Friday, August 15, 2014

山はコンパニオンシップ

■ 不協和音

今日は本当は相方と3回目の三つ峠ロープワーク練習の予定だったのだが、体調が悪くてキャンセルし、相方を怒らせてしまった(^^;)

相方も家族との調整がある。

でも、山って体に鞭打って出かけてもいいことがない。三つ峠屏風岩は、山より危険が大きい岩だし・・・。

昨日は一日家で原稿を書いていた以外は、果てていたのだが、今日起きたら、右手がびっくりするほどむくんでいて、キーボードを打つ感触が普段と違う。全体に右がむくんでいる。これは右の側頭部を強打したことと関係があるのだろうか?

■ 夏バテ?

一体どうしたんだろう?たった1時間程度の登りしかない三つ峠でバテるとは。

実際、岩に登っている間は精神的緊張以外は、特に肉体的には難しくはなかったのだが、帰りの林道歩きが、なぜか堪えた。ちょっと走ったら、頭の打ったところに響いて痛かった。が、それもちょっとのことだったし。 うーん、何が悪かったのだろう?毎週、山は歩いているはずなのに。

私は今バットレスを優先していて、相方との山に100%合わせている。

が、問題は、私、いつも夏は調子が悪いってことだ。 

去年は、雷雨の中、小屋に上がったら、大熱を出して、休暇をもらわなくてはいけないくらいで、その後、その夏風邪はなかなか治らず、バイト上がりで下山したら、気管支炎になり、なんと、私には喘息の気があることと、牛乳にアレルギーがあることが分かった。(それでも4泊5日で縦走して帰ったんですが・・・^^;)

相方も、急な休みを家族サービスしようにも、家族も出かける予定らしく、嫌味を言われたが、ただ、私の方も相方との山のために、大阪の帰省を今年は夫一人でやってもらったし、それは仕方のない犠牲と思い、彼には話していなかった。

何をどれくらい話すべきなのか?は大きな問題だ。押し付けがましくする予定はないが、犠牲を分かってもらっていないのも困る。

今日のマルチ練習がダメになったのは、残念で、私もロープワークだけの練習で、真剣勝負の岩に登らなくていいのなら、やりたいなと思うのだが、岩での転落リスクがなくて、ロープワークだけを練習できる場がない。

それに、2日ダメになったくらいで、今シーズンのバットレスがダメなら、それは、もうかなりギリギリで、臨もうとしていたということで、やっぱり今シーズンは間に合わないのだろう・・・

しかし、今シーズン間に合わないからと言ってマルチの練習をしなかったら、来シーズンだって間に合わない。

バットレスのようなものは、期限を設けて目指す対象ではないのではないだろうか?

相方も私も相手のペースというものを見つけないといけないのかもしれない。

私は、長女だということもあり、相手に合わせすぎる、多くを引き受けすぎるという欠点があるので、それは私自身が改善して行かなくてはならない。

山岳ガイドの先輩について山を学んでいる時は、慎重すぎて、こちらが困るほどだったが、山仲間は相手に早く成長してもらいたいと思うものらしく、私は期待に応えたいとは思うのだが、答えられない。

先を急ぎすぎているようで、自分でも少し不安だ。急ぎは焦りにつながり、それは大抵は悪い結果に終わるからだ。

■ 幸福のバケツを自分で満たす

今年は沢元年にしたかったのに、沢も行けておらず、他の人に付き合う山で、体力を消耗してしまい、自分で行く山が貧困化してしまい、そのフラストレーションが疲労として、溜まっているのかもしれない。自分の幸せのバケツは、自分で満たさないといけないのだ。

11日に毎月例会があるので、その頃に前の月の山行をまとめる。7月は、ほぼレインジャーに費やした感じだ。週末のほとんど、というか、全週末を山に費やしているのにも関わらず、なんだか自分の山は進行していない。それも私の疲労感に関係しているのだろうか?

そうなると自分の山は何か?ということが、一番大事なことになってくる。

■ 自分の山

自分の山は、やはり地図を見て、地形を愉しんで歩く山、ということになるかもしれない。

どうも私は、いつの間にか藪山派になったみたいなのだ。いわゆる藪をかき分けて歩く藪山派ではないんだが、地形に対する興味が強いようだ。

へぇ~面白いな~と思うのは、地形図から予想していた眺めと異なる眺めが目の前にドラマティックに現れたときだ。

なので、大鹿馴峠の先に、ボコッと尖った二つのピークが見えたときには、大発見をした気分だった。家に帰って、また地図を見る。ガイドブックを見る。このドラマティックな展開が予想できたか?と考える。予想はできなかったなと結論する。どうやったら、これが予想できるだろうかと思い、定規を出してきて、ピークのサイズ感を確認したりしてみる。

