Sunday, November 30, 2014

山はサットバ

■東京

今日はバクティヨガの会に出席していました。東京の船堀。バヌスワミとお会いするのは、2回目でした。先週はサッチャ先生だったのですが、お会いしたかったけれど、連続は経済的に厳しく、片方を見送りました。

久しぶりの東京は、人ごみにとても疲れました。甲府に暮らして4年…甲府と新宿は直結しているけれど、いまだに新宿を梅田並みの習熟度で歩くことはまだできません・・・。その上、昨今はそうできるようになりたいという気持ちを失ってしまっています。

■ ヨガは精神修業

日本でヨガといえば、身体を使うヨガである、ハタヨガしか知られていませんが、実はヨガには身体を使わないものもあります。詳細は過去の記事でこちら

で、私はヨガを教えているのですが、身体的な面でヨガ的であるだけでなく、精神面もヨガ的でありたいと思っています。

そこでバクティヨガを勉強中なのです。

■ トリグナ

トリグナというのは、ヨガの用語で、3つのグナ(様式)という意味です。

ヨガの世界では、世界の状態は、3つの状態が常に変遷している、と考えます。

その3つとは

  • タマス(怠性、怠惰、無知) 沈停滞している状態
  • ラジャス(動性、激動、激情) 激動している状態
  • サットヴァ(純粋性、神聖な質、清) スムーズな状態

です。

登山と関係があると思う訳は、私は

山がサットバだから行きたい

んです…。山は、寺院と同じです。ただ人が作った寺院は、日本では、サトヴィックではなく、どちらかというと、廃墟化していて、タマシックだったり、人が多い混雑でラジャスティックなことが多いです。

久しぶりに行く都会はやっぱりラジャスティックな場所でした。

ケバケバしい色合いとウルサイ音と雑踏…消費意欲を煽り立てる為なのか、私にとっては耳障りな音楽が鳴りひびくファッションビル群、必要を大きく上回る量の照明で、実態よりも美しく見える商品が物欲をそそり、女性は着飾り、男性は昇進に躍起になり、人はくたびれて、公衆の面前でもお構いなく電車に揺られながら眠らざるを得ず、街の中は、サットバを見つけるのがとても難しい…、と感じました。

都会へ足を踏み入れると、山の清々しさが、自然という清廉な環境のためなんだな~と本当に心から実感します。

サットバってこういう事なんだよな~。 

清流、穏やかな日差し、木漏れ陽、そよ風、キレイな空気、花、樹木、邪心の無い動物たち、はるかかなたの稜線、星、月・・・

もちろん、山でもタマシックな場所はあります。たとえば放棄された植林地など、暗く植物も茂らず、非常に怖い恐ろしい場所です。蔦植物ばかりが生い茂る場所も少々荒れた印象ですし、倒木がとうせんぼしている沢も同じくです。

山において、ラジャスティックな場所といえば、混雑している山小屋です。まさに野戦病院。

混雑した山頂もラジャスティックな場所かな~と思ったりします。

取り組み方という意味では、数やスキルを競う山や、困難さを競う山はラジャスティックな登山の形式です。宴会で憂さ晴らしをするためだけの山行はタマシックであると言えるかもしれません。

しかし、朝日を眺め、夕陽を眺めている時、確実にそれはサットバな空気が支配的であり、そして、その時間は確実に命の洗濯、といえる時間です。

朝日夕陽の時間だけでなく、そうした時間が静かな山では支配的です。

そのサットバをもっともよく味わえるのが、雪山なのかな…と思います。そして、山頂はとてもサットバです。

だから人は山頂を目指すのかな?

ヨガのアシュラムやテンプルで感じる聖なる空気を山で感じることができます。

■ なぜ山に登るのか?

最近、『ビヨンドリスク』を読んでいて、私はつくづく思うのですが・・・ 人はなぜ山に登るのか?

それは、人間的成長のためなのだ、と。

ある人の人間的成長に成長にとって最適なものに、人は心を惹かれるはずです。つまり、フリークライミングに魅かれる人にとっては、フリークライミングが要求する、なんらかの要素が、その人の精神的成長に今必要なことなのでしょう。

登山ではなく、水泳でもいいし、絵画でも、文芸でも、あるいは会社勤め、町おこし、お料理、何でもよいのでしょう・・・

つまり、登山というのは、他のアクティビティと同じように単純に手段にすぎないのです。

人生そのものだって、実は手段にすぎないように。

そういう意味では、何をするか?が問題なのではなく、いかにするか?が問題なのです。

登山という活動で、精神的な学びの機会となりそうなのは、主体性の問題、です。

”自立した登山者になること”は、リスク面から、登山の課題として頻繁に取り上げられます。

ということは、登山を自分の活動として感じる人の主たる人生テーマは、

自立や主体性、
いかにしてリーダーシップを発揮すべきか?や
いかに自立者を育成するか?

というテーマであったりするのでしょう。

登山からも人は、人としての在り方を学ぶ、のです。それはたとえ一人で行っていても…、なのです。




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