この週末は、岩の予定があったが雨で中止になった。2月の雨。雨水だ。もう春ということだ。
久しぶりの岩で張り切っていたので、ちょっと残念ではあった。
とはいえ、今回は、熟練クライマーと過ごすというのが目的だった。クライミング力は60歳になった時に今ぐらいを維持できていればいいのだ。クライミングは老後用だ(笑)。
急な山行中止の時、夫もビレイだけでいいからできたらいいのになぁと思う。というのは、曇りの日は、ゲレンデのクライミングに最適だからだ。
甲府は雨が少ないので、乾いた岩はアチコチにあり、アイスも岩根まで行けばいいだけのことだ。トップロープのビレイなんて誰でもでき、”技術”になんてものには入らないので、急遽予定が変更してしまって、浮いた時間をつぶすにはちょうど良い。
ゲレンデのクライミングなんて、その程度のもので良いのではないだろうか?だから、誰もお金を払いたくなくて、”無料の”岩場や氷瀑に人が群がるわけだけれども…。
要するに、その日は山遊びをすることにすると決めてしまっているのである。山遊びなら、何でも良いので、晴れは尾根、曇りはゲレンデクライミング。そうしておけば大抵の天候で遊べる。
今すぐ11にならなくても、別に困りはしない。40代から登山を趣味にしても、残る登山人生は、少なくとも20年はあるのだ。その半分の10年をかけて上達しても、特に何も困らない。
その上、私の狙いは初級のルートで、その到達点はすでに山頂が見えている。後はゆっくり上がって行けばいいのだ。
急いでクライミング力だけを上げたところで、一体どこへ行こうというのだろう?
自分が到底行きたいと思えないような、ベルクラアイスをこわごわ登る羽目にならないように、登れないものは、登らないで良いと世間が分かってくれるレベルにいるのがちょうどよろしい。
そうでないと、とんでもない場所でビレイさせられる羽目になるかもしれない。大抵のクライマーが求めているのは、ビレイヤーであってクライマーではないことには用心しておくべきだ。長時間のビレイが負担なのは、もっと知られて良いことかもなのかもしれない。
■ 快適な高さ
アイスについては、今のところ、登りたいと思えるのは、10mやそこらの滝だ。30mにはビビッて登れない。10mが3回続くのは、とても楽しいだろうが、30mが一回出てきたら、もうクライミングは辞めて見るだけだ。サイズに圧倒されて、とても登れるようなものとは思えない。
そういえば、南沢大滝は40mある。あれも最初一目見たときは、ビビった。正直、あんなもの、登れるんだろうかと思った。結果は、登れたし、今では大滝を見ても圧倒まではされない。
ので、まぁそうやって、見た目の印象に引きづられて、やる前からあきらめない、喰わずキライをしない、という姿勢は重要だ。最初から無理と決めてしまうのは、自分の可能性を閉ざす態度であり、その根本のところの動機は臆病さだ。
■ 見栄で引くに引けない
ただ、男性諸君は、気を付けないと「お前、階段10段跳べる?」の罠に陥ってしまう。小さな男の子たちは、誰が10段跳べるかで競争している。もちろん、正解はだれも10段跳べない。その中で引っ込みがつかなくなった子が10段を飛んで、そして怪我をする。
社会人レベルで「お前、階段何段跳べる?」をやらないようにしないといけない。秋にエベレストに登れば、次は冬に、と社会は無責任に期待する。その期待と言うプレッシャーをはねのけることができずに、無理と本人も分かっているが出かけて行って死ぬ。そのような愚はおかさないようにしなくてはいけない。
そのこと自体が弱さを表すので幼稚だ(が憎めない)。それだけなら、人間的未熟さを露呈しているだけだが、エベレストで死ぬなら、まだ恰好がつく。
が、八ヶ岳程度の入門ルートでは…。人間のスケールの小ささを露呈してしまうのがオチだ。そうなると憎めないヤツというより、滑稽になってしまう。自分が見えていないからだ。
■ ヒヨドリ
月曜日はOFFだ。週末は、妻にとってはハイライト。週末という、当てがい扶持でない時間の使い方に生き方が出る。そうした時間をいかに楽しく過ごすか?
