昨日は地震でビックリしました。長野県の方は、大変だったのではないでしょうか。被害に遭われた方、心よりお見舞い申し上げます。
今日は、夫はTOIEC試験でした。私はクロッキー会の集まりに行ってきました。
夫は成人ですから、別に子供のように送り出して欲しい、というのは、ありませんが、彼の苦手の英語、TOEIC試験…。夫の試練(?笑)。
夫は苦手丸出しなので、彼が苦手そうにしている試練の場に立ち会わないのは、人生のコンパニオンとしていかがなものか?と思ったので、今日は家にいることにしたのです。
実は昨日も一昨日も、快晴の空で、ちょっと山に行けばよかったよな~とは、思いましたが…。
結局、地震で山からの帰宅が大変になっていた可能性もあったし、行かなくて正解でした。
11月は、北アくらい行かないと、まだ雪がない。
なので、このシーズン初めの時期は、足慣らしの場所の選択が難しいんですよね。
テント泊で、燕山荘に行こうかな~と思っていましたが、一人で一泊二日の交通費を掛けるのが、もったいなくなり・・・(笑) 以前は、小屋泊代を甘受せざるを得ないと、行っていたことを考えると、ずいぶん成長したものです。西穂独評なんて、もっとお金がかかります。 こういう時、交通費を折半してくれる、同じくらいの成長段階の人がいると助かるのですが・・・。
12月前半に入ると、八ヶ岳も雪が付きアイゼン歩行できる。・・・ので、ま、いっか。
さらに、12月後半に入ると、富士山がアイゼン歩きに、ピッタリの山になります。近くなので、あとちょっと待てば、交通費は節約になりますね(笑)
夫がとても幸せそうにしていたので、それで報われた気がしています。
■ クロッキー会
今日は、午後にクロッキー会へ行きました。緊張した~。
一番良くできたヤツ・・・ |
私はお絵かきが好きな子供でした。しかし、不思議なことに、お絵かきをしても、親は喜んでくれませんでした。
ナゼダロウ…?
ま、親がしたいことではなく、自分がしたいことをすべきです。 が、考えてみると、私は自分がしたいことが良く分からなかったんですよね。
高校生になった時、美術コースがある学校にいくこともできましたが、結局、周囲の圧力もあり、進学校へ進みました。それは圧力に勝てるほど、絵を書くことがしたいことではなかったから。
高校では、美術部は活動が少なく、美術部の顧問は、野球に熱中していて、結局、お隣の演劇部の舞台背景を作る担当?みたいになっていたので、絵を書くことについて、栄養を注いだことがありません。
しかし、最近、山の絵を描く、山おばちゃんたちと知り合い、来年こそは一緒に絵がかけたら、いいな!って思っています。
あいよ!って渡されたとき、ビビッてしまったんですよね・・・(^^;) だって、もう30年くらい、絵を書いていないんです・・・(T_T)
山、描けないよ~。
それに昔、絵が上手だったのを自分で、分かっているので、へたくそな絵しか、描けなかったら、どうしようっ!となってしまうんです・・・自分への期待値が実力以上(--;) 必要以上にショックを受ける・・・
基本的に現代人は目が肥えてしまって、それが創作意欲を萎えさせる原因になっています。これは、バレエでも、ヨガでも同じです。音楽とかも同じではないでしょうかね?
シラヒゲソウ |
餓鬼岳でシラヒゲソウを見たときに、詳細に理解したいと思いました。
がくがどうなっているのか?おしべとめしべはどうなっているのか? 葉っぱの付き方は…
写真だと、どうしても花にフォーカスが行けば、葉は、ぼやけてしまうし、葉にフォーカスが行けば、花がぼやけてしまいます。
それで、絵に描くと良いと思ったのです。
でも…絵の描き方、忘れちゃったよう…(><)
大人になって、子供の頃に戻るって、大変ですね~!!
「ラファエロのように描くのに4年かかったが、子供のように描くのに一生かかった」
って、ピカソも言ってますけど、絵を書くとかって、どうやってやるか?を教わるようなものではないはずです。
なのに、いざ何でも描いて良いとなると、何からスタートしたらいいのやら、分からなくなっているのが、大人という病…
それはクライミングだって同じかもしれませんね~。 クライミングも子供は、全く考えないで、するする登っているので。
絵を書いていたら、登るべきラインが読めるようにならないかなぁ(笑) というのは、欲張りでしょうか?
■ 羨ましいことはやってみる
余談ですが、私は羨ましい!と思ったことは、全部やってみることにしています。
登山を始めたのは、端的には、山梨に来たからです。
・・・が、子供の頃、阿蘇山を放浪する大学生のお兄さんたちを見て、あこがれていました。
私も大学生になったら、放浪旅行をしよう!と思っていたくらいです。ところが実際、大学生になってみると、年頃の娘が放浪なんて、危なくてできません。
アメリカにいるときに、大きなバックパックを背負った、バックパッカーを羨ましいな~と思っていたので、よく家に泊めてあげていました。で、旅の話を聞いたりするのです。
海外出張で行ったニュージーランドで、長い長いクライミングウォールを眺めていたとき、「登ってみる?」と、せっかくジムのお兄さんが愛想よく言ったのに、私はびっくりしてしまって、条件反射で、”No Way!”と叫んでいました・・・。
今思えば、やっておけばよかったなー。いや、スーツで歩いているような人でしたし、当然、全然、登れなかったと思いますが・・・。 何しろ、小瀬の15mくらいのクライミングウォールだって、完登するのに1年かかったくらいの人ですから・・・(笑)
でも、その時登っていれば、今クライミングしていないかもな~(笑)。 後悔というものも、人を前に進ませるパワーになるのかも?
とはいえ、人は羨ましい、と思ったことはやってみるべき。
羨ましい、という思いは、そこに”小さな夢”が隠されている、というサインなのです。人生は短く、人はその間に、やりたいことをやるべきです。
妬ましいという思いに蓋をしている人は攻撃的になります。相手が、その資格がないのに、特別に幸運に恵まれているような気がして、許せない!という気持ちになるのです。
そういう時は、自分も同じことをやって見なさい、という意味です。
≪人が攻撃的になる時≫
- 羨ましいとき
- 本当のことを指摘されたとき
逆にいうと、指摘が的を得ていないときは、攻撃されても傷つきません。
たとえば、スーパーモデルに、「ブスだ」と言っても怒る人はいないでしょう。
それと同じことなので、攻撃されたとき、自分がどう感じるか?ということも、進むべき進行方向を示してくれるサインとなります。
仕返しに躍起になる時・・・それはそれだけ真実が含まれている、という意味なのかも?
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