Tuesday, February 17, 2015

インタレストグレードの考察 その1

今日は甲府は寒い日です… 

■ ヒヨ太プラスワン

どうも我が家に来るヒヨドリは2羽いるのですが、定期巡回路に入ったらしく、必ず毎日来ます。

太ったのとスマートなの。スマートな方は、巣立っていったヒヨ太だと思うのですが、もう一羽はすごく太っています。

お腹に卵が入っているのかなぁ?とするとヒヨ太のお嫁さんかなぁ?でも、全然一緒には来ないのですが… それとも中年太りになってしまったお母さんなのでしょうか?

ヒヨ太はともかく、そちらのお方は、とってもコケティッシュ

首の傾げ方が 

「おかしいな~ あるはずなんだけどな~」
「なんでないんだろう?こっちかな~?!」

と、もうすでにミカンがあるハズ、という前提になっています(笑)

■ 登山とはどういうものだろうか?という疑問は解消中

私は、そもそも探求、何かを調べる、発見する、と言うことが好きなたちで、小さいころは、理科がもっとも得意な科目でした。(数学は計算問題の単調さに、メゲてダメでした、残念。)

 基本、知りたがりデス。

登山ということに関してみると、登山を始め、今までの間、初心者としての私の目は、 

 登山とはどういうものなのか?

 山岳会とはどういう場所なのか?

に向けられていたように思います。しかし、残念なことに、今の時代の登山、ということに限定して言うと、あまり、魅力を感じる世界だとは考えなくなりそうです。

まぁ・・・登山にも色々な登山があるので、登山は登山でも中身が重要ってことですね!

私は、空いている山、を目指します(笑)

■ 冒険的登山

まぁ、私は近所でも探検するほど探検好きなので、発見がある山が好きです。

曲がり角に何があるのか分からないとか、予想外の景色が見えるとか、そういう発見性や意外性が好きなのです。ピークって基本そうです。ゴルジュや滝もそうかも?

考えてみれば、図書館と言うのは巨大な宝箱で、玉石混交の上に、良書というお宝発見!があるのが好きなのかも?

意外性、発見性が重要っと。平たくいうと、へぇ~です。

■ 自分は登山でどこまで行けるだろうか?

果てしなき探求と言う意味では、一つの世界で、

 自分はどこまで行けるだろうか?

という問いも、探究するに値する問いになります。ただ私はこれ興味ないみたい・・・

世界的クライマーのアダム・オンドラ君は、岩登りで How far I can go に興味があったそうです。その結果が世界的クライミングなのですから、立派なものですよね。

自分を試したいのであって、誰かに勝ちたいとか、世界一になりたいと言っていないことに共感しますね。

この問いは、自分の能力に関する問いです。自分がどこまで通用するか?この問いの立て方は、若い人に有効ではないでしょうか?のびざかりなんだしね。

が、ワタクシはもう新人オバサンですし、登山を能力開発の世界としては見ていないので、自分の能力がどこまで開花するのか?ということにはあまり興味がありません。もちろん、体力を維持するのは必要なことですが。

身体は頭より賢く肉体の限界は人間の予想をはるかに上回っているものではありますが。

この問いは、自己探求であるべきで、自己しっ責とか、自己嫌悪につなげない用心が必要ですね。

余談ですが、ヨガを頑張って、腰痛になる人は多いんですよ。腰痛を直そうと思って始めたのに(笑)。

■ どこまで扉が開き続けるのか?

登山は私にとっては、全く未知の、新しい世界でした。何しろ、全然文系です。本当に前の趣味はバレエと言うくらいですから、全然違います。

しかし、登山の扉が、目まぐるしく、私の前に開け、開けても、開けても、次があるので、どこまでこの展開は続くのだろうか?という問いを持っていました。まるで面白いドラマのように展開が次々と開けて目が離せない!と言う感じです。

こういうことを、ヨガでは”祝福がある分野”と言いますが、確かに祝福という名の運、があったような気がします。

誰に感謝したらいいのでしょう?ホントに感謝感謝です。

一つの疑問を持つと、その疑問への回答が用意されるような経験が待っていました。 本格的な登山とはなんだろう?と疑問に思えば、それはこういうことだよ、というような経験が用意されていた、ということです。

■ まさか自分が〇△するとは!

というわけで、まさか自分が…という意外な展開を経験しました。

私は、あまり運動が得意なほうではありません。ですから、体育会系の元祖みたいな、部活とは無縁です。学生時代は中高とテニス部です。

まさか、自分が3Kのアウトドアの世界になじめるとは思っていませんでした。そうした世界は、もっとも遠いと思っていたのです。

図書館で本を読んでいる青白い私が、まさか私が岩をよじっているとは!です。登山には、そうした人でも、何とか登れる壁があるという良さがあります(笑)

そういうわけで、以前のワタクシを知る人はビックリ!!な感じです(笑)。 ”!”が三つくらいつく感じかもしれません(笑)。端的な例で行くと、5年前の私のワードローブと今のワードローブは全く違います。

ある意味、チャレンジですね。 

余談ですが、この人だって登れるなら、自分も!と思う人も多いようで、そうした触発のされ方というのは、あまり好ましくない結果を招くように思います。条件が色々と違うからですね。

