「リードしたくない人に、リードはないな~」
と言ったのは、最初に山の扉を開いてくれた先輩だった。
しかし、リードをしないと、そもそも、ちゃんとしたビレイヤーにはなれない。
初心者は、そこを理解するのが、第一関門だ。
■ トップロープの弊害
トップロープしか知らないと、ビレイと言うのは、ただロープを引っ張ることだと感じてしまう。
リードのビレイでは、細かくロープを出し入れしないと、ちゃんとしたビレイができない。
それには細心の注意力を擁する。一挙手一動を凝視していないといけない。
■ 安心できないビレイヤー = フリーソロと同じ
しかし、私も最初はビレイをマスターするのに、リードする必要があるとは分からず、師匠がしきりに、リードさせようとするので(それもアイスで!)、すごく不安になっていた…。
その意味するところは、私に難しいところを登らせよう、というのではなく、自分がリードするときに安心を増やすためだったのだ。つまり、その時点で、私は師匠にとっては、全然、安心できるビレイパートナーではなかったのだ。この人のビレイでは落ちれないと感じていたと思う。
そんな状態でのリードはフリーソロと同じだ。いやロープが煩わしい分、フリーソロ以下かもしれない。 命を掛けてまで、山に付き合ってやらないといけないとは!初心者とは大変なものだ。
つまり、分かっていない初心者と言うのは、どれほど大変なお荷物であることだろう!育てるのは命がけだ。
■ 理解が先で、行動が後のワタクシ
そこのところが理解するのに、リードを経験する必要があった。
私自身、ビレイを分かっていない人に、リードでビレイしてもらって、落とされそうになった。
リードをするのは、ちゃんとしたビレイヤーになるためだ、と、理解できれば、私はやろうとする。
しかし、先に理解がないと、途端に何に向かって進んでいるのか分からず、不安に陥る。行動を停止する。
わたしには自分で自分を運転している感じが必要なのだ。
そういう意味で、”黙って俺についてこい、そのうち分かる”式の教授法は、私には全く向いていない。
■ 本能?
昔、水泳部でそういうのがあった。弟には良かったみたいだったが、私はてんでダメ。
子供をドブン!と、水に入れて、後ろから、竹刀で追い立てれば、勝手に泳ぎ方なんて覚える、という方式、私にはまったく合っていなかった。
単純に恐怖で、縮み上がってしまうのだ…前にも後ろにも、手も足も、一歩も、何も出ない。金槌だ。
大人になって、水泳教室に通ったら、あっけなく泳げた。
つまり、私は泳げない人ではなく、単純に泳ぎ方を知らない人だったのだ。
クライミングは水泳に似ている。
上手な人は教えなくても上手だし、ちゃんと教えれば、私のように、どんなにどんくさい人だって、ある程度は登れる。
それに上手な人は教えるのが下手だ(笑)。
■ 前穂北尾根への道を振り返る・・・
今年は、アルパイン元年で、ひと夏をそれに捧げた。ただ、成長が急だったので、とっても精神的に疲れた。
以下は今年の岩登りのリストだ。
2014年10月10~13日 北穂池・前穂北尾根 つるべ
2014年10月4日 御坂 十二ヶ岳の岩場 つるべ
2014年9月4日 御坂 十二ヶ岳の岩場 トップロープ
・・・・ここで息切れ・・・
2014年8月23日 奥秩父 太刀岡山左岩稜 セカンド
2014年8月13日 御坂 三つ峠マルチピッチ 初めてのダブル つるべ
2014年8月4日 奥秩父 瑞牆山 カサメリ沢 モツランド トップロープ
2014年7月14日 奥秩父 太刀岡山 小山ロック クライミング トップロープ
2014年7月13日 小川山 春のもどり雪 マルチピッチクライミング つるべ
2014年7月12日 御坂 三つ峠 マルチピッチ クライミング つるべ
2014年6月30日 小川山 親指岩 小川山レイバック トップロープ
2014年6月29日 小川山 八幡沢 春のもどり雪 つるべ
2014年6月22日 御坂 十二ヶ岳の岩場 つるべ
2014年6月15日 小川山 父岩母岩 小川山物語 トップロープ リード
2014年5月25日 小川山 八幡沢 春のもどり雪 マルチピッチ入門 セカンド、リード
2014年5月22日 小川山 屋根岩2峰セレクション マルチピッチ入門 セカンド
・・・・岩通いスタート・・・
2014年5月18日 十二ヶ岳の岩場 岩入門 リード
2014年4月5日 御坂 三つ峠 屏風岩 マルチピッチ デビュー セカンド
2014年1月18日 御坂 十二ヶ岳 ゲレンデ アイゼントレーニング セカンド
去年1月のアイゼンクライミングの前に、会で、城山でのクライミングの機会があったけれども、私は岩登りは、この時はまだ怖くて、辞退している。
外岩から昔の人は入ったので、本当は外岩から入ってもいいのだろうけど、「あまり早くに外岩に連れて行かない方がいい」と言う人もいる。一体どちらが正しいのだろう?
