Monday, December 21, 2015

岩場での学び

今朝は、目が覚めたとき、岩の登り方を考えていた・・・驚いた。

■ 先輩・後輩

河又・天王岩へ連れて行ってもらえたことはありがたいことだった。この岩場の選択は、やはり、ジムでの練習にいまひとつモチベーションをあげられないでいる後輩に、モチベーションをあげよう、という親心の一つだと思う。先輩とはありがたいものだ。

今一緒に岩に行っている人とは、小川山レイバックで会ったのだから、会の枠には収まっていない。関係は、勝手に弟子入りした、先輩後輩というものだと思う。

山岳会で、先輩が無償で後輩に教えるシステムが崩れた、と言われるが、会の枠を超えて、機能している一例と言えるかもしれない。

■ 前傾壁

クライミングジムの壁はみな前傾している。

私の岩登りは、アルパインをより安全にするために始めたクライミングだから、アルパインに出てこない前傾壁は、全く興味が湧かなかった。

前傾壁は、私の中からは、全く除外されていて、前傾=登らない、という方程式さえ、成立していたくらいだ。なぜ、ジムの課題はいつも前傾しているのだろう?とすら思っていた。

私が小瀬の人工壁でクライミング練習を始めた頃は、登攀は必死すぎて、テープを追うのがやっとだったので、テープを追いやすい、分かりやすい課題は、小瀬では外壁しかなく、傾斜が変えられる外の壁は、40度の傾斜での11Aが一番易しかった。仕方がないので、その課題の傾斜をゼロにして、おそらく5.10Aくらいでしょう、ということで登っていた。そこでは、それしか登れる課題がなかったのだった。

その後パートナーがいないので、小瀬には行かなくなってしまったが、それはあまり堪えなかった。一応、クライミング力アップのためには、環境的にまずいなーとは思っていたが。

元々、外の岩のほうが好きだったし、長い被ったその課題以外には、短く難しい課題があったが、グレードを上げても、楽しいとは感じられなかったからだった。一度、行きたくないのに、10cを触り、手繰り墜ちして、床から50cmくらいで止まった。人に登れと強制されて登るのはやめようと思った。

今回の岩場の選択は、ジムでの前傾壁の課題が、そのまま外岩になったような感じで、実際、河又の洞窟の付近をトライしていたクライマーを見ていると、まるで小瀬の人工壁を登っているクライマーのようだった。クライミングムーブが全く同じ。落ち方もおなじ。それで、小瀬のことを思い出したのだった。

初めてフリーの岩場である、小川山に行った時は、八幡沢でスラブを登り、スラブでは、ジムの練習は全く関係ないな~と思った。

小川山レイバックも人工壁は関係ないどころか、連れて行った人は、クラックを人工壁のフェイス的に登ってむしろ苦労していた。人工壁に慣れていない私の方が、教えられたとおりに普通に足ジャム、ハンドジャムを使っていたほどだ。

前穂北尾根で出てきた核心部のステミング・・・も、正直言って、ジムでは全く出てこない。だから、ぶっつけ本番だった。

一番身近な、十二ヶ岳の岩場でも、スラブなので、ジムでの練習は関係ないなーと感じた。ただ一部被ったところが登れず、その被ったところを解決するために、ジムでアンダーが出てくる課題をわざわざやりに行った。

岩場で出てきた課題、つまり、できなかったことを、ジムに持ち帰って解決する、というサイクルは、分かるようになった。

今回の岩場は、二つとも、特に河又は、最も人工壁に近い岩場だった。

■ アクセス問題

河又も天王岩も、アクセス問題があった岩場だ。アクセス問題があったことが濃厚に感じられた。

河又は、大きな目立つ壁画がある駐車場から、車道を少し歩き、尾須沢鍾乳洞へ向かう。河又の岩場は、尾須沢鍾乳洞そのものを登るものと言っても良いくらいで、アクセスは、鍾乳洞と全く同じだ。

