■良いガイドさんとは?
知人と沢に行った。聞くと、ガイドさんに連れて行ってもらったそうだ。けれど、そのガイドさんの対応が、聞いてびっくりする。
本当にお仕着せ、お任せで、俺の言うとおりにしろ、という登山なのだ。
登山者に夢を与えたり、目標を与えたり、間違って理解していることを指摘したり・・・ということがないのだ。
私が知っているガイドの三上さんは、そんなお仕着せツアーはしない。
例えば、初回、顔合わせで、三つ峠ハイキングに行った。最後の尾根は現場変更で地図読み。その時の私たち夫婦は、地図もコンパスも高度計も持って行くけど、出番がない登山者だったから、新鮮だった。
八ヶ岳の天狗岳、ピッケルを教わりに行った。前の日宴会で二日酔いの参加者が厳冬期の八ヶ岳の山行に来てしまい、三上ガイドは、四苦八苦だったので、すでにその山に登頂経験が3度ある私たち夫婦が、実質的には、他の参加者を小屋まで先導した。ガイドさんは、その歩けない人を励ましながら、歩いてきた。
小屋に着いたときは、メンバーはすっかり食事が終わっていた。登頂準備バッチリ(笑)。
その当時、ピッケルの使い方だけでなく、ホワイトアウトナビゲーションも教わった。雪洞の代わりになる雪の穴も掘ってもらった。
「ピンチの時は、こうするんだよ」
という意味だった。
私たち夫婦は、三上ガイド以外のガイドを知らなかったので、それが当然だと思っていた。
ガイドさんを山を教えてもらう先生以外として見たことがない。
が、本当に優れた良い人に当たったらしい・・・
その後も、三上ガイドと行く場合は、
「〇〇をしたい」とリクエストして、それが実現できるような、山行を提案してもらう。
例えば、ずっと前に阿弥陀南陵を考えたときがあった。それは、数ピッチのマルチピッチを安全に学習したいという理由だった。
しかし、地面が凍結する状態だったり、アプローチが遠いという条件だったり、高所だったりで、色々と条件を検討した結果、別の山になった。
初心者にとって一番難しいのは、今どの山に行くべきか?ということだ。
今のスキルで、どこなら行けるのか?
だから、どの山に行くべきか?を指南してもらうために、ガイドさんという山のベテランは存在するのだと思う。
登山者が自立できるように、ちゃんと鍛えてくれるガイドさんが良いガイドさんだ。
■ 先輩だって行きたいところがある
なぜ、山岳会の先輩ではだめなのか?
それは無償だからだ。山岳会の先輩と言っても、人間。自分がツマラナイと思うことに食指は動かないのは、責められない。まして、ボランティアなのだから。
何もかも指示をしないとダメな”本当の初心者”人だと、連れて行く側もアップアップとなる。
連れて行く側にも負担が大きいのだ。それはつれて行く側になると分かる。人一人の安全に責任を持つには、すごい超人的な目配りや神通力が必要なのだ。
今の私のスキルレベルだと、沢は歩くだけのところしか、連れて行けない。自分と同じくらいのスキルや理解度の相手なら、互いに安全になるように気を配りあえるので、一緒に岩に行ける。
となると、連れ行ってもらわなくては、どこにも行けない段階の人は、最初は有償であっても、自分のわがままを聞いてもらえる人に連れて行ってもらうのが良い。
誰にでもそういう段階はあるからだ。
■ ポイントは、役割を担えるかどうか?
仲間になるということは、役割を担える、ということだ。
役割を担えない、役割が分からない、という段階は誰にでもある。
”初心者は何が分からないのか分からない” とよく言われる。
何が分からないのか、自分で良く分かっているようになれば、自分で成長して行ける。
でも、そうなる前の、よちよち状態の時の手助けは、誰にだって必要な手助けなのだから、誰かから手助けを得ないと仕方がない。
役割を担えないとき、それは 言葉は悪いが ”お荷物” になっているという意味だ。
山の人が、”〇〇さんには世話になった”と言う時に、意味するのは、お荷物状態だったけど連れて行ってもらった、と言う意味だ。
逆に貢献しているつもりで足を引っ張っている人もいるし、そういう困ったチャンにならないようにすることも大事だ。
例えばお酒を飲んで二日酔いで山行に参加するなんていうのは、足を引っ張っている。宴会の翌日登頂も同じこと。
■ 講習会を有意義にするには
その時、頼るべきは、今の時代は山岳会ではなく、講習会だし、講習会を120%有意義にするには、それ以前に、自分でいくつか山行に行けることが重要だ。
自力山行は最初から自分でやっても良い。が、一回目は不安があっても、それは恥ずかしいことではない。
一回目が、できるようになるための、何が分かっていないのか、どういう方向に成長したらいいのか?そういうことを上手に指南してくれる、良きガイド、良き指導者に恵まれる、ということが大事だと思った昨日だった。
私は、師匠にも、先輩にも、指導者にも、恵まれ、とても感謝している。
良きガイドとは、その登山者の足りない点を指摘してくれる人だ。
■おススメガイドリスト
※ 個人として知っているだけの方を含むため、ガイド登山の参加経験はない人も含まれます。
中高年登山 ストローハット
ハイキング全般 清里ネイチャーガイド
藪山&地図読み 三上ガイド
アイス体験 鈴木昇己ガイド・保科雅則ガイド
沢 豊野則夫ガイド
八ヶ岳 高橋ガイド・竹内ガイド・村上ガイド
Friday, October 30, 2015
読了 『トラウマ後 成長と回復』
■ 滑落して自分への信頼を失ったこと
去年、岩の帰りに、なんでもないトラバースで、重いザックに体が引かれ、滑落した。
後ろ向きにコケ、後ろ向きのでんぐり返しを、45度くらいの傾斜のある斜面で2回転半くらいした。
幸い、木の切り株に引っかかって止まった。衝撃で側頭部をしこたま、その切株にぶつけた。
木の切り株でラッキーで、もしそれが岩だったら、頭をかち割ってしまって即死だったかもしれない。
でんぐり返しをしている時は、あまりに予想外だったので、びっくりしていた。
身体が柔軟なので、怪我は、どこもなかった。
それより、あまりにあっけなく、自分の体が、ザックの重さに引っ張られて、慣性の法則に従うのに驚いた。
その道は、さして難しくないトラバース。左側は45度くらいに切れ落ちているが、そんな道は、普通だ。岩の帰りなので、一般道ではないが、それでも難路というわけではない。同行者によると8mくらい落ちたそうだ。
頭は1週間は痛みが続き、レントゲンを撮ってもらったが異常はなかった。
■ トラウマ
その後、普通の一般道でも、歩き方が過度に慎重になった。
飛び石で歩けない。
ザックを背負った徒渉での飛び石は特にダメになった。
クライミングは3級、4級でも怖くなった。
当時は、本チャン向けクライミング練習に通っており、これで怖がり癖を付けてはいけないと自分に言い聞かせて、無理に岩に向かった。
ところが、やっぱり無意識でも、腰が引けているのだろう・・・ 登れないし、タノシクナイ。
下山道で走ろうとすると、打った頭に響いて走れない・・・
今思えば、この滑落は、トラウマだった・・・。
トラウマ化しないように、と思って岩に通ったけれど、逆効果だった。
■ 原因
・直接は、ザックが重すぎた
・したがって、腹筋力、コアが足りていなかった
・疲れがたまっている状態で岩に行った (6月の山行は12山行!だった)
ザックは重いと言っても、ロープがプラスになったくらいで、カムを背負っているわけではないので、一般の岩装備だ。
12~13kg位と思う。それで、ザックは後ろに引っ張られても、普通はしりもちをつく程度で、済んでしまう・・・のに、でんぐり返し2回転半・・・
まるで子供が頭が重くて落ちるような感じだった。
大学山岳部などでは、重いザックを背負う山を最初にやらせる。それは、こうした滑落を防ぐためなのだ、と思った。
しりもちをついても、問題がないような斜面で、限界ぎりぎりくらいの重さを担いで、山に登る経験が必要だ。
■ トラウマを克服するにはどうしたらいいのか?
トラウマを克服するには一体どうしたらよいのか?
そう思って、手に取った本が、この本だ。
この本によると、トラウマ経験は、その経験があったからこそ、現在の自分がある、と考え、
ネガティブな経験 → ポジティブな経験
に書き換えるのが必要なのだそうだ。(壊れた花瓶の理論)
一旦怖くなった岩の経験をどうやって、ポジティブな経験に塗り替えるのだろう???
私はよく分からなかったので、結局、冬季に入り、あまり岩をしなくなって、アイスに向かったので、岩のことは、しばらく忘れることになった。
でも、アイスをしても、二点支持が身についていたら、もっと良かったのに・・・と皆に言われる。
フリークライミングの基本が身に着いたら、もっと良いのに・・・と言う意味だ。
自分でも、そう思うけれども、フリーの基本のために、ジムに通うという気持ちに、なかなかなれない上、ジム仲間をいないので、そのままになってしまった。
■ 棚上げ課題
・・・という事情で、クライミング力をあげる、という課題は、ずっと棚上げだった。
今、私がつまづいている点は、
・トップロープで登れる課題と、リードできる課題の差が大きい
ことだ。
クライミング力をどうしたらあげられるんですか?という問いに、
トップロープでガンガン登る
という答えをくれる人は多い・・・でも、岩を前にして、まったくムーブが浮かばない・・・それでは時間の無駄だ。
そういう状態だったので、今は、しっかり取り組むというより、色々な岩に触れて、岩の種類や体験的な経験を持つ、と言うことを主眼にしていた。
楽しさ重視、というわけだ。それで、なんだか、やっとトラウマが薄れてきたような気がしていた。
沢でのクライミングは、楽に感じた。そうこうしているうちに、四級主体の岩場で、登ったら、面白かったというのが意外だった。
今夏経験した明神主稜程度の、本チャンでの岩は、縦走路の岩場が、危険とむずかしさの度合いを増したもので、フリーの岩とは質的に全く違い、フリーのように、岩に登っていて怖い、という想いは全く湧かない。
■ 滑落して良かったこと?
あの滑落は、何が良かったのだろうか・・・?
歩きの重視か?歩荷力の重視か?
クライミングギアは重い。でも冬山で雪の上を歩くときよりは軽いかもしれない。
一般道で重いザックを背負って歩くのは平気なのに、クライミングギアを入れて、岩場に取り付くほうが難しく感じるのはなぜだろう???
ともかくトラバースでは、慎重になった。
自分が担げる歩荷力は、控えめに見積もるようになった。
成長は止まったまま・・・ これではいけない・・・一体どうやって、今後成長して行けばよいのだろうか?
と悩んでいたが、最近、リードを経験して、確実性を求めるように登ろうという方向性が見えた。
クライミングも登山も、確実性を犠牲にしてはいけないのかもしれない。
≪関連記事≫
滑落した日の記録
滑落は防げるか?
去年、岩の帰りに、なんでもないトラバースで、重いザックに体が引かれ、滑落した。
後ろ向きにコケ、後ろ向きのでんぐり返しを、45度くらいの傾斜のある斜面で2回転半くらいした。
幸い、木の切り株に引っかかって止まった。衝撃で側頭部をしこたま、その切株にぶつけた。
木の切り株でラッキーで、もしそれが岩だったら、頭をかち割ってしまって即死だったかもしれない。
でんぐり返しをしている時は、あまりに予想外だったので、びっくりしていた。
身体が柔軟なので、怪我は、どこもなかった。
それより、あまりにあっけなく、自分の体が、ザックの重さに引っ張られて、慣性の法則に従うのに驚いた。
その道は、さして難しくないトラバース。左側は45度くらいに切れ落ちているが、そんな道は、普通だ。岩の帰りなので、一般道ではないが、それでも難路というわけではない。同行者によると8mくらい落ちたそうだ。
頭は1週間は痛みが続き、レントゲンを撮ってもらったが異常はなかった。
■ トラウマ
その後、普通の一般道でも、歩き方が過度に慎重になった。
飛び石で歩けない。
ザックを背負った徒渉での飛び石は特にダメになった。
クライミングは3級、4級でも怖くなった。
当時は、本チャン向けクライミング練習に通っており、これで怖がり癖を付けてはいけないと自分に言い聞かせて、無理に岩に向かった。
ところが、やっぱり無意識でも、腰が引けているのだろう・・・ 登れないし、タノシクナイ。
下山道で走ろうとすると、打った頭に響いて走れない・・・
今思えば、この滑落は、トラウマだった・・・。
トラウマ化しないように、と思って岩に通ったけれど、逆効果だった。
■ 原因
・直接は、ザックが重すぎた
・したがって、腹筋力、コアが足りていなかった
・疲れがたまっている状態で岩に行った (6月の山行は12山行!だった)
ザックは重いと言っても、ロープがプラスになったくらいで、カムを背負っているわけではないので、一般の岩装備だ。
12~13kg位と思う。それで、ザックは後ろに引っ張られても、普通はしりもちをつく程度で、済んでしまう・・・のに、でんぐり返し2回転半・・・
まるで子供が頭が重くて落ちるような感じだった。
大学山岳部などでは、重いザックを背負う山を最初にやらせる。それは、こうした滑落を防ぐためなのだ、と思った。
しりもちをついても、問題がないような斜面で、限界ぎりぎりくらいの重さを担いで、山に登る経験が必要だ。
■ トラウマを克服するにはどうしたらいいのか?
トラウマを克服するには一体どうしたらよいのか?
そう思って、手に取った本が、この本だ。
この本によると、トラウマ経験は、その経験があったからこそ、現在の自分がある、と考え、
ネガティブな経験 → ポジティブな経験
に書き換えるのが必要なのだそうだ。(壊れた花瓶の理論)
一旦怖くなった岩の経験をどうやって、ポジティブな経験に塗り替えるのだろう???
私はよく分からなかったので、結局、冬季に入り、あまり岩をしなくなって、アイスに向かったので、岩のことは、しばらく忘れることになった。
でも、アイスをしても、二点支持が身についていたら、もっと良かったのに・・・と皆に言われる。
フリークライミングの基本が身に着いたら、もっと良いのに・・・と言う意味だ。
自分でも、そう思うけれども、フリーの基本のために、ジムに通うという気持ちに、なかなかなれない上、ジム仲間をいないので、そのままになってしまった。
■ 棚上げ課題
・・・という事情で、クライミング力をあげる、という課題は、ずっと棚上げだった。
今、私がつまづいている点は、
・トップロープで登れる課題と、リードできる課題の差が大きい
ことだ。
クライミング力をどうしたらあげられるんですか?という問いに、
トップロープでガンガン登る
という答えをくれる人は多い・・・でも、岩を前にして、まったくムーブが浮かばない・・・それでは時間の無駄だ。
そういう状態だったので、今は、しっかり取り組むというより、色々な岩に触れて、岩の種類や体験的な経験を持つ、と言うことを主眼にしていた。
楽しさ重視、というわけだ。それで、なんだか、やっとトラウマが薄れてきたような気がしていた。
沢でのクライミングは、楽に感じた。そうこうしているうちに、四級主体の岩場で、登ったら、面白かったというのが意外だった。
今夏経験した明神主稜程度の、本チャンでの岩は、縦走路の岩場が、危険とむずかしさの度合いを増したもので、フリーの岩とは質的に全く違い、フリーのように、岩に登っていて怖い、という想いは全く湧かない。
■ 滑落して良かったこと?
あの滑落は、何が良かったのだろうか・・・?
歩きの重視か?歩荷力の重視か?
クライミングギアは重い。でも冬山で雪の上を歩くときよりは軽いかもしれない。
一般道で重いザックを背負って歩くのは平気なのに、クライミングギアを入れて、岩場に取り付くほうが難しく感じるのはなぜだろう???
ともかくトラバースでは、慎重になった。
自分が担げる歩荷力は、控えめに見積もるようになった。
成長は止まったまま・・・ これではいけない・・・一体どうやって、今後成長して行けばよいのだろうか?
と悩んでいたが、最近、リードを経験して、確実性を求めるように登ろうという方向性が見えた。
クライミングも登山も、確実性を犠牲にしてはいけないのかもしれない。
≪関連記事≫
滑落した日の記録
滑落は防げるか?
Wednesday, October 28, 2015
小川山レイバック リードトライ
■ クラック
今日は真砂尾根で知り合った友人と、小川山へ。友人は沢ヤだが、山岳会には所属せず、個人で登っている。
小川山は、ほとんど知らないということだったので、私が今回は案内役。沢=クラックというわけで、クラックの岩場を紹介。今回のヤマレコ。
秋晴れでもったいないような日だったが、不思議なことに八ヶ岳は雲を被っていた。帰りは分厚い雲に覆われて展望ゼロのようだった・・・
小川山はほんのお向かいという位置関係なのに、この大快晴!
二週間前と比べて、唐松の紅葉が見事できれいだった。が、登山道が落ち葉で埋まって見えない・・・。
■ ハコヤ岩へ
クラック初級ということで、ハコヤ岩へ。
ここはトップロープを裏から張れる課題があるので、なんとか初心者同志でも取り付ける。
この赤い印がある岩が目印。
ここが入口。
森林浴 5.8(Ⅴ級プラス)
ここは、出だしがシンクラック(指しか入らない)で、難しいのだが、5.8しかない・・・
の秘密は、ほとんどフェイス的に登れるから!
ハンドジャムなどはあまりイラナイ。
そういう意味では、あまりクラック的ではない。
トップロープを張り、互いに1回登ったら、9時半に岩場に着いたのに、11時半になっていた・・・
岩場は平日だから独占か?と思いきや、うるさいおばちゃんたちが来てビックリ!
60代のおばちゃんたちで、隣の5.9をちゃんとリードしていた。クライミング力はエライなーと思ったけど、何しろウルサイ・・・
おばちゃんはどこでもおばちゃんで、クライマーとて違いはないのだと分かった。
クライミングは、才能。
悲しいことに、山ヤだからと言って才能があるとは限らない。
クライミングができるからと言って山ヤであるとも限らない。
だから、遭難は減らない。
二人とも2トライ目のほうが下手くそになっていた・・・(^^;)
これはあまりこだわらない方が良いと思い、小川山レイバックへ移動。
相方は腕が疲れてしまったらしいので、スラブを・・・と思ったが、手ごろなスラブが遠いので、今日は、大日駐車場から近いレイバックへ。
マルチ&クラック用のクライミングシューズ。
アルパイン系の人は、みなコレ。
クラックだと、くるぶしをいつも岩にぶつけてしまうので、靴下を履いた方が良い。
今日は、テーピングの方法を彼に教えた。
去年私も教わったところ。
登っているところ。
カムは、何番がどんなところに良いのか覚えるのが重要なので、トップロープとはいえ、差し込みながら。
ギアラックもぶら下げながら・・・
とっても新鮮。
トップロープで登るだけだと、
上澄み
しか知らず、楽しい面しか見えない、ということが良く分かる。
オンサイトでリードできる人はエライなぁと思う・・・
例え5.8でも!
ベテランはこういう易しい課題は、さっと終わってしまうが、初心者は5.8でも決死の覚悟だ。
でも、それはベテランが、もっと上の課題で決死の覚悟になっているのと、あまり変わらない心情のはずだ。
焦っても仕方ない、ここから、ここから。
しかし、トップロープのグレードとリードのグレードの開きがありすぎるのは、心理的問題がとても大きいことを示していると思う。
滑落したりして、自分のクライミング力に信頼が置けなくなっているのだ。
■ 小川山レイバックへ
小川山レイバック(5.9 Ⅵ級-)に移動して、14時。
ここは初めて触れたクラックで、意外にハンドジャムが決まるなーと感じたところだった。
それで、カムをセットしながら、の初のマスタースタイルでのリード。
前回、トップロープで、苦労せず登ったから。
ところが、取り付くと、怖い!
トップロープだと、多少足ジャムが決まっていなくても、だましだまし登るし、ハンドが決まっていなくても、だましだまし登る。
だましだましは、リードでは通用しない!
効きの甘い、自分のハンドジャムより、効きの良いカムのほうが信頼できる。
結果、怖いので、カムにテンションかけかけになってしまった・・・。
だから、Aゼロしながら登って行くわけだが、前進にカムを使ってしまっては、A1のクライミングスタイルと同じってことだ。
エイドであっても、このクラスを登るのは、本当に大変。
フリーで登れるのに、なぜエイドしないとダメなのか?
そこは
確実性
という問題があるからだ。
決して落ちない、という確実性を求めると、エイドになってしまう。それでも、途中までは上がった。上のバンドに行きたいと思ったが、行ってしまうと立てるところだから、トップロープ支点作りがややこしくなるし、バンドから上はかぶっているので、辞めておく。
バンドの下1mほどで、カムを3つ決め、ローワーダウン。ここまででも、ハンドジャムや足ジャムで、登る楽しさは分かるので、同行者にトップロープを愉しんでもらう。
同行者は初めてだったから、苦戦していた。リードの苦労が分かってもらえて良かった・・・
その後、カム回収で再度トップロープ支点まで登るが、登りはラクラク。TRだもん、気が軽い。
■ トラブル! カムが外れない!!
ところが、3番のカムが、バチギキすぎて回収できず・・・苦戦すること、10分・・・一旦、セルフをとり、ビレイ解除し、ナッツキーを取ってきてもらうも・・・やっぱり苦戦。
どれどれと、同行者がロープクランプで上がる。なんとか回収。
あ~焦ったなー。カム残置ってないなーと思うので。私が閉じすぎたカムをキツキツでセットしすぎて、バチ効き過ぎたのだ・・・
後はカムを架け替えしながら、ローワーダウン・・・
気が付いたら、もう16時半で、何を遊んでるんだ~というわけで、とっとと帰る。
ナナーズでパタゴニアに立ち寄り、明野で解散。
楽しいクライミングデーだったが、リードするための精神的支柱は、確実なフットスタンスと思った今日だった。
トップロープでも確実な登りをマスターしたいと思った有意義な本日。
クライミングは、このような精読の日と、数多くこなす多読の日が必要だ。
Tuesday, October 27, 2015
ヤマレコのワクワクする使い方
■ ヤマレコのワクワクする使い方発見!!
