Saturday, October 18, 2014

前穂北尾根の回想 

■ 手段と目的を取り違える

先週は、アルパインの名門クラシックルート、前穂北尾根に先輩が連れて行ってくれました。この山行は、私にとっては、とても重要な意味がある山行です。

由緒ある前穂北尾根でアルパインクライミングを経験することが出来て、心から嬉しく思っています。

前穂北尾根…登山をしている人なら行きたくない人はいません。

しかし、どれくらいの人が、単なるルートとして以上に、前穂北尾根を見ているのだろうか???

ルートは、昨今、グレード、つまり易しいか易しくないかだけで語られるようになってしまいました・・・

私が思うには、登山技術は、目的とすべきものではなく、どこか自分が行きたい場所に行くための手段であるべきものかと。

私がクライミング力やロープワークなどの技術が欲しかったのは、自分が行きたい、人踏稀な、静かな場所に、クライミング力があれば、より安全に行くことができるからです。また、夫や友人などの大切な人を安全に連れていくことができる、と思うからです。

■ わたしにとっての前穂北尾根

私にとっては前穂北尾根は


という印象のルートでした。

前穂北尾根が重要なルートとされるのは、山岳史で重要なポジションを担ったからです。

この尾根が凄いルートだからではありません。フリークライマーの人には、何だ、というような、ものたりないルートです。

この尾根の初登攀は、夏冬ともに慶応大学山岳部です。下の方に、慶応尾根って尾根がありますよね。

無雪期は1924年7月。積雪期は1928年1月。90年前です。

夫と前穂に登った時、前日が後か忘れましたが、遭難があったようで、ヘリを見ました。今回、登ってみた感触としては、一体どこで遭難が起きたのだろう?と言う感じです。

3峰は核心ですが、チムニーで、登れなければ、落ちるより先に、敗退するだけですから、核心部で、登攀力が足りずスレスレで登れず、墜落して遭難、というのはありそうにありません。

となると、考えられそうなのは、脆くて崩れやすい4峰でルートファインディングをミスり、進退窮まるか、足元が脆い場所を歩きなれていない、スキル不足の登山者が墜落したか、どちらか。

リードする力がない人がリードすることは、ありえなさそうな感じでした。

■ 大島亮吉と4峰

前穂北尾根は、大島亮吉の死によっても有名です。28歳の若さで亡くなっています。いったい、どこから落ちたんだろう?と検索したら、

 4峰から涸沢側に転落死

とのことでした。4峰かぁ…。

先輩も「ここは3峰より要注意」と言っていました。が、4峰で遊んじゃったのですが・・・(笑)

たしかに4峰はルートファインディングが難しく、一旦上高地側へ巻いて、ピークの肩に出、そこから、ピークを詰めると、あとはジグザグに下山道がついています。

上高地側を巻いたあと、ピークに登らずに斜面をトラバースしていた後続がいましたが、4峰がアブナイと言われる理由を分かっているのかなぁと首をかしげました。

4峰がアブナイのは、脆いためです。斜面をトラバースすると、頭上に落石の要素を抱えることになりますので、間違ったルート取りと思います。

■ なぜ山に行くのか?

実は、北穂池に行った時も、慰霊碑が二つもありました。

私は、山がライフスタイル、という暮らしや生き方については、賛同するものの、山で死んでもいい、とは思えません。

なぜ山に登るのか?

それは、素晴らしい思い出を作るためです。後年、振り返って、にっこりすることができる、楽しい思い出を蓄積するためです。

山に登ると、生きていることだけで人間は十分なのだ、と思えます。

一瞬一瞬を真摯に生きたか?それだけが死の床で問われること。

自分の小さなエゴに囚われず、後悔の無い時間を過ごしたかどうか?です。

それが、大自然が改めて教えてくれることです。悠久の時の中の、一瞬の命、人生。その貴重な時間をどう使うか?それは人間次第なのだ、ということです。

愚痴を言って一生を過ごすもよし、小さな競争に明け暮れて過ごすもよし、自分の使命に捧げるもよし。

それが人間にだけ与えられた選択肢であり、ファンダメンタルチョイス、と言われます。

そういう風に山で感じるので、山での死については、ただただ、もったいない…という思いしか浮かびません。

■ 山での死

私が登山を始め、身近に見聞きした死は


知っている人は新井さんだけです。GWの涸沢で、上から、人が降ってきて、巻き添えを喰らい、ヘリで救助された知人がいます。昨今の山ブームで未熟な登山者が入山しているからです。

