Saturday, February 14, 2015

阿弥陀岳 遭難事故から学ぶ ベテランとの対話

■ ベテランとの対話

今日も、山をめぐる愛の対話。 山の危険について語る時、人は人類愛に目覚めています。

ハゲオヤジさん、ありがとう!!


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  ハゲオヤジ さんが投稿「遭難しない方法について考える」にコメントを書き込みました。

連盟でパシリとかペーペーなどとは呼ばれず、「ポイズン」と呼ばれる私がズバリお答えします。(ハロー効果)

体力がない=自分で思っているほど登れずに予想外に時間がかかり、行程がずれたり幕営地変更やビバーク、撤退を余儀なくされる ということと思ってください。

そんなにはやいぺーすでのぼれない、荷物背負ったら登れない、その場合、コースタイムに縛られずゆとりのある行程、ルート、ハイキング山域で計画をたてれば楽しめると思います。楽しんでください。自然との融和を感じてください。山はあなたをまもってくれるでしょう。
山に挑めば死ぬでしょう。山で自分自身に挑めば痛い目に遭うでしょう。

リ スク=体力がない と厳しい書き方をしましたが、平地でロングウォークをしたり室内でスクワットをしたり、山に行くなら鍛えてください、平地のトレーニン グでしっかり準備しましょう、どこらへんで諦めモードになってしまうのか自分の体力・メンタルウィークポイントを知りましょう、寝不足でも歩けるのか、心 拍数はどうなのか、とか、登山で体力が重要な要素だということはもちろんなのですが、つまり、体力を備えることが自分自身を知ることにつながりますので。 己を知らないことが、無理な計画になり得るリスクを抱えています。

力量=人間力 です。ちょうど、あなたがこちらのブログでハゲオヤジの意見をうまく引きだしておられることも力量のうちです。

引き返せない状況=ドカ雪・雪崩のことで、結局は天候判断ミスで行ってしまうことです。豪雨増水で中州に取り残されるのもそうです。
暴風雪の中、1ピッチ登って予定変更で下降してベースに引き返さず頂上に出てしまう・ホワイトアウトでルートミスというケース(推測)も心理的にそうでしょう。

経験談になります。
積 雪期の低山単独(丹沢ハイキング級)山行で数日テント・コンロ・食糧・寝袋一式背負って彷徨い自問自答を繰り返したのが私にとって良い経験になってます。 そんなにいい景色の写真が撮れたわけでもなく、寂しくて痛くて辛かったかも。靴ずれでアキレスの下が血だらけになりました。地図見ても自分の現在地がわか らず、途方にくれて野うさぎの足跡についていったり。寒くてテントから出るのが億劫で、テントの中でビニール袋に放尿して朝捨てればいいやと思って置こう としたけど、ほんのりあったかくて。「あ~カイロだー^^」と両手で大事に包んでいたあの頃が懐かしいです。

女性、中高年のかたには少し無理がかかると思うので、好きな季節でハイキング級を別々の登山口から入って幕場合流とか、頂上ランデブーとか、途中を部分的に単独で登るというのを、力量アップにおすすめしたいです。
携帯の電波が入るところがいいですね。


学習院大の遭難から
4 年1人に、1~2年4人なんですよね。コーチ、OBを付けないと大変だろうということを監督・大学当局の部長も認識してたのではないのかな。いろんな意味 で。4年が動けなくなったらどうするんだよ?って思います。晴れても気温が低い八ヶ岳では特に、ビレー中に凍傷はよくありますから。

こちらのブログをご覧になるとおわかりでしょうけど、冬の八ヶ岳は寒いです。
凍傷・低体温症になりやすいのです。ビバークするなら短時間。一晩は危機的だということを理解しておくべきです。

推測ですが、明るいうちに北稜を回れると慢心して、ヘッドランプをベースに置いてきたと思われますが。変に余裕がありすぎるんです。
南稜に出てからの様子も不可解でして。遅れる1年をロープで引っ張る、、ホールドの位置、足を置く場所が1年には出来なかった?だから4年が前だったのか?