パートナーとして大事に育てたい人がいれば、たぶん怖がらせず、岩に慣れてもらう時間を長く作るだろう。いわゆる温室育ちだ。それは、セカンドで何度も岩に連れて行ってもらう、ということを意味する。
結局のところ、私は、セカンドでは、ほとんど連れて行ってもらっていない・・・最初の一回だけで、それは誰もに必要な時間に過ぎない。2回目からは、つるべか、リードだ。18山行中10回は、リードかつるべ。
だから、セカンドで守られ、岩を単純に楽しいと思う時間をたぶん十分、過ごしていないのではないか?と今年の夏は思った。
私の岩への精神的緊張は、それに根差しているのでは?と思ったのだ。つまり、練習不足・経験不足の自己認識だ。
運転の教習でも、一定の目安となる時間がある。慣れが成否を分けるものであれば、おなじようにクライミングもロープワークも慣れが左右するわけなのだから、一定の目安となる時間が必要となって、然りだろう。
そして、へたくそは、才能で登れる人より、より多くの時間を掛けないといけないハズだが、私はへたくそなのに、逆に全く時間をかけ損なっているのではないか?と想像した。
というのは、以前、他会の人だが、丁寧に育てられた新人の山行リストを見て、びっくりしたことがあるからだ・・・十二ヶ岳の岩場レベルの易しい岩場に、これでもか、というくらい先輩が何度も連れて行っていたからだ。
反復練習にまで付き合ってくれるような暇は、先輩には、通常はないので、その辺は、新人同士で片づけて欲しいところだと思う。
それで、その彼はエリート育ちだなぁと思った。それと比すると、クライミング頻度が低くて、ほとんど経験がない段階からリードしつるべが前提の、私の、この成長の軌跡は、要するに雑草系だと思う。
■ 山の一部として
私は、岩登りは、岩登りに特化した活動(つまりフリークライミング)というより、山登りの一要素として、岩登りのニーズを感じていた。
だから、自分の山がステップアップする速度で、ちょうど必要になる分だけ、岩登りスキルも、ステップアップすればいいと思っている。(でも、山に行くと、フリーも頑張らなきゃな~、とは、率直に思う)
山の初心者が来た時、クライミングを多少でも良いからしておかないと、いわゆる”本格的な山”にはまったく連れて行けない。一般道止まりになってしまう。
だから、山岳会に来たら、誰もがクライミングの洗礼を受けるし、クライミングをしたくないと言えば、山岳会に来た意味自体が希薄になってしまう・・・
・・・というのは、ちょっとした悪場で、ロープをイチイチ出すわけには行かないからだ。
そんなことをしたら、日が暮れてしまうし、そんなことをしたら、ガイド登山になってしまう。山岳会はちょっとしたところではロープは出さないのだ。頻繁にどこでもロープを出してくれるのはガイドだけだ。
でも、このレベルのクライミング力はそんなに高くない。5.8がリードできれば十分だ。
このことは初心者にはとても理解が難しいと思う。
■ 初めての岩場で
初めての岩場に行った時のことだ。登山道なら、ちょっとした難所になるところがあった。一瞬に過ぎないが、こけると危険だった。
先輩が、「ここは一般道ならロープを出すんだが…」と言って、不安そうに私の方を見た。私がその箇所を、問題なく超えたときの、「あ、平気なの?」という、ホッとした表情は今も忘れない。
