今年の冬もずいぶん春めいてきました。植物は、季節の変化を人間より早く知るようです
我が家では、もう春の新じゃがの煮物が食卓に上りましたし、野菜入れのニンジンの根っこからは、ぴよよ~んと新しい芽吹きが。葉っぱがかわいくて、キレイなので取ってあります♪
豆を煮るのに、浸水するとき、うっかりすると、もやしになりそうになります(笑)。季節によっては、同じ浸水でも、腐敗が早く来てしまうこともあるのですから、季節と言うのは不思議ですね。
植物が季節を知るメカニズムには、とても興味を引かれます。
2月は恒例の味噌作りの月です。そろそろ味噌を仕込まねば!ですね。
■1月を振り返る
例年、1月には素晴らしい山日和が来ます。去年はその日、甲斐駒にいましたが、今年はその山日和を生かし切ったとはいえない1月でしたが、愛情に恵まれた月になりました。
私は、雪稜が好きで山をやっているからです。
厳冬期の山は、安全対策が厳しいので、私の今のスキルでは、万が一のために小屋がある山が良いと思っています。(とはいえ八ヶ岳までレベルを下げてしまう気にはなりませんが・・・。)
代わりに、師匠が金石沢と湯川アイスに連れ出してくれました。ありがたいことでした。
■ 守ってもらう
何しろ、私は守ってもらった側なのです…。そうでなければ、私は自分の身の丈以上の山に行ってしまったかもしれません。
山の危険は、天候だけでなく、どんな人とどう行くか?にも寄ります。しかし、それにしても
金石沢と湯川のアイスに連れて行ってくれたこと、
先輩が月例山行で助け船を出してくれたこと、
阿弥陀北陵の日に山に連れて行ってくれたこと
には、とても慰められました。思いやりとは、行動で示すもの。
■ 時機が満ちるのを待つ
阿弥陀北陵はテーブルに上がってから1年たつ山でした。なので、惜しいという感情が湧きます。
しかし、甲斐駒もテーブルに上がってから、2年待ちました。
”行ける”というのと、”時機が満ちる”のは違うことなのです。
阿弥陀北陵は、八ヶ岳の入門バリエーションルートです。易しいので、ロープを出さずとも、登ってしまえるようなルートです。つまり、リスクはロープを出さないで行ってしまうという安易さに流されやすいことです。
なので、クライミング力を誇示するようなところではありません。 しかし、ロープを出さないで登ってしまえば、入門ルートの意味がありません。
易しい場所で出せないロープが、難しいところでだせるはずがない。これから先、技術度が上がるわけだからです。
したがって、ロープワークが、”あうん”の呼吸になった相手と、ともに歩む最初の一歩として、ふさわしいルート、ということが言えます。
そういう意味で、待つことは、実力未満を示すのではありません。むしろ、賢明さを示すのかもしれません。
■ 顕在的な意識と潜在的な意識
私は厳冬期の甲斐駒山行を2年目で見送りました。そのときは、自分でリスクを避けた、という認識が、はっきりと顕在的にありました。今でも冷静な判断で間違っていたとは思いません。
しかし、山行の誘いは、悪魔の声だと思いました(笑)。 実際それを裏付ける出来事もありました。甲斐駒を断った時、残念そうに「最適なメンバーが揃う事なんて待っていたら山には行けないよ」と負け惜しみ?を言われたのです。
山をやっていて、厳冬期甲斐駒黒戸尾根という誘いに魅力を感じない登山者がいるでしょうか?しかし、死の危険を取るくらいなら、そもそも山に行かないでも良いのは自明のことです。ので、この人はダメだなと思いました。(すいませんね~)
今回は、私は残念ながら、心待ちにしていた山行には参加できませんでしたが、一方で、(計画の甘さ)と(天候のリスク)を感じたので、先手先手で色々と対策を考えました。ので、参加できなくなったときに、一抹の安堵を感じた、ということは否定できません。
それだけ、機会が限られた山については機会を取りたい、という欲、つまるところ、煩悩のほうが勝っているということですね。くわばら、くわばら。
■ 山煩悩
危険認知力を危うくさせるのは、言うなれば、(多少のリスクを引き受けてでも山に行きたい)と思う”山煩悩”です。
それは、悪天候でも頑張って歩いたり、単独の心細さを乗り越えて山に行く”覚悟”という意味のリスクテイキングとは違います。
覚悟は恐怖という感情に振り回されないという、主体性を持った行為ですが、山煩悩は、逆で、欲という感情の方に人間が振り回されています。
You should control your emotion not the emotion should control you! です。
どうしてそうなってしまうのか?