そ して1~2年の3人を先に行者小屋に向かわせているんですが、パーティーを分けるなら3人のうちの動けるほうの2人を救助要請に出すべき。3人のうちのナ ンバー3の部員は残して。コルの風が弱いポイントでツエルトにくるまって待つ選択肢はなかったのか。交代でおんぶして5メートル刻みでも南稜を下って立場 山まで逃げる選択肢はなかったのか。


3人行かせたということは、その3人が本隊ということ?そりゃ違うでしょ。遅れてる部員がいるほうの組を本隊としなければサポートしきれないです。これは私のセオリーです。

3人は小屋に午後到着して21時に監督に連絡したそうです。ということは、真っ先に救助要請してなかったんですね。長野県警への要請が23時。

遅れている1年は自分が低体温症になってることに気づいていなかった、4年もチェックしてなかった、と思われます。

4年はあくまでも、行者小屋に連れて行くことしか助ける道はないと思ったのでしょうか。

記事では、署は、滑落した後雪崩に遭った可能性もあるとみている。 とあります。



私の推測はそうじゃない。

意識がなくなった1年、まだ絶命していない。しかし危険な状態で、痙攣、硬直して断末魔のような顔。
4年リーダーとしての判断が裏目裏目に出てしまって。もう背負って動く体力は無く。
叫んでいないと、何かして動いていないと、錯乱したかもしれません。

最後、4年は1年を助けようと一か八か、ルンゼ下降したのではないでしょうか。
ザイルを1年の両脇にくくるようにして。頭が下にならないように。
荷物をロープで降ろすように。
雪が谷を伝うように、最短距離で麓に連れて行こうとしたのではないでしょうか。

最後は必死だったと思ってます。

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■ 得られる学び

1)体力がないとは?   ⇒ 通常のスケジュールをこなせないこと

2)トレーニングをすること 

3)力量 ⇒ 自分を見つめ、人の話を聞こう!危ない人は上の指摘も下の指摘も横の指摘も聞かない

4)引き返せない状況 ⇒ 天候の判断ミスのよる進退窮まる状況 
                 ドカ雪、 雪崩、ホワイトアウト、中州に取り残される

                 状況をよく予測しよう

5)中高年者は、部分的に単独で登る
 
               ⇒ 会の中高年に薦めたいですね。脱・金魚の糞登山。

■ 八ヶ岳のリスク行動

・リーダー1人に、メンバー4人は無理がある
・一晩のビバークは危機的
・慢心のある計画を立てない
・パーティーを分けるなら、3人のうちの動けるほうの2人を救助要請に出すべき。
・遅れてる部員がいるほうの組を本隊(3名)
・真っ先に救助要請する


阿弥陀北陵ですが、入門バリエーションと言うことで、舐めた計画を立てる人が多いのです・・・

自分のところの悪口を書きたくはありませんが、私の会でも、体感温度が日中12時で、-40℃と分かっている激寒の日に、7人パーティで、阿弥陀北陵をたったの2時間の行程で計画を立てていました。

『チャレンジアルパイン』には2時間30分~4時間であるルートです。 これはベテランがこれだけで行ける、という話で合って、今年マルチピッチでやっとこさデビューしたような新人の話ではありません。しかも、7人では、到底2時間で北陵を回って降りてくるのは不可能とベテランじゃなくても分かります。

計画を立てた人はベテランです。 しかも翌日も日中で体感温度ー34℃の激寒予報なのに、宴会山行の予定だったのです・・・。ワイン一升瓶の予定でした・・・山でそんなことしたら死んじゃいます。

結果は5人パーティ中3名の凍傷者を出しています。しかも、計画をした本人が、途中で座り込んでしまうという体力不足を露呈。遭難間際です。決して成功した山行とは言えません。計画再考を言い出したのが誰なのか?ちゃんと考えて欲しいと思います。