■ こまったこと

山を始めてからと言うもの、多くの出会いがあり、その出会いは、私に知らなかったことを色々と教えてくれました。

山の同行者で最初に困ったことは、一緒に行く人が、コースタイムを把握していないことです。山頂まで行くのに4時間かかる山に一緒に行こうと話しているのに、集合を里で8時にしようと言ってくる人がいました。これでは登頂できないことは、山を登る以前に分かっています。もしこれで遭難でもしたら、救助隊に「登る前から遭難している」と言われること必至です。「それでは登頂できない」と教えると「登頂しなくていい」と言われてしまいました。そうすると、登山の前提が崩れてしまいます。

登頂しないつもりで登る登山…って何のためなのでしょう?そうなると、その人が何のために登山をしたいのか?ということになってしまいます。

次に困ったことは、一緒に行く男性登山者が「一緒に行くと妻が嫉妬する」と、しつこいくらいに何度も何度も言ってくることでした。それは私の問題ではありません。妻が嫉妬するのは、信頼関係が出来ていないことによります。

次に困ったことは、「若い、若い」と何度も言ってもらえたことです…褒め言葉なのに、スイマセン。一回二回褒められるとうれしいのですが、あんまり何度もだと、むしろ「ちゃんと山のことを見ているかしら、大丈夫かしら」と不安になります・・・。

ギアを貸して、次回も貸されっぱなしでお願いします!と元気なのも、困ることでした。体験から入って、徐々にステップアップして行くのは、当然の流れなので、一回目を借りるのは普通です。無料で貸してくれる相手がいれば単純にラッキーです。しかし、それは借りる権利ではありません。

岳人に寄稿された、山田哲哉ガイドのコラムに、「”ワカン貸して”は困る」という記事があり、このコラムは、私もいたタカマタギの登山に触れつつ、書かれているので、印象に残っています。

”ワカンを貸してもらいたい”というのは、逆に言えば、”ワカンがいるような山には、今後行かないから、今回だけ貸して”という意味なのだそうです。

ギアと言うのは不思議なもので、買えば、使うような山に行きたい、と思うようになります。

ただ最近の人は、応用力が少ないので、ワカンがいるような山がどんな山か分からないのかもしれません。

 ワカン ⇒ ラッセル ⇒ ノートレースの山 ⇒ 豪雪 もしくは、ひとけの無い山

 ロープ ⇒ パートナーが必要な山

 アイスアックス ⇒ クライミング ⇒ 傾斜のきつい山、パートナーが必要な山

です。ギア 一つ買うにも自分の山を見極めていないと買えない。

私はワカンを買って、ロープを買って、アックスを買ったので、道なき道を歩く山⇒ロープが要る山 ⇒クライミングと、正しく成長中ですね♪

■ 何が気に入ったのか? 

ふと思いました。私が気に入った登山は、あくまで西岳だったのかもしれない…。

最初に混雑した瑞牆山に行けば、登山は気に入らず趣味としていなかったかもしれません。ホントにあれはビックリ仰天の経験でしたからね。

さらに最初の頃と言うのは、見たことのない景色初めての体験のインパクトの強さがあって、あまり良くないことがあっても鈍感になっているものかもしれません。

というのは、一年目に行ったゴールデンウィークのニュウは、とても面白かったのに、3年目に行くと、まっさらな雪でないことが、しっかり分かっている状態になっていたからです。つまり登山者としての目が肥えてしまったのです。

今回、天狗岳で感じた俗化という落胆も、そういう意味で、登山者としての成長がもたらした落胆なのかもしれません。

それでも、当初の目的が、”団体でおばちゃんが登ってこない山に登れる自分になる”でしたから、そのランクがレベルアップしたのかも・・・

■ Telling the future 

最近は、すでに得た情報に自分なりの対策を与えるのが必要なことだ、という気がしています。

次はどういう方角に進んでいくのかを、ヒントから見つけ出さなくてはいけなくなります。

私の周りのテントを見渡すと、目立ったのは、大きくにぎやかなテントと、無音のソロテントに二極化されていました。

2~4人で歩いている人たちは見ませんでしたが、おそらく行く山が違うのでしょう。若者や大学生のような、大勢の大きいテント以外は、自分を含め、ソロのテントばかりでした。

つまり、初心者グループとベテラン単独行者に二極化されている、ということですね、社会学的にみると。

もちろん、グループだからと言って初心者とも限らず、単独だからと言ってベテランとも限らないわけですが、テントの種類や張り方から、伺えることがありました。

隣のツエルトが、あまりにきれいな張り具合だったのは、すでに指摘しましたが、その先にあったテントも、去り際に見ると、女性のソロでした。私以外にも女性のソロテント泊者がいたんですね~。

ソロだと、単独行のリスクから逃れるためには、山小屋の庇護が期待できる山域、ラッセルの山ではなくて、多くの人に踏みしめられた雪の道を歩く山になりますが、そうした山も、土日などの混雑の時間をずらせる、ゆとりがある人には悪い考えではないのかもしれません。平日であれば、俗化の影響も少なく、山と向き合う時間も十分持てるでしょう。

ということで、平日は山小屋がある山域で、土日は月に一回くらいは、夫とラブラブ登山で、頑張って行くのが良いかな~と思っているところです。 

≪良い山の条件≫

・展望
・ひとけのなさ
・冒険性
・発見性
・チャレンジ

ということなのかなぁ・・・

レーダーチャート作ってみた。

天狗岳はさしづめ、このレイティングで行くとこうなりましたが、

どの要素を取ってみても、

万人にとって同じ条件ということがない

のが、登山のおもしろいところかなぁと思います。




 

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