今日は朝から、ヤマレコのワクワクする使い方を発見した!
まず、プレミアムプラン の ”地図検索” に行く。
■ ちなみに外国のルートもある
ヤマレコは、別に地図さえあれば、どこでも登録できるので、ためしにニュージーランドを見てみたら、ルートが登録されていた!
ヤマレコと同じ方式で、地図にルートをマッピングする各国データがあれば、それを統合すると、地球規模で、どこが歩かれていて、どこが空白地帯か、一目瞭然となる・・・
これはすごいことだなー!!!
NZに移住して、地図をまっかっかにしたい!とか思ってしまった・・・
まぁ空白を埋めるという発想は、古い。 それでも伝統の発想だ。
実際、まっかっかに見えるご近所を拡大表示してみると、以外に歩いてくださいというような顕著な尾根なのに、歩かれていないルートが結構ある。
例えば これは小川山の拡大図だが・・・北尾根、東尾根、全く記録なし!
こんなにはっきりした尾根なのに・・・
■ ヤマレコのメリット
私はヤマレコを使っている。理由は
≪計画書編≫
1) 山岳会には地図を用意しない人がいるから。 そのような人にもワンクリックで印刷できる。
・ヤマレコなら、最新の国土地理院の地図が容易に自宅で印刷できる。
・磁北線は勝手に入るので、手書きする必要もない。
2) 歩くルートが何キロで、標高差何メートルなのか、グラフ表示が簡単にできる。
したがってコースタイムの見極めが容易。
3) 登山届けがワンクリックで警察署に出せるから。
4) 下山遅れの場合、登録先メールに自動でお知らせが行くから。
です。
めんどくさい記録作りも楽に行えます。
≪記録編≫
1)写真を多数の人と共有するのが楽
2)複数の人が同じ記録に書き込みできる
3)後で統計になって表示される。
■ 当方の記録
当方のヤマレコ記録はこちら。
全ての山行をあげているわけではなく、クライミング系はいれていない。増えすぎると思ったので。
ヤマレコにはクライミング人口は少なそうだし・・・。でも反省した方が良いかもしれない???
パートナーゲットには地道な努力が必要、と言われているんだしね!!
■ リードオンリーはタダ乗り
ヤマレコは、助け合いの場だ。情報を見るだけで提供しない人は、タダ乗りとされ、嫌われる。
したがって、山行を一つ情報収集に使ったならば、一つ記録をUPして、情報提供のほうもしておくのがマナーだ。
今日は朝から、ヤマレコのワクワクする使い方を発見した!
まず、プレミアムプラン の ”地図検索” に行く。
2) すると、日本全国、ヤマレコ全ユーザーが歩いた無数のルートが赤線で表示されている。
こんな感じ。まっかっかで、歩く気にもなれない・・・日本中しらみつぶしに歩かれているではないか!
3)・・・と思いきや・・・、拡大すると意外に歩かれていない。
先日歩いた、大根沢山北東尾根は、踏み跡が濃いが、ひとつ隣の北東尾根から派生して、東に延びる尾根は歩かれていない。 こっちを歩けばよかったなー。近道だし・・・
尾根の途中で末端を避けている様子も分かる。歩かれていない尾根の末端はダメ(=急すぎて降りれない)ってことだろう。
■ 過去に自分が歩いた尾根を評価
1)西破風山 青笹尾根 私が歩いた末端ルートを歩いた人は他にいない♪ やった♪
■ これから行く尾根を評価
1) 金峰山八幡尾根 みんな尾根じゃなくて林道を歩いているし!! よし!この辺の新ルート開拓だ!!
■ ちなみに外国のルートもある
ヤマレコは、別に地図さえあれば、どこでも登録できるので、ためしにニュージーランドを見てみたら、ルートが登録されていた!
ヤマレコと同じ方式で、地図にルートをマッピングする各国データがあれば、それを統合すると、地球規模で、どこが歩かれていて、どこが空白地帯か、一目瞭然となる・・・
これはすごいことだなー!!!
NZに移住して、地図をまっかっかにしたい!とか思ってしまった・・・
まぁ空白を埋めるという発想は、古い。 それでも伝統の発想だ。
実際、まっかっかに見えるご近所を拡大表示してみると、以外に歩いてくださいというような顕著な尾根なのに、歩かれていないルートが結構ある。
例えば これは小川山の拡大図だが・・・北尾根、東尾根、全く記録なし!
こんなにはっきりした尾根なのに・・・
■ ヤマレコのメリット
私はヤマレコを使っている。理由は
≪計画書編≫
1) 山岳会には地図を用意しない人がいるから。 そのような人にもワンクリックで印刷できる。
・ヤマレコなら、最新の国土地理院の地図が容易に自宅で印刷できる。
・磁北線は勝手に入るので、手書きする必要もない。
2) 歩くルートが何キロで、標高差何メートルなのか、グラフ表示が簡単にできる。
したがってコースタイムの見極めが容易。
3) 登山届けがワンクリックで警察署に出せるから。
4) 下山遅れの場合、登録先メールに自動でお知らせが行くから。
です。
めんどくさい記録作りも楽に行えます。
≪記録編≫
1)写真を多数の人と共有するのが楽
2)複数の人が同じ記録に書き込みできる
3)後で統計になって表示される。
■ 当方の記録
当方のヤマレコ記録はこちら。
全ての山行をあげているわけではなく、クライミング系はいれていない。増えすぎると思ったので。
ヤマレコにはクライミング人口は少なそうだし・・・。でも反省した方が良いかもしれない???
パートナーゲットには地道な努力が必要、と言われているんだしね!!
■ リードオンリーはタダ乗り
ヤマレコは、助け合いの場だ。情報を見るだけで提供しない人は、タダ乗りとされ、嫌われる。
したがって、山行を一つ情報収集に使ったならば、一つ記録をUPして、情報提供のほうもしておくのがマナーだ。
Monday, October 26, 2015
読了 『モチベーションマネジメント』
■ 今日の出来事
今日は、朝からショックでした・・・家の前の銀杏の木の剪定が始まったのです。我が家は2Fで、木立が目の前なので、木を切っているオジサンから、部屋の中が丸見え・・・はぁ~。これでは、落ち着けませんので、とっとと家を出ました。
しかし、今日は読みたい本が溜まっている・・・図書館は月曜は休館日だし・・・。
とりあえずスタバへ。スタバでは、ハロウィーンのコスチュームの外人さんに会いました。聞くと、近くの小学校でハロウィーンパーティをやっているのだそうです。
奇妙奇天烈なハロウィーンのコスチュームを着ているのに、スタバにいるお客さん全員が気が付かないふりをしているのが、シュールでした(笑)。
■ 夫のヤル気
夫は、登山にはヤル気が全然でないのです。
・・・と言っても、ブドウの収穫体験にも、やる気が出るわけではないのですが(^^;)、行くかな?と聞いてみると、行くって返事でした。行くと仕事をさぼるわけでもないし、わたしより働き者かもしれないですし・・・登山も同じで、行けば行ったで、楽しそうにはしています。
でも、行きたい!ってのはないみたい・・・
まぁ、危険なこと、アブナイことにヤル気を出せ!と言っても、無理ってものかなぁ・・・と、私も思わないでもないです。
■ 何を動機にする人か?
しかし、アブナイと一口に行っても、色々な危ないがあります。トップロープのクライミングは、”危なくない”の種類なので、それで危ないからヤダ、というのは、どちらかというと、誤解の領域。
まぁ、私でさえも、危ないことをしたいわけではなく、色々な山に触れて、オールラウンドな山ヤとして成長したい、という気持ちの方が今のところ勝っているようです。
(成長意欲) > (危ない&怖い)
この本には、モチベーションポートフォリオというフレームワークがあります。
≪モチベーションポートフォリオ≫
ドライブ型 自力本願
ボランティア型 他者に尽くす
アナライズ型 解明したい、論理探究
クリエイト型 感性発散
私は完全に自力本願で、アナライズ型です。それが登山に適性があった理由でしょう。リスクって分析力がないと回避できないのです。
多分、夫は、ボランティア型です。彼はパソコンが得意なのですが、修理などを頼まれると、うれしそうにしていますから。また、彼もアナライズ型と思います。
登山において、クリエイト型の人というのは、おそらく、クライマーだと思います。クライマーの記述には、クライミングはクリエイティビティだ!と書いている記述が多いです。
私は、探究派で、山を探求したいという気持ちが強いと思います。
モチベーションの大きさ = (報酬の魅力) × (獲得可能性)
ということなので、私は夫が山の何を魅力に思っているのか、よく知らないといけません(^^)。
健康増進効果なのか?会社ですごいね~と言われることなのか?写真が美しいことなのか?
■ 補完的メンバー?
この本は、
・わたしにとって動機になることが、他の人にとって動機になるわけではない
・また私と同じような発想をする人が、かならずしも補完的なメンバーではない
と思い、手に取ってみました。私はどうにも納得できないでいるのです。
例えば、まったくパーティに貢献する気がなく、7kgもしないようなザックを背負っているだけなのに文句を言っているような人を連れて行く価値があるのでしょうか?
あるいは、パーティの足を引っ張るような人とか?セクハラする人とか?クライマーを引っ張り落とす人とか?あるいは、一人で行くより、その人と行った方が危険のリスクが増えるような人とか?
リアルな例では、過信がある人と行くと、凍傷になったり、あるいは死んでしまうかもしれません(汗)。
私は、アブナイと思える時は行かない主義です。
以前、厳冬期甲斐駒を誘われたときは、同行者がコケそうなスキル程度の人で、もし彼がコケたとしたら、ガイド氏がいても、カバーしきれず、自分も同じロープだと巻き込まれると思ったので、断わりました。冬山では、特に危ないと思う時は、そもそも一緒に行かない。
逆に、私は初心者と行くときは、歩荷を肩代わりしたりします・・・酒を一瓶かついで行って褒められたりしています・・・それはその人が特別に一緒にいたいと思える人(パーティ)だから、そうしたのです。
なんでそう思えるかというと・・・なんでだか、自分でも分かりません(^^;) 一緒にいたい人とそうでない人がいます。
行きたい山はありますが、あまり思いつめないようにしています・・・というのも、思い詰めると、無理をして行くことになるからです。
行ける山に行く。行ける機会が来た時に、チャンスを逃さないよう努力をしておく。
そんなことを考えてしまうのは、
(山行で強いられる我慢の量=支出) と (その山行で得られる報酬=メリット)
が、釣り合わないと、私が考えている証拠なのでしょう・・・
しかし、周囲のリーダーを見ていると、驚くべき忍耐力を発揮しています。その忍耐の源泉は、どこなのか?というのが、私の疑問でした。
私には強く行きたい山がないので、寂しい人なのかもしれません。
■ バブル崩壊前と後
世の中は、変遷が激しく、特に、バブルの崩壊前と崩壊後では、価値観が著しく変化しています。
私のパッと見の印象は、バブル崩壊以前の価値観が根強いのではないか?と言うことです。
つまり 個人 < 組織。 個人が滅私奉公して、組織に奉公する、というものです。
この本によると、バブル前とバブル後では、報酬の原資が違うそうです。
報酬の原資 組織と個人の関係
バブル前 カネ&ポスト 拘束関係
バブル後 多様化 相互選択
→ 働く意味を問う時代 物質的な豊かさから精神的豊かさへ
つまり、「より豊かな生活を求めて」「企業内の出世の階段を登る」というのは、ニンジンではなくなったらしいのです。確かにワタシにも、夫にも、そんなのニンジンではないですね(^^;)
バブル後は、組織と個人の関係は、互いに選び選ばれる、という関係に変化しています。嫌な会社だけど、給料が上がりそうだから、我慢、というのはないのです、もはや。
では何があるのか?というと、組織が人を選ぶと同様に、人も組織を選ぶようになった。ということです。
組織は、人をつなぎとめるために、カネと地位以外の、報酬を持たないと、結集力がない、という訳です。
これは、金銭が介在する企業と労働者の関係性の変化ですが、山岳会では、そもそも金銭的報酬が介在しないので、もっと顕著かもしれません。
では、一体どういうものがニンジンなのか?
それは、価値観の多様化、ということで、
個人による
のです。その個人が何に価値を見出すか?そこが重要なポイントです。
≪代表的な報酬例≫
今日は、朝からショックでした・・・家の前の銀杏の木の剪定が始まったのです。我が家は2Fで、木立が目の前なので、木を切っているオジサンから、部屋の中が丸見え・・・はぁ~。これでは、落ち着けませんので、とっとと家を出ました。
しかし、今日は読みたい本が溜まっている・・・図書館は月曜は休館日だし・・・。
とりあえずスタバへ。スタバでは、ハロウィーンのコスチュームの外人さんに会いました。聞くと、近くの小学校でハロウィーンパーティをやっているのだそうです。
奇妙奇天烈なハロウィーンのコスチュームを着ているのに、スタバにいるお客さん全員が気が付かないふりをしているのが、シュールでした(笑)。
■ 夫のヤル気
夫は、登山にはヤル気が全然でないのです。
・・・と言っても、ブドウの収穫体験にも、やる気が出るわけではないのですが(^^;)、行くかな?と聞いてみると、行くって返事でした。行くと仕事をさぼるわけでもないし、わたしより働き者かもしれないですし・・・登山も同じで、行けば行ったで、楽しそうにはしています。
でも、行きたい!ってのはないみたい・・・
まぁ、危険なこと、アブナイことにヤル気を出せ!と言っても、無理ってものかなぁ・・・と、私も思わないでもないです。
■ 何を動機にする人か?
しかし、アブナイと一口に行っても、色々な危ないがあります。トップロープのクライミングは、”危なくない”の種類なので、それで危ないからヤダ、というのは、どちらかというと、誤解の領域。
まぁ、私でさえも、危ないことをしたいわけではなく、色々な山に触れて、オールラウンドな山ヤとして成長したい、という気持ちの方が今のところ勝っているようです。
(成長意欲) > (危ない&怖い)
この本には、モチベーションポートフォリオというフレームワークがあります。
≪モチベーションポートフォリオ≫
ドライブ型 自力本願
ボランティア型 他者に尽くす
アナライズ型 解明したい、論理探究
クリエイト型 感性発散
私は完全に自力本願で、アナライズ型です。それが登山に適性があった理由でしょう。リスクって分析力がないと回避できないのです。
多分、夫は、ボランティア型です。彼はパソコンが得意なのですが、修理などを頼まれると、うれしそうにしていますから。また、彼もアナライズ型と思います。
登山において、クリエイト型の人というのは、おそらく、クライマーだと思います。クライマーの記述には、クライミングはクリエイティビティだ!と書いている記述が多いです。
私は、探究派で、山を探求したいという気持ちが強いと思います。
モチベーションの大きさ = (報酬の魅力) × (獲得可能性)
ということなので、私は夫が山の何を魅力に思っているのか、よく知らないといけません(^^)。
健康増進効果なのか?会社ですごいね~と言われることなのか?写真が美しいことなのか?
■ 補完的メンバー?
この本は、
・わたしにとって動機になることが、他の人にとって動機になるわけではない
・また私と同じような発想をする人が、かならずしも補完的なメンバーではない
と思い、手に取ってみました。私はどうにも納得できないでいるのです。
例えば、まったくパーティに貢献する気がなく、7kgもしないようなザックを背負っているだけなのに文句を言っているような人を連れて行く価値があるのでしょうか?
あるいは、パーティの足を引っ張るような人とか?セクハラする人とか?クライマーを引っ張り落とす人とか?あるいは、一人で行くより、その人と行った方が危険のリスクが増えるような人とか?
リアルな例では、過信がある人と行くと、凍傷になったり、あるいは死んでしまうかもしれません(汗)。
私は、アブナイと思える時は行かない主義です。
以前、厳冬期甲斐駒を誘われたときは、同行者がコケそうなスキル程度の人で、もし彼がコケたとしたら、ガイド氏がいても、カバーしきれず、自分も同じロープだと巻き込まれると思ったので、断わりました。冬山では、特に危ないと思う時は、そもそも一緒に行かない。
逆に、私は初心者と行くときは、歩荷を肩代わりしたりします・・・酒を一瓶かついで行って褒められたりしています・・・それはその人が特別に一緒にいたいと思える人(パーティ)だから、そうしたのです。
なんでそう思えるかというと・・・なんでだか、自分でも分かりません(^^;) 一緒にいたい人とそうでない人がいます。
行きたい山はありますが、あまり思いつめないようにしています・・・というのも、思い詰めると、無理をして行くことになるからです。
行ける山に行く。行ける機会が来た時に、チャンスを逃さないよう努力をしておく。
そんなことを考えてしまうのは、
(山行で強いられる我慢の量=支出) と (その山行で得られる報酬=メリット)
が、釣り合わないと、私が考えている証拠なのでしょう・・・
しかし、周囲のリーダーを見ていると、驚くべき忍耐力を発揮しています。その忍耐の源泉は、どこなのか?というのが、私の疑問でした。
私には強く行きたい山がないので、寂しい人なのかもしれません。
■ バブル崩壊前と後
世の中は、変遷が激しく、特に、バブルの崩壊前と崩壊後では、価値観が著しく変化しています。
私のパッと見の印象は、バブル崩壊以前の価値観が根強いのではないか?と言うことです。
つまり 個人 < 組織。 個人が滅私奉公して、組織に奉公する、というものです。
この本によると、バブル前とバブル後では、報酬の原資が違うそうです。
報酬の原資 組織と個人の関係
バブル前 カネ&ポスト 拘束関係
バブル後 多様化 相互選択
→ 働く意味を問う時代 物質的な豊かさから精神的豊かさへ
バブル後は、組織と個人の関係は、互いに選び選ばれる、という関係に変化しています。嫌な会社だけど、給料が上がりそうだから、我慢、というのはないのです、もはや。
では何があるのか?というと、組織が人を選ぶと同様に、人も組織を選ぶようになった。ということです。
組織は、人をつなぎとめるために、カネと地位以外の、報酬を持たないと、結集力がない、という訳です。
それは、価値観の多様化、ということで、
個人による
のです。その個人が何に価値を見出すか?そこが重要なポイントです。
≪代表的な報酬例≫
・楽しい人間関係
・人間的成長
・専門知識、技能
・大切にしてくれる
・力を発揮できる
・好きな仕事
・学びたい上司や先輩
・友人
・海外勤務
・結婚相手
登山においては、価値観で結ばれたきずながないと、とりとめのない会になってしまうかもしれません。
■ それでは、自分の価値観を突き止めないと
となると、自分の価値観を突き止めるのが重要になるわけですが・・・
私にとっては、山は良き思い出を作るためのもの・・・です。
今まで山で会って、お友達になった方、みなさん、すてきな思い出をくれました。敦子さん、ありがとう!ウッキーさん、ありがとう!絵里子さん、ありがとう!トシゾーさん、ありがとう!前のパートナーのSさん、ありがとう!山であったおじさんたち、ありがとう!山岳会の先輩たち及び岩場であったクライマーのみなさん、ありがとう!