■ 昔の山岳会

昔の山岳会は、カモシカ山行や、歩荷訓練があり、安全な状況で、自分の限界を試すことができました。

そういう中で、ツラい状況に置かれたとき、仲間がどういう風に反応するのかを見ることができたし、自分自身も理解してもらうことができた、と思うのです。

ところが、今の時代はそういうプロセスを踏んで、山に行く(特にロープが出るような山)会は、ほとんどなくなってしまいました。

珍しくその必要性を認めて入会した人も、山岳会では縦のギブ&テイクが歴史的流れですが、その流れを受け取っていないのに、返礼させられる、という事態になっています。

その上行きたいところには連れて行ってもらえない上、行く相手を見つけると行ってはいけないと会に否定されるという、拘束があり、それが理不尽に感じて辞めてしまう人も多いです。先輩の側からすると、後輩が期待するほど頻繁に山に行くのはベテランと言えども難しいのです。

60代はタダ乗り世代。50代は最後の山ヤ世代。この世代の人は、教える下の世代もいないし、無料で教わったことを有料で教えることにして、ガイドになっている人が多いです。

40代は空白世代です。30代以降は、人工壁のスポーツクライミングから入る、昔とは違う流れで育っており、まずクライミングありき、その後、山を・・・という流れで育っています。ですから、5.12登れたら、〇〇というルートに行って良い、という内容の話をします。しかし、ルートは一番難しいピッチグレードのグレードが登れたから、登れるものではないので、そこで事故を起こすことが非常に多いです。グレード思考の弊害です。

また知らない人と組むのに抵抗がないのは、グレード依存の体質だからです。たしかにゲレンデのフリークライミングではだれにビレイしてもらっても一緒ですが、本番の山は違います。

しかし、リーダーのニーズ自体を認めていないのです。グレードが大丈夫だったら、登れると思っているからです。ですので、パートナーがいなければ、フリーソロできるから、ソロで登ってしまう人が多いです。

翻って山岳会に戻ると、まともな山ヤさんは、数えるほどしかいません。なので、山行自体が成立できず、山岳会自体に入る意義自体が非常に疑問となる事態に陥っています。

■ ヒーマニティ

今日は、ハゲオヤジさんから、温かい助言をいただきました。

今、山で失われているのはこのような関係です。

幸いにも私は、アドバイスをもらう先をいくつか持っています。 しかし、それは個人的なつながりです。

山は、ちょっとしたことでピンチになります。そして、ピンチになったら、自分のことだけ考えて、他のメンバーを置き去りにしそうな人とは一緒に山にはいけません。

≪参考≫
山岳会を考える


3 comments:

  1. kinny2010さん、はじめまして。 yosemiteと申します。
    とっくにクライミングから足を洗った昔アルピニストです。

    学習院大学山岳部の遭難についてネット記事を見ているうちに、貴殿のブログに行きあたりました。
    これまでに投稿された方を交えた「遭難の考察」は、ドキッとさせられる正論も多く、感心致しました。
    しかしながら、ハゲオヤジさんの「推測」にはちょっと異論があります。

    私は冬の3ルンゼを登ってますので、隣の2ルンゼは登ってなくとも、広河原沢の状況は把握してます。
    いつ雪崩れるかわからない雪が詰まった急峻な氷瀑を持つルンゼで、1人の人間が1人の人間を降ろすのはどう見ても無理ですし、危険すぎます。
    昔70年代、一ノ倉や滝谷などで「ロクおろし」の経験がありますが、意識が切れかかった「物体」は、1人ではとうてい運べません。

    なお、2ルンゼで発見されたということは、南稜を登りきって、頂上と摩利支天の間から落ちたことになります。3ルンゼで見つかれば、南稜からの滑落です。

    いずれにしても、生還した3名の正確な「証言」が事故の真相を明らかにすると思います。

    そもそも、山遭難の新聞報道はうそだろ!と思うくらい 時系列・場所・要因説明のまちがい・いいかげん・てきとーが多いです。
    なので、今回の報道も、30%くらいは信じてません。

    昔、自分の会や別の会の友人たちの遭難報道で、何度もそういうことに出くわしましたので、文屋の記事はそういうものと思ってます。

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    1. Yosemiteさん、コメントありがとうございます。