今回も、カメラを構えシャッターをしきりに切っているオジサンがいて、ビレイ中に気持ちが悪い感じがした。どうも、鍾乳洞ではなく、クライマーの写真を撮っている風だったので、良き写真を撮るというよりも、なんらかの別の意図がありそうだった。

アクセス問題と関係があるのだろうか・・・。河又は、墜落事故が起きたことで、一時登攀禁止になったらしい。

クライマーのマナーが悪いということも、よく言われる原因なのだが、上半身をはだけたり、奇声をあげたりするのは、一種のクライマー文化なのだ。粗野な男を気取っている。

粗野さや野蛮さは、男性の男らしさについてのコンプレックスを感じさせられる・・・といつも思う。

いつも思うが、強いクライマーは別にそういう”気取り”がない。気取らなくても、登れること自体で尊敬を集められるから、オレってさ~ってやる必要がないんだろう、と勝手に思っている。

■ グレーディングと上達

実は、近所のゲレンデ兜山の課題は、グレードは易し目についているらしい・・・私は、5.9がオンサイトできたことを、うれしく思っていたが、ちょっと登れたくらいで、ぬか喜びしてはいけないよ、ってことだ。

今回の岩場は二つとも、岩場のグレーディングがしょっぱめ、もしくは、適性、だそうで、要するに、易しい5.9ではなく、5.9~10Aをマスターするにも、遠い道のりだよ~ということを教えてもらうために来ているのだった。

それでも、やっぱり、グレードは別にして、まったく登れなかったところが登れるようになったことは、うれしい。

とぎれとぎれのクライミングでも、続けていれば、なんらかの積み上げがあるもののようだ。

成長・・・それが私にとっては、喜びの源泉だ。現代人はとくに成長神話に毒されている。成長することに信仰を見出しているのも真実で、私もその意味では例外ではない。

だから、いつか成長が飽和し、下るほうに入るとき、本当の試練がくるのだろうと思う・・・。

思えば、大人になって趣味をスタートする人は幸いだ。なぜなら、あまり早く成長しない、できないからだ。

成長期にスポーツをスタートした人は趣味としても辞めてしまう人が多い。バレエのような芸術性がある運動も同じで、子供時代に三羽の白鳥まで行きました、という人は大人の趣味のバレエには、まったく興味を湧かせられない。子どもの頃できたことができないのがつらいと感じてしまうのだ。

クライミングも、フィジカルな課題では同じようで、会の50代の先輩も「ジムに行ったけど肩があがらない」「肩が痛いんだが、やったほうが肩にいいのか、それともやらない方がいいのか」と悩んだり、まだ30代なのに、「20代のころはもっと登れたなぁ」とつぶやいていたりした・・・ 

私のような、そもそも腕力がない女性だけではなく、50代になって登山が嵩じて、クライミングをスタートしたような初心者組の男性たちにとっても、クライミングで、過去の自分より今の自分の方が登れない、という知覚はゼロだ。

だから、肩が痛くても、それがクライミングのせいであっても、なくても、それが今したいことなんだから、仕方ないさと受け入れてしまう。

きっと成長期の大学生なら、1か月でマスターするようなことを1年かかっているんだろうな(笑)。

それでも、60代で始めたら、同じことに3年かかるのだろう。それだけ、若さというものは、レバレッジが効いているもので、それがスポーツにしろ、語学にしろ、親が子供に詰め込み教育をする理由になっているのだろう。

■ 河又

河又はつくと、先客が大勢すでにいて、驚いたことに、菊地さんもいた。先月、湯河原幕岩でお世話になったところだ。

予習してきた、ミヤザキミドリは、5.9だと思っていたら、とても難しかった。露出感があって怖かった。

岩場は全体にホールドが丸っこく、ジムの課題で、ルーフやアンダーでスタートする課題に似ていた。下の方が核心だと、外では怖い。

クライミングは、上の方に行くほうが落ちてもグランドしないので安全で、出だしが核心部だと緊張する。

岩に取り付くも、手がかじかんで、登っているのかどうかよくわからないような感触。兜山や十二ヶ岳の岩場は完全に南面で日当たりがよく、冬でも快適なので、岩が冷たくて、手がかじかんで、グーにしているのかどうか知覚できない、というような状況に追い込まれることがなかった。恵まれた岩場だったんだな~と感じた。