こうしたニュースを聞くたびに遭難について、改めて勉強しなおしています。

■ グレード思考の弊害

私はたぶん女性であることから、安全マージンの取り方が、男性よりも大きいようです。

今年バットレスに向けて、頑張っていたときは、今の実力のままでバットレスに突っ込むと、かなり濃厚な確率でビバークになってしまうと、青くなっていました…。一瞬ガイド登山で、身を守るべきかもしれない、と考えたほどです。背に腹は代えられない、と。

私の脳裏にあったのは、このサイトにあるような、遭難一歩手前のクライミングです。

http://onenomukou.web.fc2.com/kita.html

この人たちは、私も一度講習を受けたことがある、若いガイドさんが主催している登山塾の講習生で、クライミング技術はそれなりに高そうな人たちです。

イマドキは、フリークライミングからアルパインに入る人も多く、クライミングにはグレードがあるので、ちょっとジムでクライミングをすれば、若い人なら、すぐにグレードは上がってしまいます。

グレードで判断すると、たいていのアルパインルートは、グレードが低く、何も問題なく、行けそう、と思ってしまいます。

実際、前穂北尾根はクライミンググレードの低い私でも、核心部のステミング以外は、そう難しいとは感じませんでした。

それでも私はまだ人を連れて前穂北尾根を歩く実力はないと確信できます。

そういう問題じゃないのです。緊張感や集中力、注意力、そういったものが、ルートを含んだ、長い山行中、高いレベルでずっと維持できるかどうか?というようなことです。

グレード思考の弊害というのは、”そういう問題じゃない”ということが分かりにくい、ということです。

グレードにはルートグレードとピッチグレードがありますが、たいていはピッチグレードの方が高いですが、その高いピッチグレードのグレードより、クライミング力があるから大丈夫、というような思考はかなり危険です。

■ 山が懐を開いてくれた時に行く

昔は、その辺の分かりにくさは、説明も出来ないモノなので、先輩が行ってもいい、まだダメ、を判断してくれ、行けるようになるまで、登山者は、地道な努力を続けながら、山への憧れを胸に温めたもののようでした。

それは感動を大きくするので、良いことだったのです。自分の山行(努力)を通じて、先輩たちにアピールしなくてはならなかったのです。それは、長時間歩きとおせる力や、歩荷力、生活技術や、リスク管理、そして、情熱などです。

ところが、そうしたハードルなしに「行きたければ行く」のが、昨今の風潮です。

先輩が連れて行ってくれないなら、ガイドに連れて行ってもらえばいい、という人も多いのだそうです。しかし、ガイドさんもガイドに連れて行ってもらう山は、まったく違うとハッキリ言っています。以下は、私がやり取りした、有名なアルパインクライマーとのやり取りです。

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そもそも山に行く体力が少ない人に技術はあり得ない。
まずはしっかり歩いてしっかり担ぐ。そこから技術というものが生きてくると思ってます
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残念なことに山は、山そのものも大衆化、卑近化しています。 つまり、同じ前穂北尾根でも、今の前穂北尾根と90年前の前穂北尾根は全く違うのです。

今の時代、人気が集中して、皆が同じところに行くので、山は人踏濃く、その踏み跡をたどれば、10中8、9は問題なく行けてしまうのです。

さらに、先行者がいたりして、先行者の後を追えば良いだけだったりします。人の後をついて行く、という思考ですね。

ルートも基本は、「残置を追う」です。残置を拾うのは、人の後を付いていく、金魚の糞思考と結局は同じです。

しかし、それでは、実際にルートファインディングや歩荷力、行程全体を管理する力、全般的なリスク管理について、十分マスターした上で望んでいるわけではなく、状況に助けられただけ、ということになります。