みなさんが思いやりから心配して、一緒に歩いてくれたのは、よく分かっています。
山でいい思い出ができるっていうのが、人と一緒に山に行く良さだと思うんですよね。
ワイン用ブドウ収穫体験
■ブドウ収穫
昨日は、ワイン用ブドウの収穫のお手伝いに行ってきました☆
小牧ヴィンヤードです。
小牧さんは山梨出身のソムリエさんで、長年帝国ホテルでシニアソムリエをされていたそうです。いつでも、楽しいワインのコメントをくださります。
いつも思うのですが、山のリーダーとソムリエには、高潔なお人柄という共通点があるかもしれません。
登山が直接的な自然の恵みとすれば、ワインは間接的な自然の恵み。登山の価値も、ワインの価値も、そこに人が介在しなければ、価値として成り立ちません。
が、人間中心の登山・・・たとえば、環境破壊を引き起こすゴルフ場開発、道路開発、山小屋、し尿問題など・・・は、人間が頭上にツバするものであるように、ワインのほうも、人間中心に楽をして、やろうとすると、必ずワインに現れる、そんなところも登山とワインは似ているようです。
山梨は、日本のワインをけん引する役割を負っている県ですが、実情は、外界の情報不足や、しがらみという、体制上の問題で、成長の限界が見え隠れしているということになっているようです。
豊かで恵まれた環境条件に、恵まれているにも関わらず、イマヒトツ地元での認知や盛り上がり感に欠ける。のは、どちらかというと、宝の持ち腐れ状況、というような現状です。
まぁ、そういういう状況は、ラッキーと言うべきか、県外者の目には明らかで、そういう場合、価値ある、楽しい集まりに集まる人というのも、なんとなく県外者が多いです。
昨日も、収穫のお手伝いに集まったのは、神奈川県の人に、神奈川県の人に、群馬県の人に・・・あれれ、みな県外者。
■ ワイン特区
酒税法の改正により、日本には、20のワイン特区が制定されたようです。(資料はこちら)
ワイン特区は、ニセコから、九州天草までありますが、山梨県は
北杜市
韮崎市
の2つ。大月の特区はワイン限定ではなく、野菜を含めたもののようで、東京という大消費圏に近いからかなぁ~と思います。
そもそも特区とは?と言いますと、法律が緩やかである、ということです。私はたまたま前の商社での仕事で、日本の農業(というよりアグリビジネスと言う言い方をして、アグリビジネスと農業は似て非なるものです)を学ぶ機会を得たのですが、日本の食糧計画という意味合いでは、日本の農業は、保護政策の対象にしないと、日本の国防自体が危ういかも・・・という国家的認識の上に立つものです。
後継者がいないのは、単純に食べていけないから、が第一義的、あとは、法律で新規参入が非常に難しいのです。一方、参入したとしても、日本の野菜生産量は過剰なので、価格が安く、生活が成立しないです。
一方、消費者の目線で見ると、農産物や食品の価格は先進国と比べて非常に高く、日本の”農”を巡る環境は矛盾を抱えています。
(余談ですが、先進国がどのように解決しているか
と言いますと、生活保障などの保護政策です。アメリカの米は日本の米より安いですが安い理由は、ソニーのラジオがアメリカのラジオより安かったのと同じように、採算度外視で価格を抑えているからです。)
と言いますと、生活保障などの保護政策です。アメリカの米は日本の米より安いですが安い理由は、ソニーのラジオがアメリカのラジオより安かったのと同じように、採算度外視で価格を抑えているからです。)
■ ワイン用のブドウ
さて、早速、ですが、山梨のワインの発展と言う未来をみますと、
ワイン用ブドウの安定的生産
が、現状の課題となっているそうです。ブドウ生産と言えば、勝沼が有名ですが、特区となっているのは、韮崎と北杜市。
近年は、温暖化により、旧来のブドウ産地、勝沼はヒートアイランド化が激しく、ワイン用ブドウに求められる糖度や、病害虫の被害の少なさ、育てやすさという点では、県の北部に軍配が上がるようです。
今回も、知人で勝沼でブドウをしている方が、小淵沢で収穫するブドウの糖度にびっくりされていました。なんと25度もあるのだそうです。(一般に22度以上必要だそうです)
というわけで、小淵沢へ。収穫は、私の好きなブドウの、メルロー。カベルネ・フランなど。
小さなヴィンヤードなので、その畑で捕れたブドウ全部を使って作るワインを目指しているそうです。
収穫に集まったのは、上記のような、知り合いのつてで、田舎の素晴らしさを知っている都会人多数。
■ 楽しい時間でした
収穫というのは、農業の中では比較的ラクで、素人にも取り付きやすい作業。何をすればいいか、見えていますもんね。
ただ、農業って、規模をまとめると、単調でツマラナイのです・・・。小さな規模の畑とはいえ、一人でコツコツやるとなると、寂しく、切なくなってくるかもしれないなぁ・・・。
私は明野に小さな畑を一時期借りていましたが、1年で手放しました。15分の作業のために1時間の運転をしていては、全然エコでないからです(^^;) それに小さな畑は、10×10mほどで年間5万円も賃料を払っていたので、普通においしい野菜を買う方が有益でした。
でも、とりあえず、野菜を作るのに、畝を立てたり、土を耕し、肥料を入れ、マルチングし・・・という作業の地味さは分かります(笑)。 すぐに成果が見える収穫は、喜びを体現する世界です。
それも、たくさんの人とやると楽しいです♪
ただ昨日は意外に風が強くて、寒かった。山用のウエアを着て行って良かったです。上着を脱ぐことなく、過ごしてしまいました。
■ 1本の木から1ワイン
収穫したブドウがほとんど干しブドウになっていたので、一体こんなカラカラのブドウから、どれくらいのワインが取れるのか、心配になってしまいました・・・。
その答えは・・・1本の木から1ボトル、だそうです。 商業的に成り立っているワイナリーは、2.5本くらい作れるそうです。
木が若かったりすると、そうそう人間に都合よく作るわけにもいかない。とりあえず、ワイン1本で一つの木としましょう。
■ 一家で年5万円のワイン消費
ちなみに、日本のワイン消費量は年々上がっています。(資料)
一人当たりワイン消費量は、2.3リットル。
私はアメリカに若いころ2年いたのですが、あちらの人たちはダース買いです。日本ではビールがそうなのでしょうかね?フランスは40~50リットル、アメリカでも9リットルも飲んでいるそうです。
私は、デイリーワイン派で、月に3~4本ワインを飲んでいます。となると、一か月4本のブドウの木が必要です。一年だと48本。約50本のブドウの木があれば、我が家のワイン需要は満たせる(笑)。
50本なら面倒みれそう(笑)。ワインは大体1000円以下のしか買っていない・・・スイマセン(^^;)
それは原価ではないのですが、とりあえず地頭力的計算式で、それで試算しますと、50本のワイン×1000円=5万円/年。
そんなにワインを買っていたとは驚きです!でも750ml/1000円として、日本の国民平均2.3リットルだと3000円強なので、平均の10倍以上の消費者です。
■ ワイン畑にしてどらくらい?
消費者としての感覚を離れ、生産する立場から考えると、年間5万円の労働対価で、50本のワインの木の面倒を見て、ワインに醸造するまでをやるとなると、労働の採算的にどうなのでしょう?
日本の貧困ラインは、150万円/年ですから、年収150万円を目標とすると、50本/5万円で割ると、1500本の木が必要になります。
1500本のブドウの木の面倒をみるのは、感覚的に言うと、そう大変そうでもないような?
小規模農家で、なんとかなりそうな量です。もちろん畑がまとまっている、などの条件が必要そうですが。大体ブドウの木は1ヘクタール当たり5,000から10,000本植えられるのだそうです。 1ヘクタールは大体10反ですから、3分の一として、3~4反が必要な土地面積。
逆を言えば、1000円/本で売るとすれば、1500本のワインが作れたら、ギリギリ貧困ラインは超える売上高と言うことです。(家飲みワインの相場は1500円以下)
もちろん、これは原価計算が入っていないですから、純収入でみると、もっと下がります(とはいえ、サラリーマンの年収も純収入とは言えず売上高に相当します)。
貧困ラインで考えず、収入300万円を目指すには、単純に倍すればよく、山梨県の平均年収450万円を目指すには、3倍すれば良く好都合です。
300万円売上コース
生産量で倍の3000本にするか、収量を1本あたり2本にあげる、価格で倍の2000円にする
450万円売上コース
生産量3倍4500本、価格で3000円とする。
日本のデイリーワイン価格が1500円とし、今後これが上がる傾向は経済動向からなさそうですから、1500円をターゲットに450万円を目指すと・・・1本の木で1本のワインとすれば9000本、
2本とすれば4500本のブドウの木が必要になりますね。
日本の生産では採算ラインに乗らないとされる、1本千円以下で買えるワインですが、その価格を実現しているのは、世界の経済格差ということになるのですが、2000年代に入り、日本の経済的優位性は後退しており、例えば、オーストラリアなど、一か月600ドルの賃料ではどこにも住むことができません。600ドルは週の賃料です。
海外を旅すると、日本の経済的地位の移り変わりが色濃く感じられます。日本が経済力No1であった時代はすでに30年前。
大学の時は10万円のパック旅行で一流ホテルに泊まれたのに、今では、場末のスプリングが沈むようなのにしか泊まれません(笑)。
余談ですが逆に海外からの観光客にとっては日本を目的地とした旅行は格安化しています。近年ではニセコがオーストラリア資本が進出したりしていて、ビックリです。世界の状況は激変中で知らぬは日本人ばかり、という状況です。
北杜市も、ニセコと似た事情の部分がありますね!日本の偉大なる自然景観は、日本人だけが独り占めしておくにはもったいない美しい自然ではないかと思います。
Saturday, October 24, 2015
プチリハビリ&プチおフレンチな休日
■ ウラヤマ
今日は夫とMY裏山の愛宕山を散策してランチに行きました♪
夫は、昨夜は、飲み会で午前様。彼に必要なのは、アクティブな週末。明日はブドウの収穫のお手伝いが入っているんだなー。楽しみなお手伝いです。
今日はちょっと夫にクライミングの紹介でも・・・と思っていたのですが・・・、お疲れのご様子。
そこでウラヤマ散策に切り替えました。
裏山は、実は、ブドウ畑&別荘地、なんです。 そのコンビネーションがどうも、チグハグな山なのでしたが、去年から、そのチグハグさに、さらに太陽光発電パネルが加わってしまいました・・・。
登り出しすぐは、墓地ですが、すぐに太陽光パネルが出てきます。
ガンガン発電中。
自民党政権になってから、こうしたパネルが増えたと思いますが、補助金が出るのでしょうか。
古い家は取り壊されて、残骸が山積みになっていた。
なんとなく、荒れた感じがする場所です。
こんな感じにブドウ畑は舗装?されています。
もともとも岩っぽい土壌と思いますが、上にコンクリートが流されているような道です。
お天気がよく、夫は日焼けしてしまいました・・・
奥に見えているのは、大笠山です。
甲府市のキャンプ場があります。少年自然の家的な施設もあります。
よく営業の車と思しき、乗用車がサボって日向ぼっこしています。
ブドウ畑をつぶして、太陽光発電・・・
自然エネルギーへの転換は、総論では良いことのようですが、そもそも自然を破壊してしまっては、なんか違うことのような気がする・・・微妙な現実・・・。
私が思うには、ヒートアイランド現象が、過剰な電力を要求する元なので、都市部に樹木を植えるのが、正しい施策のように思えるのですが・・・。
アメリカの高級住宅街は、もれなく樹木にたっぷり埋もれている町です。
開拓時代に、グレートプレーリーの開拓者たちには家の周りに樹木を植えることが義務付けられていたためです。
日本では、落ち葉が嫌われて、街中の樹木は迷惑扱いですが・・・
高級別荘地なので、別荘がまた立つようです。
こんなクレーンで!
一般住宅だそうです。
お隣の区画。雑草に埋もれて、車庫も見えず、ジャングル状態。
放置すれば遷移するのかな?
秋の紅葉。
いくらで売られているのでしょう?? と見ますと・・・445㎡で700万円。 って安いのか高いのか?
一反は990㎡だそうなのですが・・・。半分くらいってこと?
こちらは、打ち捨てられた、真の豊かさ。発電パネルなど設置しなくても、太陽の恵みは、すぐそこにあるんですが、誰もありがたがっていないってのが、悲しい現実。
愛宕山にはイノシシ君もいます。うちのマンションにもウリコが、外廊下を走ったことがありました。
子供の国には科学館があって、いつも立ち寄ります。
こんな模様のテントがあればいいのに!
星座早見表!
今日はお山は一切見えないですね。 こういう日は尾根を歩くより、外岩がいい感じです。
夫にそういうと、え~っと抵抗中・・・でも、彼は何も知らない。知らないことにはいつも抵抗するんだよなー。
男性と言えば、保守的、という言葉が脳裏に浮かぶワタクシ・・・。彼曰く、「僕、虚弱体質」でも、クライミングって体力は全然イラナイ・・・老後に取っておこうと思っていたくらいイラナイ。
夫にとって、良い子=お母さんの邪魔をしない、という公式であると思われ・・・妻は限りなく母親に近い存在であるような気がしないでもなく・・・、実際の妻である私にとっては、むしろ、積極的に、個人の生活にかかわってくれるほうが、嫁さん孝行なんだと彼が分かってくれる日は遠いかもしれない・・・
今日は、望遠鏡、なぜか開いていた。日ごろは、大変高級なスズメマンションとなっている。
ちょっとばかし、ワインの勉強。明日、ワイナリーで収穫の手伝いをするので。
スズキのグリル。盛り付けが、おフレンチであるが、作れそうだった。今日は甲府駅前は、マーチングバンドが出て、何かお祭りをしていた。
ランチに1500円。二人だと3000円。
うーん・・・これなら、ジムに二人で行って3000円とどちらが良いのだろう?というか、兜山に行っても、ほとんどタダなんだけど。
私の理想は、同じ3000円なら、兜山にでも登りに行って、一本2000円くらいの地元のワイナリーのワインを買って家で飲む、という方かもしれないな~。
帰宅すると、すっかり夫は疲れてぐっずりお昼寝。お疲れは溜まっていたようだった。
11月は、12月の本番雪山に向けてトレーニングを開始しないと・・・。
11月最終週は雪か岩トレが入る予定です。前半は第一週は岩トレです。間は未定。
多少、ロングな山で、リハビリした方がいいような気がします。
今日は夫とMY裏山の愛宕山を散策してランチに行きました♪
夫は、昨夜は、飲み会で午前様。彼に必要なのは、アクティブな週末。明日はブドウの収穫のお手伝いが入っているんだなー。楽しみなお手伝いです。
今日はちょっと夫にクライミングの紹介でも・・・と思っていたのですが・・・、お疲れのご様子。
そこでウラヤマ散策に切り替えました。
裏山は、実は、ブドウ畑&別荘地、なんです。 そのコンビネーションがどうも、チグハグな山なのでしたが、去年から、そのチグハグさに、さらに太陽光発電パネルが加わってしまいました・・・。
登り出しすぐは、墓地ですが、すぐに太陽光パネルが出てきます。
ガンガン発電中。
自民党政権になってから、こうしたパネルが増えたと思いますが、補助金が出るのでしょうか。
古い家は取り壊されて、残骸が山積みになっていた。
なんとなく、荒れた感じがする場所です。
こんな感じにブドウ畑は舗装?されています。
もともとも岩っぽい土壌と思いますが、上にコンクリートが流されているような道です。
お天気がよく、夫は日焼けしてしまいました・・・
奥に見えているのは、大笠山です。
甲府市のキャンプ場があります。少年自然の家的な施設もあります。
よく営業の車と思しき、乗用車がサボって日向ぼっこしています。
ブドウ畑をつぶして、太陽光発電・・・
自然エネルギーへの転換は、総論では良いことのようですが、そもそも自然を破壊してしまっては、なんか違うことのような気がする・・・微妙な現実・・・。
私が思うには、ヒートアイランド現象が、過剰な電力を要求する元なので、都市部に樹木を植えるのが、正しい施策のように思えるのですが・・・。
アメリカの高級住宅街は、もれなく樹木にたっぷり埋もれている町です。
開拓時代に、グレートプレーリーの開拓者たちには家の周りに樹木を植えることが義務付けられていたためです。
日本では、落ち葉が嫌われて、街中の樹木は迷惑扱いですが・・・
高級別荘地なので、別荘がまた立つようです。
こんなクレーンで!
一般住宅だそうです。
お隣の区画。雑草に埋もれて、車庫も見えず、ジャングル状態。
放置すれば遷移するのかな?
秋の紅葉。
いくらで売られているのでしょう?? と見ますと・・・445㎡で700万円。 って安いのか高いのか?
一反は990㎡だそうなのですが・・・。半分くらいってこと?
こちらは、打ち捨てられた、真の豊かさ。発電パネルなど設置しなくても、太陽の恵みは、すぐそこにあるんですが、誰もありがたがっていないってのが、悲しい現実。
愛宕山にはイノシシ君もいます。うちのマンションにもウリコが、外廊下を走ったことがありました。
子供の国には科学館があって、いつも立ち寄ります。
こんな模様のテントがあればいいのに!
星座早見表!
今日はお山は一切見えないですね。 こういう日は尾根を歩くより、外岩がいい感じです。
夫にそういうと、え~っと抵抗中・・・でも、彼は何も知らない。知らないことにはいつも抵抗するんだよなー。
男性と言えば、保守的、という言葉が脳裏に浮かぶワタクシ・・・。彼曰く、「僕、虚弱体質」でも、クライミングって体力は全然イラナイ・・・老後に取っておこうと思っていたくらいイラナイ。
夫にとって、良い子=お母さんの邪魔をしない、という公式であると思われ・・・妻は限りなく母親に近い存在であるような気がしないでもなく・・・、実際の妻である私にとっては、むしろ、積極的に、個人の生活にかかわってくれるほうが、嫁さん孝行なんだと彼が分かってくれる日は遠いかもしれない・・・
今日は、望遠鏡、なぜか開いていた。日ごろは、大変高級なスズメマンションとなっている。
ちょっとばかし、ワインの勉強。明日、ワイナリーで収穫の手伝いをするので。
スズキのグリル。盛り付けが、おフレンチであるが、作れそうだった。今日は甲府駅前は、マーチングバンドが出て、何かお祭りをしていた。
ランチに1500円。二人だと3000円。
うーん・・・これなら、ジムに二人で行って3000円とどちらが良いのだろう?というか、兜山に行っても、ほとんどタダなんだけど。
私の理想は、同じ3000円なら、兜山にでも登りに行って、一本2000円くらいの地元のワイナリーのワインを買って家で飲む、という方かもしれないな~。
帰宅すると、すっかり夫は疲れてぐっずりお昼寝。お疲れは溜まっていたようだった。
11月は、12月の本番雪山に向けてトレーニングを開始しないと・・・。
11月最終週は雪か岩トレが入る予定です。前半は第一週は岩トレです。間は未定。
多少、ロングな山で、リハビリした方がいいような気がします。
転機となった言葉 (座右の銘)
■ 読図編
1) ピッケルより読図でしょ!
2) ピンクテープが自分を追いかけてくるようになる
3) GPSはカンニングだ
■ ロープワーク編
1) 何はなくともセルフビレイ
1) ピッケルより読図でしょ!
2) ピンクテープが自分を追いかけてくるようになる
3) GPSはカンニングだ
■ ロープワーク編
1) 何はなくともセルフビレイ
2) ビレイができないと岩には連れていけない
3) 5級マスター
3) 5級マスター
■ クライミング???
さて私はいよいよクライミング力の方をあげないといけなくなったのですが・・・
どういう座右の銘でクライミングして行けばいいのでしょう・・・(はぁ・・・)
今のところ、
手・足・足
右手を出す時は右足
という初歩的で具体的な指導が、座右の銘ですが・・・
あ、あと
指の皮で登る
ってのもありましたが・・・うーん・・・クライミングに関しては、才能という後押しは、一切無いように思えるので、これまで以上に大変な道のりとなりそうです・・・(--;)
■ 去年の今頃考えていたこと
山ガールの受け皿がない
山第三章
本チャンって何だ?
ビバークについて考える
山岳会の体力と新人の思惑
■ 去年の今頃考えていたこと
山ガールの受け皿がない
山第三章
本チャンって何だ?
ビバークについて考える
山岳会の体力と新人の思惑
ロープワークをいかにマスターしたかを振り返る
■ ロープワークは身に着けやすい
さて、
・地図読み
・ロープワーク
が、2大登山技術ですが、いかにロープワークを身に着けたか?と言う話になりますが、これがまた、イバラの道だったなぁ・・・と思う訳です(^^;)、ハイ。
しかし、ロープワークは、確実に誰もいなくても教わることができる技です。地図読みより、ある意味ラクです。
ロープワークには、やり始めてから自信がつくまでに、1年半かかりました。
リーダー講習でならってすぐの記録
まだ岩二回目のころの記録
カラビナの掛け方くらいで躓いている頃
ガチ山一年生の頃の記録
何から教え何から学ぶべきか?
