Wednesday, October 15, 2014

ヘルメットを被りましょう

■ ステータスの表明

古今東西、人は装身具で、自分の地位を誇示してきた。

インディアンの酋長の頭飾りがひときわ他の者より大きいのもそうだし、ルイ14世がエリマキトカゲみたいな襟をつけたりしているのも、ビジネスマンがスーツを着るのもそうだ。

ヴィトンのバッグをこぞって女性が持ちたがるのもそうだし、男性が良い車に、いい女を乗せたがるのもそうだ。

男性が髭を伸ばすのは、男性性の誇示だし、女性が髪を伸ばすのも、女性性の誇示だ。

良きにつけ、悪しきにつけ、人は見た目で、99%の第一印象を決める。 

まぁ、視覚情報しか、情報がないのだから、仕方がない。 

■ 北アではヘルメット着用

北アルプスでは、去年からヘルメット着用を奨励していて、一般登山者でも、ヘルメットを着用している人が多い。

これは、おおむね、大方の方面にとって受け入れやすい要請だったようだ。定着率は非常に良い印象だった。

山道具屋はヘルメットで、ひと儲けできるし、山小屋も貸出で収入になる。登山者は、一般道でクライマー風情を味わうことができる。

で、若い人はみなヘルメットを被っていた。

実際、ヘルメットが奨励されるようになった理由は、槍穂などの高難度の岩稜帯の縦走路に挑む登山者が、高齢化しているからだ。 高齢化と言うのは、70代以上から。

それも、初心者の人たちが多い。 

というのは、私は若いころバットレスに登っていたような、高齢の岳人を知っているが、高齢になって、槍穂にいこうなど、本格的にやっていた人は思わないみたいだからだ。よくリスクを知っているからだろう。

というわけで、推論としては、槍穂の岩稜帯などで、転滑落死する人の内訳が、高齢者が急増している、という意味は、高齢でかつ初心者が増えている、という中身だと推論できる。

高齢者は普通の道路でも躓く。まして、岩稜帯ともなれば、なにをかいわんや。

その対策として、発案されたのがヘルメットなのです。

見たところ、定着率は若い人の方が良い、というのは皮肉だ。

ヘルメットがクライマーっぽいアイテムだと言うことは、ここでは追い風だ。クライマーは山ではステータスなのである。

■ デスウィッシャー

フリークライミングの人たちは、ヘルメットを被らない。 フリークライミングの世界は、デスウィッシャーの伝統が根強く残っている。

昔は、命綱は直接、体に巻きつけて岩に登っていた。それで落ちると、世にも苦しい死に方をしなくてはならなかったのだそうだ。

ハーネスは、ただのわっかの安全ベルトでウエスト回りをベルトのように、ぐるり一周しただけのものだったそうで、若き日のクライマーたちは、”登れる”ステイタスとして、ただロープを直接身に着けただけで登って見せたり、いきがっていたそうだ。

ヘルメットを被らないのは、その伝統の上にある。 

論理は同じ。 落ちないからイラナイ、といういきがり。 

落ちなければ、実はロープもイラナイんだけどね・・・  

■ 死にどれだけ近づくかの競争

実はフリークライミングには、死にどれだけ近づくか?死に近づいた方がエライ、という価値観がある。

それは私のように、単純に山がきれいで、好きだから、という登山者には、何の魅力も見いだせない。そればかりか、くだらないと感じさせられる価値観だ。

自信があるルートでは、ヘルメットはかぶらない。自信がないルートにトライするときにはかぶる。

というのなら、ヘルメットを被らない言い訳No1の、「ヘルメットがあると前が見づらくて」というのは、単なる詭弁に過ぎないことが分かる。

要するに、ヘルメットをかぶらないこと=自信の誇示、ってわけで、そんなことは、目新しい情報でもなんでもない。

その人がどんな人なのか、価値観が垣間見える。落ちそうなときには被る、落ちそうでないときには被らないなら、どんなクライマーか?言わなくても、明白だ。

昔の人は、すごい。

命綱は麻で出来ており、シュラフはただの布袋だ。そんな状態で登っていたのは、それしか選択肢がなかったからだ。それで死んでしまっても、それは選択の結果ではなかった。

今は選択肢の時代。 

カッコいいクライマーとは、きっちりロープをつけ、ヘルメットを被り、それでいて、あたかもロープもヘルメットも、中間支点も、ビレイヤーさえも、必要なさそうに、すいすいと登って行くクライマーのことです。

11の時にはかぶらず、12で被ると言うなら、単なるええかっこしいのクライマーです。

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