      そうですね。私も阿弥陀中央稜(広河原沢中尾根)に行ったことがありますが、2ルンゼだと位置関係から、中央稜(御小屋尾根に分岐前)から広河原沢側に落ちた、ということになるかと思います。降ろすというのは経験がなく分かりませんが、一応山ヤたったら、ルンゼ=雪崩と思っているはずで、ルンゼを降ろすというのは考えにくいので、落ちたんだろうなと推測します。それにしても、山頂までせっかく登り返しておいて、またなんで正反対に行ってしまうのでしょう・・・まったくコンパスもルーファイもないな・・・と思いました。
      ホワイトアウトナビゲーション、基本は動かないだと思いますが、コンパスで方角だけでも分かれば、とんでもない方向(真反対など)には行かないと思いました。
      また残った3人ですが、同行していないので、別れた後の行動は推測しかなく、ホントに気の毒だなぁと…。3人がもう少し早く救助要請していれば、と思います。私だったらすぐ救助要請です。
      私は最初に山を教わった人がベテランガイドです。その人にときどき、「今ここで落ちたらどうしますか」と聞くと、「迷わず救助要請します」という答えが多く帰ってきました。セルフレスキューも大事ですが、一晩ビバークの時点で、4年程度の経験の22歳の若きリーダーの判断できる範疇を越えた事態に陥っているので、その時点でどうするべきかベテランや救助隊の意見を聞けたら、違う行動をとれたのではないか?凍傷にはなっても、命までは取られることはなかったのではないか?と無念な気がします。

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    2. 返信ありがとうございます。

      「2ルンゼだと、中央稜から広河原沢側に落ちた、・・・と思います」
      そうですね。 ただし、中央稜の場合は摩利支天に近い最上部付近からでしょう。
      中央稜を下降したことがないので詳しくは分かりませんが、地形図で見ると、御小屋尾根分岐から100mくらい降りると、左側は奥壁と1ルンゼの領域になりますので、2ルンゼには落ちないと思います。

      「降ろすというのは経験がなく分かりませんが」
      Kinny2010さんのVariation Route記録を読むと、一昨年の1月に広河原沢左股でアイスクライミングしてますね。 谷のスケールと急峻さは2ルンゼに劣りますが、そこを上から降りて行くことを想像して下さい。 氷瀑を登って、谷の形状や状態を見てから折り返して降りるのではなく、上から未知の左股を降りて行く、 しかも体の不自由なひとを連れてです。 

      「ルンゼ=雪崩と思っているはずで、ルンゼを降ろすというのは考えにくい」
      その通りです。 雪崩のみならず、懸垂下降を必要とする氷瀑・氷崖があり、雪の吹きだまりもあります。 障害が沢山ある冬のルンゼを、弱った人間を連れて2人だけで降りるなどという愚行は絶対考えられません。

      「山頂までせっかく登り返しておいて、またなんで正反対に行ってしまうのでしょう」
      これが謎ですね。 そのとき一体どういう状況だったのかな?

      「3人がもう少し早く救助要請していれば、と思います」
      その通りです。 しかし、ここも謎です。
      私は報道文を疑ってます。 記者がしかるべき事実を省略して書いているのじゃないかと。

      「一晩ビバークの時点で、4年程度の経験の22歳の若きリーダーの判断できる範疇を越えた事態に陥っている」
      彼は2014年(3年生)に、日本山岳会学生部のリーダーとしてマッターホルン(4487m)やモンブラン(4810m)にガイドレスで登頂し、さらに学習院大学のインド・ヒマラヤ登山隊では隊長として6070m峰(高難度の山ではないけれど)に初登頂したアルピニストです。 また、2012年(1年生)の日本山岳会学生部のクライミング大会では、トップロープの部ではありますが21人中2位になり、フリークライミングの能力も人並み以上だった様子が見えます。 
      冬山の山歴が分かりませんが、上記のことから現役の学生山屋としてはトップクラスであり、力量はあったと信じてます。
       
      残念な結果との乖離が謎ですね。

      事実と経過をまとめた山岳部としての事故報告が待たれます。


      ところで、Kinny2010さんの山岳会の「師匠」さんやベテランガイドさんは、現時点ではこの遭難をどう見てるのでしょうか?

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