昨日から山に行きたいなと思っているのに、甲府はずっと高曇りで、パッとしない天気が続いている。先週の連日の晴れが嘘のようだ。
先週は、本当に素晴らしい山日和りだった。雨の心配がゼロだった。
■ 計画書をリスペクトせよ!
一方で、色々な疑問や謎が明らかになってしまった山だったが、良かったことは、地図に予定のコースタイムを書き入れて行ったこと。地図ベースで判断して行ったこと。
何時にどこを通過しているべきか?というのは、山の基本だ。予定より遅れていれば、急がなくてはならない。
山行計画をリスペクトせよ!というコラムを読んだが、山行計画のリスペクトが低いという病は、どこにでも見受けられるもののようだと思った。
つまり、逆説的に言えば、山行計画について、あれこれと指摘がある、ということが、歓迎すべき、安全登山への一歩なのだ。
しかし、だ・・・
計画書に質問や指摘をする、ということは、かなり勇気がいることではないだろうか?
指摘されたほうは、その指摘を快く受け入れられるのだろうか?
誰も指摘しないということは、指摘を受け入れないだろうなと皆が考えていることの裏返しではないだろうか?
■ 会心の山 = 計画とピッタリの山
私は夫と出かける自分たちの山行(実力拮抗型パーティ)では、リーダー兼山行企画者だ。
だから、かもしれないが、わたしにとっては、計画と実際の、乖離の少ない山が、良い山だ。
早く下山しすぎても、見積もりが、辛目だったということになる。
会心の山 = 計画と実際のかい離が少なかった山。
いつもギリギリになって降りた山については反省している。だから、か、ヘッデン下山の経験はとても少なかった。
しかし、一方でヘッデン下山にはすぐに慣れてしまい・・・たとえば林道をヘッデンで歩くなど、「経験になっていいんじゃない?」程度の感覚になってしまった。
・・・これはいいのだろうか???
想定されるハザードレベルが同じなのに「大丈夫」と判断している、ということなのだろうか?それとも、林道=安全、なのだから、機会を生かしてやっておくべき経験で、経験値が上がった、ということになるのだろうか?
■ 下山遅れ
下山時間と言うのは、良し悪しの判断が難しい・・・。
例えば、クライミングのガイドさんでも、時間を切って、きっちり、15時に下山開始する人もいれば、クライアント=登りたがり、ということで、暗くなってヘッデン下山になるまで登らせてくれる人もいる。
どちらの人が良いガイドと称されるか?は、価値観による。
例えばアイスだが、ベテラン保科ガイドの時は、金ヶ窪沢(三つ峠)ということもあって、下山は明るいうちだった。
一方、岩根(車の中からビレイできそうな場所)では、私がしつこく、登ったのもあって、暗くなるギリギリまで、「もう、仕方ないなぁ。あと一本だけよ」と言って登らせてくれた。
師匠と出かけると大抵は、互いにあまり言葉を交わさずとも、大体の判断で暗くなる前に降りて、安全登山をしている。
その辺の勘どころ、というのは、何も言わなくても、済んでいたので、潜在意識化してしまっていた。
今回は、その潜在意識化した感性が、危機意識となって呼び起こされるような山だった。
ただ不思議なのは、私以外の誰も、危険を察知していないようだったこと。
それは私の方が、ピーチクパーチク騒ぎすぎなのか? それとも、自分の感覚が正しいのか?
どちらにしても、まぁ今現在生きているので、大した問題ではない。
■ なだらかで鹿道の多い道
山で得る経験は、山からの個人的なメッセージとして、いつも受け取ることにしている。
山がなかなか私を手放してくれない・・・
最近は、山梨で生活することの一番のメリットは登山だ!とは、感じられなくなってきた。
・・・というよりむしろ、このまま登山を続ければ、その先にあるのは、必ずしや死ではないか?とさえ、感じるようになった。
安全登山へ続く選択肢は一体どれなのか?非常に分かりにくい。例えるなら、鹿道が錯綜する、なだらかな尾根をルートファインディングしているような感じだ。
もしかしたら、私の好みは、厳しくてもルートファイの容易な、急な痩せ尾根なのかも?
もし、そうであれば、フリーをもっと頑張らないといけないのだが・・・頑張ってみたら、好きかどうか、分かるだろうか?
前に先輩が、「小川山レイバックをリードで登れたら、新しい世界が開けるかもしれない」と言っていたんだが・・・うーん、その新しい世界は、”私が切り開きたい新しい世界”なのだろうか?
そこのところが自分でもよく分からなくなっている。
どんなことでも、行けるところまで行って、やってみないとよく分からないモノだから、まぁ仕方がないと言えば仕方がない。
フリーを頑張ると山では確実に弱くなるし、弱くなったらやっぱり、少しがっかりはしたんだった。
しかし、まぁ迷った時はやはり、基本に帰って、安全とは何か?だけを唯一の判断の拠り所とすべきだろう。
ちょっと買い物へ出て、家に帰ると、家の中が生温かった。急いでフレッシュな空気に換気する。ずっと家の中にいたら、換気が必要だと感じ取れなかっただろう・・・
山の危険は、そんなことと似ている気がする。
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