行きたいのに行けない、というストレスが、山煩悩を生みます。
人の山に付き合っているだけでも同じように山煩悩が増えます。人のために時間を使うケースでは、相手がそのことを分かっていて、感謝してくれないとストレスが増えます。
人間が持てる時間は限られている。だから、時間を分け与えてくれるということは、愛情の印です。
しかし、きちんと受け止めらえていない愛情は、ストレスを生みます。簡単に言うと、自分のために時間を使えばよかったな~、損しちゃったな~、という気分になる、ということです。
それを回避するには、
1)自分で自分の幸福のバケツを満たしておく
2)分かっていない人とは行かない
です。
2)は避けたくても避けられない場合もあるので、1)を充実させておくに限ります。
■ 行く山が伝えるメッセージ
山ヤのメッセージは、どんな山に連れて行ってくれるか?が伝えるもの、です。
私も同じことをしています。連れて行く山をするときは、(自分の山)を知ってもらう内容の山にしています。燕岩岩脈しかり、御神楽尾根しかり。
金峰山は、赤岳だけが凄い山じゃないということを知ってもらいたいがために選んだ山でした。自己顕示欲を満たすための山は、好きではありません。そういう中で、私が今のスキルで連れて行ける山で一番大きな山が金峰山でした。
おそらく、私が連れて行ってもらった甲斐駒や広河原沢、あるいは前穂北尾根は、私が連れて行った金峰山と同じような性格だったでしょう。
そういう意味で、山行そのものの成功とは別に、山行で伝えようとしたメッセージが届くかどうか?という成功の尺度があります。
願わくば、打てば響く相手でありたいものです。
■ アルパインファースト
師匠が同行してくれた金石沢と湯川渓谷は、どちらも今の私のスキルとニーズにマッチした山でした。
ミニアイスボルダーのリードとクライミング力だけをピックアップするためのゲレンデのセットです。
去年は同じゲレンデでも、金ヶ窪沢と広河原沢に行っています。これは、”アルパインファースト”という原則です(勝手に命名)。
最初にゲレンデでクライミングを紹介してしまうと、ゲレンデクライマー、ローワーダウンしか知らないスポーツクライマーを作ってしまいます。
岩も私はゲレンデではなく、アルパインの岩場、三つ峠でデビューしています。厳密には、私の岩デビューは、その前の十二ヶ岳の岩でのアイゼントレですが、リードフォローでデビューしているので、やはり、アルパインファーストです。
問題は位置づけで、ゲレンデを練習の場、と位置付けることができるかどうか?です。
■ 成長
しかし、改めて考えてみると、私は金峰山に人を連れて行けるようになっていた… あれ?ということで、自らの成長を今更ながらに感じます。
2年前は、私が人を連れて行ける雪山は、北横岳でした。
登山者の成長は、自分で顕在意識的に捉えられるものと、そうでないものがあるもののようです。
「感情に振り回されない人がリスクコントロールできる人」
ReplyDelete↓
「感情に振り回されるとリスクが高くなる」
↓
あ、これ、自分が こうなってる時あったな て思いました。
となると、どうすれば感情をコントロールできるか
「コントロール」を言い換えるなら
どうすれば感情を うまく手なづけられるか
かなと思うんですが、なかなか自分にとっては難しいです。
感情それ自体は悪いものではないと思うんですが。。。
自覚がキーと、ヨガでは言っています。ヨガの話で有名なものに、第一の矢、第二の矢、の話があります。第一の矢を受けること(感情が起ること)は、避けられないが、それを行動してしまうことがないように、といいます(第二の矢)。例えば、悪意を向けられたとき、それを受け取らなければ良い、という発想です。モノをもらうのと一緒で、受け取らなければ、相手に帰る、ということ。
Deleteしかし、感情は、別の意味では人生の羅針盤です。良い感情が湧いてくることは続けるべきことです。
やはり瞑想をして、自分の勘定を客観的に見極める努力をするのがいいのかなぁ・・・私も、煩悩の虜となることがないよう、頑張ります☆