■ クライマーがロープワーク上級者とは限らない
ロープワークのニーズとして、クライミングはしないと決めている人には、心ならずも、ロープワークは、クライミングをすると決めている人以上の技術力が要ります。
・クライミングする人 → ロープワークは、初級で済んでしまう
・クライミングしない人 → ロープワークは、熟練の技が必要
理由は、クライミングする人は、簡単に済ませることができるギアを持って行動しますが、しない人は同じことをギアなしで実現しないといけないからです。
特に山岳縦走などで、万が一の時に使える技・・・となると、”その程度でいい”という話ではなく、”それが一番難しい”という話になります。
結果、 クライミングが上手な人は必ずしもロープワークが安全確実な人ではない
となります。
■ 転機となった言葉
1) 何はなくともセルフビレイ
2) ビレイができないと岩には連れていけない
3) 5級マスター
これらの言葉が、成長の強い動機となりました。
私は岩登りは最初から余り乗り気ではなかったのです・・・山岳総合センターのリーダーコースには、
・アルパインコース
・縦走コース
の2つの選択肢があり、到達ラインも違いますが、そのうち、縦走コースを選んでいたくらいです。
(縦走コースは3人しか人がおらず、アルパインコースにまとまってくれると助かるなぁという後押しがあった)
最初は、夫と行く雪山の縦走で、いかに夫を確保するか?ということを目的に出ていたのでした・・・。
しかし、理解が進むにつれて、縦走でロープを出すほうが、クライミングそのものでロープを使うより、数段難しいということが分かるようになりました・・・(汗) 何しろ、縦走路には支点が整備されてはいないのです。
さて・・・話は元に戻りますが、私は、クライミングは下手くそで、なおかつ心配性で怖がりなので、
何はなくともセルフビレイ
が、最初に自分を守る言葉として、盾になってくれました。セルフビレイさえ出来ていれば、少なくとも墜落死はありません。
・雪の急斜面でも、バケツを掘ってセルフをとらないと叱られます。
・またアイゼン歩行練習でターンするとき、自己確保を取らないでやっても叱られます。
これらは、山岳会の行動を見ていると、新人さんへの遠慮や媚から、言わないで済ませられています。でも、ここは厳しく決して譲ってはいけない部分ではないかと思われます・・・命を守る習慣をつけるのが大事です。
ビレイができないと岩には連れて行けない
ということは、講習会の雪中テント泊中に聞きました。私はその時、まだ人工壁も触ったことがない丸っきりのクライミング無知でしたので、ビレイが何かもさっき習ったところ。
それでも、ビレイがクライマーの命を守ることだ、くらいは分かっていました。ビレイができないビレイヤーなんて、ビレイヤーではありません・・・。
その後、南沢小滝でのアイスクライミングが私のビレイ初体験でしたが、上から両手とも制動側のロープを持ってローワーダウンしろと叫ばれ、「すみません」と返しました。フリーのゲレンデに行くようになり、周囲を見ると、そんな丁寧なローワーダウンをしている人なんて、ほとんどいません・・・。
その後、スポーツクライミングを毎週の活動にしている会に参加して、ビレイをマスター。スポーツクライミングでは、みんな平気でじゃんじゃん落ちているからです。
5級マスター
は、クライミングを常習するようになってからの、心の支えです(笑)。 フリークライミングは、上には上がいる世界で、クライミングだけをするようになると、山に行けなくなってしまいます。
しかも、日本の山岳エリアでのクライミングは、5級までしか出てこないのです。
クライミングには、
・ムーブ解決して、一本の難しい課題を一回コッキリでもいいから決める
・いつでもスムーズにある程度のクライミングがこなせる
の二つのベクトルがあり、フリークライミングは前者です。5.12が登れる、などの世界です。平山ユージさんをクライマーだと人は思っても、登山家だとは思わないでしょう。
後者は、アルパインクライミングの世界です。アルパインでは、ハングドッグしてムーブ解決などしていたら、その間に凍てついてしまいます。アルパインに必要なのはスピード。ムーブ解決が必要な位なら、ユマールで登ります。というか、そこが登れる程度の登攀グレードでも、スピードを優先して、ユマールで登ると言う解決策を取るくらいです。
そこで、後者を目指す場合、どういう登攀力を目指せばいいのか?というと、
5級だったらどこでも、よどみなく登れる、
ということです。
■ 具体的にしたこと
1)初心者時代
行動:
1) ロープワークの本を読む
2) 文部科学省が出している、確保理論の文献を読む
3) 家で結び目の練習をする
4) リード壁に通う
5) 初級の岩場に通う
6) 取扱説明書をよく読む
7) わざと人工壁で落ちてもらって、墜落を止める
8) ロープの購入
成果:
・結び目が結べるようになる
・リードフォロー(スタカット)が分かるようになる
・流動分散が分かるようになる
・手繰り墜ちが危険だと分かるようになる
・トップロープは最初を張り気味でないとロープの伸びの分、落ちる距離が長いと分かるようになる
・クライミングスタイルによるロープの差が分かる 必要なギアが分かる
2)脱皮時代
行動:
1) 人工壁で5.10Aが登れるようになる
2) 外岩に連れて行ってもらう
3) 外岩でリードする
4) 先輩の墜落を停止する
5) アイスでリードのビレイをさせてもらう
6) アイスでルートに出る
7) アイスで中間支点を作る練習をする
8) 岩装備をいつも整頓して置く
成果:
・トポを見る習慣
・計画時に、ダブルか、シングルか、どのようなロープが必要か考える習慣
・フリーとアルパインの岩での装備の違い
・フリーの時にじゃらじゃらとギアをハーネスにぶら下げない
・登るのに必要な物だけを持ってあがる
・登り出す前に、登攀をどうするか考える
3)中級者へ
行動:
1)自分が外岩に連れて行く
2)レスキューの講習に出る
3)復習で再度、教科書を読む
4)自宅でロープワークを練習する
5)知っていることを他の人に教える
成果:
・自分で登れるルート
・知識の定着で、自信を深める
・忘れている結びを改めて思い出す
■ どれくらい時間がかかったか?
ロープワークは紹介されてから、丸2年、最初の半年は、機会がなく、素通りしていますから、1年半具体的にかかっています。
私がロープワークが必要になるような山(バリエーション)に行き始めたのが、たまたま冬なので、アイスのルートやゲレンデが主なロープの出番です。
最初の一年は、確保理論を机上で講習せずにいきなり、外で確保だったので、分かっていないことがあるような気がして怖かったです。
実際、
・ランナウト
・墜落係数2の墜落は危ない
・伸びないロープで落ちると危ない
・トップロープのプーリー現象
・ゼロピン目
・トラバースがむしろ危険
・一ピン目を取る前に落ちると危ない
・ロープギロチン
など、当然のことが分かるようになるのに、確保理論をきちんと読まないと分かりませんでした。
クライミングにも机上講習が必ず必要と思います。実際上記のことを理解させるのに、2時間程度しかかからないのではないかと思います。
その程度の知識を理解するだけに、少なくとも一年はもやもやした気持ちで過ごしました。
■ まとめ: 成功の要因となった行動
1)ロープワークの本を読む
2)スポーツクライミングに通う
3)講習会に出る
4)取扱説明書を読む
5)家でコソ錬する
6)相談相手を持つ
■ 講習費用
さて、ロープワークとの出会いは、講習会だったわけですが・・・山岳総合センターでは、リーダー講習以外にも、初級のロープワークを教える講習があります。
山梨の岳連が主催する講習会は、基本的に無料です。無料の講習会でも同じことが得れると思います。
ちなみに、例として、講習会の例を挙ますと・・・登山技術レベルアップ講習会(縦走時のレスキュー)は、机上講習と実技のセットで、15000円。机上があるというのが大事なことです。
山岳会は机上講習を嫌うので、いつまでたっても大事な知識が抜け落ちたままになりがちです。
私が知っている上手くいっている会は、例会で先輩が簡単な机上講習の代わりをしていました。
ただ、ロープワークの講習会は、
・基礎 まったく結び目の名前も知らない本当の初心者向け
・初級 自分の安全を守るためのロープワーク
・上級 相手の安全を守るためのロープワーク
と講習会を選ぶ段階でも、ある程度知識がないと、
どの講習会に出たらいいのか?
がそもそも選べませんので、そういう意味で、相談相手を持つことは必要だと思います。
■ 相談相手を持つ
相談相手ですが、もし誰も相談する相手がいない場合
山田哲哉ガイドが登山何でも相談日を月曜夜に設けています。
また岳連など上位団体の相談窓口も、有効な相談窓口と思います。
山岳会に期待すべきは、こうした独習で、初心者が判断に迷った時の相談窓口というものですが、今この機能が果たせる会や人は少ないかもしれません・・・。
したがって、次に頼るべきは、有料の先輩、つまりガイドさんということになりますが、山岳ガイドにも種類があり、山岳ガイドのガイドステージⅡくらいでは、登攀要素が出ない山しか許されていないので、相談相手とはなれないかもしれません。
登山ガイドではもちろんダメです。フリークライミングのインストラクターもダメですから、結局は、非常に数が限られている、ということになると思います。
■ リスクも自分持ち
結局は、間違ったことを教わるかもしれないというリスクも含めて、リスクは自分持ち、です。
教わったことは、色々と検索するなり、他の情報源にダブルチェックを入れるなりして、きちんと裏を取り咀嚼する、ということが大事です。
Trust But Check
と、英語圏では良く言われています。
例えば、私が信頼する先輩は、確保器使わない派でした・・・何しろダイニーマのスリングも、新しい装備は信頼できないと言って使わないくらいだったのです・・・。
しかし、新しく入ってきた人にとってATCXPガイドとダイニーマスリングは、誰でも持っている標準品です。
例を挙げると、アイスアックスもそうです。アックスはストレートではなく、現代のは、バナナシャフトです。
別にストレートシャフトで登れれば、それで構わないのですが、新しくバナナシャフトのギアを買おうとする後輩にアドバイスができるか?と言えば出来ないでしょう。
したがって、相談する先は、相談する側が良く相手の得意を知って相談する、ということ、複数のソースに相談すること、そうしたことは失礼に当たらない、行為です。
・登山スキルは、相談相手を持つことから
・登山リスクは教わったことを取り入れるか入れないかから
そこから強い自立の心が必要だと言えるでしょう。
■ この記事は三部作です
1)教え方を考える
2)地図読みを習得した経緯を考える
3)ロープワークを習得した経緯を考える (当記事)
さて、
・地図読み
・ロープワーク
が、2大登山技術ですが、いかにロープワークを身に着けたか?と言う話になりますが、これがまた、イバラの道だったなぁ・・・と思う訳です(^^;)、ハイ。
しかし、ロープワークは、確実に誰もいなくても教わることができる技です。地図読みより、ある意味ラクです。
ロープワークには、やり始めてから自信がつくまでに、1年半かかりました。
リーダー講習でならってすぐの記録
まだ岩二回目のころの記録
カラビナの掛け方くらいで躓いている頃
ガチ山一年生の頃の記録
何から教え何から学ぶべきか?
■ クライマーがロープワーク上級者とは限らない
ロープワークのニーズとして、クライミングはしないと決めている人には、心ならずも、ロープワークは、クライミングをすると決めている人以上の技術力が要ります。
・クライミングする人 → ロープワークは、初級で済んでしまう
・クライミングしない人 → ロープワークは、熟練の技が必要
理由は、クライミングする人は、簡単に済ませることができるギアを持って行動しますが、しない人は同じことをギアなしで実現しないといけないからです。
特に山岳縦走などで、万が一の時に使える技・・・となると、”その程度でいい”という話ではなく、”それが一番難しい”という話になります。
結果、 クライミングが上手な人は必ずしもロープワークが安全確実な人ではない
となります。
■ 転機となった言葉
1) 何はなくともセルフビレイ
2) ビレイができないと岩には連れていけない
3) 5級マスター
これらの言葉が、成長の強い動機となりました。
私は岩登りは最初から余り乗り気ではなかったのです・・・山岳総合センターのリーダーコースには、
・アルパインコース
・縦走コース
の2つの選択肢があり、到達ラインも違いますが、そのうち、縦走コースを選んでいたくらいです。
(縦走コースは3人しか人がおらず、アルパインコースにまとまってくれると助かるなぁという後押しがあった)
最初は、夫と行く雪山の縦走で、いかに夫を確保するか?ということを目的に出ていたのでした・・・。
しかし、理解が進むにつれて、縦走でロープを出すほうが、クライミングそのものでロープを使うより、数段難しいということが分かるようになりました・・・(汗) 何しろ、縦走路には支点が整備されてはいないのです。
さて・・・話は元に戻りますが、私は、クライミングは下手くそで、なおかつ心配性で怖がりなので、
何はなくともセルフビレイ
が、最初に自分を守る言葉として、盾になってくれました。セルフビレイさえ出来ていれば、少なくとも墜落死はありません。
・雪の急斜面でも、バケツを掘ってセルフをとらないと叱られます。
・またアイゼン歩行練習でターンするとき、自己確保を取らないでやっても叱られます。
これらは、山岳会の行動を見ていると、新人さんへの遠慮や媚から、言わないで済ませられています。でも、ここは厳しく決して譲ってはいけない部分ではないかと思われます・・・命を守る習慣をつけるのが大事です。
ビレイができないと岩には連れて行けない
ということは、講習会の雪中テント泊中に聞きました。私はその時、まだ人工壁も触ったことがない丸っきりのクライミング無知でしたので、ビレイが何かもさっき習ったところ。
それでも、ビレイがクライマーの命を守ることだ、くらいは分かっていました。ビレイができないビレイヤーなんて、ビレイヤーではありません・・・。
その後、南沢小滝でのアイスクライミングが私のビレイ初体験でしたが、上から両手とも制動側のロープを持ってローワーダウンしろと叫ばれ、「すみません」と返しました。フリーのゲレンデに行くようになり、周囲を見ると、そんな丁寧なローワーダウンをしている人なんて、ほとんどいません・・・。
その後、スポーツクライミングを毎週の活動にしている会に参加して、ビレイをマスター。スポーツクライミングでは、みんな平気でじゃんじゃん落ちているからです。
5級マスター
は、クライミングを常習するようになってからの、心の支えです(笑)。 フリークライミングは、上には上がいる世界で、クライミングだけをするようになると、山に行けなくなってしまいます。
しかも、日本の山岳エリアでのクライミングは、5級までしか出てこないのです。
クライミングには、
・ムーブ解決して、一本の難しい課題を一回コッキリでもいいから決める
・いつでもスムーズにある程度のクライミングがこなせる
の二つのベクトルがあり、フリークライミングは前者です。5.12が登れる、などの世界です。平山ユージさんをクライマーだと人は思っても、登山家だとは思わないでしょう。
後者は、アルパインクライミングの世界です。アルパインでは、ハングドッグしてムーブ解決などしていたら、その間に凍てついてしまいます。アルパインに必要なのはスピード。ムーブ解決が必要な位なら、ユマールで登ります。というか、そこが登れる程度の登攀グレードでも、スピードを優先して、ユマールで登ると言う解決策を取るくらいです。
そこで、後者を目指す場合、どういう登攀力を目指せばいいのか?というと、
5級だったらどこでも、よどみなく登れる、
ということです。
■ 具体的にしたこと
1)初心者時代
行動:
1) ロープワークの本を読む
2) 文部科学省が出している、確保理論の文献を読む
3) 家で結び目の練習をする
4) リード壁に通う
5) 初級の岩場に通う
6) 取扱説明書をよく読む
7) わざと人工壁で落ちてもらって、墜落を止める
8) ロープの購入
成果:
・結び目が結べるようになる
・リードフォロー(スタカット)が分かるようになる
・流動分散が分かるようになる
・手繰り墜ちが危険だと分かるようになる
・トップロープは最初を張り気味でないとロープの伸びの分、落ちる距離が長いと分かるようになる
・クライミングスタイルによるロープの差が分かる 必要なギアが分かる
2)脱皮時代
行動:
1) 人工壁で5.10Aが登れるようになる
2) 外岩に連れて行ってもらう
3) 外岩でリードする
4) 先輩の墜落を停止する
5) アイスでリードのビレイをさせてもらう
6) アイスでルートに出る
7) アイスで中間支点を作る練習をする
8) 岩装備をいつも整頓して置く
成果:
・トポを見る習慣
・計画時に、ダブルか、シングルか、どのようなロープが必要か考える習慣
・フリーとアルパインの岩での装備の違い
・フリーの時にじゃらじゃらとギアをハーネスにぶら下げない
・登るのに必要な物だけを持ってあがる
・登り出す前に、登攀をどうするか考える
3)中級者へ
行動:
1)自分が外岩に連れて行く
2)レスキューの講習に出る
3)復習で再度、教科書を読む
4)自宅でロープワークを練習する
5)知っていることを他の人に教える
成果:
・自分で登れるルート
・知識の定着で、自信を深める
・忘れている結びを改めて思い出す
■ どれくらい時間がかかったか?
ロープワークは紹介されてから、丸2年、最初の半年は、機会がなく、素通りしていますから、1年半具体的にかかっています。
私がロープワークが必要になるような山(バリエーション)に行き始めたのが、たまたま冬なので、アイスのルートやゲレンデが主なロープの出番です。
最初の一年は、確保理論を机上で講習せずにいきなり、外で確保だったので、分かっていないことがあるような気がして怖かったです。
実際、
・ランナウト
・墜落係数2の墜落は危ない
・伸びないロープで落ちると危ない
・トップロープのプーリー現象
・ゼロピン目
・トラバースがむしろ危険
・一ピン目を取る前に落ちると危ない
・ロープギロチン
など、当然のことが分かるようになるのに、確保理論をきちんと読まないと分かりませんでした。
クライミングにも机上講習が必ず必要と思います。実際上記のことを理解させるのに、2時間程度しかかからないのではないかと思います。
その程度の知識を理解するだけに、少なくとも一年はもやもやした気持ちで過ごしました。
■ まとめ: 成功の要因となった行動
1)ロープワークの本を読む
2)スポーツクライミングに通う
3)講習会に出る
4)取扱説明書を読む
5)家でコソ錬する
6)相談相手を持つ
■ 講習費用
さて、ロープワークとの出会いは、講習会だったわけですが・・・山岳総合センターでは、リーダー講習以外にも、初級のロープワークを教える講習があります。
山梨の岳連が主催する講習会は、基本的に無料です。無料の講習会でも同じことが得れると思います。
ちなみに、例として、講習会の例を挙ますと・・・登山技術レベルアップ講習会(縦走時のレスキュー)は、机上講習と実技のセットで、15000円。机上があるというのが大事なことです。
山岳会は机上講習を嫌うので、いつまでたっても大事な知識が抜け落ちたままになりがちです。
私が知っている上手くいっている会は、例会で先輩が簡単な机上講習の代わりをしていました。
ただ、ロープワークの講習会は、
・基礎 まったく結び目の名前も知らない本当の初心者向け
・初級 自分の安全を守るためのロープワーク
・上級 相手の安全を守るためのロープワーク
と講習会を選ぶ段階でも、ある程度知識がないと、
どの講習会に出たらいいのか?
がそもそも選べませんので、そういう意味で、相談相手を持つことは必要だと思います。
■ 相談相手を持つ
相談相手ですが、もし誰も相談する相手がいない場合
山田哲哉ガイドが登山何でも相談日を月曜夜に設けています。
また岳連など上位団体の相談窓口も、有効な相談窓口と思います。
山岳会に期待すべきは、こうした独習で、初心者が判断に迷った時の相談窓口というものですが、今この機能が果たせる会や人は少ないかもしれません・・・。
したがって、次に頼るべきは、有料の先輩、つまりガイドさんということになりますが、山岳ガイドにも種類があり、山岳ガイドのガイドステージⅡくらいでは、登攀要素が出ない山しか許されていないので、相談相手とはなれないかもしれません。
登山ガイドではもちろんダメです。フリークライミングのインストラクターもダメですから、結局は、非常に数が限られている、ということになると思います。
■ リスクも自分持ち
結局は、間違ったことを教わるかもしれないというリスクも含めて、リスクは自分持ち、です。
教わったことは、色々と検索するなり、他の情報源にダブルチェックを入れるなりして、きちんと裏を取り咀嚼する、ということが大事です。
Trust But Check
と、英語圏では良く言われています。
例えば、私が信頼する先輩は、確保器使わない派でした・・・何しろダイニーマのスリングも、新しい装備は信頼できないと言って使わないくらいだったのです・・・。
しかし、新しく入ってきた人にとってATCXPガイドとダイニーマスリングは、誰でも持っている標準品です。
例を挙げると、アイスアックスもそうです。アックスはストレートではなく、現代のは、バナナシャフトです。
別にストレートシャフトで登れれば、それで構わないのですが、新しくバナナシャフトのギアを買おうとする後輩にアドバイスができるか?と言えば出来ないでしょう。
したがって、相談する先は、相談する側が良く相手の得意を知って相談する、ということ、複数のソースに相談すること、そうしたことは失礼に当たらない、行為です。
・登山スキルは、相談相手を持つことから
・登山リスクは教わったことを取り入れるか入れないかから
そこから強い自立の心が必要だと言えるでしょう。
■ この記事は三部作です
1)教え方を考える
2)地図読みを習得した経緯を考える
3)ロープワークを習得した経緯を考える (当記事)
Friday, October 23, 2015
プラスチックボトルのワイン
■ワインを買いに♪
今日は、思い立って、ワインを買いに甲府駅まで出かけたのですが、結局、何も買えずに帰ってきてしまった・・・
桔梗ヶ原メルローとメルシャンの白「甲州グリ・ド・グリ」。
私は、赤ならメルロー、白ならソーヴィニヨン・ブラン系のが好きなのです。
赤でタンニンが強いワインは苦手です。白も辛口フルーティが好きなのですが、シャルドネは、カリフォルニアで、だいぶ飲んだので、もう飽きちゃった・・・。始めがシャルドネなんです。
甲州はギシギシしていて、イマイチだな~とおもったりしていたのですが、甲州にも色々あることは分かるようになってきました・・・。
甲府駅にはお土産用のワインショップがあるので、ワインがずらりとそろっているのですが・・・高価です・・・(^^;) これぞ、というワインを置いているのだと思うのですが・・・
■ ワイン
山梨ならでは、の強みの一つは登山の環境が素晴らしいことですが、別の強みとしては、山梨県は、日本の国産ワインのリーディングリージョンということがあります。
私はもともとワインが好きなのです。カリフォルニアではシャルドネばかりでもう飽きました。大阪では、会社帰りにエノテカで美味しいパンとワインを買う。
それで、山梨に来て当初は、山梨ではワインの勉強でもして過ごそうかな~とか、思っていたのですが・・・
・勝沼朝市に行ったら、これまで飲んだことのない、驚くべき、まずさのワインを飲んだ・・・
・飲んだら運転できないので、ワイナリー巡りはあまり水が向いていない
・近所の酒店によると、同じ価格なら、フランスワインの方がおいしい
・ワイナリーに行っても見たが、あまり個人客は歓迎しないようだ(なんか迷惑そう・・・)
というわけで、さっさと登山に鞍替え(笑)。
■ 山梨ワイン学講座
ところが、去年から、ご縁があって、山梨ワイン学講座、というのに出ています。
これが素晴らしい会で、山梨のワインって行けるんじゃないのーっ!と意見を変え中。
ワイン学講座・・・去年の最初の講座がショッキングだった・・・功労者の県職員の方が、いかに干されたかという話が初回でした・・・なんだか本当にお気の毒な話でした。
で、今週末はブドウの収穫体験するので、今、ワインの本を読んでいるのですが・・・『山梨県のワイン』山本博著です。
で、この本によると、
山梨県のワイン業界は、伏魔殿と言う業界人さえいるのだそうです・・・ 伏魔殿!!
・実態が実は良く分からない
・世界のワイン事情が激変していることを地元が知らない
・悪いブドウから良いワインを作るのが醸造家だという古い認識が残っている
・古い生産形態、制度、気風が品質向上のネックになっている
・新しいことをしようとすると抵抗に遭う
・ごまかしや不誠実が後を絶たない
・不正やまやかしものを排除する感覚が鈍すぎる
・内部的には色々お互いに事情がわかっても、外部にはかばい合って真相が告発されない
・非常に誠実に取り組んでいる生産者はいるのだが、そうした生産者とそうでない生産者が他県からは、識別できない
・「誠実」とは、言いかねるワインが残る体質
・消費者の無知に乗じて、ごまかしをする
この本は古く、2008年の本だから、7年前の本です。だから実情は変わっているかもしれないです。
うーん・・・なんか・・・登山の世界とも似ているかもしれないような???