結局、岩場で一番易しい課題の”いきのいい奴”が一番気に入り、2回登った。そこまでムーブ解決に時間はかからなかったけれど、もっと楽に登れそう、洗練させられそう、という気はする。けれど、どうしたらよいのか?というのは、掴めそうでつかめない。

≪参考情報≫
河又の情報
アクセスの尾須沢鍾乳洞 

■ 天王岩

天王岩のほうは、河又よりアクセスがもっと良く、岩場のすぐ下、1分のところに、マス釣り場の駐車場がある。が、ガラガラ・・・

アクセス問題が、ここにもあったようで、マス釣り場の駐車場は使えない、と書かれていたので、では、と、上の肥料工場のほうに行ったが、そこもダメとクラミングネットに書かれていたので、結局、十里木の交差点そばの、トイレがある無料駐車場へ戻ったのだった。

十里木から歩いても、徒歩20分くらいなので、特に問題はなかったが、目の前にがらがらの空きスペースがあるのに・・・と思い、その話をすると、近くにいたクライマーが、マス釣り駐車場を利用しても停めれることを教えてくれた。

駐車場所を探したため、岩場到着は遅く、11時前。同行者は気乗りしない様子だった。前傾壁が久しぶりだったからのようだが、背中が痛いと言っていた。広背筋かなぁ。

私は背中の痛みは感じないが、前腕が前の日、パンプして張っている。前腕のパンプは、引きつけ(正対)だけで登ったせいで、ムーブの解決力の問題にしか思えなかった。

腕力が足りない、という段階までは来ていないと思う。のは、大体、以前よりクライミングでは疲れなくなっているからだ。

アップは、コーナークラック、という課題。天王岩の岩のほうが、カチッとしていて、私としては、なんとなく、触り慣れている感じがしたが、それでも、かなり、岩が冷たい。

アップしている時も、冷たくて、上のほうでは、手がどうなっているのかまったく感じられない・・・。クラックがどんどん浅くなって、縦のカチみたいにしか入らなくなっているのだが、効いているのか、感触がなく、左足のスメアも顕著なスタンスではなく、あいまいなところに乗っているだけなので、左手の大きなガバを取るまでは、安心できず、これで、5.8かと焦ってしまった。でも、考えてみたら、兜山の5.8も、最初はびっくりしたのだったっけ。

この課題は、ムーブが気に入ったので、後でやることにして、ロープをかけっぱにしておく。のは、となりの人たちはみなお上手組で、この易しい課題をする人はいないようだったからだ。それにカムの設置の練習をしたかった。

クラックジョイも面白く、もう一度したかったが、隣の課題が人気があり、取り付いている人も多いので、遠慮。

その後、奥の課題に行くも、同行者は苦戦し、なんとなく士気が上がらない。下の岩場で、易しい課題に取り付く。こちらは、被っている場所があるけれども、垂壁の範疇と言うか、大きく分けると前傾壁ではなく垂壁なので、取り付きやすかった。

左上していたり、のトラバースがあると、落ちるときフラれるので、精神的負担が強い。ニルバーナという課題をトライしている人が頻繁に墜ちつつ登っていて、その課題は、最初が強くかぶっていて、核心のように見えた。すぐにパンプしてしまいそうで、さっさと動く必要があるが、それにはどこを取るか、すぐにわかっていないといけない。

そういう目学問・耳学問が、クライミングでは重要な気がする。リードも落ちながらリードしている人を見て、そうかそうやってやるのか、と開眼した。

クライミング自体が初めての時は、トップロープでもテンションは掛けないで登るのが当然だと思っていたので、こらえにこらえていた。今では最初は岩の様子見、という気持ちでいる。とにかく、岩を見る目を養わなくては、という感じだ。

そういう意味で、今の私には、クラックジョイのテラスから上が、岩を見る目を養うのに良さそうだった。2Dではなく、3Dだったからだ。フェイスやスラブは、いかにも2D的な捉え方なのだが、沢で出てくるチムニーや体が入るようなクラックは3Dと言う感じがして、私にとって面白いのは、そっちのほう・・・そういう意味では、苦手のルーフスタートも3Dだな~。

あとは、2回、コーナークラックをやっておしまいになった。岩場を出るのは一番遅かったような?