それで、岩がキャンセルになり、家にいることになったのだけれども、何をしていたかと言うと、いつもミカンを求めてやってくるヒヨドリを隠し撮りしようと、ミカンの脇にカメラを設定して、ずっとヒヨドリの到来を待っていたのだった…(笑)。
ヒヨドリ、夫が観察しようとすると、すぐ逃げてしまう。私がいつもの席に座ってみていても、逃げない。私と夫では、出しているオーラが違うんじゃないだろうか?というわけで、夫は私が見ている面白映像が見れていない。
後はカボチャを蒸して、ニョッキを作ったり、手の込んだ料理をして遊んでいた。主婦がいる贅沢だ。
■ オリエンテーリング&焚火
夫も私も、観察することがすごく好きなので、観察系の野外活動はいいのかもしれない。
私と夫が一番燃えるのは、宝さがしゲーム(笑)。彼はオリエンテーリングにはめっぽう強い。
なにしろ、スノーゲインと言うオリエンテーリングの大会で、初参加2位だった。それも、かなり1位と僅差の。それで、スノーゲインは我が家の定番行事にしようと思い、大会を検索するが、今年は開催されていないようで、残念だ。
夫は火を使う活動にも目の色を変えている。本人は気が付いていないが、びっくりするくらい用意周到に、かまどを組み立て、新聞紙一枚で火を熾すことを自分に課し、そして必ず火をつけてくれる。頼りになるとはこのことだ、と思う。
いつだったか、出合小屋で、だるまストーブに火を付けたかったが、火熾し名人が誰もいなくて、残念ながら、温かい火を囲むことはできなかった。クライミングできなくても別に死なないが、火が熾せるのと熾せないのでは、だいぶピンチの時に違う。
サバイバル能力、がある男性はカッコ良い。
■ 身体への関心
思うに夫は、人間の肉体に対する興味が余りないのだろう。
人間のカラダ、は、自分にとって一番身近な自然だ。どうして眠くなるのだろう?どうしてお腹がすくのだろう?から始まって、人間は体に支配されている。その体を人間の側が、意図的に支配しようとすると、どうしても、身体をコントロールするニーズが出てくる。
人の関心や興味は、半ば生まれつきだ。視覚情報で学ぶのが得意な人もいるし、言語情報で学ぶのが得意な人もいる。海外ではそれぞれの特性に合った教え方、教授法の研究も盛んだ。その点は日本では教え方は固定的で、身体的に学ぶ人には学校生活は、不利に出来ている。
最近では痩せたい、というのが、もっぱらの運動にニーズだが、運動が好きな人は、自分の体に対して、研究し、瞑想している。
かすかな重心の差をうまく読み取る。どの筋肉を使って何をしているか、言い表せる。そして、うまく動かせるという自信を持っていると思う。 長年乗ったクルマみたいに、癖を知り尽くしている、という感覚だ。
歩くことは、バランスの遊びだ。バランスが良ければ良いほど、長く歩いても疲れない。疲れないから楽しい。
矛盾するようだが、急いで歩くということを手放すと、バランスが良い歩きができ、結果疲れず、長く歩ける。
それは、生き方にも通じるような気がする。もっともっと、と際限なく求めなければ、バランスが良い生活ができ、そして、充実し、結果、満足が得られるのではないだろうか?
■ 4スタンス理論
最近、4スタンス理論と言うのを知った。 人間の重心には4つのタイプがあるという理論だ。
私は、ヨガを教えているので、人のカラダをよく見ている。それにバレエを20年やっていたせいもあって、姿勢にはウルサイ。解剖学は仕事で勉強した。
人間には、前バランスの人と後ろバランスの人がいるのは、バレエをする人には当然の知識だ。 そして、重心が内側(解剖学の専門用語で、人間の中心側)寄りの人と、そうでない人がいる。片足立ちさせるとすぐわかる。
それは実際に生徒さんを見ていて、実感することだ。ただ立つだけでバランスが全然違う。これは矢状面(横)から見る。耳と肩峰が揃っているのが普通だが、かかとバランスの人はかかとに重心が逃げているため、バランスして首が大抵前に出ている。ただこれは不良姿勢と考えられている。
普通の人もオフィスワークが長いとそうなってしまう。
4スタンス理論では、一つのバランスを正解とするのではなく、それぞれのバランスに合った動作のコツがあるとする。
歩くということは、それだけ多彩なバランスで、できることなのだ。厳密でなくても歩ける。どんなバランスでも出来ることなのであれば、楽をするのに、これは役立つかもしれない。
正しい一つの歩き方があるわけでなく、自分に合った歩き方がある、というわけだ。
余談だが、外国人の歩き方は颯爽としているが、日本人はすり足気味で歩き方がかっこ悪い。友達でドイツに留学していた人はドイツ人から歩き方を直されたくらいだ。歩き方はお国柄が出る。ので、生まれつき、としてしまうのは、尚早な結論かもしれない。
歩いている間は、退屈したら、私は常にそういうことを考えている。今はバランスがこっちだな、とか試しにバランスを変えてみようとかだ。
たぶん、それが私がヨガの先生になった理由で、夫がソフトウェアのエンジニアである理由なんだろう。
歩く時も、岩の上だけを歩くことにしようとか、葉っぱの上を歩くことにしてみようとか、勝手にマイルールを作って歩いている。
山好きな人はみなそうなのではないかと思っていたら、そうでもないようだ。
ただ、内的にどういうことをしながら歩いているかを聞くのは、とても楽しい。
今週はずっと天気が悪い。山はあまり充実できないだろう。
いつも参考になるブログありがとうございます。
ReplyDelete八ヶ岳程度で死ぬのは滑稽、というのはさすがに如何でしょうか?
