Thursday, October 2, 2014

試しに”主体的”に登ってみる

■ 最近、FBのコメントで

「主体性(自分で選び、自分で決める)が幸福感のカギとは限らない。日本人は基本的に主体性をストレスと感じる」というコメントを読み、あまりに私にとって想定外の考えなのにビックリしました。

その証拠に「日本の”おもてなし”である、懐石料理は選べない」とありました。たしかに懐石料理は選べない。フレンチのコース料理は選べるけど。

それにしても、懐石料理、子供の頃は、ホント、なーんにも食べるところがありませんでした。お刺身もキライだったし、山菜の類はまずくて食べられない。煮物はだしが生臭くてダメ。

まぁ、きっと子供だったので、安物バージョンしか食べさせられていなかったのと、味覚が鋭敏で、母の味以外を受け付けなかったためと思いますが。

しかし不思議なことに今は食べられます。 子供の頃はよその家の味噌汁は飲めなかったですが、今はなんとかなります。(好きじゃないけど)

考えてみると、この”何でも食べるという能力”は我慢の末に獲得した能力なんですよねー。 

”学校給食による訓練”を受けていないアメリカ人には無理と思います(笑)

■ 日本人らしさは作られる

つまり、これは”すべて受け身の日本人”は作られると言うことです。

本来は、子供の私は、自分が食べたいものが何か?分かっていたし、何が体に良くて、何が悪いか分かっていたと思います。

結局、学校給食で鍛えられた、ということだと思います。学校給食は、私にとってほんとに苦痛でした。食べられないものを無理やり食べさせられて。 下校の時間までお皿をにらんでいたこともあります(笑)。

こうしたことを考えてみると、日本は、当人にとって良いこと(懐石料理)も、嫌なこと(学校給食)も、”押し付けるのが良い”という文化です。

■ 時代は変わる

子供に無理強いするということを考えると、それは”子供は自分で何が自分に良いのか分かっていない”という前提思想があるのだと思います。

でも、最近は、子供が食べられないモノは無理強いしてはいけない、と言う風に世間の潮流は変わってきています。単純な、好き嫌いではなく、アレルギーや体質に合わない食べ物、ということがあるからです。

私なんて大人になって調べたら、牛乳アレルギーでした(^^;)。そりゃ苦しいよな~、毎日牛乳を飲まされては。

昔の「好き嫌いは良くない」という思想は、たぶん、古典的な栄養学に基づいたものですが、栄養学さえも、今は、一物全体や、季節に合ったものを食べる、身土不二の思想の前に屈そうとしているくらいです。何しろ、栄養学というのは、木を見て森を見ない学問で、その失敗は生活習慣病やガンが日本人の死因の上位を占めていることから、明らかですから。

というわけで、世の中の常識と言うのは、”変わるもの”、です。

私は今でも、お刺身やお肉を食べたい!と心底要求することはあんまりないような気がします。

■ ”押し付け”が楽なように躾けられてしまったのかも?

さて、「あらかじめ決まっている方が楽」だから「好き」という精神性ですが、これは海外旅行でも、登山ツアーでも顕著です。

しかし、あらかじめ決まっている=押し付けられる方が、「おもてなし」というのは、子ども扱い、を前提にしています。

百名山ツアーも、「登山者は自分でどこに行きたいのか分からない」を前提にしているってわけですよね。 

だから、「連れて行ってあげましょう」を体の良い文句にしたホンネは「ここに行け!」です。

失われた主体性は、でも、学校給食のように、学習された文化形式である可能性があります。

■ ためしに一度捨ててみる

そういう”文化的”な刷り込みは、ためしに一度捨ててみて、どっちが本当に自分にとって楽しいか、比べてみると、いいのかもしれません。

手作りの旅は、企画も行く場所の選定も、誰かにお任せで便乗した旅とは、全く違う、充実感があります。

たぶん、社会の常識は変わってきているので、今の時代に少しでも触れている人は、

 何もかもお膳立てされている=サービスが良い

とは感じなくなっている可能性もある、と思います。

そこが、連れて行ってもらう山が楽でいいわ~と思いつつも、なぜか、好きな所に好きなように行っている人が羨ましい、隣の田んぼが青く見える、という理由かもしれません。

大体売れている自己啓発本は、”リスクを取っても主体的に生きようぜ!”って内容のものです。

生き方で言うと、リスクフリーで安全だけど、皆と同じで、個性を埋没させた生き方より、年収が下がっても自分のしたいことをする生き方のほうが若い世代には市民権を得つつあります。まぁそれは上の世代があまり素敵に見えない、っていう意味ですね…

■ 理想のパートナー

いつも誰かがリーダーで行き先を決めるのは、フェアではありません。 

大体行先を決めあいっこするくらいのほうが、対等で気持ちの良いパートナーシップが築けます。

行った先も楽しいとは限らないこともあるし。

でも、行きたいところに行ってあげるよ、と言ったのに、行きたいところを言うと、そこはあーだ、こーだと先回りする人もいます・・・

それは、行ってから分かればいいんであって、誘っても行かないんだったら、それは自分が「連れて行かれるだけ」の人材を作っている側の人なのかもしれません。

確実に分かっているのは、どこに行くか?を決めるところから、山は始まっている、っていうことです。

行くか行かないか、も自分が決めること。

行った後できつかったのは企画者の企画に無理があったせいではなく、その山に行ける体力があるかどうか?の自分の見極め力が足りなかったからです。

行けるか行けないか?も自分で判断しないといけないのです。



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