そこは、その日、なんとフィックスロープを張ってくれた。今は誰も目にも留めない。
力量が分からない、初めての人を岩場に連れて行くのは、それほどまでに、連れて行く人の心理的負担が大きい。
初心者は、無垢で全く、何も知らないので、連れて行く人は、連れて行った相手の安全に、120%責任を持たないといけない。
■ 師匠との三つ峠
その3か月後、師匠が初めてのマルチピッチで、三つ峠に連れて行ってくれた。
この時は、岩場に”トポ”というものがあるのさえ、全く知らなかった。
師匠は、私のロープワークの技量は全くと言っていいほど、知らず、セカンドの確保ができるのか、どうか?さえも、不明だったと思う。(ちなみに、今でも知らないと思う。) もう一人いた女性は、わたしよりさらに問題があり、懸垂下降のセットさえ、何をしたらよいのか、分からない様子だった。
これも120%、連れて行ってもらった山だ。
だから、ケーキはおごり(笑)。ケーキ代くらいで、命を懸けてくれたのだから、安いものだ。
というのは、あながちウソではなく、この日は、まだ登山道には雪が大量に残っており、指が、かじかんで、登攀の難易度はワンランクアップだった。先鋭的で知られる横浜の会が、前日、”まだ三つ峠は冬期登攀だった”と言って敗退している日だった。
そのため、師匠は1ピッチ目で、あやうく墜落しかけた。さらに相方になった女性は、リードのビレイで、師匠を引っ張り落としそうになった。師匠は青くなっていた。自分で落ちるなら、まだしも、おとされたら、たまらない。
これが私のマルチピッチデビューだった。師匠には、とても感謝している。普通はロープワークを自分の目で監督していない相手を連れて行くことはないと思う。
■ ”いきなりリード”
それから、次に十二ヶ岳の岩場へ誘われたので、完全にエンジョイクライミングの、トップロープ祭りだと思っていそいそと出かけたら、それは最初の1本だけで、2本目からリードだった…(^^;)。
自分でもよく登れたな~、と思う。
支点は自分の身長毎に取ったくらい、頻繁に取ったけれど、私の”いきなりリード”は、かなり急激だったと思う。何しろ、外岩、ショートピッチのクライミングなんて、全く知らない。
けれど、この日はロープワークをパートナーを組んだ人に教える役目も果たしたので、そちらのほうが強烈に印象に残り、自分がどうやってリードしたのか、今もって雲をつかむような感じだ。覚えていない。
私は、昔から責任感が強い。教えたことが間違っていないか、相手の安全を自分がきちんと確保できているか?そちらのほうが心配になってしまう。
この時、初めて人にロープワークを教えたが、易しいとはいえ、マルチの壁で、自ら志願してリードした。
というのは、まったく、初めて支点を作る人と私と、では、どう冷静に考えても、たぶん、まだ私の方がマシだろう、と思ったからだ。
中間支点の場所など、トポって何?状態の初心者が、セカンドとして登ったところで、意識して覚えているわけもなく、まったくの初見と同じことだった。4か月もたっていたし。
オマケにビレイヤーも初心者なので、ビレイも当てにできない。つまり、フリーソロ状態だ。
その後、より支点が充実した、小川山屋根岩2峰や、春のもどり雪に連れて行ってもらい、これらは先輩のリードで、ほぼ終始セカンドだったので、心も軽く、体も固くならず、楽しく登れた。なんという違いだろう!安心の傘!!