人間のスケールとは関係ないように思いますが…
事情を知らない人にしてみたらそうかもしれませんね。 失礼しました。ただ八ヶ岳程度、というのは、本当にそうなのです。八ヶ岳は冬山”入門”の場所なのです。なぜそれが入門とされるのか?をきちんと理解していれば、八ヶ岳程度・・・という言葉の意味が分かると思います。 もちろん、亡くなった方の尊厳を損なう意味で行っているのではありません。
Deleteただ、昨今は登山者のレベルが下がりすぎています。きちんと山と向き合って山のリスクを理解して入山すれば起きない遭難が多発しています。それはわたくし程度の山をかじった程度の人にも理解できるほどなのです。
皆で山への理解度を上げて行かなくては、山での死は減らないでしょう。
おっしゃる意味はよく判ります。
Deleteただ、若くして死ぬクライマーは見栄で引けずに死んだ、というのは随分寂しい受け止め方のようにも思います。
故.加藤保男さんも、見栄で亡くなった訳ではないと思うのですが。
見栄で引けずに死んだ人もいれば、そうでない人もいますね。それは山行に至るまでの文脈を見ないと分からないことなのですね。山行の内容だけでなく、どういう経緯で登ることになったのか?ですね。若くして死んだクライマーが皆、見栄で引けずに死んだ、ように聞こえますか?訂正しますね。
Deleteしかし、男性は気を付けるに越したことはありません。
たとえばこういう山行があったとしましょう。当日、気温マイナス17度、風速23m、強い冬型で、日中の気温は低下傾向。日ごろトレーニングはしていない。このルートは昔取った杵柄で体重は当時から+15kg。前日は飲み会で二日酔いを押しての入山。ルートについてみたら、既に12時を回っていた。先客5名で渋滞中。冬期登攀では時間がシビアなのは知ってはいるが、何年ぶりの再来に、撤退はせずに、稜線に出る。案の定、ビレイが長い。下山時に座り込む。1年前の一般ルートでもこの山ではみなに分かれて座り込んだ。下山がギリギリだと自分でも分かっていたのに、酒や食料は削れないと、ギアを軽量化してこなかった。
対して、トレーニングは毎週通っている近所の運動公園。クライミングは週2回を続けている。この日のためにグローブはハンガロンとミトンを新調した。替えは4、5枚持っている。軽量化を研究し、寒さに備えて、腹巻を巻いた。 しかし、着いてみると、渋滞中。日中の体感温度はー40℃。これで待つのは充実した登攀にならないと、撤退の判断をし、帰りに小滝でアイスクライミングして遊んで帰った。
結果だけを見ると登れてしまった人が凄くなります。
人の心は難しいものです。自ら制御できる人が山を制する人でしょう。そうでない人は、からならず山から警告を受け、追い返されているように思います。山野井さんの著作には、追い返されている時は、どこか山に純粋でない部分があったとあります。
なるほど
Deleteまた具体的な悪い事例をご存知でしたら教えてください。ありがとうございました。
これは架空の悪い例です(笑) 見栄で山登りしないようにしないといけませんね、ホント。
Deleteお世話になります!
ReplyDelete>体重は当時から+15kg。
それ、私のことですね! ヾ(≧▽≦)ノギャハハ☆
フォースタンス理論は、私も初心者・少年指導で参考にしております。
最近は体幹筋トレーニングやバランス感覚、柔軟性向上、リズムに注目しております。
重心のコントロール・安定は、重要です。
普段の姿勢、歩き方をいろいろ試して分析して更にいろいろ試すだけでもトレーニングになります。
(楽に出来る自然な動きが当人の骨格・体に合っているケースが多いんですが、矯正したほうがより良いケースも)
筋肉2010さんのヨガ経験を、クライミングムーヴやアイゼンワークに応用されますとますます登山がおもしろくなると思います!
応用すること活用することはおもしろいんです!
その結果がオリジナルだったり、オンリーワンなのよね☆
ハゲオヤジさん、こんにちは☆ +15kg?! ぜひスタジオにいらしてください(^^) ヨガで痩せましょう!
Delete4スタンス理論って、軸がXの人と、II(パラレル)の人がいるんですが、
X=フリ
パラレル=正対
って感じかもしれないな~と想像したりしています。 ナンバ歩きはパラレルですよね。河原歩きもパラレルのような?
下山で身体を横にして傾斜を殺すのはXで、雪上で直上ハノ字ではなく、ダイアゴナルで足をクロスレッグにして上がるのもXのような?
とご意見聞きたいです・・・ そんな話をしながら山に登れる人と一緒に登りたいな~