイキングへ。
雪が付いた中央稜は、1ピッチだけど確保が必要なので、初心者の支点&確保の練習となるので、マルチピッチを覚えたての人を連れて。
3Pしか登攀はないけど、阿弥陀南陵は、一泊の長いルート。なので、体力があり、テント泊ができ、マルチピッチができる、対等のスキルのパートナーと2~3人で行かなくてはならない。
4人になるとロープが増え、重さの負担が増える。けれど、2人だと私が女性なので1対1は困る。
となると、男性2と女性1の3人がベストかな。などなど・・・
そのためには、ロープワークには習熟していたいので、アイスのルートで広河原沢へ行かなくては!
広河原沢は、日帰りできるので、テント泊するほどの労もなく、しかし、ずっと確保は必要なので、
スタカットの良い練習になります。
と、まぁこういう風に思考が流れるので、行きたい人の顔も具体的に浮かびます。
■ 例えば地図読みなら
例えば、地図読みを練習したいとなると、自分でこういう風に組み立てます。
1)机上学習。一般ルートでベアリング表を一回作り、それを基にシミュレーションしながら登山する
2)最初は登りで、尾根を一つだけ地図読みするルートにトライする
3)次は下りで、尾根を一つだけ地図読みするルートにトライする
4)コンパスを使い慣れるだけの目的で、オリエンテーリングに行く
5)いくつも地図を読まなければルートが発見できないルートにトライする
と、まぁこんな具合。
つまり、私は手が届かない大きな目標を小さくブレークダウンして、確実にステップを上がる
のが得意なタイプなのです。たぶん、今までこうして生きてきたんだと思います。
小さなステップを上がっている間も、大きな工程の中の今が3番目だな~とか、自分の位置を分かっているので、それが楽しい。小さくても上がっていることが分かるから楽しい。
そのやり方が、私が安心できる方法論なんですね。
しかし、英単語をただ覚えるのが苦手だったように、脈絡や関係性の無いことをただ粛々と数をこなす、というのはとっても苦手みたいです。
この辺の山全部行き尽くしたい、とか思っていないですし、百名山全部行きたい!とかって、まったく思えません。
■ 強い達成志向
つまり、すごく強い達成志向を持っている、ってことですよね?こうやって人は自分を発見して行くのだなぁ・・・
しかし、達成すること以外にも、山には山をただ味わう、という部分があるハズ・・・
味わうということを考えると、山に対して、異なる組み立てをするはずです。
垂直的ではなく、水平ライン的な横の広がりを求めるとか?
しかし、その途端に私は、あんまり一人で行く山に魅力を感じなくなるのです。それは、味わう山ということになると、第一には夫と一緒に出掛けたいから、からもしれません。
藪山はともかく、一人でも歩ける一般道に誰か男性と行く必要はないですし・・・。(もちろん、会の山行には、合宿で行く本番の山で互いに初見ということがないように行くわけですが)。
・・・というわけで、やはり、味わう山は単独、となれば、単独は女性の場合、一般道でキマリ、なので、まぁ、誰とも行かなくてもいい、ということになりそうです・・・(^^;)
この結論は、多くの山好きが陥っている結論と同じではないか?と思うのですが、どうなのでしょう?
去年の広河原沢 |
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