以前、夫と出かけた山行後、一週間ほど鬱になったことがありました。
GWの仙丈ヶ岳。 山は晴れ&一時ホワイトアウトでした
仙丈ヶ岳の尾根はのっぺりしていて、ホワイトアウトがリスクだということは誰でも知っています。ルート旗をもって登っている人もいるくらいです。
下山中、一時ガスが広がり、ちょうど小仙丈尾根の当たりで下山路を見失うリスクを感じました。
こういうとき、私は、「〇×になったら、進退窮まる」という思考回路が、夫より早く働きます。
性差は関係ないかもしれませんが、こと、私と夫に関する限り、私の方がリスクの認知が早いです。このまま行くと、どうなるか?そういうことを登りながら考えています。
米粒のような夫 |
それは一般の生活でも同じで、先取り思考なのです。
これは生い立ちも関係するかもしれませんね。
私は、いわゆる心配性ではありませんが、リスクを想像する力には長けているようです。
心配性でないというのは、合理性がない心配に出会うと、イライラさせられます。
たとえば、「山は危ないから行ってはいけない」などですね。
漠然としているのは、ただの脅しです。根拠のない心配は、無知に基づきます。また不安は大抵良く考えれば根拠があります。
不安と後悔は時間の無駄、と以前外国人の上司に言われて以来、もっともだなぁと思っています。
時間の無駄をしないよう気を付けましょう。人生は短い。時間は貴重です。
その、夫と出かけた、仙丈ヶ岳では、ガスに巻かれそうになったので、後続の夫に走るよう(急ぐよう)指示しました。
春の小仙丈ヶ岳の尾根は、傾斜が緩やかで転落しても雪が腐っていて滑らず、走れます。しかし、夫は走れない。走れないのではなく、”走らない”のです。その意思がない。
それは訓練されていないから、走れなかったのもあるし、ガスに巻かれると困ったことになる!とは思っていないこともあります。(実際、夫は瑞牆の急な斜面を走って降りれるくらいの脚力なので、走れますが、雪山では不必要な心理的ビビりに入る)
しかし、ホワイトアウトのリスクからは、逃げなくてはならない。仙丈だからと馬鹿にしていると、亡くなった人は一杯います。厳冬期でなくても、天候の荒れは命取り。
この時は、運よくホワイトアウトは一時的なもので、下山したら晴れていました。一瞬見えなくなったもののルートを見失わず、樹林帯へ入れました。
しかし、この時、私は、夫とはGWの仙丈ヶ岳へ行ってはいけないのだ、と悟ったのです。
夫はリスクを乗り越える努力を払ってまで、山に登りたいとは思っていないからです。
彼は雪上訓練も、レスキューもまだ受けたことがありません。私たち夫婦は、わたしが山に行きたいから、彼がついてきている、というだけなのです。
したがって、私は夫の生命には責任を持つつもりで、力量を考えて、行き先を選んでいますし、夫を確保して登るにはどうしたらいいか?という発想で技術を身に着けています(実際、出来るかどうかはともかく)。
この時点で私は滑落停止も訓練済み、扇沢の雪渓を走って降りたこともあり、自分が何が出来て何ができないのか、分かっていました。
一方、夫は、テント泊の11kgの荷物をたった1時間背負って歩くだけでも、文句たらたらの状態だったのです…(^^;)。 もちろん、無雪期の2泊3日程度のテント泊縦走を行うくらいは、経験済みですが、それでも10kgは重いという先入観が抜けきれず、大変だと思い込んでいる、初心者の心理状態のままです。
その証拠に夫はまだ40代ですので、10kgのザックを背負って1時間歩いても、全然コースタイムを下回ります。 なので、別に余裕のはずですが、重さに対する感性は、初心者のままです。周りの同じくらいの男性が20kg担いでいるのと同じくらい、ひーひー言っています(笑)。
まぁそれだけソフトウェアエンジニアは、運動不足と言えるのかもしれませんが・・・。
というわけで、ヨガを教えることを職業にしている私とは、運動に対する感性がだいぶ違うのですが、私は夫をリスクに晒したことを自覚し、一週間ほど鬱でした…。
それは、私が、夫はここまで出来る、と考えていたラインから、著しく下のラインに、夫の危機管理能力が位置することを理解したからです。
困難に直面した時、人はそれを乗り越える人と、甘受してあきらめる人、に二分されます。夫は後者だと分かったのです。状況の把握力が欠けていましたし、その後の反応も、拗ねる、というはなはだ大人げないものだったので、山行は中止にして帰ってくる判断をしました。
その後、夫と山に行く場合は、ハイキング以上の山に行くことは、きっぱりあきらめました。
ですから天狗岳に行ったのです。天狗岳や硫黄岳が夫と一緒に行ける、一番大きな山です。
それは滑落停止の訓練や、救急搬送、気象など勉強したいと思っていない限り、行ける限界なのです。
GWの仙丈ヶ岳に行った日、翌日甲斐駒を予定していましたが、、夫のアイゼンワークに不安を感じて登頂を辞め、そのまま登らないで帰宅してきました。
しかし、そもそも、夫と一緒に山に行くのは、夫婦のきずなを深める為、なので、それでよいと思っています。
なので、もっぱらの課題は、人があまりいない山に二人で通えるようになること、です。今回天狗岳は俗化されていてゲンナリしました。 黒百合ヒュッテは将来、燕山荘みたいになりそうです。
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当時のリーダーシップの考察
■ ガンフォーラム
今日は図書館でがんフォーラムがあったので、返却する本もあるついでで、出かけてきたのですが、ヨガを教えていても、いつも思うことですが、車社会の山梨では、大阪東京に住んでいる都会人と比べ、極端に歩く機会が基本的に不足していませんか・・・?
全部、車で移動なので、ほとんど歩かない!運動のうち、歩くという基本行動が欠けているので、腹筋や脊柱起立筋などという基本的な姿勢を維持する筋力が弱っています。
しかも、車がないと、買い物さえ不便な土地柄ですので、車によって運動不足から歩けなくなり、次に歩けなくなって、自宅にこもりきりになると、即誰かに何もかもを面倒見てもらわなくてはならなくなります。
今日も、お隣のご婦人が、腰が痛いと言っていましたが・・・基本的に歩けば治ることです。でも、痛いから、歩からないと治らない。
ということで、こうした地方都市ほど、普通に野山を散策するような、ハイキング、強度の低い運動としてのハイキング、が求められているのではないか?と思いました。
ただそのつもりで、くれぐれも、冬の八ヶ岳に行ったりしないよう・・・、お願いします。
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