Sunday, November 23, 2014

山梨の山のスゴイ人

■ 山と山梨

山梨は登山には恵まれた立地です。 何しろ360度、山ですしね! 

例えば、長野と比較すると、長野の山は北アなので、北アを冬山で登ることは、非常に敷居が高く、オールシーズン山に登ろうと思うと、山梨の方が利便性が良い、ということになります。

山梨なら年中山に登れます。つまり、冬がオンシーズンである、八ヶ岳が近いからですね。

これが、例えば静岡や神奈川だと、北アはちょっと遠くなり、八ヶ岳も一時間と言う訳にはいかないです。代わりに谷川岳が近くなりますが。

結局、夏より、冬の山がネックとなるわけなので、冬=八ヶ岳の図式から、八ヶ岳山麓が候補になります。

八ヶ岳山麓のなかで、どこに住むべきか?と考えると、クライミング向けの岩場が近い、ということから考えて、日本のヨセミテ、小川山、トラッドの殿堂、瑞牆山などに日常的に行くことを考え、ま、中間地点くらい?となり、南麓が候補地にあがりやすくなります。

仕事の便を考えなくて良い人は、北杜市が候補に。

バンバン日常的に山に行けそうです。ただ八ヶ岳おろしがとっても冷たく寒いので、寒さを嫌うならば、東京寄りですが、大月より以東になってしまうと、中央道の渋滞の影響で山に行く敷居がまた高くなってしまう。

日本中で一番登山に良い立地は東京だという話もあり、東京は日本中どころか、世界でも有数の山に近い大都市であるそうです(by K2に登ったことがある人)

東京は大都市で人口密集が大変で、人が生きる環境としてはいかがなものか?というものなので、そう思うと、甲府と言うのは良い立地で、わざわざ登山のために甲府に引っ越してくる人がいるくらいです。その割に、山梨県は登山については冷遇しています。大町とはエライ違い。

山梨に住みたい人の最大のネックは仕事です。山梨では仕事が豊富ではない。

・・・ので、山梨に来て、ダブルインカムからシングルインカムになったとはいえ、仕事があるだけでありがたいことです。都会で苦しまずに済むからです。一般に人が都会から離れられないわけは、都会にしか仕事が見いだせないからです。

というわけで、山梨に来て失職し、暇がたくさんできたので、山登りを趣味にしています。

で、山梨の人は山に登りませんが… 山梨って、結構、自分たちの地域資源に無頓着です。

例えば、登山でいうところのノーベル賞に値するピオレドール賞を受賞した人が、4人も山梨にはいます。

花谷康弘さん
佐藤勇介さん
岡田康さん
天野和明さん

しかし、山梨の人が知らないのも仕方ないのかもしれません…というのは、本格的な登山をするような人も知らない…会の先輩も知らない人がいた…。

一般的にアルパインクラミング志向ではない人は、ピオレドール賞自体も、あまり知らないようです。

アルパインってホント、風前のともしびなのかもしれませんね。登山人口が増えて、登山文化が貧困化しているということになり、一体どうしてなのかな?と思います。

登山形態がトレランあり、アイスあり、フリークライミングあり、百名山あり、と、多様化しているとはいえ、登山文化まで衰退する必要はないはず。

山岳会が後退したのは、精神論・根性論が嫌われる世相から、なるほどと、思えなくもないですが、登山文化はそうした精神風土とは、相性が悪いはずはなく、ここまでの登山文化の衰退は、新参者にはちょっと理解ができません。

■ 文化とは裾野の広さ

文化的裾野を支えるのは、趣味の人口ではないか?と思います。

バレエでは、見る人口より、踊る人口の方が多いと言われていますが、確実に言えることは、踊らない人より、下手だろうがなんだろうが、踊る人の方が、ダンサーの想いや振付家の意図をよく理解できる、ということです。つまり、見る本人も面白さをより味わえます。

今日は絵を書いていて、思いましたが、やはり絵を描く人口が増えたほうが、絵画の価値がより深く、人々に理解されるのではないか?と思いました。

同じことがなぜ登山の世界で起きていないのだろう?というのは、ちょっと不思議です。

今登山の世界は、ピオレドール賞を受賞するような、傑出した登山家の偉業が理解できる層が、非常に薄くなってしまっているのではないか?という気がします。

私も完全には理解できませんので、自分のことを棚に上げて…ですが。

その”凄さ”を、一般の人でも理解できるような言葉で発信できる人も、少ないかもしれません。まぁ雑誌の書き方を見ても、書いているライターも分からないんだろうなぁと思いますが・・・。

ただ、ピオレドール賞が凄いってことくらいは、私のような、たった4年の経歴しかなくても分かりますから、それくらいは一般登山者にも期待して良いのではないかとは思いますが。

つまり、文化なきところ、評価不在となる。 

評価が不在となれば、価値あるものも価値あると分からず、価値がないものも価値がないと分からなくなる・・・

そんなことが起きているのかなぁ・・・山梨では・・・という感じがします。

客観的な自己の姿が判断できない場合、人は自信喪失に陥りますから、そういう意味で山梨は、まるで親元を離れたことがないティーンネイジャーのような感じの不安定さを感じさせられます。

その上、山梨の人が、「東京の人は恵まれていていいなぁ」って思っていることって、実は自分たちの方がうんと恵まれていたりすることだったりして・・・。

知らなければ価値が分からない、ってことに凝縮されるわけですね。

余談ですが、ヨガでは”知らないことを知らない”ことが、無知と言う意味で、知らないことを知った途端に、もう無知ではなくなります。


4 comments:

  1. 2012年に山梨の仕事の書類選考は通過したんですが、他で、ご遠慮があって、面接は辞退しました。選択ミスったかなー?!

    ReplyDelete
    Replies
    1. え?!そうなんですか? 鈴木みきさんとか、わざわざ山梨に引っ越してきたらしいですよ! 

      Damienさんは、いまはいずこで ご活躍中なんですか?

      Delete
    2. 誤記訂正いたします。(誤)ご遠慮があって → (正)ご縁があって

      「鈴木みき」さん、寡聞にして存じませんのでググりましたら「http://ameblo.jp/suzukimiki/」がトップに出てきました。

      兵庫県に住んでて、仕事場は大阪府です。
      一派遣社員ですので、いつ派遣村に行くことになるか分かりません。
      今年は正月越せるかなぁ みたいな。(^^;)

      組込系ソフトウェア開発が収入源なのと、TOEIC受けてたことがあるってところも
      ちょっと共感を覚えております。すみません。

      お邪魔しました。

      Delete
    3. 組み込み系ですか~。こちらでは、エンジニア募集しても、集まらないんですよね。梨大、工学部はあるのになぁ。 こちらにいらっしゃることがあれば、ぜひご連絡ください。近くの沢をご案内しましょう!

      Delete