つまり、私にとっては地図読みは、進路を発見するためのツールというより、予想外の驚き!の発見のためにあるのかもしれない。

山を歩くと、単調な道は当然だが、面白くない。アップダウンがあり、景色が変化する道のほうが面白い。 山の激しい面、穏やかで美しい面、花と岩、そういう多様性がよく見える山のほうが、そうでない山より楽しい。

そういうわけで、やっぱり稜線を歩くほうが、ただピークに向かって歩くより楽しい。縦走の醍醐味だ。

ただアルパインクライミングの本質は、山頂でガッツポーズ!にあり、そういう意味で、私はアルパインの価値観を体現していない。

今日は知人が、北海道の大雪山の高山植物の咲き乱れる山の様子を送ってくれ、私もおと年、敗退した雲の平に行きたくて仕方がなくなった。

私は平日も小さな日帰りの山を愉しみたいのだが、夏の低山は、暑くて死んでしまうので、夏は沢、と思っている。

つまり私にとっては、沢はピークへ続く、登路の一形態としての沢ではなく、避暑を求めているわけで、日帰りで歩ける程度のお気に入りの沢を持ちたいな、といつも思っている。

が、7月は沢山行が一回もなく、暑い日は、家で伸びていた。これは創造的に過ごしたいという私の希望と反対になってしまう。

しかし、それにしても今年の8月は、まるで梅雨のように前線が停滞していて、湿度が高い。

■ コンパニオンシップ

大体、沢も、岩のゲレンデも、ルートも、一人では行くことができない。それが山岳会に入ったメインの理由だ。

最近、色々な人と山に行くようになり、思うのは、山はコンパニオンシップが重要だ、ということだ。

仲間意識、と言う人もいるが、日本語の ”仲間意識”という言葉は、湿度が高すぎ、なんとなく好きになれない。

仲間にだけ良くすればいいという、排他性を感じてしまう。えこひいき、は誰だって嫌いだ。

でも、実際クライマーは、登れない奴は見下す、という人も多い。

クライマーと言うのは登れるかどうかで価値体系を築いているのだから、それも仕方ないのかもしれない。初心者の私が見下されるのはまぁ予想内というか、単なる洗礼、という感じだが、聞いてみたら、あきらかにベテランと分かる山男に対しても、若いクライマーたちは、そのような態度であるらしい。相手が登れると分かった途端手のひらを返したような態度なのだそうだ。

■ 良き仲間

私は運よく、素晴らしい山仲間がどのような仲間であるかの実例を、今年の6月に見ることができた。広島から運転してきた、山おばちゃん二人組だ。

やはり山仲間の、山仲間足る真価、が発揮されるのは、ネガティブな状況に陥った時だ。否定的な状況は誰にでも起こりうる。

おばちゃんの一人はバテ、おばちゃんの一人は元気だった。元気な方は、ああもう…っという態度をしないのが大事だ。

もっともコンパニオンシップが発揮されるのは、雨や怪我、滑落、予定外の敗退など、うまく行かない状況が起った時だ。

雨降りの友は真の友。

山では、基本的に、物事はうまく行かないことのほうが多い。

仲間がちょっとしたチョンボをするのは、もう想定内だ。先日はバイルをバスに仲間が置き忘れた。でも、誰も、あーあとは言わなかった。

雨の予報なのにレインウェアを忘れてきた仲間がいたが、誰もあーあとは言わなかった。

私は、コーヒーを淹れようとしたら、コーヒーのパッケージを持ってくるのを忘れていた。先輩は「ああ~お湯がうまいなー」と言ってくれた。

バスの時間を間違え、始発より2時間も前にバス停についてしまったが、誰も文句を言わず、ただ車で昼寝して過ごした。

私はクライミングに行ったのに、クライミングシューズを忘れてしまったが、運よく車にあった先輩のシューズを借りて済ませることができた。誰も、あーあとは言わなかった。

でもバテて歩けない仲間に「早く歩いてください」とか、自分がビリになった時に「これ以上早く歩くんなら、アタシ帰る」とか言ってはならない。

とにかく、今、与えられた状況でどういうベストが尽くせるか? 自分はこの状況をよくするのに何が協力できるのか?

そこのところを考えるのが、コンパニオンシップというものだ。

私はよく外人さんには”Thank you for being a good company”と言われる。海外では、自分の都合だけが大事で、自分さえよければ良いという人がそれだけ多いと言う事なんだろうと思う。

今日、は突然夫と二人の休日になったので、温泉に行って休養したいと思ったら、生理が来てしまった・・・。





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