そしてそれは私がしたい山ではないのです…。なぜなら、状況依存の登山は、一歩間違えば、上記サイトのような、遭難手前に突っ込むこと、確実だからです。

そうではなくて、ルートファインディングしたら、残置が追っかけてくる、ようにならないと、本当はそのルートを読んで、歩けて登れているわけではないのです。

自然地形からルートを読む感覚を養うのが大事です。

■ 大島亮吉 涸沢の岩小屋のある夜のこと

言うまでもなく、死は誰にでも訪れます。 死は死であり、それ以上でもなく以下でもない。

しかし、人間は意味を考える動物ですので、人の死には重さがあります。犬死という言葉があるように、もったいない死もあれば、英雄死もあります。

人の死においては、死に至る文脈こそが、死の重みを左右するものです。

ここで、大島亮吉たち一行が、涸沢の岩小屋で、山での死について語ったものを抜粋したいと思います。

「おい、一体山で死ぬっていうことを君たちはどうおもっている。」

「それは山へなんか登ろうって奴の当然出っくわす運命さ。」

「うん、そうか、それじぁ山へ登ろうって奴はみんなその運命にいつかは出っくわすんだね。」

「そうじぁないよ。みんなとはかぎりゃしないさ。運のいい奴はそれにであわなくってすんじまうよ。それから山へ登る奴だって、そんな運命なんかに全然逢着あわないように登ってる奴もあるもの。」

「じぁその逢着あうような奴っていうのはどんな奴さ。」

「まあ、言ってみりゃあ、結局ワンデーみたいな奴さ。」

「ワンデーやマンメリイみたいなやつは、まあたとえてみればさ、そういうような運命に出っくわすのさ。」

「無鉄砲をやって死ぬのや、出鱈目でたらめに行ってやられるやつもいるさ。だけれど、そういうのは問題にはならないよ。注意し、研究もしてみて、自信があってやってさえ、やられたというのでなくちぁね。」

「ワンデーだってそうだろう。『山とスキー』に、「人力の及ぶかぎりの確たしかさをもって地味に、小心に一歩一歩と固めてゆく時にはじめていままで夢にも知らなかった山の他の一面がじりじりと自分らの胸にこたえてくる」って書いていたじぁないか。」

山は自分にとってひとつの謎ぶかい吸引力であり、山での死はおそらくその来るときは自分の満足して受けいれらるべき運命のみちびきであるとおもった。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000863/files/49595_35558.htmlより引用

■山は謎深い吸引力

私にとっても、山は謎深い吸引力です。ご縁で登っています。

だから、無鉄砲の結果のビバークは受け入れられないが、一歩一歩、歩みを進めた上での、やむを得ないビバークは受け入れられます。


























山に登っている限り、どんな易しい場所でも、転落のリスクは避けられないことを、今年は、私自身が、山の斜面を2回転半、8mも転がって理解しました。

私はチャレンジを恐れる人間ではありません。そんな人は、一人でアメリカくんだりまで行ったりできないだろうし、私は何しろ大学も自分の力だけで出ています。7年もかかりましたけど・・・。

誰かが作ってくれた道の、安寧の上に築いてきた人生というわけではない、ということは言えると思います。どんな無理に思えることも、私は計算の上で勝算を持って挑んできました。

だからこそ、計算されていないリスクは、単なる無謀だと思う。

やはりそうして色々考えると…

前穂北尾根は、今後の山への励まし、応援歌のようなものに思えてきます。

この山行で学んだことを胸に、これから一年間、あれやこれやと頑張れるな、と思う。

そして、先輩が連れて行ってくれた、もう一つの場所、北穂池は、”私の山”である伝丈沢で、しっかり開花したと思います。

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