- 伝丈沢はおそらく簡単な沢である
- 金石沢はさらに簡単な沢である
- 八幡尾根はシャクナゲの藪が濃い
- 伝丈沢左股は水晶がゴロゴロ落ちているらしい(落ちていなかった)
という、かなり漠然としか情報しか、実は持たずに出かけた。
もちろん、ヤマレコやネットの記録を大雑把に見はしたが、普段やるように入念には調べて行っていない。普段、きっちり調べていくのは、責任感からだ。
一つには同行者がいたこと、さらにその同行者が安心できるパートナーだったことによる。その人の地図読み力も当てにできたし、自分の地図読みも、たぶんまぁ大丈夫だろう、とあまり不安がなかった。
もちろん、ちゃんと2万5千の地図は持参した。が、あまりにも事前情報がありすぎて、未知のことがないと、知らないことを知る、という楽しみがなくなる。それに知りたいのは、危険を避けるためで、大きな危険は詳しく調べなくてもなさそうだった。
ということで、今回は、ぶら~、と出かけた。
だから、より一層、この沢は、探検気分が強く、気分よく、秘境をぶらついた気分だった。
■ GPSはカンニング
実はGPSも持って出なかった。自宅に充電していて、半ば忘れたのだが、地図読みがボトルネックだと思えるような山行では、決して忘れず、電池も2個も持って行くような念の入れようだから、半分はわざと忘れたのだ。
GPSは、カンニング…(笑)というより、正解を知ることができてしまう。
ただ、地形と地図の感覚を体得するのは難しく、ベテランでも一つ尾根間違うくらいは、簡単だし、GPSがなければ、自分がどこをどう間違ったのか?理解のしようがない。そうなると、成長も出来ない。
地図読みには先生が必要で、GPSはその先生役を黙ったまま、しっかり果たしてくれる。こうした文明の利器は、使いよう、なのだ。自分で紙の地図で、現在地を当ててみる。そして、それがあっているかどうか、GPSで見る。GPSは間違いがないから、自分で自分の答え合わせをすることができる。もちろん、まさかのケースには役立つ。
でも、まさかのケースを心配しなくていい条件だったので、今回はわざとGPSを忘れてみた。
迷って分からなくなってしまえば、同沢下降、で良かったので。退路があるってことは気楽だなー。
それで、直感的にフィーリングだけで地図読みして、思ったところに出たので、なんだかすごくうれしかった。
別にコンパスは当てていない。ただ、どちら側に進めば良いか?を地図を見ながら考え、適当に進んだだけだ。
■導かれ感
これは、やっぱり一人で出かけた黒富士などで、消えかけた登山道を歩いて、不明瞭な道を歩く感覚を養った成果だと思う。
最初の頃はホントに恐る恐るだったもんなー。普通の尾根の末端が急な崖だった場合に対応できないと思って懸垂下降ができるようになって、歩けるようになったくらいだ。それくらい、用心派ってことだ。
北穂池は面白かった。一応調べて行ったが、結局北穂池も大雑把な地図読みで十分だった。どれくらい細かく地図を読見込まねばならないか?は現地の”導かれ感”による。
日本の山が大抵のところにすでに踏み跡があるので、その踏み跡…”導かれ感”をたどれば、たいていは踏み跡が導いてくれる。
ただ沢には導かれ感がないので、それが沢の楽しいところでもあり、緊張するところでもあると思う。尾根には大抵、獣の踏み跡がついていて、人間様もそれをところどころ拝借することができる。
こんな風に歩けて気楽な沢を見つけることができて、しみじみうれしいなぁ。
やっと自分の山を愉しめるようになってきた、そんな感じがする。
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