良く分からないけど、体質的に似た気配を感じてしまう・・・・
身びいき過ぎて、本質が揺らいでいるお国柄、ということは言えるかもしれないナーと思ったりしたのでした。
今日は、思い立って、ワインを買いに甲府駅まで出かけたのですが、結局、何も買えずに帰ってきてしまった・・・
桔梗ヶ原メルローとメルシャンの白「甲州グリ・ド・グリ」。
私は、赤ならメルロー、白ならソーヴィニヨン・ブラン系のが好きなのです。
赤でタンニンが強いワインは苦手です。白も辛口フルーティが好きなのですが、シャルドネは、カリフォルニアで、だいぶ飲んだので、もう飽きちゃった・・・。始めがシャルドネなんです。
甲州はギシギシしていて、イマイチだな~とおもったりしていたのですが、甲州にも色々あることは分かるようになってきました・・・。
結局、気に入っているのは、先日スーパーで買ってきた、マンズワイン(キッコーマン)の甲州・・・(^^;)
庶民で、スイマセン・・・
なんとテーブルワイン価格です!900円!
日本のワインなのに安い!おまけにプラスチックボトルなので、これは山で使えそう!
あっという間に飲み干せそうですが・・・
山梨ならでは、の強みの一つは登山の環境が素晴らしいことですが、別の強みとしては、山梨県は、日本の国産ワインのリーディングリージョンということがあります。
私はもともとワインが好きなのです。カリフォルニアではシャルドネばかりでもう飽きました。大阪では、会社帰りにエノテカで美味しいパンとワインを買う。
それで、山梨に来て当初は、山梨ではワインの勉強でもして過ごそうかな~とか、思っていたのですが・・・
・勝沼朝市に行ったら、これまで飲んだことのない、驚くべき、まずさのワインを飲んだ・・・
・飲んだら運転できないので、ワイナリー巡りはあまり水が向いていない
・近所の酒店によると、同じ価格なら、フランスワインの方がおいしい
・ワイナリーに行っても見たが、あまり個人客は歓迎しないようだ(なんか迷惑そう・・・)
というわけで、さっさと登山に鞍替え(笑)。
■ 山梨ワイン学講座
ところが、去年から、ご縁があって、山梨ワイン学講座、というのに出ています。
これが素晴らしい会で、山梨のワインって行けるんじゃないのーっ!と意見を変え中。
ワイン学講座・・・去年の最初の講座がショッキングだった・・・功労者の県職員の方が、いかに干されたかという話が初回でした・・・なんだか本当にお気の毒な話でした。
で、今週末はブドウの収穫体験するので、今、ワインの本を読んでいるのですが・・・『山梨県のワイン』山本博著です。
で、この本によると、
山梨県のワイン業界は、伏魔殿と言う業界人さえいるのだそうです・・・ 伏魔殿!!
・実態が実は良く分からない
・世界のワイン事情が激変していることを地元が知らない
・悪いブドウから良いワインを作るのが醸造家だという古い認識が残っている
・古い生産形態、制度、気風が品質向上のネックになっている
・新しいことをしようとすると抵抗に遭う
・ごまかしや不誠実が後を絶たない
・不正やまやかしものを排除する感覚が鈍すぎる
・内部的には色々お互いに事情がわかっても、外部にはかばい合って真相が告発されない
・非常に誠実に取り組んでいる生産者はいるのだが、そうした生産者とそうでない生産者が他県からは、識別できない
・「誠実」とは、言いかねるワインが残る体質
・消費者の無知に乗じて、ごまかしをする
この本は古く、2008年の本だから、7年前の本です。だから実情は変わっているかもしれないです。
うーん・・・なんか・・・登山の世界とも似ているかもしれないような???
良く分からないけど、体質的に似た気配を感じてしまう・・・・
地図読みをいかにマスターしたかを振り返る・・・
■ 地図読みは基本だが身につけにくい
言う間でもなく、地図読みは山の基本である、ということに異論がある人は、まずいまいと思うが・・・
最近の山事情は
・一般道では地図の出番は何年山に行っても出てこない(^^;)
・たとえ、本チャンでも踏み跡を拾うことのほうが、地図を読むことより重要だったりする
・登山道の無い山でも、大抵の尾根には踏み跡がある
ので、あんまり地図を読むニーズ自体が希薄で、身につけにくい技術と言えると思う。
まったく踏み跡の無い山、というのは、血眼になって探さないとなかったりする。
■ 転機となった言葉
私も例外ではなく、地図読みはニーズが希薄で、マスターしにくい現状という障壁があったのだが・・・それらを乗り越えるためのキッカケは何だったか?と振り返ると、先輩からの適切な助言を得ていたと思う。(言った本人は、アドバイスのつもりではなかったかもしれない)
1) ピッケルより読図でしょ!
2) ピンクテープが自分を追いかけてくるようになる
3) GPSはカンニングだ
そのとき、その時で、「そうか」と単純に思い、素直に従った。
だから、アドバイスを得た通りのことが起った時は、すごく成長を感じ、喜びを感じた。
本当にピンクテープが私を追いかけてくるようになった!いや~めでたい!というわけだった(権現)。
GPSなしで行程が貫徹できたときも、祝杯モードだった(伝丈沢)。
一人で地図読みで歩いた山は、黒戸尾根より面白かった(茅ヶ岳東尾根)。
■ 具体的にしたこと
では、具体的にどういう行動をしたのか? 振り返ってみる。
1)初心者時代
行動: 1)地図読みの本を読む
2)基本通り、地形図に尾根と水線を入れる
3)概念図を書く
4)ベアリング図を書く。
(尾根とコルをつないで、標高差と距離、コンパスの角度を出しておく) 例: 中津森
5)地図の端から端までが何キロか計っておく
成果: ・一ピッチが、ピークからコルまでと分かる。
・ベテランとルート作成時の考え方が同じだと分かり、自信を深める。
・次に出てくるはずの地形(コルかピークか)を予想するようになる
・次に向かうはずの方角を意識するようになる
・どうでもよい箇所は気にしなくなる (取り付き、下りはじめ)
・迷いやすい地形が分かるようになる (のっぺりしたピークなど)
・現在地を地形で、同定できるようになる
2)脱皮時代
行動: 1) テープの薄い一般道を積雪期にトレースがない状態で歩く
(少しヒントがある状態、補助車つきの練習) 例: 厳冬期北八つ単独
2) GPSログを帰ってから、よく見る
3) 地図読みをベテランに教わる (講習会)
4) オリエンテーリングの大会に出る 例: 白川郷スノーゲイン
成果: ・テープがなくても歩けることの確認。テープが後から自分を追いかけてくる。
・ちょっとぐらいテープが見えなくても平気だと言う、恐怖心の克服(常に正解を求めない)
・次に見えるはずの道標の予想
・地図を頻繁に見る習慣
・コンパスの使いなれ
3)中級者へ
行動: 1)自分でルート作成して山に登る
2)地図読み講習会に出る
3)地図読みの教え方を学ぶ
4)1ピッチごとに先頭を交代する
5)ここがその箇所だと思ったら、地形的な証拠を3つ上げる決まり
(コル、ピーク、尾根、沢、ガレ、標高、目標物、人工物 いずれかが証拠となる)
成果: 自分自身で地図を読む自信がつく (青笹尾根)
■ どれくらい時間がかかったか?
自分でも、ホントに長い時間かけたなーと今思いました(笑)。
地図読みの重要性を指摘されたのが、登山2年目ですから、丸3年は取り組んでから、かかったということです。
もちろん、1年目でも地図読み講習に出ていますから、トータルでは5年です。しかし、1年目で出た地図読み講習では、まったく動機付けになりませんでした。
一年目で出た地図読み講習 (アルパインツアー 高川山 2011.12)
役立った地図読み講習 (三上ガイド 中津森 2013.4)
復習で出た地図読み講習 (天野ガイド 兜山 2014.10)
地図読み講習は、トータルで3つしか出ていないんですが、それで今の私があるとすれば、講習費用は安いかもしれません。各会1万円はしていないと思います。
時間的投資面を考えても、3回程度の講習は、山岳会に置き換えると3年目ってことになるかな?
私は全部講習は面白いのですが、そうでない人もいるんですかね???
講習的に地図をじっくり見ながら歩くと、とても時間がかかるので、通常の半分の距離しか歩けません。
■ まとめ: 成功の要因となる行動
1) 地図読みの本を読む
2) 地図の事前学習
3) 地図読み講習会に出る
4) それを人に伝達講習する
■ 面白かった山
やっぱり、色々思うと、自分でルートファインディングして行く山しか面白くないかもしれない・・・
間違っているかも・・・という不安が、もしかして山を面白くする重大な要素なのかもしれません。
今夏、もっとも面白かった山は・・・
なんと、ブラックアウトして、迷わなくていい場所で迷った山です・・・(^^;) よく知っている尾根で、暗くなってしまい、ホワイトアウトナビゲーションと同じことをブラックアウトでやったのです。
地図を読み込んでいたので、あらぬ方向から沢音が聞こえてきたり、トラバースするはずがないところでトラバースしていたら、間違いを検出できた。
地図を読み込んでいなかったら、間違いを検出できなかったでしょう。
この間違いを検出する能力というのは大事な能力で、”連れられ登山”では一生つきません。私は今冬の金石沢の時は自分が行ったことがある場所でも間違いに気がつけなかったくらいですから、大事な成長です。先輩なんて、自分が歩いてあっているところでも、違うのではないか?という疑いを持ちながら歩いていたようです(節刀)。
目視情報が一切得られなくなる事態には、
・ホワイトアウト (雪山で霧に巻かれる)
・ブラックアウト (暗闇で何も見えなくなる)
・グリーンアウト (背の高い密集した藪で、何も見えなくなる)
の3つがあるそうです。
目視情報以外の情報は
・聴覚情報 ・・・ 音
・触覚情報 ・・・ 感触 歩いている斜面が尾根かトラバースか
嗅覚、味覚は、使いようがないかなぁ・・・。やっぱり目視情報って、すごく大きいんですね~。
■ 地図読みにおける植生
植生というのは、地図には書いてあるけど、あんまり重視しない事前情報です。というのも植生は、コロコロ変わるから。
でも、実際山に行くと、植生というのが、快不快と美しさを決める、もっとも重要なポイントだったりします。
広葉樹の森・草原 = 快
植林・藪 =不快
大雑把ですが、こんな感じ。
山に行くとき、やっぱり、きれいな山、美しい山に行きたいと人は思うのですが、それが地図から読み取れない、というのが、山の面白さかもしれません・・・
でも、今年やった藪漕ぎはとっても大変だったので、ハイ松記号には気を付けるようになったかもしれない(笑)
■ 余談
歩きやすいように歩くと、人間はリンデワンデリングすることが知られています。リンデワンデリングは堂々巡り、ということです。
リンデワンデリングは、どうも人間の心臓が左にあり、左足が軸足で、右足がワーキングレッグだということとから来るみたいなんですよね。
これまた余談ですが、ユマールするとき、左足はアブミに乗せっぱなしです。右が上になり、主な作業をします。軸が左にある、ということと同じなのかなぁと思ったりしました。
登山の基礎は
・地図読み
・岩登り
と言われます。
”地図が読めて、ロープが使えたら、どこでも歩ける”というのが、登山家が口をそろえて言うセリフ。
地図読みは、なんとか一通りの形が付いたかも?と言える地点に近くなった私ですが、どれくらいビビりで、どれくらい慎重に慎重を期してしか、歩いていないか、ということを考えると、同じくらいの年月が初級のクライミング技術習得にもかかるかもしれません・・・(><)
何かをマスターするにはスモールステップが必要だ、と言われますが、今のところの成功体験である、地図読みの過去のプロセスを振り返ると、人がびっくりするような、小さい小さいスモールステップを積み上げているような気がします・・・
何しろ、5m登山道から逸れるだけで、最初はプチ道迷いと言って笑っていたくらいです。GPSは、クライミングに例えると、トップロープです。
地図読みにもまして、適性があまりなさそうなクライミング・・・
地図読みでも、3~5年もGPSによるトップロープ状態を維持して、時間を掛けて、自信を積み上げてきて、今の場所にいることを考えると、決して私が器用者ではない、ということがご理解いただけるでしょう。
言う間でもなく、地図読みは山の基本である、ということに異論がある人は、まずいまいと思うが・・・
最近の山事情は
・一般道では地図の出番は何年山に行っても出てこない(^^;)
・たとえ、本チャンでも踏み跡を拾うことのほうが、地図を読むことより重要だったりする
・登山道の無い山でも、大抵の尾根には踏み跡がある
ので、あんまり地図を読むニーズ自体が希薄で、身につけにくい技術と言えると思う。
まったく踏み跡の無い山、というのは、血眼になって探さないとなかったりする。
■ 転機となった言葉
私も例外ではなく、地図読みはニーズが希薄で、マスターしにくい現状という障壁があったのだが・・・それらを乗り越えるためのキッカケは何だったか?と振り返ると、先輩からの適切な助言を得ていたと思う。(言った本人は、アドバイスのつもりではなかったかもしれない)
1) ピッケルより読図でしょ!
2) ピンクテープが自分を追いかけてくるようになる
3) GPSはカンニングだ
そのとき、その時で、「そうか」と単純に思い、素直に従った。
だから、アドバイスを得た通りのことが起った時は、すごく成長を感じ、喜びを感じた。
本当にピンクテープが私を追いかけてくるようになった!いや~めでたい!というわけだった(権現)。
GPSなしで行程が貫徹できたときも、祝杯モードだった(伝丈沢)。
一人で地図読みで歩いた山は、黒戸尾根より面白かった(茅ヶ岳東尾根)。
■ 具体的にしたこと
では、具体的にどういう行動をしたのか? 振り返ってみる。
1)初心者時代
行動: 1)地図読みの本を読む
2)基本通り、地形図に尾根と水線を入れる
3)概念図を書く
4)ベアリング図を書く。
(尾根とコルをつないで、標高差と距離、コンパスの角度を出しておく) 例: 中津森
5)地図の端から端までが何キロか計っておく
成果: ・一ピッチが、ピークからコルまでと分かる。
・ベテランとルート作成時の考え方が同じだと分かり、自信を深める。
・次に出てくるはずの地形(コルかピークか)を予想するようになる
・次に向かうはずの方角を意識するようになる
・どうでもよい箇所は気にしなくなる (取り付き、下りはじめ)
・迷いやすい地形が分かるようになる (のっぺりしたピークなど)
・現在地を地形で、同定できるようになる
2)脱皮時代
行動: 1) テープの薄い一般道を積雪期にトレースがない状態で歩く
(少しヒントがある状態、補助車つきの練習) 例: 厳冬期北八つ単独
2) GPSログを帰ってから、よく見る
3) 地図読みをベテランに教わる (講習会)
4) オリエンテーリングの大会に出る 例: 白川郷スノーゲイン
成果: ・テープがなくても歩けることの確認。テープが後から自分を追いかけてくる。
・ちょっとぐらいテープが見えなくても平気だと言う、恐怖心の克服(常に正解を求めない)
・次に見えるはずの道標の予想
・地図を頻繁に見る習慣
・コンパスの使いなれ
3)中級者へ
行動: 1)自分でルート作成して山に登る
2)地図読み講習会に出る
3)地図読みの教え方を学ぶ
4)1ピッチごとに先頭を交代する
5)ここがその箇所だと思ったら、地形的な証拠を3つ上げる決まり
(コル、ピーク、尾根、沢、ガレ、標高、目標物、人工物 いずれかが証拠となる)
成果: 自分自身で地図を読む自信がつく (青笹尾根)
■ どれくらい時間がかかったか?
自分でも、ホントに長い時間かけたなーと今思いました(笑)。
地図読みの重要性を指摘されたのが、登山2年目ですから、丸3年は取り組んでから、かかったということです。
もちろん、1年目でも地図読み講習に出ていますから、トータルでは5年です。しかし、1年目で出た地図読み講習では、まったく動機付けになりませんでした。
一年目で出た地図読み講習 (アルパインツアー 高川山 2011.12)
役立った地図読み講習 (三上ガイド 中津森 2013.4)
復習で出た地図読み講習 (天野ガイド 兜山 2014.10)
地図読み講習は、トータルで3つしか出ていないんですが、それで今の私があるとすれば、講習費用は安いかもしれません。各会1万円はしていないと思います。
時間的投資面を考えても、3回程度の講習は、山岳会に置き換えると3年目ってことになるかな?
私は全部講習は面白いのですが、そうでない人もいるんですかね???
講習的に地図をじっくり見ながら歩くと、とても時間がかかるので、通常の半分の距離しか歩けません。
■ まとめ: 成功の要因となる行動
1) 地図読みの本を読む
2) 地図の事前学習
3) 地図読み講習会に出る
4) それを人に伝達講習する
■ 面白かった山
やっぱり、色々思うと、自分でルートファインディングして行く山しか面白くないかもしれない・・・
間違っているかも・・・という不安が、もしかして山を面白くする重大な要素なのかもしれません。
今夏、もっとも面白かった山は・・・
なんと、ブラックアウトして、迷わなくていい場所で迷った山です・・・(^^;) よく知っている尾根で、暗くなってしまい、ホワイトアウトナビゲーションと同じことをブラックアウトでやったのです。
地図を読み込んでいたので、あらぬ方向から沢音が聞こえてきたり、トラバースするはずがないところでトラバースしていたら、間違いを検出できた。
地図を読み込んでいなかったら、間違いを検出できなかったでしょう。
この間違いを検出する能力というのは大事な能力で、”連れられ登山”では一生つきません。私は今冬の金石沢の時は自分が行ったことがある場所でも間違いに気がつけなかったくらいですから、大事な成長です。先輩なんて、自分が歩いてあっているところでも、違うのではないか?という疑いを持ちながら歩いていたようです(節刀)。
目視情報が一切得られなくなる事態には、
・ホワイトアウト (雪山で霧に巻かれる)
・ブラックアウト (暗闇で何も見えなくなる)
・グリーンアウト (背の高い密集した藪で、何も見えなくなる)
の3つがあるそうです。
目視情報以外の情報は
・聴覚情報 ・・・ 音
・触覚情報 ・・・ 感触 歩いている斜面が尾根かトラバースか
嗅覚、味覚は、使いようがないかなぁ・・・。やっぱり目視情報って、すごく大きいんですね~。
■ 地図読みにおける植生
植生というのは、地図には書いてあるけど、あんまり重視しない事前情報です。というのも植生は、コロコロ変わるから。
でも、実際山に行くと、植生というのが、快不快と美しさを決める、もっとも重要なポイントだったりします。
広葉樹の森・草原 = 快
植林・藪 =不快
大雑把ですが、こんな感じ。
山に行くとき、やっぱり、きれいな山、美しい山に行きたいと人は思うのですが、それが地図から読み取れない、というのが、山の面白さかもしれません・・・
でも、今年やった藪漕ぎはとっても大変だったので、ハイ松記号には気を付けるようになったかもしれない(笑)
■ 余談
歩きやすいように歩くと、人間はリンデワンデリングすることが知られています。リンデワンデリングは堂々巡り、ということです。
リンデワンデリングは、どうも人間の心臓が左にあり、左足が軸足で、右足がワーキングレッグだということとから来るみたいなんですよね。
これまた余談ですが、ユマールするとき、左足はアブミに乗せっぱなしです。右が上になり、主な作業をします。軸が左にある、ということと同じなのかなぁと思ったりしました。
登山の基礎は
・地図読み
・岩登り
と言われます。
”地図が読めて、ロープが使えたら、どこでも歩ける”というのが、登山家が口をそろえて言うセリフ。
地図読みは、なんとか一通りの形が付いたかも?と言える地点に近くなった私ですが、どれくらいビビりで、どれくらい慎重に慎重を期してしか、歩いていないか、ということを考えると、同じくらいの年月が初級のクライミング技術習得にもかかるかもしれません・・・(><)
何かをマスターするにはスモールステップが必要だ、と言われますが、今のところの成功体験である、地図読みの過去のプロセスを振り返ると、人がびっくりするような、小さい小さいスモールステップを積み上げているような気がします・・・
何しろ、5m登山道から逸れるだけで、最初はプチ道迷いと言って笑っていたくらいです。GPSは、クライミングに例えると、トップロープです。
地図読みにもまして、適性があまりなさそうなクライミング・・・
地図読みでも、3~5年もGPSによるトップロープ状態を維持して、時間を掛けて、自信を積み上げてきて、今の場所にいることを考えると、決して私が器用者ではない、ということがご理解いただけるでしょう。
Thursday, October 22, 2015
読了 『教える技術』
■ 教わっていないことは教えられない
この本の要約をを登山の本の分野に入れるべきかは、謎だが、登山では、
先輩が後輩に無償で教える、
事になっていて、その伝承が途絶えている、ということが、基本的に問題視されている。
しかし、どの分野でも見られるように、
優れたプレイヤーが、優れた指導者とは限らない
つまり、
優れたクライマーがクライミングを教えるのが上手とは限らない
どうも、山にしても、登攀にしても、教え上手であることと、自分がベテランなのとでは、違うみたいなのだ。
というわけで、教えることのフレームワークが必要だ。
・・・というのが長くなったが、この本の登場の理由だ。
■ 行動分析学
この本は行動分析学を基にしているそうだ。 こちらは著者のブログ。
■ 要約
・ (教える)とは? = (望ましい行動を引き出す) こと
・ (分かる) と (できる) には大きな隔たりがある
・ (心) ではなく、(行動) に注意を向ける
・ 教える内容を (知識)と(技術)に分ける
・(知識) = 聞かれたら答えられること
・(技術) = やろうとすればできること
・成果を上げている人の、成果につながる行動(勝因)を見つける
・何が出来て、何ができないか、チェックする
・知識のチェック & 技術のチェック
・知識 → 一問一答
・技術 → チェックポイントリストを作る
・3つのステップ
1) 分かっていること、分かっていないこと、を切り分ける
2) やらなくてもいいことの劣後順位を決める
3) 相談相手として意見を求める
・教わる人の動機を理解しておく
・理解度を知るには? (復唱)、(レポート)、(失敗例・成功例を想像する)、の3つ
・曖昧な指示を避ける
例:ギアは落とさないように渡す × → しっかり相手が掴んだことを確認して後手を離す 〇
・目標は具体的な行動に表現する (MORSの法則)
・指示を出す時は、具体的な行動で3つまで。
・確実に100点が取れる課題で成功体験を積む
・ABCモデル 正しい行動に、正の強化を与える
・行動の”直後”に結果を与える
・モチベーションを上げるには?