それでも、最後のピッチで、私は確保器を落としてしまい、懸垂下降がムンターになった。ほぼ垂直の懸垂で、次の確保支点は、ハンギングなのに…(笑)。
■ 初見リードでスタートとほぼ同じ
そこから先は、もう相方と二人で、いきなり岩場に行って、つるべを練習していた。というか、むしろ私が案内役だった。
トポってこんなの |
だから、私には、セカンドでぬくぬく登っていた時代と言うのは、ほんの一瞬しかない。正直なところ、セカンド時代を長く過ごせた人が羨ましいくらいだ。
私たちがつるべで通ったのは易しい場所だが、お互い”初見リードでスタート”と、ほとんど変わりがない・・・(汗)。さらに言ってしまえば、お互いフリーソロ、と変わりがない。
クライミングの才能がないのに・・・(^^;)
つまり、メンタルなキャパシティを、天に試されているような気がする・・・(--;)
初心者で、トポってなあに?状態の人は、中間支点の位置も、もちろん記憶していないし、一回トップロープで登ってスタンスを覚える、というような発想に、まだ全然ない。それが普通だ。
だから、三つ峠も2回目でリードした時は、まったく真っ白と一緒のことだった。
先日連れて行った初心者の男性も、岩講習を受けた後だ、という話にも関わらず、岩講習を一回も受けたことがない状態の私より、しどろもどろの様子だった。
「ほんっとに何にも覚えてないでしょ」とすまなさそうに、茶目っ気たっぷりに言ってくれたが、それは裏を返せば、”ザイルの反対側にいる私の安全は、ぼくは保障しないよ”っていう意思表明だ。
でも、この言葉を言うことから、そのことも分かっていないのだろう・・・と推測できる。「私にはパートナーの資格がありません」と、自ら言っているようなものだからだ・・・。
でも、やはり、
- ビレイしてもらおうとしたら、確保器が上下逆さまだったり、
- 自分のセルフビレイ用のスリングをセットするのも出来なかったり、
- 手袋を落としたり、
- さらには懸垂のセットで、支点にロープを通していなかったり(!)
・・・だった。でも、こういうのは想定内のことなので、初心者なら許されることだ。
つまり、まだ自分で自分のケツも拭けない。(汚い表現でスミマセン、ただ最初に教えてくれた先輩が、そう言うので・・・)
ただ岩登りが出来て感動!うれしい!!と、舞い上がっているので、それは致し方ない。この時点では、喜びをそぐほうが、害が大きいかもしれないと思う。
わたしだって、三つ峠や屋根岩2峰では、そういう状態だっただろう。師匠命がけ(笑)、先輩も命がけ(笑)
だから、そういう状態だった人が、2回目に同じ場所を登っても、それは、初見とほとんど同じことになってしまう(汗)。
というわけで、私は今年は一杯、初見で登ったような気分で、「本気トライなさったら」と言われても、実はもう一杯本気トライした後で、精神的に、もぬけの殻なのであった…(^^;)。
つまるところ、精神的ストレスと、夏の疲れが相まって(毎年夏は調子が悪い・・・)、8月のお盆休みは、もぬけの殻になっていた… 師匠は、そんな私を見て、このまま、山を去るのではないか?と思っていたほどだ・・・。
■ 懸垂では失敗できない
フリークライミングのショートピッチで岩を始めると、懸垂下降を知らないままに過ごす時間が長い。
だが、懸垂下降は、退路を作る技術で、そして、なにより、失敗が決して許されない。
懸垂下降を、私は最初に習った。登ることより、退路を断たない、ということが先だった。
けれど、一般にクライミングする人は、最後にしか教わらない。
相方は、そういう順番で習っていたのだと思う。室内壁での練習で、バックアップのセットが怪しかったので、凄く心配し、経験の量で行くと、まだ私の方がマシそうだったので、生まれて、まだたった2回目の三つ峠では、私が先にトップで降りた。空中懸垂になるところがあると分かっていたからだ。そんなところで失敗されたら!奥様に顔向けできない!
