Wednesday, August 6, 2014

自然派登山者になろう!



■ 下水道がない!


下山後、山麓の青木鉱泉について、入浴した。


誰でも少し考えれば、分かることだが、山麓の温泉宿には下水道は完備されていない。


ということは、どういうことか?


汚水は、そのまま沢に流れ込み、雨によって希釈されるのを待つ以外は、富栄養化をもたらす害しかない。


だから、私はこうした場所では備え付けの石鹸を使うだけか、もしくはまったく洗剤類は使わない。


ごしごしと垢すりしたければ、下水道完備の自宅でやればいいからだ。いくら汗をかいていても、それくらい待つ余裕は人間にはあるだろう。


化学物質の塊のような、市販のシャンプー類やボディソープ類は、下水道処理施設の無い場所では垂れ流しであり、そのまま環境汚染の原因物質となり、いつまでも分解されない。


その上、その水は取水されて水道水になる。 


天に唾するとは、まさにこのことだ。


■ 石鹸と洗剤


私は親から独立して以来、洗剤類にはとても気を付けてきた。


大学時代から、長いこと、洗濯は、石鹸洗濯派。西日本は軟水で石鹸洗濯に向いている。


顔を洗ったり、などは、自分の肌に使う石鹸は自分で作ることもできるし、石鹸は脂肪酸の組成がポイントだ、ということも知っている。


子供のころから、長年アトピーに苦しんだためだが、実は、縁あって、合成洗剤の原料を生産している世界最大企業(スイス)の日本支部に勤めた経験がある。


そこで学んだことは、合成洗剤原料の環境基準は大変厳しく、生分解性はかなり良いということだ。


だが、同時にその生分解性は、下水道処理施設を前提にしている、ということだった。また、安全性も非常に高い。皮膚に対する刺激でも、石鹸だってアルカリなのだから、刺激性という意味では実は変わらない。


環境負荷の面でみると、現在の設備状況では、都会に住んでいて、下水道処理施設に、もれなく下水が流れていくような地域に住んでいる人が、石鹸洗濯にこだわったところで、大きな環境負荷の軽減効果はない。汚れと石鹸が作る金属石鹸も分解性は悪いし、どうせ下水道処理施設に流れ着くからだ。


しかし、垂れ流しが前提の、山麓や山岳地域では事情はまったく違う。汚水はそのまま沢に流れ込み、雨によって希釈されるのを待つ以外は、富栄養化をもたらす害しかない。


山の上の沢は、つまり上流の河川という事なので、上流の汚染は、中流、下流すべての流域の河川を汚染する。そしてそれは、結局、誰かの飲み水になることで、天に唾する、とはこのことだ。


■ 化学物質キライ・・・


化学香料の匂いは、いつまでも残り、私は香りに敏感なので、その化学物質の香りで、実は頭が痛くなる。


デパートの化粧品売り場は、大急ぎで通り過ぎないと、しばらく頭が痛いくらいで、実際、目が腫れあがったことがある。通っただけで、だ・・・(汗)。


なので、自分が身に着けるものも、自然の材料を原材料にしているものを使うようにしていた。していた、というのは、最近は、お化粧しないからだ。 お勤めに出ると、お化粧は必須だが、ヨガの先生にメイクアップはイラナイので、その特権を存分に味わっている。


化粧品類は特に、海外製品の高額なものほど、化学物質の塊だったりし、人体に悪い。実は洗剤原料を扱う会社で、化粧品原料も扱っていたので知っている。私が扱っている原料にはなかったが、粗悪品もあり、化粧品会社は洗剤会社と比べて数が多く、安く販売するために粗悪品を選択する会社も多い。


■ 薄めればOK?


生分解性の話をすると、環境汚染受容派の人は、かならず塩の例を持ち出す。有害なものも、薄めれば、無害化するという反論だ。よく放射性物質でも同じ議論が起こる。


塩は言うまでもなく、もっともありふれた化学物質である。すべての化学物質は、その濃度が問題で、濃ければ、どんなに安全なものでも、死をもたらす。塩だって濃すぎれば、人間は死んでしまう。ただ、この例を持って、どんな化学物質でも同じだ、とする議論は、詭弁である。


塩は自然界にも存在するが、人間が合成して作り出したものは、自然界には、そもそも存在しないからだ。自然に自浄能力を期待するほうがおかしい。


もともと自然に存在しない物質を山に持ち込むのはやめたほうが良い。さらに言えば、海だって同じだ。


持って入るのも、持って出るのも、同じことの方向性を変えただけなので、辞めたほうがよい。里に高山植物を持ち込む(=盗掘)のは、やめた方が良い。


■ 自然にリスペクトを


私が理解できないのは、登山に来て、自然がよい、自然っていいね、と言いながら、平気で里からシャンプー類を持ち込み、平気で今好きだと言った、自然の環境を汚染していることに、全く気が付かない登山者ばかり、ということだ。


それって本当に自然が好きなんだろうか?


自然が好きでも、自然派ではない。


何時間たっても腐らない、添加物満載の食事は、全然自然じゃない。


自然が好きならば、それくらい少し考えれば分かるし、自然が好きならば、それくらいの知識は当然だ。


人間には自然が必要だが、自然には人間なんか必要ではない。


そこのところを理解しないで、ただ、山の景色が美しいと言って、化学物質だらけ、合成品だらけの身を自然の中に持ち込んで、なぜ矛盾に気が付かないでいられるのだろうか?




■ 人間は弱い


いくら自然素材にしたいと言っても、自然素材のコットンは、山ではご法度で、化学繊維に身を固めなくてはいけない。


しかし、だからこそ、選択肢がある状況下では、より自然で、より自然環境を痛めない選択肢を取るべきなのではないだろうか? 


化繊を着なくてはいけないように、選べない状況もあるのだからして…。


クライミングで、ナチュラルプロテクションの機運が高まったように、登山でもナチュラルフーズやナチュラル洗剤の流れが強まることを期待したい。

 

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