意義
成功した時にどんな素晴らしいことが待っているか
・成果を計測する(見える化)
・プロンプトフェイディング 手助けをしたのち、フェードアウトする(自立させる)
■ これらを山に置き換えてみると・・・
万年セカンドというのは、プロンプト(手助け)から、指導者のフェードアウトがない状態のことだと分かる。
自分に置き換えて考えてみると、これが難しい・・・ というのは、山やは誰だって自分がトップを登るのが一番楽しいのであるからだ。
指導として、トップを行くだけでなく、愉しみとして行く場合も、実はトップを行きたかったりして・・・(^^;)
■ 知識と技術
知識と技術ということでいえば、社会人山岳会で圧倒的に足りていないのは、
共通の知識基盤
かもしれない・・・。
夏山の机上講習だとか、登山用品の取り扱い説明書を読むだとか、登山体系を知っているだとか、奥秩父の地理的な基礎知識だとか・・・読めば、分かるような基礎知識が足りていないように思う。
それは教える人の責任かというと、社会人においては違うかもしれないと思う。
例えばテントのポールは引いて抜いてはいけないし、端から折りたたんでもいけない。真ん中から折る。これは単純に取説を読めば分かる知識だ。
しかし、単独テント泊をしないでいると、テント泊の経験が何回増えても、いつも誰かに設営してもらい、いつも誰かにテントを畳んでもらうので、そういう知識がつかないし、自分のテントを買わなければ、取扱説明書を読まないかもしれない。
その結果、、何年も間違ったやり方のままで、そうと知らず過ごしてしまうかもしれない。
それはテントポールのような些細な事柄だけではなく、ビレイのような重大な技術に関しても、そうかもしれない。
かくいう私も、重いザックを背負う時に、一旦膝に乗せてから、背負うことを知らず、講師に「そんなことも知らないのか」と言われた経験がある。
ザックの背負い方を知らなくても、自分が不便なだけで死ぬことはないが、最近は、”バケツを掘る”と言っても、知らない人もいるそうだ。
(バケツを掘る=雪の斜面に平坦地を作ること)
バケツを掘る、を知らないと、雪の斜面で滑落するリスクが増える。
知識でいえば、最近、「藪山の三種の神器は?」と聞かれた。 正解は、コンパス、地図、高度計。ちなみにこれは、「雪山の三種の神器」と同じである。
登山の場合、入会希望の段階で、きちんと最初に問診して置けばいいのかもしれない、と思うのだけれど、そのようなことをしていると聞いたことはない。
伝統的に、先輩は後輩の山理解の程度を察して、指導することになっているようだ。だから、少し実力以上に評価されているような気がして、いつも少し怖い。
私がありがたかったのは、例えば、雪上での足の置き方の指導。トラバースでしっかり踏みつけるように足を置く。
良い指導は目からウロコが落ちたような気がするものだ。縦にキックステップするだけではなく、横にもキックステップすれば良かったのだ。
■ 教える場と頻度
山岳会の新人育成プログラム・・・というのが、あるのかないのか分からないが・・・私には、なんとなく、あるように見えるのだが・・・
私が思うには、指導者と指導される側は、毎回・毎回同行する必要はないかもしれないと思う。
指導を目的にした教育的山行は、数回に1回で後は、間は”経験を積む”、”習熟する”ために同じレベルでバラエティのある場所に通う。
スタート 春山合宿
岩ゲレンデ
フリーや沢
夏山合宿 縦走
フリーや沢
秋山合宿
地図読み
ゴール 冬山合宿
というような、年間計画を考えると、先輩が後輩へ伝承する機会は、年に4回。途中で、足りない技術や知識を入れるために、特別な指導の機会を得る。
たとえば、クラミングが苦手ならクラミング力だけを強化する機会が必要だ。ロープワークだけが必要なら、それだけをよく学べるような山行を計画する。
そうすると、主体的に学ぶと言うことからすると、やはり、
・指導者と行動を共にする山行=合宿形式・講習形式
・同レベルの仲間と行く山行 = 習熟、経験の蓄積
の2本が必要だと思う。
今の私に必要なのは、同レベルの同行者で、つまり自分と同程度に分かっている人であり、後輩ではない。
まだ私は後輩の指導に回るには、自分自身が技術や知識を定着させる段階にいると思う・・・が、実情はそうも言っていられないところもあるし、分かることを教えないのは、正義に反する。
というわけで、未熟でありながらも、教えなければならない状況に陥った場合、上記のようなことを気を付けながら、教えようと思っている。復習になって良いと思っている。終わり☆
この本の要約をを登山の本の分野に入れるべきかは、謎だが、登山では、
先輩が後輩に無償で教える、
事になっていて、その伝承が途絶えている、ということが、基本的に問題視されている。
しかし、どの分野でも見られるように、
優れたプレイヤーが、優れた指導者とは限らない
つまり、
優れたクライマーがクライミングを教えるのが上手とは限らない
どうも、山にしても、登攀にしても、教え上手であることと、自分がベテランなのとでは、違うみたいなのだ。
というわけで、教えることのフレームワークが必要だ。
・・・というのが長くなったが、この本の登場の理由だ。
■ 行動分析学
この本は行動分析学を基にしているそうだ。 こちらは著者のブログ。
■ 要約
・ (教える)とは? = (望ましい行動を引き出す) こと
・ (分かる) と (できる) には大きな隔たりがある
・ (心) ではなく、(行動) に注意を向ける
・ 教える内容を (知識)と(技術)に分ける
・(知識) = 聞かれたら答えられること
・(技術) = やろうとすればできること
・成果を上げている人の、成果につながる行動(勝因)を見つける
・何が出来て、何ができないか、チェックする
・知識のチェック & 技術のチェック
・知識 → 一問一答
・技術 → チェックポイントリストを作る
・3つのステップ
1) 分かっていること、分かっていないこと、を切り分ける
2) やらなくてもいいことの劣後順位を決める
3) 相談相手として意見を求める
・教わる人の動機を理解しておく
・理解度を知るには? (復唱)、(レポート)、(失敗例・成功例を想像する)、の3つ
・曖昧な指示を避ける
例:ギアは落とさないように渡す × → しっかり相手が掴んだことを確認して後手を離す 〇
・目標は具体的な行動に表現する (MORSの法則)
・指示を出す時は、具体的な行動で3つまで。
・確実に100点が取れる課題で成功体験を積む
・ABCモデル 正しい行動に、正の強化を与える
・行動の”直後”に結果を与える
・モチベーションを上げるには?
意義
成功した時にどんな素晴らしいことが待っているか
・成果を計測する(見える化)
・プロンプトフェイディング 手助けをしたのち、フェードアウトする(自立させる)
■ これらを山に置き換えてみると・・・
万年セカンドというのは、プロンプト(手助け)から、指導者のフェードアウトがない状態のことだと分かる。
自分に置き換えて考えてみると、これが難しい・・・ というのは、山やは誰だって自分がトップを登るのが一番楽しいのであるからだ。
指導として、トップを行くだけでなく、愉しみとして行く場合も、実はトップを行きたかったりして・・・(^^;)
■ 知識と技術
知識と技術ということでいえば、社会人山岳会で圧倒的に足りていないのは、
共通の知識基盤
かもしれない・・・。
夏山の机上講習だとか、登山用品の取り扱い説明書を読むだとか、登山体系を知っているだとか、奥秩父の地理的な基礎知識だとか・・・読めば、分かるような基礎知識が足りていないように思う。
それは教える人の責任かというと、社会人においては違うかもしれないと思う。
例えばテントのポールは引いて抜いてはいけないし、端から折りたたんでもいけない。真ん中から折る。これは単純に取説を読めば分かる知識だ。
しかし、単独テント泊をしないでいると、テント泊の経験が何回増えても、いつも誰かに設営してもらい、いつも誰かにテントを畳んでもらうので、そういう知識がつかないし、自分のテントを買わなければ、取扱説明書を読まないかもしれない。
その結果、、何年も間違ったやり方のままで、そうと知らず過ごしてしまうかもしれない。
それはテントポールのような些細な事柄だけではなく、ビレイのような重大な技術に関しても、そうかもしれない。
かくいう私も、重いザックを背負う時に、一旦膝に乗せてから、背負うことを知らず、講師に「そんなことも知らないのか」と言われた経験がある。
ザックの背負い方を知らなくても、自分が不便なだけで死ぬことはないが、最近は、”バケツを掘る”と言っても、知らない人もいるそうだ。
(バケツを掘る=雪の斜面に平坦地を作ること)
バケツを掘る、を知らないと、雪の斜面で滑落するリスクが増える。
知識でいえば、最近、「藪山の三種の神器は?」と聞かれた。 正解は、コンパス、地図、高度計。ちなみにこれは、「雪山の三種の神器」と同じである。
登山の場合、入会希望の段階で、きちんと最初に問診して置けばいいのかもしれない、と思うのだけれど、そのようなことをしていると聞いたことはない。
伝統的に、先輩は後輩の山理解の程度を察して、指導することになっているようだ。だから、少し実力以上に評価されているような気がして、いつも少し怖い。
私がありがたかったのは、例えば、雪上での足の置き方の指導。トラバースでしっかり踏みつけるように足を置く。
良い指導は目からウロコが落ちたような気がするものだ。縦にキックステップするだけではなく、横にもキックステップすれば良かったのだ。
■ 教える場と頻度
山岳会の新人育成プログラム・・・というのが、あるのかないのか分からないが・・・私には、なんとなく、あるように見えるのだが・・・
私が思うには、指導者と指導される側は、毎回・毎回同行する必要はないかもしれないと思う。
指導を目的にした教育的山行は、数回に1回で後は、間は”経験を積む”、”習熟する”ために同じレベルでバラエティのある場所に通う。
スタート 春山合宿
岩ゲレンデ
フリーや沢
夏山合宿 縦走
フリーや沢
秋山合宿
地図読み
ゴール 冬山合宿
というような、年間計画を考えると、先輩が後輩へ伝承する機会は、年に4回。途中で、足りない技術や知識を入れるために、特別な指導の機会を得る。
たとえば、クラミングが苦手ならクラミング力だけを強化する機会が必要だ。ロープワークだけが必要なら、それだけをよく学べるような山行を計画する。
そうすると、主体的に学ぶと言うことからすると、やはり、
・指導者と行動を共にする山行=合宿形式・講習形式
・同レベルの仲間と行く山行 = 習熟、経験の蓄積
の2本が必要だと思う。
今の私に必要なのは、同レベルの同行者で、つまり自分と同程度に分かっている人であり、後輩ではない。
まだ私は後輩の指導に回るには、自分自身が技術や知識を定着させる段階にいると思う・・・が、実情はそうも言っていられないところもあるし、分かることを教えないのは、正義に反する。
というわけで、未熟でありながらも、教えなければならない状況に陥った場合、上記のようなことを気を付けながら、教えようと思っている。復習になって良いと思っている。終わり☆
経験を積むにはどうしたらよいか?
■ 幸福を考える
山の師匠について、今日は振り返ります。
実は、望外の幸運に恵まれて、今の私があります。望外の幸運というのは、私はホンモノのベテラン山ヤを見つける才能があるらしい、ということです(笑)。
私が知っている方は皆、実力者揃い!
自分でも驚いているのですが、そのような実力者になぜか導かれ、ここぞというタイミングで出合います・・・きっと目がハートマークになっているに違いありません(笑)。
そうした出会いが、何によってもたらされるのかなぁ・・・と思わないでもなく、ラッキーな人には、それなりの義務があるように感じています。どちらにしても、ともかく感謝しています。
振り返ってみると、知り合った当日から、お慕いしている方に対しては、直感のようなもので、ホンモノだ!と分かっていました。
なんで分かるのか?そこは謎ですが、これまでの出合いをまとめておきます。
■ 成長の軌跡
私は自分に山のスキルが不足していることを自覚しています。
それで、その時その時で不足している技能について、主体的に教えを乞う、ということになるわけです。
大雑把に言って、このような流れで、今まで成長してきています。だいぶ宿題が溜まっているので、宿題消化しないといけないかもしれない。
三上ガイドとの出会い
・読図が山の基本であると言うこと
・何はなくともセルフビレイ
師匠
・岩の基本
・ルートへ出る基本
・アイス基本技術
・山では創意工夫が大事であること
・登山史の尊重
保科ガイド
・アイス入門
・アイスクライミングの技術
リーダー講習
・夏山机上講習
・雪上講習
・レスキュー入門
・ツエルト泊
無名山塾
・雪テント泊
・雪中行動
後藤ガイド(沢講習)
・沢入門
・沢基本
山岳会
・スポーツクライミング
・ビレイ
・フリークライミング ちゃんと教わっていない → ちゃんとした講習会に出るべき?
オールラウンドという目で見ると、一通り各科目で、入門は終わり、フリーも岩も沢も経験を積み上げる時期に来ています。雪に関しては、経験はすでに登山年数とのバランス以上にあるようです。
経験を積み上げる時期に入り、困ることは、経験を積むための環境です。私はそれには
・自分より上の相手に、技術的に一つ上の課題に連れて行ってもらいつつ
・同レベルの相手とレベルにあった場所に行く
の2つのラインが必要だと思っています。
無雪期 → 困難度を高めた中・上級ルートで限界を伸ばす時期
雪 → 中級者向けの山で、ステップアップの時期
岩 → 入門ルートを片っ端から登って経験を積む時期
フリー → 右も左も分からない
アイス → 入門ルートを自力で登って経験を積む時期
沢 → 自力は許されず1級程度の初級ルートを登り込む時期
■ 教えることはできなくても・・・
基本のスタカットなどは、キッカケをもらって以降は、自分で独学して分かるようになりました。
教えてくれる人が、私を特別にたくさん教えたわけではない、と思います。
ラッセルも自分でしたし、読図も自分で覚えたと思います。スタカット(リード・フォロー)もそれだけを考えて、ひと夏過ごしました。
一昔前の、山岳会の新人に、一般的に与えられる教育が10とすれば、私はおそらく、3~4程度しか、受け取っていないと思います。
つまりルーキーとして入社したのではなく、最初から、中途採用です。
習熟させるために何度か同じ手順を練習させる、なんてことは、してもらったことがありません。できていないことをできていないね、と指摘されて後はお終いです。習熟するのは生徒持ちです。
他の山岳会の新人教育の濃さを聞くと、羨ましいなと思います。
新人に必要であろう経験の量的に、私の経験量は、かなり控えめあり、その控えめな中で、高いアウトプットを期待されているような気がしてプレッシャーに感じていることも否めません。
このブログがそう感じさせるのかもしれませんが、専任講師で手取り足取り教えてもらっている、ということではまったくないのです。
むしろ、その逆で、私が教えてもらっている状況は、大概の場合、他の新人さんのついで、程度の扱いです(笑)。
大抵の教える相手にとって、私自身が本命、ではないということです。他の本命新人さんのついで扱い、程度の扱いで教わってきています(笑)。
もし専任講師的な誤解があるとすれば、それは私が、一つの教えを深く掘り下げるから、でしょう。
■ 出会いのまとめ
三つ峠 地図読み
三つ峠追悼登山
楽しいクライミング三つ峠
安全管理が本チャンのキモだということをまなんだ機会
アイスでルートデビュー
本チャンへ行くために何をしたらよいかの検討
いかにして本チャンへ至ったか
御坂山塊の研究
気分が乗らないときは登らないことの重要さ
自分の山を探して研究中
自分の山を探して研究中
■ ワクワクしない活動
・自己顕示欲のための登山
・山をみない人間中心の登山
・人間的堕落を助長するための登山
・運よく死ねたらいいなという刹那的登山
・愛する人の気を引くためにわざと危険に向かう登山
・山の数コレクションのための登山
・数値を追う登山
・GPSをナビに使う登山
・ぺちゃくちゃするための登山
・連れション登山
・自己陶酔のための登山
・山の弱点を突かない登山
・人工物を頼りにする登山
・腕力さえあれば登れる岩
・最初からセンスで勝敗が分かれているようなクライミング
・登れっこない場所のクライミング
■ 今の目標
・多少空腹でも動けること
・多少ストレスがかかった状態でも、適切な判断力を失わないこと
・岩登りの基本を身に着けること
・適切にプロテクションを設置できるようになること (カム・立木など)
・ダブルで適切にロープの流れを作れること
・トップロープで登れるところとリードで登れるところの差を埋めること
山の師匠について、今日は振り返ります。
実は、望外の幸運に恵まれて、今の私があります。望外の幸運というのは、私はホンモノのベテラン山ヤを見つける才能があるらしい、ということです(笑)。
私が知っている方は皆、実力者揃い!
自分でも驚いているのですが、そのような実力者になぜか導かれ、ここぞというタイミングで出合います・・・きっと目がハートマークになっているに違いありません(笑)。
そうした出会いが、何によってもたらされるのかなぁ・・・と思わないでもなく、ラッキーな人には、それなりの義務があるように感じています。どちらにしても、ともかく感謝しています。
振り返ってみると、知り合った当日から、お慕いしている方に対しては、直感のようなもので、ホンモノだ!と分かっていました。
なんで分かるのか?そこは謎ですが、これまでの出合いをまとめておきます。
■ 成長の軌跡
私は自分に山のスキルが不足していることを自覚しています。
それで、その時その時で不足している技能について、主体的に教えを乞う、ということになるわけです。
大雑把に言って、このような流れで、今まで成長してきています。だいぶ宿題が溜まっているので、宿題消化しないといけないかもしれない。
三上ガイドとの出会い
・読図が山の基本であると言うこと
・何はなくともセルフビレイ
師匠
・岩の基本
・ルートへ出る基本
・アイス基本技術
・山では創意工夫が大事であること
・登山史の尊重
保科ガイド
・アイス入門
・アイスクライミングの技術
リーダー講習
・夏山机上講習
・雪上講習
・レスキュー入門
・ツエルト泊
無名山塾
・雪テント泊
・雪中行動
後藤ガイド(沢講習)
・沢入門
・沢基本
山岳会
・スポーツクライミング
・ビレイ
・フリークライミング ちゃんと教わっていない → ちゃんとした講習会に出るべき?