小川山は寝ている壁だったので、懸垂は二回とも先に降りてもらった。私はアイスでルートに出たおかげもあり、懸垂下降はセットミスはもうほとんどない。ただロープが足りないとか、途中停止、すっぽ抜け、回収不能などの経験はまだない。
■ 経験が圧倒的に不足
やはり、マルチピッチでは、ルートに出た経験の量の方が重要で、いくらショートのゲレンデをたくさん経験していても、経験の内容的に、懸垂や支点作成の部分が積み重なっていかない。もちろん、ルートでも、漫然とセカンドで登っていても、全然経験の量として蓄積していかない。
相方と私では、どちらもどっちで、お互いに信頼に足る経験が足りておらず、互いにビレイは信用できないし、支点もお互いチェックし合わないといけないし、二人で一緒にいても、互いにフリーソロ状態なのと変わりないことになってしまう。
そうなると、より心配性で、クライミング力が低い、私のほうの心理ストレスが強くなってしまうのは道理だ。クライミング力は相手ではなく、自らの安全を守るものだからだ。
いくら登れる相手と組んでも、自分の安全は増えるわけではないのは覚えておくべきだろう。自分の安全は自分のクライミング力で守るものなのだ。
・・・というわけで、8月、私は急激すぎる岩通いに精神的に疲れていた。
セカンドとして、もっと普通に岩登り自体を楽しいと思う時間が必要なのではないか?と思った。つまり、担っている責任が重すぎると感じたのだ。
岩に登って楽しいとか、興味がわく前に、リードする恐怖に立ち向かうことになったので、心の方がついていけなくなったのだ。
■ 課題
一方、課題は多かった。コールは余計なことを言うと、間違ってビレイを解除してしまう危険があった。さらに、もっと問題は、ロープが流れなくなることだ。つまり、中間支点の作り方がマズイ。
ロープそのものも問題だった。落ちること前提のスポーツクライミング用のシングルをダブルで使うので、重くて、登るのに支障が出るのだ。ロープの重さが足手まといになっていた。
さらに、そのロープは、使い込まれて痛んでおり、少々信頼性に欠けた。あるベテランさんに、そのロープでトップロープを張ってもらったら、ローワーダウンでなくて、体重を掛けないよう、クライムダウンした。そのクライマーさんは、見るからに熟練者だったので、その判断を見て、私はそのロープをさらに信用しなくなった。
■ 5.8リードはえらくないか?
もちろん、私が登っている岩は、5.8レベルで、クライマー諸氏は目をつぶってでも、登れる易しいルートばかりだ。
しかし、信頼できないビレイヤーのビレイで登っているリードなど、単純にフリーソロと同じになってしまう。
これはどんなレベルか?と言うと、5.12が登れるクライマーでも、フリーソロと同義のソロクライミング(ソロイストを使ったりなど)は、5.7レベルしかやらない。
つまり、立派に登れ、優れたクライマーだって、やっとこさ、確実だと感じられるレベルだ。
岩登り事態の経験が、そもそも片手で数えるくらいのレベルの人が、緊張に晒されないわけがない。
リードする人の安心につながるのは、主に
- ビレイヤーがしっかりしている、
- 中間支点は頻繁で信用できる
の2点であり、自分のクライミング力への信頼は後回しだ。絶対に落ちない、というのは、それくらい断言が難しいことなのだ。
初心者の人は、自分のビレイ技術に問題があるかもしれない・・・などとは、想像もできないし、想像もしない。ビレイ技術の未熟さを指摘されると、逆切れして、拗ねて、腹を立ててしまう人もいる。
でも、まともな墜落を一回も止めたことの無い人のビレイなんて信頼できるはずがない。(と、先輩は、誰もが口をそろえて言っている。)
先輩たちは信頼できないビレイヤーでは、難しいところは決して行かない。
だから、だらりんビレイで、ビレイして許されると思っている新人は、自らどんどんリードして、だらりんビレイでのリードがいかに恐ろしいものか?を理解させられるのだ。
一方、登りたがりの人は、登ることに魅惑されているので、ビレイが登るための精神的支柱になっていることには全く気が付いていない。
そこに気が付くまでに、一度大きな墜落を経験しないといけない人もいる。そうして、初めて、自分を結ぶ命綱が、文字通り、命綱だったということに気が付くのだ。
そうやって、クライマーはだんだん用心深くなっていくものらしい・・・。
ただ、”愚者は経験から学び賢者は歴史から学ぶ”。何も落ちた経験から学んだ人を愚者呼ばわりするのではないが、何も自分が落ちて、痛い目に遭わなくても、周囲には、そんな生き証人がたくさんいて、そんなことはとっくに新人は耳たこになるほど聞かされているべきなのだ。
ある先輩は、「もう絶対リードはしない」と公言する。
それでも、その人は、確実なビレイをしてくれるから、重要な戦力だ。確実な登攀には、突破力だけが必要なわけじゃない。
というわけで、リードしないとビレイも上達しないの法則の話と、今年ひと夏の苦労の感想でした。
ところで、この苦労は前穂北尾根になったので、十分報われました☆
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