Friday, August 8, 2014

山が違う

■ 生きていることは奇跡の連続・・・ 

今週は、月曜日の滑落でスタートとすごい一週間でした。まだ、打ったところが痛いです。

が、いつものヨガレッスンで締めくくることができ、それは平和な、日常の幸福を味わっています。

生きていることは、日々奇跡だ、ということは、分かっていても、ついそれを忘れてしまいますね。

生きているだけで、本当にありがたいことです。人は与えられた命を生かさなくてはいけません。

■ 死

私の弟は24歳で死んだのですが、突然死でした。

ただ普通に帰って寝て、朝起きたら冷たくなっていたのです。スポーツマンは、急激に運動量が減ると、そうした死を向かえることがあるそうです。すぎたるは…ですね。

彼の死は、あまりに突然でしたので、彼本人も死んだということを分かっていないのではないか?と思えるほどです。

登山をしていると、生と死は常に隣り合わせだな、と実感できます。

一方で、山の存在は悠久の時を感じさせ、人間の一生などというものは、自然という時間スケールで見ると、ほんの一瞬であるのだ…と誰しもが分かります。

つまり、自分の死などは大した問題ではないと分かるわけですね。自然の大いなるサイクルの一部であると。山はそこが良いところです。

自分の悩みなどはちっぽけでどうでもよくなりますし。なんだこんな小さなことで悩んでいたのか?と思うでしょう。

その一方で、与えられた時間を真摯に、無駄にせず生きなくてはならないと思う。

そう思えたら、果敢に人生に立ち向かうことができるのが、人間が人間であるところで、人間のすごさ、強さだと思います。

おそらく、偉大な仕事を成し得る人間と言うのは、自らの私利私欲、突き詰めると、死の恐怖が、まったく問題にならないところまで、達観した人なのでしょう。そうでないと、思いきった行動は起こせないものです。

その、”思い切った行動”、自分の限界を超える一歩、が、岩では、核心部で伸ばす一手に限りなく似ています。

岩が人生のメタファーになっているんですね。

それは、忘我というより、滅我の境地と言う気がします。

まぁ、私はそこまで行く予定はありませんが(笑)

■ 山そっちのけ宴会

ただ、そうした山の良さ、は、たとえば、飲めや歌えやの宴会を山に持ち込んでしまうと、あっけなく消え去ります。

だから、山で宴会というのは、私にはなんとなく、山の良さを打ち消すものに思えます。

もちろん、親睦山行と言うのはあってよいのですが、山の山らしさを大事にした親睦山行だって、企画可能なので、下界で外せば良い羽目を、わざわざ危険が一杯の、山で外したいという理由が分からないんですよね。

会の尊敬する先輩も、お酒は一合くらいしか飲まないと言っていました。

■ 生い立ち

私は母子家庭の育ちで三人兄弟の長女です。幼稚園、小学校、中学校といわゆる”お受験”をしましたが、塾には行ったことがありません。高校は地元のトップスクールに行き、高校では落ちこぼれ。大学は、その学校の中では落ち目でしたが、国立。夜学にしか学費が出せないから国立以外の選択肢はありません。働きながら卒業しました。今も学費を返済中です。

弟と妹がいるから、早く自立して親を楽にさせてあげたかった。英語が話せ、TOEICは925点、IELTSは8寄りの7ですが、それは、大学の頃に休学して、働きながらアメリカで、英語を習得したからです。

なんでこんな話を持ち出すのか?というと、やっぱり好きな山に色濃く影響するな~と思うからです。

私は、自己破滅的な山もキライだし、ストレス解消のための宴会山行も、ちょっとね~。

俺ってかっこいい!うひぃ!ってのは、ワカラナイでもないけど、自分がそうしようとは思わないし…

ヨガでは、「その人の背負ってきた人生は、あなたには計り知れないのだから、人を予断で判断してはいけない」とよく言います。

■ 地味

まぁ、山でも一歩一歩、地道に積み上げる、というのが好きです。

それは何に表れるか?というと、山の選択ですね。

今度行くのは、御小屋尾根と中山尾根です。

御小屋尾根は、阿弥陀のバリエーションルートの下山路なので、バリエーションの野心がある人は、確実にしておかねばなりません。

それと、中山尾根。無雪期は行かないって言う人が多い。が、登山史の基本を見ると、無雪期初登⇒積雪期初登。 つまり、無雪期をやって積雪期へというのは、オーソドックスな流れです。

岩登りの入門練習ゲレンデでしかない、三つ峠マルチの後で、いきなり13ピッチの木田岳四尾根ってないでしょう・・・。

四尾根にもつながる、長めマルチで、より自然条件に近いところ、で、どこが良いだろうか?と考える感性が必要です。

■ 山が違う

私は、地道な人です。間を端折って楽してきたことはありません。

級友が塾でプロに勉強をあの手この手で吹きこまれていたときに、4時起きでバイトして受験費用を貯めていなくてはならなかった。親の仕送りで遊んでいる学生の中で、実家や祖母の仕送りをしていた。ワンルームマンションは知らない。学生寮と長屋です。だから、大人になって、ホントに幸せ。

私にとって、結婚は自分の手で築き上げるものです。子供はできませんでしたが、それは仕方ない。ので、愛は2年で冷めるとか、言われても、まったく気持ちも分からないしねぇ…。ウチ、ラブラブなんで。結婚12年目ですが。

子供がいることに不満を言っている人は、欲しくても出来なかった人が聞いたら、何と思うか?とは、考えないのでしょう。そんなに嫌なら作らなければよかったのにって、思うんですが、思いませんか。

女性ですから、子供ができなかったことは、一つの挫折にはなりましたが、人生、子供がすべてではありませんしね、と思っています。みんな、自分の子供なのに、子供を迷惑がって、楽しくなさそうにしていますしね。なんでなのでしょう?

甲府に来るまでは、ダブルインカムでした。私は仕事を持っていましたので。それは、山に例えると、実力の拮抗したクライマーが、コンテで登るようなものでした。甲府に来てからは、働き手は彼だけなので、スタカットに切り替えって感じで、かなり登攀スピードはダウンしています。が、専業主婦だからと言って、私がビレイしていないということではありませんしね。専業主婦も大変です、時間はあっても、それを生かす、ゆとりはないので。

まぁ、そういうわけで、何が言いたいかと言うと、山が違うんですよ。登っている山が。

人にはそれぞれ登っている山があります。山で一升瓶で酔っぱらうのも、その人に必要なストレス解消なのでしょう。しかし、そのために凍傷になるリスクを冒したい人とそうでない人がいても、普通です。

私なら、ストレス解消は、凍傷リスクがない、居酒屋とかでやりたいです。女性クライマーは、飲み屋のねえちゃんじゃない。

そういうのに費やすには、人生は貴重すぎます。その時間で、ちゃんとした山に登って、ご来光だって見れるかもしれないんですよ?

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