オールラウンドという目で見ると、一通り各科目で、入門は終わり、フリーも岩も沢も経験を積み上げる時期に来ています。雪に関しては、経験はすでに登山年数とのバランス以上にあるようです。
経験を積み上げる時期に入り、困ることは、経験を積むための環境です。私はそれには
・自分より上の相手に、技術的に一つ上の課題に連れて行ってもらいつつ
・同レベルの相手とレベルにあった場所に行く
の2つのラインが必要だと思っています。
無雪期 → 困難度を高めた中・上級ルートで限界を伸ばす時期
雪 → 中級者向けの山で、ステップアップの時期
岩 → 入門ルートを片っ端から登って経験を積む時期
フリー → 右も左も分からない
アイス → 入門ルートを自力で登って経験を積む時期
沢 → 自力は許されず1級程度の初級ルートを登り込む時期
■ 教えることはできなくても・・・
基本のスタカットなどは、キッカケをもらって以降は、自分で独学して分かるようになりました。
教えてくれる人が、私を特別にたくさん教えたわけではない、と思います。
ラッセルも自分でしたし、読図も自分で覚えたと思います。スタカット(リード・フォロー)もそれだけを考えて、ひと夏過ごしました。
一昔前の、山岳会の新人に、一般的に与えられる教育が10とすれば、私はおそらく、3~4程度しか、受け取っていないと思います。
つまりルーキーとして入社したのではなく、最初から、中途採用です。
習熟させるために何度か同じ手順を練習させる、なんてことは、してもらったことがありません。できていないことをできていないね、と指摘されて後はお終いです。習熟するのは生徒持ちです。
他の山岳会の新人教育の濃さを聞くと、羨ましいなと思います。
新人に必要であろう経験の量的に、私の経験量は、かなり控えめあり、その控えめな中で、高いアウトプットを期待されているような気がしてプレッシャーに感じていることも否めません。
このブログがそう感じさせるのかもしれませんが、専任講師で手取り足取り教えてもらっている、ということではまったくないのです。
むしろ、その逆で、私が教えてもらっている状況は、大概の場合、他の新人さんのついで、程度の扱いです(笑)。
大抵の教える相手にとって、私自身が本命、ではないということです。他の本命新人さんのついで扱い、程度の扱いで教わってきています(笑)。
もし専任講師的な誤解があるとすれば、それは私が、一つの教えを深く掘り下げるから、でしょう。
■ 出会いのまとめ
三つ峠 地図読み
三つ峠追悼登山
楽しいクライミング三つ峠
安全管理が本チャンのキモだということをまなんだ機会
アイスでルートデビュー
本チャンへ行くために何をしたらよいかの検討
いかにして本チャンへ至ったか
御坂山塊の研究
気分が乗らないときは登らないことの重要さ
自分の山を探して研究中
自分の山を探して研究中
■ ワクワクしない活動
・自己顕示欲のための登山
・山をみない人間中心の登山
・人間的堕落を助長するための登山
・運よく死ねたらいいなという刹那的登山
・愛する人の気を引くためにわざと危険に向かう登山
・山の数コレクションのための登山
・数値を追う登山
・GPSをナビに使う登山
・ぺちゃくちゃするための登山
・連れション登山
・自己陶酔のための登山
・山の弱点を突かない登山
・人工物を頼りにする登山
・腕力さえあれば登れる岩
・最初からセンスで勝敗が分かれているようなクライミング
・登れっこない場所のクライミング
■ 今の目標
・多少空腹でも動けること
・多少ストレスがかかった状態でも、適切な判断力を失わないこと
・岩登りの基本を身に着けること
・適切にプロテクションを設置できるようになること (カム・立木など)
・ダブルで適切にロープの流れを作れること
・トップロープで登れるところとリードで登れるところの差を埋めること
Wednesday, October 21, 2015
変化に対応するということ
■ おひとり様大好き
実は、私は、小さいころ、自閉症と診断されたことがあった。
女の子というものは大抵、連れだってトイレに行くものだ。しかし、私の場合、子供時代全体を通じて、トイレへ、誰かと一緒に行きたい、なんて思ったことは一度もない。なんで行きたいのかも分からない。
大人になっても同じで、OLさんのランチも同じ。 お願いだから解放して・・・と、むしろ、集団ストレスから逃げ出して、おひとり様ランチに行く。
おひとり様でランチをしているような人は、偏屈呼ばわりされ、周囲の人に憐れまれているのを知っているが(笑)、残念ながら、実はおひとりさまが好き!というわけで、実は積極的におひとりになりたいのである・・・。
海外、買い物、一人暮らし、山旅・・・すべてに、これは通じ・・・今でも行動は一人でしたい。
最初の職業はプログラマーだ。開発部では大食堂が嫌で、一人研究室でテトリスをしながら、おにぎりをかじっていた。
今の私を知る人には、ビックリ仰天だろうが、基本的に、人づきあいは苦手だ。
そのために、大きなチャンスを不意にすると言う、大きな挫折を味わった。
転職し、職種が変わったのだった。市場調査だった。その仕事では、時には、海外でアポなしで飛び込み取材が必要だった。
いきなりアラブの電力会社に電話を掛けたりするのだ。電話なら当たってくだけろ!で、済むのだが、会社の名を背負って、人に会うのが、どうしても苦手だった。でも、人に会わなければ、情報は取れない。飛び込み営業と同じなわけだった。
私にとっては、大きなチャンスだった。が、そのチャンスは、人見知りという欠点を克服できず、生かすことができなかった。私は単にヘタレだったのだった。
その後、この時の挫折から、人に会う恐怖を乗り越える、ということを自分に課すようにした。
今では、私が人見知りするような人間だったとは、誰も思わない。
その後、夫の転勤になり、その転勤先で、新たな仕事をしなくてはならなくなった。古巣とは全く違う、華やかな商社での新事業開発部という部署で、ほとんど人に会うだけが仕事だった。
夜の接待のほうがむしろ本番で、昼間はセミナーや会合に出ているか、その報告レポートを書いているか、アポ取りしているか、だ。名刺を配るのが仕事だった。
今はヨガを教えているが、人に自分をみせる仕事など、以前のままの私では、決してできなかっただろう・・・と思う。
人見知り・・・というのは、乗り越え終わった試練だ。
■ 変わりたい人をサポートしたい
以上は、性格のトランスフォーメーションであり、”形の無いもの”だが、形がある、大きな変化も経験している。
実は、体重が今より15kgぐらい多かったのだ。年頃の女の子にとって、平均体重より多いことは、とても切ない事態だ。
今、ヨガを教える仕事をしているが、”人は変われるものだ”という思いをベースにしている。変わりたい、と思っている人をサポートしたい。
登山も同じではないだろうか? 飼いならされた環境から、過酷な自然環境へのシフトは、単純に怖い。
岩登りだって、沢登りだって、単純におっかない。でも、恐怖を克服する経験は、誰にとっても、心の糧になるのではないかと思う。
(時々、むしろ、アディクションに陥っているのではないか?と思わないでもないけれど・・・)
■ インドア派からアウトドア派へ
変化に対応したものが生き残ると言われる。そもそも変化することは怖い。
私も例にもれず、アウトドアは、もともと苦手だ。だから、今の登山をしている私を昔の友人が見たら、きっと驚くことだろう。
私自身だって、こんなことになるとは思ってもみなかった(^^;)。
山梨に来て、思いのほか余暇ができ、では何をして過ごそうか?となった時に、山ってきれいだなって、ただ思っただけなのだったから。
それまでの仕事ONLY、日が沈んだことも気が付かないような生活は、人間らしくないと気が付いた。それに、自然に人間が勝とうとしている文明という仕組みそのものが傲慢だ、と気がついた。
もともと変だと思っていたから、想いに受け皿が与えられただけだったろう。
しかし、変わることを拒んでいたら、私は山梨で大阪時代と同じ消費生活を求めて、不幸だっただろう。
環境に自分を合わせることができなければ、前進も成長もできない。ただ自分が不幸になるだけだ。
変化を受け入れなければ、進化することはできない、ということは本当だ。
■ どんなことからでも学ぶことはあるものだ
大事なことは、どんなことからでも、”吸収する”、”学ぶ”ということだ。
素晴らしい師匠や先輩は一緒にいるだけで、その人のあり方に学ぶことができる。
師匠や先輩が言葉にしない行間を読む、ということが大事なことだ。山岳会における教育は、行間で行われる。
計画書の書き方、山行の選び方、計画の立て方・・・行く山の選び方をみれば、安全登山とはどういうことか?が分かる。パーティの力量を客観的に正確に把握していなければ、安全な山行を実施できないからだ。したがって、現在のパーティの力量も分かる。
いかに行動すべきかもわかる。
ホンモノの山ヤなら、山の概念図がスタートだ。計画書に概念図がないことは、疑念を起こさせる要素の一つだ。
また計画書に盛り込んである行動時間の見積もりが的確だ。
予測する力は、山ヤの安全管理能力の8割くらいを占める。
ダメ山ヤの計画は大雑把すぎて、行程管理も何もない。したがって何かが起こった時にどうしようもない。概念図も添付されておらず、基本的にガイドブックのコピーが張り付けられている。
”ガイドブック追従登山”をしている、ということの証だ。
ガイドブックは合ってよいのだが、補助的もので、主従の立場が交代していると、それは慢心の証だ。
■ 期待値を下げる
山の場合は、たぶん、一般社会での初対面テクニックは、むしろ逆効果に作用するようだ。
・偏見を持たず、まず好きになってみる
・相手の価値観に飛び込んでみる
これは、ポジティブバイアスというもので、下界のルールで、山のルールではない。山では、一旦信頼が揺らぐと、取り戻すのに大きな労力が必要になる。
なので、むしろ、ネガティブなバイアスを持っておくのがコツだと思われる。
・ダメで普通と思っておく
・自分の価値観を維持して、相手と重なり合うところだけ付き合う
ということが大事なのかもしれない。相手に合わせさせ、自分が寄り添うのではない。
どうもベテランの行動を見ていると、常にそういう風に行動している。ゼロからプラスを積み上げるのではなく、マイナスからゼロにしていくのだ。
新人を育てると言うのは、マイナスをゼロにする活動なのかもしれない。
■ ビジョンの不在
私は長女なので、常に集団を見て、埋めるべき穴を探してしまう。組織の穴を埋めるという観点でいうと、昨今の山岳会は、組織としての、希求力が欠如している。
つまりビジョンを示していないから、向かうべき方向性がなくなる。
すると、オールラウンドな会は、とりとめのない会に陥る。しかし、ビジョンを個人が背負うことは荷がとても重い。
こうしたビジョンの不在は、時代を背景にしているようだ。昔は、山岳会が目指すべきものが、取り立てて、明らかにされていなくても、進むべき道は明確だったのだろう。
それは高度経済成長期には、「より物質的に豊かになる」、具体的には モノ・カネで、人間のモチベーションがコントロールできたことと同じなのだろう。
時代は変わった。今は多様化の時代となった。多様な価値観の中で、”魅力”を発信していくことは難しいことだ。
したがって、組織にこだわる必要自体が希薄になっているのではないか?と思われる。
■ 価値観による選別
運とは掴むものだ、と私は思う。運は万人に訪れるものなのだろう。でも、その時それを掴むかどうかは、その人次第だ。
私が今登っている人はパートナーと一緒にいるときに出会った人だから、パートナーにも同様に運は訪れたと思う。
私の初の本チャンである、前穂北尾根は当時のパートナーも招待した。仙人集会は多くの人に声を掛けた。ヒマラヤの報告があったからだ。
私が個人の努力で得た主要な機会は、すべて組織へ還元しようとしているが、それは、それが人として正しいことだと思うからだ。
機会ロスは大きいと私自身は考えるが、何が価値があるかは、価値観による。私が価値があると感じたものが、価値があるとは限らないのだから。
しかし、私が自分に巡ってきた機会を分かち合う姿勢を持って行動している、ということは、自分自身に対して、嘘や偽りがなく、結果として自尊心に良い影響を与えていると思う。
保身のために自分の知っていることや機会を淫靡する(行動しない)ということは、しない。
■ 常に最悪を想像する
私はあんまりポジティブシンキングではないかもしれない。
藪山を歩けるようになるまでに、数年かかったのは、もし尾根の末端で降りれないような箇所が出てくれば、懸垂が必要になるからだった。
どんな状況が出てきても、対応できる力がある、とは言えないと感じていたため、見知らぬ尾根を降りる資格は自分にはないと考えていた。
それは、ベテランから見るともどかしく見えたようだ。何をぐずぐずしているのか、という訳だ。
私の藪山一号は、ふらりと出かけた茅ヶ岳で、一つ隣の尾根を降りたことで、この藪山山行は、個人的には、厳冬期甲斐駒黒戸尾根以上の達成感を伴った。
積雪期茅ヶ岳
厳冬期黒戸尾根
私が登山学校を目指したのは、厳冬期の鳳凰三山を夫と2年連続で登頂し、これ以上の山にステップアップする場合は、指導者が必要だ、と感じたからだ。
厳冬期鳳凰三山 1年目
厳冬期鳳凰三山 2年目
その後、夫とGWの仙丈ヶ岳に行き、挫折を味わった。GWは天候の急変がリスクだ。幸い一瞬で済んだのだが、小仙丈ヶ岳あたりでホワイトアウトした。そのとき、私はリスクを感じて、完全に霧に巻かれる前に走り降りることができたが、夫はそのスキルを持っていなかった。持っていなかっただけでなく、持ちたいと言う意思もなかった。だから、彼は仙丈ヶ岳には行ってはいけない人だったのだ。
彼を仙丈ヶ岳に連れて行ったのは、完全なる自分のエゴだと悟った。
その時以来、彼とは、アイゼントレが必要ない、易しい雪山レベルに一緒に行っている。小屋泊限定だ。何しろ、10kgでも、重い文句を言っているからなぁ。(ちなみに10kgのザックは軽い)
私は連れて行く人の命に責任があるから、本人が受け入れられるリスク以上の山に連れて行ってはいけないのだ。
■ まだまだ続く変化への道のり・・・
私たち夫婦は、山梨に来て、変化に直面しなくてはならなくなったのだが、主に変化に対応しているのは、妻である私だけかもしれない(笑)
変化に対応するというとき・・・どのような選択肢を取るか?
正解は一つではないはずだ。
人は、脱皮しながら生きていくものだ。迷ったら難しい方をとらなくてはならない。
■まとめ
人見知り
痩身
インドア派→アウトドア派
新しいことへ進むことの恐怖を乗り越えること
ビジョンが重要だということ
実は、私は、小さいころ、自閉症と診断されたことがあった。
女の子というものは大抵、連れだってトイレに行くものだ。しかし、私の場合、子供時代全体を通じて、トイレへ、誰かと一緒に行きたい、なんて思ったことは一度もない。なんで行きたいのかも分からない。
大人になっても同じで、OLさんのランチも同じ。 お願いだから解放して・・・と、むしろ、集団ストレスから逃げ出して、おひとり様ランチに行く。
おひとり様でランチをしているような人は、偏屈呼ばわりされ、周囲の人に憐れまれているのを知っているが(笑)、残念ながら、実はおひとりさまが好き!というわけで、実は積極的におひとりになりたいのである・・・。
海外、買い物、一人暮らし、山旅・・・すべてに、これは通じ・・・今でも行動は一人でしたい。
最初の職業はプログラマーだ。開発部では大食堂が嫌で、一人研究室でテトリスをしながら、おにぎりをかじっていた。
今の私を知る人には、ビックリ仰天だろうが、基本的に、人づきあいは苦手だ。
そのために、大きなチャンスを不意にすると言う、大きな挫折を味わった。
転職し、職種が変わったのだった。市場調査だった。その仕事では、時には、海外でアポなしで飛び込み取材が必要だった。
いきなりアラブの電力会社に電話を掛けたりするのだ。電話なら当たってくだけろ!で、済むのだが、会社の名を背負って、人に会うのが、どうしても苦手だった。でも、人に会わなければ、情報は取れない。飛び込み営業と同じなわけだった。
私にとっては、大きなチャンスだった。が、そのチャンスは、人見知りという欠点を克服できず、生かすことができなかった。私は単にヘタレだったのだった。
その後、この時の挫折から、人に会う恐怖を乗り越える、ということを自分に課すようにした。
今では、私が人見知りするような人間だったとは、誰も思わない。
その後、夫の転勤になり、その転勤先で、新たな仕事をしなくてはならなくなった。古巣とは全く違う、華やかな商社での新事業開発部という部署で、ほとんど人に会うだけが仕事だった。
夜の接待のほうがむしろ本番で、昼間はセミナーや会合に出ているか、その報告レポートを書いているか、アポ取りしているか、だ。名刺を配るのが仕事だった。
今はヨガを教えているが、人に自分をみせる仕事など、以前のままの私では、決してできなかっただろう・・・と思う。
人見知り・・・というのは、乗り越え終わった試練だ。
■ 変わりたい人をサポートしたい
以上は、性格のトランスフォーメーションであり、”形の無いもの”だが、形がある、大きな変化も経験している。
実は、体重が今より15kgぐらい多かったのだ。年頃の女の子にとって、平均体重より多いことは、とても切ない事態だ。
今、ヨガを教える仕事をしているが、”人は変われるものだ”という思いをベースにしている。変わりたい、と思っている人をサポートしたい。
登山も同じではないだろうか? 飼いならされた環境から、過酷な自然環境へのシフトは、単純に怖い。
岩登りだって、沢登りだって、単純におっかない。でも、恐怖を克服する経験は、誰にとっても、心の糧になるのではないかと思う。
(時々、むしろ、アディクションに陥っているのではないか?と思わないでもないけれど・・・)
■ インドア派からアウトドア派へ
変化に対応したものが生き残ると言われる。そもそも変化することは怖い。
私も例にもれず、アウトドアは、もともと苦手だ。だから、今の登山をしている私を昔の友人が見たら、きっと驚くことだろう。
私自身だって、こんなことになるとは思ってもみなかった(^^;)。
山梨に来て、思いのほか余暇ができ、では何をして過ごそうか?となった時に、山ってきれいだなって、ただ思っただけなのだったから。
それまでの仕事ONLY、日が沈んだことも気が付かないような生活は、人間らしくないと気が付いた。それに、自然に人間が勝とうとしている文明という仕組みそのものが傲慢だ、と気がついた。
もともと変だと思っていたから、想いに受け皿が与えられただけだったろう。
しかし、変わることを拒んでいたら、私は山梨で大阪時代と同じ消費生活を求めて、不幸だっただろう。
環境に自分を合わせることができなければ、前進も成長もできない。ただ自分が不幸になるだけだ。
変化を受け入れなければ、進化することはできない、ということは本当だ。
■ どんなことからでも学ぶことはあるものだ
大事なことは、どんなことからでも、”吸収する”、”学ぶ”ということだ。
素晴らしい師匠や先輩は一緒にいるだけで、その人のあり方に学ぶことができる。
師匠や先輩が言葉にしない行間を読む、ということが大事なことだ。山岳会における教育は、行間で行われる。
いかに行動すべきかもわかる。
ホンモノの山ヤなら、山の概念図がスタートだ。計画書に概念図がないことは、疑念を起こさせる要素の一つだ。
また計画書に盛り込んである行動時間の見積もりが的確だ。
予測する力は、山ヤの安全管理能力の8割くらいを占める。
ダメ山ヤの計画は大雑把すぎて、行程管理も何もない。したがって何かが起こった時にどうしようもない。概念図も添付されておらず、基本的にガイドブックのコピーが張り付けられている。
”ガイドブック追従登山”をしている、ということの証だ。
ガイドブックは合ってよいのだが、補助的もので、主従の立場が交代していると、それは慢心の証だ。
■ 期待値を下げる
山の場合は、たぶん、一般社会での初対面テクニックは、むしろ逆効果に作用するようだ。
・偏見を持たず、まず好きになってみる
・相手の価値観に飛び込んでみる
これは、ポジティブバイアスというもので、下界のルールで、山のルールではない。山では、一旦信頼が揺らぐと、取り戻すのに大きな労力が必要になる。
なので、むしろ、ネガティブなバイアスを持っておくのがコツだと思われる。
・ダメで普通と思っておく
・自分の価値観を維持して、相手と重なり合うところだけ付き合う
ということが大事なのかもしれない。相手に合わせさせ、自分が寄り添うのではない。
どうもベテランの行動を見ていると、常にそういう風に行動している。ゼロからプラスを積み上げるのではなく、マイナスからゼロにしていくのだ。
新人を育てると言うのは、マイナスをゼロにする活動なのかもしれない。
■ ビジョンの不在
私は長女なので、常に集団を見て、埋めるべき穴を探してしまう。組織の穴を埋めるという観点でいうと、昨今の山岳会は、組織としての、希求力が欠如している。
つまりビジョンを示していないから、向かうべき方向性がなくなる。
すると、オールラウンドな会は、とりとめのない会に陥る。しかし、ビジョンを個人が背負うことは荷がとても重い。
こうしたビジョンの不在は、時代を背景にしているようだ。昔は、山岳会が目指すべきものが、取り立てて、明らかにされていなくても、進むべき道は明確だったのだろう。
それは高度経済成長期には、「より物質的に豊かになる」、具体的には モノ・カネで、人間のモチベーションがコントロールできたことと同じなのだろう。
時代は変わった。今は多様化の時代となった。多様な価値観の中で、”魅力”を発信していくことは難しいことだ。
したがって、組織にこだわる必要自体が希薄になっているのではないか?と思われる。
■ 価値観による選別
運とは掴むものだ、と私は思う。運は万人に訪れるものなのだろう。でも、その時それを掴むかどうかは、その人次第だ。
私が今登っている人はパートナーと一緒にいるときに出会った人だから、パートナーにも同様に運は訪れたと思う。
私の初の本チャンである、前穂北尾根は当時のパートナーも招待した。仙人集会は多くの人に声を掛けた。ヒマラヤの報告があったからだ。
私が個人の努力で得た主要な機会は、すべて組織へ還元しようとしているが、それは、それが人として正しいことだと思うからだ。
機会ロスは大きいと私自身は考えるが、何が価値があるかは、価値観による。私が価値があると感じたものが、価値があるとは限らないのだから。
しかし、私が自分に巡ってきた機会を分かち合う姿勢を持って行動している、ということは、自分自身に対して、嘘や偽りがなく、結果として自尊心に良い影響を与えていると思う。
保身のために自分の知っていることや機会を淫靡する(行動しない)ということは、しない。
■ 常に最悪を想像する
私はあんまりポジティブシンキングではないかもしれない。
藪山を歩けるようになるまでに、数年かかったのは、もし尾根の末端で降りれないような箇所が出てくれば、懸垂が必要になるからだった。
どんな状況が出てきても、対応できる力がある、とは言えないと感じていたため、見知らぬ尾根を降りる資格は自分にはないと考えていた。
それは、ベテランから見るともどかしく見えたようだ。何をぐずぐずしているのか、という訳だ。
私の藪山一号は、ふらりと出かけた茅ヶ岳で、一つ隣の尾根を降りたことで、この藪山山行は、個人的には、厳冬期甲斐駒黒戸尾根以上の達成感を伴った。
積雪期茅ヶ岳
厳冬期黒戸尾根
私が登山学校を目指したのは、厳冬期の鳳凰三山を夫と2年連続で登頂し、これ以上の山にステップアップする場合は、指導者が必要だ、と感じたからだ。
厳冬期鳳凰三山 1年目
厳冬期鳳凰三山 2年目
その後、夫とGWの仙丈ヶ岳に行き、挫折を味わった。GWは天候の急変がリスクだ。幸い一瞬で済んだのだが、小仙丈ヶ岳あたりでホワイトアウトした。そのとき、私はリスクを感じて、完全に霧に巻かれる前に走り降りることができたが、夫はそのスキルを持っていなかった。持っていなかっただけでなく、持ちたいと言う意思もなかった。だから、彼は仙丈ヶ岳には行ってはいけない人だったのだ。
彼を仙丈ヶ岳に連れて行ったのは、完全なる自分のエゴだと悟った。
その時以来、彼とは、アイゼントレが必要ない、易しい雪山レベルに一緒に行っている。小屋泊限定だ。何しろ、10kgでも、重い文句を言っているからなぁ。(ちなみに10kgのザックは軽い)
私は連れて行く人の命に責任があるから、本人が受け入れられるリスク以上の山に連れて行ってはいけないのだ。
■ まだまだ続く変化への道のり・・・
私たち夫婦は、山梨に来て、変化に直面しなくてはならなくなったのだが、主に変化に対応しているのは、妻である私だけかもしれない(笑)
変化に対応するというとき・・・どのような選択肢を取るか?