帰りは、檜原から、上野原に抜けるのに45分くらいかかり、上野原からは20号だったので、2時間半くらいで帰宅でき、ほっとした。

帰宅すると、夫は家で退屈そうにしていた。一緒にやろうというと、嫌だというし、夫のしたいことをしているだけだと、家でゴロゴロとしているだけの、不健康な生活になってしまう。現代の人は働きすぎだが、その内容は頭脳労働でしかないので、余暇は体を動かした方が本当は体に良い。

私は体力にはゆとりがあるので、そうでない夫の希望も満たすのは難しい。でも、夫を一人にしておくと、かなり偏った人になっていきそうだ・・・。

■ 正しい恐れ方は難しい

同行者は、いきなり落ちたりしないので、リードでも、ロープは緩めに出せばいいのに、やっぱり少し緊張して、細かく出している。

信頼できる相手なので、彼と一緒に行くときに、私は落ちるようなクライミングをすればいいのに、今はそうなっていない。・・・のは、いつも初めてのところに行くことになっているからかもしれない。

初めての岩場だと、どのくらい登れることを自分に期待していいのかよく分からない・・・。5.8とあったときにリードで取り付いていいのか、どうか、まだよく分からなかったりするのだ。岩場によってグレーディングは甘い辛いがあるようだし・・・。

それで登ってみて、行けそうだなと思った時にリードするということになっているのだが、昨日は、リードできそうと思った課題(下の岩場)に行ったときには、すでにパンプ気味で、念のため、リードお預けにした。でもトップロープでノーテンションだったので、次回はリードだ。

落ちながらリードしたら、よかったかなぁ・・・。クライミングって、落ちると、また精神的に用心深くなるので気を使う。

私が最大に用心深くなり、その結果、登れなくなったのは、カサメリ沢の帰りにトラバースで、ザックに体を引かれて転落した、2回転半8mの転落だった。岩でもなんでもない、ただのトラバース道。

これは、あっけなく体が重さに負けてしまい、ひっくり返って転んだのだが、何かに体を持ち上げられたような、自分のコントロールがまったく効いていない状況だった。だから、そのようなコントロール外に自分が陥ったことが意外過ぎ、その後は平坦な登山道でさえ、かなり用心深くしか歩かなくなったし、初めて行った時にまったく怖くなかった三つ峠で、落ちることを連想するようにさえなった。

普通に歩けるように戻るのに、半年以上かかった。無理をして岩に行ったので疲れた。

恐怖心との付き合いは難しい。

物事を必要以上に恐れたり、まったく恐れを抱いたりしないことはたやすいが、物事を正しく恐れることは難しい。

リードも同じで、リードを必要以上に恐れる必要はない。

特に信頼できるビレイヤーと居るときはそうで、私がリードしているのは、むしろそうではないビレイヤーと居る時の方が多くなってしまっているので、正しい畏れ方とは言えないかもしれない。

逆転現象が起きているな、と自分でも思うのだが、それは正常化しないとな。

ガンガン落ちる、河又も天王岩もケミカルになっていたので、それが可能なようだった。

落ちてはいけない三つ峠の岩場みたいな感じではなかった。河又では盛大にフォールしている人がいたし、天王岩でも、核心部ではぶら下がってハングドックしては、トライを繰り返している人がいた。

≪参考≫
インドアジムでのぬんちゃく破断の記録

ぬんちゃくリードにびっくり







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