正解は一つではないはずだ。
人は、脱皮しながら生きていくものだ。迷ったら難しい方をとらなくてはならない。
■まとめ
人見知り
痩身
インドア派→アウトドア派
新しいことへ進むことの恐怖を乗り越えること
ビジョンが重要だということ
Tuesday, October 20, 2015
山行計画は山ヤのラブレター
今日は仕事の日だった。夜教えているから、帰りは夜10時になる。
ヨガを教えることができることにとても感謝している。ヨガを教えることは、通常なかなか叶わないことだ。このような気持ちは、山岳会を率いるリーダーが持つ気持ちと同じかもしれない。
教えることができることへの感謝は、私がむしろ学ばせていただいている、ということによる。
■ 山との類似
ヨガを教える側は、自分のヨガはできない。そのことは、先生たちの間では良く知られている。
教える側は、指示を出さないといけないので、自分のヨガを深めることはできない。
観察力を内に向けることができず、指示を出したり、生徒さんのアライメントを直したり、と結構忙しい。自分のポーズなんて後回し。しかし、要所要所でポーズは見せないと行けないので、自分で自分のヨガをする時間を別に持つのだ。
というわけで、ポーズについてだけなら、生徒側でいるほうが、上達が早い。
どっこい、ヨガをする、ということは、ポーズに熟達する、ということではない。
・・・ということが、生徒でいる間は、分かるようにならない。
それは、山が、体力だけでない、スポーツではないということが分かるようにならないのと似ている。
ヨガはポーズをとることではなく、ヨガ的な生き方というものを行うことがヨガなのだ。だから仕事をしていてもヨガ的であればヨガをしていることになるし、それはカルマヨーガという名前が付いている。
ポーズはヨガの小さな一局面に過ぎない。トータルで座学や歴史、ヨガ哲学を含めて体系的に学んで、初めて、ポーズを取ることの意味が分かるようになり、レッスンを組み立てることができるようになる。
意味が分かる瞬間と言うのは、まったくコペルニクス的転換で、生徒としてヨガを教わっていた10年や20年の間、ヨガをしているつもりで、全くしていなかったんだな~と分かる(^^;)。
しかし、教えるときには、そうして学んだポーズ上の小さなコツが具体的な教えになる、ということも否めない。
ただ先生のあり方として、ヨガ的でない人、つまりヨギーでない人は、すぐにわかる。
それは山ヤも同じだと思う。
人の後ろをついて歩いていると、もちろん歩くことは上手になる。足はみな強い。でも、山ヤじゃない。
考え方が山ヤじゃないのだ。人の後をついて歩いているだけでは、山を分かるようには一生ならない。
自分で計画を立て、リスクを計算し、自分の力量を客観的に評価し、どういう山が登れるのか、判断するという経験を積んで行かないと、山行を企画することすらできない。
山をするとはどういうことか?の全体像も分かるようにならない。
ヨガと山の共通点はこれだ。
逆に言うと、何事も指示されてやっている間は、特定の限定された範囲の技術に強くなれるということだ。技が研ぎ澄まされるチャンスということだと思う。
ヨガの先生になると、ヨガポーズ自体の洗練度は、実はどうでもよくなる。
なぜなら、そのポーズをどう使うか?のほうが、ポーズが上手とかキレイであることより、大事だからだ。
山も、計画から、その岳人の山への想いが伝わる。山行計画は、岳人から山へのラブレターなのだ。
その愛の詩を理解できることのほうが、山ヤとして大事なことで、足が強いとか、体力がある、なんてことは二の次、三の次のことなのだ。
ヨガを教えることができることにとても感謝している。ヨガを教えることは、通常なかなか叶わないことだ。このような気持ちは、山岳会を率いるリーダーが持つ気持ちと同じかもしれない。
教えることができることへの感謝は、私がむしろ学ばせていただいている、ということによる。
■ 山との類似
ヨガを教える側は、自分のヨガはできない。そのことは、先生たちの間では良く知られている。
教える側は、指示を出さないといけないので、自分のヨガを深めることはできない。
観察力を内に向けることができず、指示を出したり、生徒さんのアライメントを直したり、と結構忙しい。自分のポーズなんて後回し。しかし、要所要所でポーズは見せないと行けないので、自分で自分のヨガをする時間を別に持つのだ。
というわけで、ポーズについてだけなら、生徒側でいるほうが、上達が早い。
どっこい、ヨガをする、ということは、ポーズに熟達する、ということではない。
・・・ということが、生徒でいる間は、分かるようにならない。
それは、山が、体力だけでない、スポーツではないということが分かるようにならないのと似ている。
ヨガはポーズをとることではなく、ヨガ的な生き方というものを行うことがヨガなのだ。だから仕事をしていてもヨガ的であればヨガをしていることになるし、それはカルマヨーガという名前が付いている。
ポーズはヨガの小さな一局面に過ぎない。トータルで座学や歴史、ヨガ哲学を含めて体系的に学んで、初めて、ポーズを取ることの意味が分かるようになり、レッスンを組み立てることができるようになる。
意味が分かる瞬間と言うのは、まったくコペルニクス的転換で、生徒としてヨガを教わっていた10年や20年の間、ヨガをしているつもりで、全くしていなかったんだな~と分かる(^^;)。
しかし、教えるときには、そうして学んだポーズ上の小さなコツが具体的な教えになる、ということも否めない。
ただ先生のあり方として、ヨガ的でない人、つまりヨギーでない人は、すぐにわかる。
それは山ヤも同じだと思う。
人の後ろをついて歩いていると、もちろん歩くことは上手になる。足はみな強い。でも、山ヤじゃない。
考え方が山ヤじゃないのだ。人の後をついて歩いているだけでは、山を分かるようには一生ならない。
自分で計画を立て、リスクを計算し、自分の力量を客観的に評価し、どういう山が登れるのか、判断するという経験を積んで行かないと、山行を企画することすらできない。
山をするとはどういうことか?の全体像も分かるようにならない。
ヨガと山の共通点はこれだ。
逆に言うと、何事も指示されてやっている間は、特定の限定された範囲の技術に強くなれるということだ。技が研ぎ澄まされるチャンスということだと思う。
ヨガの先生になると、ヨガポーズ自体の洗練度は、実はどうでもよくなる。
なぜなら、そのポーズをどう使うか?のほうが、ポーズが上手とかキレイであることより、大事だからだ。
山も、計画から、その岳人の山への想いが伝わる。山行計画は、岳人から山へのラブレターなのだ。
その愛の詩を理解できることのほうが、山ヤとして大事なことで、足が強いとか、体力がある、なんてことは二の次、三の次のことなのだ。
私の愛の詩 |
Monday, October 19, 2015
パートナーの条件
■ 検討事項
最近、パートナーに求める条件の最たるものは、体力でも、登攀力でも、性格の一致でもなく、
山を分かっていること
であると、結論するに至った。性別及び年齢も、核心ではない。
検討事項その①体力 ・・・ 自分の体力を過不足なく、理解していること
もちろん、最低限の体力は前提だ。最低限とは、10時間の行動が最低10kg担いで普通の速度で歩けること。これは最低限なので、10kg10時間だと、山によっては、一緒に行くメンバーが、多少肩代わりしなくては、いわゆる山岳会が行くような山・・・昨日の深南部のような、危険のない山であっても・・・は、行くことができない。
若い人であれば、15kgくらいは担げないと山ヤ失格だ。これは何の自慢にもならない体力だ。
体力自慢は山ヤの誇りであり、山ヤであれば、誰しも体力自慢するものだ。たしかに体力はあって困るものではなく、超人的な体力があれば、すごい山ヤだ。
だが、体力は、ないならないで、その体力で済ませられる山に行けばいいだけのこと。10の体力があれば、10の山に行けばよく、20の体力があれば、20の山に行けるだけのことだ。
遭難ということを考えたとき、もっともリスクが大きいのは、10の体力しかないのに、20の体力が必要な山に行くということだ。
だから、いくら20の体力があっても、30の山に行けるという過信があれば、10の体力で10の山に行っている人よりもリスクが高い。
体力について、もっとも大事なことは、
自分の正確な体力を理解している、ということ
だ。
したがって、その理解のためには、安全・安心な環境で(例:山小屋のある縦走)、自分の限界を知る体験を積んでおかないといけない。つまりトップロープで登って自分のギリギリの限界値を知っておくということと同じだ。
最近15時間近くの行動を体験したが、その前までは、一日の行動時間としては、14時間の金峰・甲武信の縦走が私が自分をギリギリまで追い込んだ山だった。
一般に人は自分で自分を追い込むことは、なかなかできない。これは山岳会などの仲間が、非常に役立つシーンだ。歩荷山行、カモシカ山行などは、機会があれば、やっておくべきだ。
私の尊敬する、ある岳人に、15時間行動となった山行を話すと、彼は33時間行動の経験があるそうで、17時間行動へのチャレンジが提案された。
すこし話が逸れるが、どれくらい人は歩けるものなのだろうか?私が想像するには、15時間程度は、30代~40代の若い男性にはゆとりがあると思う。私自身、まだ限界とはいえなさそうだった。
無理して無理をする必要はないが、こうした自分の限界点を知るような行動の経験が、仮にピンチとなった時に、強みとして発揮されるのは間違いないことだろう。
検討事項その② 登攀力
登攀力も、山ヤの自慢項目に当たることが多い。 体力と同じで、確かに、登攀力もあって困らないものだ。
が、日本の山岳エリアに限れば、日本国内総5級、A1と言われた時代があるほどで、フリークライミングに転向しない限り、11以上の登攀力は、冗長になる。
もちろん、A1しないで登れれば、その方がギアの分軽いわけなので、楽ではあろう。A1を受け入れなくてはならない登攀力の人には、そのギアの重さ分の歩荷負担が来るわけだからだ。
余談になるが、登攀力は、年齢による恐怖の感じ方、経験による恐怖の感じ方も影響する。危険を体験したことがない段階では、恐怖心がないため突っ込む判断をしがちだ。
その段階の登攀力は、真の登攀力とは言えない。
その段階の登攀力は、真の登攀力とは言えない。
プロテクションの重要さやロープワークの重要性が身に染みて分かるようになるには、怪我の経験や失敗の経験による振り返りが必要だ。
私は今この段階にいるため、必要以上に、用心をしている。私自身の観察に寄れば、初級のルートに行けるようになったくらい・・・つまり、現段階の私の段階・・・が、もっとも滑落による遭難死を起こしやすい。それは限界に行くことを良しとする、一種のヒロイズムに染まるからだ。また、なかなかルートに出れず、不満を貯める時期でもある。
危険が身に染みる経験が、ある岳人の身に起るかどうか?は運だ。
起った出来事が経験になり蓄積するかどうかは、その人の内省次第だ。色々な出来事が起ったとしても、そこから反省を引き出さなければ、経験として蓄積しない。
たまたま起った出来事を深く振り返り、出来事から意味をくみ取るかどうかは、知性と資質だ。
そうした意味で、山ヤが登攀力を正確に評価できるようになるまでには、
・経験
・運
・資質(知性)
の3つが揃う必要がある。このうち、山岳会が用意してやれるのは、経験だけだ。平たく言えば、1から10を知る人もいれば、10から1しか引き出せない人もいる。
経験があっても、そこから学ぶ姿勢が欠けた人であれば、「おれは強運だ」などの、合理的な関連性が見当たらない、見当違いな結び付けをしてしまう。
それは元々高い自己評価(根拠のない自信)がある人に多い。そうなると、落雷予報があるにも関わらず出かけて行くような、いわゆる”無謀”登山者を作ってしまう。
一方、死なない程度に危険な目には遭っておかなければ(言い換えれば、運がなければ)、経験を積んでいる途中で死んでしまう。
超絶登山を繰り広げ、将来を嘱望された、若い岳人の多くが、何でもない初級ルートの、核心部ではなく、ただの樹林帯等で転落死している。
例えば、今冬起った大学生の阿弥陀北陵の遭難事故も同じようなケースに入ると思われる。阿弥陀山頂でのホワイトアウトが、良く知られたリスクであることを考えると、ちょっと待つという知恵さえあれば、ワンビバークで済んだ可能性が高い。
資質はさらに得難い。高い知性が必要だ。客観的で、冷静な分析力が必要だからだ。
私が尊敬する山やは、学歴等をあらかじめ聞いて選別したわけではなく、単純にその人の山に魅かれて慕っているだけだが、しばらくして明らかになることの結果としては、高い学歴を有し、高度な職業を持っていた(持っている)人が多い。それは偶然の一致とは思えない。
検討事項その③ 経験
経験もまたあっても邪魔にならないモノとされている。しかし、”経験”がどのように作用するのかは、本人の資質次第だ。
経験があるがために、経験がない人より危険になっている場合もある。
したがって、体力、登攀力、経験のどれも、パートナーの必須条件とは言えない。
したがって、体力、登攀力、経験のどれも、パートナーの必須条件とは言えない。
■ ヤマを分かっている人
では、山を分かっている、とは、どのようなことだろうか?
それは一度山行を共にすると分かる事が多い。それらは、装備の選び方から、計画の立て方、山行中の行動、ビレイの仕方、発言など、すべてに現れる。
それは一度山行を共にすると分かる事が多い。それらは、装備の選び方から、計画の立て方、山行中の行動、ビレイの仕方、発言など、すべてに現れる。
例えば・・・だが、尾根の下りはじめは、大概ぼんやりしており、尾根が顕著になってから補正すればよい。そんなことは、山ヤならだれでも知っている。ある岳人は、地図読みは、「間違いを内包しながら進む」と表現していた。
つまり、すべてに正解を求める臆病な人は山ヤには向かない。
リーダーがミスをしたときに怒りだすメンバーは、単純に山ヤではない。”お客さん”だ。リーダーは神ではないのだから、すべての責任をリーダーに負いかぶせることはできないのは、たとえガイドであっても分かり切ったことだ。ミスを指摘してやれなかった自分を恥じるべきだ。
ビレイで人を引っ張る人は、ロープが出る山には行ってはいけない。まだ人工壁での下積みの経験が足りていない。(私自身も連れて行ったことがあるので反省中) ビレイ中にロープを手から離してしまう人も同じだ。
ビレイで人を引っ張る人は、ロープが出る山には行ってはいけない。まだ人工壁での下積みの経験が足りていない。(私自身も連れて行ったことがあるので反省中) ビレイ中にロープを手から離してしまう人も同じだ。
自分の寝食を担いで山に行くことは基本のキであるので、自分個人の、単体の荷物を担げない人は、端にその山には登る資格が足りていない。コッヘル程度、テントの一部程度の共同装備負担で文句をいう人は、自分が資格未満で登っていることの自覚がない。その人は自分で担いで行ける範囲の山に行くべきだ。
これは万人に通じ、山の本当の魅力は、「誰かに登らせてもらった5級より、自分で登った4級の方が面白いだろ」というメスナーの言葉にも現れている。逆に言えば、良かれと思って、連れて行ってやると、その人の本当の意味での、山の喜びを奪ってしまう。
何かの本にあったが、トンネルで、ライトを点灯しない人は山には向いていないそうだ。トンネルのライトは自分のために着けるものではない。対抗車により早く気が付いてもらうためにするものなのだ。したがって、自分さえよければ良いというような人も山には向いていない。
例えば、落ちそうなときは、「頼むよ」とか「落ちるかも」と言うことが重要だ。
例えば、落ちそうなときは、「頼むよ」とか「落ちるかも」と言うことが重要だ。
また競争心が強い人も山には向かない。誰かが行ったから、私も、となるのだが、山は天候や季節によりさまざまに条件が変わり、予想以上に易しい(難しい)ケースもある。それが面白さであり、日本中どの山にも登れるのが基本的には山ヤとしては当然のことなので、山を知らない人たちの評価ですごいとされている、ある山に登れたからと言って、自慢にも何にもならない。競争心は、自分との戦いに向けるべきだ。
分かっていない自分が分かっていない人も山に向かない。ナルシストは山を背景にした写真に納まりたいだけの人だし、女性にもてたいという動機は入門者には良いが、山ヤとして成長するための推進力とはならない。山は山の良さを知ること自体が、山の面白さだからだ。
人は山と向き合っているようで、自分と向き合っている。そのことが分からない人は、すべからく山ヤではないだろうと思う。そのことは、”山は自己満足”という単純な言葉で、伝統的に教えられている。
■ ダーティ行為
最近読んでいる本に、ダーティ行為、と称される行為がリストアップされている。これらは、健全な自尊心を損なう行為として挙げられているものだ。
が、山ヤとしての資質の判断にも非常に役立ちそうだ。
≪ダーティ行為リスト≫
1)自分がされたら嫌なことを人に対して行うこと
・活躍している後輩に辛辣な嫌味や皮肉を言って傷つける
・他部署の人を困らせようと、申請書類が滞るような嫌がらせをする
・気に入らないことがあると、仲間外れにする
・人の話を聞かず、自分の愚痴ばかり
・たまに親切にしたと思ったら、恩着せがましく金品の見返りを要求する
→ 山に落とし込んだら
・一斉メールからその人だけを除外し、山行を知らせない
・自分の荷物を人に担がせる
・必要なギアを教えない
・ラッセルを交代しない
・使っていない食事代を請求する
・ビレイでクライマーを引っ張り落とす
・ビレイでクライマーを引っ張り落とす
2)ダメージを与えたり、悪い方向にいくことを見て見ぬふりすること (行動しないこと)
・目の前にお年寄りが来たのに席を譲らず、寝たふりをする
・いじめられている同僚を見ても、見て見ぬふりをする
・飲酒運転を止めない
・つり銭が多くても返さない
・隠ぺいを知っていても、見逃す
・けんかを止めずエスカレートさせる
・自分の作業が終わっても人の作業を手伝わない
・自分だけ知っている得な情報を独り占めし、分けようとしない
・スランプで悩んでいる部下を指導することなく、放置する
→ 山に落とし込んだら
・無謀な山行計画を指摘しない
・危険と分かっているダメビレイを指摘しない、教えない
・危険と分かっている突っ込む行為を指摘しない
3)意図的に行われる間違った行い
・雨の日に人の置き傘を持ちかえる
・常習的遅刻
・困っている人からの相談に、自分が役立つと分かっていて応じない
・会社の備品を家に持ち帰る
・人が近づいてくるのを知りながら、エレベーターのボタンを急いで押す
・接待費の流用
・割り勘のちょろまかし
・商品のメリットだけを説明して、デメリットを説明しない
→ 山に落とし込んだら
・自分が教わった登山技術を後輩に教えない
・山岳会の良いところだけを言って、悪いところを教えない
・人が苦労して調べて行った山に、便乗する
・行きたいと言っているルートを盗んで、断りなく抜け駆けして行く
・これみよがし登山を行う
・これみよがし登山を行う
4)道徳的価値観に反して社会全体へ行われる不正行為
・確定申告の経費割増
・ポイ捨て
・静かな場所で大声で話す
・公共の場所を汚す
・交通違反を勲章にしている
→ 山に落とし込むと
・役得のもらいっぱなし
・山でトイレットペーパーを捨てる
・山でウルサイ
・山でゴミを捨てたり、登山道に大便をしたりする
・凍傷を自慢話にしている
例えば、道徳的価値観の違反があっても、たいていの場合は、温情主義により、許されているが、それは、ある意味では、2)行動しない、というダーティ行為に当たる。
そのあたりの線引きは、非常に難しい。
が、しかし、自尊心を損なう行為である、ということが言われているため、自分自身の自尊心を自ら傷つけていないかどうか?、が、判断に迷った場合の線引きの参考になろう。
自分で自分に恥じない自分でいることは、各人の責務であるのだ。
自分で自分に恥じない自分でいることは、各人の責務であるのだ。
■ 自分自身に対して行われる不正義
・過剰なカロリー摂取や不健康な暴飲暴食
・生活水準をはるかに超えた散財
・不衛生な環境で生活する
・セクハラをされているのに我慢する
・自分へのご褒美を我慢する
・体調不良があっても、多忙を理由に病院へ行かない
・受け取るべき報酬やお礼を受け取らない
・言いたいことがあっても周囲に気を使い、自己主張しない
→ 山に落とし込むと
・山と向き合っていない
・力量以上の山に行き、それを自分で認めていない
山と向き合っていない人は、”後ろめたい気持ち”を持っている。後ろめたい気持ちは、人によっては、”過信”となり、人によっては”謙虚さ”となる。
正直さ、という美徳を身に着けていない人には、ビッグマウスとなって表現されるようだが、事の根っこは同じだ。
自分自身への背徳行為なのである。しかるに、他者がいくら当人をほめたたえたところで、一時しのぎにしかならず、本当の意味での自尊心はその人自身が、自傷行為、つまり上記に記載したような内容の行為を辞めない限り、根本のところは正されない。
そういう意味では、大言壮語癖(山ヤの自慢話癖=ヒロイズム)は、悲痛な悲鳴とも言えるわけで、気の毒であると言う見解も成り立つのかもしれない。
私が思うにはそういった心性、心の性質は、感染力が高く移りやすい。近寄らないことも含め、良識に属すかもしれない。
幸いなことに、私が今までパートナーを組んだ人は、素晴らしい人ばかりでそのような心性の人はいない。
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